小説家

ノンフィクション07.11月学友会 外国はいずこに

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 学友会5人は待合せ場所や約束時間で、折々、不本意ながらずっこけが起きていた。前回はヤマ屋の連絡ミスから、1名の不参加を出してしまった。ミスを引き起こした張本人のヤマ屋は、このたび念には念を入れ、「11月29日だぞ」と全員に出席の再確認をおこなったようだ。つまり、万難を排したのだ。

 今回も隠されたアクシデントが発生しているが、文末に『お詫び文』として掲げている。

 ヤマ屋は、日暮里から北千住にむかう快速電車に乗った。車窓は日没の情景で、夜の帳が下りはじめていた。かれの真横には、20代の女性が白人男性と腕を組む姿があった。彼女は満足な英話もしゃべれず、ひたすら「アィシー、アィシー」とうなづくばかりだ。欧米人と連れ添えば、優越感を覚えるのか。まわりの人間が、凄い、と見てくれる。そんな妙な錯覚をもった女性に思えて仕方なかった。

 白人男性は日本にきても、会話が赤子以下の東洋女となると、知識の吸収にもならず、面白くもないはずだ。それでも笑顔で応対する。これも男の下心が見え隠れしているように思えて仕方なかった。

 それ以上の詮索する余裕もなく、北千住駅に着いた。広い改札から一歩街に出ると、まだ11月末なのに耳にはChristmas・ソングが流れ、目にはツリーが飛び込んできた。なぜ、こうも1ヶ月余りも早くから、街なかをChristmas関連で騒々させるのか、不可解だった。

 Christmasはキリスト教の宗教的な催し物だ。12月22日頃ならばわかるが、なにも街なかで騒ぎ立てる必要はないと思う。別段ナショナリストではないが、ヤマ屋には日本人の異常な姿に思えるのだ。

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思わぬ出会い・新津きよみさん(推理小説作家)

 人気推理小説作家・新津きよみさんとは、日本ペンクラブ・広報委員として活動をともにする。
 その広報委員会が、11月5日の夕刻から行われた。来年2月開催「世界PENフォーラム」のメルマガ取材記事は、広報委員のなかで、どのように担当を割り振るか。それも議題の一つ。

 井上ひさしさん書き下ろし演劇、新井満さんの歌、俵万智さん選による短歌、俳句、大江健三郎さんの基調講演。どれも魅力的なものばかり。
 
 他方で、広報委員会は、高橋千劔破委員長(人物往来社・「歴史読本」の元編集長、編集局長)、松本侑子さん(テレビ朝日・ニュースステーション・元キャスター)、新津きよみさん(日本推理作家協会会員)をはじめとして、物書きばかり。「それぞれ、好きなのを取材して書いたら」とみな鷹揚に構えている。得意、不得意をいう人はいない。
 編集の鈴木康之さんが割り振ることになりそうだ。
 

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第15回 『元気100エッセイ教室』作品紹介・

 教室の冒頭30分間は、テクニカルなレクチャーをおこなっている。今月は散文にとって最も大切な『視点の統一』について。エッセイはほとんどが一人称だから、「私」の視線と目線の統一は不可欠だ。当然ながら、他人の心に入りたい場合がある。そのときは推量、推測、印象、確信で書くことだ、と強調した。


 視点が狂うと、作品は大きな瑕疵(かし)になってしまう。
 書きなれた人でも、ときにはこのミスを犯すことがある。それだけにふだんの執筆から『視点の統一』を頭の中心にしっかりとどめておく必要がある。

 今回の提出作品は13作品。教室に不参加者の批評、コメントは行わないというルールがある。それに準じて、欠席を除いた12作品を紹介する。

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東京下町の情緒100景は、いまや88景に

 東京の下町は素朴だ。大都会の田舎だといってもいい。地方の方がみれば、東京にもこんな泥臭いところがいまだにあるの、と不思議に思うだろう。

 いまや地方のほうが新築住宅が多く、農家などは豪華なつくりだ。
 東京下町は、終戦直後とはいわないが、昭和40年代の建物が現役で頑張っている。他方で、雑然とした町で、美観は薄い。そのなかにも光を当てたいとシャッターを切ってきた。

