ジャーナリスト

外国人と、どのように向かい合って生活するか=安達太良山で考える

 平均年齢30代の若者たちと福島・安達太良山に登った。若いっていいな。(私から見て)。将来は若者たちの財産だ。山道を登りながら、この国の先々を考えてみた。

 最近は地方のみならず、東京など首都圏にも、ずいぶん外国人の姿をみる。国際化とはなにか。日本人が外国に出かけていくことでなく、大勢の外国人と一緒に暮らすことである。日本が多国籍国家になる。これが国際化だと定義できる。

 単一民族で育ってきた日本人には、多国籍には馴染めないひとも多いだろう。しかし、少子化で、減少していく人口を補ってくれるのは、外国人である。廃れていく町村、錆色のシャッター街が息を吹き返すのも、もはや外国人の力をおいて他ならない。


 たくさん出産してよ、若者よ、結婚してよ、と叫んで、行政府が金をばらまいても、潮流はかわらない。

 外国人の力を借りて、地域社会が活性化して豊かになれば、その富は公平な分配をしなければ、ならない。併せて、社会への責任と義務も、日本人と外国人と分担をする。
 公平性をもっと推し進めると、外国人にも政治的な発言の機会を与える必要がある。選挙権(公民権)まで与えないと、政治、経済、文化の面で公平ではなくなる。

 私たちがいつまでも単一民族主義の政治にこだわり、無視していると、外国人による公民権運動が起きてくるだろう。

 外国人からみれば、日本で家屋や土地を購入し、地域社会になじんでいるし、利益を与えているのに、なぜ公民権がないのだ、と不満と不平が昂じてくる。こうした不自然な姿から、軋轢(あつれき)が生じてしまう。
 欧米の歴史や現代をみていると、それがよくわかる。


 
 自然界で、最近、よく感じる現象がある。本州で登山をすれば、2000メートル級の山々から高山植物が消えた。熊笹が多い。2500メートルでも、春・夏の彩り豊かな植物は目にする機会がほとんどない。
 楽しめるのは広葉樹が色づく紅葉くらいになってしまった。

 それが生態系にも変化をきたし、シカやイノシシが急激に増えた。この動物たちにとっては、温暖化は住みやすい環境かもしれない。

 海洋ではかつて沖縄、奄美列島にしか見られなかったサンゴ礁が、本州の南端から北上してきている。温暖化で海水温が上がったからだという。海藻や小魚が棲みずらいので、それを餌にする近海魚が激減している。
 数十年前まで、日本人の主食は新潟コシヒカリ、仙台ササニシキなどがもてはやされていた。いまは、北海道米が美味しいという。
 私たちは小学校のころ、北海道は米がとれない地域だと教わってきた。品種改良があったにせよ、米作地帯が間違いなく北上している。

 温暖化で、単一民族の日本人がこの日本列島からしだいに少なくなっていく。かたや、東南アジアの亜熱帯のひとたちが、日本列島に上昇してきた。

 少子化に対して、住居、保育所、給与所得などといろいろな理由はあるけれど、その根底には、温暖化の影響だろう、と類推できる。これは感覚的で非科学的だが、自然界はすべて論理的にとらえられない面があるのも事実だ。

 温暖化による動植物の変化は、人間も動物だという単純な思考からすれば、決して免(まぬが)れない。丸い地球のうえで、南から民族移動がおこなわれている。年間平均温度で4度低い時が氷河期だった。動植物が地球規模で入れ替わった。
 いまや、温暖化から地球上で民族移動が進んでいるのだろう。

              ☆

 わが国で過疎化が問題視されているが、一次産業、二次産業には若者の比率が極度に少ない。若者を見たければ、行政の職場にいけば、たとえば市役所、町役場、村役場のオフィスにいけば、男女を問わず若者の顔がずらり見られる。
 税収入から給与をもらえるひとたちの顔だ。

 しかし、そこから一歩、戸外に出ると、高齢の人たちばかり。これが現実の日本の姿である。

 日本列島で、若い活気のある外国人と共有して住むならば、より質の高いひとたちに来てもらいたい。祖国で役立たない、職がないから、とりあえず日本で日雇い、日銭稼ぎで日本に流れてきた外国人は望まない。

 日本列島で人口確保で、質の低下にならない。そのためには何をするべきか。

 ここらは真剣に考えておかないと、山から高山植物がなくなるように、海岸に魚が棲まなくなるように、あっというまに、5年、10年単位で、日本は美しさを無くしてしまうだろう。

 質の良い外国人の確保となると、かれらに選挙権と永住権を与えなければ、望んで日本には来てくれないだろう。白、黄、黒の行政長がいる。それ自体に違和感を覚えない。そんな法整備が必要な時代になってきたようだ。
 
