寄稿・みんなの作品

「寄稿・孔雀船93号」(詩誌)  水滴の家 鷲谷 みどり

ある日彼女は 霧の匂いのする夕食のあと

床下に穴を掘っていた

彼女が横たわることができるだけのそれを

モルタルづくりの彼女の家のすみずみに

彼女の不安の水がいきわたるように

いつか そこから

ふかい みどりの不安の木が

生い茂るように


木はどこまでも彼女の

新鮮な不安をほしがるから

彼女の小さな如雨露は

たちまち指先から空っぽになって

そのすきとおり方を皆に褒められながら

やがて みずみずしく したたり落ちていく

不安の果実に囲まれて

彼女は誰にも見えなくなった


私は叔母に会ったことがない

私が引き継いだこの家は

いつも内側からの わずかな雨に濡れていて

私の指など 素知らぬ顔で

木は ますます盛んに

暗く沈んでいく


叔母の口の中をいつも満たしていたという

うすにがいそれは

私の膜と決して交じり合うことはない けれど

とろけたビー玉のようなその実を

ふいに舌の上に乗せるとき

私はすこしだけ

叔母のまるく光る 白い皿の淵の

そのつめたい空腹に

からだを浸すことができた


家をななめに傾がせて

外へ大きくせり出した木は

風が吹くと カラカラと彼女の骨の音が鳴る

その音はしばらく

近所の子どもたちを

おびやかして

それも やがて消えていった


水滴の家 PDF: 縦書きで読めます


イラスト:Googleイラスト・フリーより

【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

「寄稿・孔雀船93号」 川上さんの話 = 脇川郁也

かすかに夕日の差し込むオフィスの

窓際に置かれた半円形のミーティングテーブルに

紙コップがふたつ残されている

ひとつにはコーヒーが少し

だれかのため息が浮かんでいて

もうひとつは力まかせにつぶされて転がっている


どうしようもない悔しさを飲み下したのは

川上さんという戦争を知る老いた男だった

ふだんは鷹揚に構えている彼だが

酔うといつも何かを思い出して目を潤ませた

酷いものだよ、戦争は

と彼は言う

人の生き死にを気安く忘れちゃいけないんだよ

とも言った


赤く染まっていく西の空を見ていると

ぼくの心の奥底に

彼の言葉だけがよみがえってくる

だれもいなくなった場所に届いた

おだやかな秋の夕暮れは

人々のざわめきとともに

ガラス窓に張りついたままだ


さて

昭和二〇年のこと

大正九年生まれの父は

陸軍伍長として

終戦を台湾の基隆(キールン)で迎えたと聞いた

昭和二年生まれで女学生だった母は

兵器工場で勤労奉仕をしたらしい

だが 父からも母からも

ぼくは戦争の話を聞いたことがない


もう日は傾きかけている

明日は雨になるとテレビが言っている

雨のたびにしっとりと折りかさなる

いくえもの時の名残が

明日もきっと剝がれ落ちるのだろう

銀杏の葉が舞い落ち

しずしずと降り続けるように


川上さんが道に刻んだ影を

ぼくらは踏みつけているのではないか

ぼくはもっと彼らの影に寄り添って歩もうと思う

知らぬ間に失われていく光が

その静けさを

いっそう深いものにする

わずかばかり残った空のあかね色が

つぶされた紙コップに

うっすらと染み込んでいるのだった


川上さんの話 PDF



【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

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【詩集・寄稿】 クリムトのような抱擁 = 望月苑巳


ひらひら舞いながら落ちてくる

花びらが宙でむつみあう

やわらかな抱擁を繰り返す

ぼくがもう忘れてしまったかたちのきみ

とろけるような優しさで


クリムトはおもむろに筆をとり、キャンバスの中にムートンのような愛をねっとりと厚塗りした。子供は産みたくないと、ダダをこねていた女は情人に心を裏返されてあっけなく陥ちた。そんなはずじゃなかったと悔やんでみても後の祭り。船は次の港を目指して出航する。その日、地球は悲しいくらい隅々まで晴れ渡っていた。


