小説家

『幕末歴史小説を語る』(上)=葛飾鎌倉図書館で、講演

 26年度かつしか区民講座の「区民記者養成講座」の受講生に、葛飾鎌倉図書館勤務の方が参加されていた。幕末歴史小説「二十歳の炎」が出版されたので、「講演をしましょうか」と持ちかけて話がはずんだ。
 ことし(2015年)2月1日(日曜)の午後2時から2時間にわたり、表題『幕末歴史小説を語る』の講演を行った。
 80席が開演前には満員になっていた。

 德川政権には三つの大きな節目がある。

① 天明の大飢饉(だいききん)による、大坂、江戸の打ち壊しで、無政府状態になった。德川政権は天皇から政治を委託(いたく)されている、という皇国思想が生まれた。

 講演では、『尊皇(そんのう)と攘夷(じょうい)とは、まったく別ものですよ』と知らしめた。歴史作家でも、尊王攘夷はひとつものだと考えている。これは歴史認識が間違っているからだ。

 尊皇とは天皇を敬(うやま)うことだ。攘夷は外国排除の戦争思想だ。これを合体させると、天皇が戦争好きに思わせる、危険な思想なのだ。


② 鎖国から開国へと、世の中が変わり、ここから文明が大きく飛躍した。『安政維新』が正しい。


③ 幕末の経済危機「ええじゃないか」運動が京・大坂から広がり、15代将軍慶喜は外交に強いが内政に弱く、コントロールできなくなり、政権を天皇にもどした。
 その大政奉還から、明治新政府ができた。


 京都に明治新政府ができた。しかし、薩長の下級武士が軍事クーデターを起こした。鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、そして天皇を遷都(せんと)もなく東京に移し、明治軍事政権をつくった。

 京都の明治新政府と、東京の明治軍事政権とは別ものである。かれらは広島・長崎の原爆投下まで77年間、10年に一度は海外と戦争をする国家にした軍人支配だった。


 軍事国家をつくった明治政府は、見せかけの正当化を図(はか)るために、偽りの表記をしている。最たるものは「明治維新」という言葉である。


 維新とは新しく世が変わることである。250年からの鎖国から、老中首座・阿部正弘は開国への道を選んだ。維新はここから始まる。

 海外留学生を送りだす。横須賀に製鉄所、長崎に大型船建造の造船所ができる。大量の蒸気船を発注する。パリ万博では日本文化の良さと美しさを欧米諸国に伝える。白い肌の技師が日本国内に沢山やってきた。
 庶民の畳の生活には、机やテーブルが入ってくる。

 これこそが庶民レベルの生活様式まで変えた文明開化であり、日本が新しくなった「安政維新」である。15年間は上向きにつづいた。

 明治時代は、それを15年後から引き継いだだけである。単純に考えても、「明治維新」でなく、「安政維新」が正しい。


 明治政権を樹立した政治家は、もともと外国排除の攘夷だった。「維新」とか「文明開化」のスタートを使うとは、まるきし虚偽である。
 軍事思想の顔を隠し、政権が文化・進歩的だとオブラートするためのものだった。蒸気機関車にしろ、德川時代に発注されて、新橋・桜木町間の開通が明治時代なのだ。


                  写真:郡山利行

                                 【つづく】


 今回の講演は写真撮影、ICレコーダーの録音、さらにテープ起こしは自由にしました。つきましては、 【転載は自由です】 ただし、商用目的や非反社会目的、及び誹謗、中傷などは禁止いたします。
  

第85回 元気に100エッセイ教室 = 筋立て(プロット)

 エッセイや短編小説を書き慣れてくると、筋立てに一定の原理が見えてくる。
 素材・材料の処理が巧くなってくる。身近な小さな出来事でも、「赤の他人の読者でも一気に読ませる」という筋立てになってくる。

 作品を書き慣れていない(初期の)人は、着想(思いつき)は良かったが、書き出してみると、筆が途中で思うように進まず、悩んだり、投げ出したりする。
『頭のなかは名作だが、書けば駄作』
 見取り図通りに書けないものだ。

