寄稿・みんなの作品

【寄稿・フクシマ原発・被災者の詩】 一時帰宅 = 鈴木會子

 作者紹介:鈴木會子さん。かつしか区民大学「私が伝える葛飾」の受講生です。


 鈴木さんの住所は、福島県双葉郡楢葉町山田岡(フクシマ原発から約20キロの地点)です。原発事故で、故郷を追われ、いまは東京・葛飾区で仮住まいしています。『詩・一時帰宅』の寄稿に際し、創作の動機などを聞いてみました。

「11月11日に、特急『スーパーひたち』で常磐線いわき駅に向いました。故郷の風と土の匂いが懐かしく、うれしかったです。雨の中を迎えてくれた娘と実妹は3か月ぶりの再会です。会食した後、親戚の家に足を運びました。会う人たちとは8か月ぶり。それぞれ元気な姿を確認して安心しました。
 翌12日には楢葉町へ入りました。太平洋に面した海岸に行くと、大津波で民家はすっかり消え、荒涼とした風景で、草がぼうぼうでした。土は自然に帰るのだな、としみじみ思いました」とつよい望郷の念で語ってくれた。


 彼女は最近(同月23日)、ある大手全国紙の一面に掲載された、『300年は住めない』、という記事の見出しから深い失意にある、とつけ加えていた。

 同紙を取り寄せて「汚染大地から・チェルノブイリ原発事故25年」を熟読してみると、チェルノブイリの保護区の責任者から取材した、「300年は人が住めません」という談話にすぎない。科学者、医者でもなさそうだ。立ち入り禁止の監視責任者の単なる推量発言としか読み取れない。
 それなのに同紙はメインタイトルに持ってきている。
 日本人の読者には、フクシマ原発事故から周辺住民が300年も住めないような錯覚を起こさせるものだ。300年が決定的な事実ならば致し方ない。だが、明瞭な科学的な根拠がないかぎり、思想信条・報道の自由だといっても、意図的な危機を煽る、誘導記事はやめたほうがよい。福島の人々から希望を奪ってしまうからだ。
 広島県出身の私には、原爆投下の後、「100年は人が住めない」と真面目にいわれていたことが思い起こされた。(インタビュー・穂高健一)


『一時帰宅』 縦書き PDF



 一時帰宅      鈴木會子

 


前日いわき泊 つめたい雨

今日は晴と 祈ってた
娘の車で いわき発
国道六号 北上す

四倉、久之浜 海岸は
海がぐっと 近づいて
見なれし家々 無くなって
津波と火事の 恐ろしさ
駅から海への 大通り
行き交う人も 今は無く
朝の光に 広々と...

集合場所の 広野町
体育館へは バス移動
働く人は 100人か?
住所と人数 確認す

線量計と 防護服
トランシーバー 手渡され
4時間目安に 楢葉町
検問過ぎて いざ我が家

3月12日 朝のまま
洗濯物が ゆれていて
牛のふんが ポツポツと
屋根は瓦が 落ちている

中は湿気で カビが生え
本棚たおれ ガラス割れ
人形ケースは バラバラに

物は散々 飛び散って
足の踏み場も 無いものを
探し物は 見つからず
片付けようにも 時間なく
持ち帰る物だけ かき集め
家の外を 一周す

夏草枯れて 苔生えて
くもの巣かかり ふんありて
人の住まない 家は荒れ
近所の人と 顔会わす

家族6人 バラバラに
会津、いわきの 3ヶ所に
暮らしは元には 戻らない
皆の消息 知りたいね

元気でここへ 戻ろうね
互いに声を かけ合って
体に気をつけ ガンバロウ
戻れる時は きっと来る
希望を持って 生きましょう

                                  11月17日 あい子

【転載・詩】ソメイヨシノ時計店の時間外案内図=望月苑巳

望月苑巳さんから「孔雀船」78号所收の詩を寄稿(転載)して頂きました。

望月さんは日本ペンクラブ「会報委員会」の委員です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

 

1971年創刊
KUJYAKUSEN 78(第7巻9号)
孔雀船詩社

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738



【関連情報】

★スポーツ新聞で活躍の現役映画評論家グループが運営する★

映画専門のウェブサイトシネマ銀河

国弘よう子、望月苑巳、嶋崎信房、菅野竜二の各氏


                       

