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【孔雀船101号 詩】  窓に咲く 高島清子

                   
あの窓のカーテンが少し開いて
その顔が今日も外を見ているから
大きく手を振って応えるのが私のやり方だった
するとカーテンは閉まり顔は消える

わたしは遠くから近づきながらもあの窓を見る
今日も顔が咲いているかと
もてあます時間を外を見て暮らす人の明日からを思えば
私はその孤独を少しは思うこともある
カーテンの後ろに隠れる稚拙な含羞も悲しいものだ
あの窓のカーテンとレースの間に咲くのは顔
私はあの顔に向かって大きく手を振る無意味さに気づく

そのように咲けば良い黒い影よ
その人は一歩も歩けないのかも知れず
部屋に籠って安らかに暮らす人か

今日もバスを待つ間あの窓を見た
ここは恥ずかしがり屋の町だから
ここは北関東の純情県民の町だから

平野に立つマンションの窓々のカーテンの隙間に
顔が咲く顔が咲いた咲いている
手を振れば顔は慌てふためいて隠れてしまう
私にも不思議な意地が芽生えて
無意味な癖が楽しみへと変わり始める


「孔雀船」101号「窓に咲く」(高島清子.PDF、縦書き


【関連情報】

 孔雀船は101号の記念号となりました。1971年創刊です。

「孔雀船」頒価700円
  発行所 孔雀船詩社編集室
  発行責任者:望月苑巳

 〒185-0031
  東京都国分寺市富士本1-11-40
  TEL&FAX 042(577)0738

イラスト:Googleイラスト・フリーより

新聞連載「妻女たちの幕末」= 論説委員がコラムで、歴史の新たな視点と評価 

 「歴史の謎を解く」その精神で「妻女たちの幕末」に取り組んでいる。
① なぜ、そのような事件が起きたのか。
② どうして、そんな結末になったのか。

 新聞の連載のさなかか、動機と結末に、多くの疑問をもち、双方を記すようにつとめている。
 年表だけで書かない。通説に、私は支配されない、影響されないという考え方である。
 公明新聞の一面のコラムで、論説委員の方が、執筆精神を評価してくれている。

DSC_0002 妻女たちの幕末 コラム.jpg

「穂高健一氏の小説『妻女たちの幕末』は、歴史を見るうえで、新たな視点を提供してくれる。一つは近世の封建社会で、男性の陰に追いやられていたと思われがちな女性が、たくましい活躍をしていたという一面だ。小説に描かれる幕末の女性たちは、したたかなほど躍動している。また、黒船来航をきっかけに、明治政府によって進められたとする日本の国際化、近代化が徳川時代にすでに大きな胎動になっていることも挙げられる。
  《中略》
 歴史、学問の通説をくつがえす発見や研究は耳目を引く。一方で、私たちは、自分が関わった時代の真実が何であったかを見極め、正しく次世代に伝える責任があることも強く感じる。

 論説委員の方が、作品の役割までも、評価してくれたことはありがたい。

          * 

 原稿の入稿は、ひと月分くらいまとめて前の月に入稿している。ちょうど、ペリー提督の初来航を執筆中である。

「歴史の謎を解く」
 ペリー提督が1852年11月にアメリカ合衆国のニューヨークから、大西洋、喜望峰(ケープタウン)、インド洋、ジャワ、上海、沖縄を経由し、東京湾に7カ月もかけてやってきた。かれらは太平洋横断の航海技術を持っていなかったから。

 それなのに、上陸できたのが大統領国書を手渡せた久里浜の数時間である。そのうえ、わずか9日間でさっさと立ち去っている。

「おい、おい、鳥類、魚介類、植物学の権威の学者たちは、遠路やってきて日本に上陸もできなければ、研究の役目が果たせないじゃないか」

 欧米の軍人は実業家、議会の議員、学者よりも身分が低く扱われている。ペリー提督は、ハーバード大学の著名な博士などに頭が上がるはずがない。
 なぜ、合衆国東海岸から膨大な経費と数千人の乗組員を要して浦賀にやってきて、かれらは逃げるように立ち去ったのか。

 私は、ここに明治政府のプロパガンダ(歴史のねつ造)を見出した。

 

新聞連載「妻女たちの幕末」= 歴史は国民の財産。曲げられた歴史を糺す

 歴史から先人の知恵を学ぶ。だから、『歴史は人間の財産だ』といわれる。ただ、その歴史が曲げられていると、どうなるのか。
 空恐ろしてことである。
 
 明治後期から手がけられた「官営・維新史」が刊行されたのが、昭和14年である。太平洋戦争の2年前である。これがいまの歴史教科書の幕末のベースになっている。ねじ曲げられたところが随所に散見できる。

