小説家

【推薦作品・小説】 鮮やかな記憶 = 長嶋公榮

 同人誌「グループ桂」(非売品)の長嶋公榮さんが、「鮮やかな記憶」「鮮やかな記憶」を発表された。その作品は後世に伝えるべき内容なので、このHPに全文の掲載をお願いしたところ、快諾してくれました。
 
 「戦争のむごたらしさ」。それらを後世の人びとに伝えていく。それは「戦争抑止」につながる大切な言論・表現活動である。

 戦争とは、理由のいかんを問わず、人間どうしが殺し合うことである。日本は明治時代から10年に一度は海外と戦争をしてきた。記録や写真などで残されてきた。そこから、私たちは戦争のむごい本質を読みとることができる。

 小説の場合は、過去の戦争を取材や史料・資料で掘り起こし、読者に戦争の疑似体験をさせられる。主人公を通したストーリーが脳裡に焼き付いた読み手は、心から戦争の残酷さを感じとる。
 読者の考え方、将来への行動までも変えることができる。それが小説の使命だと思う。少なくとも、それを目指すべきだと考える。「鮮やかな記憶」「鮮やかな記憶」はその使命をしっかり感じさせてくれる作品である。

 昭和20(1945)年5月29日年の横浜大空襲では、B-29爆撃機とP-51戦闘機による、無差別攻撃(焼夷弾攻撃)で約8千人から1万人の死者を出した。

 主人公・花枝は17歳、横浜大空襲の時、横浜駅でB29の大規模な空爆に遭う。弟は旧制中学2年生だった。家族の生と死を分けてしまう空襲の凄さ、死体の惨さが克明に描かれている。

 戦禍の下で生きのびたひとたちも、戦後の悲惨な食糧事情が惨くの圧しかかってくる。
 都会生活者は自給手段をもたず、飢死、餓死の手前まで追いやられる。「物資移動禁止令」をかいくぐる。法にふれなければ、食べ物が入手できない状態がつづいた。

 必死に生きる過程を通して、花枝には物品を粗末にできない「勿体ない精神」がしっかり宿るのだ。


 戦後70年経った現代は、使えるものでも、簡単に捨ててしまう。「物余り時代」、「使い捨て時代」である。
 88歳となった花枝の「勿体ない精神」は、隣り近所や自治会と軋轢(あつれき)を生じるのだ。

 町内会役員は戦後育ち70歳前後である。花枝とはわずか10数歳ちがいでも、価値観に大きな違いと断層がある。
 作者はここにも鋭い視線をむけた作品である。


【関連情報】

①作品はPDFでお読みください・印刷(A4:13枚)

「鮮やかな記憶」

②著者の作品

「国家売春命令」の足跡  昭和二十年八月十五日 敗戦国日本の序章


赤い迷路―肝炎患者300万人悲痛の叫び!


③プロフィール

 1934年東京生まれ。伊藤桂一氏に師事し、1985年同人誌「グループ桂」の主宰者。
 1997年「温かい遺体」が女流新人賞最終候補
 1998年「はなぐるま」が北日本文学賞選奨
 2002年「残像の米軍基地」で新日本文学賞佳作
 2003年「幻のイセザキストリート」で新日本文学賞佳作

        
        写真提供=横浜市史資料室「横浜の空襲と戦災関連資料」

第96 元気100エッセイ教室 = 観察力と文章スケッチ 

 エッセイにしろ、小説にしろ、読者が作品を楽しむのは、文字を読みながら、自身の脳内スクリーンに映像化して、ストーリーを追っていく行為である。作者の腕が良ければ、文字と映像変換が容易にできる作品に仕上げられる。
 そのためにはどうすればよいか。登場する人や物にたいして観察の優れた文章を心がけることである。借り物の文章、手あかのついた表現などは論外である。

  絵画の世界では、スケッチ力の弱い作品は印象が弱い。文章も、まったくおなじである。作者が頭のなかで考えた説明文では、作品が平面的で、立ち上がってこない。
「できごとは解ったけれど、なにが書きたかったの」 と退屈な作品になってしまう。