 福島県・安達太良山から二本松に下山した。こんな提言から、賛否両論で、老若男女を問わず、語り合ってもらいたいものだ。

内閣が決して国家そのものではない。私たち一人ひとりの国家である

『自国に不利な歴史を教えようとしないと、結果的に真実が見えてこない』

 この言葉は、私が2019年の年初に拾ったことばである。私は常々、「なるほどな」と思った格言、用語、あるいは寸語などを一冊の分厚い備忘録に極力書きとめている。

 ちょうど100年前について、西洋史と日本史と重ね合わせているときに、『自国に不利な歴史を教えようとしない』ということばに出会った、私はとっさに「広島に原爆がなぜ落ちたか、知っていますか」という質問を広島人にむけたけれど、一人として答えられなかった。
 その光景が思い浮かんだのである。


「広島は平和都市だ」
 行政も、市民も、多くが叫んでいる。そう信じている。片や、原爆投下までの日本史は知らない。おおかた広島市内で取材しても、9割以上が答えられないだろう。
『自国に不利な歴史を教えようとしない』
 広島人は戦争アレルギーだと称しているが、その実、自国の歴史に責任を持たない、負を語る勇気がない結果だと思っている。

 
 江戸時代の広島の為政者が、毛利家だと思っているひともいる。
「47都道府県で、広島が最も歴史オンチだ」
 私はなにかにつけて堂々と言っている。広島県出身だから、私が言わなければ、誰が言うのですか。他府県の人は、遠慮して言わないでしょう、と。なぜ学校教育で、広島の近現代史を教えないのだ。そんないらだちもある。

                     ☆

 言い放しでは無責任だ。私はここ数年、「広島人はもっと歴史を学ぼうよ。勉強しようよ」と広島に出向いている。草の根運動である。ときには手弁当でも、無償でも、懐具合など無視して出向いている。


 多少は地元史を知っている郷土史家もいる。「日清戦争で、広島は大本営になった。明治天皇が広島に来られた。そのとき臨時国会も広島で開かれた」。
 その先はどうなったの、と聞いても、まずは答えられない。

 当時の清国は満州族が施政していた。アヘン戦争でイギリスにさんざん痛めつけられた。その次に日清戦争で大敗を喫する。義和団事件で疲弊してしまった。

 日本留学経験がある孫文(そんぶん・漢民族)の小さな革命集団に、いとも簡単に倒されてしまった。辛亥革命である。
 その孫文には力なく、独裁色のある袁世凱(えんせいがい)に大総統の座を譲った。そこにつけ入ったのが、日本国政府と財閥だった。


 日本国政府は、袁世凱に対して「対華二十一か条要求」で、満州の領土と利権をよこせと期限付きで迫ったのだ。これが大きな歴史の節目になった。


                 ☆


 第一次世界大戦が1914年7月28日から勃発し、1918年11月11日で休戦しながらも、ドイツが1919年6月28日に「ヴェルサイユ条約」に署名するまで続いた。いまから、ちょうど100年前である。

 この「ヴェルサイユ条約」が、第二次世界大戦の入り口となった。敗戦国への過酷な要求が、ナチズムとファシズムが台頭する要因をつくってしまったのだ。


 イギリス・フランスが大戦中に、中近東の諸国に独立と権益を認める密約があった。これが現在の中近東問題である。100年経っても、問題が解決されない、という大きな課題を背負ったのである。
 
  この大戦のさなかに、日本がドイツに宣戦布告し、ドイツから山東省権益を奪った。そして、日本が中国に「対華21ヶ条要求」を期限付きで突き付けた。
「ヴェルサイユ条約」で、中国代表団が、日本に山東省を返還してくれ、とつよく要求した。しかし、同条約では認められなかったのだ。


 いまから、ちょうど100年前である。ここから日本政府と軍部は、満州がらみで発砲、爆破事件を起こしては中国人がやったと言い、暴走していくのだ。
 やがて、日本の暴走が世界から批判され、(国際連盟脱退・日独伊三国同盟から)見放されて、より孤独になる。1、2年で終結させると豪語しながら、その裏付けがなかった。最悪な選択肢で真珠湾攻撃に突入し、悲惨な沖縄戦、東京大空襲、広島・長崎原爆投下になっていく。


 その根底には、西洋と並ぶ巨大な軍事大国になったという優越感と驕(おご)りが、政府にも、国民にも、メディアにもあったのだ。武器を持たせれば、使いたくなる。これも歴史の真実のひとつだ。
 
 いまから100年前に、この大惨事の導火線に火がついたのだ。

 わずか1世紀前か、もう遠い昔か。
 第一次世界大戦を利用して、大隈重信内閣が出した「対華二十一か条要求」から、日本の歴史が狂った。政府に巨大な軍事力を持たせた結果なのだと、歴史の真実を知らなければならない。
 
                    ☆

 大隈重信は早稲田大学の創設者、広島は平和都市だ、と舌触りの良いことばだけでは、歴史の真実が見えてこない。 
 自分たちに不利なことを知ってこそ、歴史の真実が見えてくる。

