A020-小説家

P.E.N.広報委員会の反省会、打上げ会、作家たちは美声を聴かせる

 「国際ペン東京大会」が2010年9月に開催された。会場は早稲田大学・京王プラザホテルなど。ノーベル賞作家、文学者たちの講演会、文学イベントが行われた。他方では国際会議として、諸外国から参列した文学者たちの代表者会議が行われた。

 ホスト役の日本ペンクラブは大会を成功裏に終わらせた。それには阿刀田高会長以下、各委員会・メンバーや会員が精力的に処してきた、という背景がある。

 同会員は、現役の作家、詩人、文筆業、大学教授など、大半がそれぞれ仕事を持って活動し、収入を得ている。
 国際ペン大会に向けて、仕事の一部、あるいは大半を棚上げし、全力投球してきた人も多い。同クラブはボランティア(会場までの交通費も自前)だから、収入減になる。それもいとわず国際文学活動のために尽くしてきた。

 私が所属する広報委員会(相澤与剛委員長)は会報委員会(清原康正委員長)と合同で、一年半、取り組んできた(担当役員:高橋千劔破)。
 
 大会前の広報活動は、報道各社への案内、会員への通知など、処すことが多かった。大開当日は、「日本ペンクラブの歩み」などの展示会、記者会見の対応、そして各セッションに出向き、「記録資料編纂」の取材を行ってきた。

 国際大会が終わっても、記録の整理、執筆などが続いてきた。半年後の現在、記録資料がゲラの段階まできた。
 一区切りついたところで、合同委員会の反省会と打ち上げ会が行われた。

 国際ペン東京大会は25年周期で、日本が受け持ってきた。となると、次回も25年後の可能性が高い。それが共通認識だった。
 この反省会が次回に生かされるにしても、25年後は誰も委員として残っていないかもしれない。個々人が良かった点と改善点を述べ、記録で残すことになった。

 反省会。とともに委員会メンバーの最後の顔合わせ会でもあった。日本ペンクラブ規定で、各委員の任期は2年間である(再選もある)。

 阿刀田会長は2期勤めたが、3期目を辞退している。新しい日本ペンクラブ会長は誰になるのか。
 初代が島崎藤村、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成……、と著名作家が続いてきた。次期会長の選任には興味深いものもある。

 新会長の下で、各委員長が選ばれる。その委員長が各委員を選任する。当然ながら現委員の顔ぶれも変わってくる。まずは同一メンバーでないだろう。


 打上げ会は居酒屋・茅場町「浜町亭」で行われた。3000円以内で飲めるから、貧乏作家や文筆業の人たちにとってはありがたい店だ。国体ペンの話し、文藝の話し、諸々の話が出た。

 日本では屈指の文芸評論家・清原康正さんに、私は質問してみた。読売文化センター・公開講座・読書会で「太宰治を読んで、語ろう」(7/31)を引き受けた。どんな作品がいいですかね、と。

「我々の年代になると、太宰は青臭くて読んでいられないよ」とずばり切り捨てられた。内心は共感するものがあった。
「でも、太宰に決めたんですよね」
「それなら、無頼派作家として、戦後の混乱期の背景に比重を置けば、まあ上手く流れるんじゃないの」と言い、「人間失格」などをあげてアドバイスしてくれた。

 有志が茅場町のカラオケに流れていった。その清原さんは「網走番外地」などで、渋い声で、聴き手の心に響かせる。風采も似合っている。
 人気推理作家の新津きよみさんは、彼女の原作がTVドラマになった、その主題曲を歌う。小学館(歴史もの)出版を携わる、ベテラン編集者の鈴木悦子さんは、熱唱だった。詩人の望月苑巳さん、常務理事の高橋千劔破さん、と良い声を聞かせてくれた。
 時事通信出版社の元常務の相澤与剛さんは早大時代、「吉永小百合ファン」だったという。腹の底から出てくる、よい声だった。

 歴史小説作家の山名美和子さんは、やさしい雰囲気の歌い方だ。小学校・高校の教師歴があるだけに、それを感じさせられた。やさしさでは、ととり礼治さんも同様だった。
 他にも紹介したいが、酒が回り、25年後の国際ペン大会の話題も出るなか、やがて歌も半分、話題も半分のひと時となった。

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