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東京・葛飾区「かつしか区民大学」のプレ事業の講師に決定

 東京・葛飾区では、来春から『かつしか区民大学』が開校する。その準備が進められている。
 今年の秋からはその予行として、区民大学プレ事業がスタートする。いくつかの講座が開講するが、私はその一つを受け持つことになった。
 講座名は『ジャーナリストがやさしく伝授する 写真と文章で伝える私のかつしか』で、6回シリーズである。11月13日が第1回の講座となる。

 情報化時代とは情報の「受け手」と「発信者」との境がなくなった社会だといえる。一般市民も地域情報の発信者になれる。葛飾区の情報を発信できる、地域・ミニ記者の養成講座である。

 主催者と打合せをしてきた結果、「上手な写真の撮り方」「上手な文章の書き方」という二面の指導内容で決まった。野外の撮影と文章スケッチの指導もある。

 具体的には、受講者は街なかの風景、家族、建物、草花、史跡、名物などを撮影してきて、やさしい説明文をつける。テーマ「身近な葛飾、ちょっと自慢の葛飾、おしえてあげたい葛飾」の下、ブログや冊子で、情報を発信できるように指導していく。

 受けて側が興味をもつ、上手な情報提供ができる。これを主目的としたい。

 
関連情報

かつしか区民大学プレ事業

東京のサラリーマン・OLたちの昼休みの群像=神田(1)

東京のお昼どきの顔。「昼の群像シリーズ」ものとして紹介していきたいと、カメラをもって、まず神田駅で下車してみた。

西口に行くか、南口に行くか。駅のプラットホームから街並みを比べてみた。西口は皇居側だが、みるから雑然とした町だ。そちらは夜ともなれば、庶民が集る飲み屋街だと知る。
 昼間の神田の顔。そこに興味をもち、西口にむかうことに決めた。


 江戸時代から、神田は庶民の町だった。昭和には青果市場などがあった。
その面影の一端が感じられる、庶民的な西口商店街だった。


      

   商店街には、数多くのラーメン屋があった。昼食どきだから、店内は満席。
    店の外はサラリーマンや職人たちが長い行列をつくる。
    列の長さは味を判断する、バロメーターかもしれない。

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北欧クルーズ「バルト海」の写真=久能康生さん・寄稿・写真(1)

 久能さんは一年間に数回、海外旅行をしています。風景写真を得意としています。その都度、「穂高健一ワールド」に寄稿してもらっています。
 今回は、メインタイトル「バルト海」の写真を提供してもらいました。連載で、紹介します。

写真の上で、左クリックすれば、拡大されます


 コペンハーゲンの港街ニューハウンの8pm。待望の夏を市民と観光客が入り乱れて楽しむ。(右)

 コペンハーゲンと言えばここ。でも、ご覧のとおりの大混雑。
 ならばボートで海上から後姿を。



 チボリ公園は24:30まで営業。
 嬉々とした家族連れや若者グループに市民の素顔が見られる。
            

 奮発して泊まった市庁舎広場前のパレスホテル。しかしあっけないほど簡素なサービスに驚く。

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【書評】元気が最高のボランティア「元気に百歳」10周年記念号

「元気に百歳」クラブ10号周年記念号が10月10日に発刊される。(代表 和田譲次)。毎年同月に発行し、今回が10号である。
 同クラブは設立が2000年1月1日で、約30人からスタートした。現在は関東、中部、関西、九州の4ブロックで、会員は約300人である。10号の筆者はそのうち77人。おどろくべき比率の執筆者数である。

 50歳代から102歳の会員が、400字詰め原稿用紙で5~10枚ていど執筆している。書く意欲、気力、書き上げる。それらは逞しいものだ。


 巻頭言は日野原重明さんで、「今は百歳を越えないと長寿とはいえない」という。50年前の百歳以上は153人だった。08年は3万6000人余り。多くの人が気楽に百歳が超えられる現実を踏まえ、同書が社会の「星」となり、「長寿者の新しい生き方のガイド」となるだろうと述べている。


 特別寄稿は、ペギー葉山さんで、『歌の力を信じて』というタイトル。彼女の音楽の自分史である。「今春、とてもうれしいことがありました。私のヒットソング『学生時代』の歌碑が、懐かしい青山学院のキャンパスに建立されたのです」と書き出す。歌の中のチャペルは主人と結婚式を挙げたところ、と明かす。 
 1959年の大ヒット『南国土佐をあとにして』にもふれる。「初めは、ジャズシンガーだった私に、『南国土佐……』は抵抗がありました。それが大ヒットするなんて、予想外でした」(原文通り)。
 故阿久悠さんの遺作「神様がくれた愛のみち」は、彼女の歌手生活55年のために書いてくれたものだ、と明かす。名古屋公演の幕が開く寸前に、彼の死が知らされたという。
 歌手人生が力強いタッチで書かれた、読み応えのある内容だ。