 
 大日本帝国憲法には内閣の規定がなかった。それが大きな欠陥、瑕疵(かし)だった。軍人が台頭し、軍人による軍事支配の国家になった。

 その反動で、戦後の日本国憲法は、最大の権限をもちすぎた「内閣総理大臣主義」をつくってしまった。数百人の代議士さえ押さえてしまえば、なんでもできる。
   

 今年は日本国憲法をつつくらしい。公約だという。誰と公約したのか。かなり内閣の独りよがりだ。ならば、私たちは100年前から、歴史を勉強する必要がある。2度と戦争をしない国家をつくるためにも。これ以上の巨大な軍事大国にならないためにも。


 憲法改正の是非を問う国民投票に迫ってきたときは、もう少しさかのぼって150年前の薩長閥による明治維新から、じっくり歴史を学んでいく必要がある。

 明治の人は、自由民権運動が、まさか、こんな憲法になると思わなかっただろう。憲法草案から発布まで、言わずと知れた伊藤博文内閣によって、大日本帝国憲法がスタートした。


 内閣が決して国家そのものではない。私たち一人ひとりの国家である、と認識するべきだ。その時が来たのである。それが国民投票だ。

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(下)

 くれなゐ楽団は、後輩指導にも、大きな主眼をおいている。
若い音楽家は芸大を出ても、高度な演奏技術を持っていても、実戦で活躍の場がない。演奏会の場数を踏むほどに、実力が増していくものだが、その勉強できる場が少ないという。
「若手の尺八演奏者が無理して、あえて公演をやれば、古典の尺八の曲になってしまいます」
 なぜか。それは新曲とか、編曲とか、観客が知っている歌謡曲とかを織り込みたいと思えば、譜面を作成するためのお金がかかってしまうからだ。

 くれなゐ楽団のメンバーならば、尺八演奏者には発表の場があり、作曲家の菊地さんからボランティア(無料)で譜面がもらえる。
 尺八にはベートーベンの曲はない。しかし、菊地さんはそれを編曲してしまう。
「指使いは大変でしょうけど、『運命』を尺八で演奏すれば、演者も、観客も楽しいものです」
 舞台のみならず、若手演奏家には楽屋における人間関係のつながり、必要なマナーなど音楽家にとって大切な学びの場となっている。
「くれなゐ楽団は、音楽家の後輩を育ていく良い場になっているとおもいますわよ」
 そう強調した酒井さんは、みずから歩んできた姿と経験から語っているとおもえた。

          *

 入場無料でも、当然ながら付帯費用がかかる。チラシ製作費、会場費、音響係、照明係の費用は発生する。節約に節約しても、当日の電気代もメーターを量って取られる。それら経費は平均して18万円くらいかかるようだ。
 チラシはデザインが高いから、手づくりで入稿して印刷してもらう。
「くれなゐ楽団の後援として老友新聞がいます。酒井さんが月一回のコラムを掲載している新聞社です。そこからの支援があり、助かっている面があります」
 酒井さんの人脈のつながりに負う面が強いと、菊地さんは語る。
 
「入場無料でも、観客を集めることは大変だな、若い人は意外と来ないものだなとおもいます」
 くれなゐ楽団の観客は見渡しても年齢層は高い。菊池さんの作曲、選曲は観客の齢層に合わせているという。
「入場無料でも、その日の天気とか、気分とかによりますしね。チケットを買っていると、人間は勿体ないからと、来ますけれどね」
 例年の観客は140人くらい。
 
 今年の足立区の公演は「のこぎりキング下田」さんとジョイントでしたから、約180人と多かったと話す。
「10~30代、勤め人とか、若い年齢層はなぜか来ないですね。3回目の公演くらいで、若いひと向きの選曲は外した方が良い、とわかってきました」
 演奏そのものは簡単で、3回のリハーサルで充分。演奏者は交通費もボランティアで自費だから、出向いてくる回数も配慮した作曲を心がけている、と菊池さんは語る。


「音で笑える。クレージーキャッツ、ザ・ドリフターズは、観客が乗っていますよね。くれなゐ楽団でも笑えるところがあっても良い。それを狙っています。突如として、妙な音が鳴ったために笑う」
 楽しめる作曲も組み込んでいる。

 雇われた音楽公演となると、遊び心を組みこめば、主催者から『お金を払ってやるんだから、ちゃんとやれ』という態度がみえ隠れするようだ。
「コンクールみたいな堅苦しい音楽会は、つまらないですよね。ボランティアですから、わたしたちも舞台で愉しむし、お客さんも愉しんでもらっています」
「酒井さんから、親しみやすく、どういう曲が受けるのかと知恵を貰っています」
「第一回目のファンもいらっしゃいますから、ありがたいです」
「多くの観客は酒井さんのお客さんです。他のメンバーはそういう人脈は持ってないし、皆には集めてよ、と言っているけれど、難しいですよね。日ごろの人脈作り、友だち作りはむずかしい」
 菊地は朴訥とした口調で語る。かれも決して上手とは思えないけれど。

