寄稿・みんなの作品

【寄稿・エッセイ】 冴えてきた妻 = 青山貴文

 師走の朝陽が、食堂兼居間の奥に差し込んでいる。朝食後はソファに座り、お茶を飲みながらTVの天気予報を見る。風もなく暖かな一日になりそうだ。
「今日は、ガラス拭きをするぞ」
 私はあえて大声で宣言する。
「わたしは、今日は出かけるからだめよ」
 妻は、食卓を片付けながら即答する。タイミングが悪かった。

 この十数年間、わたしたち夫婦の年末の慣例行事になったガラス拭きだ。妻と私でアルミサッシのガラス引き戸を挟んで、家の内と外から、ぬれ雑巾と乾いた布で磨く。
「しかたがないな。自分ひとりでやるか」
 と言いながら、NHKのTV『あさが来た』を見ていると、
「はい、ここに置いとくわよ」
 と、妻は洗剤と古いタオル数枚を私の前におく。
「人の使い方が巧いな。女社長になって、小さな会社を興せば成功するよ」
 と、半分は本気で言うと、
「善は急げよ」
 と言いながら、自分はさっさと外出の準備をして出かけて行く。
 私が、現役の頃良くやった言動だ。どうも攻守交代したようである。


 バケツにお湯を7分目ほど入れ、洗剤を加えて溶かす。ゴム手袋をして、洗剤液に浸したタオルを軽く絞り、片面のガラスを拭く。
 次には乾いたタオルで磨く。反対の面も同じ要領で磨く。一階の家周りを、小さな脚立を動かしながら、上履きになったり、下足に履きかえたりする。

 どうも記憶力が弱くなったので確心できないが、昨年も一人でやったような気がする。2人だったら、こんな無駄な動きは不要だ。

 私は毎日1~2時間くらいの散策以外に運動らしい運動はしない。よって、窓拭きのような手足や背筋・腰などを動かす全身運動は滅多にしない。この際は、普段使わない筋肉を鍛えてやれとばかりに、12個の引き戸のガラスの両面を精力的に磨く。

 次に2階の窓ガラスだ。窓ワクに腰かけて上半身を外に出し、重心はあくまで室内側に置いて、10個のガラス戸をなんとか磨きおわる。
 夕方帰宅した妻に、胸を張って、
「綺麗になっただろう」
 と自慢げに言うと、妻は居間のアルミサッシに近づいて、
「網戸はやらなかったの?」
「いや、やってないよ。今年はやらないことにしたよ」
「何か、中途半端ね」
(小癪なことをいうやつだ)
 と思いながら、翌日は網戸を外している自分がいる。

 最近、妻は人を動かすのが巧妙になってきた。というより、私が使われやすい好々爺になりさがったのか。
 ネジまわしで、網戸の上部にある金具を緩めて、敷居から1枚ずつ外し、芝生の上に運んで庭の木々に立てかける。洗剤をいれた湯に浸したモップで網の部分をこすり、水道水のホースで洗剤を洗い流す。そして、自然乾燥させる。

 2階の網戸は、狭い階段を手で持って降りなければならず一苦労だ。
 南西隅の書斎の網戸をベランダに出てはずしていると、近所のおばさん達5~6人が話しながら通りかかった。昼の忘年会の帰りらしい。
「この家は、いつも大掃除がはやいのよ。あら、ご主人がんばってるわね」
 と言って手を振っている。その中には、私のエッセイを読んでくれている人達もいる。私も呼応して手を振る。

 乾いた網戸を2階に持ち上げるのが億劫だなと思っていると、妻が帰宅してきた。彼女が芝生からベランダ越しに網戸を手渡してくれる。はなはだ効率が良い。夫婦のありがたさを一瞬感じる。こんなことで幸せを感じるのは老いた証拠なのか。


 翌日の午後3時頃、読書に飽いて家の外周りの不要物を処分した。人間、一カ所が綺麗になると、汚れているところが気になるものだ。
 南に面した3部屋の出入り口の軒下には、数十年前にわたしが作った高さ30×巾180×奥行き60センチくらいの木製の敷台がある。
 それらの下や傍には、割れた植木鉢、使用途中の肥料や腐葉土の袋などが乱雑に置いてある。また、枯れ枝や枯れ葉など1年間のごみがたまっている。軍手をはめて、それらを片付ける。


