ジャーナリスト

【歴史から学ぶ】自衛隊のコロナ感染者情報がなぜ出てこない? 100年まえ、26カ国軍隊が世界パンデミックを起こした

 世界史のなかで重要な一つには、細菌・ウイルスと人類の戦いがある。

 15世紀末に新大陸が発見されたあと、征服者が欧州の病気を新大陸にもちこんだ。とくに天然痘が猛威を振るい、新大陸の多くの先住民が亡くなった。反対に新大陸からは梅毒が伝わり、これもまたたく間に欧州全土に広がった。

 人類を脅かす感染症の代表はペスト(黒死病)だ。ペストによる世界的大流行(パンデミック)は6世紀、14世紀、19世紀と3回あった。

 そのなかでも14世紀の大流行は死亡確率は50~70%で、人類滅亡の寸前までいった。中国では人口が半減、イタリア北部はほぼ全滅している。
 当時の世界人口が4億5千万人で3億5千万人にまで減った。死者の総数はいまの日本の総人口に値する、といえば解りやすい。

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 1894年の3度目のペストによる大流行は、香港から広がり中国とインドで1200万人が亡くなった。
 細菌学者の北里柴三郎が、日本から香港に派遣されて到着した2日後に、ペスト菌を発見したことは有名である。その結果、ペストの抗生物質が著しい治療効果を上げている。

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 インフルエンザの史上最大のパンデミックは、1918年の「スペインかぜ」である。欧米アジアを巻き込んだ世界大戦の最中に、世界で5億人が罹患(りかん)し、約7000万人が亡くなった。(数には諸説あり)。
 日本も多分に漏れず約2300万人が罹患し(当時の日本人の約1/3)、そして約38万人が亡くなった。
(新型コロナウイルスは、2020年4月4日現在で日本では3000人である。その罹災者の数とスペインかぜと比べてみると、日本国内でも、いかに甚大な被害だったかとわかる)

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 このスペインかぜの発端はアメリカにあった。
 北米アメリカ軍兵舎で、大勢が罹患した。かれら感染兵士が欧州の戦線で、ウイルスを拡散し、アフリカなどにも、まん延させたものだ。


   写真=Wikipedia スペインかぜに罹患した陸軍基地(カンザス州)の兵士


 第一次世界大戦の参戦国(26カ国)は、軍事機密で、その被害状況を隠ぺいしていた。戦力低下を敵国に知られたくなかったためである。
 ただ、非参戦のスペイン国は、病気の被害情報を公開していた。だから、気の毒にも「スペインかぜ」と悪名で呼ばれはじめた

 
 100年前の段階で、ウイルスが発見されていなかった。となると、有効なワクチンや抗ウイルス薬もなかった。もはや、世界大戦を止めるしかなかったのだ。
「第一次世界大戦の本当の勝者はスペインかぜ」
 ともいわれている。

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 ウイルスの発見は19世紀末である。1990年代後半になって、アラスカの永久凍土に埋葬されていた罹患者の遺体を発掘し、その肺組織からウイルス遺伝子を増幅させて解読したのだ。そして、「スペインかぜ」がウイルスによるものだとわかった。
 
 ウイルス感染症のパンデミックは世界史を変える。
 第二次世界大戦のあとの、今回の新型コロナウイルスは、まさに「第3次世界戦争だ」ともいわれる由縁である。

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 感染症をもたらす病原体のウイルスは、人体という温度・湿度が一定で、栄養分が豊富な環境に潜り込み、繁殖して、子孫を生み出している(増殖)。猛烈な勢いで、変異をつくり出す。

 20世紀に入ってからも、ノロウイルス、インフルエンザウイルス、感染性胃腸炎、麻疹、風疹、水痘、肝炎(A型、B型、C型など)、帯状疱疹、エイズなどと、次つぎと病原体が発見されている。そして、世界を脅かしている。

 人間が開発する抗体は、ほとんどが後手に回っているほど、新規の医学部門なのだ。ある意味で、医者とか、医大教授とか、そんな肩書のひとが克明にウイルスが解るほど、平明なものではない。
 わたしたちは肩書に惑わされない防禦(ぼうぎょ)も必要である。

 このたびの新型コロナウイルスでは、厚生労働省は「基本的対処方針」として、「3つの密を避けましょう」を公表している。(3月28日)。密閉空間、密集場所、密接場面である。

 最も該当するのが、世界各国のすべての軍隊である。

 米軍空母『セオドア・ルーズベルト』において、新型コロナウイルスがまん延している。空母艦長が、「我々は戦争状態ではない。兵士は死ぬ必要はない。ほぼすべての船員を隔離させてほしい」、さらには「軍の対応が不十分だ」と訴えた。


 空母隊員が全員上陸すると、当然ながら、空母船団(護衛の戦艦、巡洋艦など10数隻をふくめて)の数万人の海軍軍人の活動が停まる。それは世界戦略のなかで、戦力低下となるからだろう。アメリカ政府は4月2日に、勇気あるクロージャー空母艦長を解任したのだ。

 日本人は、横浜港のダイヤモンド・プリンセス号の船内感性の猛烈なスピードからしても、米軍の巨大な空母の新型コロナインフルエンザ禍などはかんたん想像つく。猛烈ないきおいなのだろう。
 米海軍のクロージャー空母艦長の訴えは十二分にわかる。

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 わたしたち一般人はメディア情報に依存している。最近のコロナウイルスの発表は、都道府県別あるいは都市別の数、院内感染ばかりである。

 自衛隊はどうなのか。その発表は日本政府から出てこない。「日本人は現在、コロナ感染者数は……」と示されるが、日本のコロナ感染者の棒グラフのなかに、自衛隊員はどのていど入っているのか。それが見えてこないのだ。

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 丸い地球の隅々で活躍する諸国の軍隊が、新型コロナウイルスをまき散らすだろう。それは第一次世界大戦という歴史から学んできたことだ。


 自衛隊の隊員どうしの安全のみならず、基地周辺の住民との接触や規制などはどんな基準になっているのか。自衛隊はこれら防疫体制はできているのか。
 細かくいえば、全員が艦内でマスクをつけて訓練しているのか。そこらすら疑問になる。

 日本はなぜ自衛隊と呼称するか。
 『自衛』と、『防疫』とほぼ同義語である。防疫とは、感染症患者の早期発見と隔離、消毒や媒介動物の駆除、予防接種などで国民の生命を守るシステムである。

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 軍隊は機密主義もわかるけれど、第一義は「国民の生命と財産の安全のための軍隊だ」という理念は決して忘れてはならない。
 防衛相は、国政選挙でえらばれた代議士だ、シビリアンコントロールが求められる。国民の安全のために、時々刻々と陸・海・空のコロナ感染の現況を発表する義務がある。
 それなくしては、日本人のコロナ感染者の総数は虚偽になってしまうからだ。

 この先、米国・トランプ政権のように、内部告発した空母艦長を解任にしてしまう、という乱暴だけは日本の自衛隊は避けてほしい。

【読者・寄稿】神機隊・砲隊長の高間省三の墓参り。双葉町の原発規制解除で=hiro kingさん

 これまで広島藩の幕末史が長く封印されていました。浅野家史「芸藩志」が世に出て、薩長芸軍事同盟による倒幕がなされた、と幕末史がくつがえりました。

 さらには広島藩・浅野家の家臣が立ち上げた神機隊の若者320人が、戊辰戦争に自費で出征し、相馬藩・仙台藩と激しい戦闘をくり返し、北上しました。
 ついには仙台藩の降伏・それが連鎖で会津藩の白旗につながります。

  広島藩の神機隊の砲隊長・高間省三が、その浪江の戦いで戦死し、福島県・双葉町の自性院に埋葬されました。

 激戦地における高間省三の戦いの凄まじさは、明治時代の軍人必読「軍勇亀鑑」にも克明に取り上げられています。戊辰戦争で取り上げられたのは西郷隆盛、板垣退助、大村益次郎でなく、ただひとり高間省三のみです。
 日清・日露戦争からの軍人は、同書を一読するか、ポケットに入れていました。

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 2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原発の事故で、約10年間にわたり、双葉町は立入規制がかかりました。高間省三が世に知られる一方で、墓参りしたくても、原発の規制から自性院に入れなかったのです。


 このたび(2020年3月初旬)、同町の立入規制が解除されました。それにともなって、多くの方々が念願だった神機隊・砲隊長の高間省三の墓参りができます。
 規制解除のあと、一番に高間省三の墓に詣でて花を添えられた読者から、レポートが寄稿されました。


 hiro kingさんのレポートは、ここ10年間にわたって、福島県で高間省三のみならず神機隊の墓参りをされてきた、この日が待ち望まれた想いがよくわかります。

 ご紹介します。


【hiro kingさんのレポート】

 お墓参りの発端は30年前の私がまだ大学生のころになります。今は亡き祖父との話からです。祖父は第二次世界大戦の時、満州に軍人としており、シベリアに抑留されていたことがあります。