(高知県・桂浜)

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写真と小説の類似点を見つけた

 PJニュースの記者仲間で、コマーシャル写真家の池野徹さんに「写真の上達法」を聞いたことがある。「良い写真をたくさん見ることだよ。そこに尽きる」という一言だった。
 良い写真となると、写真展や個展だ。そこまで足を運ぶ余裕はなく、2年ほど経った。この間に、せめて写真雑誌、駅ポスター、写真コンテストの受賞作品などは意識してみるようにしていた。


 今年7月の東京都写真美術館において、「世界報道写真展」が開催された。朝日新聞文化事業部の協力を得て、3年ぶりの取材をおこなった。この折、同館・広報とのパイプができた。案内をいただける、プレスギャラリー(報道関係者の公開)には積極的に参加している。

 新聞、雑誌、TV関係者をまえにして、同館の学芸員から専門的な説明がある。聞きながら著名な写真家を観る。学ぶ点が多い。

 稲垣功一の写真「心の眼」北島敬三「コザ/東京/ニューヨーク/東欧/ソ連」では街のスナップショットが中心だった。
 いま開催中の『旅』3シリーズ「異邦へ 日本の写真家たちが見つめた異国世界」は、著名な木村伊兵衛さんたちの海外のスナップが中心になっている。風景写真や記録に終らず、そこに生きる人物を上手に捉えている。

 小説づくりも、写真撮影も、人物を描くことでは共通しているな、という思いを強く持った。一つの作品(単一写真)のなかで、いかにテーマの絞込み、ストーリーを作るか。これが写真撮影のコツだ、と考えた。

 このところ写真への興味が強く、ふだんの私は作家的な視線よりも、カメラ的な目で、街や人物を見ていることが多い。と同時に、写真活動の幅を広げたい、という意欲から、今年9月に「社団法人日本写真協会」に入会した。同会員から、より多く学びたいと思っている。


写真:東京写真美術館の「旅」シリーズ、第2部「異郷へ 写真家たちのセンチメンタルジャーニー」の展示で

P.E.N.は人材の宝庫。酒も強し(2)

 日本ペンクラブ9月度例会が15日、東京会館(千代田区)で開催された。
 恒例のミニ講演は落合恵子さん(作家、理事)だった。題名は『子供の本の現場から~33年間の奇跡、あるいは軌跡』である。


 彼女は幼いころ母親(シングルマザー)の手で育てられた。貧しかった。書店で立ち読みすると、店主にハタキでパタパタやられた。「大人になったら、本屋をやりたい」という夢を持つ。それが1976年に実現した。彼女が経営する児童書籍の専門店「クレヨンハウス」の運用について、いくつかの事例をあげて熱っぽく語った。
「不可能といわれたら、やる気が出る」
 それが落合さんのエネルギーの源だと語っていた。

       

 阿刀田高会長は、「国際ペン・東京大会」について、会員が来年9月まで発行する書籍すべてに、『国際ペン・東京大会2010』のロゴと文字を入れてもらう、と発表した。それら多数の本の帯が書店に並べば、国際大会がより多くの人に認識されるだろう、と期待を寄せていた。

 パーティーに移った。私は顔見知りの会員と次つぎと小談し、親交を深めた。二次会は「ヨタロウ会」のメンバーが有楽町の居酒屋に集った。
 大原雄さん(元NHK・ニュースデスク)には、現役の社会部・記者だった頃の、新聞記者の取材との違いを聞いてみた。記者クラブを一つにして、たがいに競って特ダネをとる。それは新聞記者もTV記者も変わらない。新聞は文字で表現する。TVは映像が必要になる。どうしても映像が手に入らないときは現場で、記者がマイクを持って語るのだという。資料的な映像は別のセクションで編集するという。

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P.E.N.は人材の宝庫。酒も強し(1)

 国際ペン・東京大会が来年9月23日~30日に開催される。会場は京王プラザホテル(東京・新宿)と早稲田大学である。諸外国から、ノーベル文学賞受賞作家やそれに準じる方が大勢来日する、と見込まれている。

