小説家

講演「知られざる幕末の芸州広島藩 神機隊の活躍」=広島市・船越公民館で

 広島市・船越公民館で、4月15日(日)午後1時半から、講演「知られざる幕末の芸州広島藩 神機隊の活躍」が開催された。参加者は160人で、会場は満員だった。
 主催は広島市・船越公民館、共催として海田市公民館、船越地区老人クラブ連合会、幕末芸州広島藩研究会である。

  午前中は10時から2時間の「海田の歴史ツアー」が開催された。町内の旧千葉家とか、高田藩の藩士が眠る明顕寺とかをまわった。協力は西国街道・海田市ガイドの会、船越誰故草保存会、㈱ミックスである。

午後の講演に先立って、「海田市ガイドの会」が、第二次長州戦争で敗走した高田藩と、帯陣していた海田市(現・海田町)との関連を映像で15分ほど流す。

 明治時代に活躍した最後の浮世絵師といわれる揚州周延(ようしゅうちかのぶ・本名は橋本直義)が高田藩士として参戦しており、海田市から厭戦気分の手紙を江戸に出している。それらを絡めた幕末史の紹介があった。

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 私の講演は、主として「なぜ広島藩が幕末の歴史から消されたのか」という疑問から語った。広島県出身の私が、幕末の広島藩の活躍にたどり着くまで、およそ7-8年かかった。その過程、ふだん聞けないとおもう作家の取材方法と足取りを語った。

 広島城下の武家屋敷があった市内は、どこにいっても、浅野家の史料は原爆投下で無くなったという。学芸員すら幕末史を研究する意欲を持っていなかった。大学から小学校まで、だれも教えない幕末広島藩だった。領主が浅野家だったと、それらも郷土史で学んでいない。
 広島人の歴史家すら、戊辰戦争で活躍した「神機隊」の存在を知らないのが実態だった。

 私自身も、だれもがいう幕末広島の歴史が原爆で消えた、とおもい込んでいた。かたや、まだ幕末から150年だ。「必ずや広島県下には史料が残っている」と信じて、取材で歩きにあるいた。

 やはり、150年では歴史は消えていなかった。広島藩の浅野家の藩校だった「修道学園」にたどり着いた。幕末の広島関連史料がおどろくべき大量に保管されていたのだ。頼春水、頼山陽、阪谷朗廬、浅野家の歴代藩主たちの直筆、藩士たちが学んだ朱子学、四書など教材などが、資料室一杯にずらっと並ぶ。胸が高まり、感動した。
「原爆が投下される数か月前、学校疎開していたんですよ」
 私は幕末・広島藩に近づけたのだ。原爆で消えていなかったと、大きな勇気づけになった。幕末からまだ150年だ。それを信じてよかった。


 ふしぎなもので、運が向くと、広島藩・浅野家の家史「芸藩志」が私の目の前に現れたのだ。明治政府が封印した広島藩の幕末史で、300人が編さんに関わったものだった。
 
「広島藩の幕末史は原爆で消えたのではなく、人為的、政治的に、歴史のねつ造があった」
 それが明確になってきた。
 芸藩志は東京の公立図書館の書架にもあった。著作権・50年が切れているので、コピーは自由にできた。
 それを熟読するうちに、芸州広島藩の浅野家が倒幕の魁(さきがけ)になった、と明白になった。
 薩長芸軍事同盟の時点から徳川政権の打倒、という倒幕へと進んだ。それにもかかわらず、明治時代になると、芸州広島はずしが作為的、ある意味で悪質な歴史のねつ造がおこなわれた、と私は確信をもった。
 

 講演では、「倒幕の主役は広島藩だった」と実証できましたと、取材からの経緯と広島藩の掘り起しを語った。皆、熱心に聞いてくれていた。そこで前半の区切りを入れた。

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後半は、160人にいきなり、こう訊いた。
「長崎に歌がたくさんありますよね、長崎の鐘、長崎は今日も雨だった、……。広島になぜ歌がないのですか」

 8月6日、8月9日、数日の違いで、ともに被爆で全市内が灰塵になりました。

 長崎にはいまだに幕末の歴史が一杯あります。オランダ坂、グラバー邸、長崎奉行所跡、出島跡、教会、丸山、長崎造船所など。歴史には情感・情緒、旅情があるのです。
 
 長崎は歴史が旅人を呼び込み、情愛・情景の歌を創りあげています。

 ところが、広島は明治政府による歴史抹殺で、歴史ロマンが消されてしまったのです。広島県民は江戸時代などまったく知らない。その結果として、長崎には歌があり、広島には歌がないのです。