          *

 夏1回の本公演とは、別に有志で演奏活動もやっている。
「年に何度か、神社の奉納演奏もおこなっていますのよ。わたしがクルーズの琴演奏とか、別の仕事と重なり、参加できず、男性だけの華のない演奏会でも、やる? と訊きましても、当然やります、という返事です」
「神社奉納演奏といっても、ボランティアです」
 和太鼓の関根まことさんは、りっぱな防音スタジアムを持っており、太鼓チームがあり、EXILE(エグザイル)のバックもやっているし、海外公演も多い。100人の弟子がいる。たとえば、こんかいの神社演奏は、和太鼓はダメなんだというと、関根さんはプスッとしていますよ。それほど、5人はボランティアデも、くれなゐ楽団での演奏が大好きなのだろう。

「靖国神社の奉納演奏は大雨でしたから、ひとは誰もいなかった。ご祭神に対しての演奏でした。神さまは音楽が大好きですからね」
 酒井さんは屈託なく明るく話す。


 くれなゐ楽団とはなにか。

 従来のプロ音楽家の常識をくつがえしている。発想の転換、新しいスタイルの音楽活動である。
 主催者任せの音楽会でなく、すべてがかれらの手作り。公演の企画から、編曲、選曲、そして真摯に区役所に頼みにいくことからはじまる。そして、ネット時代における無料化に挑む。
 
 原始、古代には貨幣経済などなかった。音感の優れた人が竹、石、革などを使う楽器演者として、集落のひとや神々を愉しませたに違いない。

 くれなゐ楽団のメンバーは欲得、お金、利益などを超越していた。かれらには一流という驕(おご)りはなく、斬新さと同時に、音楽の原点に立ち返った姿がある。結成から7年経った今、さらなる音楽の発展と、将来のあり方が視野に入っているはずだ。
 やがては、プロ音楽のネット化革命につながると期待したい。

                    【了】

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(中)

 くれなゐ楽団が無料の演奏会を開く、という考え方を思いついた理由はなんですか。作曲家の菊地慶太さん、琴の名演奏家の酒井悦子さん、両名に訊いた。

「パソコンの無料ソフトがありますよね。グーグルだって、無料ですし。それがヒントで、そこから始まったのです」(笑い)。
「当初のマイクロソフトのワードはずいぶん高かったけれど、いまは無料ソフトが多く出回り、多くが無料ワードを使って人気です。くれなゐ楽団は無料ソフトとおなじ入場料はもらわない方向性で臨んだのです」
 菊地さんの説明には、妙に現代性を感じた。

「そうです。音楽会も無料の方が、無料ソフトと同じく、宣伝効果は高く、人気が出るのじゃないかしら、10年間はやってみましょう、という考え方で始めましたのよ。とかくありがちな、メンバー間の分担金でもめる破たんは少なくとも10年間はありませんしね」
 酒井さんが補足した。

 無料だから良くない演奏だとか、アマチュアだとか、そんな先入観が世間にはある。アマ・バンドが勝手に演奏会を開いている、と思われない対策もくれなゐ楽団は講じている。
 公共の会場を借りると同時に、公的な地域性、福祉性を前面に出すために、区役所、区長の後援を受ける策をとっている。
「その交渉の段階で、くれなゐ楽団は営利を目的としていない。この無料が決め手になるのです」
 第1回目が墨田区、第2回が例外的な佐野市、第3回が東京にもどってきて荒川区、江戸川区、江東区、葛飾区、そして7回目が今回の足立とつづいてきた。
「区によって、対応がまちまちですのよ。会場費はちがうし、区の広報に載せてくださるところ、それもまったくないないところ。ずいぶん違いますのよ」
 行政の対応のバラバラ加減は、それなりに理解できた。
        
 くれなゐ楽団のメンバーは雇われている意識は皆無です、とふたりは口をそろえる。

「メンバーは、自分のバンドという意識で、みずから役割を見つけて、積極的に動いています。会場で重い荷物を運ぶひと、お弁当を買いだしに行くひと、餅屋は餅屋、そういう分担で自主的に動いています。酒井さんは顔が広いし、集客とかをやってくれています。ぼくは譜面しか書けない」
「譜面がなければ、演奏ができないでしょう」ふたりの呼吸は合っている。
「演奏会が終っても、費用のかかる打ち揚げなどはしない。いつの間にか、楽屋からだれもいなくなっています」
 メンバーは自分のバンドとして役割を果たすと、分担金の問題もないし、反省会も必要なく、演奏努力にたいする満足感と快さを感じながら、会場から去っているのだろう。

