小説家

広島の秋=三滝寺の紅葉で、情感をつづる

 講演で広島に出むいた。雨降る日に、半日の空間があった。広島近郊で静かなところがありますよ、小説の情感たっぷりです。そこで案内されたのが、広島市西区にある「三滝寺」(みたきでら)だった。空海の創建だという。

 四阿で、静かな時間をすごす。

 雨の紅葉は人出が少なく、静寂感が楽しめる。つい情景描写の取材になってしまう。

「雨の音が苔むす岩から跳ね返ってくる。細い沢の音と重なりあう」
 そんな一行文をつくってみた。

「雨霧のながれが、彼女の心をいずこかへ運んでいく」
 いま連載小説の、女性の心理描写と重ねてみた。

 案内してくれた方は筆力があるので、

『今はこうして、土の上にふりつもった落ち葉も、いずれは形をとどめることなく土に戻っていく。身のおきどころがない、この気持ちさえも、あたかもなかったように、いつか消えてしまうのだろう』
  
『自然という力には、神が宿るというが、ほんとうにそうなのかもしれない。先程までの心の痛みも、やわらいでくれたのも、山の神の力なのだろうか』

『そうだ。私は何も思いのこすことなどないのだ。結局、あの人は私のそばにとどまる人ではなかった。しかし、私はあの人を愛しぬいたと思える。私の思いに悔いなどないのだから』

 と詩的な情景文を綴っていた。

『折りかさなる紅葉の陰に隠れるように、赤い帽子をかぶった石仏があった。大人の石仏の横には、おなじ赤い前かけをつけられた小さな仏があった。そっと手を合わせて、2つの仏に祈りつづけた』

 私はあえて石仏を写真に撮らず、その文面だけを貰い受けてきた。私なりに、うまいな、と感動したので紹介してみた。

『永遠の都』の創作(原稿用紙で4854枚)大作を明かす = 加賀乙彦

 2015年11月25日、日本文芸家協会の「文学サロン」が開催された。ゲスト講師は、『永遠の都』の著者の加賀乙彦さんである。

 加賀さんは東大医学部卒で、小説家・精神科医である。『永遠の都』は、30年間の資料の集積で、50歳代半ばから、69歳にかけて書き上げたもの。講師として、その創作の裏舞台を語った。

 祖父の実家は山口県の猟師だった。その祖父は東京に出てきて、当時、交通事故の多かった品川で医者を開業した。病院は流行った。
 日清戦争、日露戦争などの兵士として、祖父は参戦している。そこから日記を欠かさずつけていた。

 祖父の死後に、加賀さんはその日記を貰い受けた。それが『永遠の都』の下地になった、と語る。

 幼いころの加賀さんは、新宿に住んでおり、2.26事件を直接に見聞している。目の前をいく兵士が「汗臭い、鉄臭い、革臭い」とつよく印象に残っている。小説のなかでも、臭気が敏感な体質で、しばしば取り上げていると語る。

「フィクションを書くには、徹底して事実を知ることです」
 祖父の日記のみならず、当時の事実を知るために、週刊誌広告を出す、あるいは記事で取り上げてもらうなどして、かつての特攻隊員、2.26事件の体験者などの証言者を全国にもとめた。多くの方が手をあげてくれた。面会し、徹底して取材してきたと打ち明ける。


 同作品は2.26事件の前年から2001年まで描いている。
「想像で造りあげた人物ほど、実際の人物と結びつく」
 戦時下のストーリーのなかで、音楽と文学を愛する帝大生が、出征した戦場の悲惨さに耐えきれず、自殺する、というくだりがある。事実に近い人物をつかう。こうした人間は二度と出してはいけないと、フィクションだからこそ、強調できる。
「若者の命を捨て石にし、かれらの苦しみや絶望を『お国のため』と是認してきた」
 国家は国民の命を操った。軍人勅語によると、『鳥の羽よりも、兵士の命は軽い』と判読できる。それは明治5年の徴兵制に遡るものだ。
 国家の命令に服さないと生きていけない時代が長く間続いたと、戦争の惨さを作品のなかで書き綴っている。

