小説家

出久根達郎さんが『半分コ』で「芸術選奨」の文部科学大臣賞を受賞=再掲載

 文化庁が3月12日に、第65回芸術選奨の受賞者を発表した。直木賞作家・出久根達郎さんが『半分コ』で文部科学大臣賞を受賞されました。

 この「穂高健一ワールド」で紹介した、推薦図書『半分コ』を再掲載いたします。


【推薦図書】 Kindleサイズ「短編集 半分コ」=出久根達郎


 Kindleサイズの紙の単行本とは考えたものだ。持ち運びが良い。満員電車でも、簡単に読める。なにしろ流行の先端を行っている。
 液晶画面でなく、紙面で読める。あらたな読者層を広めるだろう。


 出久根達郎著「短編集・半分コ」が三月書房かせ出版された。定価は本体2300円である。

 Kindleサイズの出久根さんのアイデアか。それとも出版社か。後者ならば、編集か、営業か。そんな興味もわいてくる。ご本人に訊いてみたいが、想像にとめておこう。その方が楽しい。
 
 直木賞作家で、現代では第一人者の短編小説集だ。軽妙に手軽く読める。気にいった題名から読めばいいだろう。

 人生半ばを迎えた主人公たちが、ふと過ぎし日を想う時、その何気ない言葉やしぐさに心の内を垣間見る。……どこか懐かしく、そしてほろ苦い16の小さな物語。

 『掲載作品』
    半分コ
    饂飩命
    赤い容器
    母の手紙
    十年若い
    お手玉
    空襲花
    符牒
    紀元前の豆
    名前
    薬味のネギ
    校庭の土
    こわれる
    腕章
    桃箸
    カーディガン     

最大級で楽しめる・読売新聞掲載『人生案内』366編(下)=出久根達郎

 出久根達郎が答える366の悩み『人生案内』白水社(1400+税)。帯は【わかりあえない時代の教科書】は、投稿者の悩みを一つひとつ読み出したら、もう止まらなくなってしまう。いろいろな夫婦がいるものだな、としか言いようがない。


「息子・娘の悩み」「嫁・姑の悩み」となると、女どうしどうして家に入ると巧くいかないのかな。私の実母が昨年亡くなった。だから、この項目の悩みから解放された。そんな安堵をおぼえながら、ページをめくる。


「兄弟・姉妹の悩み」、「祖父・祖母の悩み」は投降者が4編で、みな20代だった。幼い頃かわいがった孫も、年頃になると、敵になるのだな。


「親戚づきあいの悩み」「進学・就職活動の悩み」「友人関係の悩み「家の悩み」「お金の悩み」「職場の悩み」と、このジャンルは尽きない。なかには深刻な社会問題もある。


「恋愛の悩み」 ≪半世紀ぶりに恋人と再会≫ここらはのぞき趣味で読みたくなってしまう。 ≪彼とずっと不倫したい≫30代女性となると、これも読みたい一つ。


「病気・死の悩み」「介護の悩み」「冠婚葬祭の悩み」 ≪親類からのお返し安すぎる≫ ≪娘の結婚式で別れの歌≫帰宅後、娘の結婚式を壊して恥ずかしくないの、と妻に言われました。その後、夫婦仲は悪化し、やがて離婚する遠因になったのです。


 
 読売新聞『人生案内』2003年1月~2014年12月までの掲載分から、出久根さんが366編を選んだものだ。
 この範囲内で見る限り、私の妻の質問はなさそうだ。


 安堵や油断は禁物だ。世の女性はとかく過去のことをよく覚えている。不愉快だったこと、憤り、反発まで、まるで昨日起きた出来事のように不意にしゃべりだす。
 だから、妻がいつ読売新聞に投函されるかわからない。

 悩みの深刻さは、他人には計りにくい。 ≪妻の骨を掘り起こし、骨を踏みつけて、ごみにして捨てる≫死んだ妻の日記を見て、怒る夫の内容があった。
 こんな深刻な内容にはおどろかされるが、出久根さんは丹念に読んで、誠実に回答する。大変だろうな。


 いろいろ紹介したいけれど、驚き、愉快、深刻な問題などきりがないし、著作権に引っかかるだろうから、ここらで止めておこう。
 読者が同書を手にして、直木賞作家・出久根さんの回答と照らし合わせば、己の人生の考え方、とらえ方の違いもわかるだろう。

