小説家

ウクライナ侵攻で、バレてしまった幕末史の大嘘= 明治のプロパガンダ (上)

銀閣寺 ①.jpg 歴史は自国の都合だけでうごかない。かならず世界情勢および隣国との関係で政治・経済・文化は連動して推移していく。
 2022年のロシア(プーチン大統領下で)、ウクライナ侵略がなされた。全世界が驚愕し、世界中の人々が、この先どうなるのか、と案じた。
 ある人は戦略核が使用されるのではないか。あるいは第3次世界大戦にまで拡大するのではないか。ロシア・ウクライナの小麦を中心とした穀物輸出の大幅に減り、アフリカなど食糧飢饉になるのではないか。あるいは餓死の悲惨な状況に陥ってしまうのではないか。

 日本においても、ウクライナ侵略に触発されて、中国が「一つの中国を掲げ、台湾に侵攻し、日本も、その戦争にまきこ乗れるのではないか」と案じた人たちがとてつもなく多い。
 中国・台湾が戦争になれば、米軍の出動が沖縄からになる。中国は敵基地攻撃で沖縄を攻撃する。日米安保は軍事同盟だから、あるていどの覚悟が必要だ。

 沖縄を守るために、今の自衛隊員だけで日本防衛ができるのか。日本の成人男子は戦闘要員として与しないと、またたくまに兵員不足で惨敗するだろう。
 これはGNPの軍事予算比の問題でなく、「60歳まで徴兵制で、日々の厳しい野戦軍事訓練で、戦場らおもむいては命を賭せますか」という、あなたへの問いかけになっている。
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              *
 このようにヨーロッパ大陸のロシア・ウクライナの2カ国の戦争が、またたく間にアジアに波及し、日本への影響、庶民の暮らしに跳ね返ってくる。むろんきょう現在も石油や食糧の不足から、物価は高騰し、日常生活にまで直結して影響している。

『歴史は自国の都合だけでうごかない』という格言が、2022年2月のロシアウクライナ侵攻で、得られた実感である。

               *

 明治以降に編纂された幕末史が、いかに大嘘だったかと、白日の下に晒されている。政府や学者や歴史作家は、裏を返せば、いかに嘘の幕末史で国民をだましてきたと、それが実証された。

 さかのぼると約170年前、現在のロシア・ウクライナ侵攻とまったく同じことがヨーロッパで起きたのだ。それが1853年の世界史でも最大級に有名なクリミア戦争である。
「野戦のナイチンゲールが活躍で有名な戦争ですよ」
 といえば、ああ、なんとなく解る、という方も多いだろう。
 それほど有名な戦争である。
                             【つづく】 
 

 

『いたましい海難事故』 1955(昭和30)年5月11日は? 土岡健太

 土岡健太です。広島県・呉市在住です。

 広島県大崎上島がご出身の穂高健一先生の著作「神峰山(かみのみねやま)」を再度ご紹介させてください。

 この本は5作の短編で構成されています。先夜、その中の「女郎っ子」をまた読んで、また泣きました。
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 1955(昭和30)年5月11日、大崎町木江南小学校6年生の修学旅行で、主人公の乗船していた"宇高連絡船"「紫雲丸」が高松沖で沈没。多くの方が犠牲になりました。

 犠牲者は168名に上り、うち修学旅行中の四校の児童生徒、先生は100名を数え、木江南小学校は児童22人、先生3人が犠牲になったとあります。大惨事でした。
 主人公も亡くなりました。

 じつは父の実家が香川県にあるので、幼いころこの宇高連絡船には何度か乗って、四国に渡ったことがあります。

 連絡船は岡山県の宇野港から高松港まで貨車も積む大きな船で、出航を知らせるドラの音も懐かしく思い出されました。

 その記憶と小説の描写が重なります。また、私(土岡健太)の修学旅行も「金毘羅さん、屋島」、とよく似たコースでしたので、尚更共感しました。

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   栗林公園で昼弁当 1962(昭和37)年


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   丸亀城 1962(昭和37)年

  1957(昭和32)年4月12日、広島県生口島瀬戸田港近くで起きた、忘れてならない身近な大海難事故に「北川丸沈没事故」があります。

 あらためて、ご冥福をお祈りしたいと思います。

                        【了】   

国際ペン ― 世界の作家のウクライナに関する声明 ― ノーベル賞受賞者、作家、芸術家

 世界中のノーベル賞受賞者、作家、芸術家は、1000人以上が署名した前例のない手紙でロシアのウクライナ侵攻を非難します

 文学と表現の自由の組織であるPENインターナショナルは、世界中の1000人以上の作家が署名した手紙を発表し、作家、ジャーナリスト、芸術家、ウクライナの人々との連帯を表明し、ロシアの侵略を非難し、流血の即時終結を呼びかけました。
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クライナの友人や同僚に