「幕末からまだ150年です。遅きに期したことはありません。歴史の旅ロマンは、これからでも掘り起こせます。縮景園、広島城、護国神社、鉄砲町という町名の由来、頼山陽の生家、横川の大雁木、……、そこに立てば、幕末の知識があれば、その歴史がほうふつしてきます。いにしえが忍ばれる。こころに染み込む情感が感じられるのです」

 私たちの世代が、これから芸州広島藩の活躍を掘り起こし、それを子供たち、孫の世代へと伝えていく。
 広島にも胸を張って伝えられる歴史ロマンの歌も、詩も生まれてきます。

 わたしの著作「広島藩の志士」、「芸州広島藩 神機隊物語」が出版されたばかりです。広島のひとはこれまで幕末史に関心がなかった、無関係だと信じ込んでいただけに、歴史用語からしても、読むには苦労するでしょう。
 しかし、わが故郷の歴史です。読んで、感じて、そしてみんなで広島藩を話題にしてください、と述べた。

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「倒幕の主役は広島藩だった」
 それはウソ偽りではない。歴史的な事実である。
 広島県民はこれから江戸時代の芸州広島藩・浅野家の活躍を語れるのだと、参加者らは誇らしげな顔だった。


【関連情報】

 講演の写真提供:土本誠治さん

 写真・紫色の花が、「誰故草」です。
「神機隊物語」(第8章・雨中の上野戦争)で、神機隊隊長と揚州周延(橋本直義)との関連で、誰故草が登場してきます
  

「広島藩の志士」がベストセラーに、「広島郷土史」の教育の礎になるか

 広島県下の学校教育には、江戸時代をふくむ郷土史がない。広島、呉、竹原、大竹、瀬戸内の島嶼(とうしょ)部の小中学校において、生徒は「郷土史」を教わらない。

「歴史を知る。遠き過去を訪ねて、わたしが明日に働きかける行為である」
「郷土史とは、郷土愛と郷土の誇りを育てる土壌である」

 郷土史を教わらない義務教育は、異常な現象で、恥ずかしいかぎりである。


 1945年8月6日に悲惨な原爆投下があったにしろ、被災地は中心部から10キロていど。広島県下全体でみれば、江戸時代から明治時代の政治、経済、産業、文化、庶民生活などの史料・資料は広域に残存する。
 その気でさがせば、いくらでも歴史関連資料はあるはず。それをなぜ怠っているのか。広島県下で、なぜ郷土史を教えないのか、と私は疑問をもって育ってきた。

 

 しかし、広島県下でも福山地区はちがう。かつて備後の国である。水野家が備後福山を拓いた、と福山の小学校では、郷土史を教わる。

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 原爆後の被爆教育、平和の願い、その教育行政だけでは、広島の子どもは歴史視点から将来を見渡せる人材にならない。もっと真剣に、江戸時代からの広島の郷土愛を育てるべきだ。

「長崎には歌がいっぱいある。広島にはまともな歌はない。なぜか」
 長崎はこぞって歴史を大切にしているからだ。長崎は原爆の被災もある。だが、江戸時代からの出島、長崎奉行所、オランダ坂、グラバー邸、長崎造船所など諸々の歴史を庶民が愛着を持って大切にして語り継いでいる。そこには郷土の誇りもある。

「歴史は情感をつくる。その情感が詩になる。歌になる」
 長崎の鐘、長崎は今日も雨だった、長崎ブルース、~、


 広島は被災後の平和教育だけである。論旨的な核廃絶という平和だけでは片手落ちだ。これでは郷土への愛着や情愛が薄い。「広島は今日も雨だった、カープの試合が流れた」となると、歌にはならない。
 100年後の人材を育てる。それには、広島は歴史を100年、200年にさかのぼり、現代を捉える、そして未来を見通す教育をおこなう。
 そこから、生徒たちに広島が抒情、情感的に愛され、歌が生まれて、名曲となり、歌い継がれていく。

「現代の広島人は、幕末・維新に無力感を持っている。残念ながら、原爆前を知ろうとしない。現代と過去(歴史)との意志疎通ができていない」
 広島で、私はくり返し講演し、幕末研究会などで、そう語っている。一方で、「広島の小中学で、江戸時代をふくめた郷土史を学べる、教育の場をめざそう」と訴えてきた。

「教育は100年の計」だから、教育行政トップから教壇に立つ教職員までが、前向きに、積極的に、江戸時代・明治時代から戦前の歴史・知識を取りにいく。その努力が必要だ。