『着想から結末』

① 創作のコツは、まず素材を頭のなかでしっかり濾過し、熟成させる。そして、テーマを決めていく。
 テーマが決まると、それを作中のどこに置くか、思慮する。書き出しか。後半のクライマックスか。結末の数行のなかに置くか。
 そこへ「読者を導いていく」のが、よい筋立てである。

 テーマが不鮮明だと、ムダの多い文章で、筋立てや運びが悪くなる。


②冒頭では、ゆっくりと人物や出来事の一端を紹介する。
 筋や構成が整う。あまり緩慢過ぎない。
 次は筋を掘り下げながら、スピードを速めていく。流れが速すぎると、表現が荒く、軽薄になる。ひどい場合は箇条書きになってしまう。
 書き慣れてくると、ここらが緻密に計算できてくる。

 後半はこれまで伝えてきたものを収集しながら、結末に向かって急速になる。


③能の喩から「序破急(じょはきゅう)」とも呼ばれている。
 冒頭で速く舞いすぎると、観能の気分を壊す。破は表現(エピソード)が細かく砕かれて、緻密になってくる。
 最後の急は、スピードを高め、筋を集めて結末とする。

 エッセイは自分の体験と経験を書くだけに、とかく独りよがりになりやすい。それを解消するには、作者と主人公「私」との間に距離感を持つことだ。
 そして、読者の心を引っ張りながら、自分とおなじ疑似体験させる。

 良い筋立てとは、読み手の心理を計算しながら書くことである。

【推薦図書】 本と暮らせば = 出久根達郎 (直木賞作家)

 2015年の元旦は、単行本を1冊、最初から最後まで一気に読もうと心していた。なにしろ、遅読だから、そう決意して、除夜の鐘の後からでないと、一日で読み切れない。
 手にしたのが、出久根達郎著「本と暮らせば」(草思社・1600+税)である。「本との出逢いが、人生だ」という帯が気に入っていたからだ。

 出久根さんは古書店主にして、直木賞作家である。「平たく、わかり易く、それでいて濃密」が特徴だ。エッセイの場合、どこから読むか。サブタイトルから、拾い読みしても、まったく問題ない。むしろ、その方が読み手の負担がない。楽しんで読める。


 サブタイトル「職業当て」で、出久根さんは『最も楽しい読書、というのは、私の場合、蒲団に腹這って好きな本を読むことである』と記している。

 私は時間が経つほどに手と腰が痛くなるし、これはやらない。もし、私がそれが出来て、早々と寝てしまったら、それは書き手の出久根さんの問題だ。
 そんな余計なことも考えながら、読み進む。面白い小説ならば、読みだしたら止められない。だけど、エッセイはどこでも止められるのが特徴だ。時には一気に読んでしまっては勿体ない気持ちにもなる。

 「下街と下町」で、私の名前が出てきた。えっ、と驚き、目が一段と冴えてきた。吉岡さん、轡田さん、新津さん、吉澤さん、と並んでくれば、あの日のあの情景か、とすぐさまわかった。

 私の名前が出ているから、推薦図書にする、どうも心の中がややこしくなったな。実は、元旦はここで打ち切った。中おいて、3日に読むことにした。


 第2部で、『ちょんまげ』があった。きっと新宿で上演された、夏目漱石のあの劇だろうな、と閃いた。まさしくズバリだった。楽しい劇だった。
 出久根さんは、夏目漱石の書物、関連事項の知識では抜群だ。完全消化(昇華)されている。漱石のエピソードなどは、漱石先生の作品を読まずして、知識が身に着いた気分にさせられるから、出久根さんは不思議な作家だ。

 75編のエッセイが次々に魅了してくれる。小説家、文学者の名まえが数多く出てくる。それは当然だ。「本と暮らせば」がタイトルだから。

 おなじくり返しになるが、同書の読み方の秘伝があるとすれば、パラパラっとめくって、自分の好きな作家が目につくと、そこは精読する。たとえば、2日間ほど空腹で、目の前におにぎりが差し出されたように、美味しく味わえる。

「源氏物語」の活字が眼に入れば、パスする人はいるだろう。その実、私はそうだった。「最初から最後まで一気に読もう」と決めておきながら、スルーだ。それは出久根さんのせいではない。