『キッチンで食事した』。
 この表現では、読者は自宅の台所しかわからない。テーブル、椅子、流し台、炊飯器、鍋、洗剤、調味料など、多種多様なものがおかれた、自宅の台所だ。

 作者がイメージした台所の空間とは、かなり違ったずれがある。
 作中で「台所」「キッチン」ならば、読者はさほど混乱しない。しかし、屋外に出ると、スケッチの差異が作品力のちがいになる。

『川のそばに、カップルがいた』
 一級河川もあれば、小川もあれば、谷川もある。
 年齢はさまざまである。夫婦か、恋人どうしか。腕を組んでいるのか。散策か、デートのさなかか。情景も書かれておらず、読者任せにすると、読み手の負担になってくる。
 途中で、読むのが嫌にもなってくる。

 とくに長編小説などは、文字だけで、読者の脳裏に情景を浮かベてもらう。次へ次へと導いていく。読者が感情移入し、追いかけたくなるには、具体的な観察力のある文章の連続性が必須である。


『若い女性の顔はそれぞれに違う。老婆になれば同じ』
 この格言は、作品の描写力の優劣を端的に表している。

 18歳の女子大生ならば、体つき、肌、黒髪、表情、癖、趣向なども異なった描き方ができる。細かな描写でも、読者を引き込める。人物がはつらつと立ち上がり、若さにも勢いが加わり、読者にたいしてビジュアルな語りかけもしてくれる。

 彼女が60歳を過ぎれば、白髪の人だけで通過できる。埼玉の女子大生、それだけだと、読者は納得してくれない。細かな観察とは、作品の若さである。

続きを読む...

山岳歴史小説『燃える山脈』・連載150回へ=市民タイムス・特集

 国民の祝日「山の日」制定の記念として、山岳歴史小説「燃える山脈」の新聞連載小説が昨年10月1日から始まり150回になってくる。予定としてはことし5月31日まで約240回である。
 松本市・本社『市民タイムス』において、2月19日に特集号市民タイムス・「燃える山脈」佳境へ熱くが組まれた。

『今年開削200年を迎えた安曇野の「拾ケ堰(じゅうかせぎ)」の開削に取り組んだ人々の姿を生き生きと描いた章から、「湯屋の若女将」、「水の危機」、「伴次郎街道の運命」、「湯屋への危機」へと続き、今後も「飛騨の惨状」、「江戸からきた隠密」へと展開する。

 物語はいよいよ最大の山場へと進んでいき、毎回目が離せない』と紹介してくれている。

「あらすじ・これからの展開」「温知堂の雰囲気 務台さん宅に残る」と紙面を割いている。


 筆者側としては「当時の生活思い描く」(挿絵・中村石浄さん)も顔写真入り。「知ってほしい格差構造」(作者・穂高健一)とつづく。

 トップ写真の槍ヶ岳の写真はとても素晴らしい。山岳写真家なのか、報道写真部なのか。昨年12月撮影と記す。
 

『徳川倒幕は広島浅野藩の主導で成した。なぜ歴史から消されたのか』=広島鯉城ライオンズクラブで講演

 2016年2月18日広島鯉城ライオンズクラブで、幕末史の講演をおこなった。場所は「リーガルロイヤルホテル広島」である。

              
 拙著『二十歳の炎』は、「高間省三」を主人公にしている。戊辰戦争の浪江の戦いで、20歳で死んだ青年が、広島護国神社の筆頭祭神である。同神社(正月三が日は、中国地方で最も多い初詣客)に詣でても、筆頭が高間省三だと知らない人ばかり。


 戊辰戦争の時、広島藩エリートの若者たちが自費で出兵し、かれらを中心にした官軍が、いわき市から相馬・仙台まで福島・浜通り(現在のフクシマ原発街道)で戦った。相馬・仙台藩の主力をあいてにした壮絶な戦いであった。
「奥羽列藩の主力・仙台藩を倒さなくては、戊辰戦争は終わらない」
 それは自明の理であり、双方の戦死者は会津攻めよりも、福島・浜通りの戦いのほうがはるかに多いに。 しかし、明治政府がこの戦いを歴史から抹殺した。他方で、会津の白虎隊を軍国主義に利用した。
 悲しいかな、日本じゅうが教えられていない「福島・浜通りの戦い」なのだ。(明治政府の黒い隠ぺい政策から、私たちすらも逃れられていない現実がある)

