小説家

第15回 歴史文学散策 = 芝公園・増上寺 ~ 浜離宮

 日本ペンクラブの歴史好きの仲間による「歴史散策」は15回目を迎えた。2015年9月3日13時、集合場所は芝公園である。

 その芝公園は、明治6年に開園した。「戦後、政教分離から、増上寺の敷地内から、独立して宗教色のない都立公園になったのよ」と歴史小説家の山名さんが説明してくれる。

 ここに都内最大の前方後円墳があったとは、知らなかったな。

 増上寺の徳川家霊廟(れいびょう)には、和宮の墓がある。「悲哀の皇女」として、現代でも人気がある。第14代德川将軍・家茂と仲よく並んで眠っている。
 
 和宮は家茂将軍の写真をもって葬られていた。戦後、学術調査の名の下に、その写真が発掘された。学者が不用意な扱いで、原版を酸化させてしまったことから、家茂の姿が現世から消えてしまった。

 学者もたいしたことないね。
 
 ちなみに、同寺には6人の将軍が葬られている。

 増上寺、寛永寺、日光の輪王寺にある。德川将軍は3か所に分散されている。ただひとり、ここに入れてもらえなかった德川将軍がいる。
 そんな話題も出てくる。


 増上寺は德川家の菩提寺である。

 檀林(僧侶学問所)には、3000人の修行僧がいた。巨大な寺であり、25万坪で、寺領が一万石余りあったという。



 芝大神宮は、江戸時代に多くの参拝者を集めている。相撲、芝居小屋、見世物小屋で賑ったという。

 歌舞伎「め組の喧嘩」などの舞台になっている。

 伊能忠敬の測量地遺功表

 測量起点が高輪の大木戸である。

 明治22年に高さ5.8㍍の青銅角柱が建立されたが、戦災で焼失し、昭和40(1965)年に再建された。

 歴史の案内役は、清原さん(左)と、山名さん(右)、つねにこのふたり。

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山岳歴史小説「燃える山脈」10月1日より新聞連載(毎日)はじまる

 国民の祝日「山の日」がらいねん(2016年)8月11日に施行される。「山から人間は大きな恩恵をうけている」。それをテーマにした、歴史小説を手がけている。


 さくねん(2014年)5月に、衆参の国会で同法案が制定された。私は推進委員のから要請で、山岳歴史小説に取り組んだ。
 このたび「燃える山脈」が松本市に本社がある「市民タイムス」で、新聞連載小説の運びとなった。来年の5月31日まで、毎日で、計240回の予定である。

 プロローグは5日分である。


 作品のおおきな柱として、

① 安曇野の巨大な15キロに及ぶ「拾ケ堰」が、完成するまでの農民たちの苦闘の歴史。

② 安曇平から常念山脈を越えて上高地、さらに焼岳の肩を越える「飛州新道」開削のすさまじさ。2700㍍~2800㍍を2座も越える、交易の街道づくりである。
 
③ 槍ヶ岳を開いた播隆上人。新田次郎氏がすでに描いている。新田氏の手法・播隆信奉の山岳信仰におさまらず、「小説は人間を描くもの」だから、わたしは念仏行者、名もなき猟師、農民もおなじ人間として、優劣なく、「人間ってそうだよな」と、並列で描いていく。切り口の違った展開になるだろう。

 ①~③すべてリンクさせる。そこには1本の太い線がある。小説で、それを描いていく。



 
 小説の背景は天明・天保の大飢饉である。大勢の餓死者がでる時代に、人間はどのように悩み、それを克服していったか。

 農民が主人公になった、歴史小説はあったのかな。そう思うほど、難解で厄介な素材だ。通常の大名や武士が活躍する歴史小説は、ある意味で変化多様で書きやすいな、と最近はおもう。


 農民たちには、まずもって波瀾に満ちた大きなドラマがない。日常生活すら些細な変化の積み重ねだ。そのなかで、しっかり歴史的なおおきなうねりを発見していく。と同時に、小説で描く。