 この3日間、わたしは屋内外を一人で大掃除したことになる。自分もまだまだすてたものではない。
「自治会館の大掃除に行ったら、皆があなたは良く働くって言ってたわよ」
 人使いが冴えてきた妻は、数日後にして、あとのフォローも忘れない。
                            
                          

【寄稿・エッセイ】 女房殿にはかなわない = 廣川 登志男

 今秋、隣家との間にある「カイヅカイブキ」を伐ることにした。

 32年前、家を建てると同時に植えたので、相当に根っ子も張っているし、枝もガッチリと絡み合っている。幹周りは40センチほどだから、直径で12、3センチ。全部で15本だ。

 庭木の刈込みは毎年私が行っているが、65歳になっているだけに最近は疲れてしまう。
 家内から
「手間もかかるし、そろそろ樹を減らしたいわね、カイヅカイブキなんかもういらないんじゃない」
 と提案があった。

 刈込みに手を焼いていた私は、
「私のことを案じてくれている」
 と感謝し、即賛成。早速伐ることにした。


 すでに「サンデー毎日」の身分だったので毎日作業をしたが、とにかく隣家とデッキの間の狭い場所だ。十五本全部伐るのにかれこれ1週間ほどかかった。
 小枝落としは家内が担当。私も手伝ったが、かなりの時間を要した。結局、切り刻んで市のゴミ収集所に持って行くのにさらに1週間かかった。

 手間暇労力はかかったが、伐ってみるとすっきりだ。


 カイヅカイブキ全体の横幅は12、3メートルもあり、樹高は3メートル弱、厚みもいつの間にか一メートルほどになっていた。相当な場所を占領していたんだと改めて気が付いた。

 もともと家と樹の間は距離にして5メートルほどあったので、そこにウッドデッキを作っていた。しかし、カイヅカイブキが邪魔をして陽が射さないためか、日陰になっていた手すりや床面は緑色のコケらしきもので変色していた。

 それが、樹を伐ったら随分と明るくなったし、陽もさすようになってきれいになった。
「こんなに明るくなるとはねー。伐って正解だったね」と、家内と喜んだ。
 作業が完了する間近での話だ。
「デッキと隣との間の隙間が結構あるけど、何かしたいことがあるの。デッキを拡げてもいいんだけど」 
 と家内に尋ねた。すると、
「そうねー。バラでも植えようかと思っているんだけど、どう?」
 と返ってきた。
「ふーん、バラねー。それもいいけど、大変じゃないのか」
 それから家内の思っていることを聴くことになった。
「バラ、きれいでしょ。で、棚を作ってほしいのよ。左側のサルスベリとツゲの木も大きくなりすぎているから、これも伐ったら随分と空間ができるし、あなただって刈込みの苦労が減るからいいんじゃない」
 なになに、えらく絵ができているじゃないか。そして、更にその先があった。
「ほら、ウッドデッキを作ったときに材木を買ったじゃない。そこの会社のAさんに少し聞いてみたんだけど、同じレッドシダ―を使えば何とかなるそうよ。あなた、図面引くの得意だからちょっと考えてみてよ」
なにー、そこまで考えがまとまっているとは。


 もう伐ってしまったものだ。

 今さら後には戻れない。図面を引くのが得意だとか、器用だからとかうまくおだてられたが、DIY(自作)は私の大好きな趣味だ。早速図面を引きはじめた。
 やり始めたら面白くなるのは「技術屋」の性分なのだろう。見栄えにもこだわって何回も修正した。

「こんなのでどうかな。全長8m、高さはデッキ面から2.4m。塀などに使う格子の衝立が売られていただろう。ちょうどこれに手ごろだから、結構な棚、バラ棚になるよ」
 家内からは、
「すごいわー。私が思っていた通りね。私も手伝うから早くやりましょう。買うバラももう決めてあるし、注文もしてあるの。地植え時期は十月くらいだからそれまでに作りたいわ」
 なんだ、買うバラも、時期も決めていて、それに注文までしていたのだ。


