小説家

古都・奈良を歩く「神さまと戦争」を考える=真の黒幕はだれか

 年末・年始は、山岳歴史小説「燃える山脈」の執筆で、私なりに全力投球していた。新聞連載小説と、単行本と両面で書きつづけた。分量がちがうから、2本立てになってしまう。
 祝「山の日」はことしの8月11日だから、それまでに単行本は書店に並んでいなければならない。逆算すれば、1月下旬までに完全原稿にしておかないと間に合わない。
 
 連日連夜、根を詰めていたから、ふらっと旅したくなった。古都・奈良に行ってみよう、と決めた。目的がなければ、なにかしら出会いがあるものだ。

 春日大社・春日山原始林はユネスコの世界遺産になっている。なんどか行っているが、森林浴くらいの気持だった。鹿が群れて遊ぶ。最近は、山岳の色彩豊かな高山植物が、1輪たりとも花がなくなるほど、鹿に荒らされている。
 だから、私の目は鹿にたいしてあまり好意的ではなかった。


 春日大社の参道の左右には、灯籠がならぶ。参道入り口から、平成、昭和、大正とだんだん古いもの順となる。それは当然で、奥にいくほど、古くに寄贈した灯籠になる。苔のつきぐあいも濃緑になってくる。 私は灯籠の背面の建立日をみていた。


 明治時代になると、灯籠が一気に増えた。
「時代を映しているな」
 私の頭は德川政権と明治政府のはざ間に立っていた。

 仏教は江戸時代において優遇された。しかし、明治に入ると、廃仏毀釈(神仏分離令)で、その地位を失っていく。
 奈良の興福寺などは売りに出される。その一方で、春日大社などは武勲の武将を祀る神社としておどりでてきた。

 戦争はとかく宗教は結びつきやすい。明治政府は神教をことごとく利用してきた。

「日本には蒙古襲来以降、神風が吹く。建国以来いちども負けたことがない、神代の国だ」
 政治家・軍人のことばが連日に飛び交う。
 ほとんどの日本人が信じ込まされてしまった。結果を先に言えば、大ウソだった。東京は大空襲、沖縄は悲惨、あげくの果てには広島・長崎の原爆投下だ。
 これが神代の国なのか、というほど叩きのめされた。黒幕は誰なんだと、考えてしまう。


 明治時代に、山縣有朋が主導し、徴兵制ができた。ここから、すべての日本人が悲惨な戦争の犠牲になっていった。
 日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争、と段々と神々がつかわれ始めた。……聖戦、玉砕、国民総動員、総力を結集、お国のために死ぬ、戦死者を英霊、軍神としていった。生きても、死んでも、神と結びつけられた。これらはいまとなれば、虚しくひびく。

 銃を持たない女子においても、家族のだれかれをなくし、学校では学べず、工場で勤労動員させられた。これらも戦争犠牲である。
「太平洋戦争では神風は吹かなかった」
 政治家も軍人も、大嘘をついていた。


『日本の国の安泰と国民の幸せを願い、尊い神々をお祀り申し上げ~。神さまのありがたさがしみじみ感じられる』
 春日神社のパンフレットをみながら、そうなのかな、とおもいながらも、参道をいく。
『古事記』『日本書記』の神話の世界をタテにした、神々の一本調子は危ないな、とおもう。日本人は「お上に従う」という従順型の民族だから、黒幕には好都合なのだろう。

「神々は崇高なのに、利用した黒幕がいるのだ」
 聖戦、軍神と書いたのは新聞だ。筆の怖さも思い知る。

 大社の奥から古い順であり、江戸時代あたりは神仏習合(しんぶつしゅうごう)だから、寄進された灯籠は少ない。
 日本人には「神と仏が一体」になっている方がよい。宗教は多彩で、自由なほど、戦争の少ない国家になるのではないかな。
「戦争と宗教は結びつきやすいが、国境問題でも戦争は火がつくからな」
 私は春日山山ろくの森林の道を歩きながら、そんな思慮をしていた。

第95回 元気100エッセイ教室 = 情景の説明文と描写文

『説明文とはなにか』

 主語と述語の関係で、物事の骨格の要点を書きつづった文章である。用途として伝達、報告、記録など、ビジネス社会では最も適している。
 エッセイでは、流れをつくるだけで、味わいが少ない。


『描写文とはなにか』

 出来事、動作、変化たいして、一つひとつに修飾や形容をなしていく。読み手が場面を想像できる利点がある。描写文は文章が長くなるので、片や内容を削る作業が必要である。
 エッセイ、小説には欠かせない。

