寄稿・みんなの作品

【寄稿・フォトエッセイ】 あなたらしい夢を = 井出 三知子

作者紹介:井出 三知子さん
      かつしか区民記者、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
      海外旅行と海中写真撮影を得意としています。 

PDF あなたらしい夢を

                           

 あなたらしい夢を = 井出 三知子 

                       
 パラオは何処のポイントに行くのも島から1時間ほどかかる。
 その間ボートの上から海を見ていると水色、青、紺、ぐんじょ色、灰色さまざまな色の変化に移動中もあきることがない。
 今年も1月、寒い日本を離れてダイビングに行って来た。

 夏が大好きな私は、太陽の日差しと時間がゆっくり過ぎていくのが、何とも言えず心地良くて、身も心も解放感で一杯になる。
 パラオには今回で4回目だ。ダイビング歴が6年だから、かなり頻繁に潜っている場所だ。でも飽きることはない。海は広いし同じ所に潜ったとしても、自然は日々変化していて同じ状態で私たちを迎えてはくれない。唯一、ガイドさんの仲良しナポレオンに出くわすと無性に懐かしく、
『今まで敵が多いのに元気で生きていたのね。次に来たときも会いましょうね。』
 と心の中で声をかけてしまう。

 私がダイビングをやり始めたのは、定年まであと1年とせまった頃だった。

 24時間の大部分が仕事にしばられていた生活を卒業して、定年後は新しい自分を見つけながら生きていきたいと考えていた。その頃は仕事がなくなってしまったら、と思うと不安でいっぱいだった。夢中になってやれる物を探していた。
             -1-
 そんな時にたまたま地下鉄で隣に座った人が海の写真集を見ていた。
  覗き込んで見た写真は、海の中に太陽の光が差し込んでいて、キラキラと輝いていて宝石のようだった。
 両親にはいつも海は怖い所だと言われ、海水浴にも行ったことが無かった。そんな私が、何の気なしに見た海の写真がダイビングをやるきっかけになった。
 そんなことで海に係わるようなるなんて今でも不思議でならない。年齢、体力、予算、若者の中に入って楽しめるだろうか、そして最大の難関は海恐怖症だった。

 やり始めるまで、不安材料が多すぎてめずらしく、時間がかかった。
 今では水中カメラを持って、あの時に見た感動に出会いたくて潜っている。肉眼では神秘的な光線も、カメラで撮るとなかなかうまく撮れない。
 今回のツアーメンバーは4名の内、3名の女性はシニアだった。成田空港でインストラクターから「和田さんは70歳から始められて、今回は50本の記念ダイブだから楽しく盛り上がろうね」と紹介された。

(記念ダイブとは、50本、100本、200本潜った区切りの時にお祝いをすること)
 前向きで、若々しくて、生き生きしている彼女を見て、59歳で始めてみんなから、
「すごいよ、頑張っているね」
 と言われて、内心は得意になっていた。そんな自分が一瞬で消滅してしまった。自分自身が恥ずかしくなっていた。

 パラオは1914年から1945年まで日本が統治していた。その関係で日本語がそのまま残って現地の言葉になって使われている。たとえば、煮つけ、休み、雨などたくさんある。 
 それらの日本語はすでにパラオ語になっていて日常生活に溶け込んでいる。
 日本に統治されていたのに親日的で、いつ行っても暖かく接してくれる。日本人にいろんなことを教わった。などと言われると何故か、胸がいっぱいになってしまう。 

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【寄稿・写真エッセイ】 旅のお供=齋田 豐

作者紹介 齋田豊さんはシニア大樂「写真エッセイ教室」の2期生です。
       夏は旅行会社から、世界各国、冬向けの音楽旅行冊子がたくさん送られてくる。彼女はそれを丹念に見るのが大好き。ウイーンの大晦日から元旦ニューイヤーコンサートにも出かけています。


     旅のお供  齋田 豊


旅 の お 供   齋田 豊 

 
 私は、旅行の度に、人より荷物を1個余分に持つ。周囲から、「大変ね。」と言われるが、旅行好きな私にとって、それは喜びである。
 こんなことがあった。楽しい1泊旅行の翌朝、私の隣に寝ていた人から、
「あんたの鼾がうるさくて眠れなかったわよ」
 と言われたのだ。その人は布団を上下逆さに敷き直して寝たという。

