ジャーナリスト

【歴史から学ぶ】わが国は新型コロナ禍で、社会システムは機能しているのか。天災か、人災か

 新型コロナウイルスが、日本国内の人々に恐怖を与えている。人類の歴史はこれまで病原菌・ウイルスとの戦いでもあった。
 動物から感染するウイルスの場合は、細菌よりも実態がつかみ難い。ウイルスの発祥もわかりにくい。ふつうに考えれば、疫病(えきびょう)は天災だともいえる。ただ、歴史をひも解けば、古今東西において、施政者の対応しだいでは、疫病がとてつもない被害を出してまう。

 新型コロナにたいする中国・韓国のアジア諸国の対応、さらに欧米の大統領や首脳たちの緊急対策は、民に目をむけた真摯(しんし)な態度で、スピード感に満ちあふれている。
 ぞれでも各国は、ロックダウンをもってしても、大規模な医療崩壊や、悲惨な感染者数と死傷者数で、なおも進行形している。世界的なパンデミックの終息はみえていない。

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 わが国の場合は令和2年の年初から3月中旬まで、政治家の対応をみていると、頑張ってはいるが、ときには己の立場が優先で、真に民に目がむいているのか、と疑わしくなる面がある。
 
 横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセス号の検疫(けんえき)が、毎日のごとく、メディアに報じられることで、国民は新型コロナウイルスにふかい関心をよせはじめた。
 大人だけでなく、幼少年、保育園児までも、「コロナ」ということばが飛びだしてくる。
 裏を返すと、とてつもない恐怖におびえる人々の一面を示すものだ。

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 4月15日に、北海道大学の西浦教授が「たいへん重大な局面に差しかかっている。いまの状況をつづけていると、重篤(じゅうとく)患者が85万人、半数に近い42万人が死んでしまう」と警告を鳴らした。

 西浦氏は「厚生労働省の新型コロナクラスター対策班」のメンバーの一人である。諸々の対応策を述べている。
 翌日には政府は公式見解ではないと反論した。

『いまのまま』ということばの裏には、政治家の現況の施策では、42万人の死者が出る可能性があるよ、という表現にも置き換えられる。そこの文脈が読み取れていない。遠回しな政府批判が解っていない。


 100年前の「スペインかぜ」における日本人の死者は、1波、2波を合わせると、感染者数は2,357万4194人、死者は38万5029人という正確な罹災者の数字が、内務省衛生局に残っている。
 当時の日本人の人口は、5,666万7328人である。
 西浦氏はこのデータを解析し、『いまのまま』で行けば、42万人の死者も予見できる、と展開されたのだろう。

 当時は、全国民にマスクをつけよ、と衛生局は大々的なキャンペーンをおこなっている。それは現政権と同じである。
 他には、抗体は発見されていない。新薬は米国のギリアド社で「レムデシビル」の治験がはじまったとか、富士フイルムが開発した「アビガン」(流通されていない)とかが、新型コロナの治療薬と期待されている、と報道がある。

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 新薬がすぐに使われる、そんな過剰期待は危険である。なぜか。「厚生省」は薬害裁判になんども懲(こ)りている。
 薬害裁判は、5年、10年も長期にわたる。「羹(あつもの)に懲(こ)りてナマスを吹く」(前の失敗に懲りて、必要以上の用心をする)。「御身大切」で、早々に新薬を認可する体質はないだろう。

 この先、新型コロナが爆発的な感染になっても、厚生省は一定の手続を踏まずして、ウイルス治療薬としてすぐ認可する体質などない。
 政治圧力があっても、応じないかもしれない。政治家はいつか変わる。それがこれまでの官僚の考え方だ。どうしても、過去からの官僚の体質から、そう見立ててしまう。


 とはいっても、官僚の正義感と勇気と、さらに国民的な危機管理をもって、新型コロナ対策の「社会システム」の一環として、正常な機能として働いてもらいたい。

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 危機と危険はちがう。「危機」とは、システムが正常に機能していないときに起きる被害である。
「危険」とは、当人がぼっとしているから、突然に、余地なく起きてしまう。
 つまり、「危機管理の重要性」を政治家も官僚も、十二分に持ってもらいたいのだ。
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 プリンセス号の船内の大感染から、国内にまん延したら危ないと、多くの日本人は頭脳のなかで、アラーム(警報)を鳴らした。これを放置すれば、民に危険が及ぶ。政治家も同様だっただろう。

 日本は「検疫(けんえき)システム」が満足に機能せず、かえって硬直化していた。スピード感が世界中において、最も見劣りがしている。これはだれの責任なのか。


 国民は自由に検査が受けられない。どのメディアでも、庶民の悲鳴を報じている。……熱が出る、咳が出る、身体が重くても、コロナの検査が受けられない。病院でも、自宅でようすを見てください、といわれる。
 これは社会システムの欠陥だ。

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 この社会システムの欠陥は、政治家の恣意的(しいてき)なもので、2つの要因からしても、人災の面がある。言い過ぎだろうか。


① 政府は武漢が首都封鎖になっても、令和2年の最大行事として、「4月に予定している中国の習近平・国家主席の国賓としての来日」を期待してきた。それに拘泥(こうでい)した。

 日本はつねに安全だと、メッセージを流しつづけてきたのだ。習近平氏の来日を諦(あきら)めたのが、ことし(2020年)3月5日だった。


② ただ、3月に入っても、なおも「東京オリンピック2020」7月開催への執念から、「日本は安全」「オリンピックは開催できます」と世界に発信してきた。

 それには日本人の感染者が、極々、少ないことが条件になる。

 厚生省(保健所)を窓口にして『外国渡航者」でなければ、検診できないシステム』をつくりあげた。海外渡航歴の有無がつよいフィルターになったのだ。


 当然ながら、検体数が少なければ、日本国民のコロナ感染者数が低く抑えられる。

 おおかた、WHO(世界保健機構)は苦情の一つも言いたかっただろう。しかし、出資金が大きい日本には内政干渉をしなかった。

 

  国民は自由に診療をうける権利がある。しかし、熱があっても、病院にいっても、救急車をよんでも、満足に検査をうけられない。
 これは社会のシステム障害である。

 伝染病は保健所(下級官吏)を通さねばならない。

 大学病院も個人病院の医師も、「保健所」というつよい検問が立ちはだかる。新薬の開発も厚生省の許可手順を踏まないと、使用は原則としてできない。

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 日本国内の医者や、看護師や、介護士たちにすら、発熱、咳、倦怠感が出ても、渡航歴がないために、厚生省の「帰国者・接触者相談センター』というシステムが厚い壁になっていた。
 このシステムの欠陥からコロナ検診が受けられない。
 
 新型コロナウイルスとは、人が移動すれば一緒に動いていく。感染は海外からだけでない。国内でもまん延する。自明の理だ。
 ウイルスは静かに深く全国に「院内感染」を広めた。

 そして、時間の経過とともに、4月中旬には「院内感染の爆発」という事態に陥った。東京都の大病院までも、とんでもない院内感染となって出てきたのだ。
 ウイルスが庶民よりも先に医者を害したのだ。


 なぜ、こんな欠陥システムを長々と運用したのか。
 行政マンが声高に欠陥を叫ぶ勇気がなかったのか。危機とは予見性である。それを口にするには勇気がいる。
 オリンピック開催を強調する政治家たちに、かれらが忖度(そんたく)したから他ならない。
 まさに政治家も、行政も体質が旧態依然としていた。
 
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 2020年3月24日。『安倍総理大臣がIOC=国際オリンピック委員会のバッハ会長と、東京オリンピック・パラリンピックの開催を1年程度延期し、遅くとも来年夏までに開催することで合意した』と報じられた。

 この日は、東京都のコロナ感染者数は17人である。1か月もたたずして、4月17日には200人を越えた。小池都知事(67歳)がおどろいた顔をしていた。オリンピックにこだわったから、コロナウイルスの潜伏患者を日本中に野放しにさせてしまった。
 これまで口では「国民の命」を語りながら、自分の面子(メンツ)やトップという立場に拘泥(こうでい)してきた。つまりは、民の為につくす、という行政理念に欠けていたのだ。

「危機管理」の面で、まさに関東大地震のときの後藤新平東京市長の決意と比較してしまう。

 いま東京都医師会がコロナ検査システムをつくろうとしている。行政がやらなければ、自分達がやる、という強い意志を感じる。

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 誰にでも、判断ミスはある。それを咎(とが)めているのではない。謙虚(けんきょ)に人災だったと認めて、政治責任をしっかり感じてほしい。
 その上で、「医療崩壊」のあとに予見される「経済崩壊」の諸策に取り組んでほしいのだ。

 政治家は神さまでないことは解っている。「この人は信用できる。ミスも認めるし」という信頼度が、難局を乗りきる最大の武器だ。日本人は一つになれる民族だ。歴史がそれを証明してくれる。信頼で結束を強めてほしい。


 德川家康の名言がある。『われ一人腹を切りて、万民を助く』。多くの人の命が助かるならば、自己犠牲もいとわない、というものだ。そういう政治家ならば、誰もがあとについてくる。

 北海道・鈴木 直道さん(すずき なおみち、年齢 39歳)、
 大阪府・吉村 洋文さん(よしむら ひろふみ、年齢 44歳)、

 お二人はまさに30-40歳の若者だ。若者がコロナの媒体のように言われる昨今だが、かれらの熱意には、家康の名言が似合っていると思う。


写真・国立競技場=ネットより

【歴史から学ぶ】政治家はコロナ禍のなかで「都市ビジョン」を示せば、名を残す

「令和」の改元の華やかさは、翌2年に一変した。コロナ禍である。嘉永は黒船来航など悪いことばかり、そこで「安政」に変えた。翌2年には江戸大地震が起きた。ここから激動の幕末史がはじまる。

 大正時代に、関東大震災の大惨事が起きた。後藤新平は東京市長だった。後藤は「個々の病人を治すよりも、国をなおす医者になりた」という政治姿勢だった。
 かれは壮大な震災復興計画を立てた。

 それを実行するについて、権利主張がつよい周りの政治家の構想打ち壊しに遭い、かれの理想は一部しか実現できなかった。しかし、60年後、昭和天皇が「後藤の復興計画が実現していたら、東京大空襲で、これほどまでに犠牲者をださずに済んだのに」と回顧されたという。
 

 後藤新平記念館・絵物語(東京市長時代)より。

 令和2年の政治家で、誰がどのように後世に名を残すのだろう。お金のばら撒(ま)きだけでは歴史に名が残らない。本ものの政治家が全国に必要なときである。

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 政府や都道府県の知事が日々、記者会見で、コロナ関連の数字などを発表している。「最近は30-40代の若者が多い」と発表している。その表現には国民への虚偽・偽装はないのだろうか。なぜ「若者」と一括(くく)りで示すのか。まるで、日常の遊び人のような響きに、誘導されている。

 この年代は最も働き盛りである。実際は「30-40代の会社員が多い」というべきではないだろうか。
「クラスターのわからない比率が高まっている」と不安をあおっているが、実際は「大企業などの企業内感染」が起きているのに、曖昧(あいまい)にしているのではないか。

