ジャーナリスト

四季を失う日本、異常気象は私たちが作っている

 この日本列島はなにか変だ。このところの異常な災害から、多くの人が本能的に感じているだろう。「人間はいつまでも、この地球に住み続けられない生物でないか」という危惧がある。いたずらに恐怖心をあおることは、よくないとは思うが、誰もが潜在意識として、心の奥底にあるかと思う。

 日本列島にすむ純粋な日本人は、まちがいなく減っている。一方で、世界規模では人間はやみくもに増えている。現在の77億人から2050年の97億人へ、と。この矛盾は何か。

 私は近所の一級河川「中川」を歩きながら、なぜ、こうも河岸の大樹が切られていくのか、と嘆くことが多い。『枯れ葉が住居の敷地内に飛んでくる』と、住民・個人が役所に苦情をむける。それに対して、「異議申し立てがない場合は、期限を定めて伐ります」、と伐採予告の張り紙がだされる。一本、また一本と伐られていく。

「枯れ葉くらいだ、すこし我慢できないのかな」
 住民エゴだとわかっていても、役所はうるさい苦情から逃げたくて伐ってしまう。樹木は空気をきれいにする炭酸同化作用で、とても重要な存在だ。苦情を言う人間も、伐ってしまう役所も、その認識が欠如しているからだろう。

 わが国の高学歴化は、偉そうぶって、物申す人間(クレーマー)を多く作りだした。「和」の精神は激減し、「おたがいさま」という言葉すら死語に近くなった。
 一人っ子が泣いて帰れば、学校に校長を出せ、と親は怒鳴りこむ。スーパーでは、人間のやることに手落ちがあるのに、髪の毛一つにも、鬼の首をとったように激怒する。賞味期間は腐る日ではないのに、1日過ぎたといい、人体被害のごとく、メチャメチャ文句をいう。
 
 落ち葉はたしかに迷惑だろう。けれど、苦情を言うあなたは、自分が生きていることが、どれだけ炭酸ガスを放出していることか、と考えたことがある、と問いたい。

 24時間にわたる吐く息そのものが、炭酸ガスを出している。日常のガスコンロの炎、電気器具や照明でつかうエネルギー、乗り回す自動車の排気、冷暖房の排出エネルギーは、みな地球を汚しているのだ。
 それら炭酸ガスを綺麗にしてくれるのが、樹木だ。落ち葉には文句をいうが、自分が汚す空気には無頓着で、批判をむけない。認識の欠如、他人事かもしれない。

 東京23区には、「ゲリラ豪雨」の発生が増している。23区内の人間が出す炭酸ガス、それにたいする樹木の数が不足しているのが主要な原因の一つだろう。大都会の東京の炭酸ガスが、中部日本の山岳地帯の樹林で、浄化できず、間に合わず、「ゲリラ豪雨」の発生となっている。
 それなのに、大樹は伐って切りまくれば、大気はいっそう異常な現象になる。

               *

 アマゾンの森林が大量に伐採されている。ブラジル人に物申す、という類のものではない。森林は激減し、地球の人口は増えている。この矛盾は何をもたらすのだろうか。地球は砂漠化し、高温・高熱の地表となり、民族の分布図がごく自然に変わってくるだろう。


 太平洋の海水温が2度高くなり、巨大な台風が発生する。ことし(2019年)は台風15号、19号という超大型の台風が関東地方を襲った。江戸川、葛飾区では風速47メートルだった。千葉では家屋の屋根が壊れた。
 私のすまいの近くでも、中高層マンション13階の最上階でガラス窓が割れて、破片が路上に散乱していた。

 海水温が4度も高くなれば、発生した台風の最大瞬間風速が70-80メートルになるだろう。(一度上がるたびに、エネルギーは10の14乗ふえるという)。一級建築士に聞けば、こうした風圧に耐えるには、いまの窓ガラスの厚さを3倍にしないと割れるだろう、という。

 中高層マンションの割れたガラスから、烈風が部屋を通り抜け、家族がさらわれて空中に投げ出される。こんな光景は数年後には現実になるかもしれない。

 2010年を境にして、日本列島から日本人の数が減少している。核家族化、さらに晩期結婚、結婚率の低下、少子化などが加速化している。さまざまな理由が挙げられている。所得、保育所、住居、それは一見して正しくもあり、違っているかもしれない。
 150年前、江戸時代は長屋で一間で10人が暮らしていた。100年前、農業地は大家族制で、祖父母からひ孫までが一軒屋で暮らしていた。そう考えると、科学や理屈で解き明かせない、なにか特殊な要因が潜在していると思う。

 人間は環境に順応して生きている。気候の変化が大きく左右する。

 日本人は春夏秋冬の列島になじむ民族である。地球温暖化から、日本は亜熱帯化している。4シーズ(春夏秋冬)が薄らぐことで、日本民族は、亜熱帯に適合性がなくなったのかもしれない。

 私は小学生のころ、米作といえば九州・四国・近畿が中心だった。少なくとも、北海道は寒冷地で、米作に不向きだと学んできた。やがて、東北・仙台産のササニシキが一世を風靡(ふうび)し、現代では北海道産のお米が美味しいとされている。

 サンゴ礁が沖縄から日本列島の九州へと北上している。動植物が温暖化で、北上している。亜熱帯化してきている。季節外れの花が咲く。シカやイノシシが異常繁殖し、膨大な数になり、農作物を食い荒らす。
 