 私は40歳を過ぎるまで、あまり、自分の鼾を意識していなかった。
 20代、30代には仲良しの康子さんと国内はもちろん、ヨーロッパ旅行もしているし、小旅行なら色々な人としている。長い間、随分多くの人に迷惑をかけていたことになる。

 すっかり忘れていたが、小学生時代、学童疎開先で、友達から、「鼾をかくね」と言われたことがあった。でも、そのため「睡眠不足になった。」と言われたことはない。
 子供たちは、ぐっすり、寝てしまったのであろう。

          ハムレットの舞台 クロンボー城お祭りで仮装をしている(写真説明)


 旅行が憂鬱になったのは、あれ以来のことだ。
 しかし、元来、旅好きな私、「鼾をかくから」を理由に不参加などできない。旅行では、好きでもない、コーヒーを飲んで、一番後に寝ることに決めた。
 宴会では飲みたいアルコールをひかえ、みんなが酔って早く寝てくれることを願い、もっぱら、注ぐ側に回った。しかし、アルコールを嗜まない人だって居る。仕方なく、宴会が終わると、真っ先に、部屋の一番奥に陣取り、壁に向って休むことで凌いで来た。

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【寄稿】原発に絶対の安全はない=石田 貴代司

石田貴代司さん=シニア大樂の「写真エッセイ」の受講生
         東京・世田谷区に在住
         「アマチュア天文家」として、
         同区の地元プラネタリウムが主催する星空観測に出向いています。 

        PDF:原発に絶対の安全はない


原発に絶対の安全はない=石田 貴代司 

                                             
 <原発事故未だ収束せず> 

 近道するつもりで狭い住宅街を通った。
 曲がり角の小さな民家の駐車場兼門扉に立てかけたポスターに近づいてみた。
 明日、3月10日と11日に「原発ゼロ☆大行動」を日比谷公園で開催というものである。
放射性物質が、この瞬間も撒き散らされています。事故は収束していません
 私が気にしていたことが、ずばり書かれていた。
「行かねばならぬ」
 私は背中を押された。


日比谷公園、2つの集まり

 公園内の特設ステージの両脇には、それぞれ100台くらいの太陽光発電パネルが設置され、双方に積み上げられたスピーカーからの大音響が私を迎えてくれた。
「史上最大の“太陽光発電ステージ”大作戦」と掲示されている。
 なる程、脱原発だな~。司会者の大声に続いて歌手の加藤登紀子が大拍手と共にステージに登場した。歌とトークで東日本大震災の被害者への追悼集会となった。
 南相馬からのご婦人に続いて、陸前高田から商売を再開したという老舗の八木澤商店(醤油屋)の女将さんも登場して、さわやかな口調で体験を話した。少し前に八木沢一家が出演した番組があり、見覚えのある人だ。周囲にはたくさんのみやげ物屋や食べもの屋が並び家族連れも集会を盛り上げている。


幟旗の大集結

 ステージを離れて、もう一方のグループを追った。公園内の有名なレストラン「松本楼」に近い道路には、なんと今まで見た事がない幟旗の大軍団がいた。それぞれが所属する社名や組合、地区の名前が書かれた色鮮やか幟をもった集団が、デモに出る前の隊形を作っている。
「反原発運動」は忘れられたのだろうか、と懸念していた私の気持に勇気をくれた。
 幟旗を持った人に聞いてみた。間隔を取りながら、「東電本社前」を目指すという。この流れに付こうと決めてカメラを握りしめた。


   <隠蔽された数々の情報

 民家の張り紙の話題に戻ろう。前政権で野田総理が明言した「事故は収束した」は、有名になった言葉だ。そして、今では誰もが嘘だと知っている。
 2011年3月の原発事故後の政府広報や国民をパニックに追い込まないため? の嘘を一杯垂れ流してきた。今現在も東電は福島第一原発内での作業員事故やトラブルや作業員の雇い入れ等でも隠蔽をしている。そしてボロが出始めている。
 福島で採れた米や野菜を埼玉県に回し、埼玉産と偽って販売したと新聞で見た。こんなことが、「風評被害」という言葉が未だになくならない原因だろう。国や天下の東電さえ軽々と嘘をまきちらすから。