 東京下町で、最も素朴な葛飾区を中心に写真撮りをしてきた。それにエッセイ風の文章を添えた。視点が同一だと、読み手には単調になるので、いろいろな目を通して描いた。子ども、保育士、商店主、お客、母親、父親、老人など。他方で、読みやすさを心した。


(掲載写真は葛飾区。京成電車・四つ木駅舎、駅前、頭上は高速道路の橋裏。およそスマートさなどない、雑然とした町だ)

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第14回『元気100エッセイ教室』作品紹介

 9月の教室では、「文章のうまいエッセイ」よりも、「味のある作品」を書こう、と強調した。「文章のうまい作品」とは全体に、そつなく、まとまっている。誤字、脱字もなく、文脈の乱れがない。文章を書きなれている。これらは意見を述べる作文、論文、事実を伝える記事などでは評価は高い。


 エッセイは「味のある作品」が求められる。全体の文章がごつごつしていても、多少の文脈の乱れがあっても、文体が未完成でも、『光るところ』が必要だ。

「人間って、そういうところがあるよな」と共感と共鳴を覚えたり、「そんなことがあったの」と驚きとショックを感じたりする作品だ。散文となるエッセイ、小説では光るところがあれば、高い評価が得られる。

 今月の提出作品は、素材は日常的でも、テーマを絞り込んだ、求心力の強いものが多くなった。他方で、受講者の素材の豊富さにはいつもながら感心させられた。世間ではあまり知られていない材料にも出会えた。

 作品紹介は原文を尊重しながら、「光るところ」、心にとどまるところを抽出してみた。

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ノンフィクション・9月学友会 北千住に・1人現れず

 学友5人は毎回、各人のテリトリーである飲み屋、居酒屋などを紹介し、渡り歩いている。人間同士でも、飲み屋でも、初めての場所でも、新たな出会いや新発見は楽しいものだ。

 暖簾(のれん)を潜った飲み屋が安価で美味しい。この学友会のテーマの追求に合致したならば、至上の幸せを感じるものだ。一ヶ所で飲む、という価値観も悪くないが、新発見を得るにはほど遠い。驚きとの出会いは、足で各地を動き回るほどに得られるものだ。ある意味で、酒飲みの口実かもしれないけれど。


 今回は、元教授が約30年前から贔屓にする、東京・北千住の焼き鳥屋の『五味鳥』だった。マスコミの取材はいっさい応じず、その道の「ツウ」が好む店らしい。

 元教授の場合は、飲み屋情報が狂うことはない。前評判に失望されられたことは一度もない。それだけに、今回は期待が高まった。「取材拒否の店」。それだけでも、胸が高鳴り、気持ちがワクワクする。


 ヤマ屋がまたしても大チョンボをやらかした。
『9月27日。この日は元銀行屋がだいじょうぶだから、夕方五時、北千住の丸井・正面玄関に集合』という案内をCCで送った。
 当日の同時間になっても、元銀行屋がただ一人現れなかった。
『五味鳥』は超人気店だから、もたもたすれば座る席がない。5人掛けのテーブルは一席しかないという。元教授の顔には焦りの表情があった。

「先にいって席をとっておく」
一人で五人分の席となると、気が引けるらしい。元教授は元蒲団屋を誘って駅裏の赤提灯街に消えた。

「いけない。おれは元銀行屋に電話をするのを忘れた」
 ヤマ屋がこの場に及んでやっと気づいたのだ。 

 元銀行屋はケイタイをもたず、パソコンを持たず、CC連絡がつかない、現代のアウトサイダーだ。前日までに電話がなければ、元銀行屋はどこに行ったらよいのか、それが判らない。
 集合時間になって気づくヤマ屋の無神経さ。すべてが手遅れだった。それでも、ヤマ屋が銀行屋の自宅に連絡した。細君が出てきた。