【情景の説明文】

 電車が伊豆海岸を走っていく。車窓には伊豆諸島がみえた。
 旅仲間三人の初日は熱川温泉だった。駅に着くと、温泉街から湯煙りが昇っていた。
 私たちの新婚旅行の思い出の地よ、出会いは伊豆大島よ、とおしえた。熱川の夜はその話題でもり上がり、翌日は伊豆下田を経由して、堂ヶ島にむかった。
 そして、島巡りの船に乗った。


【情景描写文】

 私たちの電車が伊豆海岸の波打ぎわを縫っていた。洋上の海面には秋の陽光がきらめく。かなたには小粒な島影が浮かぶ。
 車窓が一瞬まっ暗になった。トンネルを抜けるたびに、遠方の島々がしだいに電車に近づいてきた。
 熱川駅のホームは、小高い丘の中腹にあった。降り立つと、眼下には温泉街の白い湯煙りが潮風でたなびく。新婚の夜はこの地の宿だった。
 私の心は湯煙りにかすむ伊豆大島をとらえていた。妻との出会いは真夏で、島の民宿だった。

 ※ 堂ヶ島まで書かない。


【会話による情景文】

「ほら、いちばん大きな島が伊豆大島よ。となりの小粒な三角形が利島。そのずーっと奥が船形した神津島なんよ。週なん便か、下田港から連絡船が出ておるよ」
 むかいあった乗客の老女が、車窓の島々をていねいに指して教えてくれる。
 妻との出会いは真夏で、あの神津島の民宿だった。一人旅のさなか、私は静かに思い起こしていた。
 
 ※ 会話がストーリーの展開に影響を与える。
 

新聞連載小説・山岳歴史小説「燃える山脈」が郷土の話題=松本・市民タイムス

 日本ペンクラブの忘年会が12月15日、東京・中央区の鉄鋼会館で開催された。夕方6時から2時間足らずで終わり、作家たちはそれぞれが2次会に流れた。

 私はあちらこちらから声をかけられた。野坂昭如さんが数日前に亡くなり、小中陽太郎さんが「野坂さんの歌のテープを聞かせるよ」というので、そちらに出むいた。
 

 その席上で、長野県安曇野市出身の作家・高橋克典さんから、
「市民タイムスの連載小説がすごい人気だよ。まさか、私の地元ちゅうの地元、おひざ元で、広島出身の穂高さんが連載するとは夢にも思わなかった」

 と絶賛してくれた。

「なにしろ、田植えも、稲刈りも、まったく知らない人が田園地帯の歴史小説を書くんだから、おどろきだよ」

「穂高って、だれだ。穂高岳、穂高神社など、著者名からして長野県人だと信じて疑わない。本名探しがはじまっている。それほど注目されているよ」

 飲み会の席で、松本市を中心とする新聞社だけに、東京では読めない。いろいろ質問された。

 10月1日に連載を介してから、約1か月後、同紙が10月29日号に、「燃える山脈」の特集号を掲載してくれた。

 その紙面を紹介してみた。

『物語は「プロローグ」から、来年開削200年を迎える安曇野の「拾ケ堰」(じゅうかせぎ)の章へとすすみ、水がないために米が作れない安曇野の地に、奈良井川から灌漑用水を引こうという当時の先駆者の勇気ある行動が展開されている

 年内は「湯屋の若女将」、「水の危機」の章が続く。物語はこれからが佳境、ますますめが離せない』

 燃える山脈では、拾ケ堰の開削や、上高地を越えた、岐阜県の飛彈を結ぶ、「飛州新道」の開拓に取り組んだ人たちの郷土愛や人間愛を描く。


 こうしたリード文で紹介されている。



 作者の私は「国民の祝日」が来年8月11日から施行されます。人間は山から多大な恩恵を受けています。それを改めて見直してみよう、というのがメインテーマです。

 拾ケ堰は水の恩恵、飛州新道は山道の恩恵、そして山岳信仰の三部構成になっています。人名と地名は実名ですが、物語はフィクションです。

 史料・資料の列記の学術書とは異なり、歴史小説は「人間って、こういうところがあるよな」と描写する文学です。そんなことを頭の片隅において、たのしんでください、と記している。


