【読者・寄稿】神機隊・砲隊長の高間省三の墓参り。双葉町の原発規制解除で=hiro kingさん
これまで広島藩の幕末史が長く封印されていました。浅野家史「芸藩志」が世に出て、薩長芸軍事同盟による倒幕がなされた、と幕末史がくつがえりました。
さらには広島藩・浅野家の家臣が立ち上げた神機隊の若者320人が、戊辰戦争に自費で出征し、相馬藩・仙台藩と激しい戦闘をくり返し、北上しました。
ついには仙台藩の降伏・それが連鎖で会津藩の白旗につながります。
広島藩の神機隊の砲隊長・高間省三が、その浪江の戦いで戦死し、福島県・双葉町の自性院に埋葬されました。
激戦地における高間省三の戦いの凄まじさは、明治時代の軍人必読「軍勇亀鑑」にも克明に取り上げられています。戊辰戦争で取り上げられたのは西郷隆盛、板垣退助、大村益次郎でなく、ただひとり高間省三のみです。
日清・日露戦争からの軍人は、同書を一読するか、ポケットに入れていました。
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2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原発の事故で、約10年間にわたり、双葉町は立入規制がかかりました。高間省三が世に知られる一方で、墓参りしたくても、原発の規制から自性院に入れなかったのです。
このたび(2020年3月初旬)、同町の立入規制が解除されました。それにともなって、多くの方々が念願だった神機隊・砲隊長の高間省三の墓参りができます。
規制解除のあと、一番に高間省三の墓に詣でて花を添えられた読者から、レポートが寄稿されました。
hiro kingさんのレポートは、ここ10年間にわたって、福島県で高間省三のみならず神機隊の墓参りをされてきた、この日が待ち望まれた想いがよくわかります。
ご紹介します。
【hiro kingさんのレポート】
お墓参りの発端は30年前の私がまだ大学生のころになります。今は亡き祖父との話からです。祖父は第二次世界大戦の時、満州に軍人としており、シベリアに抑留されていたことがあります。
お酒が好きで、よく飲むと様々な話しをしてくれました。その時の話しですが、「思い残した事がある。歳だからもう行けないかもしれん。変わりに誰か参ってくれんかのぉ」って言い出しました。
祖父の曽祖父が、祖父に友人と神機隊に参加する約束をしておきながら、家の事や、馬廻役という役を考えたら、一緒に参加することが出来なく、その友は福島の地で亡くなった。が、ずっと墓参りに行く事が出来ず、悔やんでいたそうです。
私もそれを聞いて、祖父が行けなかったから、私がお墓参りをするよと言い、今に至りました。
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会社の仕事で、福島でのプロジェクトへの応募があり、早速、応募しました。地図で見ると近く感じますが、高速で名古屋港まで行き、そこからフェリーで仙台港、また高速乗って、会社の用意してくれたホテルへと移動しました。
これは年寄りには出来ないなっ感じ、神機隊の方々は、はるばるこの地まで芸州藩の名誉のためにまいったのだな、と涙が出る思いでした。
ホテルは南相馬市の鹿島区で6号線沿いなので、GPSでお墓の場所を調べると、そんなに遠くありませんでした。
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(2020年)2月16日、幕末芸州広島藩研究会広報室に、無事に福島到着を伝えたところ、あるサイトを紹介してもらい、お墓参りの参考にしました。
携帯のナビアプリに墓所の場所を登録すると、私が滞在しているホテルの前にある国道6号線の沿いに高間省三様が眠る自性院さんがあり、他の方達が眠る墓所も、大体がその沿線にありました。
明日から仕事がある。が、西条の上田の子孫の私が遅ればせながら、福島に到着した、という事を、戊辰戦争で亡くなられた方達に報告したくて、車に乗り、お墓参りに向かいました。
この長期出張を希望した目的がお墓参りだったので、数珠やお線香、ライターは車の中に常備させていました。
途中、お供えのゴマ団子を購入し、私が滞在しているホテルより、もっとも近い自性院さんを目指しました。
この南相馬の人達は、車のスピードを結構出すので、あおられてる感があり、車の運転はめちゃ怖いです。
車のナビは自性院さんのある場所を表示していました。だが、帰宅困難地域で、バリケードの中、仕方なく、バリケード前に車を停めて、自性院さんの方向に手を合わせ、参るのが遅くなりましたと、お詫びをいたしました。
また参る旨を伝え、いわき市にある性源寺さんをめざしました。
双葉町、大熊町を抜けるが帰宅困難地域であるため、映画のセットを思わせるゴーストタウンと化していました。
道路沿いの家は玄関を全て、バリケードで覆われ人の気配は、まるっきりしない作り物の世界の様です。通り過ぎながら幻を見た感覚に陥りました。
蟹洗温泉により、昼食をとり、いわき市、性源寺さんへ参りました。お寺内で法事があるのか人の出入りが多く、ご住職にお話を聞く事が出来ませんでした。が、神機隊の皆様のお墓は戊辰戦争で亡くなられた方たち(長州藩など他藩の倒幕派)と同じとこにあり、すぐにわかりました。
福島に来て思ったのが、立派なお墓が多い事です。死者への礼なのかもしれません。だから神機隊や他の倒幕派の方々にも同じように、お墓を建て守ってくれてるのかもしれません。
性源寺さんは、松ヶ丘公園の下にあります。松ヶ丘公園は桜とツツジの名所になってます。私が参った時は、2月なので、何も咲いてないのですが、日本庭園を感じさせる赴きのある事はわかりました。
亡くなられた神機隊の方々も、この名所の花を観て、心安らかに眠られているでしょう。
性源寺さんを後にし、修行院さんにむかいました。修行院さんを通り過ぎて、先にいわき市にある性源寺さんに参ったので、後戻りになります。
修行院さんは海の側にあり、津波の影響を受けたみたいです。
こちらも御住職の御身内に法事という事で、お話しが出来ませんでしたが、お墓の位置がわからなかったので、御住職の奥様に案内してもらい、無事にお墓参りを済ませました。
震災のせいか、割れている墓石がありましたが、無残な感じでなく、修復された感じでした。
周りにはまだ修復されていないお墓もあり、比べてみて、ありがたく思いました。どなたかが供えてくれたのか、ワンカップが置いてありました。
それを見て、次回参る時は、広島・西条のお酒を備えようと思いました。以上、強行軍でのお墓参り日記でした。
hiro kingさんのレポートから、規制解除の半月前に自性院にいって入れず、あらためて翌3月に双葉町に入り、高間省三の墓前に花を添えられてきたようです。