縦書きで、詩を読まれる方はこちら PDF


ソメイヨシノ時計店の時間外案内図     望月苑巳



雪のように降ってくる
ソメイヨシノに箸をつけると、儚くなった父を思い出すのです。
時計店の店先は父と母
それにぼくの弟と妹の鼓動で震えていました。
「笑い屑」
あの日見放したひときわ濃い闇に抱かれて、
それは井戸の底に降り積もっていました。
重力があるから魚は空を飛べないし
人は空の穴へは落ちていかない
逆に心の陥穽から這い上がってくる人だっているのです。
あなたもその一人でしたね、オトウサン。
子供を食べるように時計のレシピを食べて
鬼のような顔つきでゼンマイを巻いていましたね。
あざけ笑いながら時を刻むことが
ソメイヨシノを一枚ずつ剥がしてゆくのと同じだと
言い張りましたね。
あの時から時計店の食卓では
一般相対性理論の味噌汁を
啜るようになったのですね。
そうでなければ
地平線の特異点は
長針にからまったまま止まってしまったことでしょう。
人の笑いがころげ終わるころ
ポロリと剥がれ落ちる、見えない「笑い屑」
儚くなる前の父は
いつも井戸の底で雨のように泣いていました。
夕陽のような母や弟や妹の血の色で
ソメイヨシノは染め上がるから
ぼくは塩漬けにして食べる義務を負うのです。
時計店は今日も
賑やかな時間に抱かれて閉店するのですね
オトウサン。

【寄稿・エッセイ】カフェの行方=三ツ橋よしみ

 【作者紹介】

三ツ橋よしみさん:薬剤師。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「上手なブログの書き方」の受講生です。児童文学から大人の現代小説に転身しました。

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                     作者HP:恵比寿 代官山 中目黒 美人になるランチ


 カフェの行方     文・写真 三ツ橋よしみ


                             
 祐天寺駅から徒歩5、6分、通行人がまばらになるあたりに、『カフェA』がある。よく磨かれたガラス窓から、小ぎれいな店内が見える。入口の黒板にメニューが並ぶ。一杯300円のブレンドコーヒーは、このあたりでは、妥当な値段だ。

 ある夕方、娘をさそい『カフェA』に行ってみた。店内はベージュの壁にコーヒー色のテーブルが並び、落ち着いた雰囲気だ。壁の所々に張られた鏡に、天井の照明が映って、かがやいて見えた。
ケーキを食べ、コーヒーを飲む。


「まあ、まあね。味は普通かな」
娘はそっけない態度だった。
 25、6席ほどある店には、客が5、6人。そこそこはやっているらしい。
メニューには、9時から18時まで、と明記されている。夕方6時以降はどうなっているのか、と妙に気になった。まさか6時で閉店するとは思えない。
レジで勘定を支払うときに、夕方からのメニューをたずねてみた。
白いシャツに黒いチョッキ姿の、店のマスターとおぼしき、おとなしそうな中年男の態度が変わった。カウンターの下から、夜のメニューをいそいそと取り出すと、笑顔をみせ多弁になった。
「夜はアルコールもあります。なかなか出ないんですが」
と聞いてもいないことまでも、マスターはつぶやきながら、ワインやビールが並んだメニューを広げる。
「夜に来てくれている料理人は、北海道出身なんです。出身地の『がごめ昆布』で出汁をとったうどんを、お出ししています。お酒の後、小腹がすいたときにおいしいと評判です」
ほかにアボガド丼は、女性客の夜食に喜ばれている、と付け加えた。


「おいしそう、今度、食べにこようかしら」と、お世辞をいったならば、マスターがよろこんだ。笑顔で目尻にしわがよった。年齢は50才前後だろう。 「昨日で開店一周年になりました。どうぞ」
マスターはカウンターの下から、クッキーの小袋を取り出し、娘と私にくれた。そして、店のスタンプカードにスタンプを押してから、差し向けた。
 ふたりして店を出ると、
「脱サラして、念願のカフェをオープンしましたって感じの人だったね」
娘が感想を語りはじめた。
「開店して1年。ちょっと疲れてるみたいだったわ。目の下にくまがあったし。たまには少し休んだほうがいいんじゃないかな」