 亜熱帯性の気象・季節に、日本人が順応できず、科学では解明できないが、ごく自然に人口減、少子化になってきている。それは動物特有の本能かもしれない。
 国境という概念を無視すれば、いまでは北上した、アリューシャン列島あたりの環境に順応できる民族かもしれない。
 
 かたや日本列島にはフィリッピン、タイ、ベトナム、インドネシアなど亜熱帯の人たちが、北上してきている。かれらは日本の亜熱帯現象が進むほどに、順応しやすい民族かもしれない。

 実証的にみれば、東京・23区が真っ先に亜熱帯化している。土、日曜日の23区の街なか、山手線などの電車はアジア系のひとが目立つ。さらに、外食レストラン、コンビニ、サービス業で働くのは大半がアジア・アフリカの若者たちだ。

 日本は有史以前、大陸からきた民族が和人と同化し、日本人が生まれた。やがて約二千年前から近年においてアイヌ民族、琉球民族と同化しながら、いまの日本人民族となった。
 しかし、2010年をピークとなり、確実に純日本人の人口が減少している。

 20~30歳代の若き年代層は、他民族の青年、新たな混血民族が多くなるだろう。
  
 スポーツ界では、もはや混血日本民族がめざましく活躍をはじめている。今後、政治・経済・文化でも、活躍する混血日本人の人材が増えてくるだろう。
 
 アジア・アフリカ民族の若者が、肉体的労働から必然的に知的産業に移っていくだろう。かれらが日本国の労働を支える存在になる。かれらに自治権(選挙権)はどう与えるのか。

 外国からやってきた労働者が、日本の高年齢者の年金を支える、という比率が高くなるだろう。それら外国人、混血日本人たちがやがて受給者年齢になれば、どのように支払うのか。かれらが外国に帰っても、年金を払う必要がある。
 それは法の下の公平であり、頬かぶりとはいかないだろう。

 こうした問題にも、真摯に向き合う必要がある。

 日本は多国籍国家になっている。この国で外国人とともに生きる。それには「住民エゴ」、「クレーマー」、個人情報に名を借りた「秘密主義」、「民族主義」などは取り除いた、むかしからの「和」の日本社会を取り戻す必要がある。
 
           *

 中川の川べりで、死んだ大きな鯉をみた。物言えぬ鯉は死に逝く。川の水は腐ってきている。樹木、森林、川は一対である。

 四季のメリハリがある日本を失わず、災害の巨大化を防ぐにはどうするべきか。私は自分に結論を求めてみた。

 環境の健全化は大樹を伐っても、芝生やサツキを植えれば、緑化率は同じだという。それは緑化率であって、炭酸同化率ではない。それは貧弱な考え方だ。
 
 樹木は人間のいのちの共有財産である。それがたとえ私有地、公共の土地でも、人間の命にかかわる重要な存在だ。樹木を育てるには、数10年かかるのだから。
 日本国領土は国民のものだ(憲法)。古(いにしえ)から続いた私有財産だからといい、好き勝手に土地をつかう、樹木は伐採する。そうした利己的、私有財産制が通用しない時代になってきている。

 私たちは自分が排出する炭酸ガスに見合った、樹木を植えて育てて守る。東京ならば、一千万都民が、一千万本の樹を。都民税を使っても、ひとり「一本の樹木」の配布から始まる。
 
 親子四人家族ならば、四本の樹を植える。私有財産制の法から外れるだろうが、日本国領土の意識から、樹木を育てる土地提供も必要不可欠だろう。
 そこまで地球は深刻化してきている、と思う。

巨大な台風19号が首都圏を直撃。東京はなぜ安全だったのか

 日本は災害列島だ。台風、大地震、大津波、落雷、洪水、豪雨。私たちはあらゆる自然災害に対応しなければならない。

 首都の東京は、国内外の頭脳が集中している。災害でおおきな打撃を被れば、日本が半身髄になってしまう。一千万人が住む都市を守ることは、並大抵ではない。行政だけでなく、都民も一帯になる必要がある。
 台風19号は超大型だった。多摩川の一部決壊があったにしても、よくぞ、東京を守り抜いた。これは成功だったとおもう。

 こんかいの台風19号の進路は北上しながらも、東京を直撃する予報だった。衛星の画像では、台風の目がくっきりしている。巨大な台風の直撃で、東京の被害はいかほどになるのか。だれもが危機感をもっていた。
 これに対処して航空機、鉄道、地下鉄、バスなどすべての交通機関が止まった。都民には外出をやめさせる呼びかけがくり返された。これはオフィスも、商店も、すべて企業活動の停止を意味した。戦時統制下でもなく、これが徹底されたのだ。
 この成功事例から学ぶ必要がある。

 1986年11月、東京都の伊豆大島にそびえる三原山が大爆発し、約一万人の島民および観光客が一日で、全員が海上脱出した。「お上の指示に従う」。日本人の統率は世界中を驚かせたものだ。その驚愕は、火山の爆発の規模でなく、全員が個を捨てて、行政の指示に従う。それが信じがたかったのだ。

 こんかいは一千万人の都民が安全優先で、交通・生活面の全面停止にたいして素直にしたがった。大規模なものだった。
 これは民間人だけの判断とは思えない。行政が危機管理から、どのように関わったのか。その仕組みはいかなるものか、私たちは知りたいものだ。

