A065-東京下町の情緒100景

東京下町の情緒100景(084 おもちゃ屋)

 子どもたちが成人してしまうと、おもちゃ屋から遠ざかってしまった。でも、思い出がたっぷり。2人の子どもが生まれても、エンゲル係数の高い生活だった。

 幼い子の手をつないで、おもちゃ屋の前を通るのが怖かった。子どもらは決まって、玩具をねだるから。

「まだ結婚するには、早すぎる歳だ。家庭に入れば、経済力が大切だ。男の生活が固まってから、結婚したらどうだ」と、実親に反対された。
 あの時は、いまの愛を失いたくなかった。駆け落ちする勇気はなかったけれど、「ぜったいに親に迷惑はかけない」と断言し、ともかく結婚までこぎつけた。

 子どもが生まれると、親の忠告が身に染みてわかった。給料日から数日にして、財布のなかはもう空っぽと同然。おもちゃ屋の前で、2人の子どもが泣き叫んでも、わが家につれて帰るより仕方なかった。子どもらに玩具を買ってあげられないのが、とても心底から切なかった。

 それでも給料日の翌日に、上の娘には『おしゃべり熊さん』を買ってあげた。寝床に入っても、娘は手から離さなかった。

 次女には『オットセイの縫いぐるみ』を買い与えた。オットセイがあまりに汚れたので、洗濯機に入れて洗ったら、大泣きされてしまった。

 3番目は男の子で、電車が大好きだった。小さな、小さな電車一つでもよく遊んでくれた。駅名もよく覚えた。

 おもちゃ屋の前が怖くなくなったのはいつごろだろうか。3人の子が幼稚園を卒園し、家計に負担が少ない義務教育になったころだろう。子どもらも家計の状態が理解できたのか、無理な物をねだらなくなった。不思議に、そのころに買ってあげた玩具は覚えていない。

 おもちゃ屋の前に来るたびに、思い起こすのは買ってあげられなかった玩具ばかり。

「東京下町の情緒100景」トップへ戻る