A020-小説家

第88回元気100エッセイ教室=エッセイで平和の教科書づくり

 私たちは後世になにを残すか。何を読んでもらうか。明治時代からの曾祖父、祖父、親の代まで、戦争による暗い負の社会だった。

 団塊の世代でいえば、物心がついた時には、焼夷弾などによる廃墟の町だった。戦争孤児、原爆孤児、満洲引き揚げ飢えで死んだ子たちも大勢いた。生き残った私たちは食べ物も、衣服も満足にない社会がスタートだった。

 そこから懸命に生きてきた。誰もが誠実に働き、新幹線、家電、自動車、環境汚染処理、通信、あらゆる分野で最先端の技術と文化を世界に提供してきた。一方で、私たち市民は税金を通して、先人が犯した外国への負の賠償を支払ってきたのだ。決して、政治家のポケットマネーではない。

 戦後70年間、私たち日本人は武器で外国人を一人も殺さず、これだけ高度に発達した社会を構築してきた。自慢できる70年間なのだ。
「戦争なくして、なぜ高度の平和な社会が作れたのか」
 この優れた社会をエッセイで書き残すことが、後世への平和教科書になる。それが教えられる世代なのだ。


「世界一の品質をつくる」
 日本じゅうが燃えた。企業戦士、エコノミックアニマルという批判はあったが、GNPトップクラスの大国になった。
 成功・成就する裏には数倍の失敗があり、多くの倒産もあった。企業には栄枯盛衰がある。個々人においても、いくどもの挫折、葛藤、仲間との言い合い、仲間との軋轢、あるいは職場環境に悩み、苦しみ、うつ病や自殺などを出してきた面もある。さらには子育てを妻に押し付けた家庭犠牲の精神すらあった。
 それでも日本人は戦争せず、世界一流の製品をつくり、平和国家を築きあげてきたのだ。
平和70年と言われるが、経済が主導で、平和国家をつくってきた。どちらかといえば、政治は経済の後から付いてきた。だから、平和が作れた面がある。


 これから戦後の廃墟と飢餓の苦しみを知らない政治家たちの時代になっていく。戦争を知らない政治家と軍人たちが先頭を突っ走ると、仮想敵国が膨張し、戦争支援、戦争当事者へと不幸の道にすすむ可能性が強くなる。
 これまでのように政治が経済と文化をサポートするくらいがちょうどいい。


 来年からは多くのメディアで、『明治維新150年』という言葉に変わっていくだろう。明治から終戦まで日本は不幸だった。軍事思想家、軍国思想の政治家、優れた軍人がいたとしても、結果として、かれらは日本のためにならなかった。美化してはいけない。戦争を知らない政治家がこれら人物を美化すれば危険だ。


 私たち平和市民こそが、美化されるべき対象なのだ。私たちは、これまで培ってきた企業内活動、文化活動、そして召集令状が来ない家庭内の姿をエッセイで描こう。それが最も後世への平和教科書になる。
 平和国家の市民とはどういう姿か、そのモデルを示すことにもなるのだ。

「小説家」トップへ戻る