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新津きよみ・穂高健一の講演・対談『葛飾を歩いてみて~』

 新津きよみ&穂高健一による『葛飾を歩いてみて~ふたりの作家が語る講演会』が2015年10月4日に、鎌倉図書館にておこなわれた。
 


『新津きよみ』 柴又の散策では、久しぶりのうなぎをご馳走していただいて、とても美味しかったです。
(会場・笑い)

 柴又に訪れたのは2回目です。前回は十数年前に、信州の両親を連れて柴又を案内しました。その時はまだ渥美清さんがご存命で、しかも休日でしたから、満員電車のなかを歩くくらいの混雑ぶりでした。

 ただ、今日も予想外の人出でしたので、とても驚きました。

 

『新津きよみ』
 柴又をミステリーに使うのは難しいと思います。柴又を出しただけで「何かあるな」と、想像されてしまいますし、逃走犯が逃げるには、ちょっと有名すぎるかもしれません。

 となり近所が親しいので、知らない人がいたら、警察にすぐタレコミされてしまうでしょうね。
(会場・笑い)

 とは言っても、相変わらず食べ物屋さんは混雑していましたし、とても楽しい街なので、スリリングな場面に限らず、それらをいつか描写したいです。


『穂高健一』 新津さんの小説「指名手配」の作中で、僕が生活する立石が舞台となった場面があります。それを書かれたときの作者の心境について、聞かせていただけますか。

『新津きよみ』 私は本も好きですが、お酒も大好きです。
(会場・笑い)

 それを穂高さんに話したら、「立石に来ればいいよ」と言い、案内されました。あの時は昭和の顔を持つ街というテーマで、ご案内していただきましたよね。

 私が生まれたのは長野県大町市という田舎ですが、初めて来たのに、どこか懐かしさを覚えました。
 それで書いたのが「指名手配」です。この小説を読んでご紹介くださった読者の方が、今年5月15日の朝日新聞東京版に、逃亡犯の住まいはここだと掲載されていました。まさに、探偵の方みたいで、編集者ともどもおどろきました。

 その方は小・中学校の教師なんですよね、と新聞のコピーをみせる。

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松本『市民タイムス』新聞連載、山岳歴史小説「燃える山脈」が生まれるまで

 瀬戸内海の島っこが、信州・飛騨の山奥の農民を書く。それも歴史小説として。取材に入った時、農家の生活、農業について、いかに無知蒙昧かと思い知らされた。1ラウンド、10秒でダウン。そのくらいいきなり叩きのめされた。
 それからの取材・執筆で、1か月半で、ことし10月1日からの新聞連載小説としてスタートした。1か月が経った。
 この作品が生まれるまでを振り返ってみよう。

 国民の祝日「山の日」が国会で通過したのが、2014年5月だった。
 私は「山の日」推進委員会のメンバーの一人だった。成立が決まった初会合では、同法案の超党派議員の推進役だった会長・谷垣さん、副会長・衛藤さん、事務局長・務台俊介さんら国会議員が壇に立ち、笑みで、思いのほかに早い制定を喜びながら、
『「山の日」は登山だけでなく、山の恩恵に感謝する日です』
 と趣旨を語っていた。

 会合後の同パーティー会場(憲政会館)で、ふいに務台さんから、「穂高さんって、長野の方」とネームプレートを見ながら、そう問われた。「ペンネームです、学生時代から登山が好きだったので」と答えた。
 その出会いから、「燃える山脈」が生まれた。

 私はちょうど幕末歴史小説「二十歳の炎」(芸州広島藩を知らずして幕末史を語るべからず)を出版していた。
 務台さんから、「山の日」が成立したばかり。同法案の趣旨に関連した歴史小説を書いてくれませんか、と提案を受けた。
 天明・天保の長野には、「拾ケ堰」、「飛州新道」、「槍ヶ岳・播隆上人」の素材があり、同時代的に絡み合っているし、山の恩恵に絡むので、と説明を受けた。

 私は一つ返事だった。その実、2-3年後、某新聞社で、維新150年にむけた、鎖国から開国へ大きく舵を取った『阿部正弘』の連載小説の話が進んでいた。
 天明・天保時代から德川政権の土台がしだいに狂ってくる、幕末史のスタートでもある。阿部の執筆とも結びつくかな、という思いがあった。

 取材は信州(長野県)と飛騨(岐阜県)に入った。
「農業は利口じゃないと、できないんですよ」という話を聞いた。自然環境は例年同じでなく四季の変化に対応する。変化対応業だと教えられた。