「拾ケ堰計画、次々と難問」と「ここまでのあらすじ」で、登場人物が紹介されている。


 同紙面では、
【拾ケ堰】が平成18年に農林水産省の「疎水百選」に選ばれた、と写真付きで紹介されけている。

【飛州新道】は当時の小倉村(現・安曇野市三郷小倉)から、大滝山(2,616㍍)を越え、上高地を経由し、焼岳(2,455 ㍍)の中尾峠を越え、飛騨高原中尾村に至った。
 着工から16年目にして、天保6(1835)年に完成した。

 槍ヶ岳を開山した播隆上人も、この道を利用した。

第94回 元気に100エッセイ教室 = ひらがな、ルビについて

 あなたのエッセイを、読者にいっきに読んでもらう。味わってもらう。それには『立ち止まらせない。首を傾げさせない、ページを後もどりさせない』の3要素がとても重要です。

 小説を書くひと、目ざすひとなどは、この3つの要素がとくに重要です。長文のなかで、読みにくい漢字、わかりにくい地名や固有名詞などがいくつも出でくると、長丁場のラストまで読んでくれません。

 文章の推敲(すいこう)のさい、漢字からひらがなへと、次つぎに切りかえていく。漢字の読めないのは最悪です。まだ、ひらがなの読みにくいのは読者も納得してくれます。
 「ひらがな」化は、知恵であり、勇気でもあります。


読みやすくする留意点


① 文章の流れを良くするためには、大きな声をだして、くり返し読む。

 ちょっとでも作者みずからの声がつかえると、それは読者にとって文章の流れが悪く、混乱をまねき、首を傾げさせるものです。
 最悪は読むことさえも止められてしまいます。


 ※声を出して読む都度、どこかで声が詰まる。2度、3度と書きなおしていくと、文章の流れが良くなる。5回ぐらいまで、読みなおす、書きなおす。
 その習慣があなたの身につけば、まちがいなく『読みやすい文章ですね』と誉められるレベルになります。
 

② 漢字(3割)とひらがな(7割)の比率を考える。叙述文学のエッセイと小説などは、ひらがな比率をより高め、7割以上にしていく。

 接続詞、形容詞、副詞などは思いきって総てひらがなにしてしまう。動詞も可能なかぎり、ひらがなにする。
 そうすれば、目立つ漢字が立ち上がり、単語一つずつが強いインパクトになる。と同時に、作者の強調すべき点が目で追えます。


③ 会話文において、女性が語る「」は、ひらがなを多くする。

 女性特有の柔らかな雰囲気が、作中にかもしだされてくる。「大和ことば」なども、入れると、情感が満ちてきます。


④ 常用漢字を外れた漢字は、基本的にルビをつける。ひらがな比率を高める効果にもなる。

 パソコンならば、かんたんにクリック一つでルビが打てる。


ルビで、行間が開かない処理の仕方

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『拾ケ堰』饅頭ができたよ=「燃える山脈」は好評

 松本市の「山の日」記念大会推進室長と、「山の日」推進協議会の懇談会でいっしょになった。
「穂高さんの新聞連載、市民タイムスの『燃える山脈』を読んでいます。面白いですね。ときどき、読み逃しては、バックナンバーの新聞を探す。それが大変ですよ」
「皆さん、読んでいますかね?」
 松本地域で発売・約6万部の新聞の反応は、東京では皆目わからないので、そんなふうに訊いてみた。
「皆さん、読んでいるでしょう。地元の歴史素材ですからね」
 と疑いの余地のない顔をされていた。

 この数日後、日本ペンクラブの作家仲間の高橋克典さんから、田舎(安曇野市・穂高神社の近く)に帰ったら、穂高さんの新聞連載「燃える山脈」がフィーバーしていたよ。安曇野で『拾ケ堰・饅頭』ができていたよ、と電話をもらった。

 店主に聞くと、「(松本市)市民タイムスの小説が評判だから、売り出した」と話していた。饅頭は一日しか、日持ちしないから、買ってこなかったけれど。ともかく、すごいよ、と友人たちの評判も教えてくれた。

「燃える山脈」は、プロローグの後、第一章が『拾ケ堰』である。安曇野の保高組(行政区・安曇野市)が主役の立つ位置だし、登場人物は実名だし、歴史ものとはいえ身近に感じているのだろう。
 拾ケ堰は歴史面、土木技術を徹底取材した。それらを作者として頭のなかでろ過したうえで、夫婦ものの読みやすい作品に仕上げている。
 読者は容易に感情移入ができているのだろう。

