寄稿・みんなの作品

【孔雀船81号より転載 詩】晴れた日にこそ、恋せよ乙女=望月苑巳

 望月苑巳さん:日本ペンクラブ会報委員会の副委員長です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

「孔雀船81号」頒価700円(2013年1月15日発行)より転載
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738


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晴れた日にこそ、恋せよ乙女 望月苑巳


   いきなり空の群青を吸い込んで
   現れた君がスカートを翻し
   目の前でとんぼ返り。
   いつ吸い込んでも気持ちがいいねと
   澄み切った空を弄びながら
   明日へ見事な宙返りするのだ。

   恋せよ乙女

   ヌルリと陽の手に撫でられ
   面食らったぼくは
   慌てて情熱玉を吐き出してしまった
   いつか君に告白しようと隠していたやつだ。
   それはコロンと転がって
   非情にも足元でウルウルしている。
   ──危ないな、そんなことしたら空に穴があくじゃないか
   突然現れた警備員のオジサンに叱られた
   ──これだから近頃の若いモンは困るんだ
   行儀作法を知らなくて、と嘆き
   顔を玉石混交にしてしかめる。
   その間に君はまたとんぼ返り
   人混みを隠れ蓑にして
   サヨナラも言わずに消えた。
   それにしても、吸いこんだ青空をいつ吐きだしたのか。

   恋せよ乙女

   雲を掃除して陽が丸坊主になって
   スミマセン、お騒がせしました、もうしません
   座椅子のようにぼくが縮こまっていると
   階下からバーゲンセールの喧騒な声が。
   ──あのオバサンたちも整理整頓せにゃならんな
   ぶつくさと警備員のオジサンが猫背を見せた
   雲の上で揚げひばりが息抜きをしているので
   もんどりうって
   ぼくは恋せよ乙女と、呟くしかなかった

【寄稿・フォトエッセイ】 中毒になってしまったの? =井出 三知子

作者紹介:井出 三知子さん
      かつしか区民記者、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
      海外旅行と海中写真撮影を得意としています。 

 中毒になってしまったの? =井出 三知子 

 ばたばたと暮れからお正月を過ごして11日にはモスクワ行きのボーイング787便に乗っていた。この機種は日本に導入された最新型の飛行機で座席、テレビ画面、トイレなどが改良されていて、とても快適だった。

 トラブルの報道は聞いていたけれど、その時はまったく不安を感じなかったしトラブルに巻き込まれてしまうなんて、頭の隅にも思ってもいなかった。むしろ何もかもが新しく、快適な空の旅を漫喫していた。機内食もとてもおいしく、となりにいる友人もご機嫌で、ジンフィズを飲み、ワインを追加して最新の映画を見て楽しんでいた。私はその横顔をのぞき観ながら、この旅行に来る時にかわした、やりとりを思い出していた。


 彼女から電話があったのは10月の半ばぐらいだった。
「来年1月と2月に時間が取れるけ、海外旅行に行かない?」
「えー、旅行はお母さんの介護があるから、去年の8月でしばらく小休止のはずじゃなかったの?」
「そう思っていたけど、母の状態が良くて行けそうなのよ」
「だけど、旦那様にお留守番ばっかりさせて心苦しくない?」
「大丈夫、日ごろちゃんとやってあげているから」
「でもね、しばらく一緒に旅行出来ないと言われたから、私なりに心の整理をして、旅行の枠からあなたを外してしまったから、急に言われてもね」
「だったらまた枠の中いれてよ。」
 なかば強引に誘う彼女の言動は、15年前初めての海外旅行に行くときに、旦那様に送られてきた心細そうな人と、同一人物なのかと思ってしまうほどだった。

「だって行きたいだもん。こんな楽しさを吹き込んだ責任をとってよね」
 私の性格を熟知している友人は、心をくすぐる言葉を並べて必要にメールを送って誘ってきた。1月はすでに旅行が決まっていた。
「一緒に行ってあげたいけど、肉体もお金もきついよ」
「いつも体力には自信あると言っていたじゃない。お金は天下のまわりもの。ロシアは夏のツアー料金の半値位で行けるよ。前に行きたいと言っていた場所じゃない?」
 結局は彼女の熱意にまけてしまったのと、彼女と一緒の旅は気を使わなくて、楽なので人助けの心境で行くことにした。

