寄稿・みんなの作品

【寄稿・詩】 いわきの海 = 村山 精二

【作者紹介】村山 精二さん

1949年 北海道赤平市生まれ

日本ペンクラブ 電子文藝館委員会 副委員長 

日本文藝家協会、日本詩人クラブ、横浜詩人会・各会員

2010年  日本ペンクラブ国際ペン東京大会実行委員

2009年~日本詩人クラブ60周年記念大会実行委員


  詩集・著作は多数あります

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いわきの海  村山 精二


小名浜に巨大岸壁が出現したのは
昭和32年
ぼくが木造二階建ての
湯本第二小学校に上がった年だ
常磐線に乗って
おずおず覗きに行った

ボタ山には夕陽
炭住街には同級生の悪ガキの群れ *
禁じられている坑内に入り込んで
板切れに刺さっていた釘をゴム靴で踏み貫いた

小名浜の海の
岩牡蠣を潮で洗って食べたのは
岸壁ができる前だったろうか
もちろん近くに原発ができるずっと以前だ
親父の自転車に弟と載せられ
ガタガタの砂利道を延々と走ってたどり着いた

それからぼくたちは
北海道・静岡と渡り歩いて
神奈川の片隅に住み着き もう40年
フクシマを思い出すこともまれになったが

踏み貫いた傷とともの半世紀
炭鉱はスパリゾートになってしぶとく生き抜いている
ぼくは電気をたくさん使う化学工場の技術屋になって
定年を迎えた

ぼくの右足が癒えることはない
寒い夜には
今でも疼く

 * 炭住 炭鉱住宅
     炭鉱労働者家族のための社宅

【寄稿・エッセイ】 マスク依存症=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています
             
                                   

                 マスク依存症 縦書き

                 作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


マスク依存症 久保田雅子

 私はマスクが苦手だ。うっとうしくなってすぐに外してしまう。
 3月の東日本大震災の時、避難所では皆さんがマスクをしていた。それをテレビで見て、1日中マスクをして過ごすなんて大変だなぁ、と思った。ボランティアの人たちも、もちろん皆マスクだ。

 最近、なんでもないのにいつもマスクをつけている人がいるのに気づいた。
 私がよく行くスーパーのレジで時どき会話をかわす女性も、かならずマスクをしている。最初のころは「風邪をひいているの?」と聞いたりしたが、そのうちに見慣れてしまった。
 夏になってもマスクを外さない。(暑苦しくないのかしら…)彼女のマスクなしの顔はいまだに見たことがない。

 以前、通院していた歯科の先生がマスクを外した時、想像と違う顔立ちに驚いたことがあった。目から下の顔は見るほうが勝手に想像してしまうのだ。
           
 娘が開業するクリニックにも、いつもマスクをつけている女性スタッフがいる。仕事中だけでなく通勤でもミーティング中でもマスクを外さないという。
 病院なので職業上、マスクをやめさせることはできない。私もたびたび顔を合わせるが、彼女の目から下は私の想像だけの顔だ。鼻が高いのか、口が大きいのか…、なにか隠したいものがあるのか…。お化粧をしないで済むからだとしたら、なげやりすぎる。娘は「マスク病なのよ」と言う。不思議だ。

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【寄稿・写真】 アメリカ西部6つの絶景を巡る=久能康生

 学友・久能さんは大学教授(経済学)をリタイア後、国内外を旅しています。国内では、旅先の路地裏の酒場で、夫婦で日本酒の地酒を飲むのが楽しみと話す。
 1年間に数回は海外旅行をしています。風景写真を得意としています。その実、彼は高校時代、北陸の某市の写真屋に4年間住み込み、そこで働きながら学校に通っていた。苦学時代の10歳代で、プロから写真技術を叩き込まれている。その下地があるので、とても良い写真を撮ります。