 30-40代の会社員ならば、職種別、職業別に明らかにすればよい。私たち国民は、どこがクラスター源になっているのか、およその見当がつくからだ。


 朝夕のJRや私鉄の乗降客をみれば、巨大な企業ビル内は密集地だ。だれが考えても、オフィスは閑散としているわけがない。接触しない間隔「ディスタンス」は多少のところ気にしても、上司の指示、横の連絡、打ち合わせなど、距離はあまり取れるはずがない。

 TVで職場風景が映し出されている。保健所、都庁、区教育委員会など、いずれも密集の場である。別段、これまでの職場と変わっていない。
 ウイルスは職種や地域には無関係だし、企業内を避けて伝染してくれない。ここから類推するに、「企業内クラスター」が発生源となっている可能性が高いと思われる。まずは、ここらの実態を明らかにするか、可視化するべきだろう。

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 私たちは日本経済を維持し、成長率の大幅ダウンを避けたいと思っている。過酷なデフレ、大恐慌を避けたい。政府が都市機能を止めず、すこしでも経済活動を持ちこたえて「稼げるときに、稼いでおく」、「頑張れるだけ、頑張ろう」という日本政府の立場は支持したい。

 危険な「企業内感染」のリスクを知りながらも、日々に通勤するひとを応援する。電車を動かし、宅配するひと、むろん医師、公務員の活動も、熱意と努力は評価されるべきだろう。感謝の念をもちたい。
 日本人は精神的にも国家の姿勢の良くわかるし、一体になれる民族性がある。

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 近現代において、日本経済が破綻した歴史は、過去2度ある。その痛みだけは避けたいものだ。

 1度目は、幕末から明治へ(通貨が両から円に変わった)。両・朱をもっていた大商人が倒産した。
 百万人を超える武家がすべて失業した。家老、重臣たちの大半は職を失くした。かつては「奥方さま」「お姫さま」といわれた妻や娘を遊郭に売り、生活費を稼く。「士族」の肩書はなんの役にも立たなかった。
 商いの方法を知らず、「武士商法」で、なおさら窮地に陥った。

 2度目は、太平洋戦争の敗戦により、日本はGHQ支配下におかれた。そして、戦時中に国家が国民に押し付けていた「軍事国債」が紙くずになった。
 翌(1946)年は大凶作で、国民のすべてが餓死(がし)寸前に陥った。買い出し闇市(やみいち)でしか、生活物資が手に入らなかった。
 自殺が多発した。町には親を亡くした戦争孤児があふれた。

 かたや、戦勝国のアメリカとの落差を思い知らされた。こんな国と戦争したのか、と。

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 令和2年は年初から、新型コロナのウイルスとの戦争である。3度目の経済危機は避けたいと、日本政府が都市封鎖をせず、企業活動の維持を図る努力はよく理解ができる。

 ただ、問題なのは都道府県の知事が、それを忖度(そんたく)し、大企業には「テレワーク」を呼びかけるだけで、それ以上はなにも見えてこないことだ。

 大企業の自動車メーカー、鉄鋼メーカー、大手テレビ局、メガバンク、化学会社、ここら第二次産業の職場、さらに公務員の働く場がクラスターになっている可能性がある。立入りの実態調査をしているのだろうか。それらがまったく伝わってこない。
 
 たしかに、大企業の東京本社がクラスターを理由に封鎖されると、全国の支社や工場に影響が波及し、経済が失速する。忖度(そんたく)もわからないではない。

 

 各知事たちが自粛と自制でヤリ玉にあげているのは、第3次産業ともいえる街の弱小の店である。メディアを使って、まるでウイルスの根源のような集中砲火だ。くり返し、弱小の店舗に「クラスター」だと疑い、営業中止の圧力を加えている。

「公平の原則」からすると、大手企業と街の弱小の商工者との間に、かなり対応の格差がある。

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 個人の床屋・美容院などの論議は空回りで、大切な政治的な時間を浪費している。政治家が次の知事選にむかって、TVで顔を売っているようなものだ、と批判されても、仕方ないだろう。
 東京都は、オリンピックを前提にウィルスの検体数が少ないのではないかと、当初から疑われていた。その後手が現われはじめた。
 ニューヨーク市の失敗に近いのでは、と危惧(きぐ)する声もある。 
 ウイルスの感染拡大が急上昇すれば、企業のクローズ(活動停止)にも視野に入れておく必要がある。私たちには、その衝撃の深さや覚悟や心構えも必要だ。

 先の戦争でおこなった軍人政治家のように、「国民には真実を伝えない」、という失策だけは避けなければならない。「真実が一番強い」。こういう時こそ、政治家はデメリットを民に伝えることだ。
 
 行政の長として何をやるべきか。弱者にたいして当座の生活資金提供で、善政を執っているようにみえる。しかし、長期化した場合の都市ビジョンはあるのか。2-3か月たってもコロナ感染が収集しない場合、次の支給は無理だろう。
 となると、政治家は歴史から学び、長期ビジョンから施策・措置を追求するべきである。
  
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 ちょうど100年まえ、第一次世界大戦で、日本は日英同盟にもとづいて参戦した。青島(中国大陸)のドイツ軍を攻撃した。その最中に、アメリカでウイルスが発生し、軍人が世界中に広めていた。
 参戦しないスペインがそれを公開した。だから、「スペインかぜ」と呼ばれた。死者の数は5000万人とか、70000万人とか諸説ある。

 捕虜(ほりょ)にしたドイツ軍兵から、ウイルスが日本に入ってきた可能性は否定できない。日本は、ぼう大な犠牲者をだしたのである。

 日本には内務省衛生局(写真は同局ポスター)による正確な数字が残っている。(かつて後藤新平が在籍していたポジション)
 大正11(1921)年3月30日の発表だ。

 第1回目の流行(1918年8月から1919年7月まで)

日本人の患者数は、2116万8398人、死亡者数は25万7363名である。対患者死亡率1.22%。

第2回目の流行(1919年8月から1920年7月まで)

 日本人の患者数は、241万2,097名,死亡者数12万7666名である。対患者死亡率5.29%。

 1918年12月31日現在の日本の総人口は56,667,328人である。第1回目の流行では,全国民の37.3%がスペインかぜに罹患したことになる。

 これら数字を解りやすくみれば、第一回目のウイルスのよる死者は広島原爆による死者の数とほぼ同じ。第二回目の死者は長崎の原爆犠牲者とほぼ同数である。

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 100年まえ、世界的なウイルス禍で、日本人すら、ぼう大な死傷者をだした。ここから何を読み取るか。つまり、歴史から何を学びとるか。
 100年前と同様に、ウイルスに効果がある抗体は未だ発見できていない。治療薬はない。残念ながら、これは事実である。

「1-2カ月」でピークを迎えるという政治家の発言は、安易すぎないか。来年の令和3年には第二波のウイルスがくる可能性も、否定できない。

 政治家は、目先の取り繕いだけでごまかさず、とても言いにくいだろうが、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と言い、「都市の安全構想」の羅針盤(らしんばん)になるべきだ。

           

 古来から大飢饉、恐慌の社会が起きると、民は神仏に頼ってきた。
 
 知事選のごとく「皆様の外出の自粛をおねがいします」と連呼だけではダメだ。
 都道府県の知事が、一時しのぎで、「休業補償のお金のばら撒(ま)き」で人気をとっても、それは安易な考えで、コロナ禍が長期化すれば、「次のお金は出ないのか」と逆に強い批判に変わてしまう。

 もう一つ。ニューヨーク市のような状況に陥る可能性があるのに、「日本がまだコロナ禍で、世界よりも勝っている」という誤った認識を与えるような、報道コントロールは止めるべきだ。

 太平洋戦争・中期から、軍人政治家は「日本は勝っています。健闘しています」と偽りの情報を与えてきた。それが民の戦争支持となり、終戦が遅くなった分、日本列島の都市はいずこも大惨事になった。
 歴史から学ぶ。コロナ対策でも、まるで日本が1か月以内に終息できるような、「大本営発表」に似たことを行っている。こんな根拠のない、不正確な情報で国民を躍(おど)らせてはならない。

 有能な政治家になってほしい。ならば、真実を述べて、危機に向かいあう方向性(ビジョン)を民に示すべきだ。

「スペインかぜ」では爆発的な感染で、日本は大惨事をこうむった。
 100年の歳月がたった令和2年の現在と、なにが変わったのだろうか。抗体も、治療薬もない。為す術はない。対処法はほとんどない。
 感染者の自然治癒に期待するのみだ。つまり、100年前の状況にあるのだ。

 日本の各知事は、ロスアンゼルス、ニューヨーク市のように、感染者が数万人のとき、さらに悪化して数十万におよんだとき、為政者として、いかに処すか、と施策を示すべきだ。そして、庶民とともに痛みと覚悟を共有するべきである。

 もう、選挙戦に向けた「自粛」パフォーマンスのみで、このコロナ禍は止まらない。

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 関東大震災の時の東京市長の後藤新平が、もし令和2年4月12日のコロナ禍にいたら、どうするだろうか。
 衛生医学の専門家であった後藤は、「皆様の外出の自粛をおねがいします」と連呼で、このコロナ惨禍が止まるとはみじんも考えないだろう。

 ニューヨークなみの大惨事が来ると、はっきり民に予知させるだろう。そのうえで、「人の生命と健康を守る」、人間中心の機能を整えた「都市づくり」をめざすだろう。

 なぜならば、かつて内務省衛生局長だった後藤新平は、日清戦争で日本軍の兵士18万人が朝鮮半島に出征しており、3分の2が感染病にかかっている。清国の降伏、終戦と同時に、細菌の保持者ら11万人が一気に日本に帰還してくる。もはや、猶予はない。

 後藤はわずか2か月で、世界最大級の似島(にのしま・広島市)検疫所をつくり、帰還兵には一兵残らず、大規模な検疫をおこなった。感染病国家になる寸前で、かれは大惨事を食い止めたのだ。
 
 その実績から推量すれば、後藤新平がいま東京都知事ならば、2か月以内に世界最大の検疫所を都内のオリンピック会場の施設内につくるだろう。

 コロナ感染者の数がニューヨーク市並になっても、仮に10万人のコロナ感染者が出ても、オリンピックの全施設を防疫のために使う。むろん、収容仮病院も敷地内に建てる。
 後藤ならば、「焼け石に水」、「選挙目当て的な」休業補償費などには使わず、だいたんに躊躇(ちゅうちょ)なく防疫に予算をつぎ込み、即時実行するだろう。

 東京には広大なオリンピック会場が随所にあるのだ。それを全部使えばよいのだ、と迷いはないだろう。

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 さらに、後藤新平は、誰も思いつかなかった、次のような予算を国家に要求するかもしれない。いま現在「医療崩壊」したとしても、100年後にはおなじ失策をしないために。

 ここらは小栗上野介が、徳川政権が崩壊寸前でも、近代化のために横須賀製鉄所をつくったことに似ているだろう。明治37年の「日露戦争の日本海海戦に勝てたのは、小栗上野介のおかげです」と東郷元帥が称賛した。


