【寄稿 エッセイ】 かけがえのないもの = 遠矢 慶子
仕事がオフの日だった。
「注文したワンピースの仮縫いができました」と洋装店から電話を貰った。
「仮縫いにちょっと出かけます」
と母に伝え外出した。
戸外は湧き立つような蒸し暑さで、太陽が肌を刺す。
「あら、いらっしゃいませ。お待ちしてました」
オフホワイトの綿サテンに、ローズ色の大きなバラの花柄のワンピースは、思っていた以上に素敵に仮縫いが出来ていた。ふだんはスチュワーデスの制服を着ているので、これが出来上がったら、銀座を闊歩しようと浮き浮きした。
「よくお似合いですね。急いで仕上げますから」
ママのほめことばを背に店を出た。
(今日は一日暇だからこのまま帰るのもつまらないし、そうだ、絢子さんに電話をしてみよう)
途中の電話ボックスに入り、三田に住む会社の同僚に電話をした。
「あら、私も会いたいと思っていたのよ。うちに来ない?」
「ええ、直ぐ行くからね」
歩いて十五分ほどの絢子さんの家に向かった。伊皿子の坂の上の大きなお寺に住んでいる。
色白の美人、ストレートの栗毛が外国人のようで、お寺の娘らしくなくモダンなひとだ。お寺のうっそうとした木々に囲まれた家は、夏でもひんやりしている。古い、広い、少し湿ったような座敷でおしゃべりが始まった。小柄で愛想のよいお母さんが、麦茶とおせんべいを運んできてくれた。
なにを話しても楽しく、笑って、かぎりなく続く会話、長い夏の日が暮れるころやっと腰を上げた。夕暮れに近いが外はまだ暑く、コンクリートの上を吹く風はむっとしていた。
家に帰るなり、玄関に出て来た母が、
「一体今までどこへ行っていたの? 会社から何度も電話があり、本当に困りましたよ。近くに行っているのですぐ帰りますから、と説明したけれど、いま何時だと思っているの」
と強く叱られた。
すぐに会社に電話を入れた。
「名古屋便のスチュワーデスが具合が悪くなったからと言い、フライトをキャンセルしてきたから、代わりを探していました。羽田に一番近いあなたに乗務してもらいたくて、何度も電話をしました」
代わりのスチュアデスが見つからず困っていたらしい。その時仙台便が着いて、その便で帰って来た南さんが、
「いいです。私、このまま名古屋便に乗ります」
と快く引き受けて、彼女は飛んだと言う。
夕食後、のんびりテレビを観ていた。
『全日空25便、20時30分発名古屋行が、下田沖で行方不明』
そのニュースが流れてきた。1958年8月12日の事だった。
「まさか!」
私は驚きと衝撃で声も無かった。
その夜は、事故の様子を少しでも聞きもらすまいと、一睡もできなかった。あの時、仮縫いを済ませてすぐ家に帰っていたら、確実に私が乗務していたフライトだった。
南さんには、なんという運命のいたずらだろう。はちきれそうなピチピチした南さん、スチュアデス仲間で一番若く、4月に入社したばかりの18歳だった。いつもにこにこ笑みを絶やさない優しい顔が浮かんだ。
名古屋便の正規の乗務だった先輩は、ボーイフレンドとデートのためにフライトをキャンセルしたらしいと、いろいろ噂も流れた。先輩は運が強く、南さんが犠牲になってしまったのは事実だった。
まだ飛行機に乗ることが、一般的でなかった頃の悲しい、世間を騒がせた事故だった。
花柄のワンピースが、私の運命を救ってくれた。そのかけがえのないものは一度着たきりで、手放すことが出来ずに大事にしていた。結婚をして、長い年月の間に8回も引っ越し、どこで、何時捨ててしまったのか、ワンピースはいつのまにか無くなってしまった。
時の経過で、かけがえのないものの行方が分からなくなり、そのことさえも意識が出来ずに年月が流れていた。ワンピースへの想いと記憶が消えると、悲しい航空機事故の出来事すら忘れていた。
【了】