ブライスキャニオン。風雨に浸食された砂岩が無数の尖塔のように見える


ホースシューベント。コロラド河が大蛇行して馬のひずめのように見える奇岩です


アンテロープキャニオン。ナバホ族の聖地。風化した砂岩が織りなす美の世界です

巨漢のナバホ族ガイドが吹く、インディアンフルートの不思議な音色が洞窟にこだまする


駅馬車が走って来たり、ジョンウェインがひょっこり現れそうな気分になる

デスバレー。海抜マイナス85mのまさに死の谷。バッドウォーターは死の塩水です

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【寄稿・エッセイ】鳥島と漂流者たち=久保田雅子

 【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています
             
                                    久保田雅子


                 鳥島と漂流者たち 縦書きPDF

                 作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


鳥島と漂流者たち 久保田雅子

 私がはじめて読んだ漂流物語は、野上弥生子氏の<海神丸>だった。
 女性作家が壮絶な漂流状況を書いたことにおどろき、感動したものだ。と同時に、漂流物語にはことさら興味を持つようになった。

やがて、いろいろな物語を読むなかで伊豆諸島の無人島である、鳥島(東京から約600キロ)に何度も出会う。
 アホウドリの生息地としても有名な火山島の、この島には江戸時代に数々の漂流した船が流れついた。この島のおかげ(存在)で生還できた漂流民は80名以上だという。
 
 鎖国以前の日本は、天測航法技術を持っていて、太平洋を横断する航海もできた。御朱印船が活躍し、南洋諸国とも盛んに交易をしていた。
 だが、江戸時代になると、鎖国政策のため船は国内運搬用のみの廻船となった。陸上の山見航法で、暴風雨などに巻きこまれて陸から遠ざかってしまうと、船位がわからなくなってしまうというお粗末なものだった。

 収穫が終わった新米を江戸に運ぶ季節が、ちょうど冬の北西季節風で、船乗りの恐れる<大西風>のころだ。
 もしも、黒潮に乗ってしまうと日本から遠く流されてしまう。
 嵐の最中におみくじで占いをして、帆柱を切り捨てるという無知な行為から、天候が回復した時にはもはや帆船航海ができなくなり、漂流だ。

 活火山の鳥島は食用になる植物もなく水もない。漂流者は洞窟を住まいとしてアホウドリと魚を食糧に、水は雨水を貯める工夫などをした。

 
 1719年に漂着後、鳥島で20年もの長きに渡ってのサバイバル生活の後、生還を果たしたのは遠州(静岡県)の大鹿丸12名のうち3名だった。<鳥島漂着物語>(小林郁著)絶版。

 このときは島が活動期で火口から火種を得て、夏には立ち去ってしまう渡り鳥のアホウドリの干し肉を作り、保存食として夏を過ごす工夫をしている。
 20年後に島に漂着してきた江戸の宮本全八船17名とともに、伝馬舟でついに八丈島に帰着を果たす。


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【寄稿・フクシマ原発・被災者の詩】 一時帰宅 = 鈴木會子

 作者紹介:鈴木會子さん。かつしか区民大学「私が伝える葛飾」の受講生です。


 鈴木さんの住所は、福島県双葉郡楢葉町山田岡(フクシマ原発から約20キロの地点)です。原発事故で、故郷を追われ、いまは東京・葛飾区で仮住まいしています。『詩・一時帰宅』の寄稿に際し、創作の動機などを聞いてみました。

「11月11日に、特急『スーパーひたち』で常磐線いわき駅に向いました。故郷の風と土の匂いが懐かしく、うれしかったです。雨の中を迎えてくれた娘と実妹は3か月ぶりの再会です。会食した後、親戚の家に足を運びました。会う人たちとは8か月ぶり。それぞれ元気な姿を確認して安心しました。
 翌12日には楢葉町へ入りました。太平洋に面した海岸に行くと、大津波で民家はすっかり消え、荒涼とした風景で、草がぼうぼうでした。土は自然に帰るのだな、としみじみ思いました」とつよい望郷の念で語ってくれた。