          ☆

 体験的に検証すれば、テレビ・ニュースにおいて河川の危険情報を流す一方で、
「少しでも命が助かる可能性の行動をしてください」と切迫感を与えつづけた。
 この文言はだれが考えたのか、実に巧いな、と感心させられた。

「非常に危険です。命を守る行動をしてください」
 サスペンス小説で、危機感をあおる手法とおなじだ。まさに危機一髪の状況下で、命をいかに守り抜くか、という表現にちかい。人間はわが身の可愛さから行動に移す。

 避難所では、小学生や赤子を連れた若い夫婦が実に多かった。それはわが子を守る親の行動だった。
「非常に危険です。命が助かる行動をしてください」
 荒川、中川、江戸川がもし決壊すれば、大惨事になるだろう。ハザードマップが意識のなかにあった。都民の一人ひとり、一千万人が外出をひかえた。路上を走る乗用車も皆無に近かった。この事実は大きい。
 古来から「お上に従う」は日本人の特徴だが、こんかいはメディアの警告に従っていた。
 避難所にいった都民の数は多い。登山リュックを背負った青年たちの姿があった。素直だな、とおもった。自宅にいた人は、知るかぎりでは戸建てのひとは二階以上、マンションでは上層階に避難していた。

           ☆

 ここ2日間の災害報道は、被災地が中心である。レポーターが現地に入り、報じることも大切だが、東京の成功事例の検証も重要だ。
 東京都知事、各区長、企業のトップ判断など、どのような流れと合議で指示が展開されたのか。かたや、大勢の外国人は、どのように情報を得て、どのように行動したのか。
 これらを伝えることは、将来の首都防災から、有益な情報提供になる。
  
 悲惨だった安政大地震、大正関東大地震の流れからしても、東京は決して安心できる強固な地盤ではない。むしろ、大地震がいつ来てもおかしくない。
 大地震の場合は、建物の倒壊、大火災、大津波という三重の災害が同時に多発する。東京都民は、どのように首都を守るか。「備えあれば、憂いなし」という。

 こんかいの台風からシミュレーションをしてみると、正確な情報が一人ひとりにとどいていたことで、落ち着いた行動につながった。避難所では、それぞれ家族単位で『NHKニュース防災』アプリを静かにみている。
 19号が超大型のまま東京都の真上までやってきた。江戸川・都心部が瞬間風速が47メートルだった。暴風雨がおそろしく窓ガラスをたたきつける。その時だった。突如として、地震が発生した。巨大な建物がおおきく揺れた。一瞬、べつの恐怖が加わり、大勢の顔色が変わった。

 数分後、震源地は千葉で、東京は震度3だとわかった。途端に、みなが暴風雨だけの関心にもどり、冷静な表情になった。信じられる情報があれば、大勢の人間が沈着冷静になれる証しだった。この教訓は大きい。
 
              *

 関東北部の山間に河川では、上流のダムからの放水情報が流されつづけた。メディアは河川の水量を、毛細血管のようにマップで色塗りして、氾濫の危険性を報じていた。それは過去にない情報提供だった。
 この視覚で伝える技術がさらに進めば、関東大地震級の災害には有益だろう。

 こんかいの巨大な台風において、首都・東京の防災面の進化がいかにあるべきか、という方向性がみえてきた。予測可能な正確な情報提供が、一千万都民をパニックにさせず、大勢の人命をより安全に守る結果につながる、と。
 
 IT時代である。ノーベル化学賞の受賞者は、スマホの普及に寄与した。私たちは道案内にもGPSに使いなれてきた。このスマホが防災面で必要不可欠な存在になった。
 

 大地震が発生したときに、すぐさま退路をふさぐ火災、橋の崩落、道路の地割れなどが、上空からの衛星、ドローン、ヘリなどによる、危険な個所がマップで見られたならば、人々は避難していく安全な方向が判るだろう。夜間でも、それが示される技術があれば、より安全な落ち着いた避難行動につながっていく。

 
 情報提供の精度という技術向上では、IT関係者の開発力にゆだねる面が強い。それには行政の研究資金の支援も欠かせない。
 情報をうけとる側の私たちは、老若男女を問わず、開発された「災害アプリ」をかんたんに使いこなせる努力が必要である。高齢者には、災害ボランティアの一貫という位置づけで根気よく教える。
 三位一体で情報精度の向上をはかる。東京のみならず、一億人の災害列島にすむ日本人・外国人、すべてにおいて有意義なものになる。
 
 
 

「殿様、安芸の西国街道をゆく」、講演会(穂高健一 対談 粟河瑞穂)=10月6日(広島市)

【大名行列】

主催 広島市、海田町

共催 船越公民館

「浅野氏広島城入城400年記念事業」として、船越公民館、海田公民館、熊野神社で行われるイベントです。

殿様、安芸の西国街道をゆく

大名行列に扮した一行が西国街道を練り歩きます。


日時 令和元年10月6日(日曜) 12時~13時

オープニング 広島市船越公民館

船越町女性会民踊部による踊りあり

大名行列ルート 船越公民館 ~ 西国街道(旧) ~ 熊野神社(終点)

距離・時間 約1.3キロ 約60分 小雨決行

 大名行列 浅野家初代広島藩主 浅野長晟(あさの ながあきら) 松井一實・広島市長&西田祐三・海田町長、浅野家臣約20名、 一般行列120名   

 江戸時代の衣装に扮した行列を地域住民に観覧してもらうことにより、日々生活道として利用している県道が、江戸時代には、重要な西国街道であったことを知ってもらう、郷土を愛する心を育んでもらうことを目的としています。
 