「お袋などは、毎日、スクラップしているよ」
 高橋さんはつけ加えていた。 
「製菓店の正式名を教えてね」
 そうお願いしておいた。

広島の秋=三滝寺の紅葉で、情感をつづる

 講演で広島に出むいた。雨降る日に、半日の空間があった。広島近郊で静かなところがありますよ、小説の情感たっぷりです。そこで案内されたのが、広島市西区にある「三滝寺」(みたきでら)だった。空海の創建だという。

 四阿で、静かな時間をすごす。

 雨の紅葉は人出が少なく、静寂感が楽しめる。つい情景描写の取材になってしまう。

「雨の音が苔むす岩から跳ね返ってくる。細い沢の音と重なりあう」
 そんな一行文をつくってみた。

「雨霧のながれが、彼女の心をいずこかへ運んでいく」
 いま連載小説の、女性の心理描写と重ねてみた。

 案内してくれた方は筆力があるので、

『今はこうして、土の上にふりつもった落ち葉も、いずれは形をとどめることなく土に戻っていく。身のおきどころがない、この気持ちさえも、あたかもなかったように、いつか消えてしまうのだろう』
  
『自然という力には、神が宿るというが、ほんとうにそうなのかもしれない。先程までの心の痛みも、やわらいでくれたのも、山の神の力なのだろうか』

『そうだ。私は何も思いのこすことなどないのだ。結局、あの人は私のそばにとどまる人ではなかった。しかし、私はあの人を愛しぬいたと思える。私の思いに悔いなどないのだから』

 と詩的な情景文を綴っていた。

『折りかさなる紅葉の陰に隠れるように、赤い帽子をかぶった石仏があった。大人の石仏の横には、おなじ赤い前かけをつけられた小さな仏があった。そっと手を合わせて、2つの仏に祈りつづけた』

 私はあえて石仏を写真に撮らず、その文面だけを貰い受けてきた。私なりに、うまいな、と感動したので紹介してみた。

『永遠の都』の創作(原稿用紙で4854枚)大作を明かす = 加賀乙彦

 2015年11月25日、日本文芸家協会の「文学サロン」が開催された。ゲスト講師は、『永遠の都』の著者の加賀乙彦さんである。

 加賀さんは東大医学部卒で、小説家・精神科医である。『永遠の都』は、30年間の資料の集積で、50歳代半ばから、69歳にかけて書き上げたもの。講師として、その創作の裏舞台を語った。

 祖父の実家は山口県の猟師だった。その祖父は東京に出てきて、当時、交通事故の多かった品川で医者を開業した。病院は流行った。
 日清戦争、日露戦争などの兵士として、祖父は参戦している。そこから日記を欠かさずつけていた。

 祖父の死後に、加賀さんはその日記を貰い受けた。それが『永遠の都』の下地になった、と語る。

 幼いころの加賀さんは、新宿に住んでおり、2.26事件を直接に見聞している。目の前をいく兵士が「汗臭い、鉄臭い、革臭い」とつよく印象に残っている。小説のなかでも、臭気が敏感な体質で、しばしば取り上げていると語る。

「フィクションを書くには、徹底して事実を知ることです」
 祖父の日記のみならず、当時の事実を知るために、週刊誌広告を出す、あるいは記事で取り上げてもらうなどして、かつての特攻隊員、2.26事件の体験者などの証言者を全国にもとめた。多くの方が手をあげてくれた。面会し、徹底して取材してきたと打ち明ける。


 同作品は2.26事件の前年から2001年まで描いている。
「想像で造りあげた人物ほど、実際の人物と結びつく」
 戦時下のストーリーのなかで、音楽と文学を愛する帝大生が、出征した戦場の悲惨さに耐えきれず、自殺する、というくだりがある。事実に近い人物をつかう。こうした人間は二度と出してはいけないと、フィクションだからこそ、強調できる。
「若者の命を捨て石にし、かれらの苦しみや絶望を『お国のため』と是認してきた」
 国家は国民の命を操った。軍人勅語によると、『鳥の羽よりも、兵士の命は軽い』と判読できる。それは明治5年の徴兵制に遡るものだ。
 国家の命令に服さないと生きていけない時代が長く間続いたと、戦争の惨さを作品のなかで書き綴っている。

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新津きよみ・穂高健一の講演・対談『葛飾を歩いてみて~』

 新津きよみ&穂高健一による『葛飾を歩いてみて~ふたりの作家が語る講演会』が2015年10月4日に、鎌倉図書館にておこなわれた。
 


『新津きよみ』 柴又の散策では、久しぶりのうなぎをご馳走していただいて、とても美味しかったです。
(会場・笑い)