 私たち世界中の作家たちは、ロシア軍がウクライナに対して解き放った暴力に愕然とし、流血の終焉を緊急に求めています。

 私たちは無意味な戦争を非難し、プーチン大統領がモスクワの干渉なしに将来の忠誠と歴史を議論するウクライナの人々の権利を受け入れることを拒否したことで団結しました。

 私たちは、作家、ジャーナリスト、芸術家、そして最も暗い時間帯を生きているウクライナのすべての人々を支援するために団結しています。私たちはあなたのそばに立ち、あなたの痛みを感じます。
                   
 すべての個人には、平和、自由な表現、自由な集会の権利があります。プーチンの戦争は、ウクライナだけでなく世界中の民主主義と自由への攻撃です。

 私たちは、平和を求め、暴力を煽っているプロパガンダを終わらせるために団結します。

 自由で独立したウクライナがなければ、自由で安全なヨーロッパはあり得ません。

 平和が優先されなければなりません。
             
         (イラスト:中川有子) 
 
【原文・英語】

Nobel Laureates, writers and artists worldwide condemn Russia's invasion of Ukraine in unprecedented letter signed by over a thousand
Sunday 27 February 2022 - 5:30pm
Read the briefing in full
Nobel Laureates, writers and artists worldwide condemn Russia's invasion of Ukraine in unprecedented letter signed by over a thousand

PEN International, the literary and free expression organisation, has released a letter signed by over 1000 writers worldwide, expressing solidarity with writers, journalists, artists, and the people of Ukraine, condemning the Russian invasion and calling for an immediate end to the bloodshed.

Read in Ukrainian, Russian, Arabic, French and Spanish.

To our friends and colleagues in Ukraine,

We, writers around the world, are appalled by the violence unleashed by Russian forces against Ukraine and urgently call for an end to the bloodshed.

We stand united in condemnation of a senseless war, waged by President Putin's refusal to accept the rights of Ukraine's people to debate their future allegiance and history without Moscow's interference.

We stand united in support of writers, journalists, artists, and all the people of Ukraine, who are living through their darkest hours. We stand by you and feel your pain.

All individuals have a right to peace, free expression, and free assembly. Putin's war is an attack on democracy and freedom not just in Ukraine, but around the world.

We stand united in calling for peace and for an end to the propaganda that is fueling the violence.

There can be no free and safe Europe without a free and independent Ukraine.

Peace must prevail.

晩秋の富士山麓で、想うままに撮って、わが心を重ねる ②

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 今夜の宿泊地は、山中湖畔のカントリーホテル「スターダスト」である。富士山とフランス料理が売りである。
 一泊2食が1万1500円~である。満足度の割にずいぶん格安である。+アルコール代も加えても、リーズナブルなお値段だ。

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 かつて山仲間(可児さん)と、スターダストに一泊し、ちょうしに乗って酒を飲み過ぎてしまい、富士山の山頂への登攀がことのほか苦しかった。ふたりは登山ザックにワインを数本入れて担ぎ上げたけれど、二日酔いで一滴も飲めなかった記憶がある。

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 何年前か忘れたが、この山中湖畔の「スターダスト」に泊まり、白雪の11月の富士山に登った。パートナーは肥田野さんである。
 ふたりは冬山ゆえに二日酔いを警戒し、ビールは1、2杯で控えた。そして早朝に、完全装備の登山姿で出かけた。