 
 私事だが、2月1日、葛飾鎌倉図書館で講演を予定している。80人くらい収容できるらしい。現地打ち合わせて、1月11日に出むく。
 同担当者から、「穂高さんの推薦する作家を教えてください」と言われている。講演当日に、会場の一角にならべ置いてくれるという。
 恩師の伊藤桂一氏と、出久根達郎さんは頭においている。共通するのは、ともに作品に深みがあり、読みやすい作家だ。読者を裏切らない。 
 
 

第84回 元気に100エッセイ教室 = 段落:改行の分け方

 エッセイ作品は小さな出来事ごとに段落を付けながら、組み立て、全体を構成していきます。

 文章は改行ごとに、一つのブロック(パラグラフ)、一つの意味合い、新たな話題(出来事の小単位)でくくるのが理想です。それは気分や思いつきでなく、計算づくで段落をつけていくと、作品が際立ってよくなります。

① 作者の呼吸にもよりますが、センテンスは3~5個くらいがちょうど手頃です。(センテンスの文字数の理想は42字平均として)。
 読みやすさにもつながります。


② 話題の料処理においても、200字以内でまとめた方が切れ味は良くなります。
 一つブロック内にセンテンスが多いと、内容が捉えにくくなります。


③ 視覚的な長短の工夫も必要です。
 一つセンテンスごとに改行すると、詩的な雰囲気になり、叙述文としては文章や視点が荒っぽく見えてきます。読み手の感じ方、捉え方が散漫になってきます。


④ 一つ出来事でも、延々と文章がつづいて改行が無ければ、「べた書き」と言い、圧迫感から読みづらく、苦痛になります。


⑤ つねに作品の流れによる緩急とリズムで、ブロックの長短をつけていくと、変化と勢いが出てきます。作者の文体づくりにも役立ちます。


          【ポイントとコツ】

① 初稿が書きあがった後、全体を通すよりも、まず段落ごとに統一感から加筆と削除をしていくと、焦点がハッキリします。


② 書き出しから次の段落まで、さりげなく疑問形(あるいは自問など)の文章を入れておくと、作品の求心力がつきます。そして、全体を見直す。


③ テーマの統一感からも手を入れていく。時にはブロックごと捨ててしまう。内容が引き締まります。


④ 結末の段落は1~3センテンスで止めると、読後感が良くなります。

第13回 歴史散策 築地・月島・佃島

 もう3年半になるだろうか。第1回が、真夏の立石散策と飲み会だった。集まったのが、作家仲間で歴史好きなメンバーだった。「次回もどこかへ行こう」

 そんな気楽な集まりだった。これまでどこに行ったのか。ミステリー作家の新津きよみさんが、手帳に克明に書きとめてくれている。1人が記載すれば、まあ、過去の流れは解ることだし、ここで述べる必要はない。
 こんかいの集合場所は11月13日午後1時で、メトロ・日比谷線の築地駅だった。出口1番の改札を出て、階段を上がると、
「いま、遅刻魔の穂高さんがこんかいも遅れたら、置いて行こうね、と相談していたところよ」
 歴史作家の山名さんが開口一番に言った。
「そんな予感がしたよ」
 こればかりは病気かな。出かけ間際にあれこれやりすぎるのだ。そんな言い訳もせずに済んだ。なぜか。早め着きすぎたジャーナリスト兼作家の相澤さんが、昼食を取りに行って、まだ帰っていなかったからだ。私の3分遅れは救われた。こんなことで安堵をしてはいけないのだが。

 散策のコーディネートは、文芸評論家の清原さん、歴史作家の山名さんである。まず築地本願寺に出むく。外観はどこかカトリック建築を思わせる重厚感に満ちている。
 親鸞聖人の生誕を祀る大きな法要の最中だった。寺院の厳かな内部では、ミサならぬ釈迦の歌がコーラスで歌われていた。
「写真撮影は、大丈夫ですよ」
 新品の袈裟をきた僧侶が、愛想よく応えてくれた。
 このメンバーでかつてロシア正教の教会に出むいた。バッグは背負うな、帽子はダメ、そのうえ撮影禁止だった。つい、それに比べてしまう。
(日本の仏教は開けているな)
 日本ペンクラブは表現の自由をうたう団体だ。
 写真による伝達、歴史的な記録には映像が不可欠だと考える。やたら個人の肖像権を振りまわす風潮は困りものだと思う。集団のなかに、己の顔が大きく写っていたにせよ、それによる不都合な面が、どのくらい生じるだろうか。一兆分の1の不都合など生じないはずだ。
 最近では、メディアの報道の自由よりも、優先すると考えている輩が多い。大半は自意識過剰だ。
「あんたは写したくなかった、どいてほしかった」
 そんな嫌味の一つも言いたくなる。