 柴又に訪れたのは2回目です。前回は十数年前に、信州の両親を連れて柴又を案内しました。その時はまだ渥美清さんがご存命で、しかも休日でしたから、満員電車のなかを歩くくらいの混雑ぶりでした。

 ただ、今日も予想外の人出でしたので、とても驚きました。

 

『新津きよみ』
 柴又をミステリーに使うのは難しいと思います。柴又を出しただけで「何かあるな」と、想像されてしまいますし、逃走犯が逃げるには、ちょっと有名すぎるかもしれません。

 となり近所が親しいので、知らない人がいたら、警察にすぐタレコミされてしまうでしょうね。
(会場・笑い)

 とは言っても、相変わらず食べ物屋さんは混雑していましたし、とても楽しい街なので、スリリングな場面に限らず、それらをいつか描写したいです。


『穂高健一』 新津さんの小説「指名手配」の作中で、僕が生活する立石が舞台となった場面があります。それを書かれたときの作者の心境について、聞かせていただけますか。

『新津きよみ』 私は本も好きですが、お酒も大好きです。
(会場・笑い)

 それを穂高さんに話したら、「立石に来ればいいよ」と言い、案内されました。あの時は昭和の顔を持つ街というテーマで、ご案内していただきましたよね。

 私が生まれたのは長野県大町市という田舎ですが、初めて来たのに、どこか懐かしさを覚えました。
 それで書いたのが「指名手配」です。この小説を読んでご紹介くださった読者の方が、今年5月15日の朝日新聞東京版に、逃亡犯の住まいはここだと掲載されていました。まさに、探偵の方みたいで、編集者ともどもおどろきました。

 その方は小・中学校の教師なんですよね、と新聞のコピーをみせる。

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松本『市民タイムス』新聞連載、山岳歴史小説「燃える山脈」が生まれるまで

 瀬戸内海の島っこが、信州・飛騨の山奥の農民を書く。それも歴史小説として。取材に入った時、農家の生活、農業について、いかに無知蒙昧かと思い知らされた。1ラウンド、10秒でダウン。そのくらいいきなり叩きのめされた。
 それからの取材・執筆で、1か月半で、ことし10月1日からの新聞連載小説としてスタートした。1か月が経った。
 この作品が生まれるまでを振り返ってみよう。

 国民の祝日「山の日」が国会で通過したのが、2014年5月だった。
 私は「山の日」推進委員会のメンバーの一人だった。成立が決まった初会合では、同法案の超党派議員の推進役だった会長・谷垣さん、副会長・衛藤さん、事務局長・務台俊介さんら国会議員が壇に立ち、笑みで、思いのほかに早い制定を喜びながら、
『「山の日」は登山だけでなく、山の恩恵に感謝する日です』
 と趣旨を語っていた。

 会合後の同パーティー会場(憲政会館)で、ふいに務台さんから、「穂高さんって、長野の方」とネームプレートを見ながら、そう問われた。「ペンネームです、学生時代から登山が好きだったので」と答えた。
 その出会いから、「燃える山脈」が生まれた。

 私はちょうど幕末歴史小説「二十歳の炎」(芸州広島藩を知らずして幕末史を語るべからず)を出版していた。
 務台さんから、「山の日」が成立したばかり。同法案の趣旨に関連した歴史小説を書いてくれませんか、と提案を受けた。
 天明・天保の長野には、「拾ケ堰」、「飛州新道」、「槍ヶ岳・播隆上人」の素材があり、同時代的に絡み合っているし、山の恩恵に絡むので、と説明を受けた。

 私は一つ返事だった。その実、2-3年後、某新聞社で、維新150年にむけた、鎖国から開国へ大きく舵を取った『阿部正弘』の連載小説の話が進んでいた。
 天明・天保時代から德川政権の土台がしだいに狂ってくる、幕末史のスタートでもある。阿部の執筆とも結びつくかな、という思いがあった。

 取材は信州(長野県)と飛騨(岐阜県)に入った。
「農業は利口じゃないと、できないんですよ」という話を聞いた。自然環境は例年同じでなく四季の変化に対応する。変化対応業だと教えられた。

 私は広島県・島出身で、造船業の町で、田地はゼロだった。農業はまったく知らない。高校一年の時、山越えした先の学校近くに田んぼがあったから、田植えをはじめて見た。自転車で横目で見た通りすぎた3年間だった。大学から東京でまわりに田地などない。
「農業は無知だ。大変なこと引き受けたな」
 と取材を重ねるほどに、その思いがつのるばかり。