 冬場は富士5合目までの路線バスなどない。裾野から自力で登攀していく。
 単独峰に吹く風は強烈である。雪面は風で磨かれてツルツルに光るほど研磨されている。
 転倒すれば、制動が利かない滑落となり、助かる確率は低い。まさに死に直結する一歩ずつである。
 七合目からはもはや台風並みの風で、わたしたち二人の足を止めてしまった。酷寒の烈風はとうとう山頂まで近づけてくれなかった。二人は断念し、下山してきた。

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 スターダストでは、フランス料理の美食を摂ったあと、マスター(木村あずささん)が手品を披露してくれた。一つひとつに感激。見事な腕前だ。

 もう10年くらい前になるかな。わたしは「山中湖ハーフマラソン」に出場した。そのときも、かれが上手な手品を披露してくれた。前泊の食後に、とてもリラックスできる好い時間がもてた。
 そんな記憶がよみがえってくる。

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 御殿場からみた富士山が話題になった。

 林忠崇(ただたか・21歳)は、総国請西藩(じょうざいはん・千葉県木更津市・一万石)藩主だった。鳥羽伏見の戦いあと、旧幕府(徳川将軍家)を追いつめる新政府に反感をもった。

 藩主の忠崇みずから脱藩し、藩士70名らとともに、旧幕府の遊撃隊に参加した。幕府海軍の協力を得て、館山から相模湾の沿岸に上陸し、小田原、箱根や伊豆などで新政府軍と激しく交戦する。

         *

 このころ、芸州広島藩の自費出費で320人が参戦した「神機隊」は、上野戦争、飯能戦争のあと、会津にいく予定だった。ところが、江戸城の総督府・大村益次郎(長州藩)から、
「林忠崇のつよい遊撃隊が、最新型のフランス銃を装備したうえで、小田原から御殿場を経由し、甲府にむかっている。討伐してきてくれ」
 と派遣を要請されたのだ。

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 懇願に応じた神機隊が甲府、さらには高所の三つ峠を越えて河口湖周辺(写真)まできてみた。さらに、山中湖まで足を延ばしてみるが、林忠崇たち遊撃隊の形跡がまったくなかった(忠崇は奥州戦争にむかっていた)。
 神機隊は江戸城までもどってくると、総督府総帥参謀の大村に対峙し、
「がさネタで、無駄足をさせてやがって。わが神機隊は自分たちが集めた自費で参戦しているのだ。弁償しろ」
 と上から目線で、六千両を脅し取っている。

 毛利家祖の元就は、広島藩から戦国の雄になった武将だ。さらに、幕末・明治維新まで、芸州広島藩の浅野家(42万石)が、朝敵にもなった長州藩毛利家(36万石)よりも、つねに優位性を保っていた。
 そんな背景から大村は、神機隊の隊員・軍備搬送として江戸湾から平潟(茨城県)まで、長州藩の軍艦までも貸与させられている。

         *
 
 明治に入ると、元藩主の林忠崇は脱藩・反逆の罪で平民まで堕ちたうえ、極貧の流転つづきであった。実に、気の毒だ。
 昭和12年(1937年)に旧広島藩主・浅野長勲(ながこと)が死去すると、忠崇が最年長の『最後の元大名』となった。


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「スターダスト」を創立した元オーナー・木村忠さん(写真)は、大手の通信メーカーのエンジニアだった。38年前に、脱サラで、保育園勤務の妻・翠(みどり)さんとともに、山中湖にペンションを開業した。
 技術屋さんが接客業とは、わたしの想像を超える。

「ここまでの38年間で、一番苦しかったのはいつですか」
 おおかた、なれない経営の創設期だろう。
「一にも二にも、新型コロナのここ2年間です。創設期は若さから夫婦で懸命に働きました。子育てをしながら。それなりに口コミもあって、お客さんの確保ができて上向きました。しかし、コロナ禍は営業ができず、手の施しようがなかったからです」

 ただ、山梨は全県民らの力で、新型コロナの新規感染拡大が徹底して抑えられてきた。その成果が生まれた今、ことし10月から中学生の修学旅行が入りはじめましたと話す。

 妻の翠さんもかたわらで、
「山梨県は全国で3番目に、修学旅行の人気だと公表されています。やや灯りが見えてきた感じです、第六波のコロナ禍を想像すると、まだ心細い灯りですが」と語る。 