 結局、カイヅカイブキの伐採から始まって、バラ棚づくりまで、女房殿の計画にまんまと乗せられてしまった。

「人をこき使いやがって」と思ったこともあるが、自分はひょっとして「手のひらの中の孫悟空」なのかもしれないな、と思っている自分がいた。

【寄稿・エッセイ】 別行動 = 筒井 隆一

 家内の亡父一族の法事を、京都府綾部(あやべ)の生家でとり行うので、ご夫妻でご参加いただきたい、と本家から連絡が入った。
 11月末、紅葉の時期だ。家内はそれに合わせて、一年ぶりに晩秋の奈良、京都を回りたい、と持ちかけてきた。かなり張り切っている。

 あいにく、その時期は、通っている絵画教室の展覧会と重なってしまい、私は動きが取れない。
「残念ながら今回俺は行けないな。年に一度の展覧会だし、受付当番の割り当てもある」
「何とか都合つけられないかしら。この秋は予定したウィーン行きも、難民問題で急きょ取りやめたし、せめて国内旅行を二人で楽しみたかったのに……」

 家内は、私と一緒に出掛けられないのが残念だ、と言いながらも、京都行きの支度を、いそいそと整えている。

 ウィーンを中心としたヨーロッパの旅を、二人でずいぶん楽しんできた。十年ほど前のピーク時には、毎年春秋の年二回出掛け、オペラ、コンサート、美術館巡りなど、思う存分楽しんでいた。
 会話力は二人合わせて半人前くらいだが、私の方向感覚の冴えと、家内の恥ずかしげもない身振り、手ぶりで何とか異国の旅を乗り切り、大きなトラブルもなく過ごしてきた。

 美術館だけは、お互いに観たい絵が違うので、出口での集合時間を入館時に決めておき、好きなだけ別々に楽しむ。絵画鑑賞以外は安全上の問題も考え、全て一緒に動き回るようにしていた。

 私たち夫婦は、ベタベタの仲良しというわけではないが、信頼関係はあるつもりだ。日常生活では大体二人一緒に行動している。家内は、出かけるのが嫌いではないが、外での飲食は好まない。毎日家で手料理を作り、二人でそれを食べている。たまには外で飯でも食おう、と誘っても乗ってこない。考え方によっては、大変ありがたく幸せな日々なのだろう。
 しかし、感謝しつつも、男とすればそれが物足りない。


 家内が何日か出掛け、私一人になる時には、近所の居酒屋で好きなつまみを肴に酒を飲み、思う存分羽を伸ばすのが、今までのパターンだった。
 今回も家内が法事に参加すれば、一人で飲みに行く時間ができる。しばらくご無沙汰した銀座のバーや、小料理屋にも、足を延ばして行ってみたい。家内の京都行きは、久しぶりにめぐってきた、別行動のチャンスだ。

 さて、ワクワクして待っていた、家内不在の三日間になった。ところが、思ってもみなかった気分なのだ。今までは、一緒にいて脇でペチャクチャ喋りかけられるのが煩わしかったが、その相手がいないと、何かもの足りない。寂しいのである。

 今までこんな気分になったことはない。一人で飲み歩くチャンスを待っていた自分は、どこに行ったのだろう。もう歳なのだから、別行動は必要最小限にして、一緒に仲良く過ごせ、というお知らせなのだろうか。


 最近、気力、体力の衰えを、若干感じるようになってきた。それが弱気につながっていたのかもしれない。これをきっかけに、一人で動き回るのが面倒くさく、億劫になり、遊び心、好奇心がズルズル失せてしまうのが恐ろしい。

 さてどうしたものか。

 夫婦で信頼関係を持ちながら別行動を続けるのは、お互い刺激しあって、何時までも若さを保つ秘訣だと信じている。
 常に相手の存在を意識しながら、別行動を大切にしていきたい。

沼津アルプスの最高峰392mなり。甘くみたらダメだよ = 武部実

平成27年 2月 7日(土)

参加メンバー : 佐治ひろみ、渡辺典子、後藤美代子、武部実、石村宏昭、市田淳子、中野清子の計7人

コース : 沼津駅バス~多比~多比口峠(大平山分岐)~鷲頭山~志下山~徳倉山~横山峠~沼津商業高校~香貫小学校~バスで沼津駅


 多比の停留所を9:30出発。

 しばらく舗装路歩きだが、水仙や白梅を眺め、みかんの無人スタンドで買い物したり、と最初はゆったりだ。
 30分で、登山口に入る。寒いと思って着込んできた服を脱ぐことにした。15分で大平山との分岐(多比口峠)に着く。
 今回は、大平山はパスして鷲頭山に向かうことに。ここからが、ウバメガシ(備長炭の原料)の長い群生地を左に眺めながら歩く。