 ともかく、仏教徒の開けた撮影許可には感動した。信仰の自由だな、とも思う。

 築地場外市場の狭い路地の買物風景を観てから、「かちどき橋の資料館」に出むいた。実物の電動モーター、太いロープの断片などが展示されていた。無料で、社会科勉強ができる。

「橋が開いてるのを見たひとはいるのかな」
 日本ペンクラブ事務局長の吉澤さんが、訊いていた。東京に生まれ育った人は、小学校の遠足できたようだ。(写真は勝鬨橋の中央部)

 東陽院の十辺舎一九の墓は、時間の都合からカットだった。山名さんは朝日カルチャーの公募・歴史作ツアーで、数日前に歩いたコースだと語る。
 トリトンブリッジ・トリトンスクェアの桜並木の散策道は、みな急ぎ足だ。なにしろ東京海洋大学・明治丸(船内見学)の受付時間が2時半だ。それに遅れたくない。本日のメイン中のメインだから。

 同大学が遠方に見えてきた。ごく自然に小走りになった。
 しかし、残念なことに、明治天皇が乗った明治丸は、大掛かりな改修工事の最中で、見学はさせていなかった。船体の外観はすべて保護シートに包まれていた。
 7人は失望した。

「せっかくここまで来たんだから。説明だけでも聞きたい」
 作家の好奇心は廃(す)れない。工事を請け負う大手建築会社の現場主任に掛け合った。作家7人はヘルメットを持っていないので、現場のそとで、明治丸の精密な設計図をもとに説明を受けた。
 天皇の乗られた場所を問うと、推測ですけど、と前置きしてから、船尾のキャビンが示された。
 

 大学港内は誰しもが、青春をほうふつさせる。黄葉の並木道、赤レンガの建物、われら世代には懐かしい想いがみなぎる構内を散策した。
 大学構内のレストランは閉まっていたが、ウィンドーをのぞき見て、「安い、安いな」と相澤さんがとても感動していた。交通費をかけてでも、食べにきたい語調だった。


 次なるは、月島開運観世音へと向かった。この間に、「もんじゃ焼店通り」を散策しながら、お好み焼きともんじゃ焼きとの談義になった。
 広島育ちの私には、ドロドロしたもんじゃ焼きはどうも苦手だ。かつてどんなものかと一度食べた。その時から、もう食べたくないと思った食品の一つだ。
 とはいっても、周辺には、若いカップルが多かった。

 まだ民間人が住んでいる佃島高瀬家住宅(区文化財)から、佃波除稲荷神社に向かった。皆して、まずはツクダ煮を買った。その上で、歴史散策にもどる。

 家康が関東に来た時、関西から漁師を連れてきた。かれらのために東京湾の埋め立てが行われた。それが佃島だ。
 外洋から打ち寄せる波が強くて、埋め立て地の岸壁の土砂や石が流されてしまう。若い娘の人身御供で、波を鎮めた。そんな悲しい伝説が残っていると、山名さんが教えてくれた。

 佃島渡船場跡(石碑)の近くに、一本の大樹の銀杏があった。神社の天井を打ち破った巨木だ。見応えがあった。これには感心させられた。
 
 住吉神社は大坂から猟師たちが庶民が移り住んだことから、祀られた神社だった。いまでは喧騒とした東京にありながらも、静寂さが漂う。心が休まる趣があった。


 いよいよ井出さん(日本ペンクラブ事務局次長)がセッティングした「月島スペインクラブ」だ。料理は抜群の美味しさである。
 井出さんはヨーロッパに生まれて育った。それだけに、ワインには詳しい。実は、私以外はみなスペインを旅している。荒れ地だからこそ、ブドウの樹が育つと私は教えられた。それぞれがワインの銘柄にこだわっていた。
「ビールしか飲まないの?」
 周りの作家から同情された。