 くれなゐ楽団は、年一度の演奏会を夏場に限定している。音楽家は文化の秋が忙しいので、その期間は外している。
「くれなゐ楽団のコンサートを秋に入れたとすれば、かれらの仕事が秋にきたとき、『この無料演奏会さえなければ』と思うはずです。それは気の毒です。そんな負担をかけたら、みんなに悪い。また、くれなゐ楽団がつづきません。音楽家はお盆が暇なのです。夏の演奏会は10年間継続できる条件のひとつです」
「くれなゐ楽団は夏の風物詩ですもの」酒井が笑みを浮かべた。

 全員がプロです、『ぼくは嫌です』と言われたら、去るものは追わず、それまで、と割り切っている。

「現在のところ『嫌です』という立候補者がいないから、五人編成は続いています。お金はあげてないし、やりたいから来ているのでしょう。リハーサル(練習)の電車賃だけは自前で、あとの負担はない。7年間で、わずか1人が入れ替わっただけです。そのかれとは他で一緒に演奏をともにしています」
 人間にはそれぞれ考え方や意見がある。
 5人が持続可能となると、難しい局面が生じる。その都度、気持を確かめながら、前に進んでいるという。

                   【つづく】

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(上)

「のこぎりキング下田&くれなゐ楽団」のコンサートが、2018年8月19日に東京・足立区の梅田地域学習センターホールで開催された。琴、和太鼓、尺八、キーボード、ハーブなど、いずれも一流の演奏家たちである。
 チラシには『入場無料・申込不要、どなたでもご入場できます』と謳っている。満席に近い観客だった。

 ブロの演奏家が2時間のぶっ続けの公演は見事であった。
 選曲は日本人になじみ深いものばかり、観客が酔いしれている。演奏がわ、観客がわの一体感肌で感じとれた。まぎれもなく超一流の演奏家の「くれなゐ楽団」が、なぜ無料で演奏会を開催するのか。聴くほどに疑問が高まるばかりだった。

 一般にプロとは、どの分野においても卓越した技術で、お客を楽しませ、満足を与え、独特のこだわりがある、そして、お金を稼げるひとだ。お客は期待通りだと、次回もリピーターになる。反面、その期待が裏切られると、次回からは遠ざかっていく。プロの活動家は、その厳しさを常に感じて、お客と真剣に向かいあっている。

        *

 くれなゐ楽団はなぜ入場無料なのか。その考え方、狙いが知りたくて、作曲家(当日はハープとキーボードを演奏)の菊地慶太さん、琴の名演奏者の酒井悦子さんに取材を申し込んだ。

 新宿で、ふたりから話しを聞くことができた。

 菊地慶太さん(49歳)は作曲は小学生の頃からはじめており、音楽大学の作曲学科を卒業し、さらに国立の学芸大学・大学院へと進んでいる。そして、プロの作曲家活動を展開している。
 27年間にわたり『猫勧進』として活動をやってきた。
 7年前、2011年には「自由で、実験的な別働隊をつくろうよ」と作曲家の菊地さんと、「年に一回はやりましょうね」と人脈の多い琴演奏家の酒井さんと呼吸が合い、『くれなゐ楽団』を起ち上げた。紅(くれない)に対して『ゐ』をつかうのはイメージだという。
 5人編成で、菊地さんが4楽器の編曲を一手におこなう。

「なぜ一流のアーチストが無料で、演奏会を催すのですか」と単刀直入に訊いてみた。

「ボランティアによる音楽活動が、社会的に認められるか、どうか。音楽の実験です」
 具体的に、どんな実験ですか。
「観客からお金を貰いますと、分配の面で不平、不満がでてきます。誰がいちばん働いているとか、もめ事のタネになります。入場無料で、観客からの収益がないわけですから、メンバーはボランティア出演になります。争いの回避が継続性につながります」

「逆ですと、最悪は一回ぽっきりの演奏会で終わってしまいますからね」
 酒井悦子さんも、おなじ考え方を述べた。

「くれなゐ楽団は出演料もなければ、自己負担もなく、舞台で演奏ができるのです。各自、楽器を自前で会場に運んできます。それ以上の持ちだし、吐きだしがあれば、くれなゐ楽団の持続性に難がでてきますから」
 作曲家の菊地慶太さんは、持続性を強調した。

 プロはどれだけ稼げるか、という尺度もありますが、最初から、音楽家の皆さんは入場無料に賛成でしたか、と質問をむけてみた。
「くれなゐ楽団を立ち上げる前、それぞれの演奏家に面接して、なぜ、ボランティアなのか、趣旨を説明しました。演奏会は1年に1回だし。練習は3回のみ。ただし、交通費は自分で払う。現在のメンバーは理解してくれました」

