「令和」の改元の華やかさは、翌2年に一変した。コロナ禍である。嘉永は黒船来航など悪いことばかり、そこで「安政」に変えた。翌2年には江戸大地震が起きた。ここから激動の幕末史がはじまる。
大正時代に、関東大震災の大惨事が起きた。後藤新平は東京市長だった。後藤は「個々の病人を治すよりも、国をなおす医者になりた」という政治姿勢だった。
かれは壮大な震災復興計画を立てた。
それを実行するについて、権利主張がつよい周りの政治家の構想打ち壊しに遭い、かれの理想は一部しか実現できなかった。しかし、60年後、昭和天皇が「後藤の復興計画が実現していたら、東京大空襲で、これほどまでに犠牲者をださずに済んだのに」と回顧されたという。

後藤新平記念館・絵物語(東京市長時代)より。
令和2年の政治家で、誰がどのように後世に名を残すのだろう。お金のばら撒(ま)きだけでは歴史に名が残らない。本ものの政治家が全国に必要なときである。
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政府や都道府県の知事が日々、記者会見で、コロナ関連の数字などを発表している。「最近は30-40代の若者が多い」と発表している。その表現には国民への虚偽・偽装はないのだろうか。なぜ「若者」と一括(くく)りで示すのか。まるで、日常の遊び人のような響きに、誘導されている。
この年代は最も働き盛りである。実際は「30-40代の会社員が多い」というべきではないだろうか。
「クラスターのわからない比率が高まっている」と不安をあおっているが、実際は「大企業などの企業内感染」が起きているのに、曖昧(あいまい)にしているのではないか。
30-40代の会社員ならば、職種別、職業別に明らかにすればよい。私たち国民は、どこがクラスター源になっているのか、およその見当がつくからだ。
朝夕のJRや私鉄の乗降客をみれば、巨大な企業ビル内は密集地だ。だれが考えても、オフィスは閑散としているわけがない。接触しない間隔「ディスタンス」は多少のところ気にしても、上司の指示、横の連絡、打ち合わせなど、距離はあまり取れるはずがない。
TVで職場風景が映し出されている。保健所、都庁、区教育委員会など、いずれも密集の場である。別段、これまでの職場と変わっていない。
ウイルスは職種や地域には無関係だし、企業内を避けて伝染してくれない。ここから類推するに、「企業内クラスター」が発生源となっている可能性が高いと思われる。まずは、ここらの実態を明らかにするか、可視化するべきだろう。
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私たちは日本経済を維持し、成長率の大幅ダウンを避けたいと思っている。過酷なデフレ、大恐慌を避けたい。政府が都市機能を止めず、すこしでも経済活動を持ちこたえて「稼げるときに、稼いでおく」、「頑張れるだけ、頑張ろう」という日本政府の立場は支持したい。
危険な「企業内感染」のリスクを知りながらも、日々に通勤するひとを応援する。電車を動かし、宅配するひと、むろん医師、公務員の活動も、熱意と努力は評価されるべきだろう。感謝の念をもちたい。
日本人は精神的にも国家の姿勢の良くわかるし、一体になれる民族性がある。
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近現代において、日本経済が破綻した歴史は、過去2度ある。その痛みだけは避けたいものだ。

1度目は、幕末から明治へ(通貨が両から円に変わった)。両・朱をもっていた大商人が倒産した。
百万人を超える武家がすべて失業した。家老、重臣たちの大半は職を失くした。かつては「奥方さま」「お姫さま」といわれた妻や娘を遊郭に売り、生活費を稼く。「士族」の肩書はなんの役にも立たなかった。
商いの方法を知らず、「武士商法」で、なおさら窮地に陥った。

2度目は、太平洋戦争の敗戦により、日本はGHQ支配下におかれた。そして、戦時中に国家が国民に押し付けていた「軍事国債」が紙くずになった。
翌(1946)年は大凶作で、国民のすべてが餓死(がし)寸前に陥った。買い出し闇市(やみいち)でしか、生活物資が手に入らなかった。
自殺が多発した。町には親を亡くした戦争孤児があふれた。
かたや、戦勝国のアメリカとの落差を思い知らされた。こんな国と戦争したのか、と。
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令和2年は年初から、新型コロナのウイルスとの戦争である。3度目の経済危機は避けたいと、日本政府が都市封鎖をせず、企業活動の維持を図る努力はよく理解ができる。
ただ、問題なのは都道府県の知事が、それを忖度(そんたく)し、大企業には「テレワーク」を呼びかけるだけで、それ以上はなにも見えてこないことだ。
大企業の自動車メーカー、鉄鋼メーカー、大手テレビ局、メガバンク、化学会社、ここら第二次産業の職場、さらに公務員の働く場がクラスターになっている可能性がある。立入りの実態調査をしているのだろうか。それらがまったく伝わってこない。
たしかに、大企業の東京本社がクラスターを理由に封鎖されると、全国の支社や工場に影響が波及し、経済が失速する。忖度(そんたく)もわからないではない。

