寄稿・みんなの作品

【寄稿・エッセイ】「家政婦のミタ」を見た=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています
             
                       

                 「家政婦のミタ」を見た PDF


                 作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


「家政婦のミタ」を見た 久保田雅子


 昨年の秋に放送された、テレビドラマ『家政婦のミタ』を見た。
 かつて人気シリーズだった『家政婦は見た』という市原悦子さん主演のドラマを連想していたが、まったく別のものだった。
 初回から過激なシーンもあったせいか、漫画チックなわざとらしい展開なのに、なぜか引き込まれてしまった。そして毎週、楽しみに見てきた。
 家政婦・ミタさんは、父親が育てる3人の子供たちのいる四人家族の家庭にやって来る。その家では、母親が父親の不倫を理由に自殺しているのだ。
 子供たちは突然母親を失い、だらしのない父親に失望し、まったくどうしてよいのかわからない。そのなかで、淡々と仕事をする彼女の存在に、バラバラになりかかっていた家族が少しずつ立ちなおっていく過程を描くものだ。
「承知しました」となんでも引き受けるミタさんに、家族みんなでいろいろなお願いをする。自暴自棄になった長女は「死にたいから私を殺して」と頼む。ミタさんはナイフを持って本気で彼女を追いかける。長女はおそろしくなって逃げ回り、自分が死にたくないことを知る。

 暗い過去のあるミタさんは、決して笑わない。仕事は完璧だ。毎回、かならず食卓のシーンがあった。ばらばらになりそうな家族が、彼女の作るおいしい食事に心をなごませる。家族の絆は食卓から…、と伝わってくる。
 業務命令であれば、彼女はどんなことでもする、不思議な人だった。
 いつも黒いカバンを持っていて、必要なものはなんでもそこから魔法のように出てきた。

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【寄稿・写真】気仙沼大島を襲った大津波=伊東勝正

 写真提供者の紹介:伊東勝正さんは、宮城県気仙沼市の『休暇村 気仙沼大島』の営業リーダー。島をよく知り、3.11の大津波を体験した。同島は、3隻のフェリーボートが運航不能になり、本州との交通網、連絡網が断たれた。
 島では山火事が発生した。退路のない炎上である。島民として恐怖のなかで、伊藤さんはシャッターを切った。 メディアも救援隊も入れなかった。この時の大島の惨事を写真で残す。貴重な写真提供である。
 ちなみに、アメリカ第7艦隊「ともだち作戦」で、米軍の兵士が同島に最初に上陸してきたのが、3日後である。日本の救援隊(自衛隊、海保)よりも、数段に早かった。


 写真は気仙沼と大島を結ぶ、係留していたフェリーが桟橋ごと陸に打ち上げられたものです。これで本州との行き来は途絶えてしまいました。(3隻とも被害で使用不可)

 3.11の震源地に近いために、2時46分の揺れはすさまじいものでした。

 地震の被害で『休暇村 気仙沼大島』は数か月間、営業ができない状態に陥りました。


 激しく揺れた地震の後、大津波警報が出ました。津波の高さは6メートルでした。ここからならまず安心、という気持ちで、カメラを持って待ち構えていました。ところが、とんでもない大津波でした。


休暇村の直下にあった、「体験四阿」が大津波に飲み込まれていく瞬間です。

「緑の真珠」と呼ばれた、日本でも有数の海水浴場でした。美しい海岸と砂浜が無残に姿になりました。


 島の津波は、太平洋側と、気仙沼湾を襲った後の津波が逆方向からも来ました。島は真ん中で分断されました。
 倒れている電柱の方角が、襲われた場所ごとに違い、逆方向になっていました。

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【寄稿・エッセイ】 タローのご招待=三ツ橋よしみ

【作者紹介】

三ツ橋よしみさん:薬剤師。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「フォト・エッセィ」の受講生です。

             タローのご招待  縦書き PDF


タローのご招待 三ツ橋よしみ

  

 正月の早朝だった。飼い犬が玄関ドアをひっかいている。散歩の催促だ。もう少し寝かせてと言い聞かせても、ひっかくのをやめない。しょうがない。起きて散歩の支度をはじめた。犬は一張羅の毛皮だが、私はコート、マフラー、帽子、手袋とたいへんだ。