 
%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96.jpg

 広島県にもっと、奇異なことがある。義務教育の場に、郷土史がない。「毛利元就から、いきなり原爆」で、江戸時代が真空地帯である。これは異常である。なぜ郷土史を教えないのか。
 元高等師範学校(現・広島大学)がありながら。教員や大学関係者らは、江戸時代の広島藩を知らないから、教えようがないのである。

写真提供:広島鯉城ライオンズクラブ(写真の上を左クリックすると、2月18日のクラブ速報が出ます)

 国民を洗脳するには、歴史教育のねつ造が一番だ。明治から77年間、10年に一度は海外と戦争する軍事政府だった。国民を軍国主義に洗脳し、徴兵制をとり、国民皆兵制で海外に送りだした。

 広島・浅野藩が中心となった大政奉還を進めた。つまり、広島の平和主義が明治政府には目障りで仕方なかったのだ。

 「薩芸」倒幕を「薩長」討幕に置き換えた。

 肥前の文部官僚は、「薩長土芸」を「薩長土肥」にすり替えた。

 浅野藩「芸藩誌」も封印された。広島藩の幕末史はこうして歴史から消された。

「芸藩誌」が昭和53年にわずか300冊だけ出版された。それを解読し、解析し、より事実に近いところで小説化している。『二十歳の炎』で、広島藩はこんなに活躍した藩だったのだと、多くに認識してもらいたいと、執筆した。


 幕末史のわい曲は国民のためにはならない。私は、まずは広島県の義務教育の場で「郷土史」を教えようよ、という運動の推進になれば、と願っている。

 広島鯉城ライオンズクラブで講演させてもらい、一つ輪が広がったと感謝している。

 会報の執筆依頼があり、『広島人のつよい結束力は、江戸時代の伝統から』とさせてもらった。会報が出た後に、HPで紹介させてもらう予定である。


歴史散策・目黒周辺=節分だけれど、堪能したのはひな人形

 第16回の歴史散策は、目黒周辺の史跡めぐりである。2016年2月3日(水)13時に、東急目黒線・不動前駅の改札口に集合だった。ガイド役の山名美和子さん(歴史作家)がインフルエンザで、39度の高熱を出して、ダウン。責任感の強い彼女からFAXで資料が送られてきていた。

 山名さんは『真田一族と幸村の城』(角川新書)を出版しているので、NHK大河ドラマ「真田丸」との関連の話題を楽しみにしていたが、先送りになった。


目黒・雅叙園にて。メンバーは毎回おなじなので、割愛します。

 不動前駅から、成就院にむかった。

 蛸薬師成就院の本堂の『ありがたや、福を吸い寄せる蛸』というキャッチフレーズをみて、思わず苦笑した。なにかのごろ合わせだろうが、愉快な寺だ。

 蛸の由来など知らないほうが、余韻があってよい。


 目黒不動尊は平安時代k創建で、日本三代不動尊である。都内でも、名高い寺だ。

 ちょうど節分の日で、境内は関係者や参拝者で賑わっていた。

 目黒不動尊・龍泉寺の豆まきまも、きっと規模が大きいだろう。どんな豆まきになるのか。ただ、1時間先だった。

「ここで、時間をつぶすのはもったいない」と誰もがおなじ考えだった。


 6人はごく自然に、次なる目的の「五百羅漢寺」にむかった。仏教彫刻の「羅漢像」の一体ずつ不気味で迫力があった。全部で305体がある。撮影禁止だった。

 顔付がそれぞれちがう。内面描写にすぐれた顔の表情だった。すべて松雲元慶禅師ひとりで彫られたときいて、またしても驚愕した。

 われわれ作家でも文章上で、人間の顔の表情を300も違えて描けないだろう。一体ずつを見ながら、そう思えた。


 北一輝は、「国体論および純社会主義」を論じた。「天皇の国民」でなく、「国民の天皇」が明治維新の本質だと批判した。さらに、「天皇の軍隊」から「国民の軍隊」にするべきだと主張した。