 お酒が好きで、よく飲むと様々な話しをしてくれました。その時の話しですが、「思い残した事がある。歳だからもう行けないかもしれん。変わりに誰か参ってくれんかのぉ」って言い出しました。
 祖父の曽祖父が、祖父に友人と神機隊に参加する約束をしておきながら、家の事や、馬廻役という役を考えたら、一緒に参加することが出来なく、その友は福島の地で亡くなった。が、ずっと墓参りに行く事が出来ず、悔やんでいたそうです。


写真提供=hiro kingさん

 私もそれを聞いて、祖父が行けなかったから、私がお墓参りをするよと言い、今に至りました。

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 会社の仕事で、福島でのプロジェクトへの応募があり、早速、応募しました。地図で見ると近く感じますが、高速で名古屋港まで行き、そこからフェリーで仙台港、また高速乗って、会社の用意してくれたホテルへと移動しました。

 これは年寄りには出来ないなっ感じ、神機隊の方々は、はるばるこの地まで芸州藩の名誉のためにまいったのだな、と涙が出る思いでした。

 ホテルは南相馬市の鹿島区で6号線沿いなので、GPSでお墓の場所を調べると、そんなに遠くありませんでした。

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(2020年)2月16日、幕末芸州広島藩研究会広報室に、無事に福島到着を伝えたところ、あるサイトを紹介してもらい、お墓参りの参考にしました。

 携帯のナビアプリに墓所の場所を登録すると、私が滞在しているホテルの前にある国道6号線の沿いに高間省三様が眠る自性院さんがあり、他の方達が眠る墓所も、大体がその沿線にありました。
 明日から仕事がある。が、西条の上田の子孫の私が遅ればせながら、福島に到着した、という事を、戊辰戦争で亡くなられた方達に報告したくて、車に乗り、お墓参りに向かいました。


 この長期出張を希望した目的がお墓参りだったので、数珠やお線香、ライターは車の中に常備させていました。
 途中、お供えのゴマ団子を購入し、私が滞在しているホテルより、もっとも近い自性院さんを目指しました。

 この南相馬の人達は、車のスピードを結構出すので、あおられてる感があり、車の運転はめちゃ怖いです。
 車のナビは自性院さんのある場所を表示していました。だが、帰宅困難地域で、バリケードの中、仕方なく、バリケード前に車を停めて、自性院さんの方向に手を合わせ、参るのが遅くなりましたと、お詫びをいたしました。

 また参る旨を伝え、いわき市にある性源寺さんをめざしました。
 双葉町、大熊町を抜けるが帰宅困難地域であるため、映画のセットを思わせるゴーストタウンと化していました。

 道路沿いの家は玄関を全て、バリケードで覆われ人の気配は、まるっきりしない作り物の世界の様です。通り過ぎながら幻を見た感覚に陥りました。

 蟹洗温泉により、昼食をとり、いわき市、性源寺さんへ参りました。お寺内で法事があるのか人の出入りが多く、ご住職にお話を聞く事が出来ませんでした。が、神機隊の皆様のお墓は戊辰戦争で亡くなられた方たち(長州藩など他藩の倒幕派)と同じとこにあり、すぐにわかりました。


 福島に来て思ったのが、立派なお墓が多い事です。死者への礼なのかもしれません。だから神機隊や他の倒幕派の方々にも同じように、お墓を建て守ってくれてるのかもしれません。

 性源寺さんは、松ヶ丘公園の下にあります。松ヶ丘公園は桜とツツジの名所になってます。私が参った時は、2月なので、何も咲いてないのですが、日本庭園を感じさせる赴きのある事はわかりました。

 亡くなられた神機隊の方々も、この名所の花を観て、心安らかに眠られているでしょう。

 性源寺さんを後にし、修行院さんにむかいました。修行院さんを通り過ぎて、先にいわき市にある性源寺さんに参ったので、後戻りになります。

 修行院さんは海の側にあり、津波の影響を受けたみたいです。

 こちらも御住職の御身内に法事という事で、お話しが出来ませんでしたが、お墓の位置がわからなかったので、御住職の奥様に案内してもらい、無事にお墓参りを済ませました。
 震災のせいか、割れている墓石がありましたが、無残な感じでなく、修復された感じでした。
 周りにはまだ修復されていないお墓もあり、比べてみて、ありがたく思いました。どなたかが供えてくれたのか、ワンカップが置いてありました。

 それを見て、次回参る時は、広島・西条のお酒を備えようと思いました。以上、強行軍でのお墓参り日記でした。

  hiro kingさんのレポートから、規制解除の半月前に自性院にいって入れず、あらためて翌3月に双葉町に入り、高間省三の墓前に花を添えられてきたようです。  

コロナ感染者のGPSマップをつくるべきだ。日本国憲法「国民の生命と財産を守る」の精神で

 新型コロナウイルスが全世界に爆発的にまん延してきた。ことし(2020)年内にも、世界の感染者数が1億人、死者1000万人も、あながち誇大な数字に思えないほど勢いを増してきた。
 最先端都市のニューヨーク市が、イタリアが、イギリスの首相までが、とおどろくばかりだ。

 先進国はコロナとの戦いで、戦場化している。どのように阻止するか。それぞれの国が民とともに統一戦線を張っている。 

 世界中を見渡すと、スマホとケータイの普及率が高い。先進国のみならず、各国で感染者のGPSによる位置情報の提供をもとめはじめた。これまでのように、陽性者を隔離するだけでは、このコロナウィルスは抑制できない、と判断したからだ。

 個人主義からの脱却である。個人の機密など言っていたら、「一人を守って、一万人の犠牲者をだす」という考えだ。
 わが国でも、古来から「小異を捨てて、大同に就く」という格言がある。

           *  

 先般は国民的な人気者「志村けん」さんが急死した。えっ、回復を期待していたのに、とだれもがおどろいた。
 ある老タクシー運転手さんに取材してみた。
「ショックですよ。コロナ感染者を乗せて、ぼくが死んだら、元も子もないから、会社にきょう3月いっぱいで辞めると、退職届を出しているのです。この商売をやっていて、だれが感染者か、わからないのはメチャクチャ怖いですよ」

 先進国の一部では、GPSで感染者がどこにいるか、それが地図上(赤点の動き)で、わかるシステムを導入してきたらしい、と教えると、

「日本は新しいことに遅いからね。新しい仕組みを作ると、決まって、だれかが反対する。声のおおきな反対者が一人でもいれば、やらないのが役人だ。役人は御身大切。GPSなんて、お役人が一番抵抗勢力になるだろうね」

 老タクシー運転手は、さらに都知事の発表なんて、なんの役にも立たない、暗い戦争時代の「大本営発表」とおなじですよ、と言い残して立ち去った。

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 4月1日の参議院予算委員会で、「陽性者がどこにいるか、それをGPSマップで教えるべきでないか」という質問が出てきた。
 なかなか前向きな質問だと、思わず聞き入った。

 政府関係者には、そこまで認識していなかったようだ。おどろきの表情だった。「検討に値しますが、個人情報との兼ね合いがありますから」と濁った口調だった。

「やっぱりな」と私は思った。
 
 個人情報保護法よりも、日本国憲法が優先する。子どもでも知っている。政府関係者は法律の優劣も知らないで、よく当選してきたものだ。

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 東京都民は1100万人である。毎日、60人以上が出ているといわれても、都民は確認の方法がまったくない。
 感染者が何区のなに町にいるのか。一切わからずだ。

 合計400人÷人口11、000、000=人口比は0・0000363%か。
 この数字からは、なにも読み取れない。

 いまの都政の行政マンは単なる感染者の集計マンにすぎない。私たちが目で見えて、肌で感じて、アクティブに行動できる情報になっていない。

 隠すことことが日本国民のためだ、と信じ込んでいた軍人政治家たちと、都知事や区長たちの精神構造は実によく似ている。戦時中の「国民総動員令」とおなじ発想だ。いたずらに、一億総引きこもり人間をつくっている。

「不要・不急の外出は自粛せよ」と大本営発表だ。
 実際はミッドウェー、ガダルカナタ、硫黄島の陥落していた。それに似て、23区の区別の感染者の実態すらいっさい教えない。
 私たちが従順なのか、為政者が過去の歴史から学んでいないのか。突然、焼夷弾(コロナウイルス)が落ちてくる。不安とは恐怖になるのだ。政治家が最も恐怖を煽っている。

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 4月1日、俗にいう町医者の内科。眼科なども、自主休業している。あるいは開業の時短だ。看護師や事務員が病院勤務に、怖くて来ないのかもしれない。通院患者のなかに、コロナウイルス患者がいるかもしれない。コロナウイルスの地域情報がないから、彼女たちは不安で怖くて、勤務すら尻込みしている。

 東京都民は町医者もかかれない兆しさえ感じる。病院が閉まっていると、隣接する薬局もガラガラの空席状態だ。
 これも子細な情報がないからだ。
           
           *

 海外滞在の邦人が、感染者となって帰国してきている。空港の検疫で、陽性反応が出てくる。帰国者たちの危機感、対策意識はどうなっているのか、と詰問したくなる。

 海外帰国の感染者が増えては、国内に住む者がいくら防禦しても「笊(ザル)に水」だ。虚しくなってしまう。

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「日本人だから、母国の日本に帰ってくる」
 それは絶対的な権利だ。