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第93回 元気に100エッセイ教室 =テーマの絞り込みについて

 エッセイでも、小説でも、
「この作品のテーマは何ですか」
 そう質問すると、作者が着想を語ったり、素材を語ったり、あらすじを語りったりする。

 テーマとは何か、それ自体がわかっていないからである。

 エッセイなどは、まだ枚数が少ないから、勢いで読まされてしまう。小説など400字詰め原稿用紙に換算し、30枚、50枚、100枚となり、テーマの定まっていない作品など、とても読めたものではない。苦痛だし、「世の中には、読みたい作品はいくらでもあるんだ。これを無理して読む必要がないんだ」という気持ちにさせられる。

「独りよがりの作品など、書いてはだめだよ」と、私は指導する読売カルチャー・金町「文学賞を目指す小説講座」、目黒学園カルチャー「小説の文学賞を目指そう」で、講師としてわりに辛辣に指導する。
 余談だが、先月に50枚の中編で、上記・目黒学園の受講生で、文学賞を獲得した女性がいる。作品の狙いがはっきりしていたからだろう。

 多くの作者は、こんな悪い例から、作品を書きだす。
「これは受けるはずだ」
 と作者が思い込み、書きはじめる。
 しかし、テーマが決まっていない。しだいに話がまとまらず、収集がつかなくなる。あげくの果てには頓挫してしまう。
 あるいは登場人物が多すぎたり、話が飛んでしまったり、脱線したり、無駄なものまで書き込んでしまう。

 結果として、エピソードは興味深いけれど、いったい作者は作品を通して何を言いたかったのか、よく解らない。書き出すときには、作者の頭のなか(着想)は良品でも、作品にすれば、アイデア倒れの駄作になってしまう。

 叙述文学(エッセイ、小説)を目指す人は、徹底して、「テーマ研究」を行わなければ、少なからず、他人がお金を出して読みたくなる作品はかけない。職業人として物書きになるならば、常に「斬新なテーマ」を追い求める必要がある。

 そもそもテーマとは何か。それがわかっていないと、プロになる手前で、お払い箱になってしまう。それほど「テーマとはなにか」は、重要だ。


(悪い例)「この店舗は立地が良いが、従業員は不潔な身だしなみだ」(着想)

 勤め帰りの私は、駅前の惣菜屋に立ち寄った。餃子を買った。店員の白衣が汚れているから、手や指先までも汚く見える。他の客もきっと同じ気持ちだろう。こんな従業員はやめさせられないのかしら。……作文調であり、テーマは何か、読者にはわからない。

(悪い例)「知人の展覧会はよかった。エッセイに書こう」(着想)

 電話で友人を誘うと、当日はヒマだという。最寄駅で待ち合わせをしてから、展覧会の会場に入る。割に混んでいた。知人の風景画は素晴らしいと、友人とお茶しながら感動を共有した。……単に、絵画鑑賞の流れにすぎない。

 では、「テーマ」とはなにか。作者が言いたいことを、一言の文章で言い表せるものである。


【明確なテーマ】

「口論もない夫婦には愛がない」

「一途な想いほど、結婚後は失望へと変わる」

「老夫婦は過去の憎しみまでも流せる」

※ これらテーマが決まれば、それを最後の一行にテーマをおく。こうした流れで結末に向かって書いていけば、良い作品が生まれます。〈最大のポイントです〉


【実例】
 かれは帰路の道々、愛に燃えていた季節は二度とよみがえらないと思った。いまは惰性か、失望か。婚前に燃えすぎると、落差が大きいな、としみじみ思った。親の言いなりにいやいや結婚した人間のほうが、いまは家庭内で、親子ともども生活をエンジョイしていると思えて仕方ない。
 帰宅して玄関鍵をじぶんの手で開ける。この瞬間の空虚な気持ちはなんだろう。結婚後の甘い生活は過剰かたいだったのか。キッチンで水を飲み、寝室の戸を開けた。
 いつもながら、お帰りの一つもない。問いただせば、妻なりの言い分がある。もう、それも疲れてしまった。
 妻の寝顔を見ながら、「一途な想いほど、結婚後は失望へと変わる」と彼はつぶやいた。

 ラスト一行が成立するような、ストーリーを組み立てればよいのだ。必要枚数で、登場人物の数を決めていく。


頭のなかは名作、書けば駄作
 これは、テーマをしっかり抑えて書くだけの力量のない、素人筆者への格言である。