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【孔雀船81号より転載 詩】晴れた日にこそ、恋せよ乙女=望月苑巳

 望月苑巳さん:日本ペンクラブ会報委員会の副委員長です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

「孔雀船81号」頒価700円(2013年1月15日発行)より転載
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738


晴れた日にこそ、恋せよ乙女 縦書き PDF


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晴れた日にこそ、恋せよ乙女 望月苑巳


   いきなり空の群青を吸い込んで
   現れた君がスカートを翻し
   目の前でとんぼ返り。
   いつ吸い込んでも気持ちがいいねと
   澄み切った空を弄びながら
   明日へ見事な宙返りするのだ。

   恋せよ乙女

   ヌルリと陽の手に撫でられ
   面食らったぼくは
   慌てて情熱玉を吐き出してしまった
   いつか君に告白しようと隠していたやつだ。
   それはコロンと転がって
   非情にも足元でウルウルしている。
   ──危ないな、そんなことしたら空に穴があくじゃないか
   突然現れた警備員のオジサンに叱られた
   ──これだから近頃の若いモンは困るんだ
   行儀作法を知らなくて、と嘆き
   顔を玉石混交にしてしかめる。
   その間に君はまたとんぼ返り
   人混みを隠れ蓑にして
   サヨナラも言わずに消えた。
   それにしても、吸いこんだ青空をいつ吐きだしたのか。

   恋せよ乙女

   雲を掃除して陽が丸坊主になって
   スミマセン、お騒がせしました、もうしません
   座椅子のようにぼくが縮こまっていると
   階下からバーゲンセールの喧騒な声が。
   ──あのオバサンたちも整理整頓せにゃならんな
   ぶつくさと警備員のオジサンが猫背を見せた
   雲の上で揚げひばりが息抜きをしているので
   もんどりうって
   ぼくは恋せよ乙女と、呟くしかなかった

【寄稿・フォトエッセイ】 中毒になってしまったの? =井出 三知子

作者紹介:井出 三知子さん
      かつしか区民記者、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
      海外旅行と海中写真撮影を得意としています。 

 中毒になってしまったの? =井出 三知子 

 ばたばたと暮れからお正月を過ごして11日にはモスクワ行きのボーイング787便に乗っていた。この機種は日本に導入された最新型の飛行機で座席、テレビ画面、トイレなどが改良されていて、とても快適だった。

 トラブルの報道は聞いていたけれど、その時はまったく不安を感じなかったしトラブルに巻き込まれてしまうなんて、頭の隅にも思ってもいなかった。むしろ何もかもが新しく、快適な空の旅を漫喫していた。機内食もとてもおいしく、となりにいる友人もご機嫌で、ジンフィズを飲み、ワインを追加して最新の映画を見て楽しんでいた。私はその横顔をのぞき観ながら、この旅行に来る時にかわした、やりとりを思い出していた。


 彼女から電話があったのは10月の半ばぐらいだった。
「来年1月と2月に時間が取れるけ、海外旅行に行かない?」
「えー、旅行はお母さんの介護があるから、去年の8月でしばらく小休止のはずじゃなかったの?」
「そう思っていたけど、母の状態が良くて行けそうなのよ」
「だけど、旦那様にお留守番ばっかりさせて心苦しくない?」
「大丈夫、日ごろちゃんとやってあげているから」
「でもね、しばらく一緒に旅行出来ないと言われたから、私なりに心の整理をして、旅行の枠からあなたを外してしまったから、急に言われてもね」
「だったらまた枠の中いれてよ。」
 なかば強引に誘う彼女の言動は、15年前初めての海外旅行に行くときに、旦那様に送られてきた心細そうな人と、同一人物なのかと思ってしまうほどだった。