「イタリア、スペイン、フランス、アメリカから、今頃、のこのこ帰ってくる」

 世界にまん延してきた初期段階で、かれらはなぜ速やかに帰国しなかったのか。その判断に問題はなかったのか。日本在住の家族は、大勢が迷惑するからと、早め帰国をうながさなかったのか。
 おなじ日本人ならばこそ、甘い顔せず、そのていどの苦言は述べても良いのではないか。

 この問題は重要だ。まだ多くの海外邦人が帰国を望んでいる。その対策はできているのだろうか。現地の大使館は、帰国希望者の邦人らには、コロナウイルス検査を受けて、「陰性の証明書」をもって帰国させるべきだろう。
 いまのままでは蛇口の壊れた水道とおなじ。止まるところを知らずである。コロナウイルスの撲滅の根幹を断つ。それには厳しい検疫と義務を課すことである。
 
           *

 ひどい海外旅行者になると、3月に入ってから、子どもが学校休校になったからと言い、スペインに家族旅行に行く。ウイルスで危険なナイル川に物見遊山に出かけているのだ。
 こんな論外なひとなど、個人情報保護法で守る必要があるのか、と言いたくなる。

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 海外帰国者の感染者の存在は、地域ごとに仔細に教えるべきだ。個々人のプライバシーよりも、地域住民の生命の方が優先されるべきだ。情報の即時開示である。
 
         *

 コロナ感染者が半径100メートル以内にいたとすれば、幼少年は児童公園で遊ばせないだろう。1キロ以内にいたら、レストランとか、買いものとか、その地区は当座のところ避けておくだろう。
 住民は行動の範囲をみずから決めて、通学・通勤・病院通い、買い物などを決めるだろう。

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 GPSでマップによる感染者の位置情報の提供は、国民の命を守る有効な手段の一つだ。このシステムは、NTTドコモ、AU,ソフトバンクなどに協力を求めれば、すぐにでもできるはずだ。
 電波とは国民の財産のひとつである。このさいは国民のために有効利用するべきだ。

 個人情報を口にするのは、行政関係者に多いのが特徴だ。『苦情がくる』それに対応するのが嫌なのだ。クレーマーにたいして弱腰なのだ。

 公務員は税金で雇われて、民の奉仕のためにあるもの。役人の自己防衛や逃げのために個人情報保護法があるのではない。

 個人情報保護法は刑法でも、民法でもない。一般に行政法だと言われている。日本国民の生命と安全は『憲法』によって守られている。

 政府が先頭に立って、勇気をもって、「GPSを使ったち密な情報提供」をおこなう。「小異を捨て大同に就く」。日本国憲法の精神に則り、わが国を大勢のたいせつな命を救ってもらいたい。
 それをもって国民が不安や恐怖やうっ屈から解放されるのだ。

人類のピンチは、平和へのチャンスである。だれかノーベル平和賞を

 世界各国の大都市がゴースト・タウンのようになった。またたく間に、繁華街のなかに人影がなくなってしまったのだ。
 西洋諸国の人々は自由主義、民主主義のつよい意識から、政府の呼びかけを嫌う体質がある。しかし、コロナウイルス対策から「外出禁止」といわれると、TV映像を見るかぎり、かれらはふしぎなほど応じているのだ。
 
 西洋の国民が、急に素直な性格になったわけではない。「見えない敵」にたいして恐怖を感じているのだ。国内に、数百人の死者が出た以上、いつかしか、わが身に忍びよるコロナウイルスである。「身の毛がよだつ」、「背筋が寒くなる」、「怖くて、怖くて」と怖気づいているにちがいない。

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 英・米・仏・ロシアなどの大国は、中近東の紛争国へ軍隊を派遣する余裕などみじんもないと思われる。ウイルスと戦っている今、人間どうしが戦う余裕などないはずだ。

 報道を信じるならば、軍隊にはコロナウイルスの死者の棺を運ばせたり、国境封鎖の検問をさせたり、街なかを警備させたりしている。
 人類が戦う相手が、いまや敵兵でなく、ウイルスになったのだ。これを第三次世界大戦とみなす。となると、日本にはどんな役目があるのだろうか。

『人類のピンチは、平和へのチャンスである』

 ふだん「平和運動」の活動をしている民間団体、行政府の人は諸々の媒体を使って、「いまこそ平和をもとめよう」、「核兵器の放棄をしよう」と呼びかけるべきだろう。

 和平とか、軍縮とか、核廃絶とか、それらの提案を呼びかける、絶妙な好機にまちがいない。世界の多くのひとは自宅に閉じこもっているから、新しい情報発信に反応してくるはずだ。
「そうだ。戦争などしていられない。そんな軍事費はさして必要ではない。そのお金は、困窮する私たちの生活に補てんしてほしい」と考えるだろう。
 むしろ、考えない方がおかしい。
 


         *

 むろん、日本政府自身が、世界にむかって軍縮提案をおこなうとより効果的です。

 ……世界の町は無人化しており、経済活動が極度に低下しています。生産機械の稼働率が悪くなっています。当然ながら、失業率が急激に上がり、税収入が大幅に減ります。

 この認識にたいしては、世界中の首脳のだれもが否定しないだろう。

 コロナウイルスで閉店、失業、無収入、あるいは大幅な収入減が大勢出ています。民の声を聞く。この対応を怠ると、貧困、餓死、飢えから暴動が世界各地で起きてしまいます。

「天からお金は落ちてきません」
 
 ……生産活動の大幅な減少は、デフレを呼び込み、世界的な大恐慌へと進むおそれがあります。中小企業のみならず、大会社の倒産が連鎖を起こす。

 最悪はサーバー会社が倒産し、IT関連のシステムが機能を失ってしまうおそれが多分にあります。
 そこから産業、金融がパニックを呼び起こします。身近なところで、ATMからお金が降ろせない。コンピューター式の交通機関が動かない。株・国債の売買ができない。そのデータすら消えてしまう。資産が紙くずになる。

 天文学的な資産をもったお金持ちが、突如として、無一文になる。かれらすら生活費が生み出せない。
 世界の大都市の街にはとてつもなく大勢の失業者の群れができます。人類はおおきな犠牲と痛みを伴います。

          * 

 細菌学の歴史をひも解くと、細菌やウイルスによって、死者の数が5000万人、8000万人、あるいはヨーロッパで一つの国家の全員が死亡した歴史があります。

 ちょうど100年前(1918)には、アメリカ本土から発生したウイルス「スペイン風邪」(ネーミングがおかしい)で、なんと世界規模で戦死者よりも、ウイルスの死者数が上回ったのです。約7000万人です。

           *    

 アメリカ28代大統領のウッドロウ・ウィルソン(政治学博士、プリンストン大学の総長、ノーベル平和賞)が、「もう戦争などやっているときではない」と全世界に停戦を呼びかげて、終戦を実現しました。

停戦を喜ぶアメリカ軍兵士。1918年11月11日。(ネットより)

 ウィルソン大統領は、二度とこんな世界戦争をしないようにと、「世界連盟」まで立ち上げました。

 当時の日本は、世界連盟の常任理事国でした。だが、松岡外相の脱退演説が有名です。そして、またしても第二次世界大戦が勃発してしまいました。

 人間は戦争の悲惨さよりも、ウイルスの恐怖が強いのです。ここに私たちの重大なヒントがあります。
 約100年後となる今、2020年において、全世界が一致協力して最悪のウイルス被害のシナリオは避けるべきです。それには日本人の私たちは何をなすべきでしょうか。

            * 
  
『見えない敵のウイルスと戦うには、武器など必要ありません。世界の各国がいっせいに軍縮しましょう。軍事費の削減を元手にしてで、社会保障費に充てましょう」

 日本政府がテレビ会談で、世界の首脳たちにそう軍縮を呼びかけていくには、よいチャンスです。どこの首相も、壊滅的な打撃を避けたいはずです。
 コロナウイルスの死亡率が少ない日本だから、冷静に世界を見ているようだ、と高い評価を得るでしょう。

 過去にはワシントン軍縮条約、ロンドン軍縮条約などがあった。そこには呼びかけ人がいて、そして各国で話し合いがなされ、大幅な軍事費の削減に成功している。
 今回は日本人がそれを提案すれば、良いのです。テレビ画面の前で、一同が揃えばよいのです。
 第一次世界大戦のさなか、ウイルソン大統領がやった手法をいまアレンジして、日本から発信すれば良いのです。

           * 

 未来は絶望ではなく、情熱です。「東京オリンピック2020」の延期をIOCに申し出た日本だけに、軍縮提案にも耳を貸してくれる空気感はあります。
 日本にはまだ世界視野で物事をみれる、柔軟な姿勢と余力があるようだ、と評価されるでしょう。