 11:20沼津アルプス最高峰の鷲頭山(392m)に着く。
 往きの電車から眺められた富士山は、この時間になると、愛鷹山先の雲の中で裾野が少しだけ見えるだけだ。
 しかし、駿河湾の景色は抜群。眺望を楽しみながら昼食を摂り、11:55に出発する。

 頂上直下には2日前に降った雪が残っていたし、ぬかるんだ登山路で滑りやすい。平重衡終焉切腹地を過ぎると、すぐが小鷲頭山(330m)だ。

 急な下りだが、ロープが設置されていてありがたい。他の登山者を見ると、何人かはお尻が泥まみれ
になっていた。

 すれちがった登山者がどこかで見た顔だと思ったら、登山家の岩崎元朗さんだ。3人を引き連れての大人の遠足だ(HPに書いてあった)。
 そういえば、岩崎さん選定の新日本百名山に沼津アルプスが選ばれているので納得。

 平重衡が隠れていた洞窟を過ぎ、パノラマ展望台等を通り、12:50に志下山(214m)着。太平洋戦争時の防空壕跡を過ぎると、最後の急な登りだ。
 昇り降りをこれだけ繰り返すと、累計標高はいくらになるのだろうか。400mに満たない山だが、1500m以上の山に登った感覚かもしれない。


 13:40今回の縦走最後の頂である徳倉山(256m)着。富士山は相変わらず雲の中だが、箱根の山々や駿河湾の曲線がきれいだ。
 眼下の沼津市内を望みながら、一服する。

 ここからも急な下り道。ぬかるんだ山道だが、クサリが設置されていてホッとする。30分で横山峠に着き、左に香貫小学校方面に降りようとしたら、なんと木の柵で、通行禁止になっているではないか。
 しかたなしに、右折の沼津商業高校に下る。

 10分で高校に着き、地元の人に尋ねたら、トンネルを抜けて15分位で、香貫小学校の停留所に着くと教えられる。
 予定通りの14:55発のバスに乗車した。駅前のマグロ料理屋で、軽く反省会。暖かくて恰好のハイキング日和の一日であった。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№186から転載

秀麗富嶽12景5番山頂なり、ビューポイントは1か所。奈良倉山(1349 m)=松村幸信

平成27年9月5日(土)曇り時々晴れ

参加メンバー : L武部実、渡辺典子、大久保多世子、中野清子、松村幸信

コース : 上野原駅~鶴峠~奈良倉山~松姫峠~山沢入りのヌタ~トチノキの巨樹~小菅の湯~上野原駅        

 
 小生は昨年暮れ、低山で下山途中に雪で滑り右膝を捻挫した。それから初の復帰の山行なので、まだ違和感もあり、躊躇(とまど)っての参加であった。
 高尾駅で、1年振りに武部氏の顔を見つけると、躊躇(ちゅうちょ)していたものが、すっと消えてしまう。


8:07 上野原駅に到着した。集合と同時に、8:10発の鶴峠行きのバスに乗車する。

 8月下旬からもずっと雨が続いていた。また明日から天候が崩れるためだろうか、雨の合間をぬった山好きでバスはいっぱいだった。
 乗客のほとんどが、途中のバス停で次々と下車し、終点鶴峠のバス折り返し場に到着したのが9:17で、われわれと6人グループの2組となる。


 登山準備を整えてから、9:25に出発する。この時期はまだ蒸し暑いはず。半袖で歩いていると、木立の中は肌寒さを感じるほどの涼しさである。


 落ち葉が踏み固められた山道は、膝にやさしく歩きやすい。緩やかな上りで、中野さんはきのこ探しをしながらゆっくりと進む。


               
 10:51 奈良倉山(1349 m)に到着した。山頂は大月市と小菅村の境にあり、木々に囲まれ平坦な場所である。眺望は無いが、一箇所は木々を伐採して富士山が見えるビューポイントがある。

 山頂の標識には、秀麗富嶽12景5番山頂と書かれてある。だが、あいにく今日は雲が低く垂れ込め、霞んでいて富士山は見えない。
 しかし、目の前には、雁ヶ腹摺山がはっきり見える。