「だって行きたいだもん。こんな楽しさを吹き込んだ責任をとってよね」
 私の性格を熟知している友人は、心をくすぐる言葉を並べて必要にメールを送って誘ってきた。1月はすでに旅行が決まっていた。
「一緒に行ってあげたいけど、肉体もお金もきついよ」
「いつも体力には自信あると言っていたじゃない。お金は天下のまわりもの。ロシアは夏のツアー料金の半値位で行けるよ。前に行きたいと言っていた場所じゃない?」
 結局は彼女の熱意にまけてしまったのと、彼女と一緒の旅は気を使わなくて、楽なので人助けの心境で行くことにした。

 私にとっても旅行は映像とか本ではなく自分の眼でふれあうことに、このうえもなく贅沢で幸せを感じる時間だ。だから誘われるとノウが言えない。旅が終ると何かおもしろい所はないかと、次の所を探し始めている。また行くのと言われると私は決まって
「麻薬みたいのようなものだから辞められない」
 と答えていた。彼女が同じ気持ちかどうか解らないが、とにかく今はむしょうに行きたいらしかった。

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【寄稿・フォトエッセイ】おばさん観察考=高橋 稔 

作者紹介:高橋 稔さん

      よみうり日本テレビ文化センター・金町「フォトエッセイ」の受講生です。  
      一昨年のリタイア後は、エッセイと吹き矢に取り組んでいます。

          おばさん観察考 縦書きPDF

                             

おばさん観察考   高橋 稔 

 地元のサークル『スポーツ吹き矢クラブ』に入会してもうすぐ2年になる。私と同様にリタイアした人や主婦など66歳以上の21人が集う。内訳は男性9人、女性が12人。吹き矢人口は全国的にも女性の方が多いらしい。
 「スポーツ吹き矢」の知名度は決して高くない。メンバーに入会動機を聞いてみても(始めたきっかけ)は市の広報を見てとか、私のように公開体験会を見学して、やってみたくなったなど、偶然の出会いが多いようだ。
 クラブの練習場は広さの関係もあって、7つの的しか設置できない。
 他人が練習している間の待機時間が結構ある。その間は後方のイスで待機するしかない。もっともこのサークルは「上手くなるより楽しくやろう」に主眼を置いているので、練習はほどほどで、おしゃべりが楽しくて来ている人も数人はいるようだ。

 私は最近、この待ち時間の「おじさん、おばさん観察」が楽しみの一つになった。家では妻という、一人のおばさんとしか接することが出来ないが、ここでの「集団おばさん言動」には新発見や再認識することも多い。
 そういう私もれっきとしたおじさんなのだから、時にはわが身を投射しているようで、自己反省する機会でもある。

 まず、おばさんたちの会話で多い、その1は〈健康問題
 「最近、肩や腰が痛くてねぇ」「私は目がすっかりおかしくなっているの」「この頃、胃の調子が悪くて、一度医者に行ってみようかと思っているの」というように自分の不調な部分を説明する。時には「あなたはまだいい方よ。私の症状はもっとひどいわ」と病気比べで重症を争っている。若い時には余り聞かなかった会話が延々と続く。
 でも、なぜか調子が悪いくせに楽しそうなのだ。心理的な不安があるから不健康を主張し合うのだろうが、心の中では「まだ大丈夫だろう」という気持ちもあるはずだ。これがもしも重病だったら「検査して、肺がんが見つかったよ。がんは結構大きいらしい」などと悠長な説明をしている場合ではない。
 不健康を喧伝するのも、きっとストレス解消なのだろう。

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【寄稿・フォトエッセイ】 久しぶりのパリ=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験があります。(作者のHPでは海外と日本のさまざまな対比を紹介)。
 周辺の社会問題にも目を向けた、幅広いエッセイを書いています。