 軍縮を叫ぶからには、わが国の自衛隊も軍縮にも、当然ながら協力してもらう。軍艦、戦車など不要不急の移動による石油消費を減らす。演習回数を減らす。それぞれ知恵を絞ってもらう。

 ウイルスと戦争しても、武器を使った軍事戦争は起こさない。政治家が担保すれば、自衛隊の立場の方も、人件費をのぞいて軍事費の圧縮を図ってくれるでしょう。むしろ、そうしてもらわないと困る。


           *    

 オリンピックの開催には、五大陸からコロナウイルス惨禍を取りのぞくことが必須です。アフリカ、中南米がこの先、どの程度コロナウイルスがまん延するのか。それはまったく不透明です。
 研究者すら判っていません。来年か、再来年か、その先まで影響を及ぼすことすら否定できていません。

 日本政府が開催に気をもんでも、結局は出たところ勝負になるでしょう。

          *     

 第三次世界大戦ともいえる人類危機の時にこそ、日本政府から世界の首脳にむけて軍縮、軍事費の削減を働きかけるべきです。
 世界の数億人がそれぞれ「わが命」と向かいあっています。欲望、武力戦争よりも、いまは生きることです。働けない現状の生活資源をつくることです。

 この生活危機を乗り越える、生活原資こそが軍縮です。 人間が積み重ねてきた軍備費を切り崩し、それを全世界の失業者、困窮者にまわす。これが人間のもっている英知です。ここにしか生き長らえていく原資はないかもしれません。

『ピンチは最大のチャンスです』
 やる前から諦めない。ともかくやってみる。この道は政治家として決して後悔しないでしょう。

 こういうときこそ、日本から民間人、政治家を問わず、ノーベル平和賞が出てもらいたいものです。
 

【歴史から学ぶ】コロナ・ウイルスの世界惨禍から、将来を読み解く

 歴史とは、過去ばかりでなく将来と連結(リンク)している。
『先』ということばがある。「先(さき)の第一次世界大戦の状況下において」といえば、過去の表現である。「先々、この新型ウイルス問題が、世界に大きな変革を起こすだろう」といえば、まちがいなく未来の表現である。

 このように、【先】ということばは過去と将来をリンクしているものなのである。

          *     

 人間の歴史は、細菌との戦いの側面が多くあった。有史から数々の細菌の歴史がある。それを一つずつ克服してきている。強い結核菌のように1000年~2000年にわたり、解明できず、ここ50年でやっと解決にむかえた。恐るべき細菌も多々ある。、

 2020年。いま起きている新型コロナウイルスは、武漢から世界中にまん延したが、細菌歴史学からみたならば、過去のどれに該当するのだろうか。はたして1、2年で解決できる菌か。50年先、100年先、あるいは200年先に、細菌学者たちの長期の研究の努力の末に、ふいに偶然から抗体治療薬が発見できるほど、時間を要すものかもしれない。

           *
  
 メディアに登場する医学関係者は、自称・ウイルス専門家の肩書で登場している。その上で、きょう現在のコロナ患者の数字の解説に終始している。今後を語るも根拠のない推量・推測の面が強い。なかには、占い師か、と疑いたくもなるいい加減な人もいる。

「来年のオリンピック前には、終息するだろう」
 それは単なる希望的な期待である。まったく根拠とか裏付けとがない。
 細菌歴史上から、コロナウイルスがどんな種類に該当し、開発治療薬ができる見通しにあるのか、としっかりした判断が示さなければ、願望の領域を出ない。
 
 つまり、細菌医学の菌との戦いの歴史から、今後のコロナ治療薬・撲滅を語らないと、解決への方向性を示しているとは言いがたい。
 それでなければ、、無責任きわまりなく、ただテレビ・新聞に出たい、それをもって知名度を上げたい、という自己顕示欲による発言と言われても仕方ないだろう。


 医学関係のコメンテーターは『検疫が終らないと、日本本土にいっさい上陸させない』という日本の歴史をご存知だろうか。
  

              
 ことし(2020年)2月3日、大型客船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入る直前に、日本の検疫官が乗り込んで乗員・乗客の3、711人の健康状態などの聞き取りをはじめた。これは国際法から認められた当然の権利である。

 さかのぼること1月25日に同船から香港で下船した80歳の男性乗客が、新型コロナウイルスによる肺炎と確認されていたからである。船籍も、船長も外国人である。乗客の国籍は多岐にわたっている。大半が西欧の富豪層のひとたちである。

 大勢の乗船員・乗客に対応できるだけの日本人医師とか、検疫官とかがすぐに横浜港に集められず、手間取っていた。(ふだん医者は手空きで遊んでいるわけではない)。所轄の厚生省で対応策を協議する間にも、船内で伝染が拡大していく。
 まさに、船内検疫は遅々として進まずであった。

           *
 
「船内では、コロナウイルスが急激にまん延し、大勢の乗船客が伝染する危機にある。それなのに、日本の対応が悪い、遅い」 
 海外メディアはことさら連日バッシングしてきた。

 なんと言われようとも、日本政府は乗船客・乗務員は検疫が済むまで、上陸させない態度をとりつづけた。
 かたや、多くの日本人は、これを支持していた。少なくとも、日本側から「人道的に上陸させよ」という抵抗・反発の声が少なかった。
 これは何を意味するか。
 そこには、日本人特有の歴史を感じさせるものがあった。

           *

 約165年前、嘉永6(1853)年6月に、アメリカから黒船が来航した。約1年前にオランダから黒船がくると事前情報があった。徳川幕府は水際の海防(かいぼう)作戦をとった。

 事実、アメリカ東インド艦隊のペリー提督が浦賀に来航してきた。かれらが砲弾で脅しても、徳川幕府はすぐに対応せず、協議をつづけた。
 正式な返事を出さない。ペリー提督は苛立っていた。
 やがて、アメリカ大統領の国書を受け取ったが、幕府はすぐさま浦賀港から黒船を追い返した。

 半年後、ペリー提督がやってきて、さんざん脅す。徳川幕府はここで開国したけれど、貿易・通商となると、5年後まで先延ばしにさせた。

 安政5(1858)年の通商条約すら、異国人にたいしては横浜・函館・長崎の3港から、8里(32キロ)以内の行動に留めるものだった。
 横浜~東京は40キロである。つまり、異国人は横浜に来ても、江戸城下には行けなかったのだ。

           *

 老中首座・阿部正弘の開国から、大老・井伊大老の通商まで、この5年間の間に、わが国には異国人を排除する攘夷運動が、はげしく渦巻いた。

『聖地の日本を荒らすものは、一歩も上陸させるな」
 水戸藩の徳川斉昭(なりあき)の尊王攘夷(そんのう じょうい)の思想が、日本人に絶大なる支持を得たのだ。士農工商の階級を問わず、全国の寒村の末端まで、ほとんどの層が攘夷に賛同した。
 
 これは単に攘夷思想=鎖国にもどれ、という復古の問題だけでなかっのだ。そこには外国から来た細菌というとてつもない恐怖が日本人の底流にあったのだ。

            *

 安政6(1858)年に開港してみれば、異国人がいきなり長崎に細菌・コレラをもちこんだ。爆発的に感染した。またたく間に近畿圏(大坂・京都)・さらに東海道を東上し、江戸にまで及んだ。
『病気にかかったら、すぐにコロリと死んでしまうので、コロリと呼ばれた』
 日本中から、虎狼狸(ころうり)と怖れられた。


 日本中の優秀な医者が集まった緒方洪庵(おがたこうあん・大坂)塾では、コレラの治療がわからず、拡大が抑えられなかった。
 大坂では1日に800人が毎日、毎日死につづけた。
 江戸では100万都市だったが、合計24万人が死んだ。つまり、人口の1/4が死んだのである。

 全国規模で、どのくらいの死者が出たのか、明確な数字は残っていないが、日本人の1/4が死んだと類推できる。

           *

 倒幕といえば、尊王攘夷とか、薩長倒幕とか英雄史観で語られる。高杉晋作、西郷隆盛、坂本龍馬などが倒幕したといわれている。そういう歴史に陶酔しているひとも多い。

 倒幕の本質はちがう。

 外国から侵入したコレラ菌が、国内に猛烈に拡大したことから、全国の260余藩は大幅に人口を失った。田地の耕作者を失くし、大凶荒から、財政破綻を招いたのである。それが起因して、幕藩体制の基盤がおおきく崩れてしまったのだ。

 あげくの果てに、コレラの大流行が、260余年間にわたり泰平の世を維持してきた德川政権を瓦解(がかい)させてしまったのだ。
 それは横浜港が開港してから、なんと、わずか10年後であった。
 
           *     

 私たちの立場からみれば、曽祖父の時代である。わずか150年前の出来事だった。その教訓が、
『そとから帰ったら、手洗いとうがいをしなさい』
 明治から始まった義務教育で、幼少の躾(しつけ)教育として組み込まれた。
 倒幕の歴史は薩長史観にしろ、庶民は「手洗い・うがい」という形として現代に続いているのだ。コレラの歴史から学んだ日本人の習慣になった。