                              【了】

最大級で楽しめる・読売新聞掲載『人生案内』366編(上)=出久根達郎

 私は家事となると、無精者で「炊事、洗濯、掃除」はいっさいやらない。出来るかできないか、それを試す以前に、やろうとしない。妻が一日外出の時は、食卓のうえに、2-3食の料理メニューが書かれている。
 そのうえ『冷蔵庫から出して温めて食べて』『鍋のものを温めて』『電気ポットは使ったら、コンセントはかならず抜いて』などと添え書きしている。

 冷蔵庫のドアを開けてのぞき見るのが面倒だから、近くの商店街に出かける。安くておいしい牛丼、天丼、中華料理、ラーメンなど好みのものを食べる。ともかくキッチンの前に立たないですむから楽だ。


 私が食べないとわかっていても、妻は作る。数十年間も続いてきた。結局はその翌日に食べることになるのだが……。


 夫婦だから、些細なことから口論に発展する。「せっかく作ったのに、どうして冷蔵庫のものを食べないのよ」、「家事は何ひとつ手伝ってくれない」。妻に感謝の気持ちがあっても、一言、ありがとう、と口からすんなり出てこない。以心伝心で解っているだろう、と思いがち。
 これが日本人の夫の特徴の一つだろう。そう認識しているが、私だけかもしれない。


 妻は、顔見知りの出久根さんが回答する『人生案内』をよく読んでいる。口論した後の背中をみると、「あなたも、読売新聞に投稿してあげるからね」と言いたげだ。

 このたび、出久根達郎が答える366の悩み『人生案内』が出版された。白水社(1400+税)。帯は【わかりあえない時代の教科書】である。回答者歴14年・直木賞作家が大人の心得まで伝授!とある。
 投降者は中学1年生から92歳まで、あらゆる悩みに答えます、と明記されている。

 
 私は出久根達郎著『人生案内』を手にすると、まず妻が投降したか否か、妙に気になった。
「まさか、そこまでしないだろう」
 と思いながらも、該当しそうな質問を追う自分を知った。


「自分自身の悩み」「両親の悩み」「夫婦間の悩み」、もし投稿したとなれば、ここらだろうな。質問内容をみる 

≪夫が女性と頻繁にドライブ≫夫は他人にやさしく八方美人ですが、逆に私には激しく当たります。
≪女性とのメール妻に見られた≫社内の女性とのメールを家に忘れて、妻に見られたのが発端です。子供が成人したら離婚だといわれています。
≪妻と会話のない日々≫今の状況は不愉快です。早く、もとのやさしく明るい妻に戻ってほしいのですが。


 ここらは該当しない。さらにページをめくってみる。
                                 【つづき】

第86回・元気に100エッセイ教室=書き出し、結末、勇気について

『なにをどう書いても良い』
 そう語る指導者がいる。その実、自由気ままに書けるものなら書いてみろ、という奢りが根底にある。

『話すように書きなさい』
 ベラベラ喋るように書かれたら、読み手はたまったものではない。お付き合いで負担を感じながら読んで、結末で下手な演説を聞かされた気分になり、作品自体に失望してしまう。


 おなじ素材でも、名文もあれば、駄文もある。

 小中学生のとき、我流で作文を書いた。
『書き出しで、読者に逃げられるな。結末では失望させるな』
 この基本が教師から教えてもらっていない。それなのに、エッセイや短文が書けると、世の多くは錯覚している。

 創作技法が身についていなければ、連続して良品は書けない。次が期待されても、我流で書いて失望させてしまう。


 エッセイを学ぶ。つきつめると、「書き出し」と「結末」の達者な技法の習得と、「勇気」である。
 人間は誰しも恥をかいている。失敗もしている。罪悪もある。それを本音で赤裸々に描く精神がなければ、感動作品をかく技量は身につかない。

 読者は利巧だから、小手先の嘘やつくり話は文脈で見破られる。


【読者を引きこむ書き出し】

 ① 動きのある描写シーンから書く(映画を見るように)

 ② 最初の一行で、次が知りたくなる。二行目で、さらに次が知りたくなる

 ③ 思わずエッセイ空間に引き込まれていく。(同じ体験の境地にさせる)

 ④ 私の履歴、家族の説明、初めから結末がわかる(退屈感を与えてしまう)


【巧い結末のつけ方】
 ① 最後まで、糸がぴんと張っている。

 ② 続きがあるように、後方は思い切って切り捨ててしまう。

 ③ 言いたいことは書き切らず、腹八分目で留める。

 ④ 形を整えて締め括ると、「作品よ、さようなら」読後感がない印象を与える。

【講演・案内】 朝日カルチャー・千葉で公開講座。3月7日13:00~

 朝日カルチャー千葉で、3/7(土)13:00~15:00、公開講座を行います。タイトルは『幕末歴史小説「二十歳の炎」の講演』です。(有料・関連情報を参照)