 この主張が危険思想だとみなされて、すぐに発禁処分になった。活躍の場を失くした北一輝は、中国の辛亥革命に参加した。

 2.26事件(軍部のクーデター)が勃発した。反乱軍とみなされた青年将校たちの「理論的指導者」だといい。北一輝は逮捕された。そのうえ、極秘の軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。

 青年将校と北一輝の思想はまったく違う。むしろ右と左とまるで逆だ。そのうえ、2.26事件には関与しておらず、非公開・弁護士なしで、死刑判決を受けた。

 かれの処刑じたいが、暗黒社会の思想弾圧を象徴するものだった。

 青年将校が起こした2.26事件が、日本の戦争加速となった、おおきな分岐点には間違いない。
「どんなことがあっても、軍人が首相官邸に突入し、政治家を殺してはならない」
 政治家を殺せば、政治家は軍人にものが言えなくなる。兵器を持てば、軍人は使いたがる。シビリアン・コントロールをなくせば、それは戦争への道だと、北一輝の墓前で思った。

 海福寺には『永代橋崩落事故の供養塔』がある。

 文化4年8月19日 (1807年9月20日)、深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日だった。当日の午前中には、橋の下を一橋公を乗せた御座船が通過するという理由で、永代橋は通行止だった。祭りの八幡宮に早くいきたい群衆はいらだっていた。

 昼過ぎに橋の通行禁止が解除される。と同時に、左右から群衆が一気に橋の上に押し寄せた。その重みで、木製の橋は崩落した。

 その瞬間の犠牲者だけでなく、後ろから、さらに後ろから、と群衆が押し寄せてきたのだ。止めようがない。当時の人はほとんど水泳ができない。川に落ちれば、次々に水死だ。

 多くの文献は1000人以上の死者・行方不明とする。寺の案内板には、空前の大惨事としながらも、溺死者440名と明記していた(東京都教育委員会)。
「えっ、そんなに少ないの?」。それが最もおどろきであった。

 歴史には史実・資料のあいまいさはつきものだ。


 青木昆陽(甘薯先生)墓

 享保の改革の時代のころ、米の不作から大勢が餓えていた。蘭学者の青木昆陽は琉球、長崎を通して伝わってきた『さつまい芋』の栽培の試作(千葉県)に成功し、農民を飢えから救った。


「目黒川の桜はまだかいな。まただよな。3月末の染井吉野は素晴らしい河岸になる」
 
 桜花情景を想像しながら、大鳥神社にむかう。


 引き返して太鼓橋をとおり、目黒雅叙園へと足を運ぶ。

 


  雅叙園百段階段(実際は99段)では、東北地方のひな人形が展示されていた。踊り場ごとの小部屋で展示。各地の豪商の家に伝わる、江戸時代の京雛が多かった。(1月22日~3月6日まで公開中。入場料1500円である。

 女性は「人形」が大好きだから、目を光らせていた。男性は50段くらいで、飽きた顔つきだった。しだいに、気持ちが 二次会のJR目黒駅付近の居酒屋にシフトしていた。

古都・奈良を歩く「神さまと戦争」を考える=真の黒幕はだれか

 年末・年始は、山岳歴史小説「燃える山脈」の執筆で、私なりに全力投球していた。新聞連載小説と、単行本と両面で書きつづけた。分量がちがうから、2本立てになってしまう。
 祝「山の日」はことしの8月11日だから、それまでに単行本は書店に並んでいなければならない。逆算すれば、1月下旬までに完全原稿にしておかないと間に合わない。
 
 連日連夜、根を詰めていたから、ふらっと旅したくなった。古都・奈良に行ってみよう、と決めた。目的がなければ、なにかしら出会いがあるものだ。

 春日大社・春日山原始林はユネスコの世界遺産になっている。なんどか行っているが、森林浴くらいの気持だった。鹿が群れて遊ぶ。最近は、山岳の色彩豊かな高山植物が、1輪たりとも花がなくなるほど、鹿に荒らされている。
 だから、私の目は鹿にたいしてあまり好意的ではなかった。