  *
 
 あらためて、ダイヤモンド・プリンセスを事件としてみると、
 『聖地の日本を荒らすものは、一歩も上陸させるな』
 これらを歴史的に知り得ているから、検疫が終るまで上陸させないことに、日本人には抵抗がなかったのである。

 反発する外国からは、特別機の飛行機で、プリンセス号の乗客を引き取りに来た。ならば、異国人はまだ検疫が済んでいなくても、どうぞ、どうぞ、と引き渡す。

 まさに、江戸時代に日本沿岸で外国船が難破・遭難すると、異国人はオランダ船に乗せて、ジャワでさっさと当事国に渡しまう。帰国させたのだ。
 この事象とよく似ている。

           *

 このたびのダイヤモンドプリンセス号において、検疫結果が出ていない日本人はすべて船内にとどめ置く。この処置に対して、乗船者も、国内の一般人からも、「即時解放」という要求や反旗があがらなかった。
     
 江戸時代に話がもどるが、日本人漁民の漂流民は、外国の土地をいちど踏んだからには帰国させない。徹底した鎖国主義を貫いてきた。
 かりに帰国しても、長崎奉行所は長期に、2年も、3年も取調べる。それが終わるまで、有無を言わせず、隔離しておく。

 鎖国時代の日本人は、それが当然だと受け入れていた。遭難したのはあなたの運命だ。漂流民が可哀そうだ、という意識が日本人には薄かったのだ。
  当時は伴天連(キリスト教)の伝染を恐れていたからである。

 だから、プリンセス号の船上でお役人の検疫が終わるまで、つまり長崎奉行所のお取り調べがおわるまで、という共通の日本人意識が読み取れるのだ。

 約150年経っても、民族意識はそうそう変わるものではない。意識、無意識にも、歴史の上で、わたしたちのなかで脈々と生きているものだ。

           *

「歴史から学ぶものが多い」
 横浜に接岸したダイヤモンドプリンセスから、約634人の新型コロナの患者を出しながらも、同船を起点としたウイルスが日本全国にまん延しなかった。

 これは日本政府が、150年前の徳川政権がとった列島の水際作戦という海防政策とよく似た、強い強硬な施策を取ったからである。


 細菌の歴史も知らずして、無責任に放談しているメディア・コメンテータはこのところ実に多い。江戸城下は世界最大の100万都市でありながらも、コレラ菌の流行で人口の1/4になる24万人が死んだのである。

 150年経ったいま、東京は1000万人の大都市である。この先、人口に対する被害者比率はいかほどか。
 医者・専門家といえども、細菌史学をしっかり見据えたうえで、コロナウイルスを語るべきである。


 次回は、「明治時代の日清戦争・日露戦争後の世界でも類を見ない厳しい検閲制度」についてです。
              

             写真:Google写真・フリーより

北方領土の日 2月7日 日本政府の本気度を問う 

 新聞の片すみに、政府広報・内閣府『2月7日は北方領土の日』と掲載されている。新聞一面のコラムの真横だから、大きさの枠は押して知るべし極小だ。

『あなたの関心が解決の後押しに。もう一度考えてみませんか 北方領土のこと。』これだけのことである。
 地図で示された択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島がなぜ日本の領土なのか。それら記事は、新聞のどこにもない。
 日本人のすべてに、知ってもらう努力など、みじんもない、といえば、言い過ぎだろうか。

 この2月7日は、徳川幕府が結んだ日露和親条約が締結された日である。18世紀から約100年間にわたり、ロシアの南下政策で、蝦夷(えぞ 北海道)は、つねに危機にさらされてきた。双方で武力衝突もあった。捕虜の交換もおこなわれている。
 日本人がどこまで知っているのだろうか。

 阿部正弘が老中首座のとき、アメリカ艦隊のペリー提督が浦賀にやってきた。それは嘉永6(1853)年6月だった。幕府はペリー提督には1年後の再交渉を約束し、退去を求めた。それからわずか1か月ほどのち、同年7月に、ロシアのプチャーチン提督が長崎にやってきたのだ。
 黒船(蒸気汽缶の軍艦)の性能はロシアのほうが上回っていたかもしれない。


 日本はロシアにたいして、北方の国境決定という大きな課題があった。当時の阿部正弘政権は、ペリー提督は追い返したが、プチャーチンは長崎奉行に引き止めさせた。

 阿部正弘は、新興国のアメリカよりも、ロシアとの国境制定が最優先だと認識しており、最高のブレーンである川路聖謨(かわじ としあきら)、筒井正憲(つつい まさのり)などを長崎に送り、日露交渉に入らせた。つまり、ロシアの南下政策で、戦争になり、蝦夷(北方の島々と北海道)が奪われる危険があったからだ。

 長崎での交渉のテーブルで、ロシア側は当初、エトロフ島・クナシリ島およびカラフトはロシア系アイヌ人だと主張した。日本側は得撫島(ウルップ)まで、和人の支配地だという姿勢をとった。
 長崎での交渉は数回におよぶが、双方が妥協点を見いだせないまま、合意に達せず、先送りになった。

           * 

 当時は英仏とロシアとがクリミア戦争のさなかだった。千島列島が戦場になる様子を呈してきた。
 蝦夷の地が、うかうかすれば、英仏露の三つ巴で戦場になる可能性が大きく、緊急課題となっていた。
 阿部正弘は情報収取で、有能な人材を蝦夷の探索につぎ込んだ。徹底的に探索・調査を行った。さらに、幕府の若き優秀な人材を箱館奉行において、臨機応変に処せる態勢をとった。
 ペリーが再来しても、薪水給与令(しんすいきゅうよれい)天保の改革のとき、水野忠邦が発布したもの、それを条約文にすればよい、と阿部正弘は考えていた。現に、その通りに処させた。

 しかし、北方の蝦夷(北海道までも)が西洋諸国の戦場となり、日本が巻き込まれる恐れが多分にあった。まさに世界最強のイギリス艦隊が、ロシア艦を追って長崎に寄港してきたくらいだ。緊急の度合いが違っていた。

           *
 
 翌年、奇跡が起きたのだ。

 プチャーチン提督の乗ったディアナ―号が、再交渉のために箱館に現れた。そして、大坂。幕府は日露交渉は下田で行う、と回航をもとめた。
 英仏と戦争状態にあったロシアは、前回の長崎は4隻だったが、今回は最新鋭の軍艦・ディアナ―号(約2000トン)はわずか1隻であった。乗組員は、提督以下501人だった。嘉永7(1854)年10月14日に下田港に入港してきた


 日露交渉の第1回目会談は、同年11月3日だった。翌日の同年11月4日朝の8時過ぎだった。東海大地震が起きたのだ。マグニチュード8・4である。伊豆下田は大津波に襲われた。下田は壊滅状態だった。ロシア艦のディアナ―号の船体が大破したのだ。

 どこで戦艦を修理させるか。幕府はそれに苦慮した。阿部正弘は伊豆半島の戸田(へた)へ回航し、修理させることに決めた。
 このとき、攘夷派の水戸藩の徳川斉昭(なりあき)が、「神風が吹いたのだ、500人全員を皆殺しにしてしまえ」と幕閣に迫った。
「人道的に、そんなことができるわけがない」
 阿部正弘は老中首座の立場から、御三家といえども、斉昭の意見を却下したのだ。


 ディアナ―号は修理のために、11月26日に、伊豆下田から戸田へと曳航(えいこう)された。富士山からの烈風の吹き下ろしで、同艦は田子の浦(宮嶋海岸)の沖まで押し流された。そのうえ、嵐が静まらず、渦まく荒波のなかで、ディアナ―号が沈没してしまったのだ。

           *

 ディアナ―号の航海日誌によると、
『沈没だ、私たちは恐怖と絶望にかられて叫んだ、この目に信じられないことが起きた。早朝から千人もの日本の男女が押しかけてきていた。私たちがボートで脱出し、荒波の海岸に近づくと、日本人は綱に身体を結びつけて、ボートが潮の引く勢いで、沖に奪われないように、しっかり支えてくれたのだ。善良な、まことに善良な、博愛に満ちた民集よ。この善男男女に永遠に幸あれ』
 と記している。

 海難の説明のあと、さらに、こうつづく、
『五〇〇人もの異国の民を救った功績は、まさしく日本人諸氏のものである。あなた方のおかげで唯今、生き永らえている私たちは、1855年1月4日(露歴)の出来事を肝に銘じて忘れないであろう』
 と記す。

『(海水に濡れた)厳しい冬の寒さの下で、われわれを保護すべき、宿舎を早急に普請してくれた。さらに言及するならば、宮嶋村では地震と大津波で、破損されなかった家は一軒も残っていなかった。かれらの人間愛的な心労は、とうてい称賛し尽くしがたいものであった』

 老中首座の阿部正弘は、ロシア人全員を伊豆の戸田村に移動させたうえ、攘夷派の殺害(さつがい)が及ばないように、厳重な警戒と最大の保護のもとにおいたのである。

 ただ、ロシア人は母国に帰る道が閉ざされいる。英仏は戦時でロシア海軍を追撃している。ここは、かれら自身がロシアに迎え船を呼びにいく必要があった。当時の日本は鎖国で、外洋船を建造する能力がなかった。

