小説家

第89回 元気100エッセイ教室 = 心に響くことば

 映画を見たり、本を読んだり、ラジオを聴いたりする。心に響くことばがあれば、それは感動作品です。
「人間の心は、相手のことばで動く」

 ことばひとつで、その人の為なら死も厭わない。ことばひとつで殺意すら持ってしまう。ことばは愛情の表現になったり、凶器になったりします。このように、心を傷つければ、心に響くことばもあります。

 相手を生かすも殺すも、ことばしだい

 作品が盛り上がったときに、読み手の胸にジーンとしみ込むフレーズが、感動すべき、心に響くことばです。

・病気の子供を抱えた若い母親が、「この子を助けてください」と涙して訴えた。

・戦場の砲弾の恐怖のなかで、「おまえは生きて故国に帰れ、傷ついた俺をかまうな」

・過疎化の故郷に帰省した時、「誰かが村を守らないと、おまえらの故郷がなくなるだろ
う」

・父親に怒られるかと思いきや、「離婚は恥ではない。問題は次の生き方だよ」と優しく接してくれた。

・職場の鬼上司から、「男は誇りが大切だ、そんな仕事をしろ」と怒鳴られた。

 これだけでは心に響くことばだと言えません。懸命に生きる姿を描き切ったストーリー(流れ)が必要です。作品が盛り上がれば、心に響くことばが生まれます。心にとどめ置きたいことば、として強く印象に残ります。

・愛、惜別、信頼、努力、痛切な願い、絆、真剣、信念、叱責、危機、

 いずれも心に響くことばが潜んでいます。それを引き出すのが作者の技量です。

 作者には過去の体験のなかで、忘れ難い、心に響いたことばが必ずあるはずです。それを素材にして、エッセイを書いてみてください。
 感動作品が生まれる土壌(ネタ)があります。

第88回元気100エッセイ教室=エッセイで平和の教科書づくり

 私たちは後世になにを残すか。何を読んでもらうか。明治時代からの曾祖父、祖父、親の代まで、戦争による暗い負の社会だった。

 団塊の世代でいえば、物心がついた時には、焼夷弾などによる廃墟の町だった。戦争孤児、原爆孤児、満洲引き揚げ飢えで死んだ子たちも大勢いた。生き残った私たちは食べ物も、衣服も満足にない社会がスタートだった。

 そこから懸命に生きてきた。誰もが誠実に働き、新幹線、家電、自動車、環境汚染処理、通信、あらゆる分野で最先端の技術と文化を世界に提供してきた。一方で、私たち市民は税金を通して、先人が犯した外国への負の賠償を支払ってきたのだ。決して、政治家のポケットマネーではない。

 戦後70年間、私たち日本人は武器で外国人を一人も殺さず、これだけ高度に発達した社会を構築してきた。自慢できる70年間なのだ。
「戦争なくして、なぜ高度の平和な社会が作れたのか」
 この優れた社会をエッセイで書き残すことが、後世への平和教科書になる。それが教えられる世代なのだ。


「世界一の品質をつくる」
 日本じゅうが燃えた。企業戦士、エコノミックアニマルという批判はあったが、GNPトップクラスの大国になった。
 成功・成就する裏には数倍の失敗があり、多くの倒産もあった。企業には栄枯盛衰がある。個々人においても、いくどもの挫折、葛藤、仲間との言い合い、仲間との軋轢、あるいは職場環境に悩み、苦しみ、うつ病や自殺などを出してきた面もある。さらには子育てを妻に押し付けた家庭犠牲の精神すらあった。
 それでも日本人は戦争せず、世界一流の製品をつくり、平和国家を築きあげてきたのだ。
平和70年と言われるが、経済が主導で、平和国家をつくってきた。どちらかといえば、政治は経済の後から付いてきた。だから、平和が作れた面がある。

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よみうりカルチャー「文学賞を目指す小説講座」メンバーと合宿=房総

 小説講座の合宿が5月の連休を利用して、2日間行われた。年初、よみうりカルチャーセンターの小説講座の受講生から、「先生、合宿をしませんか」と提案があった。世間が休みの大型連休・5月か、8月ならば、いいよ、と返事しておいた。

 私が30代のころ講談社フェーマス「小説講座」で、伊藤桂一氏と出会った。その後の同人誌「グループ桂」の活動を通して、伊藤先生らとなんどか合宿した記憶がよみがえった。集中した時間で、濃密な授業ができた。

 別途、同人誌「ちょき舟」にも入っていたので、そこでも小説仲間との合宿があった。朝日カルチャー小説講座生が立ち上げた同人誌だけに、レベルが高かった。合宿では朝から晩まで、仲間の作品を時間をかけて論議できた。実に、有意義な合宿だった。