あの日、木の下で孤独を振り払い

ぼくを抱擁したきみがいる

「ひとりでは抱き合えないのよ」と

白い歯をこぼして

はらはらと、はらはらと

甘くささやいたきみがいる


クリムトは金魚鉢の水がこぼれたら足してあげるだろう。猫のしっぽを踏んでしまったら頭を撫でながら許しを請うし、地球は平らだと主張する奴がいたら頬をひっぱたくだろう。それが良識(コモンセンス)というものだ。振り返ってみれば傷つけあった日々の方が愛おしく感じられるように、絵の具は残酷な色を使う。それも二重螺旋の良識。クリムトのみだらな良識。みだらな抱擁。


悲しみを心の内側にこぼしてしまった日に限って

弦楽四重奏は哲学的な対話をしながら満ちるのに

音楽が凍りついてしまうのはなぜなのか

そんな日に限って

銀河と銀河の渦巻きが抱き合って

ぼくときみが生まれたりする


クリムトのような抱擁 PDF


【作品 情報】


詩集 クリムトのような抱擁


2018年10月25日発行


著者 望月苑巳 (もちづき そのみ)


発行所 七月堂


〒156-0042
東京都世田谷区松原2-26-6


☎ 03-3325-5717

FAX 03-3325-5731

【詩集 クリムトのような抱擁】 クラゲの抱擁 = 望月苑巳

クラゲの抱擁

シンと更けてゆく胸の内に

尖った男が住んでいたころのことだ。


部屋の掛け時計が止まっていても

失った人がいれば悲しみの針は止まらない。

夏のひまわり畑で、残酷な黄色が太陽と結婚する時間

喉が渇いて水が欲しくなるほど、青い海原を泳ぎきったあと

クラゲのように抱擁し

たっぷりと恍惚の水に溺れる

それは時間の砂に埋もれた裸体の思想だ。


賑やかで派手なサーカスが、どこか淋しいのはなぜか知っていますか。サーカスのテント裏には、失敗したナイフ投げの名もない弟子や、滑り止めを忘れて落下したブランコ乗りのゴシック体が、紳士のように並んでいるのです。


尖った男が象の調教師で

その昔象に恋したことがあったと、女は知っていた。

振り返ってみれば

人生はすべて借りと貸しからできているということだ。

だから、女は割り切って男を愛したのに

哀しみの時計が針を巻き戻すことはない。


夏の海にいて、なぜ、惨憺たる漆黒の闇を見るのですか。胸の内に深海の流れを見るのですか。あの手のぬくもり、殺気を閉じ込めた頬の陰影。男は嫉妬でほっこりと女の手を食べ始め、女は傲慢な拒絶で男の足を齧ったのです。


夕凪はふたりを繭玉のように包み込み

すなわち原子に帰っていった。

人間は欲望から成り立っているのだから

クラゲの抱擁ほどいやらしく神聖なものはないのだ。


クラゲの抱擁  PDF


【作品 情報】

詩集 クリムトのような抱擁


2018年10月25日発行


著者 望月苑巳 (もちづき そのみ)


発行所 七月堂


〒156-0042
東京都世田谷区松原2-26-6


☎ 03-3325-5717

FAX 03-3325-5731

【孔雀船93】  リフォームする = 苅田 日出美

住みながらリフォームをするというのは

こういうことなのだと解っていたのに


解体中の廃墟のような鉄骨とシートに覆われた穴倉の

我が家に潜り込む


シヤッターもおろしたまま

カーテンも閉じ窓もすべて開けられない

騒音に耐えられなくて

初日には逃げ出して映画を見た『万引き家族』


三時すぎに終わったので

イオンの『五穀』でサンマの藻塩焼き定食

松茸釜めしを食べる

一人で時間をつぶしている


タクシーで家に帰ると

狭い庭に工事用の簡易トイレがそびえている

迷路のようなシートをくぐって

玄関にたどり着く


暗いリビングの床に座ると

夫が三十九歳 私が四十四歳のときに建てた家には

原発事故で炉の底を破壊して積もっているデブリのように

手が付けられないものがあると気づいてしまう


ひび割れた外壁を塗装して

屋根も断熱材にかえていく

あと一か月もすれば覆いも取れて

明るくなるだろうか

リフォームする  縦書き PDF


             イラスト:Googleイラスト・フリーより

【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

  

