北朝鮮の核兵器って、いつ、どのように使うの?
わが家の二階のベランダには、所狭く植木鉢がならぶ。そのなかの一つ、アマリリスが咲いた。見応えがある、真っ赤な大きな花弁だ。![]()
この日、北朝鮮が核兵器実験をしたと聞いた。アマリリスが妙に血の色に思えた。と同時に、核兵器が使われた瞬間を考えた。街は真っ赤な炎で燃え上がり、火焔が人体の着衣に燃え移り、逃げ惑う人々は熱傷から川に飛び込む。そんな地獄がかんたんに想像できた。
私は広島県で生まれ育った。小学校の大多数の教師は、広島大学(あるいは広島高等師範)の出身者だった。複数の先生の顔が白いケロイドだった、という記憶がある。「平和教育」という授業がつねに行われていた。
教師が手作りの紙芝居で、悲惨な地獄絵を見せて語るのだ。一枚ごとに描かれた真っ赤な炎があまりにも鮮明すぎて、怖かった。
「お前たちの頭の上に、ピカドン(原爆)が落ちたら、一瞬にして水蒸気じゃ。だがのう、ちょっと離れた場所だったら、こげえな、真っ赤な火の海を逃げ回ることになる。『水をくれ、水をくれ』と、大人も、子どもも関係なく、泣き叫んでな」と語る。
被爆体験の教師だけに、毎回、死がリアルに迫ってくる。と同時に、わが身が炎に包まれると、ぞっとさせられた。
「平和教育」は怖くて気色悪い授業だった。夜は寝床で、布団をかぶっても、怖くて、震えていた。「平和教育」がある日は、小学校に行きたくなかった。そんな理由で、不登校など、親が許すはずがなかった。そして、新たな紙芝居を見せられる。
「原爆は二度と使わせたら、いかん」
ケロイドだった先生たちは、最期は白血病で血を吐いて死んだことだろう。
北朝鮮は核を開発した。間違っても自国で使うはずはない。それは自明の理だ。
「あなたがたは核兵器って、いつ、どのように使うの?」と問えば、日本だと答えるかもしれない。核兵器が東京にも炸裂する。街は真っ赤に燃え上がる。私は火焔のなかを逃げ惑い、『水をくれ、水をくれ』と、荒川や隅田川に飛び込むのか。
それが私でなくても、次の世代の者かもしれない。