 それがないがしろにされると、生徒らには広島の政治、経済、文化、風土を教えられない。なにしろ、教員自身が郷土の歴史を知らないのだから、教えられるはずがない。

 そこで教職員が、「芸州広島藩」といわれた時代からの歴史に興味を持ってもらう。そのためには、作家の私が広島を舞台にした歴史小説を書くことだとおもった。より事実に近いところで。
「二十歳の炎」(芸州広島藩を知らずして、幕末史を語るなかれ)を世に出した。売れたのは広島でなく、おもいのほか、首都圏で好評だった。(薩長史観が東京(德川・江戸)では煙たがられていた面もある)。ただ、同書は5刷で、出版不況からクローズとなった。

 出版社が閉鎖すると、その本は暴落するのがふつうである。
 ところが、『二十歳の炎』は、絶版本として、いっとき3万円台(アマゾン・中古)にまで暴騰した。これでは同書を読みたい人が読めない。読めないことは、幕末・芸州広島藩が闇のなかに歴史から消えてしまう。

 私は手持ち在庫とか、カルチャーセンターに委託しカウンターで販売している「二十歳の炎」をかき集めた。そして、アマゾンの中古市場にながした。いっとき4-5000円台まで下がった。ところが、またしても8000円から数万円を行き来する。そこで、私は中古市場の冷却を諦めた。あらためて再版してくれる出版社をさがした。

 そして、今回の広島・南々社「広島藩の志士」(倒幕の主役は広島藩だった!)の出版となった。
 数多くの教職員が目にしてくれる。それには、文化の発信の場を提供してくれる書店の協力が大きい。感謝したい。

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プロ作家から、拙著「広島藩の志士」(3月12発売)のコメントがとどく

 私の親友ともいえるプロ作家たちから、ハガキや手紙で、「広島藩の志士」にたいするコメントが寄せられています。その一部を紹介します。

『まえがき、あとがきがついて、読者が内容を把握できるようにしているのが、良かったです。高間省三が何ものであるか。まず知ることが第一だと存じます。タイトルは改められてよかったです。たくさんの人に読まれることを願っています』
 出久根達郎さん(日本文藝家協会・会長)

『まずは、まえがきを拝読し、興味津々です。放送大学の講師をしており、新年度をまえにあたふたしております。一段落したら、ゆっくり拝読します』
 山名美和子さん(日本ペンクラブ・会報委員、女流歴史作家)

「広島藩の志士と改題されて、地名が入ったことで、歴史書のように、思えますね。私たち他県の者にも読み応えのある物語ですが、広島の人びとにこそ、読んでいただきたいです。微力ながら、(編集・校正)にご協力できたこと、うれしく思います」
 神山暁美さん (日本ペンクラブ・電子文芸館委員)

「広島藩の志士を頂き、幕末維新史の秘話、興味深く、読まさせていただいております」
  高橋千劔破(日本ペンクラブ常務理事、『歴史読本』元編集局長)
            
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 作家仲間のみならず、首都圏に在住の知人からも感想を頂いています。
 同書の「あとがき」には、「歴史に学ぶ」それには「歴史は真実でなければならない」と明記したうえで、しかしながら、慶応3年から4年にかけて幕末に大規模な焚書(たいせつな書類・日記を燃やしてしまう)がおこなわれている、と記す。

 松平春嶽、德川慶勝、山内容堂、島津忠義、木戸孝允の一部、岩倉具視、大久保利通、徳川慶喜、小栗上野介など、大物大名や家老、公卿たちの日記が悉(ことごと)くない。ある大名日記の端には焼け跡すら残されている。こうした焚書の実態を紹介しています。

 現在、国会の予算委員会では公文書偽造、ねつ造疑惑が論点になっているし、「平成の現代でも、いまだにそうだから」、明治時代の半ばに、薩長閥の政治家が自分たちに都合よく焚書をやったと疑いはない。同書の「あとがき」には説得力がある、と多くの方が納得されています。

 近い将来に、幕末・維新の焚書が、社会的・歴史的な問題になり、おおきな反響を起こせば、穂高健一が「幕末史・恥部の焚書」にたいして真っ先に「広島藩の志士」で、口火を切ったことになりますね。まさに、近代史革命です。
 この本をたいせつに保管しておきます、という声もありました。

 写真・中国新聞ことし(2018年)3月14日号の一面・下段に「広島藩の志士」の広告が、大きく掲載されました。

『広島藩の志士』が好調な滑り出し=各書店が応援

 穂高健一著「広島藩の志士」(南々社)が、3月12日より全国一斉に販売された。

 3月14日には、中国新聞の一面・下段をすべて使った広告で、広島市内を中心に、大きな反響があった。
 出版社・南々社によると好調な滑り出しで、市内の書店は積極的な協力体制で、多面積みや平積みで並べてくださっている。
 さらに、1部の書店からは、追加注文も入っているという。