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  明日はどこに行ってみるかな。
「いまはちょうどダイヤモンド富士で、カメラマンが大勢きていますよ」
 カメラマンは小説の素材として興味がわかないしな。
「花が少ないフラワーパークも、情感があります。河口湖です」
 そこがいいな。
 さらなる候補先をいくつかあげてもらった。  
                    
               『つづく』     

【関連情報】

カントリーホテル「スターダスト」

〒401-0502 山梨県南都留郡山中湖村平野2977

電話番号0555-62-2200

 

晩秋の富士山麓で、想うままに撮って、わが心を重ねる ①

 富士山麓に行ってみよう、宿は山中湖村の「スターダスト」ときめた。日本人にとって、富士山は最も人気があるけれど、それだけに月並みな山でもある。
 文学、芸術の世界で、美しい対象ほど表現するのは実にむずかしいものだ。
 
 写真の腕前えが優れているとうぬぼれる者でも、月めくりカレンダー「富士山と桜と湖」の写真と比べれば、見劣りがする。
 かりに絵画の心得があったとしても、江戸時代の浮世絵師たちの独特の絵画技法には、逆立ちしてもかなわない。小説の筆力がある書き手でも、太宰治の名作「富嶽百景」にはおよばないだろう。

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 晩秋に3、4日くらい富士山麓で過ごしたところで、先人をまえにして、わたしは挫折感を味わうだけである。
 それがわかっていても、11月半ばの富士山は、四季を通して、白雪をかぶった形と姿が最も好いし、山容に魅せられてしまう。考えたあげくの果てに、やはり日本人の心の象徴・富士山だと、足をむけた。

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 富士五湖の湖畔で恋をする。ふたりはすねて、甘えて、心のなかで最愛の人だと信じ、澄んだ目で語り合う。やがて、恋の決意をかためていく。
 そんな燃える男女の情愛をえがく小説を理想としている。

 この景色なかに、恋が燃焼している男女はいないかな。そんな被写体をごく自然にもとめている自分を知る。作家の職業病なのかな。

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 山中湖の湖畔で、記念写真を撮るほほえましい親子をみつけた。三脚のそばで、少年が両親を撮る姿が妙に恰好よかった。かたや、少年に笑顔をむける両親の表情もこころよい。
「カメラマンのボクの写真を撮らせてください」
 両親が快諾してくれた。

 少年の写真を掲載すべきか。親子の姿か。ずいぶん迷ったけれど、男女が恋をして、家庭をもち、子どもが生まれ、家庭をきずいていく。
 このプロセスのほうが、私の作風にあっているかな。

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 家庭を築いて、子育てが終わり、老夫婦で旅に出る。そこにはともに人生を歩んできた年輪と、苦節を越えられた自信とが、いたわり歩く姿に凝縮されて醸(かも)し出されている。
「若いころは、よく夫婦喧嘩をしたわね」
「いまもね」
 そんな思い出ばなしも、ほどほどに楽しみ、語り合っているのだろう。
 
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 生きている今が最も大切だ。あすは何が起こるかわからない。よきドラマならばよいが......。
 この湖畔の村は、伊勢湾台風の大雨で、裏山から巨大な山津波が発生し、集落ごと湖水に流されてしまった。全村の生活が阿鼻叫喚(あびきょうかん)のなかで、すべて消えた。
 
 この伊勢湾台風は、昭和34(1959)年9月の潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心に、ほぼ全国に甚大な被害をもたらした。明治時代以降の台風災害で史上最悪の惨事となった

 愛知県・三重県の被害がとくに甚大であった。となり合う、ここ山梨県の富士山麓も例外ではなかったのだ。
 
 村中の幼子、少年・少女、若夫婦、働き盛りの農夫、余生を送る老人らが瞬時に、土石流にのまれていく。号泣しながら、救いを求める、むごたらしい悲惨な光景になったのだ。

 わたしが初受賞した文学賞は『千年杉』で、山津波が素材だった。それだけに、いま観光で復元された村にきて、災害当時の惨状をきくほどに胸が痛む。
 
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 富士山は活火山だ。もし噴火したら、どんな姿になるのだろうか。雲を噴煙に見立ててみた。