 思うに、純文学は心理描写で、人間のこころの襞(ひだ)が描ける力量が必要だ。ミステリー小説は些細な状況から、次つぎ期待させて読ませる技術が要求される。歴史小説は斬新な史料の発掘で、通説を破る洞察力が求められる。


 主人公の農民を魅力的な人物として克明に描かないと、最後まで一気に読んでもらえない。それだけに、純文学+ミステリー小説+歴史小説のもてる手法を駆使し、一行一句、的確な用語に気をつかって執筆している。

 瀬戸内の島育ち(造船の町)のわたしだから、農民の実態はまったく知らない。知識は皆無だ。すべて取材だ。取材力失くして、書けるものではない。きのうも今日も、執筆のさなかにも、電話での追取材がつきない。

幕末歴史小説「二十歳の炎」が3刷=芸州広島藩は幕末史を変えるか

 拙著「二十歳の炎」(日新報道・1600円+税)が、出版社から、3刷に入ります、と連絡が入った。
 小説はベストセラーにならなくても、ロングセラーで売れてくればよい。

 過去の大物歴史作家はすべてヒロシマ藩抜きにして、幕末物を書いてきた。なぜか。それには芸州広島藩の浅野家の史料が、明治維新の実態を赤裸々に示すものだと、厳重な封印がなされたからだ。もう一つ、広島城下町が原爆で廃墟になり、史料がすべて消滅したという二重の要員があった。

 解らないことはかけない。当然だ。歴史家は広島藩を迂回して、最もらしく書いてきた。あるいみで、大ウソばかり並べていた。禁門の変で朝敵の長州・毛利家の家臣は京都に入れなかった。それなのに、薩長倒幕だという。あり得ない。

 第二次長州征伐は長州が勝ったというが、山口県に入ってきた幕府軍の火の粉を追い払っただけで、どこにも侵略したわけではない。せいぜい、小倉と浜田くらいだ。日本中に影響など、与えていない。船中八策など偽物もないし、大政奉還には関わっていない。広島県・鞆の浦沖のいろは丸事件で、将軍家・紀州藩から7万両も強奪した龍馬が、なぜ英雄になるのか。かれはグラバーの単なる鉄砲密売人・運搬やではないか。

 過去からの通説、明治政府が作ってウソの教科書まで、見破ったのが「二十歳の炎」である。
 広島のことは知らないから、読者からいちどもクレームが来ない。「知らないことは文句が言えないのだ」。私たちが知らない原子物理学に対して、質問すらできない。ノーベル化学賞者にも、なにも疑問をむけられない。
 そんな現象が芸州広島藩だった。
 
 広島県の小中学校の郷土史も、「毛利元就から原爆まで、一気に飛んでしまう。」というほど、99%の広島人すら知らなかった。

 いま広島で売れている「二十歳の炎」だが、いずれ全国区になる、あるいは歴史教科書を変えていくだろう、と信じて疑わない。
 思想弾圧があっても、いちど発行した本は消えない。それが数十年先でもいい、ただしい幕末史になってほしい。温故知新。故きを温ねて新しきを知る。その古いところが真実でなければ、将来がミスリードになってしまうのだから。

第92回元気に100エッセイ教室=プロ作家の計算とはなにか

 文章の基本として「書きたいことを、思うままに書きなさい。まずは書いてみなさい」と指導するエッセイストがいる。それは草野球の監督とおなじことだ。まちがった指導だと、はっきり言える。

 思うままに書くと、筆力が上達しない。低レベルの退屈な作品に終ってしまう。せいぜい作文だ。

 草野球にお金を払って観にいくひとはいない。好き勝手に書いたエッセイや小説にたいしては、だれもお金など払わない。

 野球、サッカー、演劇、絵画、映画、歌手……。どの分野でも、お金を払った観客に、感動とか、陶酔とかを与える技術をもっている。いっさいムダがなく、一挙一動に、神経が張りめぐらせている。