 タローは柴犬の雑種だ。毛が密生していて、冬が大好きなのだ。引っ張られて公園につくと、犬はうれしそうに草むらをかぎまわる。仲間のにおいがするのだろう。枯れた芝生を駆け回り、からだをこすりつける。霜柱の地面でも平気だ。
 公園の木々は枝ばかりだった。光が地面まで抜けるので、冬の草むらは意外と明るい。丘の茂みから、初日の出がゆっくりと、顔をだした。拝んだ。

 家にもどり、元日の食卓を囲む。娘はお雑煮を食べ終わると、ぴょんぴょんとはねるように、彼氏のもとへ出かけていった。大学は出たが就職が決まらない娘である。心配してもはじまらない。本人が元気なら良しとするか。
 
 夫婦二人の静かな正月となった。
 家の電話がなった。近所のK奥様からだ。一月四日のお昼に、とお誘いを受けた。私たち夫婦とタローを是非にとのことである。
 奥様は、八十才くらい。足が弱って最近は車椅子での生活だ。五人のヘルパーさんが交代でお世話をしている。一人暮らしだが、いつもおしゃれな素敵なご婦人である。

 そんな奥様に、我が家のタローが見初められた。
 奥様は散歩のおり、我が家の前を通る。タローはフェンスから鼻をつきだしていた。奥様はおもしろがってタローに餌をやった。タローは大喜びだ。それからは奥様が通るたびに、しっぽを振り、甘えた声で鳴く。しまいにはフェンスから身を乗り出し、婦人の顔をなめまわす。奥様はいやがらず、たいへん喜ばれた。
「毎日の散歩が楽しくなったわ」と奥様は、おろおろするヘルパーさんに笑顔をむけていた。
 

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【寄稿・詩】 いわきの海 = 村山 精二

【作者紹介】村山 精二さん

1949年 北海道赤平市生まれ

日本ペンクラブ 電子文藝館委員会 副委員長 

日本文藝家協会、日本詩人クラブ、横浜詩人会・各会員

2010年  日本ペンクラブ国際ペン東京大会実行委員

2009年~日本詩人クラブ60周年記念大会実行委員


  詩集・著作は多数あります

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いわきの海  村山 精二


小名浜に巨大岸壁が出現したのは
昭和32年
ぼくが木造二階建ての
湯本第二小学校に上がった年だ
常磐線に乗って
おずおず覗きに行った

ボタ山には夕陽
炭住街には同級生の悪ガキの群れ *
禁じられている坑内に入り込んで
板切れに刺さっていた釘をゴム靴で踏み貫いた

小名浜の海の
岩牡蠣を潮で洗って食べたのは
岸壁ができる前だったろうか
もちろん近くに原発ができるずっと以前だ
親父の自転車に弟と載せられ
ガタガタの砂利道を延々と走ってたどり着いた

それからぼくたちは
北海道・静岡と渡り歩いて
神奈川の片隅に住み着き もう40年
フクシマを思い出すこともまれになったが

踏み貫いた傷とともの半世紀
炭鉱はスパリゾートになってしぶとく生き抜いている
ぼくは電気をたくさん使う化学工場の技術屋になって
定年を迎えた

ぼくの右足が癒えることはない
寒い夜には
今でも疼く

 * 炭住 炭鉱住宅
     炭鉱労働者家族のための社宅

【寄稿・エッセイ】 マスク依存症=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています
             
                                   

                 マスク依存症 縦書き

                 作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


マスク依存症 久保田雅子

 私はマスクが苦手だ。うっとうしくなってすぐに外してしまう。
 3月の東日本大震災の時、避難所では皆さんがマスクをしていた。それをテレビで見て、1日中マスクをして過ごすなんて大変だなぁ、と思った。ボランティアの人たちも、もちろん皆マスクだ。

 最近、なんでもないのにいつもマスクをつけている人がいるのに気づいた。
 私がよく行くスーパーのレジで時どき会話をかわす女性も、かならずマスクをしている。最初のころは「風邪をひいているの?」と聞いたりしたが、そのうちに見慣れてしまった。
 夏になってもマスクを外さない。(暑苦しくないのかしら…)彼女のマスクなしの顔はいまだに見たことがない。

