A020-小説家

第7回・歴史散策・文学仲間たちと=王子~巣鴨

 日本ペンクラブの広報委員会、会報委員会の文学仲間7人による、「歴史散策」は7回目となった。4月17日(水)午後1時、JR王子駅に集合した。私は福島取材でいわき市から戻ってきたが、乗り物のタイミングが悪く、皆を改札前で20分も待たせてしまった。


 
 王子周辺を歴史・文学散策してから、都電に乗り、巣鴨へ向かう。そして居酒屋にたどり着く、というコース設定である。

 参加者は左から、井出さん(日本ペンクラブ事務局次長)、吉澤さん(同事務局長)、山名さん(歴史小説作家)、新津さん(ミステリー作家)、相澤さん(作家)、清原さん(文芸評論家)、そして穂高(作家)の7人である。

 王子駅から音無親水公園に出むいた。
 「案内板」には、江戸時代から名所として知られていたと記す。当時の資料には、一歩ごとに眺めが変わり、投網や釣りもできれば、泳ぐこともできた。夕焼けがひときわ見事で、川の水でたてた茶はおいしいと書かれていたという。

 現代では想像もつかない。まるで人工の川だ。


 王子神社はJR王子駅から徒歩5分くらいで、音無川の左岸の高台にある。門前から参道奥へと樹木が茂り、静寂な境内である。

 権現造の社殿は大きく、見るからに威厳がある。祈れば、願いごと(入試)が叶う、と思うのか、学校帰りの学生が立ち寄るところだ。

 神社の境内で出会ったのが「毛塚」です。この塚はなんだろう。

 理容、美容業、かつら屋などが髪の供養のために、昭和36年に建てたもの。世のなかには、いろいろな供養があるものだと、妙に感心させられた。

 珍しいだけに小説、エッセイ、コラムなど、執筆の材料になるのかな。7人のうち、何人かはそう考えているかもしれない。

 春風がやや強かった。下町情緒を楽しみながら、7人は次なる目的地に向かう。皆の頭のなかでは、情景描写として文字化しているかもしれない。

「ここは田中角栄の出身校だ」と知ると、皆が足を止めた。館内の資料館が一般にも開放されている、と明記されていた。

 見学を申し出ると、館長が説明してくれた。建築設計の専門学校で、田中角栄が長く校長に着いていた。戦前の女子たちも、建築設計の分野に進出していたと資料からわかった。

 散策の途中で、スズメが死闘をくり広げていた。路上で、まさに殺し合いである。人間の存在など関係なく、激しく攻撃をしていた。

 誰もがこんなすさまじいのは初めて見たという。
「オスのスズメが、メスを得るための死に物狂いの戦いかな」
 そう解釈していた。 
 

 王子稲荷神社は「王子のキツネ」の落語で有名である。

 人間を化かすキツネが、逆に人間に化かされる噺である。

 何を笑っているのだろうか。

 稲荷神社の朱塗りの社殿の奥へと進むと、小さな祠のなかに、『願掛けの石』がある。形状は漬物石に似る、重い石だ。それを持ち上げて願を掛ければ、願いごとがかなう、という。

 次々にチャレンジするが、うまく持ち上げられず、願掛けができず、それが滑稽なのだ。

 笑うものが試みると失敗するから、なおさら可笑しいのだ。

「名主の滝公園」に入った。

 武蔵野台地の王子地区には、かつて「王子七滝」があったという。現存するのは「名主の滝」だけである、と知る。

 

  
 園内の案内板を見ると、回遊式庭園だった。北区のイメージからすると、思いのほか広い敷地だった。


 園内は人工なのか、むかしの武蔵野を上手に残した自然なのか。

 どちらにしても、小さな川には木橋がかかり、情感を豊かにしてくれる。

 静かさを楽しみながら、園内をまわる。
 

 名主の滝まて来た。 地下水を利用した滝らしい。

 流れ落ち音が静寂な園内に響きわたる。夏ならば、清涼がたっぷりだろう。



 飛鳥山モノレールは、景観が抜群に良く、そのうえ、なんと無料である。

 背後の窓のむこうにはJRの電車が行きかう。右手の窓下には都電、都バス、そして一般車両が急斜面をカープしながら登っていく。

 モノレールは無料だけに、あっという間に、頂上についてしまう。

 飛鳥山公園は、吉宗の時代から桜見物で有名だ。いまは4月半ばだ。すべて葉桜だった。

 園内の花壇は手入がよく、色彩豊かな花が目を楽しませてくれる。

 7人は文筆家だけに、石碑があると足を止める。そして、碑文に見入る。
 


 目的の一つ『紙の博物館』では館長が案内してくれた。紙の歴史を知る。

 一通りの知識を得ると、館長が都電の乗り場近くまで見送ってくれた。

 飛鳥山から都電に乗り、巣鴨へと向かう。通称は「ばあちゃんの原宿」である。

 商店街にはやたら飲食店が多い。
「アジフライが多いな」
 仲間内からつぶやきが聞こえてくる。巣鴨の居酒屋が意識の中核に座りはじめていたころだ。

 
 女性作家の目が甘味に流れている。自制しているのか、もうすぐ居酒屋だと思うのか、「入りたいな」そんな声は出てこない。

「とげぬき地蔵尊」の境内にある、「洗い観音」にやってきた。長い列を予測していたが、平日の夕刻だけど、お年寄りが思いのほか少なく、5分待ちくらいで、観音さまの前に立つことができた。

 永年に渡ってタワシで洗っていた、観音の顔がしだいにすりへってきたので、約10年前に、新しい仏像にした。と同時に、タワシは廃止で、布になった。

 「観音」をわが身に見立てて、水をかけてから、わが身が病んでいる部分を洗う。そして、祈願すると、観音さまが病気を治してくれる。そう言い伝えられている。
 
  心の病の場合はどこを洗うのだろうか。



 観音さまの水洗いが終われば、あとは巣鴨駅裏の居酒屋「千成」へと向うのみ。だれもが嬉々とした表情になっている。物書きの多くは、「食べること、飲むこと、喋ること」、この三拍子がそろっている。

 きょうの歴史散策の話題は酒のつまみになるのだ。

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