 ロシア軍艦には、海戦の砲撃で船体破損が修理できるように、複数の造船技師が乗船している。ロシア側の造船技術と、日本側は大工、加治屋などの人手を出し、材料を提供し、50-60人の外洋船の建造を許可したのだ。

 その一方、伊豆下田では、安政元(1854)年11月13日から日露和親条約の交渉が再開された。プチャーチン提督は、条約の締結に先んじて、
「このたび幕府の行為、宮嶋海岸の日本人の人道的な取扱いにたいして、ことばがないほど、厚く感謝しています。以降の私の命があるかぎり、日本のために悪しきことはいたすまじ。樺太のことなども、すこしもご心配にあらず」
 と述べた。

 日露和親条約

 第1条 和親の項目である。

 第2条、いまより後、日本国とロシア国との境は、択捉島とウルップ島の間にあるべし。エトロフ島の全島は日本に属し、ウルップ全島、それより北のクリル諸島はロシアに属する。
 カラフト島に至りては、日本国とロシア国の間において、境界をわけず、これまでの仕来りの通りといたす。
 第3条、日本政府はロシア船のために、箱館、下田、長崎の三港を開く。

 以下、第9条まで、列記されている。その内容は日米和親条約とほぼ同じである。


 安政元年12月21日(1855年2月7日)に伊豆下田の長楽寺において、日本とロシア帝国の間で日露和親条約が締結された。
 それが「北方領土の日」2月7日である。

           *  

 政府広報・内閣府『北方領土の日 2月7日 あなたの関心が解決の後押しに。もう一度考えてみませんか』と言われても、誰にも、こうした歴史的事実が伝わってこない。

 国民の後押しを期待しているならば、沼津海岸の漁民が、真冬の海で、褌(ふんどし)一つで、荒波の海からロシア人を救出した。それも、大津波で村々が全壊していながら。徳川斉昭が500人のロシア海兵を殺せ、と言ったが、老中首座の阿部正弘は頑固として拒否した。

 このていどの日露和親条約の人道的な事実は、国民の基本知識として流すべきだろう。それをもって日本人の代表である日本国政府が本気で、日ロ交渉に向かいあっているといえる。

           * 

 ソ連軍が昭和20年8月、終戦後に侵攻してきた。

 私は北方領土に強い関心があり、根室や花咲港や釧路になんどか出かけて、カニの密漁船の取材をした。危険を承知で生きる漁師たちを取材し、小説「潮流」で描いた。
 平成16(2004)年に、北海道新聞・いさり火文学賞を受賞している。

 このたびの著作「安政維新」(阿部正弘の生涯)においても、第十六章「五百一人の遭難」で、克明に描いた。
 
 日露の間では、いまだ平和条約が結ばれていない。これは異常である。日米の黒船騒動や水戸藩からの尊王攘夷も結構だけれど、当時の歴史はそれだけではない。
 日露和親条約が人道的な対応で領土問題が解決をみた、日本人の外国人に対するやさしさと魂がそこにある。それをしっかり知るべきだと思う。


【関連情報】

「安政維新」(阿部正弘の生涯)(南々社)1600+税
 

のこぎりの魔術師・東京都公認ノブンアーティストの魅力

 令和2年1月の最初の3連休となった1月12日(日曜)に、北千住の東京労音・東部センター(地下)の演奏会に出かけてみた。

 大工道具のノコギリが楽器になる。のこぎりキング下田は、それを奏でて観客を魅了させてしまう。

 最初の曲は「月の沙漠」、ラクダに乗った王子と姫が舞台に現われたかのように、童話と一体になれた。
 
 19世紀半ばのアメリカ合衆国の歌曲・作曲家「フォスターのメロディー」は、日本人のこころにもひびく。

 東京労音の地下会場の『チュービート コンサートWithのこぎりキング下田in北千住Vol.6』は観客が満員で、みな聴き惚れていた。

 

「チューバ」の河合勝幸がリーダーである。

  岐阜県大垣市出身。日本大学芸術学部卒業後、東京ディズニーランド、デキシーキャッスルを経て2004年、薗田憲一とデキシーキングスに参加。

 2000年よりチューバを中心とした「The Tubeat」の活動を開始。コンサート、ライブ、テレビ、ラジオで活躍中である。

 クラリネットは田村麻紀子。主役となる美しいメロディーを奏でていた。

 田中愛子は、ピアノ演奏中に、時おり、親しみのあるえ顔をむけてくれる。


 のこぎりキング下田の曲目は「花は咲く」からはじまり、会場の皆といっしょに「ふるさと」が演奏される。

 「ディズニーメドレー」、ファンが待ち構える「ゲゲゲの鬼太郎」のラストの鉦は定番だが、可笑しみたっぷり。

 軽妙な「聖者の行進」には、聴き手もからだがごく自然に揺れる。「なんとなく何となく」と演じられる。
 

 ソロで歌う田村麻紀子は、早稲田大学卒業である。

 のこぎりキング下田は、早稲田大の応援団出身だから、後輩である。

 ドラマーの水谷康彦は、楽しげに両手両足でドラムを奏でていた。

 

 ギターは大沢岳生で、しばし楽譜の後ろで、顔の表情は捉えられず。それでも、物静かに弾いていた。


 東日本大震災(2011年3月11日)で、大津波で命を失った福島県いわき市の鈴木姫花(ひめか)さん(当時10歳、豊間小4年)の描いた灯台の絵がハンカチになったのです。

 少女は将来の夢がデザイナーでした。塩屋埼灯台(いわき市)を描いた絵が、2009年度の「灯台絵画コンクール」(燈光会主催)で見事入選しました。

 

「鈴木姫花さんのハンカチ」の由来を説明するのこぎりキング下田。

 2012年11月、姫花さんの絵を京都のデザイナーに託し、ハンカチにしてもらったそうです。姫花さんの両親が「お世話になった人たちへの感謝の気持ちに」と自費で約1000枚を作成し、塩屋埼灯台のふもとの土産店(山六観光)で販売されています。その売り上げがいわき市に寄付されているのです。

「亡き少女の稼いだお金が、浄財となっています」と下田は紹介する。

・【関連情報】「ゲゲゲの鬼太郎」は、こちらをクリックしてください。

【良書・推薦】 グローバル企業のビジネスモデルをつかむ英文決算書の読み方=大山誠

 タイトルからして、もう関係ないや、とおもう人は多いだろう。
 歴史作家と呼ばれことが多い私が、なんで、英語決算書を推薦するの、と疑問におもうだろう。

 いや、面白かった。英語を無視して、日本語だけで、まず読んでみた。ふだんアマゾン、アップル、フェイスブック、ツィターということばが日常的に耳に入ってくる。お世話にもなっている。
 いったい、どれほどの規模かとなると、私たち庶民には天文学的な10兆円、20兆円という、とてつもない数字が飛び込んでくる。私自身は、解ろうとしない。頭から拒絶していた。

              *

 目次から、第6章「フェイスブック、ツィターはどこで利益をあげているか」という点に目がとまった。
 著者の大山氏が英文決算書を日本語に翻訳してくれているが、それすらも無視して、のぞき趣味で、日本語の文章だけを読んてみた。

 2018年の世界の総広告費に占める、デジタル広告費が38.5%となり、テレビ広告35.4%を上回った、と記す。
「どうりで、最近のテレビは本番のなかみよりも、挿(はさ)まれるコマーシャルの数がやたら多い。これこそ、テレビ業界が広告クライアントに迎合しているからだ。やはり、衰退傾向だったのか」と私には理解できた。
 
 フェイスブックはヨーロッパアメリカ、アジアで、ユーザー数から将来有望である、ツィターはユーザー数の増加に不安がある、と導びかれていく。

 この間、著者が売上伸び率とか、収益率とか、財務諸表をひも解いているから、すべて任せ切ってしまえばよい。日本語の解説だけでも、物語のように、十二分に興味津々で読める。

 著者が強調したい点は、全ページにわたり、日本語で青いマーカーが引かれている。この青字だけでも、グローバル企業の経営体質がわかるし、読者は楽しめる。

           *  

 第6章が面白かったので、さかのぼって、第2章「アップルはこの先も変わらず発展していくのか」というページをめくった。
 業績の確認などは、著者に任せてしまえ。26兆円などという数字は無視してすすむ。損益計算書も日本語訳が並列してくれている作者の親切心は感じとれるが、それも無視する。
 すると、すらすら読めるのだ。
 アップルの粗利益率は38.3%で、日本の大企業21%よりも、はるかに上まわっている。
「これは自社に有利な価格設定ができる製品を持っているからだ」。消費者は高くても買う、製品とブランドに価値を見いだしている。
 このように、著者は明確に定義づけてくれる。なるほどな。