【孔雀船93】  痛いと言わない =  臺 洋子

目に見える擦り傷や切り傷なら

消毒をして絆創膏を探す

けれど

心に刺さったままの棘や

ふいに落ちて来た鋭い刃先が

胸の中をぐさりと刺しても


すぐに

痛いと言えない


きっと 見えない痛みは

「そんなこと」も処理できない

弱いものの証しだから

みんな 痛いと言わないのだから


そこから見る空は

たとえ瑠璃色に澄み切っていても

どこか狭苦しく くすんで見える

太陽は行く先を照らさない

ただ周囲を見渡すための照明のように

昼と夜を区別するだけ


コンピューターは痛いと言わない

ロボットは痛いと言わない


人前で

笑顔をつくりつづけ

長引く痛みの血だまりを隠しながら

不具合を起こさない鋼鉄の一員を装い

自分の居場所を守っている


痛いと言わない 縦書き PDF


    イラスト:Googleイラスト・フリーより


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

干支の数にちなんで12山だ。めざすは単独山行・甲斐駒ケ岳(2967m)=武部実 

平成26年10月17日(金)~18日(土)

参加メンバー:武部単独

コース:長衛小屋~仙水峠~駒津峰~甲斐駒ケ岳~駒津峰~双児山~北沢峠



 今年の干支はウマ。ということで馬・駒の名がつく山を登ろうと思いついた。

 干支の数にちなんで12山だ。一月に奥多摩の馬仏山(723m)に最初に登り、甲斐駒の前で9山を数えるまでになった。
 ところで駒ヶ岳と名のつく山は全国に20座位あるといわれているが、その最高峰が甲斐駒ケ岳で、最低峰は2月に行った越生駒ヶ岳(363m)だ。
 甲斐駒は本来なら会山行(L佐治)で行く予定であったが、残念ながら雨で中止。その後の皆さんの日程が合わないということで、今年中に何としても登りたかった私の単独になってしまった。              


 今回泊まった長衛小屋は、北沢峠から10分ほどの所にあり、最近リニュアルしたということで小奇麗だ。当日の宿泊客は7~8人なのでゆったりと過ごすことができた。
         
 翌朝5:00出発。外気温はマイナス1度である。ダウンジャケットを着こみ寒さ対策はバッチリ。満天の星空を眺めながら、真っ暗闇のなかを歩き始める。
 登山者と会うこともなく、暗闇の中を一人で歩くのは気持ちのいいものではない。 

 30分で仙水小屋に着。この辺りから空が白々としてくる。と同時に気温が上昇してきたのか、ダウンを脱ぐ。               

 6:10仙水峠に着いた。樹林帯を抜けて見通しが良くなる。正面に摩利支天が、東には鳳凰三山の地蔵が岳のオベリスクが、そして振り向けば雪を被って真っ白な仙丈ケ岳を眺めることができた。
                      