           *

 明治時代に入ると、薩長閥の政治家たちが幕末史の編纂に号令をかけた。下級藩士から成りあがった自分たちを、徳川幕府を見下し、自分たちを大きく見せるための手段でもあった。

「妻女たちの幕末」はより多くの史料・資料から、真実に迫ろう、という執筆精神でのぞんでいる。
 事実をあからさまにわい曲すれば、嘘だとばれやすい。だから、教えない、伝えない、隠すことで、歴史的事実が消えてしまう。

 連載小説では、隠された事実をほりおこす、という信条でのぞんでいる。

 DSC_0003 妻女たちの幕末 投書2.jpg

 読者の投稿欄に、

 堺市の木村功さんは、「連載小説を楽しみにしている」と前置きしてから、そのきっかけを書いてくださっている。

「天保の改革を断行した幕府の老中首座・水野忠邦が、黒船来航よりも10年早く、蒸気機関車と蒸気船の導入計画をし、長崎のオランダ商館に働きかけていたという衝撃の事実が、この小説で明かされたことであった。
 明治5年に新橋~横浜間の鉄道が開通したことが引き合いに出されるが、そのむ29年も前に検討が始まっていたのである」

 このように、ペリー以前を伏せる、教えないことで、近代化は明治政府からだと、薩長閥の政治家たちは義務教育のはじまった少年・少女たちにすり込んだのだ。

 私たちの世代が教科書で習った有名な狂歌がある、
『泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず』は明治10年に町人がつくられた創作であり、当時の史実とはちがうと、いまでは教科書から削除されています。

「妻女たちの幕末」の作品のなかでも、私はあえてそれを指摘している。

 手元にある「新しい社会 歴史」(東京書籍・令和4年2月10日発行)がある。広島県・志和中学校で講演するために、入手した『日本人がえがいたペリー』(神奈川県立歴史博物館蔵)が掲載されている。誰もが知る鬼の顔をした鼻が高いペリーである。

 同館の学芸員にだれが描いた絵ですか、と問合せすれば、「作者は不明です。ただ、アメリカ人の嫌悪・憎悪を書き立てるもので攘夷派の可能性が高いですし、それを利用したのは明治政府以降のプロパガンダですよ。まだ教科書に載っているんでか」と応えてくれた。

 このように歴史は時の政権に都合よく利用される、という側面がある。太平洋戦争の軍国主義のときにできた「官営・維新史」から、私たちは解放されるときにきた。

 私は「妻女たちの幕末」で、こうしたプロパガンダはできるかぎり指摘し、後々に『歴史は人間の財産だ』と役立つようにしたい、という信条を持っている。

 
 

新聞連載「妻女たちの幕末」= 為政者だけでなく、庶民の目も加える

 タイトル「妻女たちの幕末」と銘打っているが、江戸城大奥の女どうしの葛藤という通俗小説の側面はほとんどない。
 
 この作品は一つ出来事、事件、政治変革にたいして男の視点、女の視点、さらには庶民の目も入れており、複眼的に筆をすすめている。
 つまり、立体的にみないと、歴史の本筋がみえないからである。

 歴史は後ろからみて「なぜ、そんなことがわからないのだ」という歴史上の人物を批判する人が、あんがい多い。
 歴史の渦中にいる人たちは、明日がわからない。

 政治の変革は運命的なもの、必然的なものではない。その時代に生きている人たちが、大名も、農民も、町人たちも、手探りで歴史の流れを作っている。

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 投書欄に、

「連載を楽しみにしています。天保の改革といえば、水野忠邦という知識はありました。しかし、倹約令の詳細については知るよしもありませんでした。連載小説では、江戸幕府の大奥の動きや江戸庶民の生活を通して、詳細に表現されており、まるで映画のスクリーンの光景を見るように読み進むことができます」(中津市・田尻一男さん)

 庶民を描くことで、水野忠邦が先鋭的・斬新な改革をおしすすめながら、理念はよかったが、庶民の大反発をかってしまい、老中首座を下ろされてしまった。
 取締っていた鳥居耀蔵(とりい ようぞう)も同様に失脚した。

