A020-小説家

【書籍紹介】明治~昭和のおもしろ記事・発掘エッセイ=出久根達郎

 豊富な雑学は、知識とみなすか、教養とみなすか、物知りとみなすか。すくなくとも、雑学は人間生活の潤滑油になることは確かだ。では、雑学はどこから得られるか。品質を問わなければ、テレビ、新聞、雑誌、人の話など、アンテナを張っておけば、いくらでも得ることができる。

『人間を学ぶには、雑誌が一番である』
 直木賞作家の出久根達郎さんが、最近の著書『雑誌倶楽部』(実業之日本社・1600円+税)で述べている。同書には明治から昭和の雑誌から、面白い記事が盛りだくさんだ。
 覚えても何にも役立たない。だから、この世には「雑」が必要だ、と出久根さんは強調している。

『雑誌は面白いか否かだ。パラパラと適当にめくって、目に止まった題名から読んでみる』
 それはまさに『雑誌倶楽部』そのものを言い表している。庶民の暮らし、偉人の素顔、艶笑な話、珍事件など、38冊の雑誌の1月号から12月号まで、月ごとに紹介されている。
 ユーモラスだったり、エッチな内容だったり、おどろきの事実だったり、よくぞここまで「発掘」できるものだと驚かされてしまう。
 さすが古書店の目利きだ。半世紀にわたり、あらゆる雑誌、書籍、冊子を見てきて、値段をつけてきた出久根さんの眼力だから、なせる技だろう。

 パラパラめくっていると、山手樹一郎の活字が目に止まった。中学生時代の私(穂高)は、貸本屋通いで、小遣いのほとんどをつぎ込んでいた。大衆小説を片っ端から読み漁っていた。そのなかで、山手が最も好きな時代小説作家だった。理由は簡単で、思春期の少年にとって、ちらっと色っぽい描写が必ず一度は出てくるから、それがたまらない昂揚感になるからだ。

『大衆文藝』(昭和24年3月)に載った、山手作品が紹介されている。
「一度家の若い女中に、いきなり唐紙をあけられたことがある。……」
 男女のいとなみが見られた瞬間が展開される。実にうまい描写だな、と感心させられる。
 いとなみ。こんな安易なことばでなく、山手は絶妙なことばで展開しているのだ。そのうえ、短編小説でありながら、小田原戦争のさなか、斬首寸前の主人公へと及ぶ。ぎりぎりで助かる英知は実に巧妙で、見事だ。作家として、よくぞ、ここまでリアルに書けるものだと感心させられた。それを紹介する、出久根さんもすごい作家だ。

『旅』(昭和4年4月号)では、雑学というよりも、クイズ番組のような、「読みにくい駅名番付」「珍駅名番付」「同一駅名番付」が紹介されている。

 出久根さんはルビをふって紹介している。
「及位駅」「花出駅」「左沢駅」「大畑駅」「我孫子駅」「南風崎駅」「動橋駅」「目尾駅」と、まったく読めない駅のオンパレードである。せいぜい首都圏の我孫子くらいだ。
 ところがパソコンでほとんどが変換できるのだ。つまり、実在している奇異な読み方だ。となると、これがクイズ番組の出題だとすれば、すぐ落ちてしまう。

 変換できない駅があると、もう廃駅かな? と決めつけた。それを調べれば、現代の「鉄ちゃん」になれるのだろうけど。

『特集雑誌オール実話』(昭和28年5月号)では、偽千円札事件が紹介されている。元小学校校長が犯人で逮捕された。その供述から21人が捕まった。元校長がよくぞ大偽造団を組織づくりができたものだな、と感心させられてしまった。
 印刷した偽札は約一万枚だが、使用したのはわずかだったらしい。事件を知る雑学としても興味深い内容だ。

『笑の泉』(昭和28年10月)のなかで、東京劇場専属のダンサーらしき女性が、
「~、ことによると殿方は、腕のつけねと似たような場所を御連想なさって、興味をお持ちになるのじゃないかしら」
 と腋毛を紹介する。
 くわしく引用したいが、この程度にとどめたい。なぜなら、『雑誌倶楽部』の帯になり、[詳しくはP.238]と導くものだから。こうした装丁も実にユニークだ。

 出久根さんの目線で、38冊から選りすぐられた豊富な内容だ。若手ビジネスマンが商談のなかで、リラックスな雰囲気を話題づくりとするか、「3分間スピーチ」などで指名されたら、ちょっと引用するか。幹部ならば、知ったかぶりで話すか。女性ならば、井戸端会議のメイン・テーマとするか。それは自由だ。
 
 同書が役立つ。役立たない。雑学でとどまるか。それら理屈は別として、楽しめる記事発掘エッセイである。

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