 峠を越えると急な登りになってくる。一時間ほど登り、振り返ると雪で真っ白な北岳が見えてくる。ここから眺める北岳は、尖鋭な形に見えて恰好いい。
    
 7:40駒津峰(2752m)に着。ここで一休み。西に目をやると、今年の8月に登った御嶽山の噴煙が見られ、東には地蔵が岳の後方に富士山が眺められた。

 数日前に降った雪が所々に残っているが、特に問題は無い。しばらくして直登ルートとまき道の分岐になり、今回はトラバース気味に登る。

 9:15山頂に着いた。360度の展望だ。近くの南アルプスはもちろんのこと、中央アルプスや北アルプスまでも一望できて大感激だ。

9:30出発。摩利支天はパスし、先を急ぐ。駒津峰は朝と違って登山客で一杯だ。双児山を通り北沢峠に12:50着。
 13:30発のバスに間に合いひとまずほっとする。ウマ年の山は、駒津峰と甲斐駒2座を加えて11山になる。目標達成まで残りはあと1山だ。


  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№216から転載

秀麗十二景の10番目の九鬼山(970m)= 開田守

平成30年2月14日(水) 

参加メンバー:L武部実、岩渕美枝子、中野清子、古賀雅子、開田守の計5人

コース:禾生駅~杉山新道~九鬼山~紺場休場~分岐~田野倉駅



 九鬼山は大月市選定の秀麗十二景の10番目の山稜である。集合は富士急行線の禾生駅9:50である。
 富士急線の大月駅から3つ目の禾生駅(421m)から、国道139号線を大月方面へ15分ほど歩き、リニア新線の高架手前の桂川を落合橋で右に渡ると、九鬼山への表示があった。
 平行して古いレンガ造りの落合水路橋がある(発電用のものだそうです)。

 その水路橋のトンネル(天井から氷柱があった)を抜けると道標があって、左は愛宕神社経由の道、右の杉山新道へ行く。枯れ沢に沿ってチラホラ雪のある道を行く。途中には水道用ホ―スの穴が空いていて、その水の飛沫が凍ってきれいな氷になっている。
 急坂をジグザグ登る道は倒木が目立ちます。やがて凍りついた雪道になったので各自アイゼンを付ける。

 何回かのピークを味わい、ようやくさらにもうひと登りで富士見平になる。見事な富士山が自己主張していた(12:07)。天気が良くてよかった。
 ここで日当たりのよい暖かい所で昼食をとる。20分ほど昼食休憩してから山頂へ向かう。数分で九鬼山の山頂には12時47に着いた。

 以前には富士山が眺められなかったと聞く。今は少し伐採されていて見られます。三角点にタッチしてから、北東になるのか尾根を下っていく。
 急な雪面もあって危ない道である。トラロ―プもあったがたるんでいて、これも危険だ。岩場もある。ゆっくり慎重に行く。

 やがて小広い平地へ。ここが紺場休場か、でも道標はない。少し行ってから田野倉駅への分岐へ。まだ雪があるけれど、そろそろアイゼンを外そうかと思って下る。

 雪もなくなったところで、もういいかとアイゼンを外す。やがて林道へ出る。ここは少し凍っているので注意を要する。田野倉駅へと歩きだす。15:23発の大月行にようやく間に合った。

 天気がよいのが何より。私は秀麗十二景の登ってないところは4つほどまだあります。富士山が眺められるのは五分五分、季節は冬がいいのでは。都留市にも二十一秀峰が選定してあるそうだ。

 大月市の山の道標で、真ん中に紫色のロゴがあるのは、猿橋を似せたものかと思っていましたが、大月市郷土資料館の職員さんに聞いたところ、旧笹子トンネルだそうです。反省会は大月で。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№223から転載

武蔵野の自然を満喫できる、日立中央研究所内(野川水源)見学=栃金正一

1.期日 : 2018年4月14日(土)曇り時々晴れ

2.参加メンバ : L栃金 上村 渡辺 伊東 星 野上 武部 岩淵 脇野 中野 
佐藤 古賀 他3名

3.コース : 国分寺駅~日立中央研究所~姿見の池~お鷹の道~殿ケ谷戸庭園~国分寺駅
       

 日立中央研究所(以下中研と表記)、もともとは、今村銀行(後の第一勧業銀行)の頭取の今村繁三の別荘地を日立が譲り受け昭和17年に設立したもの。設立にあたり創業者「小平浪平」の「良い立木は切らずに、よけて建てよ」という意志が、現在も引き継がれ自然環境が維持・整備され、毎年春季に一般開放されている。