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【寄稿・エッセイ】失踪者=久保田雅子

 【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています。


                 失踪者・縦書き・PDF

                作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


 失踪者  久保田雅子

                  
 5年前に入社した男性社員が、8月のお盆休みが明けた直後に、突然、
<辞表>をデスクに置いて出社しなくなった。
 辞表には、探さないでください、と書いていた。彼は私の部下である。
 私は彼のやりかけの仕事を、いそいで他の社員にふりわけるように指示をだした。彼の身を心配するよりも、そうした仕事のあと始末で大変だった。休み明けの気分も一変した。


彼の両親がやがて私の元に謝罪に来社した。本人とは連絡がとれず、どこにいるのかわからないという。
「突然、ご迷惑をかけて申しわけありません…」
「ご心配ですね…」
「まあ、男ですから、そのうちに帰って来るでしょう。」
 と、あまり心配している様子ではなかった。
 34歳の大人だ。親が心配しても言うことを聞く年齢ではないのだから仕方がない、という態度にも思えた。お互いに気まずい雰囲気だけが残った。

 しばらくして、彼の父親から私に連絡があった。
 婚約者の女性が突然自宅に訪ねてきて、1ヶ月ぐらい前から彼と連絡が取れなくなった、親しい友人にも尋ねたが、誰も彼とは連絡が取れていないと、彼女は心配で泣いていた、と話す。7月の終わり頃から、彼の様子がなんとなくおかしかったとも、彼女は言ったようだ。
 彼には借金を抱えていた様子もないし、仕事上のトラブルもなかった。もうすぐ結婚する予定で張り切っていたはずなのに……。なにがあったのだろう?
 
 辞表を残した当初、私たちは、きっと仕事がいやになって彼女と旅行でもしているのだろう…、と簡単に考えていた。だが、それも違っていたのだ。
 婚約者の話から、彼の両親も急に心配になってきたようだ。
 

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【寄稿・エッセイ】オペラ座の快人= 三橋よしみ

【作者紹介】

三ツ橋よしみさん:薬剤師。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「上手なブログの書き方」の受講生です。児童文学から大人の現代小説に転身しました。

                     たて書・PDF


                     作者HP:恵比寿 代官山 中目黒 美人になるランチ


 オペラ座の快人     文・写真 三ツ橋よしみ


3.11に発生した東日本大震災は、世界中に衝撃を与えました。
テレビや舞台から、笑い声が消え、歌が消えました。クラシック音楽界では、多くのコンサートが中止になりました。

 4月、フランスのオーケストラの来日が中止になり、チケット代が返金されました。こんなときだからこそ、よい音楽が気きたかったのに、残念なことでした。その折、事務局の人は「こんなことは、はじめてです。この先、どうなるのでしょう」と暗い表情でした。


 同時期に、イギリス人歌手のソプラノリサイタルが開催されました。
「こんなときに来てくださって、お客さんもたいへんよね」と、ひょうひょうとしたコメント。いっきに客席の気分がほぐれ、イギリス人のユーモアのすばらしさを感じました。

 5月のコンサートでは、予定していたロシアの若いトランペッターが出演をキャンセルしました。チェルノブイリ事故で、ウクライナ人の身内がなくなったそうです。日本行きは、親戚中から猛反対されて断念したとか。

 当日のコンサートは曲目を変更し、日本人のバイオリンニストが代役をつとめました。
 そんなこんなの日々が続いていた5月。私は9月開催のドイツオペラの切符を買いました。9月ならもう大丈夫でしょう。すてきなオペラが見られるわ。期待で胸がふくらみました。
 6月、7月、8月と大地震と放射能の傷が残されたまま、3ヶ月がたちました。やっと待ち望んでいた、オペラ本番になりました。
 ところがです。まず主役のテノールが病気で交代。次にその代役が来日直前になって、検査で胸部に結節がみつかり手術で交代。9月25日公演当日の主役は、代役の代役となりました。どうなるのでしょうか。歌劇団はちゃんとした代役を用意できたのでしょうか。