【後藤新平に成り代わってシュミレーションをしてみてみました】
                  
  
 政府が『108兆円の経済緊急対策で、国家予算(令和2年・102兆円)なみで使わず、半分は100年後のウイルス禍の「医療崩壊」の対策をする』
 これが理念とビジョンだろう。

 国民には30万円と公表したが、状況の変化が生じた、一所帯15万円に減額する。民はヨモギの味噌汁、賞味期間(美味しく食べられる期間)すぎても一切捨てずに食べよ、死にはせぬ、各人が創意工夫しろ、と打ち出すだろう。


 100年後には医療崩壊を起こさせぬ。
 「重篤(じゅうとく)患者には、一床で一億円をかける。総ガラス張りの個室で、AI技術でレントゲン・心電図、体温、呼吸器もロボットでやる。医者はリモートコントロールで、「密着接触」はいっさい行わないで遠隔治療する。

 予算は、全国で1万床ならば、合計すれば一兆円。各県ごとに1万床ならば、総額47兆円である。

 100年後まで、これら病床は遊ばせるわけではない。いまから、盲腸の患者も、世界一の医療施設で治療すればよい。

 かたや、令和2年度予算は102兆円である。いまそれを使えば、来年は税金がすべて倍になります。仮に5年間で分割するならば、毎年、税金は現在の2割増ずつになる。
 ここらの税の回収による痛みは、後藤ならば、国民に今からはっきりさせるだろう。
 歴史に残る本ものの政治家は、その当時は憎まれ役だ。
 
 ただ、そんな苦痛の話しばかりだと、民には希望がなくなる。

 100年後の47万床の世界一の病院建設に着工すれば、47兆円分が建設業者、医療機器メーカーなどに支払われる、それが経済への波及効果となる。
 経済は活気を取り戻す。

 これはシュミレーションだが、政治家は大所高所から、政治哲学・理念を示し、将来の展望を語る。民には一時的な痛みを示し、「将来ビジョン」への希望を語る。
 ならば、日本人は器用だから、創意工夫して、皆で協力して、新しい令和文化を生み出していくだろう。

【歴史から学ぶ】検疫の重要性を知ろう。後藤新平がつくった世界最大級の似島検疫所(上)

 明治27年8月1に、日本が清国に宣戦布告し、日清戦争が起きた。だれもが知っている歴史的事実である。終戦は翌28年4月17日だった。この間、広島が首都になったと知っているだろうか。
 
 大本営が置かれた広島には、大元帥の明治天皇がきて陣頭指揮を執った。同時に、帝国議会が広島で開催された。広島が首都になったのである。
 
 日清戦争は、朝鮮王国の支配をめぐって行われた清国との戦争である。戦費は2億円で、当時の国家予算の2年半分だった。

    写真=後藤新平 (ネットより)

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 朝鮮半島の衛生状態はことのほか悪かった。汚濁、糞尿、汚れた洗濯水が、河川や井戸に垂れ流しである。水場はコレラ、ペスト、雑菌のたまり場である。
 飲料水に適さず、衛生環境はひどいものだった。

 日本の河川は真水でも飲める。「水が美味しい」。日本兵には警戒心がない。勇敢に戦う日本兵士が戦場を駆けまわり、喉がカラカラに渇けば、おもわず生水を飲む。衛生状況が悪い。水が悪い。衛生管理が悪い。赤痢・コレラ、腸チフスなどの伝染病を発症し、兵士から兵士へと感染した。そして、日本陸軍の内にまん延した。

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 広島・宇品港は大陸への兵士や物資の輸送拠点である。感染病をもった兵士らが帰還し、宇品に上陸してくる。
 明治天皇がいる首都・広島で、たちまちペスト、コレラ、腸チフスの感染病が大発生した。広島県内で3,910人が発生し、死者が2,957人。死亡率75.6%である。
 感染者の4人のうち3人が死んだ。

 なんと、明治天皇の側近で、参謀総長だった有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)が、広島で腸チフスを発症し、明治28年1月15日に兵庫県・明石で死去したのである。
 
 有栖川宮殿下はご存じだろうか。歴史に名を遺す人物だ。慶応3年12月9日の明治新政府が成立し、三職の最高職の総裁になった。
 鳥羽伏見の戦いのあと、東征大総督として江戸城攻撃で、17歳のとき婚約した和宮(德川家茂の妻)と敵と味方にわかれた。「悲哀のストーリー」となった。
 有栖川宮は、江戸城の無血開城で、参謀の西郷隆盛を使った。西南戦争では、その西郷が敵の総大将となり、征討総督の有栖川宮が対峙する皮肉な結果になった。
 
 このように幕末・明治の歴史の中心にいた大物が、広島で感染して病死したのだ。どんな大物でも細菌を敵にしてはかなわない証しである。

 それは現在のコロナウイルスにも言えないだろうか。
             
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 話を日清戦争にもどそう。朝鮮半島に出征した日本の将兵は18万人で、3分の2にあたる約11万5000人が野戦病院に収容された、と記録がある。

 日清戦争の戦死者は1,417人で、病死は1万1894人である。変死は177人。戦地で死んだ88%。10人中に9人は病死(伝染病と脚気)である。

 銃弾・砲弾による死者はきわめて少人数(1,417人)であった。病死者と一ケタ違う。

 戦争が終われば、朝鮮半島の野戦病院に収容された約11万人の将兵が、日本に帰還してくる。日清戦争の出征総人数の、3分の2が伝染病などで帰ってくるのだから、水際で検疫・防疫しないと、たちまち全国に拡散し、大惨事になってしまう。

 この現実と向き合った陸軍は、検疫体制について、天皇の御前で話し合いが行われた。似島(広島)。彦島検疫所(下関市)、桜島検疫所(大阪市)の3か所が決められた。
 責任者の陸軍検疫部長はだれにするか。

           * 

 明治天皇の側近医師として、軍医総監の石黒忠悳(ただのり)が広島にいた。しかし、石黒は大陸の疾病者数を重くみた陸軍によって、すでに野戦衛生局長に決められていた。
 その石黒が推薦したのが、後藤新平だった。

 後藤にはドイツに医学留学の経験がある。板垣退助が岐阜で遊説中に暴漢に刺された事件があった。「板垣は死すとも、自由は死なず」と叫んだ有名な事件である。後藤新平はそのときに板垣を診ている。
 後藤は病院・衛生に関する行政に従事し、内務省の衛生局長だった。つまり、後藤新平は官僚であって、陸軍の軍医ではない。

 当時、世間を騒がせた相馬事件の連座で、後藤新平は五か月間ほど入牢していた。裁判の結果、無罪になったが、衛生局長は解雇された。
 浪人の身で、石黒忠悳がいる広島にやってきた。もしかすると、相馬事件にからみ浅野長勲(ながこと)が生活支援していたとも推量できる。

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 陸軍次官の児玉源太郎は、
「検疫の最高責任者は、国家の重要な任務だ。入牢から出てきたばかりの風来坊など論外だ。軍医を使え」
 と難色を示していた。
 石黒から話を持ち込まれた後藤新平は、芯の強い人物だから、軍医にはならないと、それを蹴ってしまったのだ。

 戦況は清国の降伏に傾きそうだ。終戦になれば、すぐさま約11万人の伝染病患者の将兵が、日本に帰還してくる。もはや、待ったなしになった。

                   【つづく】

【歴史から学ぶ】検疫の重要性を知ろう。後藤新平がつくった世界最大級の似島検疫所(下)

 明治天皇の側近医師の、軍医総監の石黒忠悳(ただのり)が、広島の大本営で、だれを国家の重要な検疫総責任者にするか、と苦慮していた。

「入牢から出てきたばかりの、風来坊など論外だ」と陸軍次官の児玉源太郎が難色を示していた。石黒が推薦する後藤新平の方は、「軍医にはならない」と拒絶する。
 双方の間を取り持った石黒は、軍医でなく、「陸軍検疫部事務官長」という事務方の役職名をつくった。児玉陸軍次官が渋々と折れた。

           * 

 後藤新平には速攻性と実行力がある。しかし、官僚時代から「大風呂敷の後藤」で、とてつもない予算を要求すると名高い。
「約11万人の将兵が、日本にいっきに帰還するのだから、巨きな検疫所でないと駄目だ。それでないと引き受けない」
 後藤は、戦費に苦しむ陸軍に、150万円の要求を示したのだ。(当時の国家予算が8000万前後)。
 その要求が認められると、後藤はみずから広島陸軍検疫所の似島(にのしま・広島市)に入り、寝る間もなく、突貫工事の陣頭指揮にたった。

           *  

 日清戦争の終結は、同年4月17日である。翌5月30日に、広島沖に似島検疫所が完成した。わずか2カ月で、後藤は当時として世界最大級の検疫所を造ったのだ。全国から軍医があつめられた。6月1日から開所し、検疫業務がはじまった。

 6月7日には、北里柴三郎博士が、当時の新型「熱気消毒用機器」(蒸気式消毒液缶)の実験のために似島にやってきた。

            *

 朝鮮半島からの帰還兵が、多種多様の細菌をもちかえってくる。

 帰還者はまず似島の沖合に停泊した船内で、個別の検疫を受ける。そして、上陸する。

写真説明= 現存する検疫所の桟橋は二カ所あった。上陸してくる兵士用の桟橋。検疫をパスして帰船に乗る兵士用の桟橋。双方の接点となる「濃厚接触」を完全に避けている。後藤新平はドイツで学んだ衛生学の基本をここにおいた。

                 * 

 靴と着ている兵士の服はすべて消毒器で消毒される。銃は屋外の指定場所に置く。クレゾールで除菌する。兵士の毛布は、100度ていどの熱湯の蒸気釜(高圧蒸気滅菌)で消毒する。
 熱に弱い革製品、水筒はホルマリンを使った約60度の蒸気で、殺菌する。

 兵士たちは整列して、消毒風呂に入る。全身を消毒液につけて雑菌まで除菌する。シャワーで消毒液を洗い流し、石鹸を使ってからだを洗う。休憩室で、お茶やお菓子がふるまわれる、約半日のコースである。

           *

 似島は増築される。3カ所の総建坪は2万2,660坪、401塔がつくられた。保菌者は入院させられる。そのための「伝染病隔離施設」(病院)も設けられた。

 皇室といえども、大陸帰りの者はすべて検疫した。目こぼしがなかった。同年9月から、コレラ患者が国内で激減している。
 似島における検査数は、9万6168人、船舶441隻である。

 前例のない大規模な検疫所だが、日清戦争関係だけでも、似島で戦う軍医や職員から53人もの死亡者を出している。
「検疫」がいかに医者や看護師や事務方のリスク(危険度)になっているか、よくわかる。
 これら53人の犠牲をふくめた検疫官の上で、戦勝にわく日本が細菌列島から回避された、といっても過言ではない。もしも、後藤新平による似島検疫所ができていなければ、10年後に勃発した日露戦争の勝利などは、まちがいなく、あり得ない。