 春日大社の参道の左右には、灯籠がならぶ。参道入り口から、平成、昭和、大正とだんだん古いもの順となる。それは当然で、奥にいくほど、古くに寄贈した灯籠になる。苔のつきぐあいも濃緑になってくる。 私は灯籠の背面の建立日をみていた。


 明治時代になると、灯籠が一気に増えた。
「時代を映しているな」
 私の頭は德川政権と明治政府のはざ間に立っていた。

 仏教は江戸時代において優遇された。しかし、明治に入ると、廃仏毀釈(神仏分離令)で、その地位を失っていく。
 奈良の興福寺などは売りに出される。その一方で、春日大社などは武勲の武将を祀る神社としておどりでてきた。

 戦争はとかく宗教は結びつきやすい。明治政府は神教をことごとく利用してきた。

「日本には蒙古襲来以降、神風が吹く。建国以来いちども負けたことがない、神代の国だ」
 政治家・軍人のことばが連日に飛び交う。
 ほとんどの日本人が信じ込まされてしまった。結果を先に言えば、大ウソだった。東京は大空襲、沖縄は悲惨、あげくの果てには広島・長崎の原爆投下だ。
 これが神代の国なのか、というほど叩きのめされた。黒幕は誰なんだと、考えてしまう。


 明治時代に、山縣有朋が主導し、徴兵制ができた。ここから、すべての日本人が悲惨な戦争の犠牲になっていった。
 日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争、と段々と神々がつかわれ始めた。……聖戦、玉砕、国民総動員、総力を結集、お国のために死ぬ、戦死者を英霊、軍神としていった。生きても、死んでも、神と結びつけられた。これらはいまとなれば、虚しくひびく。

 銃を持たない女子においても、家族のだれかれをなくし、学校では学べず、工場で勤労動員させられた。これらも戦争犠牲である。
「太平洋戦争では神風は吹かなかった」
 政治家も軍人も、大嘘をついていた。


『日本の国の安泰と国民の幸せを願い、尊い神々をお祀り申し上げ~。神さまのありがたさがしみじみ感じられる』
 春日神社のパンフレットをみながら、そうなのかな、とおもいながらも、参道をいく。
『古事記』『日本書記』の神話の世界をタテにした、神々の一本調子は危ないな、とおもう。日本人は「お上に従う」という従順型の民族だから、黒幕には好都合なのだろう。

「神々は崇高なのに、利用した黒幕がいるのだ」
 聖戦、軍神と書いたのは新聞だ。筆の怖さも思い知る。

 大社の奥から古い順であり、江戸時代あたりは神仏習合(しんぶつしゅうごう)だから、寄進された灯籠は少ない。
 日本人には「神と仏が一体」になっている方がよい。宗教は多彩で、自由なほど、戦争の少ない国家になるのではないかな。
「戦争と宗教は結びつきやすいが、国境問題でも戦争は火がつくからな」
 私は春日山山ろくの森林の道を歩きながら、そんな思慮をしていた。

第95回 元気100エッセイ教室 = 情景の説明文と描写文

『説明文とはなにか』

 主語と述語の関係で、物事の骨格の要点を書きつづった文章である。用途として伝達、報告、記録など、ビジネス社会では最も適している。
 エッセイでは、流れをつくるだけで、味わいが少ない。


『描写文とはなにか』

 出来事、動作、変化たいして、一つひとつに修飾や形容をなしていく。読み手が場面を想像できる利点がある。描写文は文章が長くなるので、片や内容を削る作業が必要である。
 エッセイ、小説には欠かせない。

【情景の説明文】

 電車が伊豆海岸を走っていく。車窓には伊豆諸島がみえた。
 旅仲間三人の初日は熱川温泉だった。駅に着くと、温泉街から湯煙りが昇っていた。
 私たちの新婚旅行の思い出の地よ、出会いは伊豆大島よ、とおしえた。熱川の夜はその話題でもり上がり、翌日は伊豆下田を経由して、堂ヶ島にむかった。
 そして、島巡りの船に乗った。