           *

 第4章「アマゾンの今後の成長を期待させる要素は何か」という項目にも、興味があり、開いてみる。なにしろ、私はアマゾンの利用率が多い。早くて、安くて、便利だ。日本企業を贔屓(ひいき)したくても、海外企業のアマゾンに軍配を挙げてしまう。

 アマゾンの業績の経営分析などは、公認会計士の著者に任せ切ってしまう。

「驚くことに、成長の止まった商品・サービスは1つもありません」と青いマーカーが引かれている。図表の折れ線グラフは、いずれも極端な右上がりだ。そこはちらっと素通りする。

「アマゾンのどの事業も、規模が大きくなるほど、利益が大きくなる。アマゾンの次の一手はなにか。企業買収をみると、幅広く手を打っている、と気が付きます。
 アマゾンが力を入れると宣言していた、音声認識技術の導入で、新しい商品・サービスがうまれる可能性があります」
 と著者の大山氏は将来を予測する。

            *

 この調子で、私が身近に感じる世界的なグローバル企業をのぞいていく。ずいぶん、知識が得られた気分になる。
 英語が生理的に嫌いな人でも、日本語だけでも、同書から十二分に世界を制覇するグローバル企業とはいかなるものか、と知り得るだろう。

 著者は、英文決算書の入手の仕方も書かれている。インターネットで、かんたんに入手できる、と記す。
 私なりにおもうのは、最近は英文もグーグル翻訳で一瞬にして日本語にできる。文書の「てにほは」の違いなど、気にしなければ、大意はつかめる。
 

 余談だが、「安政維新」(阿部正弘の生涯)の執筆において、海外文献・当時の英字新聞などをネットで引っ張ってきて、グーグル翻訳などをおこなって利用していた。
 というのも、明治時代から日本の歴史学者や政治家が、歴史をねつ造している。真にうけて引用すると、歴史的事実とちがう記載が多くなるからだ。


 刑事がつかう「裏を取る」という作業だった。海外から江戸時代・幕末の日本をみると、「まあ、よくも、こんなに嘘を教科書で教えたものだ」とあきれるほどだった。

 海外を知れば、日本がしっかり見えてくる。大学入試に、スマホ利用が認められると、英文和訳、仏文和訳など全員が100点だろう。そういう時代にきたのだ。もはや、英語アレルギーになる必要はない。

           * 

 私たちは衣食住の消費の購入・通信の授受、諸々と世界企業のお世話になっている。日立、ソニーなど日本企業だけでなく、世界を制覇したグローバル企業の現況を知りおく必要がある。
「ビジネスモデルをつかむ英文決算書の読み方」というタイトルは厳めしいが、日本語、それも青いマーカーの拾い読みだけでも、アマゾン、アップル、フェイスブック、ツィターなど、世界の大企業の方向性をつかむことができる。

 これらの企業の製品を利用している人には、お勧めです。むろん、若きビジネスマンは読むべきです。周囲の人たちにちょっとした話題づくりにもなります。 
 

【関連情報】

書籍 : グローバル企業のビジネスモデルをつかむ英文決算書の読み方

作者 : 大山誠 (東京大学経済学部卒・公認会計士)

出版社 : ソシム㈱

定価 : 1800円+税

四季を失う日本、異常気象は私たちが作っている

 この日本列島はなにか変だ。このところの異常な災害から、多くの人が本能的に感じているだろう。「人間はいつまでも、この地球に住み続けられない生物でないか」という危惧がある。いたずらに恐怖心をあおることは、よくないとは思うが、誰もが潜在意識として、心の奥底にあるかと思う。

 日本列島にすむ純粋な日本人は、まちがいなく減っている。一方で、世界規模では人間はやみくもに増えている。現在の77億人から2050年の97億人へ、と。この矛盾は何か。

 私は近所の一級河川「中川」を歩きながら、なぜ、こうも河岸の大樹が切られていくのか、と嘆くことが多い。『枯れ葉が住居の敷地内に飛んでくる』と、住民・個人が役所に苦情をむける。それに対して、「異議申し立てがない場合は、期限を定めて伐ります」、と伐採予告の張り紙がだされる。一本、また一本と伐られていく。

「枯れ葉くらいだ、すこし我慢できないのかな」
 住民エゴだとわかっていても、役所はうるさい苦情から逃げたくて伐ってしまう。樹木は空気をきれいにする炭酸同化作用で、とても重要な存在だ。苦情を言う人間も、伐ってしまう役所も、その認識が欠如しているからだろう。

 わが国の高学歴化は、偉そうぶって、物申す人間(クレーマー)を多く作りだした。「和」の精神は激減し、「おたがいさま」という言葉すら死語に近くなった。
 一人っ子が泣いて帰れば、学校に校長を出せ、と親は怒鳴りこむ。スーパーでは、人間のやることに手落ちがあるのに、髪の毛一つにも、鬼の首をとったように激怒する。賞味期間は腐る日ではないのに、1日過ぎたといい、人体被害のごとく、メチャメチャ文句をいう。
 
 落ち葉はたしかに迷惑だろう。けれど、苦情を言うあなたは、自分が生きていることが、どれだけ炭酸ガスを放出していることか、と考えたことがある、と問いたい。

 24時間にわたる吐く息そのものが、炭酸ガスを出している。日常のガスコンロの炎、電気器具や照明でつかうエネルギー、乗り回す自動車の排気、冷暖房の排出エネルギーは、みな地球を汚しているのだ。
 それら炭酸ガスを綺麗にしてくれるのが、樹木だ。落ち葉には文句をいうが、自分が汚す空気には無頓着で、批判をむけない。認識の欠如、他人事かもしれない。

 東京23区には、「ゲリラ豪雨」の発生が増している。23区内の人間が出す炭酸ガス、それにたいする樹木の数が不足しているのが主要な原因の一つだろう。大都会の東京の炭酸ガスが、中部日本の山岳地帯の樹林で、浄化できず、間に合わず、「ゲリラ豪雨」の発生となっている。
 それなのに、大樹は伐って切りまくれば、大気はいっそう異常な現象になる。

               *

 アマゾンの森林が大量に伐採されている。ブラジル人に物申す、という類のものではない。森林は激減し、地球の人口は増えている。この矛盾は何をもたらすのだろうか。地球は砂漠化し、高温・高熱の地表となり、民族の分布図がごく自然に変わってくるだろう。


 太平洋の海水温が2度高くなり、巨大な台風が発生する。ことし(2019年)は台風15号、19号という超大型の台風が関東地方を襲った。江戸川、葛飾区では風速47メートルだった。千葉では家屋の屋根が壊れた。
 私のすまいの近くでも、中高層マンション13階の最上階でガラス窓が割れて、破片が路上に散乱していた。

 海水温が4度も高くなれば、発生した台風の最大瞬間風速が70-80メートルになるだろう。(一度上がるたびに、エネルギーは10の14乗ふえるという)。一級建築士に聞けば、こうした風圧に耐えるには、いまの窓ガラスの厚さを3倍にしないと割れるだろう、という。

 中高層マンションの割れたガラスから、烈風が部屋を通り抜け、家族がさらわれて空中に投げ出される。こんな光景は数年後には現実になるかもしれない。

 2010年を境にして、日本列島から日本人の数が減少している。核家族化、さらに晩期結婚、結婚率の低下、少子化などが加速化している。さまざまな理由が挙げられている。所得、保育所、住居、それは一見して正しくもあり、違っているかもしれない。
 150年前、江戸時代は長屋で一間で10人が暮らしていた。100年前、農業地は大家族制で、祖父母からひ孫までが一軒屋で暮らしていた。そう考えると、科学や理屈で解き明かせない、なにか特殊な要因が潜在していると思う。

 人間は環境に順応して生きている。気候の変化が大きく左右する。

 日本人は春夏秋冬の列島になじむ民族である。地球温暖化から、日本は亜熱帯化している。4シーズ(春夏秋冬)が薄らぐことで、日本民族は、亜熱帯に適合性がなくなったのかもしれない。

 私は小学生のころ、米作といえば九州・四国・近畿が中心だった。少なくとも、北海道は寒冷地で、米作に不向きだと学んできた。やがて、東北・仙台産のササニシキが一世を風靡(ふうび)し、現代では北海道産のお米が美味しいとされている。

 サンゴ礁が沖縄から日本列島の九州へと北上している。動植物が温暖化で、北上している。亜熱帯化してきている。季節外れの花が咲く。シカやイノシシが異常繁殖し、膨大な数になり、農作物を食い荒らす。
 
 亜熱帯性の気象・季節に、日本人が順応できず、科学では解明できないが、ごく自然に人口減、少子化になってきている。それは動物特有の本能かもしれない。
 国境という概念を無視すれば、いまでは北上した、アリューシャン列島あたりの環境に順応できる民族かもしれない。
 
 かたや日本列島にはフィリッピン、タイ、ベトナム、インドネシアなど亜熱帯の人たちが、北上してきている。かれらは日本の亜熱帯現象が進むほどに、順応しやすい民族かもしれない。