 10:30に国分寺駅に集合。日立OBの岡田さんの案内にて、徒歩7分位で中研正門に到着する。
 受付を済まし正面の「返仁橋」と言う深い谷に掛かっている橋を渡る。橋の真ん中あたりで下を覗くと、小さな川が流れているのが見える。橋を渡り切ると大きな噴水があり、その向こうに6階建ての研究棟が建っている。

 建物の脇を通り広場に行くと、ステージがあり催しものをやっている。周囲には模擬店等もあり大勢の人が飲んだり食べたりしながら楽しんでいる。


 広場を通り過ぎ道を下って行くと大きな池に出る。池の大きさは、10,000㎡で周囲は800mあると言うので、池の周囲を回ってみる。途中道からはずれて、国分寺崖線(通称 はけ)からの湧水を見に行く。崖の下から澄んだきれいな水がチョロチョロと湧き出ている。これが、「野川」の源流のひとつとのこと。

 大池の奥に行くと、年2回花を咲かせると言う「十月桜」を、花の終りかけであるが、見ることが出来た。
 少し行くと「生きている化石」と言われている「メタセコイア(アケボノスギ)」が大きく空に向かってそびえている。さらに少し行くと水門がありここから池の水が「野川」へと流れて行く。

 大池巡りを終り、坂を上って行くと「御衣黄(ギョイコウ)」と言う大変めずらしい、花びらが緑色の桜の木がある。残念ながら花は終わりかけていたが、わずかながら緑がかっていた。黄色い「タンポポ」が、一面に咲いている芝生の上で待ち遠しかった、昼食をとる。

 昼食後、中研を後にして西国分寺の「姿見の池」から中央線を渡り広々とした「東山道武蔵路」跡をゆったりと歩き「野川」の源流のひとつである「真姿の池」を見学した。

「お鷹の道」を通り国分寺駅近くの公園でガイドの岡田さんに感謝して解散した。まだ、時間があったので、有志で「殿ケ谷戸庭園」を見学した。今回は、都内に数少ない武蔵野の自然を充分に楽しんだ一日となりました。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№228から転載

眠れぬ夜の百歌仙夢語り<七十八夜>  望月苑巳

 何が楽しくて野郎ばかり三人で飲んだのか分からない。
 その時なぜかパンツの話になった。
 オイラが「俺はトランクス派だよ。風通しがよくて蒸れないから」というと、髪の毛がすだれのY君がのたもうた。
「いやいや、断然ブリーフだね。締まりがあっていい。第一漏れないからな」
「確かに」
 思わず頷いてしまったオイラはお漏らしジジイか。

 そこで黙って聞いていたむっつり助平のK君に「おい、おまえはどっち派だ」と聞いたら胸を張って答えたね。
「それがどうした、俺は紙オムツ派だ」
 心なしか目が虚ろだ。
 そうだよなあ。気がつけば古希。古来稀なりという言葉にドキリとする。坂道を上がれば心臓が鯉みたいにバクバクする。後期高齢者という棺桶に片足を突っ込んでいるんだから。
 神も仏もないとはこういうことか。
 下ネタ続きで申し訳ないが、有名なエピソードを一席。いや、これは神かけて真面目な下ネタだ。

 和泉式部といえば恋多き女として知られる。熊野詣に出かけた時のこと。本宮の近くまできたら、何と月のものが始まってしまった。不浄の身では参拝するわけにはいかない。
 仕方なくその場から熊野権現を伏し拝んだという。
 その時に詠んだ歌がある。

晴れやらぬ身にうき雲のたなびきて月のさはりとなるぞ悲しき

 月のものまで詠んでしまうという、和泉式部の歌に対する情熱にはただ脱帽あるのみだ。さすがとしか言いようがない。しかもこれには後日談がある。
 歌を詠んだ夜、和泉式部の夢枕に熊野権現が現われ

もろともに塵に交わる神なれば月のさはりもなにか苦しき

 と歌を返してきたというのだ。これは「紀伊続風土紀」にあるのだが、伏拝という地名はここからきているという。ふうむ、伝説恐るべし。いや、神様も粋なことを言うもんだ。どうです、真面目な下ネタだったでしょう?