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【寄稿・被災地報告】半年後の三陸を歩く=滝アヤ

         3.11の東日本大震災では、三陸沿岸は未曾有の被害をこうむりました。
         半年後の被災地を歩いてみました。
         悲惨な生なましさが、胸を締めつけました。


          大地震の発生は、午後2時46分です。
          一瞬にして、人々の生活と人生が狂いました。
          鉄道など交通機関も、大打撃をうけました。


           宮城県・大船渡には、8月20日午前4時30分に入りました。
           破壊された町並みが、随所で目に飛び込んできました。

         マグネチュード9.0の大地震の大津波が
         十数メートルの高さで襲いかかりました。

         港に停泊する中型船舶は、その津波で
         住宅地まで押し上げられました。

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【元気に百歳・エッセイ教室の演習】 戦争と平和 =塩地薫

作者紹介・塩地薫さん:熊本大学・薬学部出身、大手医薬品メーカーをリタイア後は、サムエル・ウルマンの「青春」の詩や、旧制高校の「寮歌」などの普及活動に努めています。


 元気に百歳のエッセイ教室では52回を迎えました。表現力の強化のいったんで、毎回、1~2枚の写真から課題文の作成を演習としています。(大学のゼミナールのように)
 参考文例を示した上で、受講生には200字~300字ていどの短文を発表してもらっています。

    【課題】  ダンサーたちの舞台を描写してください。
          演劇タイトルは自由で、想像してください。
   
          撮影・2011年8月25日 江戸川区・船堀


    戦争と平和   塩地薫

 昭和20年8月、広島と長崎に原爆が落とされて、街は地獄と化した。
 舞台は赤い炎に包まれて、逃げ場を失った市民がひとかたまりになり、千手観音のように、腕を広げて救いを求めるシーンが演じられている。断末魔の叫びが虚空を揺さぶっているようだ。

 時を経て静寂が訪れる。ダークブルーの背景に白衣の女性が五人、、両腕を広げて手をつなぎ、ハート型をつくる。その中心にもう一人の女性が人差し指を立てた右腕を天頂に向けて祈りをささげる。
「どうぞ、戦争の無い世界をお作りください」

【感想】先生の2枚の写真と、演出家兼ダンサーの挨拶に刺激されて、
私も舞台を想像してみました。
ダンサーたちの舞台を描写するのも、むずかしいものですね。


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【寄稿・被災者の詩】   遠き 福島  =鈴木會子

 作者紹介:鈴木會子さん。かつしか区民大学「私が伝える葛飾」の受講生。

 住所は福島県双葉郡楢葉町山田岡である。3.11の東日本大震災のとき、鈴木さんは海岸を散歩していた。巨大な大地震が発生。危険だ、津波が来る、と判断し、走って高台のわが家に逃げた。そこから大津波が襲ってくるのがわかったという。

 楢葉町はフクシマ原発から20キロの地点にある。鈴木さんは40年間住みなれた町を追われた。4月3日から、葛飾区の都営住宅に移住してきた。

「葛飾を知るために講座を申し込みしました。ところが、葛飾を紹介する区民記者の養成講座でした」と笑う。取材活動を通して、葛飾が活気にある町だ、と知ったという。
「講座仲間ができました。暗い話題ばかりでなく、私には明るい話です」と現在の心境を話す。

 掲載作品『遠き 福島』について。7月30日には一時帰宅できる通知があった。約1週間前は興奮して眠れず、深夜2時に書いたものです」と説明する。


 遠き 福島      鈴木會子

 
                                      
      なが年住し 古里おわれ            
      ぽつんと3人 東京ぐらし
      いつまで続く この先の
      みえない不安と この気持ち

      どこまで広がる 放射能
      福島 日本 空を越え
      海流のって 世界中
      汚染の波が 広がって
      ストロンチューム セシュームと
      30年の おつきあい

      小さな命を 守るため
      今ある命を 生かすため
      皆で知恵を 出し合って
      この災難を のりきろう
      今の時代を 生きぬこう