 菊地さんがボランティアの音楽活動に、三つのメリットをあげてくれた。
① 演奏する私たちは、舞台に立って演奏していて、とても愉しい。

② 第三者に雇われているのではない。(主催者の思惑)ここはこうしてください、という強い要求・難題もない。媚びる必要はない。自分たちが楽しく演奏ができる。

③ 演奏者の楽しさは、会場のお客さんに伝わっている。

 自由演奏活動が、つまり音楽実験という趣旨のようだ。

「プロアーチストは、チケットを売るのが努力といいますか、その精神的な負担がとても大きいのですよ。演奏会の無料ですと、その労苦から解放されます。くれなゐ楽団はチケット売る努力がないのです。演奏会は無料だから来てね、とお誘いしやすいですしね」
 酒井さんがことばを添えた。

「無料だと、入場者が来るかこないか、観客席の埋まり方がまったく予測できない。ここらが実に不透明です」
「入場者がいらっしゃらなくても、5人は演奏をやれるわけですからね、ストレスはないのです」
 酒井さんが明るく話す。

      【つづく】

第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018 = 地元高校・2校の生徒らも参加・活躍

『第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』が、広島県・大崎上島において、平成30年8月11日(土・祝日) 午前10時から午後3時30分に開催された。

 主催者は大崎上島地域協議会、後援は全国山の日協議会、幕末芸州広島藩研究会。会場は大崎上島開発総合センターの大会議室である。

 今年から島内の学生らも参加型で実施された。「山と海の恩恵に感謝する」をテーマにしたパネルディスカッションである。


 7月の集中豪雨被害で、広島県は甚大な被害を出した。離島の大崎上島も、山崩れは数か所あり、道路通行止め、懸命の作業で幹線道路は復旧したが、片側通行の場所もある。

 その悪条件下でも、第2回目が開催された。ただ、神峰山の登山道はがけ崩れが発生し、登頂は不可能になった。「お地蔵さんを洗う、磨く、祈る」は、山麓の会場で、参加者のこころのなかで、行ってもらった。


 先んじて、ポスターは広島市内15枚、チラシ100枚、島内にはポスターは40枚、行政機関等など窓口、フェリー乗り場、定期船の発着場(回漕店)に掲示された。

 なお、チラシは島内に4,000枚全戸配布、残りは関係機関の各窓口で配布された。
 
 同フォーラムの当日は島内の有線放送で開催をアナウンスされた。


 世界初の山の日がナショナルホリデーになった。国民の祝日「山の日」は超党派議員で成立したもの。同メンバーだった地元選出の衆議院議員・寺田実代議士も参列してくださった。

【第1部・午前の部】

 開会挨拶  NPOかみじまの風 代表理事 横本正樹(よこもと まさき)さん

 司会進行 松島勇雄さんである。


① 山を奏でるコンサート 「ラテン・コンサート」

   三須磨大成(たいせい)さん・利香(りか)さん デビット・松井さん


 山の鎮魂歌。なぜ、鎮魂なのか。神峰山には多くの地蔵さんがある。それぞれの石仏に悲哀がある。それを慰めるものである。


② 大崎上島・神峰山物語シリーズ朗読会

穂高健一原作・書き下ろし「紙芝居と海軍大尉」


 朗読・「朗読ボランティア・しおさい」

 読み語り 川本恵里さん、 福本まゆみさん


③ 大崎海星高校生による大学生神峰山案内成果報告

  3学年 梶村莉子(かじむら りこ)さん,神紀美香(じん きみか)さん

  同校の高校生が、都会の大学生を招いて、神峰山に案内する学校行事が行われている。その活動を紹介するもの。パワーポイントとレザーポインター使用して行われた。

「神峰山」に関する問題など、ユニークなものも含まれていた。

 協力者にお茶付き弁当用意が用意された。昼食を通しても、40人が山の話題を行っていた。
 高校生たちが寺田実代議士(前列・中央)、穂高健一と記念撮影に収まった。

 
【第2部・午後の部】

④ 来賓あいさつ、
    衆議院議員  寺田 稔(てらだ みのる)さん
    広島県議会議員  森川 家忠(もりかわ いえただ)さん
    大崎上島町長  高田 幸典(たかた ゆきのり)さん

④ 基調講演 穂高健一氏が著書「広島藩の志士」を語る。江戸時代の地元・広島藩の歴史を学ぼう 
          
⑤ フォーラム対談「神峰山の魅力を語る・山と海の恩恵に感謝する」

 作家・穂高健一と、広島商船高専・大崎海星高校学生の有志たち。

 フォーラム参加学生
 広島商船高専
   横山 夏樹(よこやま なつき)さん、
   宇郷 佳暉(うごう よしき)さん
   森岡 芽生(もりおか めい)さん
           
 大崎海星高校 

   梶村莉子さん
   川本麻美さん
   神紀美香さん
   菅翔稀さん
   竹内繭さん
   三村桃花さん
   大藤薫乃さん

 大崎上島には、「農林漁業、伝統文化、生活自然、景観」などの有形・無形の資源が豊富にある。9人の高校生が、将来志向で、その活用方法を考える。


   