 彼女は最近(同月23日)、ある大手全国紙の一面に掲載された、『300年は住めない』、という記事の見出しから深い失意にある、とつけ加えていた。

 同紙を取り寄せて「汚染大地から・チェルノブイリ原発事故25年」を熟読してみると、チェルノブイリの保護区の責任者から取材した、「300年は人が住めません」という談話にすぎない。科学者、医者でもなさそうだ。立ち入り禁止の監視責任者の単なる推量発言としか読み取れない。
 それなのに同紙はメインタイトルに持ってきている。
 日本人の読者には、フクシマ原発事故から周辺住民が300年も住めないような錯覚を起こさせるものだ。300年が決定的な事実ならば致し方ない。だが、明瞭な科学的な根拠がないかぎり、思想信条・報道の自由だといっても、意図的な危機を煽る、誘導記事はやめたほうがよい。福島の人々から希望を奪ってしまうからだ。
 広島県出身の私には、原爆投下の後、「100年は人が住めない」と真面目にいわれていたことが思い起こされた。(インタビュー・穂高健一)


『一時帰宅』 縦書き PDF



 一時帰宅      鈴木會子

 


前日いわき泊 つめたい雨

今日は晴と 祈ってた
娘の車で いわき発
国道六号 北上す

四倉、久之浜 海岸は
海がぐっと 近づいて
見なれし家々 無くなって
津波と火事の 恐ろしさ
駅から海への 大通り
行き交う人も 今は無く
朝の光に 広々と...

集合場所の 広野町
体育館へは バス移動
働く人は 100人か?
住所と人数 確認す

線量計と 防護服
トランシーバー 手渡され
4時間目安に 楢葉町
検問過ぎて いざ我が家

3月12日 朝のまま
洗濯物が ゆれていて
牛のふんが ポツポツと
屋根は瓦が 落ちている

中は湿気で カビが生え
本棚たおれ ガラス割れ
人形ケースは バラバラに

物は散々 飛び散って
足の踏み場も 無いものを
探し物は 見つからず
片付けようにも 時間なく
持ち帰る物だけ かき集め
家の外を 一周す

夏草枯れて 苔生えて
くもの巣かかり ふんありて
人の住まない 家は荒れ
近所の人と 顔会わす

家族6人 バラバラに
会津、いわきの 3ヶ所に
暮らしは元には 戻らない
皆の消息 知りたいね

元気でここへ 戻ろうね
互いに声を かけ合って
体に気をつけ ガンバロウ
戻れる時は きっと来る
希望を持って 生きましょう

                                  11月17日 あい子

【転載・詩】ソメイヨシノ時計店の時間外案内図=望月苑巳

望月苑巳さんから「孔雀船」78号所收の詩を寄稿(転載)して頂きました。

望月さんは日本ペンクラブ「会報委員会」の委員です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

 

1971年創刊
KUJYAKUSEN 78(第7巻9号)
孔雀船詩社

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738



【関連情報】

★スポーツ新聞で活躍の現役映画評論家グループが運営する★

映画専門のウェブサイトシネマ銀河

国弘よう子、望月苑巳、嶋崎信房、菅野竜二の各氏


                       

縦書きで、詩を読まれる方はこちら PDF


ソメイヨシノ時計店の時間外案内図     望月苑巳



雪のように降ってくる
ソメイヨシノに箸をつけると、儚くなった父を思い出すのです。
時計店の店先は父と母
それにぼくの弟と妹の鼓動で震えていました。
「笑い屑」
あの日見放したひときわ濃い闇に抱かれて、
それは井戸の底に降り積もっていました。
重力があるから魚は空を飛べないし
人は空の穴へは落ちていかない
逆に心の陥穽から這い上がってくる人だっているのです。
あなたもその一人でしたね、オトウサン。
子供を食べるように時計のレシピを食べて
鬼のような顔つきでゼンマイを巻いていましたね。
あざけ笑いながら時を刻むことが
ソメイヨシノを一枚ずつ剥がしてゆくのと同じだと
言い張りましたね。
あの時から時計店の食卓では
一般相対性理論の味噌汁を
啜るようになったのですね。
そうでなければ
地平線の特異点は
長針にからまったまま止まってしまったことでしょう。
人の笑いがころげ終わるころ
ポロリと剥がれ落ちる、見えない「笑い屑」
儚くなる前の父は
いつも井戸の底で雨のように泣いていました。
夕陽のような母や弟や妹の血の色で
ソメイヨシノは染め上がるから
ぼくは塩漬けにして食べる義務を負うのです。
時計店は今日も
賑やかな時間に抱かれて閉店するのですね
オトウサン。