 そんなことを書いたから罰が当たったのか、12月に入って人生初のインフルエンザB型にかかった。
「当選おめでとうございます!」
 医者の結果を伝えるとマグロの奥さん、目をウルウルさせ、ここぞとばかりに娘と孫に一言。
「近寄っちゃダメ、口をきくのもいけないの、目を合わせたらおしまいよ。それだけでうつるからね」
 俺は妖怪人間ベムか。おかげで一週間アルカトラズの独房生活を味わったぞ。
 余談だが、昔読んだ朝日新聞のコラムに工藤雅世という人がこんなことを書いていた。

「私たちは他人と出会ったとき、緊張や警戒心から、無意識に相手との間にある空間を保とうとする。この空間を、心理学ではパーソナルスペースと呼ぶ」
 そしてこのパーソナルスペースの距離は民族や文化によって違うというのだ。
確かにパリのカフェではテーブルが混みあった状態で配置されていても人々は違和感がない。アラブ人やラテン系の民族でもそうした傾向があるという。

 一方アメリカ人やイギリス人は警戒心が強くスペースを大きく取るというデータがあるそうだ。日本人もこの部類に入るのかも(ただしテロが頻発する現代ではこれらのデータは信憑性に欠けるが)。
この大きさを知る「接近実験」という方法によれば女性は男性が近づいてくると大きなスペースを確保しようとするが、男性は逆に女性が近づいても大きなスペースを取ることがないという。

 男はみんな下心があり、女性は「男はみんな狼よ」という歌(昔だから若い人は知らないだろうな)がある通り原始的な警戒心が感覚的に出るのだろう。
 なぜこんなことを書いたかというと、家族とのパーソナルスペースについて考えてしまったからに他ならない。

 さて無事に〝アルカトラズのお勤め〟を終えて久しぶりにアルコールにありついた。おでんをつまみにチビリチビリやっていると、今や安上がり制作のテレビ番組には欠かせない幻の温泉宿という番組をやっていた。
 修験者が宿の裏で瀧に打たれている。
 孫の樹が「源泉かけ流しだね」と言った。確かにその通り。むしろかけ流しというより垂れ流しと言ったほうが正しいかも。
 気がつけばもう高校二年生。先日のテストで赤点があったらしい。頭抱えて
「ドツボだ~」
それも2科目だから
「ドツボのミックスジュースだ~」
「人生の交差点で轢かれた気分だろ。きっと赤信号だったんだよ」と慰め?たら「そんなところに信号機はない」とプンプン。
「少しは勉強して人間の見本になってみろ」といったら、それは「理科室にあるよ」だと。それは人体模型のことだろうが。
 ああ言えばこう言う、社会に出ても口だけが達者な嘘つきな大人にはなってくれるなよ。
「ただいま~」
 そこへ正月のお宿下がりで、すっかり太めになってしまった長女の綾夢姫が孫の明里ちゃんを連れて帰ってきた。
 夫とうまくいっていないのか多少ノイローゼ気味か。玄関を開けていきなりマグロの女房殿に抱きついた。
「充電できた~」
 そうか、バアバはバッテリーだったのか。しかも、家にいて分かったことがある。
この綾夢姫が「(娘の)明里はいくら食べても二時間経つともうお腹が空いたっていうのよ。凄く燃費が悪くて困っちゃう」とこぼすのだ。(知らなかったよ。明里は外車だったのか!)そりゃあ、母親に似たんだろう。早く気がつけよ。


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