各知事たちが自粛と自制でヤリ玉にあげているのは、第3次産業ともいえる街の弱小の店である。メディアを使って、まるでウイルスの根源のような集中砲火だ。くり返し、弱小の店舗に「クラスター」だと疑い、営業中止の圧力を加えている。
「公平の原則」からすると、大手企業と街の弱小の商工者との間に、かなり対応の格差がある。
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個人の床屋・美容院などの論議は空回りで、大切な政治的な時間を浪費している。政治家が次の知事選にむかって、TVで顔を売っているようなものだ、と批判されても、仕方ないだろう。
東京都は、オリンピックを前提にウィルスの検体数が少ないのではないかと、当初から疑われていた。その後手が現われはじめた。
ニューヨーク市の失敗に近いのでは、と危惧(きぐ)する声もある。
ウイルスの感染拡大が急上昇すれば、企業のクローズ(活動停止)にも視野に入れておく必要がある。私たちには、その衝撃の深さや覚悟や心構えも必要だ。
先の戦争でおこなった軍人政治家のように、「国民には真実を伝えない」、という失策だけは避けなければならない。「真実が一番強い」。こういう時こそ、政治家はデメリットを民に伝えることだ。
行政の長として何をやるべきか。弱者にたいして当座の生活資金提供で、善政を執っているようにみえる。しかし、長期化した場合の都市ビジョンはあるのか。2-3か月たってもコロナ感染が収集しない場合、次の支給は無理だろう。
となると、政治家は歴史から学び、長期ビジョンから施策・措置を追求するべきである。
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ちょうど100年まえ、第一次世界大戦で、日本は日英同盟にもとづいて参戦した。青島(中国大陸)のドイツ軍を攻撃した。その最中に、アメリカでウイルスが発生し、軍人が世界中に広めていた。
参戦しないスペインがそれを公開した。だから、「スペインかぜ」と呼ばれた。死者の数は5000万人とか、70000万人とか諸説ある。
捕虜(ほりょ)にしたドイツ軍兵から、ウイルスが日本に入ってきた可能性は否定できない。日本は、ぼう大な犠牲者をだしたのである。

日本には内務省衛生局(写真は同局ポスター)による正確な数字が残っている。(かつて後藤新平が在籍していたポジション)
大正11(1921)年3月30日の発表だ。
第1回目の流行(1918年8月から1919年7月まで)
日本人の患者数は、2116万8398人、死亡者数は25万7363名である。対患者死亡率1.22%。
第2回目の流行(1919年8月から1920年7月まで)
日本人の患者数は、241万2,097名,死亡者数12万7666名である。対患者死亡率5.29%。
1918年12月31日現在の日本の総人口は56,667,328人である。第1回目の流行では,全国民の37.3%がスペインかぜに罹患したことになる。
これら数字を解りやすくみれば、第一回目のウイルスのよる死者は広島原爆による死者の数とほぼ同じ。第二回目の死者は長崎の原爆犠牲者とほぼ同数である。
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100年まえ、世界的なウイルス禍で、日本人すら、ぼう大な死傷者をだした。ここから何を読み取るか。つまり、歴史から何を学びとるか。
100年前と同様に、ウイルスに効果がある抗体は未だ発見できていない。治療薬はない。残念ながら、これは事実である。
「1-2カ月」でピークを迎えるという政治家の発言は、安易すぎないか。来年の令和3年には第二波のウイルスがくる可能性も、否定できない。
政治家は、目先の取り繕いだけでごまかさず、とても言いにくいだろうが、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と言い、「都市の安全構想」の羅針盤(らしんばん)になるべきだ。