            久しぶりのパリ PDF

           作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から

久しぶりのパリ  久保田雅子



 気候のさわやかな10月に、しばらく住んでいたパリへ行くことにした。
 準備が以前よりも、あわただしく大変で、出発前から疲れてしまった。年を取るとなんでもが少しずつ大変になってくるのかもしれない…、と思いながら一人リムジンで成田空港へ向かった。
 12時間近く飛行した後、パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着。空港の様子が以前とはすっかり変わっていた。空港のなかを電車が走っている。
 パリはもう寒いと思っていたのに、東京と同じようにむし暑い。
 税関を通過して到着ロビーに出たが、迎えに来ているはずの友人がいない。
 私がいつも滞在するのは、彼女の持っているアパートだ。
 電話をかけようと試みたが、出発直前に携帯をスマホに替えているため、海外での使い方がよくわからない。パリの市外番号が思い出せない。331? 01?
 40分たっても50分たっても友人は現れない。おかしい…。予定通りの到着なのに…。私は到着日か時間を間違えて連絡したのかしら? 
 手荷物の中のパソコンで、自分の送信メールを確認したかった。だが、まわりに人が大勢いて荷物を広げる事がためらわれた。なんども電話を試すがつながらない。
  2時間近く待った。変だ。不安になってきた。どうしよう…。
直接彼女の家へ行くことにする。タクシーはいくらぐらいだったかしら?思い出せない…。とりあえずユーロが必要だ。銀行はどこかとたずねると、出発ロビーにしかないという。
 ここは1階到着ロビーだ。スーツケースを押して3階へ。脱いだコートや手荷物で汗びっしょりになった。(パリは寒いはずだったのに…)
 ユーロを手に、また1階到着ロビーのタクシー乗り場へ向かう。(疲れた…)
 タクシーに乗ってしばらく走ると、反対車線が大渋滞している。
 運転手さんが、空港に向かう高速道路で事故があったと説明してくれる。彼女はこの渋滞のなかを、まだ空港に向かっているのかしら? 
 タクシーのなかから、ようやく彼女の家に電話をかけることができた。
 彼女のご主人が電話に出て「彼女はいま空港に着いたところだ、空港から電話をしてくれればよかったのに…」と残念そうに言った。

 翌日、食料を両手いっぱいに買い物して帰ってきたら、アパートの入口でドアが開かない。(フランスは防犯が厳しく、建物のなかには住人しか入れない。さらに必ず2重ドアになっている)以前に使っていた4ケタのコードを何度押してもびくともしない。
(家に入ることも出来なくなった…)と、なんだか情けない気持ちになった。
 しばらくして同じアパートの顔見知りのマダムが帰ってきて、ようやく一緒に入ることが出来た。
「もうコードではなくなったのよ」と、キーホルダーでのタッチの仕方を教えてくれた。

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【転載・詩】 駄菓子屋さんからの報告書 = 望月苑巳

 望月苑巳さん:日本ペンクラブ会報委員会の副委員長です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

詩集「ひまわりキッチン」(2011年10月10日発行)より転載
発行所 砂子屋書房

著者:望月苑巳
〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

駄菓子屋さんからの報告書  縦書き



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駄菓子屋さんからの報告書 《うろこ雲は乳白色》N-9.5  望月苑巳


 うろこ雲がちらかっています。
 春の色を拾って歩くと
 駄菓子屋さんの店先に出たので
 柔らかい座敷の奥で
 猫のように丸まっているお婆さんを買いました
 つるんと皮を剥いて
 ぺたぺたと芯だけにしても
 なお眠り続けているので
 金管楽器のように叫んだり
 襤褸の歴史に包まれても輝くことはなかったのです。

          *

 弟よ、あれから幾千の眠りがあり
 幾千もの喧騒がありましたね。
 しかし、きれいに忘れてしまうのが正しい行為であるというのは
 誤解に過ぎません
 あるいは迷走経路の隠滅につながる
 鼠の好きな袋小路かもしれないのです。
 だから駅前の寿司屋で、おいしいネタを奪いあったあの夜
 二人のあいだから希望が抜け落ちていったのですね。
 それからとぼとぼと忍び足で

 春の雲のふとんにもぐりこんだのは
 あの痩せた駄菓子屋さんだったことを覚えていますか。
 でも、あんなお年寄りを丁擲しなくたってよかったのにと
 私は反省の黒板を
 今でも書いては消し、消しては書いています。
 あのお婆さんは
 たったひとつのチュウインガムのせいで
 深い眠りの虜になったのですから。
 いいえ、皺だらけの骨になったのかもしれませんね。
 論語読みの論語知らずは、論語にいつか殺される
 ということを知っていますか。
 弟よ、いずれにせよ
 あの日から私の吐息には
 黒いリボンが結ばれたままになっています
 ころこ雲といっしょに。
 