 フタバ図書(本社・広島市)アルパーク店においてレジ前のワゴンで、目立つ場所で並べて下さっている。

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 幕末芸州広島藩研究会の世話役・平見憲司さんによると、中国新聞・一面下段広告は、強い反応があります、と力づよく周辺情報をおしえてくれた。
「広島人は、毛利元就から原爆まで、歴史が空白です。だから、広告の【広島藩】という用語自体にふだん馴染みがないし、広告が出た当日の朝から、幾つもの知人からの電話が入り、平見君がふだん話していることは、この幕末のことかいと、皆がおどろいています」
 さらに、 こうも話す。
「倒幕の主役は広島藩だった。本来はうさんくさい表記で、マヤカシものかな、と疑われやすいが、吉岡忍・日本ペンクラブ会長の推薦という品質保証がありますからね、すんなり受け入れていますよ。ペンクラブは全国の作家の頂点ですからね。そこの会長でしょう。だれも、嘘だなんて言えないですよ」

 広島人の99%は高間省三を知らない。平見さんはそう前置きしてから、
「けれど、広島人は広島護国神社を初詣などで100%知っていますからね。そこの筆頭祭神だと言われると、これは嘘・偽りないと、真実だと納得させられますよ」
 かれの今後の見解として、
「多くの若者は知らないことは、すぐスマホで調べます。きっと高間省三を検索するでしょう。ネットからの話題性にも期待できます」
 とつけ加えていた。

穂高健一著「広島藩の志士」(南々社)=新装版 3月12日より全国一斉販売

 穂高健一著『広島藩の志士』(1600円+税)が広島・南々社から、3月12日に全国の書店・ネットで販売される。同書は、「二十歳の炎」(日新報道)の新装版である。「まえがき」「あとがき」「口絵」が付加されている。

 新装版「広島藩の志士」の発行まで、簡略に説明しておきます。
「二十歳の炎」(日新報道)が出版不況で業務停止し、5刷で止まった。すると、アマゾンなどでは絶版本として希少価値が出て、いっとき3万円台まで暴騰した。私の方で、手持ちや在庫をかき集めて市場に流し、3000円台まで下がった。
 それも、焼け石に水で、現在は8250円である。(2018.3.10)。

「二十歳の炎」の帯には『芸州広島藩を知らずして幕末史を語るなかれ』と銘打った。絶版本が高額のために、大勢の方々に幕末の広島藩の役割を知ってもらうことができなくなった。

 出版・印刷関係者の尽力で、広島市の南々社が、新装版『広島藩の志士』として出版を引き受けてくださったものである。
 帯には、【倒幕の主役は広島藩だった!】とずばり明記した。大政奉還、小御所会議で、明治新政府樹立まで、広島藩が主導したことには間違いない。

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 同書の「まえがき」を一部紹介すると、

 明治維新は薩長倒幕によるものだと、日本中のだれもが信じて疑わない。その実、長州藩(毛利家)は德川幕府の倒幕にほとんど役立たなかった。と言うと、えっとおどろきの声をあげるだろう。

 第二次長州征討(慶応2年・1866)で、長州は勝った、勝ったというが、藩内(現・山口県)にふりかかった火の粉を追い払ったにすぎない。その先もなお朝敵で、となりの芸州・広島藩領にも、京の都にも行けなかった。

 慶応3年10月15日に、徳川家が大政奉還をおこなった。それから約1か月半後の12月9日に、王政復古による小御所会議(京都御所)で、明治新政府が誕生した。ここにおいて260余年間つづいた徳川幕府が正式に倒れた。
 この時点で、京にいた毛利家の家臣といえば、品川弥二郎たち数人が情報収集で潜伏していただけである。明治新政府が発足しても、長州藩から三職に任命されたものはだれ一人いない。
 ここからしても、長州藩は倒幕の表舞台で役立つ藩ではなかったのだ。

 明治42(1909)年に編さんが完成した『芸藩誌』(げいはんし)は芸州・浅野家の家史である。編さん委員には約300人が携わっている。本書は、この『芸藩誌』をもとに書き下ろした歴史小説である。 

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 同書の「あとがき」には、幕末史に関わった慶喜将軍、大名、家老たちの日記がことごとく消えている。
 その焚書について詳細を明かしている。

17回・作家たちの歴史散策:桜の名所なる哲学堂から新井薬師へ


 日本ペンクラブの歴史が好きな作家たち7人が、ごく自然にグルーブができた。2017年3月1日の歴史散策は、こんかいで17回目となった。
 西武新宿線の新井駅(中野区)に、午後1時に集合だった。