古来から大飢饉、恐慌の社会が起きると、民は神仏に頼ってきた。
知事選のごとく「皆様の外出の自粛をおねがいします」と連呼だけではダメだ。
都道府県の知事が、一時しのぎで、「休業補償のお金のばら撒(ま)き」で人気をとっても、それは安易な考えで、コロナ禍が長期化すれば、「次のお金は出ないのか」と逆に強い批判に変わてしまう。
もう一つ。ニューヨーク市のような状況に陥る可能性があるのに、「日本がまだコロナ禍で、世界よりも勝っている」という誤った認識を与えるような、報道コントロールは止めるべきだ。
太平洋戦争・中期から、軍人政治家は「日本は勝っています。健闘しています」と偽りの情報を与えてきた。それが民の戦争支持となり、終戦が遅くなった分、日本列島の都市はいずこも大惨事になった。
歴史から学ぶ。コロナ対策でも、まるで日本が1か月以内に終息できるような、「大本営発表」に似たことを行っている。こんな根拠のない、不正確な情報で国民を躍(おど)らせてはならない。
有能な政治家になってほしい。ならば、真実を述べて、危機に向かいあう方向性(ビジョン)を民に示すべきだ。
「スペインかぜ」では爆発的な感染で、日本は大惨事をこうむった。
100年の歳月がたった令和2年の現在と、なにが変わったのだろうか。抗体も、治療薬もない。為す術はない。対処法はほとんどない。
感染者の自然治癒に期待するのみだ。つまり、100年前の状況にあるのだ。
日本の各知事は、ロスアンゼルス、ニューヨーク市のように、感染者が数万人のとき、さらに悪化して数十万におよんだとき、為政者として、いかに処すか、と施策を示すべきだ。そして、庶民とともに痛みと覚悟を共有するべきである。
もう、選挙戦に向けた「自粛」パフォーマンスのみで、このコロナ禍は止まらない。
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関東大震災の時の東京市長の後藤新平が、もし令和2年4月12日のコロナ禍にいたら、どうするだろうか。
衛生医学の専門家であった後藤は、「皆様の外出の自粛をおねがいします」と連呼で、このコロナ惨禍が止まるとはみじんも考えないだろう。
ニューヨークなみの大惨事が来ると、はっきり民に予知させるだろう。そのうえで、「人の生命と健康を守る」、人間中心の機能を整えた「都市づくり」をめざすだろう。
なぜならば、かつて内務省衛生局長だった後藤新平は、日清戦争で日本軍の兵士18万人が朝鮮半島に出征しており、3分の2が感染病にかかっている。清国の降伏、終戦と同時に、細菌の保持者ら11万人が一気に日本に帰還してくる。もはや、猶予はない。
後藤はわずか2か月で、世界最大級の似島(にのしま・広島市)検疫所をつくり、帰還兵には一兵残らず、大規模な検疫をおこなった。感染病国家になる寸前で、かれは大惨事を食い止めたのだ。
その実績から推量すれば、後藤新平がいま東京都知事ならば、2か月以内に世界最大の検疫所を都内のオリンピック会場の施設内につくるだろう。
コロナ感染者の数がニューヨーク市並になっても、仮に10万人のコロナ感染者が出ても、オリンピックの全施設を防疫のために使う。むろん、収容仮病院も敷地内に建てる。
後藤ならば、「焼け石に水」、「選挙目当て的な」休業補償費などには使わず、だいたんに躊躇(ちゅうちょ)なく防疫に予算をつぎ込み、即時実行するだろう。
東京には広大なオリンピック会場が随所にあるのだ。それを全部使えばよいのだ、と迷いはないだろう。
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さらに、後藤新平は、誰も思いつかなかった、次のような予算を国家に要求するかもしれない。いま現在「医療崩壊」したとしても、100年後にはおなじ失策をしないために。
ここらは小栗上野介が、徳川政権が崩壊寸前でも、近代化のために横須賀製鉄所をつくったことに似ているだろう。明治37年の「日露戦争の日本海海戦に勝てたのは、小栗上野介のおかげです」と東郷元帥が称賛した。
【後藤新平に成り代わってシュミレーションをしてみてみました】
政府が『108兆円の経済緊急対策で、国家予算(令和2年・102兆円)なみで使わず、半分は100年後のウイルス禍の「医療崩壊」の対策をする』
これが理念とビジョンだろう。
国民には30万円と公表したが、状況の変化が生じた、一所帯15万円に減額する。民はヨモギの味噌汁、賞味期間(美味しく食べられる期間)すぎても一切捨てずに食べよ、死にはせぬ、各人が創意工夫しろ、と打ち出すだろう。
100年後には医療崩壊を起こさせぬ。
「重篤(じゅうとく)患者には、一床で一億円をかける。総ガラス張りの個室で、AI技術でレントゲン・心電図、体温、呼吸器もロボットでやる。医者はリモートコントロールで、「密着接触」はいっさい行わないで遠隔治療する。
予算は、全国で1万床ならば、合計すれば一兆円。各県ごとに1万床ならば、総額47兆円である。
100年後まで、これら病床は遊ばせるわけではない。いまから、盲腸の患者も、世界一の医療施設で治療すればよい。
かたや、令和2年度予算は102兆円である。いまそれを使えば、来年は税金がすべて倍になります。仮に5年間で分割するならば、毎年、税金は現在の2割増ずつになる。
ここらの税の回収による痛みは、後藤ならば、国民に今からはっきりさせるだろう。
歴史に残る本ものの政治家は、その当時は憎まれ役だ。
ただ、そんな苦痛の話しばかりだと、民には希望がなくなる。
100年後の47万床の世界一の病院建設に着工すれば、47兆円分が建設業者、医療機器メーカーなどに支払われる、それが経済への波及効果となる。
経済は活気を取り戻す。
これはシュミレーションだが、政治家は大所高所から、政治哲学・理念を示し、将来の展望を語る。民には一時的な痛みを示し、「将来ビジョン」への希望を語る。
ならば、日本人は器用だから、創意工夫して、皆で協力して、新しい令和文化を生み出していくだろう。