A020-小説家

継続とは力なり=文学をめざす後輩につなげる

 今年の春だった。日本ペンクラブ総会のあと、恒例のパーティーの合間(準備中)に、伊藤桂一さん(日本芸術院会員)と出久根達郎さん(直木賞作家)とがソファーで歓談されていた。ともに知るので、私は伊藤桂一の挨拶で割り込ませていただいた。
「やあ、元気でやっているようだね。君はいつも忙しそうだ。『グループ桂』に顔だせたら、おいで」
 伊藤さんからは、もう30年ほど続く同人誌(純文学)への参加を促された。私はその発起人の一人だったが、いまは足が遠のいている。
 しかし、伊藤さんはなおも継続し指導している。

「伊藤先生は、私の恩師で数十年にわたり、小説の指導していただいたんですよ」
 私は、出久根さんに簡略に説明した。
「えっ、そうなんですか」
「最初は、(文章、小説ともに)下手だったよ、君は」
 といつもの調子で、伊藤さんは笑いながら話されていた。

 伊藤先生の口癖はもう一つ、「いずれ芥川賞か直木賞と期待していたが、君はあれこれやるから小説に集中できていなかったな」という話しをされる。
 そうだろうなと思う。いまの私は、伊藤さんが推薦してくれた日本ペンクラブにおいて、広報委員会、電子文藝館の各委員をやっているので、多少は納得、理解してくださっているようだが……。

 伊藤さんは93歳になられても、同人誌を通した後輩指導を行なっている。他方で、著名な文学賞の選考委員もやっていられる。その情熱には敬服している。
        
       (クループ桂の合評会、2008年11月3日、東京・秋葉原)


「私を育ててくれた、伊藤先生の恩返し」という意味合いもあって、各所でエッセイ教室、小説講座、ブログ講座、さらにかつしか区民大学などで、講師として教えている。
 貴重な時間を割かれるし、負担になるときが多々ある。そんなときは「超多忙な伊藤先生が指導してくれたから、いまの私がある。ボクも、後輩に恩返しするべきだ」と自分に言い聞かせている。

 約5年間の指導を通して、文章の上達法が見えてきた。それをまとめてみた。そして、カルチャーの教室でレクチャーの一つとした。
文章の上達法

①書きはじめは、他人に見せるのが恥ずかしい。でも、読んでもらいたい。

  読ませれば、欠陥ばかり指摘される。
  読むには値しない、とまで言われてしまう。

②批判に耐えることで、次の一段へアップできる。

  書くことが面白くなる。

③時おり、すばらしく良い文が書ける。しかし、他方で、ひどい駄作も生まれる。巧い作品と下手な作品のくり返し。

  ここが苦しいところ。

④だんだん「書けない理由」を見つけるようになる。多くはここが限界で、創作意欲がしだいに欠けてくる。

  やがて、書くことをやめてしまう。

⑤文筆家になれる人は「作家になる」と執念、根性で、ともかく書き続けていく。

   ④か⑤の違いだけである。

 登山は八合目から山頂が最も苦しい。小説の場合はとくに頂上が見えないので、挫折感に都度襲われる。若くして作家になった人がうらやましい。落ち込んでくる。
 旧友の小説仲間は才能があっても、精神的に辛いらしく、もう一歩のところで、筆を折る人があまりにも多かった。

⑥やがて安定した高い水準の文章に達してくる。要望(注文)に応じた作品が書けるようになる。

  世間の水準以上のものが、いつでも、いくつでも書けるようになる。
  プロ作家だと世に認められる。

「下手だったよ、君は」というスタート時点の積み重ねで、わが道をふり返ると、このような段階で歩んできたと思う。いまの私は、受講生に「継続とは力なり。小説家になるには、毎日書くことだよ」と明瞭に言い切っている。

 指導者として、将来、受講者のなかから「芥川賞・直木賞の受賞者が出ないだろうか」と楽しみにしている。むろん、一朝一夕にはいかない。実力+運も影響するだろうし。


【訃報】同人誌「クループ桂」の筆者でもあり、同誌の発行に携っていただいた、川口青二さん(下段写真・左から3人目)が2010年8月に逝去されました。謹んで、哀悼の意を表します。

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