 私にとっても旅行は映像とか本ではなく自分の眼でふれあうことに、このうえもなく贅沢で幸せを感じる時間だ。だから誘われるとノウが言えない。旅が終ると何かおもしろい所はないかと、次の所を探し始めている。また行くのと言われると私は決まって
「麻薬みたいのようなものだから辞められない」
 と答えていた。彼女が同じ気持ちかどうか解らないが、とにかく今はむしょうに行きたいらしかった。

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【寄稿・フォトエッセイ】おばさん観察考=高橋 稔 

作者紹介:高橋 稔さん

      よみうり日本テレビ文化センター・金町「フォトエッセイ」の受講生です。  
      一昨年のリタイア後は、エッセイと吹き矢に取り組んでいます。

          おばさん観察考 縦書きPDF

                             

おばさん観察考   高橋 稔 

 地元のサークル『スポーツ吹き矢クラブ』に入会してもうすぐ2年になる。私と同様にリタイアした人や主婦など66歳以上の21人が集う。内訳は男性9人、女性が12人。吹き矢人口は全国的にも女性の方が多いらしい。
 「スポーツ吹き矢」の知名度は決して高くない。メンバーに入会動機を聞いてみても(始めたきっかけ)は市の広報を見てとか、私のように公開体験会を見学して、やってみたくなったなど、偶然の出会いが多いようだ。
 クラブの練習場は広さの関係もあって、7つの的しか設置できない。
 他人が練習している間の待機時間が結構ある。その間は後方のイスで待機するしかない。もっともこのサークルは「上手くなるより楽しくやろう」に主眼を置いているので、練習はほどほどで、おしゃべりが楽しくて来ている人も数人はいるようだ。

 私は最近、この待ち時間の「おじさん、おばさん観察」が楽しみの一つになった。家では妻という、一人のおばさんとしか接することが出来ないが、ここでの「集団おばさん言動」には新発見や再認識することも多い。
 そういう私もれっきとしたおじさんなのだから、時にはわが身を投射しているようで、自己反省する機会でもある。

 まず、おばさんたちの会話で多い、その1は〈健康問題
 「最近、肩や腰が痛くてねぇ」「私は目がすっかりおかしくなっているの」「この頃、胃の調子が悪くて、一度医者に行ってみようかと思っているの」というように自分の不調な部分を説明する。時には「あなたはまだいい方よ。私の症状はもっとひどいわ」と病気比べで重症を争っている。若い時には余り聞かなかった会話が延々と続く。
 でも、なぜか調子が悪いくせに楽しそうなのだ。心理的な不安があるから不健康を主張し合うのだろうが、心の中では「まだ大丈夫だろう」という気持ちもあるはずだ。これがもしも重病だったら「検査して、肺がんが見つかったよ。がんは結構大きいらしい」などと悠長な説明をしている場合ではない。
 不健康を喧伝するのも、きっとストレス解消なのだろう。

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【寄稿・フォトエッセイ】 久しぶりのパリ=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験があります。(作者のHPでは海外と日本のさまざまな対比を紹介)。
 周辺の社会問題にも目を向けた、幅広いエッセイを書いています。