 2月1日に、葛飾鎌倉図書館で、講演した内容の概略が葛飾ケーブルテレビ(YouTube)で、紹介されています。
 過去3回の同講演では、ほとんどの参加者が「目からうろこ」と称しています。

 天明・天保 ~ 安政の開国 ~ 幕末 その歴史的な流れが、教科書で習ったことがない、新しい視点としっかりした体系で理解できます。


 ナポレオンが19世紀にオランダを占領した時、『オランダ国』が消えてしまった。これは歴史的事実である。日本はどこか欧米との窓口を必要とし、オランダの代わりに、長崎でアメリカと貿易をはじめた。だから、当時の浮世絵、三味線、草履、下駄、扇子などが米国博物館に豊富にある。

 日本はこのとき日英辞典ができた。ペリーが来航した時には、英語の通詞(通訳)はたくさんいた。だから、黒船来航からわずか1年後でも、英文による条約調印が可能だった。

 なぜ、教科書で教えてくれなかったのだろうか。


 文明開化は鎖国から解き放たれた、安政の開国からである。「明治維新」とは嘘の表現である。「安政維新」が正しい。
 蒸気機関車は幕府が発注し、新橋=桜木町で開通したのは明治だった。こうした実例を知ろう。


  禁門の変で、朝敵になった長州藩は、倒幕に殆どかかわっていない。第二次長州征伐で、現・山口県から幕府軍を追い出したにすぎない。
 「薩長同盟」なんて、その実、後世の作家の造りごとにすぎないものだった。


 江戸幕府は260余年戦争しなかったのに、明治時代になると、10年に1度は戦争する国家になった。明治政府がいかに嘘の歴史をおしえて、国民を軍国主義へと導いたか。


「歴史の真実は、やっぱり隠されていたんだな」
 だれもが、新たな価値観が得られます。


【関連情報】

① 朝日カルチャー千葉で、3/7(土)13:00~15:00の講演案内。詳細のチラシはこちらをクリックしてください。


② 葛飾鎌倉図書館で、講演した内容の概略が葛飾ケーブルテレビで紹介されています。YouTube

『幕末歴史小説を語る』(下)=葛飾鎌倉図書館で、講演

 明治時代から77年も軍事政権がつづいた。が、昭和20(1945)8月15日の無条件降伏で終焉(しゅうえん)した。その実、昭和天皇の決断で、軍事国家は終了した。


 もし、昭和天皇が断を下さなければ、「日本人・全員の玉砕(自決)」と声高に叫んでいた軍部に引っ張られただろう。米軍の空爆で廃墟になった日本領土。そこに欧米連合軍が日本列島に上陸し激しい戦いを展開していただろう。狂気の戦場となり、双方の犠牲者数は想像がつかない。


 薩長の下級藩士が明治初年に権力欲で天皇を利用した軍事政権を作りながら、最後は尻拭(しりぬぐ)いができず、天皇にすがって終焉した。この事実はだれもが消すことはできない。


 こんな悲惨な77年に誰がした。私はあえてなんども叫ぶ。『薩長の下級藩士が英雄気取りで軍事国家をつくったからだ』と諸悪(しょあく)の根源(こんげん)をそこにおく。


 1600年の徳川政権樹立から、2015年までの約400年余のスパンでみれば、許されない77年だ。もう維新志士だと、かれらを英雄扱いにするのは、作家も市民も止めようではないか。そんな気持で、講演で語らせてもらった。

 400年中の77年の戦争国家は異常である。怪しげな「明治維新」という言葉をもういちど疑ってみよう。江戸時代の長期の鎖国後の、開国から西洋文化が導入されて、政治・経済・文化が根底からすっかり変わった。
 『安政維新』が最も正しい表記である。


 当時の文部官僚が作った「明治維新」は、やがて修正されて歴史から消されていくだろう。


 私たちはなぜ歴史を学ぶか。日本人が歩んできた過去を正しく知り、将来の指針にしていく必要があるからだ。

 415年のスパン(歴史の範囲)で見れば、日本人は338年間も、戦争のない国を支えてきた。災害列島でも、日本人は助け合って平和に生きてきた。世界を見渡しても、77年を除けば、戦いを好まぬ稀有な民族だ。
 戦後70年は戦場で一兵も死んでいない事実を大切にしながら、この先も、平和国家を一年ずつ更新し、未来に向けてさらに伸ばしていく。