 この時期まだまだ暑いのに、ススキの穂がたれており、秋の訪れを感じながら山頂でちょっと早めの昼食を摂る。


 11:35 奈良倉山を出発。下り始めて間もなく林道となる。路肩にはツリフネソウ、キバナアキギリ、ソバナ、フシグロセンノウ、ハギなどの花を次々と見つけ、歩行のピッチが一段と遅くなる。

12:27 国道139号線と交わる松姫峠に到着した。信玄の娘・松姫がこの峠を越えて、織田軍勢から逃れたことに由来しているそうだ。
 バス停とトイレがあり、ちょうど1日1本のバスが折り返し待機していた。牛ノ寝・大菩薩峠登山口から再び登山道に入る。
 鶴寝山を上らず、巻き道の二輪草コースを行く。

13:27山沢入りのヌタを通過。


13:36 牛ノ寝通りのトチノキの巨樹がある。推定樹齢は650年らしい。幹囲は5人で手を繫いでも届くかどうかである。
 幹のごつごつとした大きなコブと、真っ直ぐ高く伸びている巨樹は実に堂々として、森の番人のようだ。
 予定時間を大幅に遅れた。


15:07小菅の湯到着。バスを一便遅らせて温泉に浸かることにする。
 この日は土曜日、湯船は芋洗いのごとく人がいっぱいだったが、温泉で汗を流しさっぱりする。

 上野原駅行きのバスまでの時間は喉を潤して待つ。

16:30発の上野原行きバスに乗車する。上野原の町はちょうど祭礼の神輿巡行が行われ、十数基もの神輿が街中に溢れていた。
 
 少々遅れたが、上野原駅に17:55到着する。いつものように立川駅で途中下車し、反省会を以って散会となる。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№195から転載

初夏の北ア・唐松岳山行で思ったこと=市田淳子

期日:2015年7月11日~12日

参加メンバー :  L原田一孝、 脇野瑞枝、 市田淳子

 撮影自粛の山行でしたが、見たものは全てしっかり目と脳裏に焼き付けてきました。

 今回、高山植物をたくさん見られたのは感動しました。ただの感動ではないのです。それは・・・「~は高山植物の宝庫」という言葉を、私たちは当たり前のこととしてとらえています。しかし、当たり前ではないと知ってからの山行だったため、その感動はひとしおでした。


 ここからの話は、昨年末、私がある講座で聞いた話。つまり受け売りなのですが、山好きの皆さんにはお伝えしたいのです。
 日本の個性ある山々 ―剣岳、至仏山、富士山、飯豊山、白馬岳、北岳、尾瀬ヶ原等々― これらは、殆どが標高3,000m弱で、富士山でさえ3,776mです。
 この山々にさまざまな高山植物があります。

 しかし、これは不思議なことなのだそうです。

 ヒマラヤ山脈のエベレストは8,848m、アルプス山脈のモンブランは4,810mです。私たちが必死に登っている日本の山は、決して高くないのです。また、ヨーロッパアルプスは北緯46度、日本アルプスは北緯36度にあり、日本アルプスは南に位置しています。
 この緯度の差は、距離で約1,000km、標高で1,000m分に相当するそうです。

 さらに、世界の基準に当てはめると、2,870mぐらいには森林限界があり、3,200mくらいまでハイマツの生育が可能になるはずです。
 ということは、日本の山には高山植物が分布する可能性がないことになります。しかし、実際には日本の森林限界は2,500mくらいに存在しています。
 それはなぜか? 
 世界の気候を考えると、日本の山は3,000m級の山としては、世界一の強風にさらされているのです。強風は「吹きさらし」と「吹き溜まり」を作り、稜線付近の雪は吹き払われ反対側に堆積します。


 針葉樹もハイマツも広く生育できず、そのために、高山植物の生育が可能になるのです。
 ではなぜ、そんなに風が強いかというと、あまりに高いヒマラヤ山脈で分流した気流が日本列島で力を倍増するからです。

 ところで、日本の高山植物に固有種が多いのはなぜでしょう。それは、地質と深い関係があり、また、日本の地質の複雑さは、日本列島の成り立ちと深く関係しているからです。

 まとめると、日本で言う高山は世界的に見たら高くはなく、気候と地質が関係して、世界的には珍しく低い山に高山植物が分布し、しかも固有種が多いということなのです。

 ちなみに、同じ島国の英国とニュージーランドと植物(高山植物を含む)の数を比べると、日本は1800/5300〔固有種/総数〕、英国は160/1623、ニュージーランドは1654/2089となっており、この数からも、日本の植物相の豊かさがわかると思います。

