平和は戦争の仮面をかぶる(3)
平和は、子々孫々まで伝承できるとは限らない。政治家の平和や安全の連呼は、ときに戦争を招く凶器にもなる。
戦争関連の法律ができる。そのうえ民衆の平和を脅かす類似の法律ができる。政府も、政治家も、メディアも、結果として『法律はつくり放し』である。『悪法も法である』という格好の餌食になる。これが戦争ガンの浸透になって、次世代で、戦争ガンが発病してくる。
『廃案に持ち込む』。国民は政治家なんて、嘘だ、そこまでやるはずがない、と見限っている。まやかし、口先だけの繕(つくろ)い。できた法律はもはやあきらめてしまう。ここに大きな戦争への落とし穴がある。
戦争体験者が少なくなった今、「戦意高揚」を高々に謳(うた)った軍国主義時代すら、理解できない。過去の戦争がなぜ起きたのか。なぜ軍国社会になったのか。歴史から学び取るしかない。
戦争に関連した歴史は、とかく政治家の都合よく歪曲やねつ造されやすい。教育にも悪用されやすい。
松下村塾がなぜ『明治日本の産業革命遺産』になるのか。これなども、世界に向けた歴史の欺瞞(ぎまん)である。
吉田松陰は安政の大獄で、危険思想の持ち主として斬首された。まちがいなく、松下村塾の寺小屋は江戸時代である。
韮山の反射炉も、老中首座だった阿部正弘のもと、江川太郎左衛門がつくった江戸時代の遺産である。
それなのに、「Meiji World Heritage Convention」と英文すらも明治である。
世界にむかってまで、Meiji、となぜ嘘をつくのか。日本人として恥ずかしいかぎりだ。もう世界遺産として決まったものだ、とメディアの批判は影や形すらもない。これで良いわけがない。
吉田松陰の『幽因録』は、歴史の検証として、日本人全体が知っておくべきだ。むしろ、教科書にこれを載せるくらいの勇気が必要だ。
※ 中公クラッシック「吉田松陰」より抜粋
『太陽は昇っているのでなければ西に傾いているのであり、月は満ちているのでなければ欠けつつあるのである。同様に国も隆盛でなければ衰えているのだ。
だから、よく国を保持するというのは、ただたんにそのもてるところのものを失わないというのみではなく、その欠けるところを増すことなのである。
いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャッカ、オホーツクを奪い取り、琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。
また、朝鮮をうながして昔同様貢納させ、北は満州の地を割き取り、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである。しかる後に、民を愛し士を養い、辺境の守りを十分固めれば、よく国を保持するといいうるのである。そうでなくて、諸外国競合の中に坐し、なんらなすところなければ、やがていくばくもなく国は衰亡していくだろう」
明治時代に入ると、台湾出兵、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、第一次世界大戦、日中戦争(シナ事変、満州事変)、太平洋戦争と連続してくる。
大陸侵略と、吉田松陰の『幽因録』と重ね合わせてみると、いかに危険思想家とわかる。これらを国民に広く教えずして、かたや江戸時代の松下村塾を世界遺産にしてしまう。
これでは子々孫々まで、吉田松陰が世界に承認された思想家だと勘違いさせてしまう。現代から歴史を歪曲して送りだすことになるだろう。
20年後、30年後、50年後においても、「Meiji」にふさわしくない、間違っている、と悪評がたち、正されるよりも、現代において『明治日本の産業革命遺産』の一部は事実誤認だったと、一部取り消し申請するほうがよい。
世界遺産の取り消しは、他国で事例がある。
だから、日本時の不得意な「廃止」「修正」、「廃案」の鍛練として、松下村塾、韮山反射炉など、江戸時代の建造物の取り消し申請からやってみよう。
現政権で無理なら、次なる政権で勇気をもっておこなう。
平和は黙っていれば、後退してしまうものだ。戦争に結びつきやすい法律は、あきらめで次世代に送ってはいけない。くり返しになるが、『法律のつくり放し』が最も危険だ。同次世代に生きたものとして、『廃案』へと挑戦する責任感が必要だ。
アキラメという無責任さが戦争ガンとして、いつしか拡大し、発病してくる。
多数決、政党政治で決めた。これが逃げ道になってはならない。政治家一人ひとりは与野党を問わず、自己責任で、再吟味のうえ、時代にそぐわない法律は責任を持って『廃案』にすべきである。
平和は戦争の仮面をかぶる。江戸時代の農民一揆のように、命を掛けてまで、と言わないけれど、合法的に、日本人が最も不得意な、お上の決めた『危険な法律は廃案』へと追い込んでいくことだ。『安全、安心、自由』という視点で、ダメなものはダメと、廃案ができる政治の土壌づくりが、現在からの平和創造の出発点である。