    9人の高校生らは、高田幸典・町長と記念撮影

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「大雨特別警報」その2 = 東広島市自然研究会より

 このたびの「平成30 年7 月豪雨」(気象庁)で発生した斜面崩壊地点を、広島大学平成30年7月豪雨災害調査団(地理学グループ)の皆さんが、国土地理院の空中写真を判読された。

「平成30年7月豪雨による広島県の斜面崩壊分布図。

2018年7月24日」と題されて、日本地理学会に第3報として報告されている図です。


 市町村別の発生件数、土石流や崖崩れといった種類別数、花崗岩などの地質的な考察など第1報(7/14)、第2報(7/16)に比して精度、内容など詳しくなっています。


 その地理院地図より広島国際大学前(真ん中上部の四角)の巨大な土石流。尾根の右下側に中畑市原の集落です。
 斜面に縦横無尽に残された土石流はまるで巨大な獣の爪の跡のようです。

 過日、県道334号線の町境の土石流2か所を撮影しました。

 地理院の空中写真では、他と比較してそんなに大きく写っていませんが、現地での迫力は凄いものでした。
 頂上付近から谷底まで数段の田を乗り越え、樹木を巻き込んで猛スピードで流れ下ったであろうことが推測されました。

 不思議なことに一本の樹木が残っていました。何の樹でしょうか?

 それにしても、豊栄のオオサンショウウオたちが気になります。お盆後予定の調査が待たれます。何とか凌いでくれていれば良いのですが。


《コメント》

 5歳の娘も、椋梨川のオオサンショウウオどうなったかねえ、と案じております。
 氾濫寸前だった黒瀬川で、災害前と同じように外来種の亀がプカプカと浮き上がったり潜ったりしておるのを、災害一週間後ぐらいに見つけました。近くには流された木の橋が引っかかっていました。
 もっと小さい近所の川では、干潮時にチゴガニがチョキチョキしていて、生き物の方が強くて自由だなと妙に納得しました。
 オオサンショウウオは太古の生き物なので、きっと、泰然自若と椋梨川にいてくれているだろうと思ってます。 -- サチエ  2018-08-08 (水)

 明日午前中、いつものところで、ある団体の観察会が開催されます。関係者が何度も下見をしてくれていますが、オオサンショウウオや他の生き物の姿がありません。初めての事象です。考えさせられます。 -- 小ヌシです  2018-08-08 (水)


【関連情報】
 ヌシとは巣穴を守り子育てをするオスのオオサンショウウオのこと。

 当会の我らがヌシさんとメンバーがメッセージを発信します。

「大雨特別警報」その2 = 東広島市自然研究会

「大雨特別警報」その1 = 東広島市自然研究会より

 7月は豪雨、猛暑、台風12号と自然災害が次々発生し、気が付くと8月になっています。あっという間に1か月が過ぎました。皆さん大丈夫でしょうか?

 小ヌシの集落呉市安浦町原畑は野呂山の東の麓にあり、集落の東端を野呂川が南流しています。野呂川ダムのすぐ下流域にあたります。
 今回の豪雨では大なり小なりの被害が生じました。

 一夜明け、自宅から目視で山は12か所の土石流を確認できます。

 先夜7月6日は大雨特別警報が発令されるなど、テレビの気象情報から目が離せませんでした。また、町中心部や低地部分は一帯が冠水し、かかりつけの病院は床上1m以上浸水したようです。スーパーも7月31日現在閉店したままで、被害の大きさを実感します。

 山超えた中畑市原は壊滅的な被害を被っています。

 集落の外に出る道路は3方向あったのですが、黒瀬、西条方面は中畑市原の多数の土石流で通行止めです。
 町内中心部へは野呂川の洪水のため、家屋、道路が流失して通行止め。呉方面はがけ崩れのため通行止めと、一時陸の孤島状況になりましたが、唯一、旧道1本が通れました。

 現在もその状況は大きく変わりません。大周りをして移動しています。

《コメント》

 一昨日、東広島市災害ボランティアの受付に駆り出されました。平日にもかかわらず94名の参加があり元気をいただきました。遠くは埼玉から5泊6日で5名の会社員グループも。夏休みで中学生も散見。みんな偉いな~!  -- かやネズミ   2018-08-02 (木)

 目がウルウルです。 -- 小ヌシです 2018-08-02

 安浦の状況を聞くたびに、大丈夫かなと思ってましたが、ご無事で何よりです。7日の朝、広の自宅ベランダから見た海は茶色く濁ってて、横を流れる川も水位増していて茶色く濁ってました。でもそれ以外は、みた風景はいつもとかわらないように見えました。

 7月8日の中国新聞朝刊の安浦の写真は衝撃でした。これからどうなるんだろうと不安になったのをよく覚えています。
 自然が猛威を振るっていることを実感する夏ですね。 -- サチエ 2018-08-07 (火)

 自然に対し、ただただ平穏無事を願うだけですね。 -- 小ヌシです 2018-08-07 (火)


