『世田谷一家惨殺事件』の取材
ある出版社から、4月に発刊する総合雑誌に載せるための記事を一本頼まれた。それは『世田谷一家絞殺事件』の犯人に迫ってほしいというものだ。
警視庁・本庁(桜田門)の広報課に電話で、「成城警察署の特別捜査本部」の取材を申し込んだ。予想通り、断られた。
同事件が起きたのは二十世紀の最後の日だった。00年12月31日、大晦日の朝に、世田谷区で一家4人が殺される悲惨な大事件が発覚したのだ。六年経つが未解決である。
12月25日には、世田谷区上祖師谷の現場取材に出向いた。ある若者たちとの出会いから、一つの推論が生まれた。
犯人像としては『16歳から18歳未満のフリーター』というものだった。そこには遺留品と合致するものが多かった。
殺された宮沢みきおさんは、ふだんローラースケート、スノボー
が、うるさいと悩まされていた。(住民の証言)。
犯人はこちら側の、宮沢家の2階の裏手窓から侵入したと見なさ
れている。
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取材メモは、『穂高健一ワールド』の 『ジャーナリスト』に掲載