 プロとは何か。お金を払って観にきてもらえるひとだ。エッセイ・小説のプロ作家は、最後まで読ませきる力をもった力がある。お金が取れる文章技術をもっている。100%読者の立場で、文章が書ける人なのだ。

 草野球は途中で帰ってもさして未練などない。プロ野球は9回裏まで、なにかしら期待させてくれる。プロの長編エッセイ、長編小説は、読者に最後までなにかしら期待させつづける。

『頭のなかで名作でも、作品にすれば駄作」

 これは有名な格言だ。

 頭脳のイメージを読者に正確に表現できるか。頭脳が描いたとおりに、文章で正確に書けるか。その技術を磨くほどに、プロ作家に近づく。

 プロ野球の選手が正確に打つ、投手が正確に投げる。そこに血を吐くくらい努力する。
打者はバッティング練習で、一球一打、細かく自問する。スイングの身体の動き、バットの出し方、あごの引き方など、ていねいに自問する。
 これらを毎日100本、200本、300本とつづける。1日も休まず。

 投手においても1球ずつ、打者に打たれないか、凡打にさせられるか、バンド・フライにさせられるか、と丹念に投げ込む。

 プロ作家も同じだ。1行ごとに文章の表現に全神経をつかう。ひとつセンテンスといえども、けっして書き殴りなどやらない。
 
 金がとれるプロ作品は、作中の人物に魅力を感じさせる、味がある、そして面白い。よくこんなことが考え付くな、巧いな、この展開は。
 このように感嘆させる要素が随所に出てきているか、と作者は丹念に吟味をくり返す。
 

【プロの技術に近づこう】

 作者はまず頭脳のなかに、2人の人物をおくことだ。一人は書き手であり、もう一人は厳しい批評眼の読者である。
 ふたりがセンテンスごとに喧嘩腰で、書きすすんでいく。

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【読書の秋・推薦図書】 「万骨伝」= 出久根達郎

 10月といえば、月並みだが、夜長の「読書の秋」となる。秋の日はつるべ落としで、陽が暮れるのは早い。さて何をやるか。TV観賞ばかりだと、味気がないし、受け身の人生になってしまう。

 読書の良さは、疑似体験で、ひとの2倍も、3倍も、人生を過ごせる。これは貴重な体験として、からだのどこかにしみ込む。

 葛飾区・立石には名物「岡島古書店」がある。主の岡島さんと会い、こんな話題から入った。「達ちゃんの読書量にはおどろかされるよ。古本屋がまず読まないのが、饅頭本だからね」
「饅頭本とは?」
 わたしも作家稼業だが、その用語には馴染みがなかった。
「葬式饅頭があるよね。それだよ。死者を称える本は饅頭本という。死者を悼んだり、弔ったり、そんなことばはまずはきれいごとばかり。美辞麗句ばかりで、内容がない。面白くない。私は読まないね」
 読むのが商売の古書店の主のことばだ。つまり、饅頭本は古本屋の関係者はまず見むきもしないと語る。

「達ちゃんは、それを丹念に読んで、そのなかから、新発見をして人物紹介をしているのだから、おどろかされるよ。かれはむかしから読書量は半端じゃなかった」
 岡島さんの語る出久根達郎さんのエピソードは尽きない。

 出久根達郎著『万骨伝』(ばんこつでん)ちくま文庫、定価950円+税が、この秋に出版された。副題は「饅頭本で読むあの人この人」である。

 岡島さんはそれを読んで、ともかく感歎していた。ふたり(岡島さんと出久根さん)は、10代の頃から、古書店仲間だ。「おれ・おまえ」というか、呼び捨てにする仲間だ。ともかく親しい。
「神田古本街に仕入れにきた達ちゃんの読書は、ともかくすごかった。片っ端から読む、眼を通す。本問屋の地べたに投げ出されている、現在でいう店頭30円~100円の本まで目を通していたよ」
 そんなエピソードを語る岡島さんも、名刺とケータイは持たない。手紙は書かない。この3点セットは守りつづけている。頑固一徹だから、世のなかがどう進歩しようが、下町・立石で、古書店を守りつづけている。
 現在は葛飾立石ブームだが、町の歴史そのものの語り部でもある。