【関連情報】
 ヌシとは巣穴を守り子育てをするオスのオオサンショウウオのこと。

 当会の我らがヌシさんとメンバーがメッセージを発信します。

「大雨特別警報」その1 = 東広島市自然研究会

第2回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018=8月11日に開催

 広島県下は大きな災害を受けた。大崎上島も例外でなく、本州からの水道のパイプラインが切れた。水のない不自由な生活の下でも、『第2回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』を成功させよう、と島民は頑張っている。

タイトル:『第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』
 
 主催者:大崎上島地域協議会 後援:全国山の日協議会、幕末芸州広島藩研究会

日  時:平成30年8月11日(土・祝日) 午前10時から午後3時まで

会  場:大崎上島開発総合センター 大会議室

問合せ先:NPOかみじまの風 ☎ 0846-67-5530(月~金・10時~15時)

今年度(2018)祝日「山の日」8月11日には、『第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』を実施します。今年から島内の学生らも参加型といたします。高校生たちと作家が「山と海の恩恵に感謝する」をテーマにしたパネルディスカッションで、
「大崎上島は、農林漁業、伝統文化、生活自然、景観などの有形無形の資源が豊富にある。その活用方法を考える。観光客(滞在型生活観光を含む)、定住・移住するひとを増やしていく。将来は「海の日」も連携させた『まち残し』を推進していく」
 と討議しながら、若者たちの「山と海」の自然循環教育を高めていくものです。


第一部
① 山を奏でるコンサート 三須磨大成・恵里「ラテン・コンサート」
② 大崎上島・神峰山物語シリーズ朗読会。
原作・書き下ろし「紙芝居と海軍大尉」、朗読・「朗読ボランティア・しおさい」

  昨年度の朗読小説・穂高健一著「ちょろおしの源さん」(「川」定価1000円)、穂高健一著「初潮のお地蔵様」(1000円)が安価で求められます。2冊で、1500円

③ 基調講演 地元作家・穂高健一氏が著書「広島藩の志士」を語る。
       江戸時代の地元の歴史を学ぼう 
④ フォーラム対談「神峰山の魅力を語る・山と海の恩恵に感謝する」

 パネラー、作家・穂高健一氏と広島商船高専・大崎海星高校学生の有志たち
第二部 神峰山に登り、お地蔵さんの清掃「洗って、磨いて、祈る」をおこなう

2年連続「特選句碑除幕」の快挙=大久保昇さん

 第14回「しずおか句碑の郷まつり句会」が、平成30(2018)年4月8日(日)の午前10時に、静岡県・秘在寺で行われた。こんかいの特選句は、昨年とおなじく、大久保さん(東京・文京区)です。

 昨年度 『安倍川を大きく包み山笑ふ』

 今年度 『樹々の芽に陽のゆき渡る和紙の里』

 2年連続で特選に輝いた句碑が、静岡県の秘在寺の境内に建てられます。


  今年度の除幕式(左)         授賞式(右)    

 静岡県内を流れる安倍川は、全長52キロで、駿河湾にそそぐ急流な河川で、日本でも随一の清水です。その中流に郷島「冷泉山秘在寺」があります。
 
 境内には樹 齢推定1000年の榧(かや)の大木がそびえ、眼前には雄大な安倍川の景色が眺められ、お茶・山葵の産地です。 (主催者のHPより)


【大久保昇さんの句碑として】

 第1句碑は、群馬県・榛名町の上里見公園内

『厩舎より馬の貌出る梅日和』


 第2句碑は、さらしな・おばすて

『帰省して牛の匂ひの中にをり』


 第3句碑は、相模原俳諧浄土寺 正覚寺

  神奈川県俳句連盟会長賞の授賞式 大久保昇さんへ

『心の荷ほどきて歩む春の山』


 第4句碑は、飯山市 明昌寺

『北竜湖水の底まで蝉時雨』


 第5句碑は、静岡県・秘在寺

『安倍川を大きく包み山笑ふ』

 第6句碑は、同・秘在寺

『樹々の芽に陽のゆき渡る和紙の里』


 大久保さんは、歌碑においても、茨城県・行方市「霞ケ浦ふれあいらんど」に建てられている。

「狂歌詠む心のゆとりあるかぎり争い事の芽は育たない』

 大久保さんの句碑、歌碑が各地に建立されている。現在ちょうど50才であり、今後は円熟さをますぼとに、俳人として名を残す活躍が期待できす。


『関連情報』

「穂高健一ワールド」に、大久保昇さんの記事が下記の通りあります。

① 俳句、狂歌、四つ目の石碑が建立 = 大久保昇さん


② 
大久保昇さんが句集『天職へ』を発刊する=後世に残る名句だろう


③ 句集「天職へ」本体2300円+税

 購入先 : 大久保昇

 〒112-0002
 文京区小石川3-25-4-301
 03-3816-3417


 発行所 北溟社(ほくめいしゃ)☎04-2968-5349