 写真は中野区内にある、皇室にちなんだ「プリンセス・雅」という桜である


 清原康正さん(会報委員長・文芸評論家)、山名美和子さん(歴史小説作家)である。ともに、歴史は精通している。豪華な案内人である。

 林芙美子記念館にでむく。彼女は「放浪記」「浮雲」が名作として、現代でも読まれている。
 
 同館には、彼女の書斎、日常の部屋、さらに林芙美子資料室がある。

 手入れがしっかりなされた庭園である。


 新津きよみさんは、推理小説作家で、売れっ子である。今回の歴史散策は、どんな作品で登場するのだろうか。

 なにしろ坂道が多い街である。
 階段の先頭で、井出勉さん(PEN・事務局次長)は慎重に下る。


 
 中井御霊神社は、文化・文政の頃の、「雨乞い」に用いられたむしろ旗が1枚残っている、と明記されていた。

 歴史資料に接すると、作家たちはすぐさま話題が多岐にわたる。

 相澤与剛さん(広報委員長・ジャーナリスト)は、哲学堂に詳しい。


 哲学堂の池淵にくると、静寂な雰囲気のなかで、作家仲間たちは文学を語る。

 新井といえば、なんといっても、この薬師だろう。

「たきび」の歌」の発祥地である。

 かきねの かきねの まがりかど

 「子どもの頃は、たき火をこんなふうに、当たっていたわよね」

 山名さんが身振りで説明する。


 訪問先が、世の東西を問わず、どんな宗教でも、ふたりはていねいに手を合わせたり、香炉の煙を浴びたり、賽銭を入れたりする。
 
 ご利益はふたりにあれ。


 哲学堂や新井薬師の界隈は、川沿いの道が多い。

 かつて大雨が降ると、坂道が沢になり、泥流があふれていたらしい。いまは、遊歩道である。

 さて、夜の部は中野駅前の陸蒸気(おかじょうき)である。どんな雰囲気の居酒屋化、どんな話題が出るか、楽しみである。

【孔雀船89号より】眠れぬ夜の百歌仙夢語り=楽しみな・エッセイ

 私の手もとには、ほぼ毎日、さまざまな活字がとどく。所属団体の会報とか、掲載誌とか、出版物とか、受講生の作品とか、ちょっと間をおくと、それらが溜まってしまう。

 ダイレクトメールなどは届いた瞬間に、開封せずゴミ箱へ直行してもらう。封筒の宛名まで、個人情報だという人が多い世の中になってしまった。なにを防衛しようとしているのか、皆目わからない。
 私はまったく気にしないし、表札を見れば、「穂高健一」と明記しているし、玄関先の電柱には青い盤で「住居表示板」がある。それなのに、住所を隠したがる世のなかが陳腐な現象に思えてしかたない。

 そんな能書きはさておいて、同人詩社『孔雀船』がとどくと、開封が楽しみだ。望月苑巳さんの「眠れぬ夜の百歌仙夢語り」の連載エッセイはすぐ読みたいけれど、物事や執筆や受講生の添削に追われたときなどは、愉しみは後まわし。
 じっくり読みたいからだ。
 
 望月さんは映画評論家で、1年に500本ほど観て、その評論を新聞や雑誌に書かれている。元新聞記者で、当人と会うと、ユーモアと冗談が口から零れ落ちてくる。

 エッセイのタイトル「眠れぬ夜の百歌仙夢語り」を見ただけでも、どこが面白いの? むずかしくて敬遠されそうだ。しかし、これが面白い。

 日常生活のなかのエピソードにたいして、作者の目線が低い。これが高感度になっている。エピソードの中心は、高尚な詩歌の論評であり、時にはかなり難しいな、と思うころ、楽しみな「マグロの女房殿」が出てくる。
 作品紹介として、いくつか抜粋し、掲載してみよう。

『以下、引用です(原文・ゴシック体)』

「いつまで、寝ているのよ。もう昼じゃないの」
 我がマグロの奥さんに言われて言い訳をする。
「だって、夢が三本立てだったもの」

 こんな調子の夫婦の会話が随所に出てくる。

 孫も面白い。
 樹(いつき)といつだったか、恐竜博に連れていったら、
「なんだ、骨ばかりじゃないか」と文句を垂れ、周囲から笑われたガキである。

 戸外の描写文もそれとなく凝っている。

『外は大笑いしたくなるような快晴。飛行機雲がヨタっている」

 公園で、人間観察が行われる。ここらも、愉快な人物描写が展開する。
 そして、硬めの詩の論評が出てきたあと、またしても家庭内のユーモアが展開される。 

(マグロの奥さんは)料理免許を持っているから毎日食卓には御馳走(そう書かないと殺される)が並ぶ。続けて押し売り言葉も並ぶ。
「私と結婚してあなたは幸せなのよ。分かっている?」
 外食してまずい味のお店から出てくるたびに言われる。
「はい、おっしゃる通り」
「でも私が死んだら何を食べるの? コンビニ弁当?」
 そういうから「俺もすぐあとを追うよ」といったらピシャリ。
「ついてこないでよ。あの世で幽霊ストーカーなんて迷惑」
 夫婦とはなんじゃろうな。オイラは奥さんのアクセサリー。