  庶民が歴史をつくる。その認識は不可欠である。

 私たちは今のいま、政治家をみれば、かれらは支持率を気にし、国民に沿うような施策をおこなっている。頭から、「殊勝だぞ。いうことを聞け」という自己本位な考えで庶民を無視すれば、バッシングされて短期政権になる。
 
 いつの時代も同じで、政治のトップ(水野忠邦)だけを描いても、ほんとうの歴史にはならない。
 このたびの新聞連載では、折々に庶民を登場させている。

 
 

歴史小説・新聞連載「妻女たちの幕末」=  140回を進行中

 歴史小説「妻女たちの幕末」が、公明新聞で2022年8月1日から連載がはじまった。日曜日をのぞく毎日、読者に読んでいただいている。
 令和4年の年を越し、いまは約半分ほど進行中である。
 
 連載は大づかみに、ペリー提督の黒船の前を半分とし、それ以降は多くの幕末ファンが知るところだし、半分としている。

 とかく私たちは、教科書、歴史書、小説をはじめとして、ペリー提督の蒸気船・黒船がきてから、幕府はおどろきアタフタとして日米和親条約が締結されたと刷り込まれている。

 それ以前にも、アメリカ海軍や捕鯨船、さらにイギリスの測量船など外国艦船が江戸湾に来航し、幕府がしっかり対応している。そこらは、多くのひとが知り得ていない。むしろ、隠されている。

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ペリー提督以前をただしく知らないと、薩長史観のねつ造された歴史観になる。端的にいえば、明治政府のプロパガンダに染まってしまう。

 徳川幕府が倒れたのは、わずかな英雄たちの倒幕活動のよるものではない。戦国時代の群雄割拠のまま、徳川政権がつづいた封建制度が、欧米の近代化という資本主義にそぐわず、政治システムがつぶれたのである。

 それゆえに、徳川幕府の内部崩壊である。そこらの認識のもとに、政治・経済・文化の面からも、新聞連載で丹念に展開している。

 ただしい日本の歴史を知ろう、という信念で、丁寧に描いている。


 
 

『志和と幕末』と題された講演会、志和小中学校体育館の於いて = 土岡健太

 2022年11月30日の午後、志和小中学校体育館で中学校PTA教育講演会 ~志和の歴史に学ぶ~ 『志和と幕末』と題された講演会を聴講させてもらいました。

 中学2年、3年の皆さんと一緒なので「勉強会」と言った方が良いでしょう。地域の方も生徒さんたちの後ろに、10数名が参加されておられました。
志和中学 1aDSCN0115 21.JPG

 受付でもコロナ対策はバッチリ。皆さんマスク着用です。
 体育館は小窓を全開したうえ、暖房ヒーターを使われている。一刻も早く収束してほしいものです。

志和中学 aDSCN0130 24.JPG
 
 皆は講演内容を熱心にノートしていました。私は穂高先生を熱心に追っかけて?「西連寺」の講演会以来3年ぶりになります。

 この日の講演は無事に終了し、生徒の皆さんが体育館を去られたあと、穂高先生は地域の皆さんから質問を受けておられました。
 少しでも多くの方に「志和の歴史」を知ってほしいという先生の願いが感じられました。

 こんな貴重な機会を作ってくれた関係者の皆さん、寒風のなか、駐車場の案内などに頑張っておられた皆さん、ありがとうございました。

【追記】

 土岡健太さんは、幕末に活躍された池田徳太郎(浪士隊の創設者・のち新撰組)の末裔です。

 2022年11月30日の午前中の講演(同一の演題)は、小学6年生と中学一年生でした。

AIの技術の進化で、「妻女たちの幕末」が音声で聞ける = 山澤直行

文字文化の象徴といわれてきた小説です。過去から朗読の専門家がいて、耳の不自由な方にも、小説が楽しめるものでした。

 いまや、AIの技術の進化で小説の世界まで変革しています。新聞連載の小説も、パソコンで処理し、YouTubeで聞けます。

             ※
 
 幕末芸州広島藩研究会「広報室」では、公明新聞に連載中の穂高健一氏「妻女たちの幕末」をユーチューブに掲載する活動を開始しました。朗読ソフトにて朗読させてみました。

 朗読動画は、幕末芸州広島藩研究会のYoutubeチャンネルにて掲載しています
そして、下記のアドレスでは順番にプレイリストで公開しています。

新聞連載「妻女たちの幕末」YouTube

 朗読動画は追加更新していきます。お楽しみにしてください。

【写真の上で左クリックしても、新聞連載「妻女たちの幕末」YouTubeにはいれます】

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オンラインセミナー幕末芸州広島藩の歴史を学ぶ

幕末芸州広島藩研究会からのお知らせです。
11月29日(火)18時30分から、穂高健一氏によるセミナー
「幕末芸州広島藩の歴史を学ぶ 〜オンライン・オフラインセミナー〜」
 を株式会社ミックス1階DXスタジオにて開催いたします!

