【寄稿・エッセイ】 池とザリガニ = 吉田 年男
石の間に身を潜めていて、姿を見せようとしない。タコ糸にスルメイカを結び付け、隠れていそうなところに揺らしながら静かに持ってゆく。しばらくすると、用心深そうにスルメイカを挟む赤茶色のはみがみえてくる。
子供たちは、今日も公園の池でザリガニとりに夢中だ。魚釣りは禁止されているが、ザリガニ取りは、生物観察のため認められている。
池の中には、ザリガニの他に鯉と金魚、亀の親子などがいる。亀はペットとして飼っていた子亀が、大きくなりすぎて家庭では飼えなくなり、無責任にも無断で池に放していったものだ。居心地がよいのか繁殖してしまって、今ではかなりの数になっている。
池の中では、壮絶な戦いがくりかえされている。亀につかまったザリガニが無残にも胴を食いちぎられているところを見た。それも食いついているのは小さい亀だ。
身体が小さい亀は一見かわいらしく見えるが、動きがすばしっこくて、ザリガニを食べているところをみていると、貪欲で凶暴で憎らしい。
夏の間、亀は石と石の隙間を物色しながら活発に泳ぎ回る。ザリガニの気配を感じると、首を思い切り伸ばしてグイグイと石の隙間に入り込んでゆく。
ザリガニたちは、必死に逃げまわる。可哀そうだが、池の中ではひたすら逃げて石の隙間の、狭くて亀の口が届かないところを探して、身を隠すより彼らに生きる道はない。
子供のころ田圃へ水を運ぶ小川で、伊勢海老にそっくりな大きくて強そうなザリガニを見た。あの堂々としたザリガニの勇姿はどこへ行ってしまったのか。
池の中は、危険がいっぱいで、めったなことでは石の隙間から外に出ることができない。彼らにとって、いつも死と隣り合わせの厳しい環境が、姿まで小さくてひ弱な格好にしてしまったのか。
そんな彼らも、スルメイカの匂いにつられて、時折、用心深そうにはさみを動かしながら姿を見せて子供たちを喜ばせる。その時の仕草は、何ともせつない。
人工池で生きる彼らには、もう一つ厳しい試練がある。それは池の掃除のときだ。水を抜き、底の部分はもちろん、置かれているおおきなまるい石、敷きつめられた玉砂利石のひとつひとつに至るまで、高圧洗浄機できれいに洗われる。
歳月をかけてやっとできた水垢や、そこに住み着いた彼らにとって餌となる微生物まで、すべてきれいに取り除かれてしまう。やっと探し求めた安全なねぐらも、一瞬にして奪われてしまう。
掃除している間、鯉や金魚たちは、別の場所に移されて、生命が確保されているが、その中にザリガニの姿をみたことがない。
彼らはどこへ身を隠しているのか? どこえ行っているのであろうか? なにを食べて生きているのだろう。
小さくて、ひ弱な姿になったザリガニたちは、掃除のときそれを素早く察知して、給水管や、給水管につながる給水槽のどこかに、そっと身を隠しているにちがいない。
池の掃除があるたびに、心配になりこころが痛む。