            久しぶりのパリ PDF

           作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から

久しぶりのパリ  久保田雅子



 気候のさわやかな10月に、しばらく住んでいたパリへ行くことにした。
 準備が以前よりも、あわただしく大変で、出発前から疲れてしまった。年を取るとなんでもが少しずつ大変になってくるのかもしれない…、と思いながら一人リムジンで成田空港へ向かった。
 12時間近く飛行した後、パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着。空港の様子が以前とはすっかり変わっていた。空港のなかを電車が走っている。
 パリはもう寒いと思っていたのに、東京と同じようにむし暑い。
 税関を通過して到着ロビーに出たが、迎えに来ているはずの友人がいない。
 私がいつも滞在するのは、彼女の持っているアパートだ。
 電話をかけようと試みたが、出発直前に携帯をスマホに替えているため、海外での使い方がよくわからない。パリの市外番号が思い出せない。331? 01?
 40分たっても50分たっても友人は現れない。おかしい…。予定通りの到着なのに…。私は到着日か時間を間違えて連絡したのかしら? 
 手荷物の中のパソコンで、自分の送信メールを確認したかった。だが、まわりに人が大勢いて荷物を広げる事がためらわれた。なんども電話を試すがつながらない。
  2時間近く待った。変だ。不安になってきた。どうしよう…。
直接彼女の家へ行くことにする。タクシーはいくらぐらいだったかしら?思い出せない…。とりあえずユーロが必要だ。銀行はどこかとたずねると、出発ロビーにしかないという。
 ここは1階到着ロビーだ。スーツケースを押して3階へ。脱いだコートや手荷物で汗びっしょりになった。(パリは寒いはずだったのに…)
 ユーロを手に、また1階到着ロビーのタクシー乗り場へ向かう。(疲れた…)
 タクシーに乗ってしばらく走ると、反対車線が大渋滞している。
 運転手さんが、空港に向かう高速道路で事故があったと説明してくれる。彼女はこの渋滞のなかを、まだ空港に向かっているのかしら? 
 タクシーのなかから、ようやく彼女の家に電話をかけることができた。
 彼女のご主人が電話に出て「彼女はいま空港に着いたところだ、空港から電話をしてくれればよかったのに…」と残念そうに言った。

 翌日、食料を両手いっぱいに買い物して帰ってきたら、アパートの入口でドアが開かない。(フランスは防犯が厳しく、建物のなかには住人しか入れない。さらに必ず2重ドアになっている)以前に使っていた4ケタのコードを何度押してもびくともしない。
(家に入ることも出来なくなった…)と、なんだか情けない気持ちになった。
 しばらくして同じアパートの顔見知りのマダムが帰ってきて、ようやく一緒に入ることが出来た。
「もうコードではなくなったのよ」と、キーホルダーでのタッチの仕方を教えてくれた。

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【転載・詩】 駄菓子屋さんからの報告書 = 望月苑巳

 望月苑巳さん:日本ペンクラブ会報委員会の副委員長です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

詩集「ひまわりキッチン」(2011年10月10日発行)より転載
発行所 砂子屋書房

著者:望月苑巳
〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

駄菓子屋さんからの報告書  縦書き



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駄菓子屋さんからの報告書 《うろこ雲は乳白色》N-9.5  望月苑巳


 うろこ雲がちらかっています。
 春の色を拾って歩くと
 駄菓子屋さんの店先に出たので
 柔らかい座敷の奥で
 猫のように丸まっているお婆さんを買いました
 つるんと皮を剥いて
 ぺたぺたと芯だけにしても
 なお眠り続けているので
 金管楽器のように叫んだり
 襤褸の歴史に包まれても輝くことはなかったのです。

          *

 弟よ、あれから幾千の眠りがあり
 幾千もの喧騒がありましたね。
 しかし、きれいに忘れてしまうのが正しい行為であるというのは
 誤解に過ぎません
 あるいは迷走経路の隠滅につながる
 鼠の好きな袋小路かもしれないのです。
 だから駅前の寿司屋で、おいしいネタを奪いあったあの夜
 二人のあいだから希望が抜け落ちていったのですね。
 それからとぼとぼと忍び足で

 春の雲のふとんにもぐりこんだのは
 あの痩せた駄菓子屋さんだったことを覚えていますか。
 でも、あんなお年寄りを丁擲しなくたってよかったのにと
 私は反省の黒板を
 今でも書いては消し、消しては書いています。
 あのお婆さんは
 たったひとつのチュウインガムのせいで
 深い眠りの虜になったのですから。
 いいえ、皺だらけの骨になったのかもしれませんね。
 論語読みの論語知らずは、論語にいつか殺される
 ということを知っていますか。
 弟よ、いずれにせよ
 あの日から私の吐息には
 黒いリボンが結ばれたままになっています
 ころこ雲といっしょに。
 