 宝永噴火は1707年だった。いまからさかのぼること300年前。幕末は150年まえの曽祖父の時代だ。そこから、たった2倍前にすぎない。地球年齢でみれば、まさに、きのう今日とおなじ。

 東京は関東ローム層(富士火山灰)の上に建つ大都市だ。
「富士山は300年周期です」
 そう教えてくれた。
 富士山噴火は射程なのだな。

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 火山噴火は真っ赤な溶岩がながれ出てくる。数千度の高温岩石に襲われる恐怖はどんなものだろう。
 わたしの作品には、山岳にからむ小説がことのほか多い。ただ、火山噴火はいちども素材として描いていない。
『善人が助かって、悪人が死ぬ』
 そんな善悪の法則など一切ない。運命か、宿命か。そこに凝縮されてしまう。そう考えると、自然災害は人間の努力と連動してこない。
 わたしには想像できない世界観(宗教観に近い)ゆえに、とても書けない分野だ。
 
 富士山爆発を予言した雑文で、金儲けする著述業者の心理はわからない。無責任な恐怖で人を惑わす、かれらが最も悪人かも知れない。
 
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 人間は強烈な記憶でも、歳月とともに忘却していく。

 わたしは日記をつけたことがない。不精な性格というわけでもないけれど、取材ノートや手帳でも、読み返すことなど、ほどんどない。約束事などは記憶で行動するし、執筆は脳裏にとどまっている範囲内で文章化してしまう。要するに、忘れたことは書かないだけだ。

 だから後日、見もしない日記など書いても意味がないと思っている。ただ、晩秋の単純な風景など、今冬になれば、まちがいなく忘れてしまう。

 最近のデジタル写真は撮影の時分、露出条件、場所すらもGPSで、こちらが依頼しなくとも詳細に記録されている。メモ代わりに、シャッターを押しておくか。

               『つづく』  
 
【関連情報】

カントリーホテル「スターダスト」

〒401-0502 山梨県南都留郡山中湖村平野2977

電話番号0555-62-2200

2022年8月1日から新聞連載小説に備えて、「接続詞」の勉強中

来年(2022)8月1日から、新聞の連載小説がはじまります。某紙で公称80万部、実売50万部。日曜を除く毎日で、一年間の契約です。
 いまは宮部みゆきさんが歴史小説「三島屋変調百物語」を連載中です。その次が私で、題名は『妻女たちの幕末』です。時代背景は天保(1830年)~戊辰戦争(1868年)までです。
 
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写真・左より:篤姫、皇女・和宮、德川美賀子 (ネットより)

 私の近著として『安政維新』(阿部正弘の生涯)、『紅紫の館』があります、一つは老中首座の阿部正弘を主人公にして天保時代の後期から安政時代までを描いています。紅紫の館は徳川史観で、桜田門外の変、からは戊辰戦争まで展開しています。
 2冊を一つに考えれば、幕末そのものです。

 政治や動乱は男の表舞台です。
 女は歴史の裏舞台です。

 2冊は男性の視点だったけれど、3冊目は女性の視点でより史観
に近いところで小説化するものです。きっと薩長史観を逆なでるものだと思います。

 これまで名君と言われていた大名が、女の視点から描くと、女の心を無視した政略結婚を企てる、とんでもない暴君になってしまう。
 かれらは農民から搾取した金で、大奥の女を利用するために、湯水のごとく賄賂をさしむける。とりもなおさず、支配者たちが名誉、権威、威信を得るための欲だった。
 
 幕末史を掘り下げると、男たちの強欲な暴走であり、影で女の欲の底力がある。男と女の対立を描かずして歴史が語れない。
 
           *
  
 私の出自は純文学です。特徴は叙述の文章で心理描写、情景描写文、そして会話文に徹するものです。かたや極力、説明文を排除してきました。
 これは小説の登場人物に、読者の感情移入を誘い込むものです。私の過去の文学賞はすべて純文学でした。

 幕末動乱期には避けて通れない、大きな事件や出来事が連続します。かぎられた新聞紙面で、濃密な心理描写など展開すれば、ストーリーが先に進ません。

 となると、政変、内戦、陰謀、外交、騒擾、事件、貧困、疫病など、これらは説明文を多用し、時間軸の年月を進める必要があります。
 心理描写を圧縮し、事件の概要説明や補足説明などは、下手をすれば、論文調でゴツゴツした内容になってしまいます。

