A010-ジャーナリスト

『世田谷一家惨殺事件』の顔のない犯人を追って

  世田谷区上祖師谷で、宮沢みきおさん(44)を含む一家4人が殺されたのは、00年12月30日未明だった。事件からすでに6年が経つ。12月25日、世田谷へと取材に出かけた。


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 殺害現場の近隣に住む、松延さんとは朝10時に会った。松延さんは、『野良猫の虐待は、惨殺な犯罪への道か』のPJニュース記事に協力してくれたひとだ。約2時間ばかり同事件について聞くことができた。

「最近になって、特別捜査本部の刑事が大幅に入れ替わり、新たな体制で捜査の出直しを図ったようです」。捜査人はあらためて周辺住民に、指紋とDNA鑑定に必要な唾液の提出の協力を求めていると教えてくれた。

 殺人犯が指紋提出に応じるとは思えない。住民にすれば、捜査に応じなければ、疑わしいと思われる。それが嫌で、多くが指紋採取に応じているようだ。捜査人は殺人犯が現場周辺に住むと信じ込んでいるから、そこに労力を費やしているのだろう。

 
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  現場は上祖師谷公園内の北の外れに位置する。松延さんにはそこまで案内してもらい、別れた。『現場100回』の格言がある。宮沢家の見える範囲ないで、地理を頭に叩き込む。同時に、多くの人に声をかけてみた。時間を惜しんで、昼食も抜きだ。延べにして大人6人、未成年者3人。それに公園管理事務所の担当者などから事件について聞いた。

 成城学園の一帯は高級住宅地で、見るからに話すほどに、品のある人が多かった。殺された宮沢さんも確か東大出だった。地域住民とって同事件は関心が高く、思いのほか好意的に話しが聞けた。『初動捜査ミスだ』『警察犬を翌日から使った、これは手落ちだ』『立入り禁止区域が日を追って延びていった』という目撃の話しも聞けた。大半の住民は、『犯人は韓国人だ』という説を信じ込む。

 現場周辺は未だにビリビリした空気が漂う。フェンスや壁や掲示板には、顔のないトレーナー姿の犯人像のポスターがやみ雲に貼られていた。

 取材中に、警察官から職務質問は2度受けた。一度は殺害現場の正面(駐車場)に設置されたポリボックスから、若い警官が出てきて、「取材ですか」といい、名刺を求められたものだ。20分くらい雑談してみたが、1日4交代で立つという程度の情報しかなかった。


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 一家4人殺害現場のまわり1キロ四方で、1日隈なく取材をした。この間に、長編推理を書いていた頃がよみがえった。『刑事が考えない切口』を常に意識している自分を知った。かつてはサントリーミステリー大賞、江戸川乱歩賞の受賞まであと一歩のところにいた。出版関係者から、受賞者は若手作家が望ましい、ある年齢以上は受賞させないと聞いた。だから、推理小説はやめたという経緯があった。

 ある意味で、寝た子(推理思考の回路)が起こされた心境で、ひたすら歩き回った。しかしながら、夕暮れになっても、何一つ『これぞ、決定的だ』という手がかりはなかった。

 徒労は覚悟のうえでの取材活動だが、虚しくなってきた。ぽっと世田谷に来て、犯人に結びつく手がかりを求める、そんな自分の甘さが意識させられた。

 宮沢さんの家は公園拡張予定地で、数ヵ月後には立ち退く予定だった。大半が引越ししており、残る二軒の一つだったのだ。まわりには小さな規模の運動施設が並ぶ。テニス、スケボー、ゲートボール、そして遊戯公園が現場の背後にある。どこも地域住民が楽しむ光景があった。


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 現場一帯を歩くうち、自分はある若者たちに注目した。何かと話しかけて親しくなった。日没後には街灯の光芒の下で、事件に関連する内容について質問した。3人は素直に細かく応えてくれた。
 
 パトロール中の2人の警察官が近づいてきた。二度目の職務質問を受けた。むろん、記者としての許容できる取材活動だから、ものの2、3分で終わった。

 若者たちの表情を横目で見た。3人はともに警官と一言もしゃべりたくない態度だった。「これだ」と思った。事件解決の鍵はここにあると思った。

 刑事事件は裁判で、証拠品が中心に座る。一家4人が惨殺された。初動捜査の段階で、犯人の遺留品が多く、捜査人は遺留品に寄りかかり、そこから犯人を手繰ろうとしたのだ。だから、捜査人は意識、無意識は別として物証から犯人を追ったのだ。
 物事にはすべて裏表、強弱がある。その分、徹底した聞き込み捜査が弱かったのではないだろうか。


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 3人の若者の話から、一つの太い線の推理が浮上してきた。他の情報と重ね合わせると、『犯人は日本人で、なおかつ18歳未満の青年』という犯人像に導かれた。同時に、『さほど土地勘がないだろう』という一つのキーポイントが生まれた。

 初動捜査の段階で、捜査人が現場周辺の、警察嫌いの若者たちから、しっかりした情報を得ていたならば、真犯人の顔が見えたはずだと思えた。


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 今年の12月10日、現場近くの広場で、警視庁の威信をかけた大セレモニーがあったようだ。犯行当時の状況を蘇らせるために、六年前の写真を参考にし、伸びた樹木は刈り込み、再現させた。お偉方から、事件を風化させない、犯人逮捕にむけた決意が述べられた。大勢の刑事が集まっていた、と公園関係者が語った。

 警察関係者のお偉方が立って檄を飛ばしていた場所。そここそ、宮沢さんと犯人との接点があった場所なのだ。つまり、一家4人が殺された犯行へとつづく原点なのだ。


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 殺害された当日、宮沢みきおさん(44)の姿があるビデオに写っている。生前の最後の姿だろう。いまは警察が保管する。提供者は、ここ六年間にわたり、マスコミには映像の存在を一言もしゃべっていない。「はっきり映っていましたよ。いまでも覚えています。報道写真でよく見る顔です。警察も、宮沢さんだと認めていました」と、最近になって教えてくれた。

 ビデオに写った時間。それらから推し進めていくと、『犯人は16歳から18才』で、刹那的な殺人で、計画性が少ない、という推論に結びついていくのだ。


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 以上が取材メモだ。さらなる取材で、犯人像の裏づけを取り、内容を固めたうえで、依頼原稿としていきたい。
 

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