【転載・詩】 連絡船 = 結城文 『紙霊』より

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)
 
日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、日本詩人クラブの各会員
日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長

結城文詩集『紙霊』(北溟社・2000円)より、転載しています。

『紙霊』は、『認識される物たち--外界に向き立っている自分とはなにか。知覚し、意識している自分のほかに、もっと根源的に自分をうごかしつづけているものがあるのではないだろうか。原風景の中に垂鉛をおろし、問いつづけた言葉のしずく』同書の帯より

                        連絡船 結城文  縦書き


                        写真提供:滝アヤ
                   

連絡船 = 結城文 『紙霊』より 

   大三島盛港午後四時
   フェリーに滑り込み
   広島県の忠海港へ
   甲板に立ち
   十一月終わりの風のなか
   傾きかけた日をまぶしみながら
   海をゆく

   青緑色のおだやかな内海
   進んでゆく船のまわり
   白い布を拡げたように
   泡の膜ができては消える
   浮遊物のなにもない
   きれいな海

   やさしく入り組んだ島山
   藍色の濃淡の山稜の
   幾重ものかさなり
   単調な波音のくり返しは
   次元の違う時間へ運ぶ

   戦前高円寺に住んでいた頃
   夏になると
   祖母の郷里の伊予松山へ
   毎年のようにいった
   カンナの花とひるがえっていた白いカーテン
   はじめて水に浮かぶことを覚えた
   梅津寺(ばいしんじ)の海
   もっと西へゆけば
   あの海につながる

   神戸から松山まで
   船で眠りしながらいったこともあった
   帰りの連絡船のなか
   弟が発熱し神戸で緊急入院
   幼いながら
   叔母と二人
   心もとなく
   東京へ帰った
   母はきっと弟に付ききりだったのだ
   思い出のなか
   どこをさがしても
   母の姿はない

   空襲警報に怯えながら渡った
   宇高連絡船
   学童疎開の子らをのせた
   「紫雲丸」遭難事件
   この海のどこかに
   彼らは今も眠っている

   船べりによれば
   青緑の水に
   いくつもの水泡が
   とりとめもなく
   白い布のように
   拡がってがっては消え
   また膜となる

【転載・詩】だらしない物語=望月苑巳 詩集「ひまわりキッチン」より

 望月苑巳さん:日本ペンクラブ会報委員会の副委員長です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

詩集「ひまわりキッチン」2011年10月10日発行
発行所 砂子屋書房

著者:望月苑巳
〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738


だらしない物語 ー-《青空を吸い取った漆黒》N-1 縦書き PDF


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★スポーツ新聞で活躍の現役映画評論家グループが運営する★

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国弘よう子、望月苑巳、嶋崎信房、菅野竜二の各氏

だらしない物語 ー-《青空を吸い取った漆黒》N-1 望月苑巳 

  闇夜は星が美しい
  月の出た夜はひとが美しい
  梅の香りをまとって笑っているよ
  月の光も薫っているよ

  でもね
  雨の降る日は
  天の涙に表札が磨かれて
  大根のように冷たくなるよ
  ずぶぬれで返ってきた父は
  母さんが置いて行った
  子守唄をうたっているよ
  赤ん坊をあやすように
  空のご機嫌をとるように
  泣きたくなるような子守唄だったよ

  人間は二度死ぬ
  最初は焼かれて灰になった時
  二度目は存在したことさえ忘れられてしまった時

  そんな始末書の脇で
  ぼくが冷たくなっているよ
  開いた瞳孔が青空を吸い取ってしまったのか
  朝から雨
  だらしない雨だよ
  きのうまで蛇口で水を飲み
  好きなものを食べて
  堂々と人を好きになったりもしたのに
  だらしないったら、ありゃしない
  劣化してゆく、ぼく
  退化してゆく鍋の底に
  溜まっていたのは
  使い方を間違えた父の靴ひも

  なにも知らなかったあのころに帰って
  だらしいない雨に打たれ
  三度目の死を迎えるよ
  だらしいないぼくの物語だよ

【転載】『詩集・花鎮め歌』 利根川の川音 = 結城 文

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)