 日本ペンクラブ(P.E.N.)では、その準備委員会が毎月一回、阿刀田高会長の下で行われている。9月14日は同クラブ大会議室で開かれた。東京大会の開催まで、あと一年に迫った。それだけに執行部、理事、各委員長たちの討議は活発化し、議案が次々に決まっていく。

 私は広報委員会の委員として、P.E.N.会報、同クラブ・メルマガの取材で同席している。
 最も感心させられたのは、国際大会でありながら、電通や博報堂など大手広告代理店をつかわず、(9月現在)、自前の会員で立案、展開していることだ。
 日本ペンクラブは営利団体でなく、会員の会費で成り立つ。誰もがボランティアだ。それでいて国際会議が自前でできる。それだけ人材が幅広く豊富だ。会員から、招聘すべき外国人作家の名前などが挙がってくる。
 早稲田大学が文学部創立100周年で、その一環で積極的に支援してくれている。それも強い味方となっている。

 準備委員会が終わると、有志が近くの居酒屋に足を運ぶ。顔ぶれは折々に違うが、いつも十数人くらいだ。
 私は轡田隆史(くつわだ たかふみ)さんと隣り合った。名刺交換から、ともに日本山岳会の会員と知る。轡田さんは、「きょう山岳会・会報用に、書評を書いてゲラを出してきたばかりですよ」と話す。映画の剱岳「点の記」など、新田次郎の原作など話が弾んだ。

 轡田さんは朝日新聞・社会部出身で、「素粒子」を6年間ほど執筆していた。
「ナベツネさんが、朝日の素粒子だけはゼッタイ読まない、と言っていましたね」と私が話題をさし向けた。
「ちょうど、あのころ私が書いていました」
 ナベツネさんの批判は勲章だと思っている、とつけ加えていた。

 私の名刺から、「ホダカ、ケンイチさん、ですよね」と轡田さんが念を押す。それというのも、轡田さんが最近、テレビ朝日(レギュラーのコメンテーター)に出演した日、穂高岳でヘリの事故が起きた。同局スタッフから、「ホダカ、ほたか」どちらですか、と聞かれたという。ホダカは穂高連峰。ホタカは武尊山(2158、群馬)である。
 そこは二人して日本山岳会・会員だけに、読み方の微妙な違いは判っていた。

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いさり火文学賞・受賞作『潮流』が、日本ペンクラブ:電子文藝館に転載

『潮流』が、北海道新聞社『いさり火文学賞』を受賞したのは2004年である。すでに5年が経つ。北方領土が日本に返還されないかぎり、この作品は生きつづけている、と思う。その面では古くならない作品だともいえる。


 この素材は作品化するまで、十年余年を要した。北海道・函館で乗ったタクシーの運転手が、当時のソ連警備艇に拿捕され、ナホトカに連行された。漁船そのものが監獄で、目隠しされて、上陸は一歩も許されなかった、と聞いた。
「よく発狂しなかったな。閉鎖的な船室に閉じ込められて」
 それが第一印象だった。
 その後は何度も北海道を訪ね、その漁船員から密漁の話を聞かせてもらった。当初はミステリー仕立てにした。(四百字詰め原稿用紙550枚)。江戸川乱歩賞は二次予選を通過したが、候補作にはならなかった。そこで、あらためて純文学に仕上げようと、北海道東部に出向き取材した。別の漁船員から、特攻船の体験談なども聞いた。

「いさり火文学賞」を受賞した先が北海道新聞で大変よかった。担当部長が根室支局、釧路支局に問い合わせたり、密漁に詳しい記者を紹介してくれたり、微妙に事実と違う点を指摘してくれた。漁船員のうる憶え、曖昧な点が補強できた。その情報網はさすが北海道に根を張る新聞社だと感心させられた。

 550枚の作品が80枚にまで圧縮された。その面では濃密な、思い入れが深い作品だった。このたび日本ペンクラブ:電子文藝館の『小説』コーナーに掲載された。

 同館には島崎藤村・初代会長からの歴代会長作品、ノンフィクション、詩歌、随筆、小説などいくつものジャンルに分かれている。来年には合計1000作品に達する予定である。無料で読める。
 日本ペンクラブの正会員ならば、既発表作品に限って一年一作を載せることができる。(未発表の書き下ろしは不可)。他方では、過去の著名な作家(会員、それに準じる人)の掘り起こしが行われている。