 ドイツ皇帝(Wihelm Ⅱ)は、「検疫については、ドイツが世界一だと自信を持っていたが、この似島の検疫所には負けた」と語っている。 

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 後藤新平は国内外から絶賛された。台湾総督になった児玉源太郎からも高く評価されて、台湾民生局長に抜てきされる。
 その後、満州総裁、拓殖大学学長、東京市長の時に関東大震災が起きた。内務大臣兼帝都復興院総裁として、東京復興が任された。
「地震はなんどもやってくる。100年先を見据えた都市計画にする」
 と壮大なプロジェクトだった。

「風呂敷の後藤だ」と藩閥政治家に酷評されるし、高橋是清などに「100年後のビョジョンの巨額の資金よりも、被災者の日常生活のお金が優先だ」と反発されて予算規模が縮小された。
 後藤は「挫折しても、何かを残す」という信条と信念で、都市の全身治療が無理ならば、区画整理(根幹の外科手術)を施した。
 それだけでも、世界最大規模の復興をやり遂げたのである。

 それから60年後だった。昭和天皇が「関東大震災の復興に当たって、後藤新平が非常にぼう大な復興計画を立てた。そのまま実行されていたら、おそらく東京大空襲の被害が軽かったんじゃないか。非常に残念に思います」と回顧されている。

           *
  
 似島検疫所のその後を語っておこう。日露戦争では66万3443人、船舶数が1753隻とより大規模となった。


 太平洋戦争の原爆投下後に、似島検疫所が被爆者救護施設になった。
 被爆者たちの白血病が「赤痢」だと誤認されていた。伝染病患者として、被爆者の受け入れがつづいた。薬もすぐに底をつき、似島の施設はその日のうちに飽和状態になった。

 広島が被爆後の20日間で、青少年を中心に1万人を越えた。完全に「医療崩壊」である。
 死者が検疫所の火葬場で火葬されていたが、あまりにも急増から、それも間に合わなくなり、陸軍が掘っていた防空壕に入れられて埋葬された。


 写真説明=「この島には、随所に幼い子供たちが埋葬されています。現在では、個々のお名まえがわからないので、『千人塚』としています」と教わった。


【歴史から学ぶ】

 コロナウイルスの報道から、ニューヨーク市は医療崩壊し、大勢の死者に対して孤島に運び、棺を重ねて埋葬している。
 それは似島検疫所の原爆の被爆者たちへの対応と、類似している光景だ。「コロナウイルスは第3次世界大戦」といったフランスのマクロン大統領のことばが真実味をもつ。

          *
  
 最近の我が国の報道から、大学生が都市部から地方に帰省している。あるいは、若者たちが沖縄の孤島に遊びに行く。島民との「濃厚接触」が起きてしまう。
 衛生学権威の後藤新平が、その濃厚接触を最も恐れ、大規模な検疫設備をつくった歴史を知らないからだろう。それ以前に、政治家が「濃厚接触」の回避の重要性をさしてわかっていない。だから、自主判断に任せている。


 現在、わが国の島々には検疫所がない。ウイルス対策ができる高度な医療施設もない。この先、コロナウイルスが持ち込まれると、たちまち医療崩壊を起こす、重大な危険性がある。
 
 長野からのSMSやフィースブックをみていると、家族ぐるみで軽井沢、八ケ岳山ろくの別荘に来ていると批判が多い。
 だれがコロナ感染者かわからないと、地元住民の恐怖がつづられている。

           *

 新型コロナウイルス対策の特別措置法が、4月8日に7都府県に出された。各知事が記者会見して、「外出自粛要請」や「施設の使用停止」などを発表している。

 ことばは悪いが、この知事たちは選挙が目的ではないのか、と思う面が多い。

 いまや、全国の知事たちは、『市町村の行政長に、措置の権限を委譲する』と処しないと、きめ細かく対策ができず、全国に急激にコロナウイルスがまん延する可能性が高い。
 つまり、東京都、神奈川県、大阪府というような大枠で処する、それでコロナ封じ込めができない段階まで切迫してきているのだ。

 市町村長に権限を委譲する。自治体の長には「緊急事態だ、非常時だ、住民票のもとに帰れ」という強い行政権まで与えないと、「自宅に留まらない」人間に、自主判断に任せていると、「一島全滅」を起こしかねない。

 これは単なる危惧ではない。過疎化したといえども、1町村の人口の半分~8割の犠牲すらあり得るかもしれない。


 写真説明=日清戦争・似島検疫所の焼却炉で、細菌付きの軍服が焼かれた。原爆投下のあと、被ばく死した青少年たちが火葬された。


 私は瀬戸内の島育ちだから、「島には外科医がいない、嵐が来れば、病院がある本州に渡れず、手術もできず、死しかない」という現実がわかる。

 検疫官などいない島に、コロナウイルスを持ちこまれたら、伊豆諸島、瀬戸内海の島々、沖縄の各諸島において、「一島全滅」は笑い事ではなくなる。肌でわかるのだ。

 どこの知事とは言わないが、見るからにTVで顔を売っている。パフォーマンスが強すぎる。危機に接する民のことよりも、知事選挙用の自分を売り込んでいる、まるで権謀術策葉は覇道だ、と言われても仕方ないほど、市民にたいするビジョンがない。

 後藤新平は『政治(行政)は万民のために、国を治す医者になるべきである」と唱えた。その後藤ならば、きっと「コロナウイルスが100年後にも起きる。現に、100年前にもスペインかぜでぼう大な犠牲者が出た。100年先の都市計画ビジョンにも資金を回す」と主張するだろう。

 大勢の上に立つ人間が、なにかといえば「専門家に聞く」とふらず、みずからが後藤新平の「濃厚接触」が最も危険だとした「衛生学」、「国家は生命体である」というビジョンなど、しっかり勉強するべきだ。徹夜してでも。そして、自分のことばで民に語りかけるべきだ。

           ※
  
 かたや、勉強するほどに、政治家は自分の勉強不足に気づくだろう。となとる、コロナ記者会見は衛生局長あたりに「後藤新平の精神」で具体的な対処説明をさせた方が良い、という判断にたどり着くかもしれない。
 住民の多くは、身近な明日への現実と、生活と、安全とを知りたいのだ。それを肝に銘じるべきだろう。

【歴史から学ぶ】コロナ禍の今や、サラリーマン危機である。フリーランス社会へと変貌していく

 日本人は数千年にわたり、仕事場が自宅だった。やがて徳川時代には丁稚・小僧という住込み生活という商業社会が生まれた。武士は隔月の交代制で10~15時に城勤めである。

 明治時代の中期から、日本人が会社勤めとして出勤する社会になった。日本人が戸外に出て働く社会は、わずか120年くらいの歴史しかない。
 もしかすれば、この歴史も短期で終焉するかもしれない。

 自宅勤務のテレワークといえば恰好が良いが、自宅勤務、つまの明治中期の家内工業社会にもどることでもある。
 電話とパソコンで社会につながれば、会社に行く必要がない。仕事は出来高、成果配分主義になっていく。

 会社の勤務態度など無関係になる。仕事の完成度で評価される。自宅で机の上に両足を投げだして仕事をしても、マナー違反にはならない。

 文明は大きな戦争によって大きく変貌する。
 コロナウイルスが第3次世界大戦と呼ばれる今、これまでのサラリーマン社会が崩壊し、新たなフリーランス社会に移行する可能性が高い。
 フリーランスの社会になることはなにか。それを考えるときにきたのだ。

           * 

 記者会見に出席し、司会者から「質問者は手をあげて、まず所属と名前を名乗ってください」と言われる。私の場合は決まって「フリーランスの穂高健一です」と言ってから、質問をむける。
 1人1問も暗黙のルールである。マナーかな。

 最近は作家・小説家の活動が中心となり、記者会見の場に臨む機会が殆どないけれど、私はフリーランス(Freelance)ということばが大好き人間である。
 日本語では「フリー」、「フリーランサー」、「定職を持たない職業的自由人」として使われる。特定の会社と雇用契約がないひとは「フリーランス」だろう。


 写真説明 = 2019年3月23日 浅草の桜。一年後には、この賑わいが日本から、否、世界中から消えた。それは世界の社会構造が大きく変わっていく前ぶれである。


 フリージャーナリストとか、フリーライターとか、という立場の多くは新聞社・テレビ局の記者を辞めて、独り立ちしたひとが多い。「会社の枠組みで書きたくない」という意識である。
 たとえば、社会部のベテラン記者が文化部にまわされたとする。1年、2年経つうちに、「自分はこんな部署で、こんな社の方針で記事を書きたくない」と飛びだす人が多い。勇気ある人だ。
 
 一般に辞める勇気がなく、「よらば大樹の陰で」、「妻子の為に」と思い、会社勤めをつづける。辞めても、独り立ちできるのか、と不安で怖くて、踏み出せないのがふつうである。

 しかたなく社に残り、編集方針に沿った取材をし、社の意図に反しないものをかく。己の考え・思想やイデオロギーとなると大袈裟だが、自分の信念、ときには正義感とは違った内容を書かされてしまう。これが大半のひとだし、生き方だから、否定はしない。

             *

 新聞社の写真部を飛びだしてフリーカメラマンになり、戦場カメラマンとして紛争国にむかう。死と向かいあい、生命を賭けて取材する。どこか往年の「武士魂」に似ている。
 中近東の危険な国、外務省が入国を禁ずるところにも、フリーカメラマン(最近は戦場カメラマン)として入る。 戦場で泣き叫ぶ子どもらを撮影し、「1枚の写真から戦争の悲惨さを訴える」というカメラワークをする。
 それを世界の通信社に売って、職業として、生活を支えている。
 書き手の場合は戦場記者(ルポライター)である。

 
 新聞社・テレビ局、雑誌社などは正社員を紛争国に社命で送りだし、死傷事件を起こすと、家族にぼう大な補償金を要求される。
 だから、フリーカメラマンやフリーライターの写真や記事を買った方がよい。その方がリスク・ヘッジ(損害回避)ができるからだ。

 フリーランスの良さはなにか。自分の意志で取材やテーマが決められる。拘束から解放される。
 私はフリーランスとして「あるある大事典」の「納豆事件」をスクープしたことがある。大きな波紋を拡げた。週刊誌7社から、逆取材を受けた。取材内容をオープンに公表した。私の記憶だと2-3週間後には、その番組がテレビから消えた。

 私がもしメディアの正社員だったら、「大切なスポンサーだ。世のなかは裏表ある。そのくらいわかるだろう」と圧力がかかり、良いネタでもボツになる可能性がある。

 かたや3.11東日本大震災のような大災害が起こると、大手メディアとフリーランスの棲み分けがある。
 大手メディアはヘリコプターを使う機動力、応援部隊による大勢の人海戦術で、一刻も速く報じる。それが救援物資の早期対応になったり、行政の施設確保、全国からボランティアの大勢の参加になったりする。
 フリーランスにはその速効性・機動力は足下にもおよばない。

 しかし、フリーランスはあきらめない。被災者の一人か、二人を長期に根気よく追う。災害でどんなに人生が変わっていくか。人間の温かみ、醜さ、愚かさなど、ルポとして世にでてくる。読むひとの心に、ひびいてくる。
 