日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、日本詩人クラブの各会員
日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長

          作品・縦書き PDF


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結城文詩集『花鎮め歌』

発行所:(株)コールサック社
     〒173-0004
  東京都板橋区板橋2-63-4-509
  ☎03-5944-3258
   FAX03-5944-3238 


利根川の川音    結城 文

  利根川の向こうに
  トンネルから出てくる汽車が見える
  玩具のように小さい機関車
  音はなにも聞こえない
  天にまでひびくように
  川音は絶えることがないのに
  川の向こうには
  音のない世界がひろがっていて
  夢のなかの風景さながらーー

  白い川石が
  るいるいとして広い川原
  父がいて母がいて弟がいて私もいた
  大きな石り前での一葉の家族写真
  父も母も和服姿
  弟も私も短い着物をきて
  脛がみえているのは川遊びのためかーー
  たぶん蟹をさがしてのことだろう
  あやまって父の右足の親指に
  石を落してしまった
  みるみる黒くなっていった父の爪
     どうしよう
     叱られる
  父は何事もなかったように平然としている
  一言も触れずゆったりと立っていた

  利根川の川原の蟹は小さくて
  石のような色
  砂のような色
  
  川の向こうでは
  反対側から汽車がきて
  トンネルに消える
  汽車は玩具のように小さくて
  汽車の音も車両のひびきも聞こえない
  パントタイムの中の景(けい)

  秋の光をたたえながら
  利根川は
  ごうごうと家族を包んでいた
  古い写真の底からきこえてくる
 
  利根川の川の音

【寄稿・フォトエッセイ】 仲間作りは韓国から=井出 三知子

作者紹介:井出 三知子さん
      かつしか区民記者、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
      海外旅行と海中写真撮影を得意としています。 


                           仲間作りは韓国から PDF


 仲間作りは韓国から  井出三知子 

 2012年10月3日、成田空港で、ちょっぴり不安な気持ちで友人と待ち合わせをしていた。5日間の予定で韓国に行くためだった。
 長い間一緒に旅行してきた友人が、8月の旅行を最後に母親の介護のため、しばらく海外旅行が出来なくなってしまった。
 私は「旅仲間を求む」と広告でも出したい気分になっていたところ、思ってもいなかった人から声をかけられた。
「アメリカ、ヨーロッパは主人の仕事関係で良くいくけど、アジア圏はダイビング以外で行ったことないのよ。一緒に行ってくれない」。「アジア圏ね。私は今まで長い休暇がとれない時は短期間で行けるアジアを旅行していたので、大体の所に行っているから正直、アジア圏は行きたくないわ」と返事した。本当だったら渡に船、仲間が出来たとラッキーと思うところだが、いままでの彼女の性格と行動を考えると二人で旅行するのは、勘弁してほしかった。

 やんわりと、気分を悪くさせないでお断りをしようと思い。
「うーん、行ける日が有るかな」
「日程はいでちゃんに合わせるから」
「豪華な旅行には付き合えないわよ」
「大丈夫、いいわよ。」
「私、ズートしゃべっていて、うるさいよ」
「慣れたから」
「夜、トイレに起きるから寝れないよ」
 私はあきらめさせようと必死で思いつく限りの言い訳をならべた。
 彼女とは私が4年前にダイビングを始めた頃知りあった。彼女はダイビング歴15年の、ベテランダイバーだった。

 年は私より10歳下だった。普通は日帰で伊豆半島で潜るのだが、彼女はパラオ、グアム、セブ、モルジィブなどのリゾートだけで潜るダイバーだった。みんなは彼女を「セレブ」と呼んでいた。
 ニックネーム通りに行動で、とっつきにくい雰囲気で、近寄りたくなかった。


 いつ頃からかそんなセレブとホテルの部屋は一緒、海中ではバディになっていた。
(バディとはダイビング用語で、目の届く範囲ないで一緒に行動して楽しみを共有すると共に異変起きた時はいち早く発見して、お互いに助けあって事故を未然に防ぐシステム。)
 みんなが敬遠しても海の中の彼女は最高のバディだった。私の足りないスキルをカバーしてくれて安心して潜れた。興味をひく物が有ったら、突き進んでいってしまう私の行動をいつも見ていて振り向くと必ずそばにいた。海に潜ってる時が彼女の本来の姿だと理解して接していた。