 以前、通院していた歯科の先生がマスクを外した時、想像と違う顔立ちに驚いたことがあった。目から下の顔は見るほうが勝手に想像してしまうのだ。
           
 娘が開業するクリニックにも、いつもマスクをつけている女性スタッフがいる。仕事中だけでなく通勤でもミーティング中でもマスクを外さないという。
 病院なので職業上、マスクをやめさせることはできない。私もたびたび顔を合わせるが、彼女の目から下は私の想像だけの顔だ。鼻が高いのか、口が大きいのか…、なにか隠したいものがあるのか…。お化粧をしないで済むからだとしたら、なげやりすぎる。娘は「マスク病なのよ」と言う。不思議だ。

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【寄稿・写真】 アメリカ西部6つの絶景を巡る=久能康生

 学友・久能さんは大学教授(経済学)をリタイア後、国内外を旅しています。国内では、旅先の路地裏の酒場で、夫婦で日本酒の地酒を飲むのが楽しみと話す。
 1年間に数回は海外旅行をしています。風景写真を得意としています。その実、彼は高校時代、北陸の某市の写真屋に4年間住み込み、そこで働きながら学校に通っていた。苦学時代の10歳代で、プロから写真技術を叩き込まれている。その下地があるので、とても良い写真を撮ります。

ブライスキャニオン。風雨に浸食された砂岩が無数の尖塔のように見える


ホースシューベント。コロラド河が大蛇行して馬のひずめのように見える奇岩です


アンテロープキャニオン。ナバホ族の聖地。風化した砂岩が織りなす美の世界です

巨漢のナバホ族ガイドが吹く、インディアンフルートの不思議な音色が洞窟にこだまする


駅馬車が走って来たり、ジョンウェインがひょっこり現れそうな気分になる

デスバレー。海抜マイナス85mのまさに死の谷。バッドウォーターは死の塩水です

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【寄稿・エッセイ】鳥島と漂流者たち=久保田雅子

 【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています
             
                                    久保田雅子


                 鳥島と漂流者たち 縦書きPDF

                 作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


鳥島と漂流者たち 久保田雅子

 私がはじめて読んだ漂流物語は、野上弥生子氏の<海神丸>だった。
 女性作家が壮絶な漂流状況を書いたことにおどろき、感動したものだ。と同時に、漂流物語にはことさら興味を持つようになった。

やがて、いろいろな物語を読むなかで伊豆諸島の無人島である、鳥島(東京から約600キロ)に何度も出会う。
 アホウドリの生息地としても有名な火山島の、この島には江戸時代に数々の漂流した船が流れついた。この島のおかげ(存在)で生還できた漂流民は80名以上だという。
 
 鎖国以前の日本は、天測航法技術を持っていて、太平洋を横断する航海もできた。御朱印船が活躍し、南洋諸国とも盛んに交易をしていた。
 だが、江戸時代になると、鎖国政策のため船は国内運搬用のみの廻船となった。陸上の山見航法で、暴風雨などに巻きこまれて陸から遠ざかってしまうと、船位がわからなくなってしまうというお粗末なものだった。

 収穫が終わった新米を江戸に運ぶ季節が、ちょうど冬の北西季節風で、船乗りの恐れる<大西風>のころだ。
 もしも、黒潮に乗ってしまうと日本から遠く流されてしまう。
 嵐の最中におみくじで占いをして、帆柱を切り捨てるという無知な行為から、天候が回復した時にはもはや帆船航海ができなくなり、漂流だ。

 活火山の鳥島は食用になる植物もなく水もない。漂流者は洞窟を住まいとしてアホウドリと魚を食糧に、水は雨水を貯める工夫などをした。

 
 1719年に漂着後、鳥島で20年もの長きに渡ってのサバイバル生活の後、生還を果たしたのは遠州(静岡県)の大鹿丸12名のうち3名だった。<鳥島漂着物語>(小林郁著)絶版。

 このときは島が活動期で火口から火種を得て、夏には立ち去ってしまう渡り鳥のアホウドリの干し肉を作り、保存食として夏を過ごす工夫をしている。
 20年後に島に漂着してきた江戸の宮本全八船17名とともに、伝馬舟でついに八丈島に帰着を果たす。


