講演会「燃える山脈」秘話に、500人の聴衆=安曇野市
国民の祝日「山の日」が2014年5月に成立した。山の日はたんに登山の日ではない。日本人が山の恩恵に感謝する日にしよう。そして、歴史と文化を掘り起こそう、という趣旨の下に、『燃える山脈』を執筆した。
「山の日」記念出版の講演として、『穂高健一講演会』が安曇野市で、2016年7月2日(土)に、安曇野市で開催された。
2014年5月に、超党派「山の日」制定議員連盟(会長・谷垣禎一さん)により、衆参両議員で可決成立した。
同議員連盟の事務局長で衆議院議員・長野選出の務台俊介さん(写真・左端)から、「山の日」にふさわしい歴史と文化にかかわる小説を書いてください、と依頼があった。
大飢饉がつづいた天保・天明の厳しい時代に、それでもたくましく生きる農村の人々を描く歴史小説にきめた。
取材をかさねてきた1年4か月後、10月1日から、市民タイムスで新聞連載がはじまった。挿絵は地元画家・中村石淨さん。237回にわたり5月31日をもって終了した。
翌6月3日に、山と溪谷社から単行本で発売された。発売同日に、売り切れが続出し、その日のうちに増刷りがきまった。
このたびの「山の日」出版記念講演会は、市民タイムス主催である。同社の新保力社長(写真・中央・右から3番目)が冒頭にあいさつされた。
後援となった安曇野市を代表して、宮澤宗弘市長(写真:中央)も駆けつけて、挨拶してくださった。
講演会の開催にむけて尽力してくださったのは、市民タイム編集関係者、安曇野市議会議員の宮澤豊次さん(右から2番目)、取材協力者の方々である。
会場の安曇野市公会堂ホールは、約500人の聴衆だった。(市民タイムス発表)
「燃える山脈」は、『拾ケ堰』、『飛州新道』、『槍ヶ岳登山』の三つの要素を組込んでいる。プロ作家として作品が3つに割れない工夫をした。つまり、構成にはずいぶん配慮した、と述べた。
わたしは広島県の島出身で造船しか知らず、農業はまったく無知だった。そのうえ、信州・飛彈の生活感や土地勘もなく、旧村名は現代地図に記載がなく、そのあたりの苦労談を語った。
安曇野市の聴講者が多い。子供のころから農業を見聞している。わたしは農業を知らない作者だ。さこで「人間を描く純文学の手法で、歴史小説を書きました」と、事例をあげながら、説明した。
純文学とはなにか。「人間って、こういうところがあるよな」、「男と女は、異性を意識すれば、こんなふうに気持ちが変わるよな」、と本音を書くもの。それを作品のずいしょに織り交ぜていく。
歴史小説といえば、一般に歴史年表を中心として、為政者の移り変わり、潮目の変化を追っていく。「もえる山脈」は年表でなく、農民の目線で書いた。その面では稀有な歴史作品だと思う。
女性が興味を持つ、女性が読みやすく、女性にも説得力がある作品を心がけた。この面から、文体はやさしく、作中の女性比率を高めた。
「穂高健一」がどんな作家だろうか。聴衆はきっと知りたいだろう。
わたしが永年にこだわってきた純文学作品の一部を披露した。死刑囚と向き合ってきた拘置所の副所長の話し、根室海峡の密漁船の漁船員の話しを語った。
歴史小説との出会いは、龍馬ブームの時に、雑誌社からの依頼で連載をはじめたときからである。しかし、坂本龍馬を取材をするうちに、後世の作家が書くような、正義感に満ちた人物ではなかった。
「史実はときに嘘をつく」、「後世に書かれたものはとかく嘘が多い」。ここらは坂本龍馬の話しをもって説明した。きっと、わかりやすかったと思う。
最後に、純文学・歴史作家のわたしは、「拾ケ堰」が梓川(あずさがわ)の底下にトンネルをつくる(サイホン方式)にこだわった経緯を述べた。
小説だから、学者と違い、推量・推察はある。だが、作家は想像力は武器だから、河川工学の専門家の取材を通した上で、いまから200年前にサイホンが作られた、と結論づけた。
「拾ケ堰」は世界かんがい設備文化遺産に、2度ノミネートされている。小説とは言え、私の作品が多少なりとも、文化遺産認定に寄与できれば、と結んだ。
講演後も、多くの方がサイン本の購入に列をなしてくださった。作家としてうれしい限りで、感謝でいっぱいだった。
写真:滝アヤ
【関連情報】
安曇野市議会議員 宮沢豊次(とよつぐ)さんHPにも、取り上げられています。