【情景描写文】

 私たちの電車が伊豆海岸の波打ぎわを縫っていた。洋上の海面には秋の陽光がきらめく。かなたには小粒な島影が浮かぶ。
 車窓が一瞬まっ暗になった。トンネルを抜けるたびに、遠方の島々がしだいに電車に近づいてきた。
 熱川駅のホームは、小高い丘の中腹にあった。降り立つと、眼下には温泉街の白い湯煙りが潮風でたなびく。新婚の夜はこの地の宿だった。
 私の心は湯煙りにかすむ伊豆大島をとらえていた。妻との出会いは真夏で、島の民宿だった。

 ※ 堂ヶ島まで書かない。


【会話による情景文】

「ほら、いちばん大きな島が伊豆大島よ。となりの小粒な三角形が利島。そのずーっと奥が船形した神津島なんよ。週なん便か、下田港から連絡船が出ておるよ」
 むかいあった乗客の老女が、車窓の島々をていねいに指して教えてくれる。
 妻との出会いは真夏で、あの神津島の民宿だった。一人旅のさなか、私は静かに思い起こしていた。
 
 ※ 会話がストーリーの展開に影響を与える。
 

新聞連載小説・山岳歴史小説「燃える山脈」が郷土の話題=松本・市民タイムス

 日本ペンクラブの忘年会が12月15日、東京・中央区の鉄鋼会館で開催された。夕方6時から2時間足らずで終わり、作家たちはそれぞれが2次会に流れた。

 私はあちらこちらから声をかけられた。野坂昭如さんが数日前に亡くなり、小中陽太郎さんが「野坂さんの歌のテープを聞かせるよ」というので、そちらに出むいた。
 

 その席上で、長野県安曇野市出身の作家・高橋克典さんから、
「市民タイムスの連載小説がすごい人気だよ。まさか、私の地元ちゅうの地元、おひざ元で、広島出身の穂高さんが連載するとは夢にも思わなかった」

 と絶賛してくれた。

「なにしろ、田植えも、稲刈りも、まったく知らない人が田園地帯の歴史小説を書くんだから、おどろきだよ」

「穂高って、だれだ。穂高岳、穂高神社など、著者名からして長野県人だと信じて疑わない。本名探しがはじまっている。それほど注目されているよ」

 飲み会の席で、松本市を中心とする新聞社だけに、東京では読めない。いろいろ質問された。

 10月1日に連載を介してから、約1か月後、同紙が10月29日号に、「燃える山脈」の特集号を掲載してくれた。

 その紙面を紹介してみた。

『物語は「プロローグ」から、来年開削200年を迎える安曇野の「拾ケ堰」(じゅうかせぎ)の章へとすすみ、水がないために米が作れない安曇野の地に、奈良井川から灌漑用水を引こうという当時の先駆者の勇気ある行動が展開されている

 年内は「湯屋の若女将」、「水の危機」の章が続く。物語はこれからが佳境、ますますめが離せない』

 燃える山脈では、拾ケ堰の開削や、上高地を越えた、岐阜県の飛彈を結ぶ、「飛州新道」の開拓に取り組んだ人たちの郷土愛や人間愛を描く。


 こうしたリード文で紹介されている。



 作者の私は「国民の祝日」が来年8月11日から施行されます。人間は山から多大な恩恵を受けています。それを改めて見直してみよう、というのがメインテーマです。

 拾ケ堰は水の恩恵、飛州新道は山道の恩恵、そして山岳信仰の三部構成になっています。人名と地名は実名ですが、物語はフィクションです。

 史料・資料の列記の学術書とは異なり、歴史小説は「人間って、こういうところがあるよな」と描写する文学です。そんなことを頭の片隅において、たのしんでください、と記している。


「拾ケ堰計画、次々と難問」と「ここまでのあらすじ」で、登場人物が紹介されている。


 同紙面では、
【拾ケ堰】が平成18年に農林水産省の「疎水百選」に選ばれた、と写真付きで紹介されけている。

【飛州新道】は当時の小倉村(現・安曇野市三郷小倉)から、大滝山(2,616㍍)を越え、上高地を経由し、焼岳(2,455 ㍍)の中尾峠を越え、飛騨高原中尾村に至った。
 着工から16年目にして、天保6(1835)年に完成した。