 孫の樹、事あるごとに突っかる歳にあいなった。
「オ・モ・テ・ナ・シ」という言葉がはやっていた頃、「それなら小遣いもくれないジイジはヒトデナシだね」と言われたことがある。

【関連情報】
「孔雀船」頒価700円
 発行所 孔雀船詩社編集室
 発行責任者:望月苑巳

 〒185-0031
 東京都国分寺市富士本1-11-40
 TEL&FAX 042(577)0738
 
 「孔雀船」には、『試写室』があり、8つの映画が紹介されています。
 いつもながら、うまい詩作品がたっぷり。(後日に、数編ほどご紹介します)

【推薦図書】 山名美和子著「直虎の城」=女城主の波乱の生涯を描く 

 日本ペンクラブ・会報委員の山名美和子さんが、時事通信社から『直虎の城』を出版しました。定価は1500円+税。歴史作家として円熟した山名さんは、日本の城を舞台とした小説では、抜群の力量を発揮されます。「甲斐姫物語」、「戦国姫物語」、「恋する日本史 やまとなでしこ物語」、「真田一族と幸村の城」など多数あります。

 こんかいの作品『直虎の城』は、戦国の世に、井伊家の存亡を託された女城主の波乱に満ちた生涯を描いています。またしても、戦国のお姫の名著です。

 かたや、2017年NHK大河ドラマ大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公です。大河ドラマの時代考証の小和田哲男さんも、同書を推薦されています。TVの大河ドラマ・ファンは見逃せません。

 文芸評論家の清原康正さんが、『動乱期 女城主の雄々しい生き方』と題して、2016年12月25日「赤旗」に書評を書かれています。その全文を紹介します。

 戦国動乱期を舞台とする歴史小説では、やはり武将たちの虚々実々の駆け引きと熾烈な戦いの模様を活写した作品が圧倒的に多い。そうした背後に、女性たちの生と死がからんでいたことは言うまでもないのだが、動乱期の女性の役割は現代人が考える以上に幅広いものがあった。
 弱肉強食、下克上などと形容される戦国時代に、女性が家督をついで城主となってお家の再興に尽くした例がある。それが主人公の井伊直虎である。

 本書は、この女城主の波乱の生涯を描き出した書下ろし長編。なぜ男名を名乗ったのか。政略結婚に従うだけの受け身の生き方とはまったく違う雄々しさを感じさせる主人公像が浮き彫りにされていく。
 
 主人公が直虎を名乗る前の名前は佐奈。遠江国(とおとうみのくに)引佐郡(いなさこおり)井伊谷城(いいのやじょう)の有力国人領主・井伊直盛の一人娘として生まれた。
 駿河国の今川氏が強大となったことで、井伊家はやむなく臣従したが、常に戦場の最前線で戦わされて一族の男たちは戦死、あるいは今川氏の謀略で誅殺(ちゅうさつ)と、次々にたおれていった。
 
 井伊宗家の血を受け継ぐたった一人の娘として、佐奈は在俗のままに次郎法師直虎と男名を名乗り、領内の差配にもかかわっていく。
 父が養子として迎えるはずだった許婚(いいなずけ)が亡命先から井伊谷に戻って来るが、直虎はその子・虎松を養子とする。この虎松がのちに徳川家康に仕えて「徳川四天王」の一人に数えられる井伊直政である。
 
 天正10年(1582)佐奈・直虎は45年の生涯を閉じた。時代の荒波に翻弄(ほんろう)されながら、泰平の世は血であがなわなければならないのかと苦闘するさまを、戦国武将たちの複雑きわまる動静をからませて描くことで、主人公の泰平の世を望む心情を鮮やかにとらえている。許婚との心のつながりを描くファンタジーな場面も効果を挙げている。

            2016年12月25日 赤旗 より転載

【推薦図書】桜奉行(幕末奈良を再生した男・川路聖謨)=出久根達郎

 川路聖謨、まず読み方から入ろう。「かわじ としあきら」。出久根氏は「桜奉行」の作品の入口から、むずかしい名まえだと、川路・当人があかしている、と紹介している。


 話がいきなり、作品紹介からそれてしまうが、現代においても、とくに女児の名まえに当て字が多くて、難解だ。少女が大人になり、口頭で名まえを説明するときはきっと苦労するだろうな、とおもう。小学・中学の先生方もまちがいなく難儀だろう。
 「桜奉行」を読みながら、そうか、江戸時代にもどっているのか、ともおもえた。