 それは、その上にいる生きものたちの数もおおいことになります。だから、というわけではありませんが、この貴重な自然を大切にしたいと、山に登るたびに思います。(森林インストラクター)


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№192から転載

北アルプス薬師岳=関本誠一

日時:2015年7月28日(火)~31日(金)  3泊4日・曇り時々晴れ(一日目は一時雨)

メンバー : L佐治ひろみ、武部実、岩淵美枝子、脇野瑞枝、関本誠一  (計5名)

コース

【一日目】室堂~一の越~五色ヶ原山荘(泊)

【二日目】五色ヶ原山荘~越中沢岳~スゴ乗越小屋(泊)

【三日目】スゴ乗越小屋~薬師岳~太郎平小屋(泊)

【四日目】太郎平小屋~折立

 今回行く薬師岳は、日本百名山とともに、花の百名山にも選ばれており、北アを代表する縦走コースに鎮座する山の一つだ。

 薬師岳という山名は各地に多数ある。そのなかでも、最高峰で、人気ある山だ。ちなみに第2位は鳳凰三山の一峰(2730m)。


【一日目】

 今春に開通した北陸新幹線で、富山駅についた。駅前のホテルで前泊する。

 朝6時発の直行バスで、室堂に入る(9:30)。BT前で、水を補給してから出発する。しかし、学校登山の生徒さん達と一緒になって、思うように歩けない。

 一の越でこの渋滞から逃れ、五色ヶ原に向かう。

 天気は予報に反し、徐々に悪化する。鬼岳の雪渓をトラバースする頃は、見通しも悪くなって、雪上ステップを作ってくれた山小屋の尽力に感謝しながら、慎重に進む。


 獅子岳を超え、まもなくザラ峠だ。戦国時代の武将・佐々成政の「さらさら越え」で、有名とか……。昔日伝説に思いを馳せながら、小休止する。ここからゆるやかな登りで、五色ヶ原だ。

 この一帯は最盛期過ぎたと言っても、20種類以上の高山植物の宝庫で、咲きほこっている。


 小雨降るなか、五色ヶ原山荘に到着する(16:00)。雨具などを乾燥室に干し、落ち着いたところで無事到着の乾杯!


【二日目】

 5時起床。6時半に出発する。ここからエ久ケープない領域を進む。天気も回復して、登山道のまわりはお花畑が連続している。

 鳶山を過ぎると、越中沢乗越に下り、次のピークである越中沢岳に到着(9:30)。ここで小休憩した後、急斜面を下ったところで、ランチタイムとなる。

 さらに下ったのち、スゴノ頭の手前をトラバースした後、急な下りになる。鎖や梯子の難所だが、注意して下りきる。スゴ乗越に到着(13:00)。


 休憩中、来年は日本縦断トレランにエントリー(予定?)のアスリートが通りがかる。かれらにコースタイムを聞いてビックリした! 
 剱岳の早月尾根を深夜に出発し、一日でスゴ乗越小屋とは……。その超人ぶりと、レースの厳しさを痛感する。

 ここから緩やかに登ると、小屋に到着(14:10)。


【三日目】

 5時に朝食をとった後、6時に出発。

 今日は薬師岳に登る日だ。間岳、北薬師といくつかピークを越えるが、疲れも溜まって、一番キツイところだ。

 今回の楽しみの一つの雷鳥に、まだ会ってない。遠くの雪渓に鳥らしきものが見え、鳴き声は聞こえるが確認できない。
 標高3000m近いのに晴れると、日差しが強く、雷鳥も悲鳴をあげているような思いがした。

 薬師岳に近づくにつれ、風が冷たく、一時は視界不良になった。山頂に到着した(11:10)ころには、雲が取れ、一瞬の晴天景色を満喫する。

 薬師岳は北アルプス有数の大きな山だ。東側は氷河の痕跡(カール)があり、国の特別天然記念物に指定されている。
 山頂には薬師如来を祀った小さな祠がある。三角点は祠の影に設置されていた。