【講演会】 (午前中)

 穂高健一&粟河瑞穂(聞き手)「幕末の広島浅野家が日本の歴史を変えた」(神機隊と浅野長勲から語る)


写真:聞き手の粟河瑞穂(あわかわ みずほ)さん 

 場所:船越公民館

 時間:10時~11時30分

 穂高健一のサイン会あります。


【歓迎セレモニー】

 海田童子による太鼓演奏ほか

 場所:海田公民館

 時間:13時~13時25分


【神楽公演】

 場所:海田公民館

 時間:13時45分~14時15分

 広島市安佐南区の上中調子(かみなかちょうし)神楽団による神楽公演
 


【かいた手しごと市】

 時間 10時~15時

 住民団体「かいた幸ぼう」によるハンドメイド、マッサージ、フード、ワークショップなどのブース出店

 場所:熊野神社


【詳細情報】
殿様、安芸の西国街道をゆく


【問い合わせ先 】

① 広島市安芸区役所市民部地域起こし推進課

所在地 〒736-8501 広島市安芸区船越南三丁目4番36号

(広島市安芸区役所2階) 連絡先 電話:(082)821‐4904


② 粟河瑞穂さんが手にされている、穂高健一著「芸州広島藩 神機隊物語」は、広島護国神社で取り扱っています。(在庫はあります)。
 電話: 082-221-5590

知られざる幕末の広島「神機隊」子孫が初証言 :  RCCテレビ放映

 9月23日(月・秋分の日)に、芸州広島藩の「神機隊」が旗揚げした志和盆地で、同隊の末裔の方々が西連寺の墓参を行いました。さらに八条原城(はちじょうばらじょう)跡などを訪ねました。

 RCCテレビが、同隊の軍医だった小川道甫の子孫・小川栄さんを追っています。2019年9月24日に、RCCで、テレビ放送「News6」


 午後から講演会が開催されました。主催は中国地方郵便局長協議会です。会場は神機隊が本陣としていた西蓮寺の本堂で、150人の参加者でした。

 冒頭のあいさつは、市長の高垣廣德さん、岸田文雄代議士・夫人です。今回の神機隊の講演、フォーラムの意義を語られた。

 

 穂高健一会『志和の知られざる幕末・芸州広島藩の活躍』が語りました。

 薩長芸軍事同盟の下で、広島藩に強い軍隊が必用となった。若者たちが中心となり、戊辰戦争に自費で出陣した。

 かれらは軍律正しく、民の安堵のために戦った。相馬、仙台軍との戦いで、大半が負傷しながらも、駒ヶ嶺のたたかで、中央突破した。そこから仙台藩が崩れて、落城なった。
 それを知った会津城は白旗を上げた。

 神機隊のすさまじい戦いが、戊辰戦争の決着につながった、と語りました。


 フォーラムに移り、軍医の小川道甫が曾祖父に当たる小川栄さん、中国新聞呉支局長の岩崎誠さん、司会進行で吉本正就さんで、戊辰戦争に出陣した神機隊について語りました。


 小川さんは、曾祖父の軍医が書き残した、高間省三の死を悼む詩を披露されました。

 岩崎さんは、ジャーナリストとして東北の神機隊の足跡を訪ね歩かれた、それらの様子を語られた。

  吉本さんは、会場の質問を受けて、神機隊と志和の関連をより細かく説明された。さらに、呉市の故武田正視さんが神機隊を発掘し、世に広められたと、その功績についても語られた。  

 
写真提供:土岡健太さん
 
【同テレビは約2週間ほど、無料で見られます】

① 2019年9月24日に、RCCで、テレビ放送「News6」


② 穂高健一著「芸州広島藩 神機隊物語」は、広島護国神社でも、取り扱っています。参拝の折に、お求めください。

 

日本上空は誰のもの。戦争の火種にならないか=歴史的な史観より

 戦争は大半が隣国との争いから起こっています。初期のころ、火種はまさか大戦争になるとは予想できないものです。
 第一次世界大戦は、オートリアの皇太子が、サラエボで一人の青年に射殺されたことが発端です。空前の9000万人以上の軍人が動員されました。終戦処理の問題からナチスドイツの台頭があり、21年後にして、またしても第二次世界大戦が起きました。

 
「あなたは、日本が近い将来、もし外国と戦争するとなれば、どこの国が予測されますか」
 こんな質問をむけると、多くの人が怪訝(けげん)な顔をします。別段、平和ボケを批判するつもりはない。ただ、危機管理は必要だし、戦争の火種はつねに消す努力する必要があります。

 尖閣がらみで中国、竹島にからんで朝鮮半島、北方四島の問題でロシアですか。
「米国と戦争する可能性が、最も高いのですよ」
 というと、
「えっ。そんな馬鹿な」
 という評定をされるか、一蹴されてしまう。

 日本の上空はアメリカ軍が支配しています。太平洋戦争の終了後も、日本の上空の制空権は奪われたままです。つまり、横田、三沢、岩国、那覇など、制空権はアメリカ軍にあり、私たちの上空は植民地のままです。
 