【寄稿・エッセイ】カフェの行方=三ツ橋よしみ

 【作者紹介】

三ツ橋よしみさん:薬剤師。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「上手なブログの書き方」の受講生です。児童文学から大人の現代小説に転身しました。

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                     作者HP:恵比寿 代官山 中目黒 美人になるランチ


 カフェの行方     文・写真 三ツ橋よしみ


                             
 祐天寺駅から徒歩5、6分、通行人がまばらになるあたりに、『カフェA』がある。よく磨かれたガラス窓から、小ぎれいな店内が見える。入口の黒板にメニューが並ぶ。一杯300円のブレンドコーヒーは、このあたりでは、妥当な値段だ。

 ある夕方、娘をさそい『カフェA』に行ってみた。店内はベージュの壁にコーヒー色のテーブルが並び、落ち着いた雰囲気だ。壁の所々に張られた鏡に、天井の照明が映って、かがやいて見えた。
ケーキを食べ、コーヒーを飲む。


「まあ、まあね。味は普通かな」
娘はそっけない態度だった。
 25、6席ほどある店には、客が5、6人。そこそこはやっているらしい。
メニューには、9時から18時まで、と明記されている。夕方6時以降はどうなっているのか、と妙に気になった。まさか6時で閉店するとは思えない。
レジで勘定を支払うときに、夕方からのメニューをたずねてみた。
白いシャツに黒いチョッキ姿の、店のマスターとおぼしき、おとなしそうな中年男の態度が変わった。カウンターの下から、夜のメニューをいそいそと取り出すと、笑顔をみせ多弁になった。
「夜はアルコールもあります。なかなか出ないんですが」
と聞いてもいないことまでも、マスターはつぶやきながら、ワインやビールが並んだメニューを広げる。
「夜に来てくれている料理人は、北海道出身なんです。出身地の『がごめ昆布』で出汁をとったうどんを、お出ししています。お酒の後、小腹がすいたときにおいしいと評判です」
ほかにアボガド丼は、女性客の夜食に喜ばれている、と付け加えた。


「おいしそう、今度、食べにこようかしら」と、お世辞をいったならば、マスターがよろこんだ。笑顔で目尻にしわがよった。年齢は50才前後だろう。 「昨日で開店一周年になりました。どうぞ」
マスターはカウンターの下から、クッキーの小袋を取り出し、娘と私にくれた。そして、店のスタンプカードにスタンプを押してから、差し向けた。
 ふたりして店を出ると、
「脱サラして、念願のカフェをオープンしましたって感じの人だったね」
娘が感想を語りはじめた。
「開店して1年。ちょっと疲れてるみたいだったわ。目の下にくまがあったし。たまには少し休んだほうがいいんじゃないかな」

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【寄稿・エッセイ】失踪者=久保田雅子

 【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています。


                 失踪者・縦書き・PDF

                作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


 失踪者  久保田雅子

                  
 5年前に入社した男性社員が、8月のお盆休みが明けた直後に、突然、
<辞表>をデスクに置いて出社しなくなった。
 辞表には、探さないでください、と書いていた。彼は私の部下である。
 私は彼のやりかけの仕事を、いそいで他の社員にふりわけるように指示をだした。彼の身を心配するよりも、そうした仕事のあと始末で大変だった。休み明けの気分も一変した。