「それが歴史から学ぶことです」
 と私は心から語った。
                                             
                        写真:滝アヤ
                                               【了】

関連情報:幕末歴史小説『二十歳の炎』


 今回の講演は写真撮影、ICレコーダーの録音、さらにテープ起こしは自由にしました。つきましては、 【転載は自由です】ただし、商用目的や非反社会目的、及び誹謗、中傷などは禁止いたします。


     
                       

                  【了】

  

『幕末歴史小説を語る』(中)=葛飾鎌倉図書館で、講演

 葛飾区立鎌倉図書館で、『幕末歴史小説をかたる』の講演で、とくに明治政府の欺瞞(ぎまん)に焦点を当てた。薩長土肥。「肥ってなあに?」。多くが知らない。肥前(佐賀)が文部官僚を占めた。かれらは歴史のねつ造が得意だった。

 明治維新。こんな言葉こそは欺瞞の造語だ。正確には、「明治軍事政府の樹立」なのだ。


 大政奉還で平和裏に京都に明治新政府ができた。ところが、薩長の下級藩士たちが、鳥羽伏見の戦いを機に軍事クーデターが起こし、遷都(せんと)もなく、明治天皇を東京に移したのだ。

 戦後の東南アジアでもよく見られた、民主政権ができると、すぐさま軍事クーデターが起きる。それとまったく同じ構図である。


 日本は天皇制である。古代から、天皇がお住まいになる京都・皇居に兵を挙げ、そして天皇に承認してもらえば征夷大将軍、あるいは国家の頂点に立つと考えてきた。平家、源氏、足利、織田信長、今川、上杉謙信、武田信玄、誰もが天皇のいる京都へと兵を挙げた。

 織田信長の天下統一も、天皇が認めたからで、蝦夷(えぞ)から薩摩まで、武力制圧したわけではない。簡略に言えば、「天皇を掌中にした方が勝利者である」という認識だ。それが天下統一だ。

 自民党の党首が選挙で勝てば、天皇の承認が得られる。現代にも通じる、皇国の国家なのだ。


 戊辰戦争後、明治天皇が東京移されると、天皇のいない京都の明治新政府はもぬけの空になった。それは脱皮したセミの殻(から)と同じだった。

 薩長の下級藩士たちは、天皇を東京に移したあと、次に何をやったのか。天皇を利用した軍事国家づくりだ。若き10代の明治天皇もきっと本意でなかったはずだ。むしろ、楯(たて)つけなかったと見なすべきだろう。

 明治軍事政権の施策の一つが、廃藩置県である。これは徳川家が天皇に政権をもどした大政奉還とおなじ。戦国時代に武勲(ぶくん)をたてた大名が藩主になり、そのまま268年も利益を得るのはおかしい。全国諸藩の藩主たちも、天皇に権力をもどすべきだという考えだ。


 幕末に、広島藩の辻将曹(つじ しょうそう)が各藩に呼びかけた。それが実行されたものだ。その詳細は拙著の幕末歴史小説『二十歳の炎』に展開している。


 次なるは、廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)だった。それは仏教徒とキリスト教徒の弾圧だった。山伏の活動も禁止したうえで、山岳の山頂には鳥居や社(やしろ)を作った。仏教徒から奪ったのだ。そのうえで、天皇を神とした。


 さらなるは徴兵制(ちょうへいせい)だった。これは最悪である。国民はだれかれなく召集令状(しょうしゅうれいじょう)1枚で、武器を持たされた。文部官僚は学校教育の教科書を通じて、幼い軍国少年をつくりあげた。これは紛(まぎ)れもない歴史的な事実だ。

 そして、海外の戦場や南方の島々へ送り出された。若者たちの意志に関係なく、『天皇のために死ぬのが、国家に対する忠義だ』と玉砕(ぎょくさい・全員の死)させられた者も多い。
 
 東郷元帥や山元五十六になった気分で戦争をみれば、英雄史観になってしまう。私たちは戦局など見れる高所の立場にはなれないのだから。つねに二等兵、一等兵の眼で、戦いの場を見ないといけないのだ。


 師範学校、高等師範学校出の教員たちが、子どものたちを職業軍人の美化へと洗脳(せんのう)した。軍国主義の教育の怖さだ。

 軍人はつねに勝った負けた、それが主眼になる。結果として昭和20(1945)年まで、数百万人の日本兵が海外で死んだ。むろん、9割以上が一般市民だ。外国人はそれ以上に犠牲になった。