 東京オリンピックを前に、羽田空港の新発着ルートが拡大する予定です。ただ、横田基地の制空権(横田空域)があり、狭い幅のなかで、かなり無理した飛行が求められます。
 新宿の高層ビルの上空、渋谷の繁華街、東京タワーの横から、羽田空港へ急角度で進入してきます。

 富士山の横から広々とした進入路をとれない。それは厚木空軍基地があるからです。米軍空母と行き来する艦載機のルートがあり、わが国の空でありながら、日本の民間機が独自に利用できないのです。

 私たちの記憶から消えていないのが、羽田発の日本航空の御巣鷹山事故です。尾翼の故障だったという。大惨事でした。

 羽田新ルートで、嵐、風雨、霧、夜間、鳥など、万に一つの事故。管制塔とのITの不備、海外から飛んでくる飛行機も含めて、パイロットの過労、格安飛行機のコストダウンからの整備不良などから、国内外の旅客機が一機でも、新宿の高層ビルに旅客機が追突したら、どうなるのでしょうか。

 ニューヨークのマンハッタンの9.11事件が生々しく横切ります。

 単なる大騒ぎですまなくなってしまう。日本人の感情として、日本上空の制空権を返せ、という批判になるでしょう。

 アメリカ軍が素直に返還するのでしょうか。アジアの防空システムから、返還できないと言えば、国民感情として、「はい。そうですか」となるのでしょうか。
 むしろ、敵愾心から、横田基地を力で奪い返せ、というナショナリズムがわき起こる可能性も否定できません。自国の空が他国の軍隊に支配されているのは不合理だ、太平洋戦争の終戦が未処理だ、侵略されたままだ、屈辱だ。
 歴史認識からすれば、被害者意識が1945年から、さらにさかのぼる可能性もあるかもしれません。 

               ☆ 
  
 第二次世界大戦が終わり、東京裁判が行われた。A級戦犯で、満州(まんしゅう)事変(じへん)の首謀者(しゅぼうしゃ)だった石原莞爾(かんじ)が『戦犯第1級のペリーを呼んで来い』と放言します。
 まわりのアメリカ記者がなぜか、と問います。『鎖国主義で結構(けっこう)だと言っているのに、ペリー提督が平和日本を脅(おびや)かして、世界の荒波のなかに曝(さら)してしまったからだ』と語り、あ然とさせました。

 日本は明治時代から教育で、ペリー砲艦外交(ほうかん・がいこう)に屈して開国させられたと教わっています。そして、日米修好通商条約という不平等な条約を結ばされた、と被害者意識を植え付けられてきました。
 日露戦争に勝ったのに、アメリカの仲介でロシアから賠償金が取れなかった。ワシントン軍縮条約で屈辱(くつじょく)をうけたうえ、日英同盟が破棄させられた。日独伊三国同盟、満州国の建国すべてにわたって、アメリカは反対する。
 満州問題からアメリカは仮想敵国(かそうてきこく)となってきた。国際連盟脱退におよび、アメリカの石油禁輸から、ABC経済封鎖された。
 アメリカが日米交渉でハル・ノートを示し、満州事変以前にもどせ、と迫ってきた。もはやアメリカに言われるままになっていられない。「国民総意で、やるしかない」、「日米戦争は宿命だ」と結びついたのです。

 明治以降の日本人は、幼少のころから、アメリカにたいする被害者意識が教え込まれてきたのです。それは石原莞爾(かんじ)のみならず、軍人政治家、軍人、国民の一般的な認識でした。当初、国民の殆んどが米国との戦争に歓喜しました。

 現代でも、同一史観から、真珠湾攻撃はやむを得ない戦いだったと考える人は多くいます。さらには戦争を早く終わらせるためだと言い、東京大空襲、広島・長崎の大量の民間人を無差別に殺した。アメリカ流のていのよい口実だ、と批判の目をむけるひとは少なからずいます。こうした歴史的な被害者意識が、日本人の心の奥底に現存しているのです。
 
 戦後の74年間の日米は蜜月でも、羽田空港への新ルートで大事故でも起これば、160年前のペリーの砲艦外交で蹂躙(じゅうりん)されてから、米国の言われるままだ。横田基地を力で奪い返せ、自衛隊をつかえ、安保条約の破棄だ、と一気に結びつきかねない。

 ひとつ間違うと、火が点きやすい日本人の気質です。ナショナリズムが国論になってしまう。こうした被害者意識の歴史認識をしておかないと、危険です。

 自衛隊は動かずしても、一般人が横田基地に侵入する。米軍が阻止する。日本人が実弾で射殺される。わずかな期間で、国内の騒擾(そうじょう)が、沖縄、岩国に連鎖し、政府の対応しだいで、戦争に発展しかねないのです。

 北方問題でも、ロシアとの戦争を謳(うた)う代議士がいます。辞職もせずに、議席をもっています。

 政治は民のためにある。国民の財産と生命をまもる。そのためには外国と戦争しないことです。危機を予測し、早めに手を打っておく。それが利巧な政治です。
 日本の上空の制空権は、日本に返却してもらう交渉は始めておく。アメリカで、大統領とゴルフをしながらでもよい、本気で、この問題に取り組みべきです。

「歴史は繰り返す」この格言は肝に銘じるべきです。東京で、制空権の奪還問題で、米兵と流血事件を起こしてからでは、手遅れになる危険性がとても高いのです。
 ひとつ航空機事故から、日米の歴史が一気にペリー提督の黒船まで戻らないためにも、強国のアメリカでも、主張すべきものは主張する。
 それが政治家がよくつかう、政治に命をかける、ということばの実行です。
 