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第13回『元気100エッセイ教室』作品紹介

 エッセイ教室は、人生経験豊富な、いい素材を持つ受講生たちの集まりだ。さらには熱意に満ちている。講座はスタートしてから一年余りで、文章、文体の基礎を学んできた。

『何のために、エッセイを書くか』という点も、それぞれが会得してきた。このさき、公募エッセイで受賞作品を狙う。機関紙などに寄稿する。多くがエッセイストの道を進むだろう。
 それには他と比べて秀でる、差をつけることだ。その技法を凝縮して一言で語れば、作品の求心力と遠心力の違いにある。

 エッセイを求心力で書いた作品は読者がのめり込み、完成度の高い作品になる。
 遠心力の作品はあれもこれも書き散らすために、作品に山場がなくなり、平板になる。分裂、冗漫、散漫な3悪の印象の薄い作品になってしまう。
 教室のレクチャーでは、技法としての求心力と遠心力の二点について説明した。

 今回の提出作品は16編である。良作が多い。一作ずつ紹介していく。

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ノンフィクション・8月学友会  徳川幕府はペリー来航の50年前からアメリカと貿易していた なぜ学校教育で教えない?

 学友会は1年以上が経つ。幹事はごく自然に持ち回りとなった。メンバー5人は『類は類を呼ぶ』で、揃いにそろって他力本願、かつ無責任な連中ばかり。なにごとにもツメが甘い。かならず陳腐な出来事が起こる。
「次回は大宮だ、いい居酒屋がある」と焼芋屋の鳴り物入りで決めていた。元蒲団屋が7月の開催日を勘違いし、出張を組み込んでしまったことから、仕切りなおし。8月9日17時、集合場所は大宮駅『みどりの窓口』となった。

 幹事は旧岩槻市と旧与野市に住む2人、それに居酒屋を指定した元焼芋屋が加わった。学友会メンバーが5人なのに、幹事が3人というバランス自体にも問題があった。それが詰めの甘さになり、8月の集合すらも陳腐な展開となった。

「大宮駅構内はいま工事中で、『みどりの窓口』が移設している」と、元銀行屋がいち早く情報をキャッチした。ヤマ屋が連絡網で、ただ横流し、詳細の付加など一切なし。つまり、大宮駅に行けば、『みどりの窓口』なんて、簡単に判るさ、というていどの認識だった。

 5人が時間通りにやってきた。しかし、大宮駅『みどりの窓口』周辺の3ヶ所で、ばらばらに待つありさま。冷房の効いた『みどりの窓口』のなかにいたのが元焼芋屋。ほかの者は暑さに霹靂(へきれき)して待っていたのだ。結果として、最後に現れたのが元焼芋屋で、「大宮で用が早く終わり、1時間前に来て、ずっと待っていたんだ」と、涼しい思いをしながら抜けぬけと恩着せがましくいう。

 皆がそろったところで、東口繁華街の居酒屋『かしら屋』へ向かった。「人気店だから、夕方5時をあまり回ると、座る場所がないかもしれないぞ」と元焼芋屋が時間ロスの原因を棚に上げにした、焦りの口調でいう。この図々しさが学生時代からの持ち前だから、誰も腹を立てない。

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 五 O 一 人 の 遭 難 (歴史小説)

                       ※著作権付き小説。無断引用厳禁。

 民家はことごとく全壊し、海岸沿いの建物は津波でさらわれていた。伊豆下田港の湾内には家屋の柱や板、小舟の破片、牛馬や犬猫の死骸、藁屑、着物など雑多なものが、海面を覆いつくす。
「生きていられたことのほうが不思議だ」
 勘定留守役の中村為弥時万(ためや ときかず)が、先刻から何度もつぶやいていた。