 日航のジャンボ機の墜落などで、吉岡忍さん(現・日本ペンクラブ会長)が、フリーランスで御巣鷹山に入り、「墜落の夏―日航123便事故全記録 」のノンフィクションを出版し、世に知られた。
 神戸の大震災でも、3.11でも、フリーランスとしてテントを持って現地に入り、一週間も、二週間も、取材している。ルポが売れる、売れないに関係なしだ。自分自身にかせた使命感だろう。

             *

 フリーカメラマンがシャッターを切った「ベトナム戦争で川に溺れかかる悲惨な母子」「真っ裸で逃げだす少女」などが、アメリカ市民につたわり、「私たちの息子がベトナムに行って、あんなことをやっているのか」と、反戦運動が高まり、ベトナム戦争を止めさせた。

 フリーランスは好奇心と執着心がある。さらに、とぎすまされた勘がある。大物政治家を奈落の底に落とす、首相経験者を逮捕まで追い込んだ、著名なフリーランスがいた。

 そういう大きな取材だけでなく、ホームレスを追う。子育てに苦しむシングルマザーを追う。陽が当たらない人にスポットをあてる。社会保障問題や経済格差、教育格差などを世に問う記事を出すフリーランスがいる。

 私個人の認識だが、フリーライター、フリーカメラマン、フリージャーナリストは、それなりに力のある人が多くいる。朝日、読売、NHK、TBSと名乗るひとよりも、フリーランスには凄腕の記者がいる。

 取材される側も、その認識があるようだ。コロナウイルス関連のテレビで記者会見を観ていると、指名されて、「フリーランスの○○です」と堂々と応えている姿がある。

 私は心の中で、フリーランス頑張れよ、この惨禍で困っているひとは大勢いるのだ。政治家に、数百万人の失業者の群れをつくらせるなよ、と応援している自分を知る。
             
          *

 このたびのコロナウイルスの世界的な大問題のなかで、「フリーランス」ということばが勢い世のなかの正面に浮上してきた。
 役者は舞台が中止になれば、仕事はゼロになる。芸能プロダクションに所属しなければ、だれも保証してくれない。音楽家もオーケストラの演奏がなければ、職がなくなる。
「そうか、彼らもみなフリーランスなのだ」
 私の認識が拡がった。

 著名な芸術家でも、所属事務所をもたず、「フリーランスの芸人です」「フリーランスのトランぺッターです」ということばで表現する社会的な風潮が広まってくる予兆を感じる。 それは「フリーランス」という用語が、社会的な市民権を得ることである。

                  * 

 新宿の歌舞伎町の酒場で働くひとたち。コロナ拡大にともなう規制で、閉店すれば、はたらく女性も、バーテンダーも、ビラ配りも収入がゼロになる。
 むかし女給とよばれた人たちも、「フリーです」といえば、どこか定職のない惨めな人生のような社会の弱者に思える。アルバイトも、フリーターも、正社員が世のなかの支配者だった今まで、やや見下されてきた。


 キャバクラで働いていても、「フリーランス」ということばに置き換えられている。職業に貴賤はない。彼女たちも「フリーランスです」といえばよい。自分の意志でしごとをみつけて、スキル(接客技術)をお金に換えるワークスタイルのひとつである。
  
 むしろ、醜(みにく)いのは、ボランティア活動において、会社員の名刺(社名や肩書付き)を出すひとがいる。これは肩書社会の典型である。
 会社の規模・資産力などに寄りかかっている。自分自身に対してまったく個性がない姿だ。

 たとえ会社勤めしているひとでも、『この奉仕の場において、私はフリーランスです』と自分の名前だけの名刺をもって臨めばよい。そして、己の実力を評価してもらうことだ。


 フリーランスは自分の才覚や技能を提供するひとである。『プロ意識をもって、積極的に仕事に臨むひと』という定義になるだろう。
 
            *  

 フリーランスとは、ゼロから独立する存在である。あるいは危機からの再出発であったり、そして、世のなかが個性能力主義へと変わっていくだろう。
 フリーランス社会のメリットは、会社で上司の顔色を伺わなくても良い。まさにスキル(技術)と力量しだいである。新規な分野にチャレンジしたり、己の個性を生かす社会を創りだしたりするひとである。

 勤務社会に慣れ親しんだ人は、このさきスキルを磨いて、フリーランス社会へと、しっかりした心構えを持つときがきた。

 近世には産業革命が各地で起こり、機械がしごとを奪ったと言い、「機械の打ち壊し運動」が英仏に起きた。
 歴史はくり返す。うかうかすれば、あなたが「AI打ちこわしを叫ぶ」一人になりかねない。  
              *

 GNPの2割で民の生活崩壊を食い止める。下支えをする。むろん、人道的にも必要不可欠だろう。
 ただ、これをいつ誰が支払うのか。むろん、来年ならば1年分の利息が上乗せされる。政府は所得税の大幅な増税という回収で臨むだろう。プラスマイナスで治まれが幸運だが、おもいのほか過酷かもしれない。
 となると、大きな経済変動がかならず起きる。それでも、楽観的な期待だとして、さらなる見込み違いで、経済崩壊への加速度がつくかもしれない。

 過酷な税は苛政となり、政権がつぶれた歴史は枚挙にいとまがない。

 産業は決してゼロにはならない。そのなかで「わが身はわが力で生きていく」という最低限、それだけの心構えは必要だ。
 これから一か月間、コロナによる自宅待機の身ならば、産業の取捨選択まで視野に入れて、「己がフリーランスになった姿を描く」、良いチャンスかもしれない。
 
 10年後、20年後の歴史学者はかならず言うだろう。「コロナウイルスで、世界経済がストップしたのだ。だれもが予測できたはずだ」と嘲笑するはずだ。
 歴史は後からならば、誰でも言える、それが世の常なのだ。

【歴史から学ぶ】自衛隊のコロナ感染者情報がなぜ出てこない? 100年まえ、26カ国軍隊が世界パンデミックを起こした

 世界史のなかで重要な一つには、細菌・ウイルスと人類の戦いがある。

 15世紀末に新大陸が発見されたあと、征服者が欧州の病気を新大陸にもちこんだ。とくに天然痘が猛威を振るい、新大陸の多くの先住民が亡くなった。反対に新大陸からは梅毒が伝わり、これもまたたく間に欧州全土に広がった。

 人類を脅かす感染症の代表はペスト(黒死病)だ。ペストによる世界的大流行(パンデミック)は6世紀、14世紀、19世紀と3回あった。

 そのなかでも14世紀の大流行は死亡確率は50~70%で、人類滅亡の寸前までいった。中国では人口が半減、イタリア北部はほぼ全滅している。
 当時の世界人口が4億5千万人で3億5千万人にまで減った。死者の総数はいまの日本の総人口に値する、といえば解りやすい。

           *

 1894年の3度目のペストによる大流行は、香港から広がり中国とインドで1200万人が亡くなった。
 細菌学者の北里柴三郎が、日本から香港に派遣されて到着した2日後に、ペスト菌を発見したことは有名である。その結果、ペストの抗生物質が著しい治療効果を上げている。

             *

 インフルエンザの史上最大のパンデミックは、1918年の「スペインかぜ」である。欧米アジアを巻き込んだ世界大戦の最中に、世界で5億人が罹患(りかん)し、約7000万人が亡くなった。(数には諸説あり)。
 日本も多分に漏れず約2300万人が罹患し(当時の日本人の約1/3)、そして約38万人が亡くなった。
(新型コロナウイルスは、2020年4月4日現在で日本では3000人である。その罹災者の数とスペインかぜと比べてみると、日本国内でも、いかに甚大な被害だったかとわかる)

                *

 このスペインかぜの発端はアメリカにあった。
 北米アメリカ軍兵舎で、大勢が罹患した。かれら感染兵士が欧州の戦線で、ウイルスを拡散し、アフリカなどにも、まん延させたものだ。


   写真=Wikipedia スペインかぜに罹患した陸軍基地(カンザス州)の兵士


 第一次世界大戦の参戦国(26カ国)は、軍事機密で、その被害状況を隠ぺいしていた。戦力低下を敵国に知られたくなかったためである。
 ただ、非参戦のスペイン国は、病気の被害情報を公開していた。だから、気の毒にも「スペインかぜ」と悪名で呼ばれはじめた

 
 100年前の段階で、ウイルスが発見されていなかった。となると、有効なワクチンや抗ウイルス薬もなかった。もはや、世界大戦を止めるしかなかったのだ。
「第一次世界大戦の本当の勝者はスペインかぜ」
 ともいわれている。

         *

 ウイルスの発見は19世紀末である。1990年代後半になって、アラスカの永久凍土に埋葬されていた罹患者の遺体を発掘し、その肺組織からウイルス遺伝子を増幅させて解読したのだ。そして、「スペインかぜ」がウイルスによるものだとわかった。
 
 ウイルス感染症のパンデミックは世界史を変える。
 第二次世界大戦のあとの、今回の新型コロナウイルスは、まさに「第3次世界戦争だ」ともいわれる由縁である。

           * 

 感染症をもたらす病原体のウイルスは、人体という温度・湿度が一定で、栄養分が豊富な環境に潜り込み、繁殖して、子孫を生み出している(増殖)。猛烈な勢いで、変異をつくり出す。

 20世紀に入ってからも、ノロウイルス、インフルエンザウイルス、感染性胃腸炎、麻疹、風疹、水痘、肝炎(A型、B型、C型など)、帯状疱疹、エイズなどと、次つぎと病原体が発見されている。そして、世界を脅かしている。

 人間が開発する抗体は、ほとんどが後手に回っているほど、新規の医学部門なのだ。ある意味で、医者とか、医大教授とか、そんな肩書のひとが克明にウイルスが解るほど、平明なものではない。
 わたしたちは肩書に惑わされない防禦(ぼうぎょ)も必要である。

 このたびの新型コロナウイルスでは、厚生労働省は「基本的対処方針」として、「3つの密を避けましょう」を公表している。(3月28日)。密閉空間、密集場所、密接場面である。

 最も該当するのが、世界各国のすべての軍隊である。

 米軍空母『セオドア・ルーズベルト』において、新型コロナウイルスがまん延している。空母艦長が、「我々は戦争状態ではない。兵士は死ぬ必要はない。ほぼすべての船員を隔離させてほしい」、さらには「軍の対応が不十分だ」と訴えた。


 空母隊員が全員上陸すると、当然ながら、空母船団(護衛の戦艦、巡洋艦など10数隻をふくめて)の数万人の海軍軍人の活動が停まる。それは世界戦略のなかで、戦力低下となるからだろう。アメリカ政府は4月2日に、勇気あるクロージャー空母艦長を解任したのだ。

 日本人は、横浜港のダイヤモンド・プリンセス号の船内感性の猛烈なスピードからしても、米軍の巨大な空母の新型コロナインフルエンザ禍などはかんたん想像つく。猛烈ないきおいなのだろう。
 米海軍のクロージャー空母艦長の訴えは十二分にわかる。