 実証的にみれば、東京・23区が真っ先に亜熱帯化している。土、日曜日の23区の街なか、山手線などの電車はアジア系のひとが目立つ。さらに、外食レストラン、コンビニ、サービス業で働くのは大半がアジア・アフリカの若者たちだ。

 日本は有史以前、大陸からきた民族が和人と同化し、日本人が生まれた。やがて約二千年前から近年においてアイヌ民族、琉球民族と同化しながら、いまの日本人民族となった。
 しかし、2010年をピークとなり、確実に純日本人の人口が減少している。

 20~30歳代の若き年代層は、他民族の青年、新たな混血民族が多くなるだろう。
  
 スポーツ界では、もはや混血日本民族がめざましく活躍をはじめている。今後、政治・経済・文化でも、活躍する混血日本人の人材が増えてくるだろう。
 
 アジア・アフリカ民族の若者が、肉体的労働から必然的に知的産業に移っていくだろう。かれらが日本国の労働を支える存在になる。かれらに自治権(選挙権)はどう与えるのか。

 外国からやってきた労働者が、日本の高年齢者の年金を支える、という比率が高くなるだろう。それら外国人、混血日本人たちがやがて受給者年齢になれば、どのように支払うのか。かれらが外国に帰っても、年金を払う必要がある。
 それは法の下の公平であり、頬かぶりとはいかないだろう。

 こうした問題にも、真摯に向き合う必要がある。

 日本は多国籍国家になっている。この国で外国人とともに生きる。それには「住民エゴ」、「クレーマー」、個人情報に名を借りた「秘密主義」、「民族主義」などは取り除いた、むかしからの「和」の日本社会を取り戻す必要がある。
 
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 中川の川べりで、死んだ大きな鯉をみた。物言えぬ鯉は死に逝く。川の水は腐ってきている。樹木、森林、川は一対である。

 四季のメリハリがある日本を失わず、災害の巨大化を防ぐにはどうするべきか。私は自分に結論を求めてみた。

 環境の健全化は大樹を伐っても、芝生やサツキを植えれば、緑化率は同じだという。それは緑化率であって、炭酸同化率ではない。それは貧弱な考え方だ。
 
 樹木は人間のいのちの共有財産である。それがたとえ私有地、公共の土地でも、人間の命にかかわる重要な存在だ。樹木を育てるには、数10年かかるのだから。
 日本国領土は国民のものだ(憲法)。古(いにしえ)から続いた私有財産だからといい、好き勝手に土地をつかう、樹木は伐採する。そうした利己的、私有財産制が通用しない時代になってきている。

 私たちは自分が排出する炭酸ガスに見合った、樹木を植えて育てて守る。東京ならば、一千万都民が、一千万本の樹を。都民税を使っても、ひとり「一本の樹木」の配布から始まる。
 
 親子四人家族ならば、四本の樹を植える。私有財産制の法から外れるだろうが、日本国領土の意識から、樹木を育てる土地提供も必要不可欠だろう。
 そこまで地球は深刻化してきている、と思う。

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巨大な台風19号が首都圏を直撃。東京はなぜ安全だったのか

 日本は災害列島だ。台風、大地震、大津波、落雷、洪水、豪雨。私たちはあらゆる自然災害に対応しなければならない。

 首都の東京は、国内外の頭脳が集中している。災害でおおきな打撃を被れば、日本が半身髄になってしまう。一千万人が住む都市を守ることは、並大抵ではない。行政だけでなく、都民も一帯になる必要がある。
 台風19号は超大型だった。多摩川の一部決壊があったにしても、よくぞ、東京を守り抜いた。これは成功だったとおもう。

 こんかいの台風19号の進路は北上しながらも、東京を直撃する予報だった。衛星の画像では、台風の目がくっきりしている。巨大な台風の直撃で、東京の被害はいかほどになるのか。だれもが危機感をもっていた。
 これに対処して航空機、鉄道、地下鉄、バスなどすべての交通機関が止まった。都民には外出をやめさせる呼びかけがくり返された。これはオフィスも、商店も、すべて企業活動の停止を意味した。戦時統制下でもなく、これが徹底されたのだ。
 この成功事例から学ぶ必要がある。

 1986年11月、東京都の伊豆大島にそびえる三原山が大爆発し、約一万人の島民および観光客が一日で、全員が海上脱出した。「お上の指示に従う」。日本人の統率は世界中を驚かせたものだ。その驚愕は、火山の爆発の規模でなく、全員が個を捨てて、行政の指示に従う。それが信じがたかったのだ。

 こんかいは一千万人の都民が安全優先で、交通・生活面の全面停止にたいして素直にしたがった。大規模なものだった。
 これは民間人だけの判断とは思えない。行政が危機管理から、どのように関わったのか。その仕組みはいかなるものか、私たちは知りたいものだ。

          ☆

 体験的に検証すれば、テレビ・ニュースにおいて河川の危険情報を流す一方で、
「少しでも命が助かる可能性の行動をしてください」と切迫感を与えつづけた。
 この文言はだれが考えたのか、実に巧いな、と感心させられた。

「非常に危険です。命を守る行動をしてください」
 サスペンス小説で、危機感をあおる手法とおなじだ。まさに危機一髪の状況下で、命をいかに守り抜くか、という表現にちかい。人間はわが身の可愛さから行動に移す。

 避難所では、小学生や赤子を連れた若い夫婦が実に多かった。それはわが子を守る親の行動だった。
「非常に危険です。命が助かる行動をしてください」
 荒川、中川、江戸川がもし決壊すれば、大惨事になるだろう。ハザードマップが意識のなかにあった。都民の一人ひとり、一千万人が外出をひかえた。路上を走る乗用車も皆無に近かった。この事実は大きい。
 古来から「お上に従う」は日本人の特徴だが、こんかいはメディアの警告に従っていた。
 避難所にいった都民の数は多い。登山リュックを背負った青年たちの姿があった。素直だな、とおもった。自宅にいた人は、知るかぎりでは戸建てのひとは二階以上、マンションでは上層階に避難していた。

           ☆

 ここ2日間の災害報道は、被災地が中心である。レポーターが現地に入り、報じることも大切だが、東京の成功事例の検証も重要だ。
 東京都知事、各区長、企業のトップ判断など、どのような流れと合議で指示が展開されたのか。かたや、大勢の外国人は、どのように情報を得て、どのように行動したのか。
 これらを伝えることは、将来の首都防災から、有益な情報提供になる。
  
 悲惨だった安政大地震、大正関東大地震の流れからしても、東京は決して安心できる強固な地盤ではない。むしろ、大地震がいつ来てもおかしくない。
 大地震の場合は、建物の倒壊、大火災、大津波という三重の災害が同時に多発する。東京都民は、どのように首都を守るか。「備えあれば、憂いなし」という。

 こんかいの台風からシミュレーションをしてみると、正確な情報が一人ひとりにとどいていたことで、落ち着いた行動につながった。避難所では、それぞれ家族単位で『NHKニュース防災』アプリを静かにみている。
 19号が超大型のまま東京都の真上までやってきた。江戸川・都心部が瞬間風速が47メートルだった。暴風雨がおそろしく窓ガラスをたたきつける。その時だった。突如として、地震が発生した。巨大な建物がおおきく揺れた。一瞬、べつの恐怖が加わり、大勢の顔色が変わった。

 数分後、震源地は千葉で、東京は震度3だとわかった。途端に、みなが暴風雨だけの関心にもどり、冷静な表情になった。信じられる情報があれば、大勢の人間が沈着冷静になれる証しだった。この教訓は大きい。
 
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 関東北部の山間に河川では、上流のダムからの放水情報が流されつづけた。メディアは河川の水量を、毛細血管のようにマップで色塗りして、氾濫の危険性を報じていた。それは過去にない情報提供だった。
 この視覚で伝える技術がさらに進めば、関東大地震級の災害には有益だろう。

 こんかいの巨大な台風において、首都・東京の防災面の進化がいかにあるべきか、という方向性がみえてきた。予測可能な正確な情報提供が、一千万都民をパニックにさせず、大勢の人命をより安全に守る結果につながる、と。
 
 IT時代である。ノーベル化学賞の受賞者は、スマホの普及に寄与した。私たちは道案内にもGPSに使いなれてきた。このスマホが防災面で必要不可欠な存在になった。
 

 大地震が発生したときに、すぐさま退路をふさぐ火災、橋の崩落、道路の地割れなどが、上空からの衛星、ドローン、ヘリなどによる、危険な個所がマップで見られたならば、人々は避難していく安全な方向が判るだろう。夜間でも、それが示される技術があれば、より安全な落ち着いた避難行動につながっていく。

 
 情報提供の精度という技術向上では、IT関係者の開発力にゆだねる面が強い。それには行政の研究資金の支援も欠かせない。
 情報をうけとる側の私たちは、老若男女を問わず、開発された「災害アプリ」をかんたんに使いこなせる努力が必要である。高齢者には、災害ボランティアの一貫という位置づけで根気よく教える。
 三位一体で情報精度の向上をはかる。東京のみならず、一億人の災害列島にすむ日本人・外国人、すべてにおいて有意義なものになる。