 だけれども、陸上の言動を見ている限り一緒の旅行なんて考えられなかった。次の瞬間、心と裏腹に「韓国に行く」と口からでていた。
 私は初めての人と海外旅行をする時は、時間もお金もかからない、韓国ときめている。成田空港で待っていると、案の定ビトンのスーツケース、ハンドバック、ビトンずくめで現れた。私はブランドだらけの人と居ると落ち着かなく、何となく恥ずかしくて、彼女の姿を見たとたんに頭がクラクラしてしまった。

 どうせ我慢するのなら、3日も5日もおなじだろうと思い、前から見てみたい秋祭りと世界遺産を訪ねる旅に決めたが、やっぱり3日にしておけば良かったかなと後悔していた。


 最初に降り立ったプサンの街は私が思っていた以上に活気があった。プサン映画祭の前夜祭だったので、町中はストリートライブで若者達の熱気がむんむんしており、魚市場にいくと大量に盛られた魚の前で、おばちゃん達が、まるでけんかしているみたいに、値段の交渉をして買い物をしていた。
釜山を出てソウルまで、高句麗、百済,新羅の時代栄えていた地域を見て歩いた。
(日本の古墳時代から平安時代位にあたる)

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【寄稿・フォト・エッセイ】佐倉の秋祭り=三ツ橋よしみ

 三ツ橋よしみさん:薬剤師です。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「フォト・エッセイ」の受講生です。
 

                 佐倉の秋祭り PDF


佐倉の秋祭り  三ツ橋よしみ

 10月12、13、14日は佐倉の秋祭りでした。
 佐倉に引っ越してきてはじめてのお祭りです。さあ行ってみましょう。

  


 江戸時代に、佐倉城大手門の近くにあった麻賀田(まかた)神社が、佐倉藩の総鎮守になりました。
 佐倉の秋祭りは、佐倉藩の加護のもと発展しました。
 麻賀田神社の現在の社殿は、天保14年に藩主堀田正睦公が重建したもの。江戸幕府の老中在任中の内憂外患に立ち向かうにあたり、一念発願されたそうです。

 訪れた10月13日はお祭りの中日でした。3時に麻賀田神社から町内のおみこしが出発です。
 出陣式に、世話役さんからひとこと注意がありました。
「みなさん、けがのないように気をつけて下さい。
 飲み物は豊富にありますが、くれぐれも飲み過ぎないように。けんかはしないようにしてください。
 もし、お客さんになぐられるようなことがあっても、ぜったいなぐりかえさないでください」


 23の山車や御神酒所、おみこしが佐倉市の麻賀田神社から新町通り周辺を練り歩きます。
 野狐台町(やっこだいまち)の御神酒所(曳きまわし屋台のこと)です。
 唐波風屋根に人がのって踊ります。
 おはやしは軽妙な佐倉囃子です。


 御神酒所が新町通りの狭い角を曲がるところです。
 御神酒所の台車に棒をさしこみ、ゆっくりゆっくり曲がっていきます。


 麻賀田神社の大神輿です。
 江戸時代中期、享保6年に江戸から職人をよび、8か月の月日と、約360両という大金をかけてつくられた、千葉県内最大級、台輪巾5尺の豪華なおみこしです。
 祭りの初日に、麻賀田神社から渡御(とぎょ)され、新町通り中央の御旅所に、はこばれます。
 大神輿は祭りの3日目に、麻賀田神社にもどされます。

 肴町の山車人形「竹生島龍神」です。
 明治に入り、佐倉の商人たちは祭りを盛り上げようと、山車人形を購入しました。現在は佐倉市指定文化財になっています。
 この「竹生島龍神」のほかに、横町の「石橋」、仲町の「関羽雲長」、弥勒町の「八幡太郎義家」、上町の「日本武尊」、二番町の「玉ノ井龍神」が現存します。
 祭りの期間中、おはやし会館、町内の詰所でみられます。

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