江戸城・大奥
      揚州周延の浮世絵 (上越市立総合博物館)      
 
 新聞の読者からすれば、「妻女」というから艶っぽい、情欲的な小説かと思いきや、「これって、学者が書いたの」という批判にもなりかねません。
 
 私は「よみうりカルチャーセンター」と、「目黒学園カルチャースクール」では、「文学賞をめざす小説講座」を指導しています。
 受講生たちの文体は尊重しながらも、私が得意とする叙述文の書き方の指導になっています。
 説明文は「主語+述語」のかかり方が正確ならば、それでよい、と考えています。提出作品を添削するときに、「主語+述語」がおかしければ、作品に朱を入れる程度です。
 あえて指導はしていません。なぜか。学生から社会人になる段階で、作文、論文、ビジネス文、報告書で、記事など、だれもが一通りマスターしてきている。
 講師の私がなにも説明文の指導する必要がないと考えていました。

 説明文のコツがあるとすれば、巧い接続詞で、文章と文章が溶接されていれば、読者を的確に誘導できます。

 つまり、接続詞とは車のウィンカーとおなじで役目です。右方向に行くよ、後ろに下がるよ、左に曲がるよ、と読み手に予測の提供するものです。

「かれこれ、10年前にもどれば」と接続詞で説明すれば、ひと昔まえにさかのぼる。「江戸奉行は、現代に例えれば、警視くらいである」と使えば、一気に150年後まで高跳びできます。
 このように、時空も自在に展開できます。

 エッセイストが文章の書き方で口にするのが、「起承転結」です。まったくナンセンスだと、私は考えています。自由に思うままに書けば良いので、意味不明な難解な「起承転結」を要求するから、文章を書くことが嫌になってしまうのです。
 
 話をもどせば、私は小説を叙述文で書いて、説明文が排除してきました。それゆえに「接続詞」のボキャブラリーは抱負ではない。

 新聞連載まで、あと10カ月あります。ここは100くらいの接続詞を存分に使いこなせる努力をしたいと考えています。


『接続詞の一部紹介』
 原因・理由(それで)、場面転換(すると)、言い換え(つまり)、相反(しかしながら)、予想外(それにしては)、対比(一方で)、決着(いずれにせよ)、結果(こうして)、次の場面(それから)、・・・・・・

* 接続詞とはまさに車のウィンカーと同じで、タイミングよく出せば、読者に文章の先を上手に、ごく自然におしえられます。

 説明文は接続詞を効果的に入れると、読み易い文章になります。ただ、前後におなじ接続詞をなんども使うと、作品の品質をさげます。そこは要注意です。

講演会の案内 幕末の足立(紅紫の館) = あだち区民大学塾・10月2日

演題「幕末の足立と桜田門外の変・徳川埋蔵金・新撰組」で、10月2日が講演会がおこなわれます。


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会場 :足立区生涯学習センター(学びピア21)

足立区千住5-13-5 五階 研修室1
受講: 1500円

定員: 50人

申込み方法: info@gakugaku.main.jp
住所、氏名、電話番号、「幕末の足立」と明記

問合せ先 : 03-5813-3759

共催 : NPO法人あだち学習支援ボランティア「楽学(がくがく)の会」

  : 足立区教育委員会


『講座案内』
 桜田門外の変、大政奉還、膨大な徳川埋蔵金、新選組足立屯所、上野戦争、寛永寺貫主の輪王寺宮の「東武天皇の即位」など一連の幕末の出来事が語られます。
 
 その時代に生きた武蔵国足立郡の郷士・日比谷健次郎の活躍を通して、薩長の新政府がつくりあげた歴史の裏側と幕末の足立との関連を明らかにしていきます。

 
       

『穂高健一のエッセイ』 恐怖のサイレン

 私には絶対音感がないから、音痴である。楽譜通り、まともに歌えない。中学の音楽の時間に、私にすれば真面目に歌っていたのに、音楽教師がなぜ、何回も音を外す、と声を荒げた。
 悪質な生徒だと見なされたのか、運動場を三周してこい、と命じられた。
 広い運動場を一人走っていると、各教室から顔を出して愉快がる生徒らが大勢いた。私は照れ隠しで、手を振った。それを咎められて、職員室に立っておれ、と怒られた。
 それがトラウマになったとはいわないが、絶対音感は育たないものだ、いまも、お金を出してまで、カラオケに恥をかきにいきたくない心境である。