 私は広島県・島出身で、造船業の町で、田地はゼロだった。農業はまったく知らない。高校一年の時、山越えした先の学校近くに田んぼがあったから、田植えをはじめて見た。自転車で横目で見た通りすぎた3年間だった。大学から東京でまわりに田地などない。
「農業は無知だ。大変なこと引き受けたな」
 と取材を重ねるほどに、その思いがつのるばかり。

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第93回 元気に100エッセイ教室 =テーマの絞り込みについて

 エッセイでも、小説でも、
「この作品のテーマは何ですか」
 そう質問すると、作者が着想を語ったり、素材を語ったり、あらすじを語りったりする。

 テーマとは何か、それ自体がわかっていないからである。

 エッセイなどは、まだ枚数が少ないから、勢いで読まされてしまう。小説など400字詰め原稿用紙に換算し、30枚、50枚、100枚となり、テーマの定まっていない作品など、とても読めたものではない。苦痛だし、「世の中には、読みたい作品はいくらでもあるんだ。これを無理して読む必要がないんだ」という気持ちにさせられる。

「独りよがりの作品など、書いてはだめだよ」と、私は指導する読売カルチャー・金町「文学賞を目指す小説講座」、目黒学園カルチャー「小説の文学賞を目指そう」で、講師としてわりに辛辣に指導する。
 余談だが、先月に50枚の中編で、上記・目黒学園の受講生で、文学賞を獲得した女性がいる。作品の狙いがはっきりしていたからだろう。

 多くの作者は、こんな悪い例から、作品を書きだす。
「これは受けるはずだ」
 と作者が思い込み、書きはじめる。
 しかし、テーマが決まっていない。しだいに話がまとまらず、収集がつかなくなる。あげくの果てには頓挫してしまう。
 あるいは登場人物が多すぎたり、話が飛んでしまったり、脱線したり、無駄なものまで書き込んでしまう。

 結果として、エピソードは興味深いけれど、いったい作者は作品を通して何を言いたかったのか、よく解らない。書き出すときには、作者の頭のなか(着想)は良品でも、作品にすれば、アイデア倒れの駄作になってしまう。

 叙述文学(エッセイ、小説)を目指す人は、徹底して、「テーマ研究」を行わなければ、少なからず、他人がお金を出して読みたくなる作品はかけない。職業人として物書きになるならば、常に「斬新なテーマ」を追い求める必要がある。

 そもそもテーマとは何か。それがわかっていないと、プロになる手前で、お払い箱になってしまう。それほど「テーマとはなにか」は、重要だ。


(悪い例)「この店舗は立地が良いが、従業員は不潔な身だしなみだ」(着想)

 勤め帰りの私は、駅前の惣菜屋に立ち寄った。餃子を買った。店員の白衣が汚れているから、手や指先までも汚く見える。他の客もきっと同じ気持ちだろう。こんな従業員はやめさせられないのかしら。……作文調であり、テーマは何か、読者にはわからない。

(悪い例)「知人の展覧会はよかった。エッセイに書こう」(着想)

 電話で友人を誘うと、当日はヒマだという。最寄駅で待ち合わせをしてから、展覧会の会場に入る。割に混んでいた。知人の風景画は素晴らしいと、友人とお茶しながら感動を共有した。……単に、絵画鑑賞の流れにすぎない。

 では、「テーマ」とはなにか。作者が言いたいことを、一言の文章で言い表せるものである。


【明確なテーマ】

「口論もない夫婦には愛がない」

「一途な想いほど、結婚後は失望へと変わる」

「老夫婦は過去の憎しみまでも流せる」

※ これらテーマが決まれば、それを最後の一行にテーマをおく。こうした流れで結末に向かって書いていけば、良い作品が生まれます。〈最大のポイントです〉


【実例】
 かれは帰路の道々、愛に燃えていた季節は二度とよみがえらないと思った。いまは惰性か、失望か。婚前に燃えすぎると、落差が大きいな、としみじみ思った。親の言いなりにいやいや結婚した人間のほうが、いまは家庭内で、親子ともども生活をエンジョイしていると思えて仕方ない。
 帰宅して玄関鍵をじぶんの手で開ける。この瞬間の空虚な気持ちはなんだろう。結婚後の甘い生活は過剰かたいだったのか。キッチンで水を飲み、寝室の戸を開けた。
 いつもながら、お帰りの一つもない。問いただせば、妻なりの言い分がある。もう、それも疲れてしまった。
 妻の寝顔を見ながら、「一途な想いほど、結婚後は失望へと変わる」と彼はつぶやいた。