『万骨伝』には実業家、アスリート、泥棒まで、異色の人物が50人ずらりならぶ。個々人の写真があるので、明治、大正、昭和のお姐さん方の美人ぶりも、これも楽しい。

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【読書の秋・推薦図書】 真田一族と幸村の城 = 山名美和子

 ことし(2015年)のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」はいかがでしたか。安倍総理の肝入りかな、山口県人だけが喜んでいるんじゃないかな、という下々の民の評価もあるようだけれど……。まだ、終わっていないし、巻き返しもあるかも。私自身は大河ドラマを見ていないので、論評は差し控えたい。

 各年度の善し悪しは別にしても、NHK大河ドラマは歴史好きなひと、のみならず、一般の人も関心度が高い。酷評、好評を問わず、フアンが多いのも事実だ。毎年、来年はなにをやるのかな、と期待度もある。

 予備知識があるか否かで、大河ドラマの楽しみ方はちがう。2016年の大河ドラマは「真田丸」だという。人名かな? と思った人は、まず真田家の基礎知識と予備知識を持たないと、とても来年の大河ドラマについていけないだろう。

 名将・真田幸村はあまりにも有名。大坂の陣で壮絶な最期をむかえる。その割には、真田家となると、複雑な歴史をもつし、解りにくい。兄弟が敵と味方になったり、豊臣方と德川方に分かれて戦ったりする。
 そのうえ『幸』『信』のつく人名が多いから、実に紛らわしい。

 
 そこで、お勧めしたいのが、歴史作家の山名美佐子著「真田一族と幸村の城」角川新書・定価/本体800円+税だ。
 
 彼女はいまや歴史小説の第一人者で、歴史ものTVにも多々出演している。解りやすく丹念に説明するので、視聴者には好評だという。

 書籍は、深くわかっている著者が書くと平明で、理解がたやすい。しかし、「来年、真田幸村だから」と出版社に言われ、やっつけ仕事で、適当に引用文献を並べてつなぎ合わせる作家の書だと、読み手はかなり難解だろう。

 来年のTV「真田丸」はどこからスタートするだろうか。それはわからないけれど、おおかた信州の真田郷の小豪族から、戦国の名将・真田幸村の死闘へと盛り上がっていくのだろう。

 山名さんは、関東の戦国歴史にはめっぽう強い作家だ。それだけに大名家の力関係の構図がしっかりわかっている。真田家も熟知している。「真田一族と幸村の城」を一読しておいて、TVを見られると、理解がたやすいだろう。

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第91回 元気100エッセイ教室 = 漢字の使いわけ方

① ジャンルを問わず、漢字とひらがな比率がたいせつ

  ・漢字が多いと、作品が黒くなってしまう。

  ・すべてがひらがなは読まれない。絵本のみ

  ・情報伝達や掲示は、新聞なみの漢字で処す

  ・エッセイ・文学は五感でゆっくり味わってもらうために、漢字比率を下げる。

  ・副詞、接続詞は漢字をつかわない

② 常用漢字にこだわると、叙述文学のたいせつな情感がうすれていく

  会見→市長に会う 遭難→事故に遭う 偶然→街で遇う 逢引→彼女に逢う 
 
  花見→花を見る 観劇→劇を観る 診察→医者が診る 看病→母を看る 


③ 漢字の用語は日常的なものを選ぶ。ラジオで朗読されてもわかる範囲内

  夕暮れ、日没、夕陽、夕闇、日暮れ、

【辞典の片隅はつかわない】

  晩景(ばんけい)、薄夜(はくや)、落陽(らくよう)、倒(とう)影(えい)、昏夕(こんせき)、晩(ばん)暮(ぼ)