           * 

 わたしたち一般人はメディア情報に依存している。最近のコロナウイルスの発表は、都道府県別あるいは都市別の数、院内感染ばかりである。

 自衛隊はどうなのか。その発表は日本政府から出てこない。「日本人は現在、コロナ感染者数は……」と示されるが、日本のコロナ感染者の棒グラフのなかに、自衛隊員はどのていど入っているのか。それが見えてこないのだ。

           *  

 丸い地球の隅々で活躍する諸国の軍隊が、新型コロナウイルスをまき散らすだろう。それは第一次世界大戦という歴史から学んできたことだ。


 自衛隊の隊員どうしの安全のみならず、基地周辺の住民との接触や規制などはどんな基準になっているのか。自衛隊はこれら防疫体制はできているのか。
 細かくいえば、全員が艦内でマスクをつけて訓練しているのか。そこらすら疑問になる。

 日本はなぜ自衛隊と呼称するか。
 『自衛』と、『防疫』とほぼ同義語である。防疫とは、感染症患者の早期発見と隔離、消毒や媒介動物の駆除、予防接種などで国民の生命を守るシステムである。

           *
    
 軍隊は機密主義もわかるけれど、第一義は「国民の生命と財産の安全のための軍隊だ」という理念は決して忘れてはならない。
 防衛相は、国政選挙でえらばれた代議士だ、シビリアンコントロールが求められる。国民の安全のために、時々刻々と陸・海・空のコロナ感染の現況を発表する義務がある。
 それなくしては、日本人のコロナ感染者の総数は虚偽になってしまうからだ。

 この先、米国・トランプ政権のように、内部告発した空母艦長を解任にしてしまう、という乱暴だけは日本の自衛隊は避けてほしい。

【読者・寄稿】神機隊・砲隊長の高間省三の墓参り。双葉町の原発規制解除で=hiro kingさん

 これまで広島藩の幕末史が長く封印されていました。浅野家史「芸藩志」が世に出て、薩長芸軍事同盟による倒幕がなされた、と幕末史がくつがえりました。

 さらには広島藩・浅野家の家臣が立ち上げた神機隊の若者320人が、戊辰戦争に自費で出征し、相馬藩・仙台藩と激しい戦闘をくり返し、北上しました。
 ついには仙台藩の降伏・それが連鎖で会津藩の白旗につながります。

  広島藩の神機隊の砲隊長・高間省三が、その浪江の戦いで戦死し、福島県・双葉町の自性院に埋葬されました。

 激戦地における高間省三の戦いの凄まじさは、明治時代の軍人必読「軍勇亀鑑」にも克明に取り上げられています。戊辰戦争で取り上げられたのは西郷隆盛、板垣退助、大村益次郎でなく、ただひとり高間省三のみです。
 日清・日露戦争からの軍人は、同書を一読するか、ポケットに入れていました。

                 *

 2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原発の事故で、約10年間にわたり、双葉町は立入規制がかかりました。高間省三が世に知られる一方で、墓参りしたくても、原発の規制から自性院に入れなかったのです。


 このたび(2020年3月初旬)、同町の立入規制が解除されました。それにともなって、多くの方々が念願だった神機隊・砲隊長の高間省三の墓参りができます。
 規制解除のあと、一番に高間省三の墓に詣でて花を添えられた読者から、レポートが寄稿されました。


 hiro kingさんのレポートは、ここ10年間にわたって、福島県で高間省三のみならず神機隊の墓参りをされてきた、この日が待ち望まれた想いがよくわかります。

 ご紹介します。


【hiro kingさんのレポート】

 お墓参りの発端は30年前の私がまだ大学生のころになります。今は亡き祖父との話からです。祖父は第二次世界大戦の時、満州に軍人としており、シベリアに抑留されていたことがあります。

 お酒が好きで、よく飲むと様々な話しをしてくれました。その時の話しですが、「思い残した事がある。歳だからもう行けないかもしれん。変わりに誰か参ってくれんかのぉ」って言い出しました。
 祖父の曽祖父が、祖父に友人と神機隊に参加する約束をしておきながら、家の事や、馬廻役という役を考えたら、一緒に参加することが出来なく、その友は福島の地で亡くなった。が、ずっと墓参りに行く事が出来ず、悔やんでいたそうです。


写真提供=hiro kingさん

 私もそれを聞いて、祖父が行けなかったから、私がお墓参りをするよと言い、今に至りました。

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 会社の仕事で、福島でのプロジェクトへの応募があり、早速、応募しました。地図で見ると近く感じますが、高速で名古屋港まで行き、そこからフェリーで仙台港、また高速乗って、会社の用意してくれたホテルへと移動しました。

 これは年寄りには出来ないなっ感じ、神機隊の方々は、はるばるこの地まで芸州藩の名誉のためにまいったのだな、と涙が出る思いでした。

 ホテルは南相馬市の鹿島区で6号線沿いなので、GPSでお墓の場所を調べると、そんなに遠くありませんでした。

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(2020年)2月16日、幕末芸州広島藩研究会広報室に、無事に福島到着を伝えたところ、あるサイトを紹介してもらい、お墓参りの参考にしました。

 携帯のナビアプリに墓所の場所を登録すると、私が滞在しているホテルの前にある国道6号線の沿いに高間省三様が眠る自性院さんがあり、他の方達が眠る墓所も、大体がその沿線にありました。
 明日から仕事がある。が、西条の上田の子孫の私が遅ればせながら、福島に到着した、という事を、戊辰戦争で亡くなられた方達に報告したくて、車に乗り、お墓参りに向かいました。


 この長期出張を希望した目的がお墓参りだったので、数珠やお線香、ライターは車の中に常備させていました。
 途中、お供えのゴマ団子を購入し、私が滞在しているホテルより、もっとも近い自性院さんを目指しました。

 この南相馬の人達は、車のスピードを結構出すので、あおられてる感があり、車の運転はめちゃ怖いです。
 車のナビは自性院さんのある場所を表示していました。だが、帰宅困難地域で、バリケードの中、仕方なく、バリケード前に車を停めて、自性院さんの方向に手を合わせ、参るのが遅くなりましたと、お詫びをいたしました。

 また参る旨を伝え、いわき市にある性源寺さんをめざしました。
 双葉町、大熊町を抜けるが帰宅困難地域であるため、映画のセットを思わせるゴーストタウンと化していました。

 道路沿いの家は玄関を全て、バリケードで覆われ人の気配は、まるっきりしない作り物の世界の様です。通り過ぎながら幻を見た感覚に陥りました。

 蟹洗温泉により、昼食をとり、いわき市、性源寺さんへ参りました。お寺内で法事があるのか人の出入りが多く、ご住職にお話を聞く事が出来ませんでした。が、神機隊の皆様のお墓は戊辰戦争で亡くなられた方たち(長州藩など他藩の倒幕派)と同じとこにあり、すぐにわかりました。


 福島に来て思ったのが、立派なお墓が多い事です。死者への礼なのかもしれません。だから神機隊や他の倒幕派の方々にも同じように、お墓を建て守ってくれてるのかもしれません。

 性源寺さんは、松ヶ丘公園の下にあります。松ヶ丘公園は桜とツツジの名所になってます。私が参った時は、2月なので、何も咲いてないのですが、日本庭園を感じさせる赴きのある事はわかりました。

 亡くなられた神機隊の方々も、この名所の花を観て、心安らかに眠られているでしょう。

 性源寺さんを後にし、修行院さんにむかいました。修行院さんを通り過ぎて、先にいわき市にある性源寺さんに参ったので、後戻りになります。

 修行院さんは海の側にあり、津波の影響を受けたみたいです。

 こちらも御住職の御身内に法事という事で、お話しが出来ませんでしたが、お墓の位置がわからなかったので、御住職の奥様に案内してもらい、無事にお墓参りを済ませました。
 震災のせいか、割れている墓石がありましたが、無残な感じでなく、修復された感じでした。
 周りにはまだ修復されていないお墓もあり、比べてみて、ありがたく思いました。どなたかが供えてくれたのか、ワンカップが置いてありました。

 それを見て、次回参る時は、広島・西条のお酒を備えようと思いました。以上、強行軍でのお墓参り日記でした。

  hiro kingさんのレポートから、規制解除の半月前に自性院にいって入れず、あらためて翌3月に双葉町に入り、高間省三の墓前に花を添えられてきたようです。  

コロナ感染者のGPSマップをつくるべきだ。日本国憲法「国民の生命と財産を守る」の精神で

 新型コロナウイルスが全世界に爆発的にまん延してきた。ことし(2020)年内にも、世界の感染者数が1億人、死者1000万人も、あながち誇大な数字に思えないほど勢いを増してきた。
 最先端都市のニューヨーク市が、イタリアが、イギリスの首相までが、とおどろくばかりだ。

 先進国はコロナとの戦いで、戦場化している。どのように阻止するか。それぞれの国が民とともに統一戦線を張っている。 

 世界中を見渡すと、スマホとケータイの普及率が高い。先進国のみならず、各国で感染者のGPSによる位置情報の提供をもとめはじめた。これまでのように、陽性者を隔離するだけでは、このコロナウィルスは抑制できない、と判断したからだ。

 個人主義からの脱却である。個人の機密など言っていたら、「一人を守って、一万人の犠牲者をだす」という考えだ。
 わが国でも、古来から「小異を捨てて、大同に就く」という格言がある。

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 先般は国民的な人気者「志村けん」さんが急死した。えっ、回復を期待していたのに、とだれもがおどろいた。
 ある老タクシー運転手さんに取材してみた。
「ショックですよ。コロナ感染者を乗せて、ぼくが死んだら、元も子もないから、会社にきょう3月いっぱいで辞めると、退職届を出しているのです。この商売をやっていて、だれが感染者か、わからないのはメチャクチャ怖いですよ」

 先進国の一部では、GPSで感染者がどこにいるか、それが地図上(赤点の動き)で、わかるシステムを導入してきたらしい、と教えると、

「日本は新しいことに遅いからね。新しい仕組みを作ると、決まって、だれかが反対する。声のおおきな反対者が一人でもいれば、やらないのが役人だ。役人は御身大切。GPSなんて、お役人が一番抵抗勢力になるだろうね」

 老タクシー運転手は、さらに都知事の発表なんて、なんの役にも立たない、暗い戦争時代の「大本営発表」とおなじですよ、と言い残して立ち去った。

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 4月1日の参議院予算委員会で、「陽性者がどこにいるか、それをGPSマップで教えるべきでないか」という質問が出てきた。
 なかなか前向きな質問だと、思わず聞き入った。

 政府関係者には、そこまで認識していなかったようだ。おどろきの表情だった。「検討に値しますが、個人情報との兼ね合いがありますから」と濁った口調だった。

「やっぱりな」と私は思った。
 
 個人情報保護法よりも、日本国憲法が優先する。子どもでも知っている。政府関係者は法律の優劣も知らないで、よく当選してきたものだ。

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 東京都民は1100万人である。毎日、60人以上が出ているといわれても、都民は確認の方法がまったくない。
 感染者が何区のなに町にいるのか。一切わからずだ。