現在、オンライン配信視聴用チケットを販売中!詳細は以下のURLからご確認ください!

また、見逃し配信もありますので、当日ご都合がつかなくても後日ご覧になれます。
オンライン参加の受付は27日までになります。
ぜひどうぞ。

公式サイト:幕末芸州広島藩の歴史を学ぶ

~志和の歴史に学ぶ~ 講師穂高健一「志和と幕末」 志和中学

令和4年11月10日
志和中学校保護者の皆様
地域の皆様
東広島市立志和中学校
PTA会長 堀 光都子
校  長  脇坂 治海

志和中学校PTA教育講演会開催について(ご案内)
~志和の歴史に学ぶ~


秋涼の候 保護者・地域の皆様には益々ご健勝のこととお喜び申しあげます。また,平素より本校教育並びにPTA活動の推進に,格別のご理解とご協力をいただき,心から深く感謝しております。

さて,本年度の志和中学校PTA教育講演会は,作家・ジャーナリスト 穂高 健一 氏をお招きし,「志和と幕末」と題し講演会を次のとおり開催いたします。

今回は,新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から,会場の人数を考慮し,同じ内容で2回講演をいただきます。保護者及び地域の方はどちらか都合のよい方にご参加いただけます。

ご多用の折とは存じますが,是非ご参加いただきますようご案内申しあげます。

1 日 時  令和4年11月30日(水)  午前の部 10:30~11:30
                      午後の部 13:30~14:30       
2 場 所  東広島市立志和小中学校 体育館

3 講 師  作家・ジャーナリスト 穂高 健一 氏

4 演 題  『志和と幕末』
       
5 日程及び参加対象者         
日程等 参加対象者
☆ 午前の部 志和小6年生、志和中1年生
       保護者・地域の方
   受 付 10:15~
   講演会 10:30~11:30

☆ 午後の部 志和中2・3年生

 受 付 13:15~
 講演会 13:30~14:30
   
※ 午前でも午後でもどちらでも参加いただけます。
    
6 その他  駐車場は,志和小学校グラウンド及び中学校グラウンドをご利用くだ
さい。

高間省三の墓参  20歳で死す。福島県・浜通りの戦い 

DSC_0567.JPG 3.11東日本大震災から11年経っている。高間省三の参拝で、双葉町の自性院の墓地に入った。周囲の墓石の多くは、いまだ積み木崩しのようだ。目ざす高間省三の墓は自然石でどっしり座っている。

 かえりみれば、フクシマ原発事故から三年目で厳しい立入禁止。特別許可で、防護服で身をつつみ取材・お参りして以来だ。
「このお墓です」
 墓石の文字は風化して読めない。墓前のワンカップの水をかけてみる。『高間省三之墓』と浮かび上がった。歴史の幕が開いたような感慨をおぼえた。
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 同行してくれた楢葉町・町議員の宇佐美さんが、線香を立ててくれる。

 慶応4(1868)年7月、広島藩の第一神機隊は平潟に上陸したあと、相馬・仙台・旧幕府軍の連合を敵とし、磐城、広野、楢葉、大熊、浪江と浜街道を北上していく。激戦続きだった。
高瀬川を渡り、大激戦の浪江で、高間省三は命を落した。
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「ご遺体は、ここに眠っているのですか」
宇佐美さんが訊く。
「そうです。浪江の戦いで、頭部に銃弾を受けて即死でしたから。遺体はここに埋葬されて、遺品はすべて広島に持ち帰っています」
 二百数十点が護国神社に奉納されている。

 当時、超エリートの死を悼み、浅野藩主の長訓、世子・長勲が神社をつくった。それがいまの広島護国神社で筆頭祭神は高間省三である。
「二十歳で筆頭祭神とはすごいですね」
 宇佐美さんがおどろいていた。

「大村益次郎が創った靖国神社よりも、1年早い。つまり創建が一年早いのです」
「高間省三の遺品は閲覧できるのですか」
「いいえ。広島市は、「軍」、「軍人」となると、展示品の閲覧も、銅像も歓迎しないようです。
 そんな語らいをした。