 奈良奉行、佐渡奉行時代の川路は、じつにヒューマニティーに富んだ人物だ。貧しい家に生まれ育ち、勘定奉行のトップまで、一つずつていねいに登ってきた人物だから、ひとの心が読めるのだな、と理解できる。
 ひとの痛みがわかる人物が主人公の小説は、随所で、堪能できるものだ。


 川路日記「寧府紀事」(ねいふきじ)から描いた小説で、人物は実在で、造形やフィクションではない。できごとや事件、そして手紙のやり取りや日記交換による家族愛も、記述から展開なされいるので、実像に近いはずだ。
 むろん、川路の人柄は、作者・出久根氏の想いも、おのずと反映されてくる。そこは学者と作家の違い、学術書と小説の違い。だから、小説は作者の個性がたのしめる。


 お奉行は警察権と裁判権をもつ。行政と司法のトップだ。かんたんに言えば、犯人をみつけて、捕まえて、白州で取り調べて、お裁きするのだ。そして、刑を執行する。

 現代でも、法律用語となるとかなりむずかしい。作者・出久根氏は、江戸時代の奉行所システムで、ちょっとでも難解な用語がでると、巧みに解説をいれている。さらさら読める工夫がなされている。「私、歴史は苦手」という方が、その説明をすーとながしても、文脈はくるってこない。そこはまさに超プロ作家の職人芸だ。

 むつかしい事象・事柄をやさしく言う。書き手にとってはたいへんな作業だったとおもう。歴史好きには知識欲を刺激してくれる。


 現代でも、犯罪ものは小説、TVドラマで人気がある。
 奈良奉行の川路聖謨が8月8日にお忍びで、町に出ていく。奉行所を抜けだす方法も、手が巧妙に入り組んでいる。そして、川路が犯罪者との接点で、みずから捜査する。
 もしも隠れ奉行の身元が、犯罪者たちに発覚したら、どうなるのか。危うさが連続し、ハラハラ・ドキドキ感で、一気に読ませる。


 犯行との接点で、かつて川路聖謨がつとめた佐渡奉行の回顧が展開されている。赴任するときのエピソードなども面白い。江戸時代には手漕ぎ船を使って、荒波の日本海をこの方法で渡ったのか、と知ることができる。

 佐渡奉行所(相川)に着任早々、川路には待っていた未処理の大事件がある。それは佐渡全島を巻き込んだ大規模な佐渡農民一揆だ。発端は奉行所ぐるみの腐敗だった。すでに江戸勘定奉行所から出張した留役(調査官)が取り調べた大規模なもの。

 川路は、引きついだ大勢の直接部下たちを裁く、罪を問う、解雇する、という負の任務からスタートだ。片や、農民の首謀者たちも罰する。善人の軽微な農民、冤罪容疑者には温情のある上手いお裁きをする。ここらも、おもいきり引き込まれてしまう。
 
 読むうちに、ごく自然に、天保10年(1839年)5月に起きた蛮社の獄(ばんしゃのごく)が解説なされている。言論弾圧事件で高野長英、渡辺崋山が犠牲になった。天保の大事件で、日本史では避けて通れない。

 多くの読者は、これら人物や事件名などはうすら、漠然と記憶にあるていどだろう。
 川路はひとつまちがえば、大事件の思想犯の罪びとになった可能性すらある。なにしろ仲間は著名で優秀である。川路はどのような接点と交流をもっていたのか、と説きあかしてくれている。

 歴史の教養が身についたような、ずいぶん得した気分にもさせられてくる。

 
 出久根文学の最大の魅力は、単なる史実の展開だけでなく、料理、桜の種類、天皇の御陵、鹿の生態、マムシの捕獲方法、奈良の町の魅力など、筆をはこんでいる。そこらも楽しく読ませてくれる。切れ味がよく、飽きがなく、展開が速い。だから、作品に吸い込まれる。


 怖さが存分に満ちているのが、『極刑』だ。死刑執行の種類とその微細が巧い筆さばきで描かれている。そのなかで、囚人にたいする奈良奉行・川路聖謨の心の痛みがしっかり組み込まれている。

 歴代の法務大臣で、死刑執行の印を捺さなかった方がいる。川路は逃げるに逃げられない立場だ。わが子を亡くした心重いときの執行だから、読み手もきつい。だから、「人間とはなにか」と、出久根文学は問うているのだ。

