【寄稿・エッセイ】若返った私 青山 貴文
令和4年の正月の朝が来た。私は、朝型人間で、正月だろうが4時ごろ目が覚める。といっても朝5時頃は真っ暗だ。
数年前、「正月くらいはのんびりしなさいよ」と妻にいわれ、目が覚めてから、寝床の中でいろいろ考えたり、本を読んだり、ラジオを聞いたりした。
その日は、一日中だらだら過ごしてしまりがなく、体調がおかしくなった。それ以来、正月でも目が覚めると、すみやかに床を離れる。
書斎で、お湯を沸かしお茶を飲みながら、読書や調べものをしたり、数日前に記述したエッセイの推敲をしたりする。文章を数日寝かせると、矛盾点や表現のおかしなところがたやすく見つけられる。
そこで、いつも数編のエッセイ原稿を、パソコンに保存し、これはという数編を選んで推敲を重ねたものだ。ところが、81歳ともなると、作文力が落ちたのか、1編をパソコンに保存するのがやっとだ。その一編を、数日おきに推敲して、今までなんとか毎月一回、私のブログに掲載してきた。
私は、新橋のエッセイ教室に、毎月一回通い続けて14年になる。このブログに載せた作品をエッセイ教室に投稿し、穂高健一先生や読者の皆さんのご意見をいただいている。
先生や皆さんの感想文・ご意見を原作文の次にブログに載せる。数日して、主に先生に添削していただいたエッセイを改作文としてブログに掲載する。エッセイ好きの読者の中には、「青山さんのブログは、どのように改作すればよいか分かるのですごく勉強になる」と言われる。
「エッセイを志す後輩あるいは同志のために、恥を忍んで、拙作エッセイを世間様に晒している」人間何か一つ世の中のためになることをやっていると、生きがいを感じ、若返るものだ。
私には、この早朝が新鮮で、脳細胞が活性化して事象を深く把握し、文章化できる唯一の時間帯だ。この朝のひと時を有意義に楽しく過ごせば、午後からは何をしても充実した1日になる。
さて、そんな凡庸な朝型人間だが、今年の正月の雰囲気はいつもとどこか異って感じる。特に、居間から見える奥行きのない狭い平凡な庭の景色も、いつもと変わりはないか、今年はなにか明らかに違う。
昨年暮れに夫婦して、居間の一間半の大枠の透明ガラス引き戸の網戸を取り外し、裏の軒下に冬場だけ置くようにしてみた。居間から見えるいつもの庭の垣根や草木が、二倍広く見え、大げさだがパノラマの景色を見ているようだ。
さらに、昨年暮れ、吹き抜けの玄関の間接照明にもなっていた二階の洗面所の鏡の蛍光灯を取り外した。そして、LED電球に変えた。すごく明るいわりに電力は17ワットと少なく頗る経済的だ。
この蛍光灯は、30数年前、家を改築した時の古いものだ。ここ数年接触が悪いのか、点いたり消えたりし、最近はつかないことが多かった。
居間の網戸を外し、二階の用をなさない蛍光灯をLEDに変えた。ともにいつかやろうとしていたことを実行したまでだ。
懸案の2カ所を明るくしただけで、今年の正月は若返った気がする。
了