 これらふたつの合宿が筆力を一気に高めてくれた。

 こんかいの場所は、受講生の森田さんが千倉の別荘を提供してくれる。宿泊代がかからない分、それをバーベキューや飲食代にまわせる内容だった。幹事は山田さんだった。

 早朝の出発は苦手なのだ、私は前泊で千倉にむかった。5月2日(土)は5月連休の最初で、内房線は混み合っていた。

 夕暮れ前に、千倉駅に到着すると、森田さんが迎えにきてくれていた。

 海岸の散策にでた。やさしい湾曲の海辺だった。

 私は波静かな瀬戸内の島育ちだ。太平洋の沿岸にくると、荒々しい波の光景を期待する。
 
 この日はそれに反して静かな磯辺だった。

 見わたしても、釣り人は少なかった。

 磯から海に突きでた堤防で、20代の男性が『ブレイクダンス』を踊っていた。そばでは彼女が一眼レフで撮影する。
 
 私は近づいて、「とても、素晴らしいダンスだね。撮影させてくれませんか」と声掛けした。男性は快く応じてくれた。「ムービーですか、スチールですか」と問う。

「デジカメのスチールです」と答えた。ダンスはハイスピードである。一眼レフと違い、デジカメではシャッター速度がダンスに追いつかず、鈍い。

 妙技のタイミングが捉えられず、ワンテンポ狂ってしまう。懸命に踊ってくれた若者には申し訳にないな、と思う。
 

『ブレイクダンス』が不本意だったので、若者たちにふたたび声掛けして、ツー・ショットを撮らしていただいた。

 ここまで協力してくれたのだから、礼儀として名刺をお渡しした。

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庶民が歴史をつくる = サクセス・ストーリーを書こう

 政治家は歴史を歪曲し、原点をよく見せようとする。
 作家は歴史年表とフィクションで事実のように書く。そして、特定の人物が世のなかを大きく変革した、と物語をつくる。

 この二つをもって正確な歴史が後世に伝えられない。

 坂本龍馬が日本を洗濯した、幕末を大きく動かした、と歴史作家が書けば、それがまるで事実のように捉われてしまう。
 それはあり得ないことだ。たった一人の人物で、世のなかが変わるほど、庶民はバカではない。大勢のひとが歴史を動かし、変えていくのだ。


 坂本龍馬がいろは丸事件を起した。沈没船には金塊と最新銃を数百丁積んでいた、と大ウソを言い、紀州藩から8万3000両をだまし取った。10両の窃盗でも獄門の江戸時代に。紀州藩の家老は切腹寸前まで及んでいた。明治になり、執行されなかった。しかし、船主の大洲藩の家老は、龍馬のために切腹した。
 張ったり屋の龍馬なる人物の性格にも問題がある。


 船中八策は存在しない。龍馬は大政奉還にまったく絡んでいない。土佐藩の船のなかで、大政奉還を考えたという。これこそ作家の作りものだ。

 龍馬は薩摩藩がらみで、長崎にすむ密売人・グラバーと交流を深め、幕府が禁止していた鉄砲・銃弾を西日本を中心とした各藩に売った。みずから運輸業の海援隊をつくり、密かに運ばせていた。
 それら武器が、明治政府樹立後の戊辰戦争で使われ、大勢の日本人が死んだ。大勢の日本人を死に至らしめた「死の商人」につきるのだ。

 薩長同盟といわれるが、実在しない。木戸が小松帯刀・西郷隆盛と話し合った。潔癖症の木戸が、長州の言い分を覚書・メモ程度に手紙にしたため、龍馬に送った。立会人として裏書きをしたにすぎないのだ。
 薩長同盟の成立など、ばかげた作り事だ。鹿児島から、薩長同盟の存在を裏付ける書簡など発見されていない。あるはずがないのだ。

 そもそも長州藩は禁門の変で朝敵になり、小御所会議で明治政府ができるまで、長州人は京都に入れていない。入れば、会津・桑名軍、新撰組などに問答無用で斬られた。これは歴史的事実だ。
 長州は倒幕になんら関わっていないのだ。つまりは、龍馬は倒幕に関わっていないのだ。


「龍馬の精神で政治を行おう」
 そんなことを言いだす政治家がいる。それは実態のない薩長同盟を信じ、小説上の活躍を現実だと錯覚しているのだ。

 幕末には民衆に大きな力があった。徳川を倒したのは庶民だ。たとえば、「ええじゃないか」運動が起きた。大衆は荒れ狂った。
 各地が無政府状態に陥り、経済政策ブレーンをもたない徳川慶喜には手におえず、皇国思想から政権を天皇に還した。