 流れて2次会は居酒屋だった。記憶があいまいだが、「浅田軒」だったと思う。月島が下町だとわかる飲み屋だった。

 次回はからだが寒さになれきった2月になるだろう。

ミステリー小説および歴史小説の書き方の類似点

 このところ信州(長野県)と飛彈(岐阜県)の歴史小説の取材で飛び回っている。入手した資料を昼夜にわたって読みこんでいる。

「歴史小説を書くのは大変でしょう。資料をたくさん読む必要があるし」
 取材先で、そう言われることが多い。
 たしかに取材で集めてきた資料の質を問わず、読みこなすには時間がかかる。

 ただ、やみくもに読んでいるわけではない。ある基準で、資料は読みこんでいる。それは一言でいえば、歴史的な事実に近いか、否か、と見極めながらである。執筆するときに採用できるか、採用できないか。そうジャッジメントしながら読むのである。

 一つの歴史的な事柄にも諸説ある。だから、不採用だなと解っていても、一応は読みこむ必要がある。「これはダメだ」と頭から決めつけると、私の先入観が歴史的な事実を見落としたりするからである。

 1-2割は真実に近そうだと思うと、再度読みなおすことがある。その点では慎重である。


 私は若いころに純文学からスタートし、中間小説といわれたエンターテイメント小説に移り、長編ミステリーも投稿作品でよく書いていた。かなり良い線まで何度も行った。受賞しなかったが、別途に書いてみませんか、と大手出版部長に声掛けされたこともある。


 雑誌にミステリー小説の連載をしたことがある。これはさかのぼって伏線が張れないので、じつに神経を使った。警察と海上保安庁がらみのミステリー小説は、捜査の専門家になんども取材をくり返した。知識が豊富になった。

「指紋を隠す目的で、手袋をしていると、確実な証拠品になりますよ」
「なぜですか」
「人を殺傷するときは、必ず手のひらに汗をかく。とかく手袋は現場近くに棄てている。それを回収したり押収したりする。そして、内側の汗をDNA鑑定すれば、確実な証拠になるからですよ」


 広島拘置所で死刑囚と向かい合っていた、副所長から長時間にわたり取材したこともある。
「死刑囚は毎日、観察日記を書いて、法務省に提出するんです」
「毎日ですか。その理由はなんですか」
「精神が正常か否か、それを観察するんです。もし精神が発狂したした状態では刑の執行ができないからです」
「死刑が最終確定していてもですか」
「当然ですよ。罪の意識が無くなった人を殺せば、それこそ殺人でしょ」


 小説講座で、ミステリー小説はTVを観て書いている受講生が多い。私の知識から陳腐に思えることがたびたび目にする。警察官と刑務官の職種の違いすら、混同している。
「TVはシナリオライターが書いているんだよ。プロデューサーだってプロ捜査官でないから、ノーチェックだと思った方が良い」
 と指導することが多い。

「裁判を傍聴しなさい。生々しい現場を知ることができるから。どんな凶悪事件でも、公開だし、検事が証拠品を出してくる」

 裁判所が証拠として採用するか否か。裁判官が採用した証拠品から、犯行の全体像をつかみ、犯人に間違いない、と決める。あるいは証拠からしても、無罪だとする。
 

 歴史小説はこれによく似ている。たくさんの「歴史的な資料」を集めてくる。郷土史家などから意見を聴いたり、学術論文を読みこんだりする。執筆する上で、採用する、あるいは捨てる。

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第83回 元気100エッセイ教室=擬音語と擬態語

 エッセイのなかで、擬音語と擬態語は使わない方が賢明である。これは小説でも言える。理由は、描写が甘くなるからである。時には児童文学だとさえ陰口をたたかれてしまう。


擬態語』とは、音を立ていないものを表現する。

「きょろきょろ見廻す」「冬の星がきらきら輝く」「砂がさらさららこぼれた」「一人でくよくよ悩む」「先刻からいらいらしている」「涙がぽろぽろ落ちた」

「たくさんの鯉がすいすい泳いでいる」


擬音語』とは、外界の音を写した言葉である。

「廊下がぎしぎし鳴る」「犬がきゃんきゃん鳴く」「心臓がどきどきした」
「戸をぴしゃっと閉めた」「馬がぱかぱか走る」「雨がざーざー降りになった」


 擬音語や擬態語は他人が作った決まりきった言葉である。事実をしっかり見据えた描写だとはいえない。良い文章とは事象をていねいに観察し、「私」のことばで表現すれば、人の胸を打つ文章になる。それに反してしまう