 合計400人÷人口11、000、000=人口比は0・0000363%か。
 この数字からは、なにも読み取れない。

 いまの都政の行政マンは単なる感染者の集計マンにすぎない。私たちが目で見えて、肌で感じて、アクティブに行動できる情報になっていない。

 隠すことことが日本国民のためだ、と信じ込んでいた軍人政治家たちと、都知事や区長たちの精神構造は実によく似ている。戦時中の「国民総動員令」とおなじ発想だ。いたずらに、一億総引きこもり人間をつくっている。

「不要・不急の外出は自粛せよ」と大本営発表だ。
 実際はミッドウェー、ガダルカナタ、硫黄島の陥落していた。それに似て、23区の区別の感染者の実態すらいっさい教えない。
 私たちが従順なのか、為政者が過去の歴史から学んでいないのか。突然、焼夷弾(コロナウイルス)が落ちてくる。不安とは恐怖になるのだ。政治家が最も恐怖を煽っている。

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 4月1日、俗にいう町医者の内科。眼科なども、自主休業している。あるいは開業の時短だ。看護師や事務員が病院勤務に、怖くて来ないのかもしれない。通院患者のなかに、コロナウイルス患者がいるかもしれない。コロナウイルスの地域情報がないから、彼女たちは不安で怖くて、勤務すら尻込みしている。

 東京都民は町医者もかかれない兆しさえ感じる。病院が閉まっていると、隣接する薬局もガラガラの空席状態だ。
 これも子細な情報がないからだ。
           
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 海外滞在の邦人が、感染者となって帰国してきている。空港の検疫で、陽性反応が出てくる。帰国者たちの危機感、対策意識はどうなっているのか、と詰問したくなる。

 海外帰国の感染者が増えては、国内に住む者がいくら防禦しても「笊(ザル)に水」だ。虚しくなってしまう。

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「日本人だから、母国の日本に帰ってくる」
 それは絶対的な権利だ。

「イタリア、スペイン、フランス、アメリカから、今頃、のこのこ帰ってくる」

 世界にまん延してきた初期段階で、かれらはなぜ速やかに帰国しなかったのか。その判断に問題はなかったのか。日本在住の家族は、大勢が迷惑するからと、早め帰国をうながさなかったのか。
 おなじ日本人ならばこそ、甘い顔せず、そのていどの苦言は述べても良いのではないか。

 この問題は重要だ。まだ多くの海外邦人が帰国を望んでいる。その対策はできているのだろうか。現地の大使館は、帰国希望者の邦人らには、コロナウイルス検査を受けて、「陰性の証明書」をもって帰国させるべきだろう。
 いまのままでは蛇口の壊れた水道とおなじ。止まるところを知らずである。コロナウイルスの撲滅の根幹を断つ。それには厳しい検疫と義務を課すことである。
 
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 ひどい海外旅行者になると、3月に入ってから、子どもが学校休校になったからと言い、スペインに家族旅行に行く。ウイルスで危険なナイル川に物見遊山に出かけているのだ。
 こんな論外なひとなど、個人情報保護法で守る必要があるのか、と言いたくなる。

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 海外帰国者の感染者の存在は、地域ごとに仔細に教えるべきだ。個々人のプライバシーよりも、地域住民の生命の方が優先されるべきだ。情報の即時開示である。
 
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 コロナ感染者が半径100メートル以内にいたとすれば、幼少年は児童公園で遊ばせないだろう。1キロ以内にいたら、レストランとか、買いものとか、その地区は当座のところ避けておくだろう。
 住民は行動の範囲をみずから決めて、通学・通勤・病院通い、買い物などを決めるだろう。

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 GPSでマップによる感染者の位置情報の提供は、国民の命を守る有効な手段の一つだ。このシステムは、NTTドコモ、AU,ソフトバンクなどに協力を求めれば、すぐにでもできるはずだ。
 電波とは国民の財産のひとつである。このさいは国民のために有効利用するべきだ。

 個人情報を口にするのは、行政関係者に多いのが特徴だ。『苦情がくる』それに対応するのが嫌なのだ。クレーマーにたいして弱腰なのだ。

 公務員は税金で雇われて、民の奉仕のためにあるもの。役人の自己防衛や逃げのために個人情報保護法があるのではない。

 個人情報保護法は刑法でも、民法でもない。一般に行政法だと言われている。日本国民の生命と安全は『憲法』によって守られている。

 政府が先頭に立って、勇気をもって、「GPSを使ったち密な情報提供」をおこなう。「小異を捨て大同に就く」。日本国憲法の精神に則り、わが国を大勢のたいせつな命を救ってもらいたい。
 それをもって国民が不安や恐怖やうっ屈から解放されるのだ。

人類のピンチは、平和へのチャンスである。だれかノーベル平和賞を

 世界各国の大都市がゴースト・タウンのようになった。またたく間に、繁華街のなかに人影がなくなってしまったのだ。
 西洋諸国の人々は自由主義、民主主義のつよい意識から、政府の呼びかけを嫌う体質がある。しかし、コロナウイルス対策から「外出禁止」といわれると、TV映像を見るかぎり、かれらはふしぎなほど応じているのだ。
 
 西洋の国民が、急に素直な性格になったわけではない。「見えない敵」にたいして恐怖を感じているのだ。国内に、数百人の死者が出た以上、いつかしか、わが身に忍びよるコロナウイルスである。「身の毛がよだつ」、「背筋が寒くなる」、「怖くて、怖くて」と怖気づいているにちがいない。

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 英・米・仏・ロシアなどの大国は、中近東の紛争国へ軍隊を派遣する余裕などみじんもないと思われる。ウイルスと戦っている今、人間どうしが戦う余裕などないはずだ。

 報道を信じるならば、軍隊にはコロナウイルスの死者の棺を運ばせたり、国境封鎖の検問をさせたり、街なかを警備させたりしている。
 人類が戦う相手が、いまや敵兵でなく、ウイルスになったのだ。これを第三次世界大戦とみなす。となると、日本にはどんな役目があるのだろうか。

『人類のピンチは、平和へのチャンスである』

 ふだん「平和運動」の活動をしている民間団体、行政府の人は諸々の媒体を使って、「いまこそ平和をもとめよう」、「核兵器の放棄をしよう」と呼びかけるべきだろう。

 和平とか、軍縮とか、核廃絶とか、それらの提案を呼びかける、絶妙な好機にまちがいない。世界の多くのひとは自宅に閉じこもっているから、新しい情報発信に反応してくるはずだ。
「そうだ。戦争などしていられない。そんな軍事費はさして必要ではない。そのお金は、困窮する私たちの生活に補てんしてほしい」と考えるだろう。
 むしろ、考えない方がおかしい。
 


         *

 むろん、日本政府自身が、世界にむかって軍縮提案をおこなうとより効果的です。

 ……世界の町は無人化しており、経済活動が極度に低下しています。生産機械の稼働率が悪くなっています。当然ながら、失業率が急激に上がり、税収入が大幅に減ります。

 この認識にたいしては、世界中の首脳のだれもが否定しないだろう。

 コロナウイルスで閉店、失業、無収入、あるいは大幅な収入減が大勢出ています。民の声を聞く。この対応を怠ると、貧困、餓死、飢えから暴動が世界各地で起きてしまいます。

「天からお金は落ちてきません」
 
 ……生産活動の大幅な減少は、デフレを呼び込み、世界的な大恐慌へと進むおそれがあります。中小企業のみならず、大会社の倒産が連鎖を起こす。

 最悪はサーバー会社が倒産し、IT関連のシステムが機能を失ってしまうおそれが多分にあります。
 そこから産業、金融がパニックを呼び起こします。身近なところで、ATMからお金が降ろせない。コンピューター式の交通機関が動かない。株・国債の売買ができない。そのデータすら消えてしまう。資産が紙くずになる。

 天文学的な資産をもったお金持ちが、突如として、無一文になる。かれらすら生活費が生み出せない。
 世界の大都市の街にはとてつもなく大勢の失業者の群れができます。人類はおおきな犠牲と痛みを伴います。

          * 

 細菌学の歴史をひも解くと、細菌やウイルスによって、死者の数が5000万人、8000万人、あるいはヨーロッパで一つの国家の全員が死亡した歴史があります。

 ちょうど100年前(1918)には、アメリカ本土から発生したウイルス「スペイン風邪」(ネーミングがおかしい)で、なんと世界規模で戦死者よりも、ウイルスの死者数が上回ったのです。約7000万人です。

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 アメリカ28代大統領のウッドロウ・ウィルソン(政治学博士、プリンストン大学の総長、ノーベル平和賞)が、「もう戦争などやっているときではない」と全世界に停戦を呼びかげて、終戦を実現しました。

停戦を喜ぶアメリカ軍兵士。1918年11月11日。(ネットより)

 ウィルソン大統領は、二度とこんな世界戦争をしないようにと、「世界連盟」まで立ち上げました。

 当時の日本は、世界連盟の常任理事国でした。だが、松岡外相の脱退演説が有名です。そして、またしても第二次世界大戦が勃発してしまいました。

 人間は戦争の悲惨さよりも、ウイルスの恐怖が強いのです。ここに私たちの重大なヒントがあります。
 約100年後となる今、2020年において、全世界が一致協力して最悪のウイルス被害のシナリオは避けるべきです。それには日本人の私たちは何をなすべきでしょうか。

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『見えない敵のウイルスと戦うには、武器など必要ありません。世界の各国がいっせいに軍縮しましょう。軍事費の削減を元手にしてで、社会保障費に充てましょう」

 日本政府がテレビ会談で、世界の首脳たちにそう軍縮を呼びかけていくには、よいチャンスです。どこの首相も、壊滅的な打撃を避けたいはずです。
 コロナウイルスの死亡率が少ない日本だから、冷静に世界を見ているようだ、と高い評価を得るでしょう。

 過去にはワシントン軍縮条約、ロンドン軍縮条約などがあった。そこには呼びかけ人がいて、そして各国で話し合いがなされ、大幅な軍事費の削減に成功している。
 今回は日本人がそれを提案すれば、良いのです。テレビ画面の前で、一同が揃えばよいのです。
 第一次世界大戦のさなか、ウイルソン大統領がやった手法をいまアレンジして、日本から発信すれば良いのです。

           * 

 未来は絶望ではなく、情熱です。「東京オリンピック2020」の延期をIOCに申し出た日本だけに、軍縮提案にも耳を貸してくれる空気感はあります。
 日本にはまだ世界視野で物事をみれる、柔軟な姿勢と余力があるようだ、と評価されるでしょう。

 軍縮を叫ぶからには、わが国の自衛隊も軍縮にも、当然ながら協力してもらう。軍艦、戦車など不要不急の移動による石油消費を減らす。演習回数を減らす。それぞれ知恵を絞ってもらう。

 ウイルスと戦争しても、武器を使った軍事戦争は起こさない。政治家が担保すれば、自衛隊の立場の方も、人件費をのぞいて軍事費の圧縮を図ってくれるでしょう。むしろ、そうしてもらわないと困る。


           *    

 オリンピックの開催には、五大陸からコロナウイルス惨禍を取りのぞくことが必須です。アフリカ、中南米がこの先、どの程度コロナウイルスがまん延するのか。それはまったく不透明です。
 研究者すら判っていません。来年か、再来年か、その先まで影響を及ぼすことすら否定できていません。