④ 動詞は漢字で変化を持たせる

  刃物で刺す 方向を指す 日が射す 花を挿す 傘を翳す


④ 外来語7カタカナは極力つかわない

  ・書き手と読み手に認識のずれがでる。

  ・内容が正確伝わらない

  ・作者が欧米コンプレックスとおもわれてしまう

第90回 元気に100エッセイ教室 = 会話文の上手な書き方

 私たちは日常の行動のなかで、考えるか、話しているか、いずれかの場合が多い。日常生活の中で、「話す」要素はかなり多く、顏を合せれば、気持ちを会話で伝えている。
 エッセイ作品になると、なぜか会話文が少ない。あっても、味気ない会話がちょっと出てくる程度である。多くの会話はストーリーを進ませる役になっている。味のある会話は稀である。

 執筆の原点が「出来事」を書いているから、説明調になり、会話の軽視になる。こんな事がありました、という粗筋になっている。

 上級エッセイは執筆の姿勢からちがう。「私の感情を書く」、「私の性格を書く」に徹している。「私」の心の微妙な動きが克明に描かれ、叙実文学まで昇華している。会話が巧く、そこから人間性、性格までも読みとれる。

 日常会話と文章会話はちがう。この認識は最も重要である

・ふだんの会話はおしゃべり、伝達である。

・文章会話は圧縮と省略によって密度がある。

 巧い会話の書き方(心理、性格が組み込まれている)

・「ここで、そんな気難しい顔をしないでちょうだい」

・「偉そうな顔して、そんな人は好きになれないわ」

・「どうしても気になり、こんな時間に電話したの」

・「いまさら謝られても遅いわよ」

・「ぼくは趣味で医者をやっているんでね」

 拙い会話(上滑りで流されている)

「おはようございます」
「ねえ、ねえ、きょうは三越に行かない」
「次の駅で降りる?」

 会話「」の数は全体のバランスで推し量る。(2割くらいが読みやすい)。会話がないと、ページが活字で真っ黒になってしまう。

【読書の秋は・推薦図書】 短編集『赤い糸』= 出久根達郎 

 お盆が終れば、暦からすれば、読書の秋に入ってくる。そこでお勧めなのが、出久根達郎(直木賞作家)の短編集『赤い糸』三月書房・2300円)だ。江戸の情感と人情に満ちた11作品が掲載されている。
 タブレット版のもちやすさ。ビジネスバックとか、ハンドバックとかに忍ばせて、ちょっと間があれば、開いてみる。

 現代は喧騒と雑然とした社会に違いない。TVや新聞の虜(とりこ)になり、情報に遅れまい、先に進まないと取り残される、そんな焦燥感だけで生きていると、うるおいがなく、精神が乾燥してくる。

 小時、わが身を別次元の社会においてみる。それには読書が一番だ、わずかな時間で、心が新鮮で豊かになる。

 江戸時代は日本人が260年間にわたりまったく戦争しない平穏な社会だった。戦後70年平和だなんて、まだセコイ話し。

 わが身をおうような気持ちで、江戸の想像空間においてみよう。
読むほどに、「こんな生き方があったのか」と疑似体験ができる。ひとよりも2倍の人生を生きた心地になれる。

 時代小説は、会話が職人芸になるほど、小気味よい、江戸ことばが味わい深く、読み手の心にひびく。登場する人物が、読み手の目のまえで、イキイキと立ち上がってくる。たっぷり実在感がある。

 いまや、時代小説の職人芸の第一人者といえば、出久根達郎さんだろう。読みながら「うまいな」とため息が出てしまう。
 
『てやんでエ べらぼうめ
 切った張ったは 世の習い
 惚れた腫れたは 恋の常
 あたぼうよ
 口も八丁 手も八丁
 生きがいいから 棒手振り稼業』 (江戸ことば一心太助)