 擬音語と擬態語はいっさい使わないで書く。この覚悟をもって書くのが望ましい。ただ、うっかり使ってしまう場合がある。
 

・人の態度は割に気づかないで使いやすい。
 きょろきょろ、そわそわ、ぼんやり、むっつり、やきもき、どきどき、なよなよ、ひやひや、ふにゃふにゃ、

・人の行動の場合は擬態語だと思っていない
  ずっしり重かった。じっくり考えた結果、すたこら帰って行った。
  とげとげしい人間関係、ぼーと見ていた、べらべら喋る、きっちり閉める

 擬音語や擬態語をどうしても使いたい場合はどうするか。
 作者が独自に表現すれば、創作の効果として評価される。ただ、過度に使うと、作品が滑稽となる場合があるので、要注意である。

光と影=恩師と私

 私はいま2つの歴史小説を追っている。一つは「阿部正弘と日露和親条約」、もう一つは「天保の信州」である。阿部は福山藩主だったから、広島・福山へ。信州は長野、岐阜へと取材に飛び回っている。
 むろん、歴史小説には、史料(資料)の発掘と、その読み込みが不可欠だ。読むべきものが机の周辺に高く積まれている。寝床の周りにも……。

 私は区民大学、カルチャーセンター、NPOなどの「小説講座」、「エッセイ」、「写真エッセイ」など、各講座を持っている。すべて添削がともなうから、往復の車中やホテルでは、それに集中する。
「大変だな」と自分のハードなスケジュールに呆れることが多い。


 そんなときには、私の恩師・伊藤桂一先生を思い浮べる。直木賞作家で、売れっ子でハードなのに、「講談社フェマース・スクール」で、私たちの小説作品を実に丁寧に読みこんで指導してくれた。むろん、プロ作家の目で講評するのだから、実に厳しかった。

 伊藤先生のことばを思い浮べる。「講師の話しがきた当初、講談社に断りつづけた。結果として、引き受けた。やるからには後輩を育てる、それを生き甲斐にする」と述べられた。それには感動した。この先生のもとで、プロ作家になるぞ、と強い意志を持ったものだ。


 講談社が絵画部門の不採算で、4年くらいでクローズした。私は皆を代表して、伊藤先生に引き続き小説指導を頼み込んだ。快諾してくれた。同人誌「グループ桂」が生まれ、いまなお指導してくれている。
 たしか今年で95歳だと思う。頭脳は若い。なにしろ、ビッグな文学賞の選者として活躍されているのだから。


 私は約7年くらい前から、後輩指導で、みずから講師に乗り出した。「伊藤先生が私を育ててくれた。それを次世代に引き継ぐ」という精神である。
 人間の命は有限だから、今持っている私の技量を基本的に全部出し切る。私が永年蓄積したものをこの世に残していきたい。だから、出し惜しみはしない。手抜きはしない、と私自身に言い聞かせている。
「良い面を育てる。瑕疵(かし・キズ)は改善してもらう」と作品に赤とか、青とか、ていねいに入れて指導している。

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東京広島県人会・幹事会で、「二十歳の炎」の販売、ショート・スピーチ

 私は、幕末の広島藩を初めて小説にした作家という点が評価されて、東京広島県人会の同「ニュース(49)」で「二十歳の炎」が取り上げられた。


「平成26年度秋季役員懇親会」が、10月15日に東京・文京区の東京ドームホテルで開催された。出席者は地元選出の代議士、県知事、政財界の大物ばかり約200人である。広島藩、福山藩の浅野家、阿部家、水野家など、「お殿様」の直系・子孫の方々なども出席されていた。

