A010-ジャーナリスト

「薩長同盟」がまたしても、NHK「龍馬伝」と同タイム

 隔月誌「島へ。」で、私は「坂本龍馬と瀬戸内海」シリーズを書いている。8月1日発売の同55号では、龍馬の最大の功績「薩長同盟」をとりあげた。サブタイトルは、「幕府の心臓を突き破った 龍馬の知力と解決力」である。

 同1日(日)に、NHKの龍馬伝の放映を見た。龍馬が薩長同盟に動きはじめたところで、私の作品とドンぴたりだった。
 先の54号の同シリーズで「龍馬とお龍~命をかけた夫婦愛~」も、龍馬伝では京都の2人の出会い場面だった。まわりからは「グッドタイミングですね」といわれた。

 私は逐一、龍馬伝を見ているわけでもない。むしろ、影響されないように避けている。月に一度ていど、それも小時TVをのぞき、どの辺りかな? と確認するていどである。

 薩長同盟の取材で、下関市長府博物館、広島大学、京都などを訪ねたのが3月、4月だった。執筆に取りかかったのは5月からだった。
 その頃、TVはたしか勝海舟の神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれんじょ)あたりだった。その流れからすると、龍馬伝の薩長同盟は8月だろうな、とは読んでいた。

 今回のTVは、龍馬が長崎に亀山社中を作り、中岡慎太郎が手がける薩長同盟に乗りだしていた。私はもう薩長同盟を書き終わっているし、執筆に影響されないし、この日は最後まで観た。

 下関に出むいた龍馬が桂小五郎に、犬猿の仲である薩長の和解を勧める。他方で、中岡が薩摩から西郷隆盛を下関に連れてくる約束だった。
 西郷が瀬戸内海に入ると、ドタキャンして大坂に向った。薩摩への不信感の強い桂が、怒り狂う。そして、翌週へとつづく。

 私の読者から、「龍馬伝のTVの先取りですね」とすぐさま反応があった。

   
   (撮影場所:京都御所。薩長同盟は長州が朝廷政治に復権できるように、薩摩が誠意をもって尽くす、という口約束に過ぎない)


 薩長同盟=倒幕の軍事同盟だと勘違いしている人が、あまりにも多い。司馬遼太郎「竜馬がいく」を読んだ人に、その傾向が強い。薩長同盟は、西郷隆盛と桂小五郎による、犬猿の仲だった両藩の和解の約束事である。それをもって倒幕同盟ができたわけではない。

 とはいっても、薩長同盟は倒幕への導火線だった。実際に、倒幕へと兵器や兵力が動く密約はその翌年、大崎下島(広島県)で結ばれた、四藩軍事同盟(薩摩、芸州、土佐、長州)だった。


「坂本龍馬と瀬戸内海」シリーズの第1回のあと、読者から、新谷道太郎が証言した、龍馬指導で結ばれた四藩軍事同盟はまったく知らなかった。芸州が倒幕に加わった状況をもっと知りたい、という意見が多く寄せられていた。

 今回の薩長同盟は龍馬の解決力をテーマにして深く掘り下げている。しかし、それだけで終らさなかった。幕長戦争(第二次長州征伐)後から、薩摩と芸州(広島)が手を組んだ経緯、四藩軍事同盟の歴史的な意義まで踏み込んでいる。

 つまり、薩長同盟~鳥羽伏見の戦いで幕府軍が破れて、徳川幕府が倒れるまで、簡素にして明瞭に理解できるように展開している。


参考情報

島へ。55号

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