 日本政府が開催に気をもんでも、結局は出たところ勝負になるでしょう。

          *     

 第三次世界大戦ともいえる人類危機の時にこそ、日本政府から世界の首脳にむけて軍縮、軍事費の削減を働きかけるべきです。
 世界の数億人がそれぞれ「わが命」と向かいあっています。欲望、武力戦争よりも、いまは生きることです。働けない現状の生活資源をつくることです。

 この生活危機を乗り越える、生活原資こそが軍縮です。 人間が積み重ねてきた軍備費を切り崩し、それを全世界の失業者、困窮者にまわす。これが人間のもっている英知です。ここにしか生き長らえていく原資はないかもしれません。

『ピンチは最大のチャンスです』
 やる前から諦めない。ともかくやってみる。この道は政治家として決して後悔しないでしょう。

 こういうときこそ、日本から民間人、政治家を問わず、ノーベル平和賞が出てもらいたいものです。
 

【歴史から学ぶ】コロナ・ウイルスの世界惨禍から、将来を読み解く

 歴史とは、過去ばかりでなく将来と連結(リンク)している。
『先』ということばがある。「先(さき)の第一次世界大戦の状況下において」といえば、過去の表現である。「先々、この新型ウイルス問題が、世界に大きな変革を起こすだろう」といえば、まちがいなく未来の表現である。

 このように、【先】ということばは過去と将来をリンクしているものなのである。

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 人間の歴史は、細菌との戦いの側面が多くあった。有史から数々の細菌の歴史がある。それを一つずつ克服してきている。強い結核菌のように1000年~2000年にわたり、解明できず、ここ50年でやっと解決にむかえた。恐るべき細菌も多々ある。、

 2020年。いま起きている新型コロナウイルスは、武漢から世界中にまん延したが、細菌歴史学からみたならば、過去のどれに該当するのだろうか。はたして1、2年で解決できる菌か。50年先、100年先、あるいは200年先に、細菌学者たちの長期の研究の努力の末に、ふいに偶然から抗体治療薬が発見できるほど、時間を要すものかもしれない。

           *
  
 メディアに登場する医学関係者は、自称・ウイルス専門家の肩書で登場している。その上で、きょう現在のコロナ患者の数字の解説に終始している。今後を語るも根拠のない推量・推測の面が強い。なかには、占い師か、と疑いたくもなるいい加減な人もいる。

「来年のオリンピック前には、終息するだろう」
 それは単なる希望的な期待である。まったく根拠とか裏付けとがない。
 細菌歴史上から、コロナウイルスがどんな種類に該当し、開発治療薬ができる見通しにあるのか、としっかりした判断が示さなければ、願望の領域を出ない。
 
 つまり、細菌医学の菌との戦いの歴史から、今後のコロナ治療薬・撲滅を語らないと、解決への方向性を示しているとは言いがたい。
 それでなければ、、無責任きわまりなく、ただテレビ・新聞に出たい、それをもって知名度を上げたい、という自己顕示欲による発言と言われても仕方ないだろう。


 医学関係のコメンテーターは『検疫が終らないと、日本本土にいっさい上陸させない』という日本の歴史をご存知だろうか。
  

              
 ことし(2020年)2月3日、大型客船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入る直前に、日本の検疫官が乗り込んで乗員・乗客の3、711人の健康状態などの聞き取りをはじめた。これは国際法から認められた当然の権利である。

 さかのぼること1月25日に同船から香港で下船した80歳の男性乗客が、新型コロナウイルスによる肺炎と確認されていたからである。船籍も、船長も外国人である。乗客の国籍は多岐にわたっている。大半が西欧の富豪層のひとたちである。

 大勢の乗船員・乗客に対応できるだけの日本人医師とか、検疫官とかがすぐに横浜港に集められず、手間取っていた。(ふだん医者は手空きで遊んでいるわけではない)。所轄の厚生省で対応策を協議する間にも、船内で伝染が拡大していく。
 まさに、船内検疫は遅々として進まずであった。

           *
 
「船内では、コロナウイルスが急激にまん延し、大勢の乗船客が伝染する危機にある。それなのに、日本の対応が悪い、遅い」 
 海外メディアはことさら連日バッシングしてきた。

 なんと言われようとも、日本政府は乗船客・乗務員は検疫が済むまで、上陸させない態度をとりつづけた。
 かたや、多くの日本人は、これを支持していた。少なくとも、日本側から「人道的に上陸させよ」という抵抗・反発の声が少なかった。
 これは何を意味するか。
 そこには、日本人特有の歴史を感じさせるものがあった。

           *

 約165年前、嘉永6(1853)年6月に、アメリカから黒船が来航した。約1年前にオランダから黒船がくると事前情報があった。徳川幕府は水際の海防(かいぼう)作戦をとった。

 事実、アメリカ東インド艦隊のペリー提督が浦賀に来航してきた。かれらが砲弾で脅しても、徳川幕府はすぐに対応せず、協議をつづけた。
 正式な返事を出さない。ペリー提督は苛立っていた。
 やがて、アメリカ大統領の国書を受け取ったが、幕府はすぐさま浦賀港から黒船を追い返した。

 半年後、ペリー提督がやってきて、さんざん脅す。徳川幕府はここで開国したけれど、貿易・通商となると、5年後まで先延ばしにさせた。

 安政5(1858)年の通商条約すら、異国人にたいしては横浜・函館・長崎の3港から、8里(32キロ)以内の行動に留めるものだった。
 横浜~東京は40キロである。つまり、異国人は横浜に来ても、江戸城下には行けなかったのだ。

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 老中首座・阿部正弘の開国から、大老・井伊大老の通商まで、この5年間の間に、わが国には異国人を排除する攘夷運動が、はげしく渦巻いた。

『聖地の日本を荒らすものは、一歩も上陸させるな」
 水戸藩の徳川斉昭(なりあき)の尊王攘夷(そんのう じょうい)の思想が、日本人に絶大なる支持を得たのだ。士農工商の階級を問わず、全国の寒村の末端まで、ほとんどの層が攘夷に賛同した。
 
 これは単に攘夷思想=鎖国にもどれ、という復古の問題だけでなかっのだ。そこには外国から来た細菌というとてつもない恐怖が日本人の底流にあったのだ。

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 安政6(1858)年に開港してみれば、異国人がいきなり長崎に細菌・コレラをもちこんだ。爆発的に感染した。またたく間に近畿圏(大坂・京都)・さらに東海道を東上し、江戸にまで及んだ。
『病気にかかったら、すぐにコロリと死んでしまうので、コロリと呼ばれた』
 日本中から、虎狼狸(ころうり)と怖れられた。


 日本中の優秀な医者が集まった緒方洪庵(おがたこうあん・大坂)塾では、コレラの治療がわからず、拡大が抑えられなかった。
 大坂では1日に800人が毎日、毎日死につづけた。
 江戸では100万都市だったが、合計24万人が死んだ。つまり、人口の1/4が死んだのである。

 全国規模で、どのくらいの死者が出たのか、明確な数字は残っていないが、日本人の1/4が死んだと類推できる。

           *

 倒幕といえば、尊王攘夷とか、薩長倒幕とか英雄史観で語られる。高杉晋作、西郷隆盛、坂本龍馬などが倒幕したといわれている。そういう歴史に陶酔しているひとも多い。

 倒幕の本質はちがう。

 外国から侵入したコレラ菌が、国内に猛烈に拡大したことから、全国の260余藩は大幅に人口を失った。田地の耕作者を失くし、大凶荒から、財政破綻を招いたのである。それが起因して、幕藩体制の基盤がおおきく崩れてしまったのだ。

 あげくの果てに、コレラの大流行が、260余年間にわたり泰平の世を維持してきた德川政権を瓦解(がかい)させてしまったのだ。
 それは横浜港が開港してから、なんと、わずか10年後であった。
 
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 私たちの立場からみれば、曽祖父の時代である。わずか150年前の出来事だった。その教訓が、
『そとから帰ったら、手洗いとうがいをしなさい』
 明治から始まった義務教育で、幼少の躾(しつけ)教育として組み込まれた。
 倒幕の歴史は薩長史観にしろ、庶民は「手洗い・うがい」という形として現代に続いているのだ。コレラの歴史から学んだ日本人の習慣になった。

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 あらためて、ダイヤモンド・プリンセスを事件としてみると、
 『聖地の日本を荒らすものは、一歩も上陸させるな』
 これらを歴史的に知り得ているから、検疫が終るまで上陸させないことに、日本人には抵抗がなかったのである。

 反発する外国からは、特別機の飛行機で、プリンセス号の乗客を引き取りに来た。ならば、異国人はまだ検疫が済んでいなくても、どうぞ、どうぞ、と引き渡す。

 まさに、江戸時代に日本沿岸で外国船が難破・遭難すると、異国人はオランダ船に乗せて、ジャワでさっさと当事国に渡しまう。帰国させたのだ。
 この事象とよく似ている。

           *

 このたびのダイヤモンドプリンセス号において、検疫結果が出ていない日本人はすべて船内にとどめ置く。この処置に対して、乗船者も、国内の一般人からも、「即時解放」という要求や反旗があがらなかった。
     
 江戸時代に話がもどるが、日本人漁民の漂流民は、外国の土地をいちど踏んだからには帰国させない。徹底した鎖国主義を貫いてきた。
 かりに帰国しても、長崎奉行所は長期に、2年も、3年も取調べる。それが終わるまで、有無を言わせず、隔離しておく。

 鎖国時代の日本人は、それが当然だと受け入れていた。遭難したのはあなたの運命だ。漂流民が可哀そうだ、という意識が日本人には薄かったのだ。
  当時は伴天連(キリスト教)の伝染を恐れていたからである。

 だから、プリンセス号の船上でお役人の検疫が終わるまで、つまり長崎奉行所のお取り調べがおわるまで、という共通の日本人意識が読み取れるのだ。

 約150年経っても、民族意識はそうそう変わるものではない。意識、無意識にも、歴史の上で、わたしたちのなかで脈々と生きているものだ。

           *

「歴史から学ぶものが多い」
 横浜に接岸したダイヤモンドプリンセスから、約634人の新型コロナの患者を出しながらも、同船を起点としたウイルスが日本全国にまん延しなかった。

 これは日本政府が、150年前の徳川政権がとった列島の水際作戦という海防政策とよく似た、強い強硬な施策を取ったからである。


 細菌の歴史も知らずして、無責任に放談しているメディア・コメンテータはこのところ実に多い。江戸城下は世界最大の100万都市でありながらも、コレラ菌の流行で人口の1/4になる24万人が死んだのである。

 150年経ったいま、東京は1000万人の大都市である。この先、人口に対する被害者比率はいかほどか。
 医者・専門家といえども、細菌史学をしっかり見据えたうえで、コロナウイルスを語るべきである。


 次回は、「明治時代の日清戦争・日露戦争後の世界でも類を見ない厳しい検閲制度」についてです。
              

             写真:Google写真・フリーより