 犯罪者への心配りの川路聖謨の人物像は、出久根氏が作中でとくに描きたかった一つだろう。


 わたしは昨年の2月に奈良・京都を歩いてみたが、この「桜奉行」が手元にあれば、濃い歴史散策ができただろうな、とおもう。 
 
 人間愛、家族愛に満ちた小説は、読後感がとても良いものだ。


【関連情報】 

 桜奉行ー幕末奈良を再生した男・川路聖謨ー

 作者 : 出久根達郎

 発行 : 図書出版 養徳社

 定価 : 1800円+税

 発行 : 平成28年11月26日

 

【正月に読もう】 瓦版屋権兵衛「筆さばき」(抜かずの剣) = 飯島一次

 時代小説は面白い。なぜ、面白いか。現代社会では、とてもありえない、大胆な性犯罪が白昼からまかり通る。
 生娘。現代ではあまり使われない表現だが、かわいい御嬢さんが、強欲の豪商やそのドラ息子たちに、死に至るほど辱められる。嬲(なぶ)り殺されてしまう。
 そんな悪い豪商が、賄賂で、町奉行や幕閣と結びつく。

 大胆なストーリーの作品だが、作者の腕で、リアリティーがたっぷり。まさに一気に読ませる。

『筆は剣よりも強し』
 そうはいっても、現代のジャーナリズムにおいて、政財界の大物の恥部、悪行、賄賂などを大胆にすっぱ抜けない。
 特ダネ競争も最近ではさしてなく、記者会見の発表がそのままメディアによって伝えられる。そんな物足りなさが、江戸ジャーナリズムの正義の「筆さばき」によってうっ憤を吹き飛ばしてくれる。

 ともかく、作者の上手さで、作品の底割れがしない。一体どうなるのか、と読みだしたら、止められない。

 時代は、田村意次の賄賂がまかり通る、江戸中期である。田沼は最近の歴史で見直される傾向にある。
 この作品では、田沼=悪、という紋切型ではない。

 豪商たちの悪事が、贈収賄で、すっーと闇のかなたに消えてしまう。このミステリー性が強く、謎解きが楽しめるのだ。

 大手ジャーナリズムの瓦版屋は豪商の言いなり。現代と重ねあわせると、大手メディアのジャーナリストたちには悪いけれども、ちょっと重ねあわせてしまう。

 むろん、どこまでも時代小説の世界だ。豪商による記者会見までも出てくる。そして書き手(かわら版ジャーナリスト)が、市中で発表通り記事にして売る。この時代だから許されるのか、袖の下、裏の金をもらう。

 主人公は『闇の悪刷(あくす)り』の7人だ。悪刷とはなにか。「必殺仕掛け人」のような裏稼業で、のさばる悪人を痛快にも退治してくれる役だ。このスポンサーは廃れた屋敷に住む、妙に得体のしれない旗本だ。正義の味方だから、実態がつかめなくとも、実在感がある。


 若き娘が辱められて死に至る。江戸庶民は大手瓦版ジャーナリズムの紋切り型の記事に愛想をつかしはじめていく。突然現れる、裏稼業ジャーナリストたちが真実をばらす。活躍する。庶民は当然ながら、事実に近い本ものの記事を買い求める。

 豪商とつるむ江戸大手ジャーナリズムと、『闇の悪刷り』の戦いだ。単なる対立ではない。江戸時代の刑罰は江戸払いか、100叩きか、斬首・獄門か、遠島のみだ。現代のように懲役刑はない。まさに、双方がいのちを賭けている。悪も善も、当然ながら、知恵を使い、どんでん返しの連続である。

 作者は一流の時代小説作家だから、悪の豪商や奉行側からの視点で、手の内の一端も折々に見せてくれる。実にうまい呼吸だ。


 登場人物が多くても、読み手には負担にはならない。むしろ、個々のキャラクターがユニークだから、存分に楽しめ。そのうえ、文体が落語調に似た切れが良いから軽妙なタッチだ。愉快にもなり、あるいは深刻にもなり、ともかく先が知りたくなる、江戸ミステリーで、ぐいぐい引き込まれてしまう。
 

 これ以上の作品紹介は、ネタバレになってしまう。作者の飯島一次さんに悪いから、この程度に止めておこう。
 正月のTV・新聞・雑誌も多種多様だが、この時代小説を手元において読みはじめたら、間違いなくラストの真実は突き止めたいと、止められなくなるだろう。


【関連情報】

作品 :  かわらばんやごんべえ ふでさばき
瓦版屋権兵衛「筆さばき」(抜かずの剣)

著者 : 飯島一次

出版社: ㈱コスミック出版

定価 : 630円+税