 下りは緩やかな南斜面を行き、途中の山荘で、昼食をとる。やがて、太郎平小屋に到着(15:00)。


【四日目】

 折立へと、薬師岳、剱岳、それら立山連峰を眺めながら、整備された道を快調に下って行く。 折立に下山した(9:35)。最寄りの温泉に立ち寄り、反省会をする。

 北ア山歩を無事に踏破した。名残惜しみながら、帰宅の途へ…お疲れさまです。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№194から転載

作家・北杜夫のヒマラヤ遠征=上村信太郎

「どくとるマンボウ」の作品名で知られる作家の北杜夫は、昭和40年にカラコルムの未踏峰ディラン(7273㍍)遠征に参加し、その体験を描いた小説『白きたおやかな峰』を発表している。

 北杜夫(本名・斎藤宗吉)は昭和2年生まれ。精神科医にして芥川賞作家。父は精神病院長で歌人。兄茂太は精神科医であり、著名なエッセイストでもある。


 作家として脚光を浴びた契機は『どくとるマンボウ航海記』という作品で、これは水産庁漁業調査船の船医として乗船。その航海生活を描写したもの。
 当時は自由に海外旅行が出来ない時代であった。

 航海記で人気を博した北は、次にディラン遠征隊付医師の経験から『白きたおやかな峰』を書いた。医師の著した遠征記としては、P・スチール著『エべレスト南壁1971国際隊の悲劇』時事通信社刊があるが、登山経験のない著者には登山描写に限界が見える。
 その点、作家北杜夫が医師の目線で描くヒマラヤ遠征隊の内側は実におもしろい。


 では、そもそも作家がどうして遠征隊の一員になれたか、また遠征隊の派遣母体はどこか、またディラン峰はどんな山なのか、作家北に登山経験があるのか、それらは一般にあまり知られていないようだ。

 まず、北杜夫は旧制松本高校のOBである。ディラン隊の小谷隆一隊長も松高OBで、北の2年先輩。隊付医師が見つからず、後輩にお鉢が回ってきたようだ。

 遠征隊の派遣母体は京都府山岳連盟、「京都府岳連西部カラコルム遠征隊」は、小谷隊長以下隊員10名。この隊で特徴的なのは、塚本珪一副隊長、高田直樹隊員ら4名もの高校教諭が参加していること。

 山岳連盟隊というのは一般には大学山岳部や社会人山岳会と違って選りすぐりだが、寄せ集め集団でもある。

 ディラン峰はパキスタンのフンザ地方に位置し、別名ミナピン。山容は白く雪に覆われ端正なピラミッド形をしている。京都府岳連隊は惜しくも登頂に失敗。3年後、オーストリアのハンス・シェル隊が初登頂を果たしている。


 北の登山経験は、旧制松本高校時代に上高地や穂高の山を登るために、徳本峠を15回は越え、ディラン峰ではミナピン氷河上4236㍍まで登ったという。

 ところで、この小説には不思議なことに女性が登場しない。このことについて作家の林房雄は書評を次のように書いている。
「女は一人も出てこない。いや、出てくる。巻頭から巻末まで、純白の雪の肌の太古の乙女よりもたおやかな容姿を持つ、海抜七〇〇〇㍍の絶世の美女が…」と。なるほど納得である。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№142から転載

            ※北杜夫(本名・斎藤宗吉)さんの写真は、インターネットから引用しています

こんなにも大勢、高校生の登山大会ですって、雲取山=佐治ひろみ

 日時:2015年5月10日(日)、11日(月)

 メンバー:L武部実、脇野瑞枝、原田一孝、中野清子、佐治ひろみ、

『コース』

 ①西武秩父駅 9:10バス→三峰神社10:30~霧藻ヶ峰12:20/50~白岩山頂15:20~大ダワ16:15~雲取山荘16:45

 ②雲取山荘 5:50~山頂6:25~七ツ石8:45~七ツ石小屋9:00~鴨沢バス停12:45/バス13:53→奥多摩駅 


 西武秩父から、9:10の三峰行きのバスに乗る。休日の晴れとあって、人出が多く、バスは3台出る事になった。

 約1時間、山が近づくと、道路脇には真っ赤な山ツツジの花が咲いている。良い季節に登れて、この先楽しみだ。

 10:30 三峰神社駐車場をスタートし、白い鳥居の登山口で、登山届を出す。あんなにいたバスの乗客たちは、もはや四方に散ってしまい、登山者もまばらだ。ところが、奥宮分岐を過ぎ、霧藻ヶ峰に向かって歩いて行くと、若者のグループが次から次へと下りてくる。