 現代に置き換えればよくわかる。
 東京・大阪で、大勢の庶民が荒狂い、インフで価値が殆どない紙幣を路上でばらまき、企業になだれ込み、書類を待ち散らし、コンピューターを打ち壊す。つまり、現代の打ちこわしだ。職を失った大衆が道路に溢れて、通行すらできない。
 それらエネルギーが全国の地方都市や町村まで拡大していく。

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第86回 元気100エッセイ教室 『書き出し、結末、勇気』について

「なにをどう書いても良い」
 と語る指導者がいる。
 その実、自由気ままに書けるものなら書いてみろ、という奢りが根底にある。
「話すように書きなさい」
 ベラベラ喋るように書かれたら、読み手はたまったものではない。お付き合いで負担を感じながら読んで、結末で下手な演説を聞かされた気分になる。
 そして、作品自体に失望してしまう。

 おなじ素材でも、名文もあれば、駄文もある。
 小中学生のとき、我流で作文を書いた。
 ……花は美しい。河口湖に映る富士山はきれいだ。10月の空は抜けるような青空だった。土佐の海は広い。木の枝で蝉がミンミン啼いている。
 こんなありきたりの表現で、独創性が低い文章でも、先生は上手ねと誉めてくれる。これで、作文が巧いと信じ込んでいる人は多い。
 
『書き出しで、読者に逃げられるな」
 この基本が教師から教えてもらっていない。
「結末で、読者を失望させるな』
 読後の余韻のつけ方すら、教えてもらっていない。それなのに、作文が上手だったから、エッセイや短編小説が書けると、世の多くは錯覚している。

 作者の心が表現できる、創作の勇気がなければ、良品など書けない。一度巧い作品がかけても、それだけのことだ。次が期待されても、我流で書いて失望させてしまうのがオチだ。

 エッセイを学ぶ。つきつめると、「書き出し」と「結末」の技法の習得と、自分の過去の醜さや失敗など包み隠さずかく「勇気」である。

 人間は誰しも恥をかいている。失敗もしている。罪悪もある。それを本音で赤裸々に描く精神がなければ、感動作品をかく技量は身につかない。親せき・縁者、妻子に、恥部を読まれても、「これが私だよ」という勇気である。

 読者は利巧だから、小手先の嘘やつくり話は文脈で見破ってしまう。巧くごまかせたと思った瞬間から、それは駄作なのだ。

読者を引きこむ、書き出し

① 動きのある描写シーンから書く(映画を見るように)

② 最初の一行で、次が知りたくなる。二行目で、さらに次が知りたくなる

③ 思わずエッセイ空間に引き込まれていく。(同じ体験の境地にさせる)

④ 私の履歴、家族の説明、初めから結末がわかる(退屈感を与えてしまう)

巧い結末のつけ方

① 最後まで、糸がぴんと張っている。

② 続きがあるように、後方は思い切って切り捨ててしまう。

③ 言いたいことは書き切らず、腹八分目で留める。

④ 形を整えて締め括ると、「作品よ、さようなら」読後感がない印象を与える。

第14回歴史文学散策(下)=小石川は江戸時代の史跡の宝庫だった

 

 3月20日の歴史散策はソメイヨシノがまだ咲かず、東大・小石川植物園のわずかな桜花にも感動していた。


「この石碑はストレート過ぎて、どぎついわね」
「東大の理系らしいわよね」
 こんな会話が飛び交った。


 種子植物にも精子が存在する。 それは世界的な発見だった。 昭和31(1956)年に60周年の記念碑が建立された。樹齢は約300歳と推定されている。



 小石川植物園で、歴史作家の山名さんが、丸い鉄製のマンホールを指した。なにかしら? ミステリー作家の新津さんが写真に撮る。これも作品の創作に役立つかも。犯人が逃げ込むとか……。

 マンホールには「帝大」と明記されていた。となると、戦前からの仕様だ。
 相澤さん(PEN広報委員長)もおもむろに撮影に加わった。


 次なる史跡は、慈照院だ。初代の辰巳屋惣兵衛(たつみや そうべえ)、通称・平井辰五郎が眠る。

 江戸の町人だった辰五郎は、踊りが大好き人間だった。祭礼となると、かれは女装して面白おかしくおどった。
 その名が売れると、大名邸の宴会の余興にも招かれた。自分の遊戯のためだといい、金は受け取らなかったという。

