A010-ジャーナリスト

生きがいづくり=堀田力さん(アジア高齢社会国際会議の基調講演)

 47年生まれが、今年は60歳定年を迎える。高度成長期に一生懸命、夜遅くまで働いてきた世代だ。自宅には寝に帰るだけだった。当時は、『夫は働いて、妻は家庭を守る』という考えがあった。


 そういう時代にしろ、ホワイトカラーと呼ばれた勤め人は一週間も子どもの顔を見ない生活がつづいた。日曜日はただ寝ているか、会社の仲間とゴルフに出かけるだけだ。

 家庭内でのふれ合いがない生活、地域との関わりすらもなかった。そのうえ、趣味はない。
 そういう夫が定年を迎えたのだ。仕事がなくなると、何をしていいのかわからない。友だちもいない、という状態に陥るのだ。

 他方で、妻は夫を見限り、友だちと子どもが中心の生活で回っており、地域に仲間を持っている。『どこまでも、夫が家に居ないのが幸せ』という考えだ。女性は過去に働いていても働いていなくても、老後はエンジョイできると考え、心配していない。


 ホワイトカラーだった夫は定年後、家のなかに居場所がなく、妻に追い出されて街をさ迷い歩く。「まさに産業廃棄物です」と語る。元ホワイトカラーはリタイア後もことさら普通の顔をしているが、実態としては街に産業廃棄物の男性が溢れている。


 会場には堀田さんの7つ提案(英文リリース)が配布された。堀田さんは英語で一通り紹介してから、一つひとつを説明した。


①シニアは自分のもつ能力を社会のために最大限に使うことです。それが実現していけば、おおきな満足と誇りが得られます。それが『生きがい』です。生きがいとは自分の能力を使って、自分を生かすことです。


「勤め人はかつて自分の考えで、自分の力で行動したひとは少ない。上から指示されると、素直に行動する。自分の能力をどう生かすか、どう伸ばすか、と考えていない。自分を殺し、献身的に勤めてきた」。それが高度成長期のサラリーマンの特長だったと、堀田さんは話す。

②シニアは能力や技能を地域の人々やコミュニティーのために使いなさい。あなたの献身的な姿が認められてきたならば、シニア時代も価値ある人生が実現できます。


 ホワイトカラーは会社のために働くことができた。しかし、社会やコミュニティーのために働くことが身についていない。ボランティア活動に飛び込む人も少ない。(ボランティア活動は、本来は中高校生から身につけておくことだ)。シニアとなった今からでも、コミュニティーの人たちが喜ぶ活動に尽くすことです。そこに生きがいが見出せます。


③心臓や身体の健康に注意を払いなさい。シニアが健康で幸せ人間になれば、それが社会の利益になります。


 高年齢者は健康に留意している。だが、過去から会社などで言われたとおりに定期健診を受けてきた。独自に出向く判断がない。シニアになれば、自分の身体に耳を傾け、自身の意思で定期診断に出向く、という感覚。それを身に付けることが大切です。


④家庭内に居場所を見つけよう。配偶者には理解を得る努力をすることです。そのためには家族には心から協調しなさい。そうすれば、家族はあなたに信頼を寄せてきます。シニア人生の歩む道にも理解が得られます。


⑤過去には会社の人たちだけが知り合いだった。心を分かち合う友がいない。
今後はよい友達を持ちなさい。行動の理解者、人生の新たなステップへの手助けになってくれる、『友だち作り』が大切です。


⑥あなたがコミュニティーに入って、『生きがい』を見つける。地域のなかで活動するものが思い浮かばなければ、若い時の夢を思い出してみてください。

・プロ野球のプレーヤーを夢見たひとは、近所の少年野球のコーチとしてボランティア活動を行えばよい。
・幼稚園の先生になりたいと思ったひとは、地域の子供会に参加して、その夢を実現させる。
・総理大臣にあこがれたひとはNPOを組織し、指導者として取り組むとよい。
・俳優を望んだひとは、NPOが企画する舞台にデビューするとよい。

 こうした夢の実現で、『生きがい』を見つけることができます。


⑦男女ともに自分がもつ能力を他の人たちに向けて発揮すれば、自分も他の人も幸せにできます。
 シニアが頑張れば、ミュニティーはより友好的な場になります。社会の財産の拡大になれば、シニアが社会コストの拡大や負担でなくなる。コミュニティーの利益が企業利益をより増やす。それが社会貢献です。


 堀田さんは、シニアがボランティア活動に目を向けて、「よし、がんばろう」とすれば、日本は活気づく。幸せな老後を送れる世のなかになる、と講演を結んだ。

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