 何ごとかと思い尋ねてみると、

 昨日、今日は埼玉の高校の登山大会だそうで、彼らは朝4時起きで、三峰神社から雲取山日帰りと言うからビックリだ。

 下りてくる高校生は、疲れも見せず、大きな声で挨拶してくれる。こちらも元気をもらう。延べ200人くらいの高校生と所々ですれ違いながら、12:20に霧藻ヶ峰に着く。


 ここで30分の昼食休憩をとる。西側の展望が良く、和名倉山方面が見える。

 霧藻ヶ峰からいったん下ると、すぐにお清平である。ここで昼食を食べている人がいた。これからが本格的な登りとなる。

 狭い尾根の急坂を一歩一歩登ってゆく。周りはツガ、シラビソの原生林で、下にはコケが密生し、いかにも奥秩父の山といった雰囲気が、とても素敵だ。


 前白岩、白岩小屋と過ぎてから、いよいよ白岩山頂が近づいてくる。原生林の中には鹿の姿が! やはり出たか!この辺を縄張りにしているらしく、かならず現れる鹿である。

 白岩山頂で休憩し、疲れた体に糖分を補給する。芋の木ドッケの木道は、すこし危なっかしい所もあるが、イワウチワの花があちこち咲いていて、カメラに収めながら歩く。


 大ダワを過ぎテント場に入ると、また高校生が沢山いた。各校、上級生たちはここでテントの一夜を過ごすそうだ。

 16:45に山荘に到着した。

 私たちは5人で一部屋を使わせてもらった。あまり混んでいないようだ。夕食までの時間ゆっくり一杯やる。夕食を食べ、明日のために早寝する。

 朝食は5時。今日も晴れの天気の中、5:50にスタートした。

 山頂まで30分の登り途中、ウソ鳥を発見。グレーと赤と黒色の綺麗な鳥だった。

 6:30 山頂からは富士山をはじめ周りの山々の景観がとても素晴らしく、感激。そして、みなで記念写真を撮った。
 石尾根を七ツ石まで下りて行く。

 この石尾根のカラマツの芽吹きが美しく、本当に見とれてしまう。七ツ石山頂から小屋まで下り、時間がたっぷりあるので、コーヒーを飲んだり、大休憩した。
 一つ驚いたことは、あのワイルドなトイレが素晴らしく綺麗になっていたことだ。


 50分の休憩後は、下山を開始した。
 12:45に、鴨沢バス停に着いた。13:53に、奥多摩行きのバスに乗る。月曜はどこも温泉が休みなので、駅前のお蕎麦屋さんで反省会をして、東京に戻る。


 新緑の山道が、とても印象的な2日間でした。

 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№191から転載

【寄稿・写真エッセイ】 雨の柴又を歩く (下) = 阿河 紀子

「ローアングルで撮る写真も面白いよ」

 穂高先生が熱くレクチャーしている。


 私も挑戦してみる。シャッター・チャンスが、なかなか掴めない。

 地べたに這いつくばって、夢中で写真を撮っていると、なんと「寅さん登場」だ。


「え~~~」とびっくりしていると、この界隈では有名な「物まね芸人」だそうで、先生とも顔見知りらしい。

 観光客から「一緒に写真を」とせがまれている。

「お控えなすって」の手と、雨にもかかわらずの「雪駄」と絶やさぬ「笑顔」が彼の心意気なのか。


「雨だれを有効に使って写真を撮る」という課題で撮った1枚がこの写真だ。

 矢切の渡しに乗船予定だったが、雨天運休していた。

代りに、昭和の雰囲気がぎゅっと詰まった喫茶店で、休憩を兼ねて写真撮影のコツのレクチャーがあった。船に乗れなかったのは残念だったが、有意義な技術習得の時間だった。


「何を主役にして、何を脇役にするか」と言う、課題を意識しながら撮った写真がこの1枚だ。主役は写真を撮る「彼女」で脇役はカメラの「画面」だ。


 上手、下手はさておき、今までと違う視点から写真を撮るのは、面白かった。

 雨降りでも、楽しく充実した講座だったが、次回はやはり、晴れた柴又を歩きたいものだ。


                         【了】