 天明8年には、仮面をつけて巫女(みこ)のまねをする狂言神楽を考案した人物である
 

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第14回歴史文学散策(上)=小石川は江戸時代の史跡の宝庫だった

 日本ペンクラブの歴史好きの仲間による、「歴史散策」は14回目を迎えた。こんかいは吉澤さん(PEN事務局長)が、長野県で開催される島崎藤村(初代会長)のイベント関係が多忙で、欠けていた。

 このところ全員の集合写真は、飲み屋が多かった。ついては、東京・文京区の小石川植物園の園内で、プロカメラマンらしき人物に撮影してもらった。

 3月20日13時、集合場所は茗荷谷駅(地下鉄丸ノ内線)だった。

「穂高さん遅れなかったのね」
 10数回のイメージはしっかり根付いていた。

 最初は、林泉寺の「大岡政談のしばられ地蔵」だった。

 葛飾区にも「しばられ地蔵」がある。関連はわからないが、私の受講生が素材にしている、と話した。


 次なるは深光寺(小石川七福神のひとり)である。滝澤馬琴の墓所だった。

 歴史小説作家の山名さんが、キリシタン燈籠を詳しく説明してくれた。巧妙に、十字架とマリア像が組み込まれていた。人間の知恵はすごいな、と思った。

 彼女はこの1月に、BS「細川ガラシャ」の1時間番組のメイン・ゲストで出演していた。切支丹にはとても詳しい。彼女への講演料がゼロ円で、現地で聴ける。それがこの歴史散策のメリットか。


 切支丹坂から、切支丹屋敷跡に出むいた。
 
 相澤さん(PEN広報委員長)と井出さん(PEN事務局次長)が、史跡の一つひとつを見逃さない姿勢で、真剣に文字を読んでいた。

 茗荷坂(みょうがざか)の周辺は高級住宅地が多い。

 先の佃島の歴史散策で、新津さん(女性ミステリー作家)が高級マンションを素材に使った。近々、売り出される。
「編集者から、やけに詳しいですね、そう言われたのよ」と披露していた。作家はつねに取材の精神なんだ。  

 こんどは、次作はここらの高級住宅地で出てくるね、と語り合っていた。

 ソメイヨシノがまったく咲いていない。「播磨坂さくら並木通り」を行く。

 春の黄色い花は品種が紛らわしい。みなは童心にもどって、木々の花の名を言い当てていた。


 東大・小石川植物園に入った。徳川慶喜は水戸斉昭の子として、この小石川植物園で生まれて、この近くで終焉した(立ち寄ってきた)。ともに文京区内だった、と清原さん(PEN会報委員長)が教えてくれた。

 日本を代表する文芸評論家で、歴史物評論の著作も多いし、実に詳しい。

 慶喜は1913年11月22日に亡くなっている。「関東大震災は1923年(大正12年)だから、その10年前だな……」
 遠い幕末の人物だと思っていたが、我われ世代の少し前まで生きていたんだ。


 ニュートンのリンゴの木。興味を示す新津さんに、「ミステリー小説のトリックで、信州林檎にすり替わっているのかな」と揶揄(やゆ)した。
 彼女は長野県・大町市出身だ。 

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出久根達郎さん『半分コ』で「芸術選奨」文部科学大臣賞=再掲載

 文化庁が3月12日に、第65回芸術選奨の受賞者を発表した。直木賞作家・出久根達郎さんが『半分コ』で文部科学大臣賞を受賞されました。

 この「穂高健一ワールド」で紹介した、推薦図書『半分コ』を再掲載いたします。


【推薦図書】 Kindleサイズ「短編集 半分コ」=出久根達郎


 Kindleサイズの紙の単行本とは考えたものだ。持ち運びが良い。満員電車でも、簡単に読める。なにしろ流行の先端を行っている。
 液晶画面でなく、紙面で読める。あらたな読者層を広めるだろう。


 出久根達郎著「短編集・半分コ」が三月書房かせ出版された。定価は本体2300円である。

 Kindleサイズの出久根さんのアイデアか。それとも出版社か。後者ならば、編集か、営業か。そんな興味もわいてくる。ご本人に訊いてみたいが、想像にとめておこう。その方が楽しい。
 
 直木賞作家で、現代では第一人者の短編小説集だ。軽妙に手軽く読める。気にいった題名から読めばいいだろう。

 人生半ばを迎えた主人公たちが、ふと過ぎし日を想う時、その何気ない言葉やしぐさに心の内を垣間見る。……どこか懐かしく、そしてほろ苦い16の小さな物語。

 『掲載作品』
    半分コ
    饂飩命
    赤い容器
    母の手紙
    十年若い
    お手玉
    空襲花
    符牒
    紀元前の豆
    名前
    薬味のネギ
    校庭の土
    こわれる
    腕章
    桃箸
    カーディガン     