『やっぱり、おめえだった。二十年ぶりだ。忘れちゃいない。
ーーおれは財布から紙包みを取りだした。
赤い糸をつまみ上げると、「ほら」とおめえの目のまえに垂らした。
おめえが、わっ、と泣きだした』(赤い糸)

「姉さん、御膳二つに……」
「あ、元さん、あたしは田舎汁粉がいい」
「遠慮しなさんな」
「粒餡の方が好きなのよ。値段じゃない」
「お好みじゃ仕方ない」
 元三郎は注文と同時に金を払った。「ところで、おさわさんの用は何だった?」
「言いづらくなった。だって元さん、この間のお礼にあたしんところへ出向いたんだって、おこのさんに聞いたものだから」
「それはそれだろうよ。お礼ったって威張る程の中身じゃない。ほんの気持ちだ。受けておくれ」
 懐から袱紗包(ふくさづつみ)を取りだし、おさわの膝に置いた。「あれさ」と元三郎に返す。「これをいただいたら、あたしは元さんに何にも言えないよ。だって、頼みごとで伺ったんだもの」
「頼まれごとは別口。礼は礼さ。おさわさんにこれを納めていただいて、その上で改めて聞くさ。何の用だろうと断わりゃしない」
 娘が汁粉を運んできた。  (居候)

文学賞受賞作品『炎』が日本ペンクラブ・電子文芸館に全文掲載

 2000年の「あだち区民文学書」の受賞作品『炎』が、日本ペンクラブ・電子文芸館に掲載されました。

 本の帯には、『社会小説・山岳小説・恋愛小説という現代小説の魅力を醸成する多彩な要素を存分に盛り込んだ力作』と選者の講評が載せられています。

 私は数多く、純文学、エンター、ミステリー、時代小説、歴史小説を書いて発表してきました。この『炎』は私の作品なかで、まちがいなくトップクラスだろう、と思っています。選者の評通り、3つのジャンルが組み合わさった、希少な作品です。

日本ペンクラブ・電子文芸館の掲載作品『炎』こちらをクリックしてください。 


【本文・冒頭】
 首にタオルをかけた大柄な赤松好夫が、病棟の裏手から、廃棄物専用の台車をひいてきた。 作業服の背中は地図を描いたように、汗でぬれて張りついていた。
 好夫は32歳で、眉の濃い角張った特徴のある顔であった。

 山麓の広大な敷地には、総合病院の白い棟が三つならぶ。病棟の一角から離れた、もはや背後には雑木林のみという片隅に、好夫がうけもつ焼却炉があった。巨象の体型よりもおおきな炉だった。銀色の煙突は、正門ゲート横の銀杏の大樹と高さを競うほどである。

 煙突から青い煙が淡い新緑につつまれた疎林の方角へとなびく。さらなる彼方には三千メートル級の雪峰の連山がそびえていた。

 あの峰ではいま遭難事故が起きて捜索隊がむかっているけれども、当の仙丈岳(せんじょうがたけ)はまるで知らぬ顔で屹立する。赤松好夫はいまレスキュー隊から出動待機の要請をうけている。

 かれは時おり仙丈岳の山容を見ていた。今回の遭難は稜線から滑落した事故で、広範囲な捜索ではないし、簡単に救助、あるいは遺体での収容がなされるだろうとみていた。

(登山者は春の岳やまを甘くみている)
 好夫はそうつぶやいてから、仕事のほうに気持ちを切り替えた。

 焼却炉がうなる音をあげている。ここ五年間ほど、かれはこの炉にたずさわってきた。この間に炉の癖や特徴をつかみ、音だけで完全燃焼に達した状態だとわかる。そのうえ、つねに炉内ろないの炎の状態をも読み取ることができた。操作盤をみると燃焼温度は920度をさす。ただ、病院の炉はきまぐれで時おり変調をきたす。それだけに気がぬけなかった。


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