 こんな私にも、ふるい曲に思い出が重なっている。ふと耳にすると、当時を思い出す。小学生のころ隣家のお好み焼きだったので、窓越しに「お富さん」の曲が流れ込んでいた。中学生は「カラタチ日記」で、同級生の女子との噂をながされ、からかわれる曲に使われた。島の高校は「恋の片想い」で悶々とし、勉強がまったく手につかず、人生の岐路を変えた。進路指導は広島か岡山の大学だったが、東京の私立大学に進学した。

 瀬戸内の島育ちだから、東京から交通費を出してまで房総や三浦海岸まで行きたいとおもわない。もっぱら八ヶ岳や北アルプスで「山男の歌」である。

 こうした曲名をならべると、私は昭和人間だとわかってしまう。むろん、昭和生まれを隠す気持ちなどみじんもない。むしろ戦中、戦後の極貧、高度成長、日本が第一回サミット加盟国という誇らしさ、平成の悲惨な大自然災害、令和の世界的な疫病のまん延という波乱に満ちた時代を体験できた。

 小説家としては多様な変化に満ちた体験世代だとおもう。

 さかのぼれば、高度成長期には、私たちがはたらいた税金の何割かが、太平洋戦争の加害国として、アジア諸国に戦争賠償金、資金援助としてつかわれてきた。親の世代で戦争をして、子どもの時代で支払う構図だった。当然支払うべきものだと抵抗はなかった。

 話しはさらにもどるが、私が一歳半のときに終戦である。本来ならば、戦時体験など記憶にあるはずがない。ところが私のからだには戦争の恐怖がしみ込んでいる。

 高校卒業で島を離れるまで、町内の火災を知らせるサイレンがことのほか怖くて、いつも脅えていた。それは不思議な現象だった。
戦時中、島の港内に停泊する商船が機銃掃射で狙われていたらしい。母から、今治の町が爆撃で真赤に燃えて怖かったし、防空壕の出入口から恐るおそる見ていたと聞かされた記憶がある。
「サイレンが怖いのは、これだったのか」

 想像するに、当時24歳だった母は、敵機襲来という空襲警報のサイレンが鳴ると、とっさに両手で幼児の私を胸に抱きあげる。父は出征しており、心細く、「外地から帰ってくるまで、この子を殺させてはいけない」と強く抱きしめていたという。

 おおかた幼い私の耳には、母の恐怖の心臓音がドキドキと脈打って聞こえていたのだろう。サイレン音とともに、からだが恐怖を覚えてしまった。

 私には、兵士を送りだす軍歌だの、機銃掃射の音だの、沖を航行する軍艦だの、それらはまったく記憶に残っていない。早朝なのに、山の端のかなたがぴかっと光った、あれが原爆だったと聞かされていた。これも、戦争が終わってからだ。

 私たちの同世代は、親を亡くした戦争孤児、原爆孤児、大陸引揚者の飢餓寸前の子らである。敗戦後はGHQ国連占領軍の支配下にあり、だれもが極度の食糧難で飢えていた。米の飯など食べられない。貧乏人は麦を食べろ、と言われた時代だった。
 私がバナナをはじめて食べたのは小学三年、チーズを口にしたのは小学五年だった。敗戦とはそういうものだった。
 でも、太平洋戦争に負けて良かった、と真におもった。子ども心に軍隊にはいきたくなかったからだ。

 それというのも、出征した父が持ちかえった写真アルバムがある。一つは、射殺した大きなトラにまたがった軍服姿の父の写真だ。小隊が人食いトラを数日間追って射止めたという。
 小隊長だった父の真上の岩壁から、飛び降りてきた瞬間、仲間が下から射殺してくれた。間一髪で助かったという。
 もう一つは、深い雪のなかで、複数の軍人のさらし首があった。私は子ども心に「誰なの」と聞いた。すると、金日成(きんにっせい、北朝鮮の初代最高指導者)の腹心だよ、とさらっと答えた。旧日本軍としては手柄だった口ぶりだが、多くは語らなかった。
「戦争は残酷だな」
 その強い印象が私を戦争嫌いにさせた。