      未来に続く この国の
      大事な命を 守りぬき
      今の務めを 果たそうよ

      福島はなれ 四ヶ月
      あの山 あの海 あの景色
      まぶたに浮かぶ 古里は
      美くしままの 四季の色

      思い出のこし 遠き地で
      生きねばならぬ この先は
      何年続く あてもなし

      今を輝き 生きるため
      明るい未来を 夢にみて
                                        あい子

【寄稿・エッセイ】小鳥のさえずり=三橋よしみ

【作者紹介】

三ツ橋よしみさん:薬剤師。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「上手なブログの書き方」の受講生です。児童文学から大人の現代小説に転身しました。


                     たて書・PDF
                         

                     作者HP:恵比寿 代官山 中目黒 美人になるランチ


 小鳥のさえずり     文・写真 三ツ橋よしみ

 朝はやく、小鳥のさえずりで目が覚めた。枕元の時計は4時を回ったばかり。寝床から抜け出て、窓のカーテンを少し開けてみた。東の空が薄紫色にそまっている。

「ヒーヨ、ヒーヨ、ヨー」
 指笛のような鋭い鳴き声が、高い空から聞こえた。周辺の人々はまだ眠っているのだろう。どの家の窓も暗く、門燈のオレンジ色だけが妙に輝いていた。通りには人の影すらなく、早起きの新聞配達のバイクだって、まだやって来はしない。

(おはよう小鳥さん、あなたって早起きね。澄んだとてもいい声だわ。わたし、あなたの声が好きよ。前の住まいには、あなたのような鳥はいなかった。名前はなんというの? わたしは都会育ちだから、鳥の種類をぜんぜん知らないの)
 そんなふうに語りかけた。

 先週、わたしは中目黒から祐天寺に引っ越してきた。距離にすれば、1キロばかりの引っ越しだが、環境がまるで違う。
 祐天寺には広い庭のある家が多い。高い木々にかこまれた家。蔦(つた)のからまったレンガ塀。古くからの重厚な住宅が建ち並んでいる。

 
わたしの新居の近くには、蛇崩川(じゃくずれがわ)の緑道がある。緑道は曲がりくねり、中目黒まで続く。道ぞいの花壇には、日々草花が彩りをそえている。春過ぎても、桜の並木が散歩する人々に、木の影をなげかけてくれる。こんな新鮮な光景があるのだ。

 空が帯状に明けてきた。「ヒーヨ、ヒーヨ」と鳴く鳥は、向かいの民家のテレビアンテナの上にいた。それもアンテナの一番はしに、ちょこんととまっている。
 目を凝らしてみた。近眼のわたしにはどんな鳥なのか、よくわからない。灰色で、スズメより少し大きめ。尻尾がすっと伸びている。わたしがカメラを構えると、サッと飛びたってしまった。

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【寄稿・エッセイ】2007年8月15日フランスで=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています。

                2007年8月15日フランスで 縦書き・PDF


                作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


 2007年8月15日フランスで 久保田雅子


 フランスの夏は日が暮れるのが遅い。夜9時過ぎから、だんだんと暗くなっていく。フランスでは8月15日はカトリックの祝日<聖母の被昇天>で休日である。その日、私はまだ西日のまぶしい時間に夕食をとりながら、フランス国営テレビのニュースを見ていた。やがて、気がつくとドキュメンタリー番組が始まっていた。それまでは何気なく観ていたテレビだが、思わずその画面に釘付けになってしまった。

 映像は1945年9月2日の東京湾の横須賀沖だった。私がみたこともないような大きな軍艦は、高い塔と太く長い6本の砲台が備わる<戦艦ミズーリ号>だった。艦上にはアメリカ兵に囲まれた日本人数名が現れた。

 字幕によると、重光葵(しげみつ まもる)外相、陸軍大将の梅津美治郎、岡崎和夫だった。3人はシルクハットにモーニングの正装で、他の6人は軍服姿だ。日本人はとても緊張した表情で並んでいる。降伏文書に調印する直前である。
 白い海軍服のアメリカ兵が艦上の塔の上まで鈴なりで、その歴史的な一瞬をみている。

 梅津が岡崎に付き添われて、大きな紙にサインした。それが終わると、梅津が眉間にしわを寄せて、怒ったような表情で重光になにか言っていた。

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