志和の知られざる幕末・芸州広島藩の活躍=神機隊創設150余記念

 芸州広島藩の神機隊の320人が自費で、戊辰戦争に出兵してから150年が経ちました。『神機隊創設150余記念事業』として、隊員名簿から末裔(まつえい)をさがし、9月23日の秋分の日に本陣だった西連寺で、墓参していただこう、という企画がなされました。

 当時の隊員名簿から、多くの方々が末裔さがしに労を惜しまず、きょうに及んでいます。

 岸田文雄代議士の奥さんの(一族)先祖、軍医だった小川道甫さんの末裔・小川栄さんなど多々、わかりはじめています。
 きょう現在、進行形です。
 
 9月23日(月・秋分の日)は午前中の10時~12時は、神機隊の末裔の方々に、西連寺の墓参、さらに訓練地の和田山・大行事原、八条原城(はちじょうばらじょう)跡などを訪ねていただく予定です。
 RCCテレビ・ラジオが入ります。
 FM東広島など

 午後の13時00から講演会『志和の知られざる幕末・芸州広島藩の活躍』がおこなわれます。サブタイトル「幕末・日本最大級の戦闘部隊である神機隊は、なぜ志和で創設されたのか?」
 講師:穂高健一
 会場:西蓮寺 
 入場料は無料
 主催:(財)中国地方郵便局長会
 後援:東広島郷土史研究会
    西志和まちづくり自治協議会
    幕末芸州広島藩研究会

 なお、車の駐車場は、近くの西志和小学校のグランドを利用してください。西蓮寺まで、送迎があります。
 
『概略』
 志和盆地(東広島市)には1200人の神機隊が駐屯していました。本陣は西連寺(さいれんじ)です。そのなかから精鋭部隊が上野戦争(彰義隊)、飯能戦争、さらには奥州戦争へと出陣しました。

 かれらは、戦場で凄まじい戦いを挑みます。その戦闘は、浅野家史『芸藩志(げいはんし)』にくわしく記載されています。昭和53年まで、その芸藩志が封印されていましたから、世に知られてきたのはつい最近です。
 かれらの活躍は、穂高健一著『広島藩の志士』、『神機隊物語』などで、小説化しています。



 戦場での死傷者は多く、負傷しながらも歩けるものは、わずか80人弱にまでなりました。命を亡くした神機隊の御霊は、広島護国神社に、高間省三(砲隊長)を筆頭祭神として祀られています。

 京都・東京・福島の現地に、かれらの墓石があります。こんにちでも現地の人たちに、花を添えられたり、厚く見守られています。
 それだけ、芸州広島藩の神機隊は、軍律を守り、日本人として民の安堵(あんど)ために戦っていたからです。

「鬼の官軍だとおもっていたら、兵士が家にやってきて、仏壇を拝ませてくれ、と手を合わせていた、……子どもを大切にしてやれ、戦争が終わったら、わしは安芸の国に帰る、達者でな、と立ち去った。あれは阿弥陀様の身代わりだ」と、ナカという若嫁の話が大熊町史「戊辰戦争余話」として書き残されています。

 南相馬では、西軍が没収した蔵の米が、農民が凶作のときの備蓄米だった。それを知った西軍は金で相馬藩に売り払った。しかし、唯一、神機隊は無償で相馬藩に返却した。自費で出陣してきた神機隊は、のどから手が出るほど、お金が欲しい状態だったはずだが、民にたいする略奪など一切しなかったのです。

 後世において東北人は薩長嫌い、官軍嫌いですが、ただ芸藩は別だったという。それは神機隊が浅野藩のエリートが立ち上げた、知的な優秀な部隊だったからでしょう。

 志和盆地の西連寺においても、神機隊の墓地があります。

 かれらの活躍を偲び、お彼岸の供養でお参り、講演にお出かけ下さい。

【関連情報】
志和の知られざる幕末・芸州広島藩の活躍・チラシPDF

第3回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2019 世界的な琴奏者・酒井悦子さんを招く 

 超党派議員で祝日「山の日」が決まった。それから4年目である。漸次、国民の祝日と定着してきている。
 広島県・大崎上島においても、『第3回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2019』が開催されます。


 離島なのに、なぜ山の日なの? その疑問から3回目である。島には名峰・神峰山がある。悲哀の地蔵さんが数多くある神峰山だから、山の日に、皆で祈ってあげよう。これがテーマです

 出演してくれる「酒井悦子」さんは、世界のサミットが日本で開催されるとき、昼食会で琴を演奏される。とても著名な方だ。酒井悦子の琴を聴こうとおもえば、クイーンエリザベス号、豪華客船・飛鳥などに乗船するのが手っ取り早いだろう。
 このメンバーとして著名な作曲家の菊地慶太さん、東京芸大出身の尺八演奏の豊嶋貞雄さんが共同出演してくれる。