 槍ヶ岳を開山した播隆上人も、この道を利用した。

第94回 元気に100エッセイ教室 = ひらがな、ルビについて

 あなたのエッセイを、読者にいっきに読んでもらう。味わってもらう。それには『立ち止まらせない。首を傾げさせない、ページを後もどりさせない』の3要素がとても重要です。

 小説を書くひと、目ざすひとなどは、この3つの要素がとくに重要です。長文のなかで、読みにくい漢字、わかりにくい地名や固有名詞などがいくつも出でくると、長丁場のラストまで読んでくれません。

 文章の推敲(すいこう)のさい、漢字からひらがなへと、次つぎに切りかえていく。漢字の読めないのは最悪です。まだ、ひらがなの読みにくいのは読者も納得してくれます。
 「ひらがな」化は、知恵であり、勇気でもあります。


読みやすくする留意点


① 文章の流れを良くするためには、大きな声をだして、くり返し読む。

 ちょっとでも作者みずからの声がつかえると、それは読者にとって文章の流れが悪く、混乱をまねき、首を傾げさせるものです。
 最悪は読むことさえも止められてしまいます。


 ※声を出して読む都度、どこかで声が詰まる。2度、3度と書きなおしていくと、文章の流れが良くなる。5回ぐらいまで、読みなおす、書きなおす。
 その習慣があなたの身につけば、まちがいなく『読みやすい文章ですね』と誉められるレベルになります。
 

② 漢字(3割)とひらがな(7割)の比率を考える。叙述文学のエッセイと小説などは、ひらがな比率をより高め、7割以上にしていく。

 接続詞、形容詞、副詞などは思いきって総てひらがなにしてしまう。動詞も可能なかぎり、ひらがなにする。
 そうすれば、目立つ漢字が立ち上がり、単語一つずつが強いインパクトになる。と同時に、作者の強調すべき点が目で追えます。


③ 会話文において、女性が語る「」は、ひらがなを多くする。

 女性特有の柔らかな雰囲気が、作中にかもしだされてくる。「大和ことば」なども、入れると、情感が満ちてきます。


④ 常用漢字を外れた漢字は、基本的にルビをつける。ひらがな比率を高める効果にもなる。

 パソコンならば、かんたんにクリック一つでルビが打てる。


ルビで、行間が開かない処理の仕方

続きを読む...

『拾ケ堰』饅頭ができたよ=「燃える山脈」は好評

 松本市の「山の日」記念大会推進室長と、「山の日」推進協議会の懇談会でいっしょになった。
「穂高さんの新聞連載、市民タイムスの『燃える山脈』を読んでいます。面白いですね。ときどき、読み逃しては、バックナンバーの新聞を探す。それが大変ですよ」
「皆さん、読んでいますかね?」
 松本地域で発売・約6万部の新聞の反応は、東京では皆目わからないので、そんなふうに訊いてみた。
「皆さん、読んでいるでしょう。地元の歴史素材ですからね」
 と疑いの余地のない顔をされていた。

 この数日後、日本ペンクラブの作家仲間の高橋克典さんから、田舎(安曇野市・穂高神社の近く)に帰ったら、穂高さんの新聞連載「燃える山脈」がフィーバーしていたよ。安曇野で『拾ケ堰・饅頭』ができていたよ、と電話をもらった。

 店主に聞くと、「(松本市)市民タイムスの小説が評判だから、売り出した」と話していた。饅頭は一日しか、日持ちしないから、買ってこなかったけれど。ともかく、すごいよ、と友人たちの評判も教えてくれた。

「燃える山脈」は、プロローグの後、第一章が『拾ケ堰』である。安曇野の保高組(行政区・安曇野市)が主役の立つ位置だし、登場人物は実名だし、歴史ものとはいえ身近に感じているのだろう。
 拾ケ堰は歴史面、土木技術を徹底取材した。それらを作者として頭のなかでろ過したうえで、夫婦ものの読みやすい作品に仕上げている。
 読者は容易に感情移入ができているのだろう。

「お袋などは、毎日、スクラップしているよ」
 高橋さんはつけ加えていた。 
「製菓店の正式名を教えてね」
 そうお願いしておいた。