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【寄稿・フクシマ原発・被災者の詩】 一時帰宅 = 鈴木會子

 作者紹介:鈴木會子さん。かつしか区民大学「私が伝える葛飾」の受講生です。


 鈴木さんの住所は、福島県双葉郡楢葉町山田岡(フクシマ原発から約20キロの地点)です。原発事故で、故郷を追われ、いまは東京・葛飾区で仮住まいしています。『詩・一時帰宅』の寄稿に際し、創作の動機などを聞いてみました。

「11月11日に、特急『スーパーひたち』で常磐線いわき駅に向いました。故郷の風と土の匂いが懐かしく、うれしかったです。雨の中を迎えてくれた娘と実妹は3か月ぶりの再会です。会食した後、親戚の家に足を運びました。会う人たちとは8か月ぶり。それぞれ元気な姿を確認して安心しました。
 翌12日には楢葉町へ入りました。太平洋に面した海岸に行くと、大津波で民家はすっかり消え、荒涼とした風景で、草がぼうぼうでした。土は自然に帰るのだな、としみじみ思いました」とつよい望郷の念で語ってくれた。


 彼女は最近(同月23日)、ある大手全国紙の一面に掲載された、『300年は住めない』、という記事の見出しから深い失意にある、とつけ加えていた。

 同紙を取り寄せて「汚染大地から・チェルノブイリ原発事故25年」を熟読してみると、チェルノブイリの保護区の責任者から取材した、「300年は人が住めません」という談話にすぎない。科学者、医者でもなさそうだ。立ち入り禁止の監視責任者の単なる推量発言としか読み取れない。
 それなのに同紙はメインタイトルに持ってきている。
 日本人の読者には、フクシマ原発事故から周辺住民が300年も住めないような錯覚を起こさせるものだ。300年が決定的な事実ならば致し方ない。だが、明瞭な科学的な根拠がないかぎり、思想信条・報道の自由だといっても、意図的な危機を煽る、誘導記事はやめたほうがよい。福島の人々から希望を奪ってしまうからだ。
 広島県出身の私には、原爆投下の後、「100年は人が住めない」と真面目にいわれていたことが思い起こされた。(インタビュー・穂高健一)


『一時帰宅』 縦書き PDF



 一時帰宅      鈴木會子

 


前日いわき泊 つめたい雨

今日は晴と 祈ってた
娘の車で いわき発
国道六号 北上す

四倉、久之浜 海岸は
海がぐっと 近づいて
見なれし家々 無くなって
津波と火事の 恐ろしさ
駅から海への 大通り
行き交う人も 今は無く
朝の光に 広々と...

集合場所の 広野町
体育館へは バス移動
働く人は 100人か?
住所と人数 確認す

線量計と 防護服
トランシーバー 手渡され
4時間目安に 楢葉町
検問過ぎて いざ我が家

3月12日 朝のまま
洗濯物が ゆれていて
牛のふんが ポツポツと
屋根は瓦が 落ちている

中は湿気で カビが生え
本棚たおれ ガラス割れ
人形ケースは バラバラに

物は散々 飛び散って
足の踏み場も 無いものを
探し物は 見つからず
片付けようにも 時間なく
持ち帰る物だけ かき集め
家の外を 一周す

夏草枯れて 苔生えて
くもの巣かかり ふんありて
人の住まない 家は荒れ
近所の人と 顔会わす

家族6人 バラバラに
会津、いわきの 3ヶ所に
暮らしは元には 戻らない
皆の消息 知りたいね

元気でここへ 戻ろうね
互いに声を かけ合って
体に気をつけ ガンバロウ
戻れる時は きっと来る
希望を持って 生きましょう

                                  11月17日 あい子

【転載・詩】ソメイヨシノ時計店の時間外案内図=望月苑巳

望月苑巳さんから「孔雀船」78号所收の詩を寄稿(転載)して頂きました。

望月さんは日本ペンクラブ「会報委員会」の委員です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

 

1971年創刊
KUJYAKUSEN 78(第7巻9号)
孔雀船詩社

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738



【関連情報】

★スポーツ新聞で活躍の現役映画評論家グループが運営する★

映画専門のウェブサイトシネマ銀河

国弘よう子、望月苑巳、嶋崎信房、菅野竜二の各氏


                       