 同実行委員の配慮で、「二十歳の炎」書籍販売と、私にショート・スピーチの機会を与えてくれた。
 壇上では、先月に中國新聞・文化部「緑地帯」のコラムで8回連載した「広島藩から見た幕末史」のポイントをかいつまみ、「二十歳の炎」の神髄のさわりとして話した。


 「禁門の変で、長州は京都の町を半分焼いた。民衆も怒り、天皇も激怒し、幕府も治安面でテロ活動とみた。そして、朝敵になった」
 そう前置きしてから、長州が倒幕など関われるはずがない。京都に長州人が侵入すれば、新撰組も、会津桑名の藩士に、問答無用で殺されていた。

 だから、大政奉還にも、小御所会議の王政復古による京都の明治新政府の発足にも、まったく関わっていない。それなのに、薩長倒幕とは嘘である。

 実際は、薩摩と芸州広島は政経の両面で強く結びついていた。つまり、「薩芸倒幕」がやがて「薩長倒幕」にすり替えられた。

 幕末広島藩の展開が「二十歳の炎」に描かれています。出来るだけ史実を折り曲げないで書いています、と説明させてもらった。

 高間省三たち神機隊が、自費で戊辰戦争に出向いた。第2次長州戦争では、「小笠原老中を暗殺してでも、戦争をとめる」と主張した若者たちが、戊辰戦争では参戦した。

 戦争は始まる前に止めるべきで、戦いが始まると、非戦論でも戦いに臨む。戦争と平和を考えてほしい。そこらを要約して話した。

会場の入口で、販売を展開した。出版者の営業マンと、写真協力者の滝アヤさんが書籍販売を手伝ってくれた。

 持ち込んだ本は、順調に買っていただいた。

 とくに修道高校OBには、「頼山陽、髙間省三は皆さんの大先輩ですよ」と強く打ち出した。また同校の畠元校長と先週の懇談の席で、「髙間省三を知らずして修道を語るなかれ」といっていましたよ、と勧めた。畠元校長は「二十歳の炎」の協力者のひとり。

 殆どの修道OBの方が知っていた。「畠先生は国語教師で、サッカー部の監督でした。全国大会に出場した。私は部員でした」という方もいた。それにはちょっと驚いた。

「私が撮った被災地の写真が載っている本です」と滝さんは、小説3.11「海は憎まず」を売り込んでいた。カメラマンから声をかけると、購買動機が起きるようだ。こちらも数冊売れていた。

写真提供:滝アヤ

第82回 元気に100エッセイ教室=主語は文章のいのち

 良い作品とは、全体の流れが良く、読みやすく、主語がハッキリしている。だから、どの文章も読み手の頭のなかにスーッと負担なく入ってくる。文意が難なく理解できる。

 逆に、駄作とは突きつめれば、2つの要因に集約される。

①ページをさかのぼって読み返さないと、理解できない。「後戻り

②文章に首を傾げて、立ち止まってしまう。「一時停止


 作者が考えるほど、読者はていねいに読んでくれない。「主語」が不明瞭の場合は、なにを書いているのか解らず、一時停止してしまう。

「えっ、これはだれの話し?」

「どっちの人の話し?」

「主語は何なの?」

 作者はわかっているが、読者には解らない。だんだん読むのが嫌になる。やがて、読むことすら放棄してしまう。挙句の果てには、ぽい、と棄ててしまう。感想を聞かれたら、「面白かった」とお世辞でごまかされてしまう。
 それは捨てたことが面白いのである。


「主語」が解りにくい文章は重大な欠点である

①センテンスが長すぎる。(平均で45字以内にとどめる)。

②主語が文章の後ろ過ぎるので、肝心な主語がなかなか出てこない。

③修飾が多すぎて、「主語はどこにあるのか」、それが解りにくい。

④隠れ主語(省略)が続き過ぎると、読み手の負担になって、主語がやがてわからなくなる。

⑤男性(女性)が複数いるのに、彼(彼女)は、と記する。誰を指しているのかわからない。

⑥一つセンテンスに、意味を詰め過ぎて、二つ以上の主語になっている。

⑦回りくどく、気取った言い方に凝(こ)り、主語を欠落している。


センテンスは短くする。その上で、主語は極力センテンスの頭に持ってくると、簡素で明瞭な作品が生まれます。最大のコツです