東京下町の情緒100景(079 猫)
「東京の下町には猫が多いんでしょ」と訊かれた。注意して、観察したことはない。ふだん道路を横切る猫とか、屋根に寝そべる猫とか、児童公園でプラプラしている猫とかは折々に見かける。どのていど猫がいるのか、見当がつかない。
地方には飼い犬が多く、都会には野良猫が多い。この差は歴然とあるようだ。
閑散とした田舎町だと、番犬に役立つ。隣家との距離があることから、犬が吠えても、近所への迷惑になりにくい。東京の下町となると、住居地は密集地帯だ。近所付き合いは残っているが、犬が吠えれば、別ものだ。苦情が舞い込む。となると、まわりからギクシャクしてくる。ペット好きは座敷犬か、猫をかわいがることになる。
猫の写真を撮りに界隈(かいわい)に出かけてみた。壁際とか、室外機とか、納屋の横とかに、猫がうずくまっている。首輪をつけた飼い猫はじっとしている。野良猫はさっと逃げ出す。好い被写体になる猫が見当たらない。
東京下町の情緒100景(078 焼肉店)
東京下町の情緒100景(077 消えた商店街)
もう何十年前だろう。荒川に近い路地には小さな商店街があった。庶民の生活を支える店が路地の奥へと並列していた。八百屋、肉屋、乾物屋、雑貨屋と一軒ずつ軒を寄せ合う。過当競争。そんな言葉はここになかった。店と店が共存できた時代だった。
もはや何十年前だろうか。朝になると、牛乳、新聞配達などの自転車が商店街の路地を走り抜けた。目を覚ませた店主たちが、店舗の表戸を開ける。「おはよう」となり近所と挨拶する。そして、路地の奥まで打ち水してから、商品を並べていた。
あの子どもらはどこの空の下で暮らしているのだろうか。小学校から帰ると、親からもらった五円玉、十円玉で駄菓子、ラムネなどを買う。男の児はチャンバラごっこ、女の児は地べたにロウセキで絵を描く。男女が仲良く縄跳びもしていた。
東京下町の情緒100景(076 夜の川)
東京下町の情緒100景(075 太陽)
東京下町の情緒100景(074 鯉)
東京下町の情緒100景(073 大鍋)
駅舎の階段を下りきると、徒歩3、4歩。ハイジャンプでもとどく場所に、流行る精肉店がある。夕方になると、買い物客が少なくとも10人前後が並ぶ。揚げたて「コロッケ」を買うために待っている。店員3人ばかりが忙しげなく働くが、客は途切れることがない。
商店街の周辺には呑み屋、食べ物屋、食堂など行列する店は多い。「コロッケ」を売る店では、ここが最右翼だろう。
朝方はどこの店も準備中の札を吊るす。精肉店の店員がヘルメットをかぶり、店内から大鍋を運び出し、原付バイクに積み込んでいた。一言声をかけてから、カメラを向けた。
「なにを撮るんだ? おれか?」
店員は怪訝な表情だった。
「違う。鍋だよ」
「これか」
こんなものがめずらしいのか、好きなように撮影しろ、という態度だった。
東京下町の情緒100景(072 やぐら太鼓)
東京下町の情緒100景(071 看板)
明治時代から昭和半ばまで、物資の大量運送は陸路よりも、河船による水運が中心だった。荒川の四ツ木は荷揚げ場だった。河船が船着場に着くと、雑貨や穀物などの生活物資が荷揚げされ、大八車で各方面に運ばれていた。
当時は住居にしろ、店舗にしろ、ほとんどが平屋だった。晴れた日には荒川の遠景として富士山が浮かんでいた。往年の人々の目には、その手前に「玉子屋」の看板が映っていたものだ。
「玉子屋」の屋号からすると、鶏卵料理専門の店だと思ってしまう。その実、ウナギ、鯉などを使った川魚料理の大衆割烹屋だ。値段は手頃。だから、下町の人たちの会席場としても利用されている。
屋号のルーツは玉子と無関係ではなかった。昭和初期には養鶏業者だった。四ツ木周辺が船着場として栄えてきたことから、兼業で飲食店をはじめたのだ。