【転載・詩】 連絡船 = 結城文 『紙霊』より

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)
 
日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、日本詩人クラブの各会員
日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長

結城文詩集『紙霊』(北溟社・2000円)より、転載しています。

『紙霊』は、『認識される物たち--外界に向き立っている自分とはなにか。知覚し、意識している自分のほかに、もっと根源的に自分をうごかしつづけているものがあるのではないだろうか。原風景の中に垂鉛をおろし、問いつづけた言葉のしずく』同書の帯より

                        連絡船 結城文  縦書き


                        写真提供:滝アヤ
                   

連絡船 = 結城文 『紙霊』より 

   大三島盛港午後四時
   フェリーに滑り込み
   広島県の忠海港へ
   甲板に立ち
   十一月終わりの風のなか
   傾きかけた日をまぶしみながら
   海をゆく

   青緑色のおだやかな内海
   進んでゆく船のまわり
   白い布を拡げたように
   泡の膜ができては消える
   浮遊物のなにもない
   きれいな海

   やさしく入り組んだ島山
   藍色の濃淡の山稜の
   幾重ものかさなり
   単調な波音のくり返しは
   次元の違う時間へ運ぶ

   戦前高円寺に住んでいた頃
   夏になると
   祖母の郷里の伊予松山へ
   毎年のようにいった
   カンナの花とひるがえっていた白いカーテン
   はじめて水に浮かぶことを覚えた
   梅津寺(ばいしんじ)の海
   もっと西へゆけば
   あの海につながる

   神戸から松山まで
   船で眠りしながらいったこともあった
   帰りの連絡船のなか
   弟が発熱し神戸で緊急入院
   幼いながら
   叔母と二人
   心もとなく
   東京へ帰った
   母はきっと弟に付ききりだったのだ
   思い出のなか
   どこをさがしても
   母の姿はない

   空襲警報に怯えながら渡った
   宇高連絡船
   学童疎開の子らをのせた
   「紫雲丸」遭難事件
   この海のどこかに
   彼らは今も眠っている

   船べりによれば
   青緑の水に
   いくつもの水泡が
   とりとめもなく
   白い布のように
   拡がってがっては消え
   また膜となる

【転載・詩】だらしない物語=望月苑巳 詩集「ひまわりキッチン」より

 望月苑巳さん:日本ペンクラブ会報委員会の副委員長です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

詩集「ひまわりキッチン」2011年10月10日発行
発行所 砂子屋書房

著者:望月苑巳
〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738


だらしない物語 ー-《青空を吸い取った漆黒》N-1 縦書き PDF


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国弘よう子、望月苑巳、嶋崎信房、菅野竜二の各氏

だらしない物語 ー-《青空を吸い取った漆黒》N-1 望月苑巳 

  闇夜は星が美しい
  月の出た夜はひとが美しい
  梅の香りをまとって笑っているよ
  月の光も薫っているよ

  でもね
  雨の降る日は
  天の涙に表札が磨かれて
  大根のように冷たくなるよ
  ずぶぬれで返ってきた父は
  母さんが置いて行った
  子守唄をうたっているよ
  赤ん坊をあやすように
  空のご機嫌をとるように
  泣きたくなるような子守唄だったよ

  人間は二度死ぬ
  最初は焼かれて灰になった時
  二度目は存在したことさえ忘れられてしまった時

  そんな始末書の脇で
  ぼくが冷たくなっているよ
  開いた瞳孔が青空を吸い取ってしまったのか
  朝から雨
  だらしない雨だよ
  きのうまで蛇口で水を飲み
  好きなものを食べて
  堂々と人を好きになったりもしたのに
  だらしないったら、ありゃしない
  劣化してゆく、ぼく
  退化してゆく鍋の底に
  溜まっていたのは
  使い方を間違えた父の靴ひも

  なにも知らなかったあのころに帰って
  だらしいない雨に打たれ
  三度目の死を迎えるよ
  だらしいないぼくの物語だよ