彼の両親がやがて私の元に謝罪に来社した。本人とは連絡がとれず、どこにいるのかわからないという。
「突然、ご迷惑をかけて申しわけありません…」
「ご心配ですね…」
「まあ、男ですから、そのうちに帰って来るでしょう。」
 と、あまり心配している様子ではなかった。
 34歳の大人だ。親が心配しても言うことを聞く年齢ではないのだから仕方がない、という態度にも思えた。お互いに気まずい雰囲気だけが残った。

 しばらくして、彼の父親から私に連絡があった。
 婚約者の女性が突然自宅に訪ねてきて、1ヶ月ぐらい前から彼と連絡が取れなくなった、親しい友人にも尋ねたが、誰も彼とは連絡が取れていないと、彼女は心配で泣いていた、と話す。7月の終わり頃から、彼の様子がなんとなくおかしかったとも、彼女は言ったようだ。
 彼には借金を抱えていた様子もないし、仕事上のトラブルもなかった。もうすぐ結婚する予定で張り切っていたはずなのに……。なにがあったのだろう?
 
 辞表を残した当初、私たちは、きっと仕事がいやになって彼女と旅行でもしているのだろう…、と簡単に考えていた。だが、それも違っていたのだ。
 婚約者の話から、彼の両親も急に心配になってきたようだ。
 

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【寄稿・エッセイ】オペラ座の快人= 三橋よしみ

【作者紹介】

三ツ橋よしみさん:薬剤師。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「上手なブログの書き方」の受講生です。児童文学から大人の現代小説に転身しました。

                     たて書・PDF


                     作者HP:恵比寿 代官山 中目黒 美人になるランチ


 オペラ座の快人     文・写真 三ツ橋よしみ


3.11に発生した東日本大震災は、世界中に衝撃を与えました。
テレビや舞台から、笑い声が消え、歌が消えました。クラシック音楽界では、多くのコンサートが中止になりました。

 4月、フランスのオーケストラの来日が中止になり、チケット代が返金されました。こんなときだからこそ、よい音楽が気きたかったのに、残念なことでした。その折、事務局の人は「こんなことは、はじめてです。この先、どうなるのでしょう」と暗い表情でした。


 同時期に、イギリス人歌手のソプラノリサイタルが開催されました。
「こんなときに来てくださって、お客さんもたいへんよね」と、ひょうひょうとしたコメント。いっきに客席の気分がほぐれ、イギリス人のユーモアのすばらしさを感じました。

 5月のコンサートでは、予定していたロシアの若いトランペッターが出演をキャンセルしました。チェルノブイリ事故で、ウクライナ人の身内がなくなったそうです。日本行きは、親戚中から猛反対されて断念したとか。

 当日のコンサートは曲目を変更し、日本人のバイオリンニストが代役をつとめました。
 そんなこんなの日々が続いていた5月。私は9月開催のドイツオペラの切符を買いました。9月ならもう大丈夫でしょう。すてきなオペラが見られるわ。期待で胸がふくらみました。
 6月、7月、8月と大地震と放射能の傷が残されたまま、3ヶ月がたちました。やっと待ち望んでいた、オペラ本番になりました。
 ところがです。まず主役のテノールが病気で交代。次にその代役が来日直前になって、検査で胸部に結節がみつかり手術で交代。9月25日公演当日の主役は、代役の代役となりました。どうなるのでしょうか。歌劇団はちゃんとした代役を用意できたのでしょうか。

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【寄稿・被災地報告】半年後の三陸を歩く=滝アヤ

         3.11の東日本大震災では、三陸沿岸は未曾有の被害をこうむりました。
         半年後の被災地を歩いてみました。
         悲惨な生なましさが、胸を締めつけました。


          大地震の発生は、午後2時46分です。
          一瞬にして、人々の生活と人生が狂いました。
          鉄道など交通機関も、大打撃をうけました。


           宮城県・大船渡には、8月20日午前4時30分に入りました。
           破壊された町並みが、随所で目に飛び込んできました。

         マグネチュード9.0の大地震の大津波が
         十数メートルの高さで襲いかかりました。

         港に停泊する中型船舶は、その津波で
         住宅地まで押し上げられました。

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