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ソメイヨシノ時計店の時間外案内図     望月苑巳



雪のように降ってくる
ソメイヨシノに箸をつけると、儚くなった父を思い出すのです。
時計店の店先は父と母
それにぼくの弟と妹の鼓動で震えていました。
「笑い屑」
あの日見放したひときわ濃い闇に抱かれて、
それは井戸の底に降り積もっていました。
重力があるから魚は空を飛べないし
人は空の穴へは落ちていかない
逆に心の陥穽から這い上がってくる人だっているのです。
あなたもその一人でしたね、オトウサン。
子供を食べるように時計のレシピを食べて
鬼のような顔つきでゼンマイを巻いていましたね。
あざけ笑いながら時を刻むことが
ソメイヨシノを一枚ずつ剥がしてゆくのと同じだと
言い張りましたね。
あの時から時計店の食卓では
一般相対性理論の味噌汁を
啜るようになったのですね。
そうでなければ
地平線の特異点は
長針にからまったまま止まってしまったことでしょう。
人の笑いがころげ終わるころ
ポロリと剥がれ落ちる、見えない「笑い屑」
儚くなる前の父は
いつも井戸の底で雨のように泣いていました。
夕陽のような母や弟や妹の血の色で
ソメイヨシノは染め上がるから
ぼくは塩漬けにして食べる義務を負うのです。
時計店は今日も
賑やかな時間に抱かれて閉店するのですね
オトウサン。

【寄稿・エッセイ】カフェの行方=三ツ橋よしみ

 【作者紹介】

三ツ橋よしみさん:薬剤師。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「上手なブログの書き方」の受講生です。児童文学から大人の現代小説に転身しました。

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                     作者HP:恵比寿 代官山 中目黒 美人になるランチ


 カフェの行方     文・写真 三ツ橋よしみ


                             
 祐天寺駅から徒歩5、6分、通行人がまばらになるあたりに、『カフェA』がある。よく磨かれたガラス窓から、小ぎれいな店内が見える。入口の黒板にメニューが並ぶ。一杯300円のブレンドコーヒーは、このあたりでは、妥当な値段だ。

 ある夕方、娘をさそい『カフェA』に行ってみた。店内はベージュの壁にコーヒー色のテーブルが並び、落ち着いた雰囲気だ。壁の所々に張られた鏡に、天井の照明が映って、かがやいて見えた。
ケーキを食べ、コーヒーを飲む。


「まあ、まあね。味は普通かな」
娘はそっけない態度だった。
 25、6席ほどある店には、客が5、6人。そこそこはやっているらしい。
メニューには、9時から18時まで、と明記されている。夕方6時以降はどうなっているのか、と妙に気になった。まさか6時で閉店するとは思えない。
レジで勘定を支払うときに、夕方からのメニューをたずねてみた。
白いシャツに黒いチョッキ姿の、店のマスターとおぼしき、おとなしそうな中年男の態度が変わった。カウンターの下から、夜のメニューをいそいそと取り出すと、笑顔をみせ多弁になった。
「夜はアルコールもあります。なかなか出ないんですが」
と聞いてもいないことまでも、マスターはつぶやきながら、ワインやビールが並んだメニューを広げる。
「夜に来てくれている料理人は、北海道出身なんです。出身地の『がごめ昆布』で出汁をとったうどんを、お出ししています。お酒の後、小腹がすいたときにおいしいと評判です」
ほかにアボガド丼は、女性客の夜食に喜ばれている、と付け加えた。


「おいしそう、今度、食べにこようかしら」と、お世辞をいったならば、マスターがよろこんだ。笑顔で目尻にしわがよった。年齢は50才前後だろう。 「昨日で開店一周年になりました。どうぞ」
マスターはカウンターの下から、クッキーの小袋を取り出し、娘と私にくれた。そして、店のスタンプカードにスタンプを押してから、差し向けた。
 ふたりして店を出ると、
「脱サラして、念願のカフェをオープンしましたって感じの人だったね」
娘が感想を語りはじめた。
「開店して1年。ちょっと疲れてるみたいだったわ。目の下にくまがあったし。たまには少し休んだほうがいいんじゃないかな」

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