出久根達郎さんが『半分コ』で「芸術選奨」の文部科学大臣賞を受賞=再掲載

 文化庁が3月12日に、第65回芸術選奨の受賞者を発表した。直木賞作家・出久根達郎さんが『半分コ』で文部科学大臣賞を受賞されました。

 この「穂高健一ワールド」で紹介した、推薦図書『半分コ』を再掲載いたします。


【推薦図書】 Kindleサイズ「短編集 半分コ」=出久根達郎


 Kindleサイズの紙の単行本とは考えたものだ。持ち運びが良い。満員電車でも、簡単に読める。なにしろ流行の先端を行っている。
 液晶画面でなく、紙面で読める。あらたな読者層を広めるだろう。


 出久根達郎著「短編集・半分コ」が三月書房かせ出版された。定価は本体2300円である。

 Kindleサイズの出久根さんのアイデアか。それとも出版社か。後者ならば、編集か、営業か。そんな興味もわいてくる。ご本人に訊いてみたいが、想像にとめておこう。その方が楽しい。
 
 直木賞作家で、現代では第一人者の短編小説集だ。軽妙に手軽く読める。気にいった題名から読めばいいだろう。

 人生半ばを迎えた主人公たちが、ふと過ぎし日を想う時、その何気ない言葉やしぐさに心の内を垣間見る。……どこか懐かしく、そしてほろ苦い16の小さな物語。

 『掲載作品』
    半分コ
    饂飩命
    赤い容器
    母の手紙
    十年若い
    お手玉
    空襲花
    符牒
    紀元前の豆
    名前
    薬味のネギ
    校庭の土
    こわれる
    腕章
    桃箸
    カーディガン     

最大級で楽しめる・読売新聞掲載『人生案内』366編(下)=出久根達郎

 出久根達郎が答える366の悩み『人生案内』白水社(1400+税)。帯は【わかりあえない時代の教科書】は、投稿者の悩みを一つひとつ読み出したら、もう止まらなくなってしまう。いろいろな夫婦がいるものだな、としか言いようがない。


「息子・娘の悩み」「嫁・姑の悩み」となると、女どうしどうして家に入ると巧くいかないのかな。私の実母が昨年亡くなった。だから、この項目の悩みから解放された。そんな安堵をおぼえながら、ページをめくる。


「兄弟・姉妹の悩み」、「祖父・祖母の悩み」は投降者が4編で、みな20代だった。幼い頃かわいがった孫も、年頃になると、敵になるのだな。


「親戚づきあいの悩み」「進学・就職活動の悩み」「友人関係の悩み「家の悩み」「お金の悩み」「職場の悩み」と、このジャンルは尽きない。なかには深刻な社会問題もある。


「恋愛の悩み」 ≪半世紀ぶりに恋人と再会≫ここらはのぞき趣味で読みたくなってしまう。 ≪彼とずっと不倫したい≫30代女性となると、これも読みたい一つ。


「病気・死の悩み」「介護の悩み」「冠婚葬祭の悩み」 ≪親類からのお返し安すぎる≫ ≪娘の結婚式で別れの歌≫帰宅後、娘の結婚式を壊して恥ずかしくないの、と妻に言われました。その後、夫婦仲は悪化し、やがて離婚する遠因になったのです。


 
 読売新聞『人生案内』2003年1月~2014年12月までの掲載分から、出久根さんが366編を選んだものだ。
 この範囲内で見る限り、私の妻の質問はなさそうだ。


 安堵や油断は禁物だ。世の女性はとかく過去のことをよく覚えている。不愉快だったこと、憤り、反発まで、まるで昨日起きた出来事のように不意にしゃべりだす。
 だから、妻がいつ読売新聞に投函されるかわからない。

 悩みの深刻さは、他人には計りにくい。 ≪妻の骨を掘り起こし、骨を踏みつけて、ごみにして捨てる≫死んだ妻の日記を見て、怒る夫の内容があった。
 こんな深刻な内容にはおどろかされるが、出久根さんは丹念に読んで、誠実に回答する。大変だろうな。


 いろいろ紹介したいけれど、驚き、愉快、深刻な問題などきりがないし、著作権に引っかかるだろうから、ここらで止めておこう。
 読者が同書を手にして、直木賞作家・出久根さんの回答と照らし合わせば、己の人生の考え方、とらえ方の違いもわかるだろう。

                              【了】