 こんな国家は良いはずがない。
            

  写真:郡山利行  

                                【つづく】

『幕末歴史小説を語る』(上)=葛飾鎌倉図書館で、講演

 26年度かつしか区民講座の「区民記者養成講座」の受講生に、葛飾鎌倉図書館勤務の方が参加されていた。幕末歴史小説「二十歳の炎」が出版されたので、「講演をしましょうか」と持ちかけて話がはずんだ。
 ことし(2015年)2月1日(日曜)の午後2時から2時間にわたり、表題『幕末歴史小説を語る』の講演を行った。
 80席が開演前には満員になっていた。

 德川政権には三つの大きな節目がある。

① 天明の大飢饉(だいききん)による、大坂、江戸の打ち壊しで、無政府状態になった。德川政権は天皇から政治を委託(いたく)されている、という皇国思想が生まれた。

 講演では、『尊皇(そんのう)と攘夷(じょうい)とは、まったく別ものですよ』と知らしめた。歴史作家でも、尊王攘夷はひとつものだと考えている。これは歴史認識が間違っているからだ。

 尊皇とは天皇を敬(うやま)うことだ。攘夷は外国排除の戦争思想だ。これを合体させると、天皇が戦争好きに思わせる、危険な思想なのだ。


② 鎖国から開国へと、世の中が変わり、ここから文明が大きく飛躍した。『安政維新』が正しい。


③ 幕末の経済危機「ええじゃないか」運動が京・大坂から広がり、15代将軍慶喜は外交に強いが内政に弱く、コントロールできなくなり、政権を天皇にもどした。
 その大政奉還から、明治新政府ができた。


 京都に明治新政府ができた。しかし、薩長の下級武士が軍事クーデターを起こした。鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、そして天皇を遷都(せんと)もなく東京に移し、明治軍事政権をつくった。

 京都の明治新政府と、東京の明治軍事政権とは別ものである。かれらは広島・長崎の原爆投下まで77年間、10年に一度は海外と戦争をする国家にした軍人支配だった。


 軍事国家をつくった明治政府は、見せかけの正当化を図(はか)るために、偽りの表記をしている。最たるものは「明治維新」という言葉である。


 維新とは新しく世が変わることである。250年からの鎖国から、老中首座・阿部正弘は開国への道を選んだ。維新はここから始まる。

 海外留学生を送りだす。横須賀に製鉄所、長崎に大型船建造の造船所ができる。大量の蒸気船を発注する。パリ万博では日本文化の良さと美しさを欧米諸国に伝える。白い肌の技師が日本国内に沢山やってきた。
 庶民の畳の生活には、机やテーブルが入ってくる。

 これこそが庶民レベルの生活様式まで変えた文明開化であり、日本が新しくなった「安政維新」である。15年間は上向きにつづいた。

 明治時代は、それを15年後から引き継いだだけである。単純に考えても、「明治維新」でなく、「安政維新」が正しい。


 明治政権を樹立した政治家は、もともと外国排除の攘夷だった。「維新」とか「文明開化」のスタートを使うとは、まるきし虚偽である。
 軍事思想の顔を隠し、政権が文化・進歩的だとオブラートするためのものだった。蒸気機関車にしろ、德川時代に発注されて、新橋・桜木町間の開通が明治時代なのだ。


                  写真:郡山利行

                                 【つづく】


 今回の講演は写真撮影、ICレコーダーの録音、さらにテープ起こしは自由にしました。つきましては、 【転載は自由です】 ただし、商用目的や非反社会目的、及び誹謗、中傷などは禁止いたします。
  

第85回 元気に100エッセイ教室 = 筋立て(プロット)

 エッセイや短編小説を書き慣れてくると、筋立てに一定の原理が見えてくる。
 素材・材料の処理が巧くなってくる。身近な小さな出来事でも、「赤の他人の読者でも一気に読ませる」という筋立てになってくる。

 作品を書き慣れていない(初期の)人は、着想(思いつき)は良かったが、書き出してみると、筆が途中で思うように進まず、悩んだり、投げ出したりする。
『頭のなかは名作だが、書けば駄作』
 見取り図通りに書けないものだ。

『着想から結末』

① 創作のコツは、まず素材を頭のなかでしっかり濾過し、熟成させる。そして、テーマを決めていく。
 テーマが決まると、それを作中のどこに置くか、思慮する。書き出しか。後半のクライマックスか。結末の数行のなかに置くか。
 そこへ「読者を導いていく」のが、よい筋立てである。