 なにを隠そう。小説「神峰山」 を読まれて、「そんな悲哀のある神峰山ですか。琴や尺八を奏でて、お祈りしてあげたいです」と3人は無報酬で東京から来てくれるのだ。
 
 離島・大崎上島に移住されたキューバ音楽の奏者である三須磨さん夫妻、ディビット松井(バタ・ベル)、照井博恵(コーラス)たちは毎年出演してくれる。
 
            *

 超党派で国会で成立した法律だからと言い、昨年は寺田稔代議士が挨拶にきてくれた。ことしは寺田さんからバトンタッチで、新谷正義代議士が来島予定である。

 司会は、「丸子ようこ」さん。「NHK広島放送局の番組キャスタ」など12年間の経験があるプロアナウンサーである。この方も、「神峰山」を読んで涙しました、と無報酬で司会をしてくれる。

  著名な方々が、自費で参加してくれる。むろん、参加費は無料である。

  広島には、自費で戊辰戦争に参戦した「神機隊」がいる。私はかれら320人を歴史小説で描いた。こうした縁が回っているのかな、と思う。

「将来とは若者たちのもの」である。こうしたイベントは将来につなげるものである。大崎海星高校、広島商船高専の生徒による、学校の行事や催しの一端を語ってもらう場としています。


 令和元年8月11日出演者・曲目

〇キューバ音楽(2部構成)
1部 太鼓と奏でる神々の唄
 1 エレグア(儀式の始めと終わりを受け持つ)
 2 オバタラ(愛と創造の神)
 3 オサイン(病を治す薬の神)

三須磨 大成 (Vo・コンガ・バタ)
三須磨 利香 (Vo・シェケレ・バタ)
ディビット松井(バタ・ベル)
照井 博恵  (コーラス)

2部 キューバのポピュラー・ダンス音楽
 1 カチータ  おいでカチータ一緒に踊ろう
 2 ラグリマス・ネグラス  黒い涙
 3 神峰山(かんのみね)
 4 ボラレ
  
  
三須磨 大成 (ギター・Vo)
三須磨 利香 (Vo・コンガ・シェケレ)
ディビット松井(ベース)
照井 博恵  (コーラス)

〇邦楽演奏

 昭和歌謡ヒットメロディ
・見上げてごらん夜の星を
 ・鉄人28号
 ・日本わらべ歌
 ・それいけカープ
 ・瀬戸の花嫁・
 ・憧れのハワイ航路
 ・海ゆかば
 ・昔話メロディ

   酒井悦子  琴
   豊嶋貞雄  尺八
   菊地慶太  作曲

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神田松鯉さんが、「人間国国宝」になる、快挙に乾杯

 神田松鯉(かんだ しょうり)さんが、7月19日の「文化審議会」で、重要無形文化財保持者=人間国宝にきまった。

 神田さんは講談界の大御所、重鎮である。
 かたや、日本ペンクラブ(PEN)のメンバー(企画事業委員会)でもある。2-3カ月に一度のPEN例会において、司会をつとめられている。
 声量が並はずれて優れているので、乾杯後のざわついた中では、一般的に司会者に耳を貸さない雰囲気があるけれど、神田松鯉さんは、そのなかでも会場の皆の目をむけさせる。さすが講談師だとおもわせる。
 アナウンスメントはとても、インパクトがある。

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 PEN会長の吉岡忍さんが中心になって、推し進めている全国各地で開催される『故郷と文学』(島崎藤村の生誕地の長野県とか)において、神田松鯉さんは文学作品を朗読される。
 1000人を超える大聴衆を作品のなかに誘い込んで、酔わせる。絶妙な抑揚と呼吸感で、ストーリーが運ばれる。

 かれこれ7-8年前になるが、PENが主催した世界フォーラム「環境と文学」において、神田さんが中国人ノーベル賞作家の莫言さん(ばく げん、モー・イエン)の作品(いにしえの中国農村の災害を描いていた)を朗読された。その時の、鶏の鳴き声「コケコっこー」は、とても、素晴らしく、いまだに耳の奥に残っている。
 招聘(しょうへい)された莫言さんの、それにたいする笑顔もすてきだった。

                 *

「神田松鯉の会」が、「お江戸日本橋亭」(中央区・2000円)で、折々に開催されている。招かれて、ことし(2019年)5月28日の足を運んでみた。
 超満員で、舞台の背(屏風・びょうぶ)の後ろまで、観客だった。これにはおどろかされた。お弟子の「神田松之丞」がとても有名になり、これまた講談ブームを巻き起こしていると、まわりのお客さんが語っていた。
 それに、20-30代の女性が講談師となっている。
 ここ10年間で、隔世の感がある。


写真の中央が神田松鯉(しょうり)さん。 写真提供:かつしかPPクラブ

 わたしは個人的に親しくさせていただいており、「立石飲み会」にも、毎年、来てくださる。そこには、楽しく談話される素顔の神田さんの存在がある。
「人間国宝おめでとうございます バンザイ!」と祝電をお送りしたら、ごていねいに電話をいただいた。律儀な人である。

 神田さんは人間味のあふれた方である。重く太い声で、観客の心を酔わせて、強い印象を与えている。
 群馬県出身の神田松鯉さんだから、国定忠治とか任侠ものも舞台で語られる。現代流で言えば、かれらは反社会的な存在かもしれないが、人情、義理、信愛など、現代人に忘れがちものをよみがえらせてくれる。
 