 ラスト一行が成立するような、ストーリーを組み立てればよいのだ。必要枚数で、登場人物の数を決めていく。


頭のなかは名作、書けば駄作
 これは、テーマをしっかり抑えて書くだけの力量のない、素人筆者への格言である。

第15回 歴史文学散策 = 芝公園・増上寺 ~ 浜離宮

 日本ペンクラブの歴史好きの仲間による「歴史散策」は15回目を迎えた。2015年9月3日13時、集合場所は芝公園である。

 その芝公園は、明治6年に開園した。「戦後、政教分離から、増上寺の敷地内から、独立して宗教色のない都立公園になったのよ」と歴史小説家の山名さんが説明してくれる。

 ここに都内最大の前方後円墳があったとは、知らなかったな。

 増上寺の徳川家霊廟(れいびょう)には、和宮の墓がある。「悲哀の皇女」として、現代でも人気がある。第14代德川将軍・家茂と仲よく並んで眠っている。
 
 和宮は家茂将軍の写真をもって葬られていた。戦後、学術調査の名の下に、その写真が発掘された。学者が不用意な扱いで、原版を酸化させてしまったことから、家茂の姿が現世から消えてしまった。

 学者もたいしたことないね。
 
 ちなみに、同寺には6人の将軍が葬られている。

 増上寺、寛永寺、日光の輪王寺にある。德川将軍は3か所に分散されている。ただひとり、ここに入れてもらえなかった德川将軍がいる。
 そんな話題も出てくる。


 増上寺は德川家の菩提寺である。

 檀林(僧侶学問所)には、3000人の修行僧がいた。巨大な寺であり、25万坪で、寺領が一万石余りあったという。



 芝大神宮は、江戸時代に多くの参拝者を集めている。相撲、芝居小屋、見世物小屋で賑ったという。

 歌舞伎「め組の喧嘩」などの舞台になっている。

 伊能忠敬の測量地遺功表

 測量起点が高輪の大木戸である。

 明治22年に高さ5.8㍍の青銅角柱が建立されたが、戦災で焼失し、昭和40(1965)年に再建された。

 歴史の案内役は、清原さん(左)と、山名さん(右)、つねにこのふたり。

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山岳歴史小説「燃える山脈」10月1日より新聞連載(毎日)はじまる

 国民の祝日「山の日」がらいねん(2016年)8月11日に施行される。「山から人間は大きな恩恵をうけている」。それをテーマにした、歴史小説を手がけている。


 さくねん(2014年)5月に、衆参の国会で同法案が制定された。私は推進委員のから要請で、山岳歴史小説に取り組んだ。
 このたび「燃える山脈」が松本市に本社がある「市民タイムス」で、新聞連載小説の運びとなった。来年の5月31日まで、毎日で、計240回の予定である。

 プロローグは5日分である。


 作品のおおきな柱として、

① 安曇野の巨大な15キロに及ぶ「拾ケ堰」が、完成するまでの農民たちの苦闘の歴史。

② 安曇平から常念山脈を越えて上高地、さらに焼岳の肩を越える「飛州新道」開削のすさまじさ。2700㍍~2800㍍を2座も越える、交易の街道づくりである。
 
③ 槍ヶ岳を開いた播隆上人。新田次郎氏がすでに描いている。新田氏の手法・播隆信奉の山岳信仰におさまらず、「小説は人間を描くもの」だから、わたしは念仏行者、名もなき猟師、農民もおなじ人間として、優劣なく、「人間ってそうだよな」と、並列で描いていく。切り口の違った展開になるだろう。

 ①~③すべてリンクさせる。そこには1本の太い線がある。小説で、それを描いていく。



 
 小説の背景は天明・天保の大飢饉である。大勢の餓死者がでる時代に、人間はどのように悩み、それを克服していったか。

 農民が主人公になった、歴史小説はあったのかな。そう思うほど、難解で厄介な素材だ。通常の大名や武士が活躍する歴史小説は、ある意味で変化多様で書きやすいな、と最近はおもう。


 農民たちには、まずもって波瀾に満ちた大きなドラマがない。日常生活すら些細な変化の積み重ねだ。そのなかで、しっかり歴史的なおおきなうねりを発見していく。と同時に、小説で描く。


 思うに、純文学は心理描写で、人間のこころの襞(ひだ)が描ける力量が必要だ。ミステリー小説は些細な状況から、次つぎ期待させて読ませる技術が要求される。歴史小説は斬新な史料の発掘で、通説を破る洞察力が求められる。


 主人公の農民を魅力的な人物として克明に描かないと、最後まで一気に読んでもらえない。それだけに、純文学+ミステリー小説+歴史小説のもてる手法を駆使し、一行一句、的確な用語に気をつかって執筆している。

 瀬戸内の島育ち(造船の町)のわたしだから、農民の実態はまったく知らない。知識は皆無だ。すべて取材だ。取材力失くして、書けるものではない。きのうも今日も、執筆のさなかにも、電話での追取材がつきない。

幕末歴史小説「二十歳の炎」が3刷=芸州広島藩は幕末史を変えるか

 拙著「二十歳の炎」(日新報道・1600円+税)が、出版社から、3刷に入ります、と連絡が入った。
 小説はベストセラーにならなくても、ロングセラーで売れてくればよい。

 過去の大物歴史作家はすべてヒロシマ藩抜きにして、幕末物を書いてきた。なぜか。それには芸州広島藩の浅野家の史料が、明治維新の実態を赤裸々に示すものだと、厳重な封印がなされたからだ。もう一つ、広島城下町が原爆で廃墟になり、史料がすべて消滅したという二重の要員があった。

 解らないことはかけない。当然だ。歴史家は広島藩を迂回して、最もらしく書いてきた。あるいみで、大ウソばかり並べていた。禁門の変で朝敵の長州・毛利家の家臣は京都に入れなかった。それなのに、薩長倒幕だという。あり得ない。

 第二次長州征伐は長州が勝ったというが、山口県に入ってきた幕府軍の火の粉を追い払っただけで、どこにも侵略したわけではない。せいぜい、小倉と浜田くらいだ。日本中に影響など、与えていない。船中八策など偽物もないし、大政奉還には関わっていない。広島県・鞆の浦沖のいろは丸事件で、将軍家・紀州藩から7万両も強奪した龍馬が、なぜ英雄になるのか。かれはグラバーの単なる鉄砲密売人・運搬やではないか。

 過去からの通説、明治政府が作ってウソの教科書まで、見破ったのが「二十歳の炎」である。
 広島のことは知らないから、読者からいちどもクレームが来ない。「知らないことは文句が言えないのだ」。私たちが知らない原子物理学に対して、質問すらできない。ノーベル化学賞者にも、なにも疑問をむけられない。
 そんな現象が芸州広島藩だった。
 
 広島県の小中学校の郷土史も、「毛利元就から原爆まで、一気に飛んでしまう。」というほど、99%の広島人すら知らなかった。

 いま広島で売れている「二十歳の炎」だが、いずれ全国区になる、あるいは歴史教科書を変えていくだろう、と信じて疑わない。
 思想弾圧があっても、いちど発行した本は消えない。それが数十年先でもいい、ただしい幕末史になってほしい。温故知新。故きを温ねて新しきを知る。その古いところが真実でなければ、将来がミスリードになってしまうのだから。

第92回元気に100エッセイ教室=プロ作家の計算とはなにか

 文章の基本として「書きたいことを、思うままに書きなさい。まずは書いてみなさい」と指導するエッセイストがいる。それは草野球の監督とおなじことだ。まちがった指導だと、はっきり言える。

 思うままに書くと、筆力が上達しない。低レベルの退屈な作品に終ってしまう。せいぜい作文だ。

 草野球にお金を払って観にいくひとはいない。好き勝手に書いたエッセイや小説にたいしては、だれもお金など払わない。

 野球、サッカー、演劇、絵画、映画、歌手……。どの分野でも、お金を払った観客に、感動とか、陶酔とかを与える技術をもっている。いっさいムダがなく、一挙一動に、神経が張りめぐらせている。

 プロとは何か。お金を払って観にきてもらえるひとだ。エッセイ・小説のプロ作家は、最後まで読ませきる力をもった力がある。お金が取れる文章技術をもっている。100%読者の立場で、文章が書ける人なのだ。

 草野球は途中で帰ってもさして未練などない。プロ野球は9回裏まで、なにかしら期待させてくれる。プロの長編エッセイ、長編小説は、読者に最後までなにかしら期待させつづける。

『頭のなかで名作でも、作品にすれば駄作」

 これは有名な格言だ。

 頭脳のイメージを読者に正確に表現できるか。頭脳が描いたとおりに、文章で正確に書けるか。その技術を磨くほどに、プロ作家に近づく。

 プロ野球の選手が正確に打つ、投手が正確に投げる。そこに血を吐くくらい努力する。
打者はバッティング練習で、一球一打、細かく自問する。スイングの身体の動き、バットの出し方、あごの引き方など、ていねいに自問する。
 これらを毎日100本、200本、300本とつづける。1日も休まず。

 投手においても1球ずつ、打者に打たれないか、凡打にさせられるか、バンド・フライにさせられるか、と丹念に投げ込む。

 プロ作家も同じだ。1行ごとに文章の表現に全神経をつかう。ひとつセンテンスといえども、けっして書き殴りなどやらない。
 
 金がとれるプロ作品は、作中の人物に魅力を感じさせる、味がある、そして面白い。よくこんなことが考え付くな、巧いな、この展開は。
 このように感嘆させる要素が随所に出てきているか、と作者は丹念に吟味をくり返す。
 

【プロの技術に近づこう】

 作者はまず頭脳のなかに、2人の人物をおくことだ。一人は書き手であり、もう一人は厳しい批評眼の読者である。
 ふたりがセンテンスごとに喧嘩腰で、書きすすんでいく。

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【読書の秋・推薦図書】 「万骨伝」= 出久根達郎

 10月といえば、月並みだが、夜長の「読書の秋」となる。秋の日はつるべ落としで、陽が暮れるのは早い。さて何をやるか。TV観賞ばかりだと、味気がないし、受け身の人生になってしまう。

 読書の良さは、疑似体験で、ひとの2倍も、3倍も、人生を過ごせる。これは貴重な体験として、からだのどこかにしみ込む。

 葛飾区・立石には名物「岡島古書店」がある。主の岡島さんと会い、こんな話題から入った。「達ちゃんの読書量にはおどろかされるよ。古本屋がまず読まないのが、饅頭本だからね」
「饅頭本とは?」
 わたしも作家稼業だが、その用語には馴染みがなかった。
「葬式饅頭があるよね。それだよ。死者を称える本は饅頭本という。死者を悼んだり、弔ったり、そんなことばはまずはきれいごとばかり。美辞麗句ばかりで、内容がない。面白くない。私は読まないね」
 読むのが商売の古書店の主のことばだ。つまり、饅頭本は古本屋の関係者はまず見むきもしないと語る。

「達ちゃんは、それを丹念に読んで、そのなかから、新発見をして人物紹介をしているのだから、おどろかされるよ。かれはむかしから読書量は半端じゃなかった」
 岡島さんの語る出久根達郎さんのエピソードは尽きない。

 出久根達郎著『万骨伝』(ばんこつでん)ちくま文庫、定価950円+税が、この秋に出版された。副題は「饅頭本で読むあの人この人」である。

 岡島さんはそれを読んで、ともかく感歎していた。ふたり(岡島さんと出久根さん)は、10代の頃から、古書店仲間だ。「おれ・おまえ」というか、呼び捨てにする仲間だ。ともかく親しい。
「神田古本街に仕入れにきた達ちゃんの読書は、ともかくすごかった。片っ端から読む、眼を通す。本問屋の地べたに投げ出されている、現在でいう店頭30円~100円の本まで目を通していたよ」
 そんなエピソードを語る岡島さんも、名刺とケータイは持たない。手紙は書かない。この3点セットは守りつづけている。頑固一徹だから、世のなかがどう進歩しようが、下町・立石で、古書店を守りつづけている。
 現在は葛飾立石ブームだが、町の歴史そのものの語り部でもある。

『万骨伝』には実業家、アスリート、泥棒まで、異色の人物が50人ずらりならぶ。個々人の写真があるので、明治、大正、昭和のお姐さん方の美人ぶりも、これも楽しい。

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