 テーマが不鮮明だと、ムダの多い文章で、筋立てや運びが悪くなる。


②冒頭では、ゆっくりと人物や出来事の一端を紹介する。
 筋や構成が整う。あまり緩慢過ぎない。
 次は筋を掘り下げながら、スピードを速めていく。流れが速すぎると、表現が荒く、軽薄になる。ひどい場合は箇条書きになってしまう。
 書き慣れてくると、ここらが緻密に計算できてくる。

 後半はこれまで伝えてきたものを収集しながら、結末に向かって急速になる。


③能の喩から「序破急(じょはきゅう)」とも呼ばれている。
 冒頭で速く舞いすぎると、観能の気分を壊す。破は表現(エピソード)が細かく砕かれて、緻密になってくる。
 最後の急は、スピードを高め、筋を集めて結末とする。

 エッセイは自分の体験と経験を書くだけに、とかく独りよがりになりやすい。それを解消するには、作者と主人公「私」との間に距離感を持つことだ。
 そして、読者の心を引っ張りながら、自分とおなじ疑似体験させる。

 良い筋立てとは、読み手の心理を計算しながら書くことである。

【推薦図書】 本と暮らせば = 出久根達郎 (直木賞作家)

 2015年の元旦は、単行本を1冊、最初から最後まで一気に読もうと心していた。なにしろ、遅読だから、そう決意して、除夜の鐘の後からでないと、一日で読み切れない。
 手にしたのが、出久根達郎著「本と暮らせば」(草思社・1600+税)である。「本との出逢いが、人生だ」という帯が気に入っていたからだ。

 出久根さんは古書店主にして、直木賞作家である。「平たく、わかり易く、それでいて濃密」が特徴だ。エッセイの場合、どこから読むか。サブタイトルから、拾い読みしても、まったく問題ない。むしろ、その方が読み手の負担がない。楽しんで読める。


 サブタイトル「職業当て」で、出久根さんは『最も楽しい読書、というのは、私の場合、蒲団に腹這って好きな本を読むことである』と記している。

 私は時間が経つほどに手と腰が痛くなるし、これはやらない。もし、私がそれが出来て、早々と寝てしまったら、それは書き手の出久根さんの問題だ。
 そんな余計なことも考えながら、読み進む。面白い小説ならば、読みだしたら止められない。だけど、エッセイはどこでも止められるのが特徴だ。時には一気に読んでしまっては勿体ない気持ちにもなる。

 「下街と下町」で、私の名前が出てきた。えっ、と驚き、目が一段と冴えてきた。吉岡さん、轡田さん、新津さん、吉澤さん、と並んでくれば、あの日のあの情景か、とすぐさまわかった。

 私の名前が出ているから、推薦図書にする、どうも心の中がややこしくなったな。実は、元旦はここで打ち切った。中おいて、3日に読むことにした。


 第2部で、『ちょんまげ』があった。きっと新宿で上演された、夏目漱石のあの劇だろうな、と閃いた。まさしくズバリだった。楽しい劇だった。
 出久根さんは、夏目漱石の書物、関連事項の知識では抜群だ。完全消化(昇華)されている。漱石のエピソードなどは、漱石先生の作品を読まずして、知識が身に着いた気分にさせられるから、出久根さんは不思議な作家だ。

 75編のエッセイが次々に魅了してくれる。小説家、文学者の名まえが数多く出てくる。それは当然だ。「本と暮らせば」がタイトルだから。

 おなじくり返しになるが、同書の読み方の秘伝があるとすれば、パラパラっとめくって、自分の好きな作家が目につくと、そこは精読する。たとえば、2日間ほど空腹で、目の前におにぎりが差し出されたように、美味しく味わえる。

「源氏物語」の活字が眼に入れば、パスする人はいるだろう。その実、私はそうだった。「最初から最後まで一気に読もう」と決めておきながら、スルーだ。それは出久根さんのせいではない。

 
 私事だが、2月1日、葛飾鎌倉図書館で講演を予定している。80人くらい収容できるらしい。現地打ち合わせて、1月11日に出むく。
 同担当者から、「穂高さんの推薦する作家を教えてください」と言われている。講演当日に、会場の一角にならべ置いてくれるという。
 恩師の伊藤桂一氏と、出久根達郎さんは頭においている。共通するのは、ともに作品に深みがあり、読みやすい作家だ。読者を裏切らない。