 人間を語らせれば、神田松鯉さんは最上級だ、と私はおもう。 
 
《関連情報》

(公益)落語芸術協会・神田松鯉

幕末彼氏伝 = 広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会のお礼の挨拶

 メインテーマ「幕末彼氏伝 ~集え!広島藩の志士たち、伝説はここから始まる!」が2019年3月21日(祝)、JMSアステールプラザ(広島市中区加古町)1階の市民ギャラリーで開催されました。
 これは穂高健一著「広島藩の志士」(倒幕の主役は広島藩だった)を原作としたものです。主催者から、関係者や来客者、支援してくださった方々感謝のメッセージが寄せられています。

【メッセージ】

 おかげさまで、総来場者数は368名と多くの来場者があり、たいへんな盛会となりました。ありがたい事に、こんかいの関係者の皆さまからは、こちらが驚くような、ご提案を沢山、たくさん頂くことができました。
 そのたびに、担当としては勇気と元気をもらうことが出来ました。

 おかげさまで、当初の予定した何倍も良いものを実現することができました。すべて関係者のみなさまのご協力によるものです。本当にありがとうございました。

 会場の熱気もすさまじく……。わたし自身はサウナにいるような状態で、頭から湯気が出ておりました。

 同イベントでは、老若男女の来場者がありました。広島藩への関心の高さを感じることができました。
 とくに、中央ステージでのイベント時間ちゅうは、これ以上来場者が集まったらどうしよう、会場内がオーバーフローし、危険かもしれない……と、主催者のわたしは内心ヒヤヒヤしておりました。



 こんかいの「幕末彼氏伝 」にはイラスト、マンガ、演劇、アテレコ、さらにコスプレなどサブカルなコンテンツを活用いたしました。
 広島藩の歴史への興味関心を高める、その機会を創出する。その試みの第一歩を踏みだし、今後に大きな可能性を感じることができました。

 関係者・来客者のみなさまの温かいご支援、ご理解、ご協力があってこそ、ここまでの強いうねりとなりました。

「幕末彼氏伝 の打ち上げ懇親会においても、出演者の方、スタッフの方、みなさまの方から、今後もいろいろな創作をしていきたい、というお話もありました。
 今後も多彩なコンテンツが産み出されるのでは……と、胸がワクワクと高まっています。


 会場内でアナウンスしたとおり、こちらの写真はすべてネット、SNS等でのUP、拡散は自由です。

 こちらよりダウンロードしてお使いください。(期限は3月28日までです)。今後とも何卒、どうぞよろしくお願い致します。


 広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会 事務局

  粟河瑞穂(敬称略)

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます

【幕末彼氏伝】第一話~第三話『大政奉還』の制作者たち=メッセージ(下)

 

「幕末彼氏伝」(広島)が、平成31年3月21日(祭)場所 JMSアステールプラザ1階・市民ギャラリーで実施された。
 古今東西、歴史を変えるのは若者だ。「歴史は真実でなければならない」と、広島の若者が、明治政府が歪めた歴史を正す。そのために燃えあがってくれた。
 それは歴史に関わる大きなしごとだといえる。

              ☆
  
 イベントの開催の直後、彼らからコメントをもらいましたので、紹介します。


 総合学園ヒューマンアカデミー広島校 金井さん。

 この度は、貴重な機会を頂きまして、誠にありがとうございました。

 当校の学生・卒業生たちも貴重な体験が出来大変喜んでおり、また多くの方に学生たちの活躍を見て頂く機会を設けられたこと大変ありがたく思っております。

 せっかく頂きましたご縁を大切に、マンガ化計画も追って、ご相談などさせていただきたいと思います。今後共よろしくお願いいたします。

 中久保涼さんは「幕末彼氏伝」で高間省三等のキャラクターデザインを担当された。

「幕末彼氏伝」のイベントお疲れ様でした。高間省三などのキャラクター制作についても、企画当初から色々とアドバイスや助言を頂き誠にありがとうございました。

 とても良いキャラクターが出来たと思います!

 なかなか、ここまで大きなイベントの制作物に携わることがないので、とても良い経験にまりました。自分の制作物がこうやって日の目を見る事は、とても嬉しくもあり、自慢になります。

 イベント中も、貴重なお話などを聞かせて頂きありがとうございました。
 今回のイベントを通して穂高様や多くの方々とお会い出来る良い機会となり、とても貴重な1日となりました。

 またご一緒できる機会があればと思います。

 漫画を担当の藤井(フジィFG)さん

 幕末彼氏伝にて漫画を担当させていただきました。大会当日は、たいへん貴重なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。

 私自身、教科書で教えてもらった内容でしか歴史を知らず、広島にこのようなすごい人物がいたのかと改めて勉強になりました。
 穂高先生の著書も改めて読み直し、さらに見識を深めていきたいと考えております。そして、このような活動に私自身携われたことを大変嬉しく感じております。

 これをご縁にお話を頂いております、漫画化を進めていけたらと思っております。またご相談させて頂くことも多いかと思いますが、その時はご指導のほど是非ともよろしくお願い致します。

 キャラクターやイラストを担当の中久保渉さん

「幕末彼氏伝」で綾・浅野のキャラクターやイラストを担当させていただきました。開催日はとても充実した一日でした。

 穂高先生ともお話でき嬉しかったです。こんかい幕末彼氏伝に関われて、本当に良かったと思っております。
 また、今後企画などでお会いする機会がございましたら、よろしくお願い致します。


 上口雅彦さん

 大会当日は遅くまでありがとうございました。上口ジョウグチです。初めての聞く話ばかりで、勉強不足ですが、とても興味深い貴重なお話ありがとうございました。

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます