A020-小説家

早乙女貢さん・お別れ会の夜

 直木賞作家・早乙女貢(さおとめ みつぐ)さんが、昨年末に死去した。早乙女さんは親戚筋が皆無なので、密葬は「士魂の会」メンバー8人でおこなわれていた。「お別れ会」が2月4日、18時から東京会館(東京・丸の内)9階の大広間で開催された。主催は日本ペンクラブ。参列者は会場一杯で、推定500人くらい。実に大勢で、早乙女さんの人柄が偲ばれる。

 生前親しかった佐藤陽子さんがバイオリンを2曲奏でた。会場に物悲しく流れた。

 日本ペンクラブ阿刀田会長が、「お別れのことば」を述べた。当クラブが2000人の会員という大きな団体になれたのは、早乙女さんの貢献が大である。阿刀田さん自身も早乙女さんの推薦を受けて入会したという。「ペン会員の10分の1は、早乙女さんの推薦ではないでしょうか」と述べた。

 日本文藝家協会を代表して伊藤桂一さん。1955年のころ「泉の会」に所属し、伊藤桂一さん、尾崎秀樹さんらと同人誌「小説会議」を創刊した仲間である。その後も長い付き合いだった。早乙女さんは無宗教だったが、「私は寺の息子であり、けさは般若心経を唱えてきました」と明かす。
 早乙女さんが『会津士魂』で吉川英治文学賞を受賞した。選者のひとり伊藤さんは、その作品とともに、作家魂を高く評価した。

 菅家(かんけ)一郎・会津市長は、「戊辰戦争から140年目に、早乙女さんが亡くなられた」と歴史的な流れから述べた。会津は官軍からは朝敵にされた。早乙女さんが会津藩の武士魂を世に知らしめてくれた。「早乙女さんは会津の誇りです」と結んだ。

 日本ペンクラブ広報委員会は、同メルマガで、『早乙女貢さん特集』を企画している。編集の鈴木康之さんから、「お別れ会」の記事の執筆を依頼された。さかのぼること、昨年の夏、私は早乙女さんを「ペンの顔」として、2時間半にわたる、ロングインタビューをおこなっている。秋には容態が悪くなったという。早乙女さんの最後のインタビュー記事だったと思われる。

 話題が多岐にわたっていた。「メルマガ記事に盛り込まれていない、エピソードはまだ残っていない?」と鈴木さんから訊かれた。ICレコーダーから、すでに早乙女さんの録音を抹消している。PCに取り込んでいれば、生前の声も残っていたのに、と悔やまれる。

 お別れ会が引けた後、小中陽太郎さん(理事、写真・左)と、大原雄さん(電子文藝館・委員長、中央)と3人で、事前に示し合わせていた有楽町の居酒屋に足を向けた。早乙女さんのエピソードが語られた。

 2人とも元NHK勤務なので、その面でも話が弾んだ。小中陽太郎さんは東大仏文科で、大江健三郎さんと同級だった。ふたりのエピソードをいろいろ聞かせてくれた。そのうえで、「大江はノーベル文学賞、小中はNHK会長になれた人材だったが、解雇された」と愉快に語っていた。

 大原さんは報道局・デスクを努めた人。在職中から歌舞伎研究に情熱を向け、出版もされている。近々、在日フランス人に歌舞伎について講演をするという。

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