 現代社会でも、世界のどこかで戦争がおきている。被害に苦しむ子どもたちの報道がなされる。難民の子どもらも、私の体内サイレンのように、戦争の恐怖体験がきっと消えないとおもう。
 戦争と平和はコインのように裏表の両面性がある。

いまの私は、政治家が「国を守る」と発言すると、すぐさま戦前の『祖国を守る』政策を連想し、ぞっとしてしまう。そして、体内に潜む恐怖のサイレン音と結びつくのだ。

 為政者が『国民一人ひとりを守る』といえば、個々人の命を大切にする、平和維持の政治活動につながるのに、とおもう。用語の使い方はとても重要で武器解決でなく、外交努力になる。

 子々孫々まで、私たちは空襲警報の恐怖のサイレンを聞かせたくないものだ。

穂高健一講演会「渋沢栄一と一橋家」日程変更・案内=葛飾区立図書館 

 穂高健一 講演会「渋沢栄一と一橋家」が、7月25日(日)に予定されていましたが、緊急事態宣言のため10月24日(日)に延期となります。


 立石図書館より、下記の案内です。
『こちらの講演会は定員に達したため、申込受付は終了しています。なお新規のお申し込みはありません。事前申し込みされた方のみご参加いただけます


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開催日 令和3年10月24日(日曜日)

時間 午後2時 から 午後4時 まで(開場午後1時30分から)

会場  葛飾区立・立石図書館2階研修室

対象 区内在住中学生以上

定員 35人(事前申し込み・先着順)

講師 穂高 健一氏(作家)

申込方法 終了

費用 無料

特記事項 感染症対策にご協力お願いします

これはスゴイ!北辰一刀流・宗家が協力 『紅紫の館』の紹介・動画

 穂高健一著「紅紫の館」(郷士・日比谷健次郎の幕末)の 動画による紹介が、ユーチュウブで公開されました。
 
 江戸時代には天下にひびいた北辰執刀流が、現代も元水戸藩をくんだ剣道道場で脈々と生きています。

 このたび『紅紫の館』の執筆には、北辰一刀流・宗家の椎名市衞成胤さんが協力してくださいました。
「江戸時代の武芸者の剣道は、一本勝負ではありません。なんど技が入っても、2時間でも、3時間でも戦いつづけたうえで、どちらかが最後に『参った』という声を吐いたときに勝負が決まります」
 それは初耳で、とてもおどろきでした。

「紅紫の館」の第二章『北辰一刀流』に組み込みました。

「内密御用家」の日比谷健次郎と土方歳三が日比谷道場で、練習試合している気迫に満ちた場面から書き出しています。
 宗家の椎名さんが門弟らと、その場面を動画(ユーチューブ)で再現してくださいました。すごい場面です。まさに、本物の北辰一刀流です。
 真剣で、わら人形をすぱっーと斬ってみせる場面もあります。

 この迫力は、ことばで言い表せません。

            *   

「紅紫の館」の女雛の表紙はとても美しい、と大評判です。作者の私が類推する「日本一の人形」も動画に組み込まれています。

 第一章『桜田門外の変』は、このひな人形が江戸城・白書院に飾られていた、という場面からスタートします。

 上巳の日(桃の節句)には江戸在府の全大名、旗本の登城日です。井伊大老が将軍家の威厳と威光をみせるために制作されたものだった。しかし、雪降る中で、彦根藩主の井伊直弼は暗殺された、というストーリーです。

           *    

 この動画には、日比谷家が「内密御用家」だったと裏付ける史料も紹介しています。
 動画は1分15秒にまとめられています。

 制作 = 株式会社アイムプロダクション(代表取締役 梅田朋美)
 制作協力 = 北辰一刀流
 制作者 = 日比谷二朗

 こちらからユーチューブ「紅紫の館」(郷士・日比谷健次郎の幕末)が見られます(1分15秒)。左クリックしてください。


 参考:「日比谷家の雛人形 ~幕末期江戸古今雛の最高峰~ ロングバージョン」、ユーチューブで見られます(8分49秒)。