「小説」コーナーは、既存のペン会員の作品が少ないだけに、過去の著名な作家が目立つ。「潮流」のまえは森鴎外の作品だ。さらに10作を見ても、中山介山、大岡昇平、樋口一葉らの作品が並んでいる。
 これら大物作家の作品に囲まれているだけに、日本ペンクラブの会員になってよかったな、という感慨を覚えた。

日本ペンクラブ:電子文藝館

小中陽太郎さんを囲む「ヨタロウ会」の暑気払いは、鰻屋の老舗で

「ヨタロウ会」は8月4日、東京・南千住の鰻屋の老舗「尾花」で行われた。
 小中陽太郎さん(作家)が、「この猛暑を乗り切り、元気を付けるために、鰻を食べよう」と提案したもの。同会の幹事・瀧澤陽子さんの案内書には、「尾花は超人気の店で予約できない、遅れると入れないかも」という趣旨の添え書きがあった。


 私はそれなりに時間を気にしながら、千住大橋から徒歩で、南千住・駅前の鰻屋に出むいた。7、8分ほど遅れた。和風の座敷に上がろうとすると、店員がストップをかけてきた。順番の割り込みだとみなされ、嫌な顔をしていた。ここは厚かましく、事情を説明し、仲間12人の席につくことができた。

 長テーブルで隣り合うのが、堀佶さんだった。堀さんはかつてポプラ社の名編集で、いまはフリー編集者だ。このたび日本ペンクラブの広報委員会の委員になられた。来年の国際ペン・東京大会にむけて、会報、メルマガで、ともに力を合わせる仲間となった。それらを中心に話が弾んだ。

    

 真向かいは相場博也さん(創森社)である。相場さんは出版社「家の光」の編集部で、主として単行本を手がけていた。出版に思うところがあって、若くして独立し、単行本を発行する会社を興した。社長として、つねに企画のアンテナを張っているという。「一に企画、二に企画、三、四がなしで、五に企画だ」と強調されていた。
 私が42回地上文学賞(家の光)を受賞したというと、同社にいた相場さんは「すごいですね、地上賞の受賞ですか」とおどろかれていた。当時の編集長や選者の名まえが酒の肴になった。

 小中陽太郎さんが席にやってきた。「大原雄さんは急に葬儀に参列することになった。何でもNHKの先輩らしい。こればっかりは予定が付かないからな」という。残念だが、葬式ではしかたない。
「穂高君は伊藤桂一さんの教え子だ」と小中さんが皆に紹介したことから、伊藤桂一さんの話題がひときわ盛り上がった。高齢で頭脳が明晰、80代半ばで再婚した、と多くの人が知る。

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国際ペン・東京大会には、環境の記録映画が上映予定

 日本ペンクラブは、2010年9月に国際ペン大会・東京大会を開催する。東京での開催は、第1回が川端康成会長(1957年)で、テーマ「東西文学の相互影響」)だった。第2回は井上靖会長(1984年)で、「核状況下における文学-なぜわれわれは書くのか」をテーマにした。

 今回は25年振りで、東京大会のテーマは【環境と文学】である。

 日本ペンクラブ環境委員会(中村敦夫委員長)の活動は活発で、月1回は会員向けのミニイベントを行っている。
 今回は8月3日、日本ペンクラブ(東京・中央区)3階会議室で、映画監督の岩崎雅典さんを招き、映画『平成 熊あらし ~異常出没を追う』を上映した。定員の30人が満席だった。

 同映画の狙いは、「2006年にはツキノワグマが4000頭以上も捕殺された。なぜ、熊は人里に出没したのか。人は熊とどう付き合えばいいのか」という問題提議である。マタギ(猟師)の文化、熊の生態、保護活動など、三者の立場から描いている。

 岩崎監督は「人と熊がどう共存できるか、と考えてもらうために制作した」と述べた。日本列島に熊はどのくらい生存しているのか。頭数調査する学者はほとんどいない。一説には数万頭だという。それは定かではない。九州の熊はすでに絶滅し、四国も絶える寸前、という事実は確かだという。


 質疑応答に入った。質問に応えて、「06~09年3月にかけて作成しました。文部科学省選定(少年、青年・成人向き)の受けました」と岩崎監督は語る。

 森が拡大造林で、熊の住む場所がなくなった。ダムができると、熊の棲む場所が分断されて、人里に出てくるようになる。
 映画のなかで、「かつてマタギと熊との緊張関係があって、人間との境界線ができていた」と、マタギが語る。

「この100年間に人間は4倍増えた。熊よりも、これが問題かもしれない」という質問が出た。岩崎監督は、100年前の熊の生存データはないという。

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