もう3年半になるだろうか。第1回が、真夏の立石散策と飲み会だった。集まったのが、作家仲間で歴史好きなメンバーだった。「次回もどこかへ行こう」
そんな気楽な集まりだった。これまでどこに行ったのか。ミステリー作家の新津きよみさんが、手帳に克明に書きとめてくれている。1人が記載すれば、まあ、過去の流れは解ることだし、ここで述べる必要はない。
こんかいの集合場所は11月13日午後1時で、メトロ・日比谷線の築地駅だった。出口1番の改札を出て、階段を上がると、
「いま、遅刻魔の穂高さんがこんかいも遅れたら、置いて行こうね、と相談していたところよ」
歴史作家の山名さんが開口一番に言った。
「そんな予感がしたよ」
こればかりは病気かな。出かけ間際にあれこれやりすぎるのだ。そんな言い訳もせずに済んだ。なぜか。早め着きすぎたジャーナリスト兼作家の相澤さんが、昼食を取りに行って、まだ帰っていなかったからだ。私の3分遅れは救われた。こんなことで安堵をしてはいけないのだが。
散策のコーディネートは、文芸評論家の清原さん、歴史作家の山名さんである。まず築地本願寺に出むく。外観はどこかカトリック建築を思わせる重厚感に満ちている。
親鸞聖人の生誕を祀る大きな法要の最中だった。寺院の厳かな内部では、ミサならぬ釈迦の歌がコーラスで歌われていた。
「写真撮影は、大丈夫ですよ」
新品の袈裟をきた僧侶が、愛想よく応えてくれた。
このメンバーでかつてロシア正教の教会に出むいた。バッグは背負うな、帽子はダメ、そのうえ撮影禁止だった。つい、それに比べてしまう。
(日本の仏教は開けているな)
日本ペンクラブは表現の自由をうたう団体だ。
写真による伝達、歴史的な記録には映像が不可欠だと考える。やたら個人の肖像権を振りまわす風潮は困りものだと思う。集団のなかに、己の顔が大きく写っていたにせよ、それによる不都合な面が、どのくらい生じるだろうか。一兆分の1の不都合など生じないはずだ。
最近では、メディアの報道の自由よりも、優先すると考えている輩が多い。大半は自意識過剰だ。
「あんたは写したくなかった、どいてほしかった」
そんな嫌味の一つも言いたくなる。
ともかく、仏教徒の開けた撮影許可には感動した。信仰の自由だな、とも思う。
築地場外市場の狭い路地の買物風景を観てから、「かちどき橋の資料館」に出むいた。実物の電動モーター、太いロープの断片などが展示されていた。無料で、社会科勉強ができる。
「橋が開いてるのを見たひとはいるのかな」
日本ペンクラブ事務局長の吉澤さんが、訊いていた。東京に生まれ育った人は、小学校の遠足できたようだ。(写真は勝鬨橋の中央部)
東陽院の十辺舎一九の墓は、時間の都合からカットだった。山名さんは朝日カルチャーの公募・歴史作ツアーで、数日前に歩いたコースだと語る。
トリトンブリッジ・トリトンスクェアの桜並木の散策道は、みな急ぎ足だ。なにしろ東京海洋大学・明治丸(船内見学)の受付時間が2時半だ。それに遅れたくない。本日のメイン中のメインだから。
同大学が遠方に見えてきた。ごく自然に小走りになった。
しかし、残念なことに、明治天皇が乗った明治丸は、大掛かりな改修工事の最中で、見学はさせていなかった。船体の外観はすべて保護シートに包まれていた。
7人は失望した。
「せっかくここまで来たんだから。説明だけでも聞きたい」
作家の好奇心は廃(す)れない。工事を請け負う大手建築会社の現場主任に掛け合った。作家7人はヘルメットを持っていないので、現場のそとで、明治丸の精密な設計図をもとに説明を受けた。
天皇の乗られた場所を問うと、推測ですけど、と前置きしてから、船尾のキャビンが示された。
大学港内は誰しもが、青春をほうふつさせる。黄葉の並木道、赤レンガの建物、われら世代には懐かしい想いがみなぎる構内を散策した。
大学構内のレストランは閉まっていたが、ウィンドーをのぞき見て、「安い、安いな」と相澤さんがとても感動していた。交通費をかけてでも、食べにきたい語調だった。
次なるは、月島開運観世音へと向かった。この間に、「もんじゃ焼店通り」を散策しながら、お好み焼きともんじゃ焼きとの談義になった。
広島育ちの私には、ドロドロしたもんじゃ焼きはどうも苦手だ。かつてどんなものかと一度食べた。その時から、もう食べたくないと思った食品の一つだ。
とはいっても、周辺には、若いカップルが多かった。
まだ民間人が住んでいる佃島高瀬家住宅(区文化財)から、佃波除稲荷神社に向かった。皆して、まずはツクダ煮を買った。その上で、歴史散策にもどる。
家康が関東に来た時、関西から漁師を連れてきた。かれらのために東京湾の埋め立てが行われた。それが佃島だ。
外洋から打ち寄せる波が強くて、埋め立て地の岸壁の土砂や石が流されてしまう。若い娘の人身御供で、波を鎮めた。そんな悲しい伝説が残っていると、山名さんが教えてくれた。
佃島渡船場跡(石碑)の近くに、一本の大樹の銀杏があった。神社の天井を打ち破った巨木だ。見応えがあった。これには感心させられた。
住吉神社は大坂から猟師たちが庶民が移り住んだことから、祀られた神社だった。いまでは喧騒とした東京にありながらも、静寂さが漂う。心が休まる趣があった。
いよいよ井出さん(日本ペンクラブ事務局次長)がセッティングした「月島スペインクラブ」だ。料理は抜群の美味しさである。
井出さんはヨーロッパに生まれて育った。それだけに、ワインには詳しい。実は、私以外はみなスペインを旅している。荒れ地だからこそ、ブドウの樹が育つと私は教えられた。それぞれがワインの銘柄にこだわっていた。
「ビールしか飲まないの?」
周りの作家から同情された。
流れて2次会は居酒屋だった。記憶があいまいだが、「浅田軒」だったと思う。月島が下町だとわかる飲み屋だった。
次回はからだが寒さになれきった2月になるだろう。