 巨きな地震が発生したあと、裏山へと避難していた為弥だが、被害状況の掌握のために山から海岸までおりてきたばかりだった。袴をきる余裕もなく、帯刀だけは差し、慌てて雑木林の斜面を逃げたことから、着物の裾や足袋や草履が泥で汚れ、頭髪は樹木の枝で引っ掛け乱れていた。
 地震発生からすでに二刻ほどが経つ。だが、海岸に立っていても、足下が突然つよい余震で揺れる。大災害に遭遇したのは、四十二歳してはじめての経験である。大津波がふたたび襲いかかってくるのではないかと、いまなお恐怖心に襲われる自分を知った。人間は自然災害のなかにおかれると、為すすべもなく、じつに弱いものだと為弥は実感した。

 中村為弥が日露交渉の応接掛のひとりとして伊豆下田にやってきたのが、嘉永七年(一八五四)十月二十二日だった。それから十三日後の、十一月四日の午前八時すぎ、大地震に遭遇したのである。
 為弥の視線が、全壊した下田の町なみから、湾内に停泊する二OOOトン級のロシア戦艦ディアーナ号へとながれた。沈没はまぬがれたディアーナ号だが、四本マストのうち二本は根もとから折れ、舵の軸は曲がり、船体は七分ほど傾く。海岸から遠望するかぎりにおいても、かなり大破していた。戦艦の甲板では大勢の水兵が忙しそうに、船内の浸水をかきだしているようだ。

 プチャーチン提督がかつて長崎に入港したときは、軍艦四隻だった。クリミア戦争でロシア艦が数多く海戦にとられているらしく、このたびの下田への来航はディアーナ号ただ一隻である。このさき航行不能か、沈没でもしたら、かれらは一体どうする気だろう。ディアーナ号がロシア最新鋭の機帆船だとはいえ、不慮の遭難は充分予測できたはずだ、なにも一隻で下田に来航することはなかったはずだと、為弥は批判の目をむけていた。

「ひどい惨状だな」
 と背後から声がかかった。
「これは、お奉行どの」
 日露交渉の最高責任者のひとり、勘定奉行の川路聖謨(かわじ としあきら)であった。
「町はおそろしく無残な姿になったものじゃ。江戸表への報告は、下田は全滅、これ以外のことばはないな」
 川路は特徴のある露目で、相手の顔をじっとみつめながら、しゃべる癖があった。
「おっしゃる通り、こんな修羅場はほかの表現ではいたしかねます。住民にも、かなりの死者がでた模様です」
 くわしい被害状況はいま下田奉行らが調査ちゅうでありますとつけ加えた。

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小説講座の指導は、受講者の実践・実作のみでレベルアップを図る

 目黒カルチャースクールで、『小説の書き方』の講師をしている。教室では、創作の実践指導のみで、受講生には、A4原稿用紙の升目を埋めてもらっている。あえてパソコンは使わない。原稿用紙に拘泥する。それはキーボードを叩けば、だらだらと文字が連なるからだ。

 初期の段階では、「人物の登場のさせ方」を説明し、原稿用紙にむかってもらう。次の講座では主人公の性格、外観、生活などの書き方のポイントを述べる。そして、書き綴る。原稿用紙に向かう受講生には、鉛筆と消しゴムは使わせない。ボールペンだけで書き進む。

 世のなかには小説を書きたい人は多くいると思う。実際に書き始めて挫折した人は数え切れないだろう。その理由の大半が、最初から読み直ししたり、手を入れたりするからだ。受講生にはそんな失敗をさせたくない。
「初稿だから、主人公の年齢も、名前も、家族構成も途中で変わってもいい。ストーリーも辻褄が合わなくてもいい。2稿の段階で手直しすればいいんだから。伏線も2稿で張ればいい」と、それを守ってもらい、先へ先へと書き進む。

 各地にあるカルチャーセンター小説講座の多くは、提出された小説の批評、添削、それにレクチャーだと思う。私はどこまでも実践にこだわる。

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