A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・詩集「そらいろあぶりだし」より】 お花見  中井 ひさ子

 三月の終わりに、松村君から「青山墓地の桜がきれいです。お花見に来ませんか」とのハガキが届いた。住所は青山墓地、地下鉄「外苑前」からの地図と電話番号まで書いてある。

 毎年お花見は、歩きながら、電車の窓からなので、今年はと心が動いた。それに松村君には、卒業以来逢っていない。懐かしい。行こう。
 外苑前に着き地上に出ると車の往来、人の動きにスピード感があり、ちょっと立ち寄りたくなるお店が並んでいる。
「さすが青山」
 独り言を言いながら、地図どおり左へ左へ曲がって行くと右手に墓地と桜並木が続く。忠犬ハチ公の碑と共に建つ上野英三郎氏の名前を探しつつ通り過ぎたら、赤松の横に確かに彼の名前があった。

 手を合わすのか、名前を呼ぶのか迷っていると、すっと長身で切れ長の目の彼が現れた。
「変わってへんな、何年振りやろ」
 思わず出た私の大阪弁。
「君だって変わってないよ、でもちょっと太ったかい」
 彼はしっかり東京弁だ。
「いつ逝ったの」
「それが解らないんだ。気が付いたら青山墓地さ」
「それにしてもなぜ電話が付いているの」
「俺、理系だろう」
 にゃりと首をすくめる。

 歩きだすと桜並木は音を遠くした。薄桃色の花の群れは少し重たげに、空に向かって息づいている。柔らかな花弁が肩にかかる。
「今頃、どうして私にハガキをくれたの」
「いや君だけじゃないんだ、知り合いの女性十人に出したのだけど来てくれたのは君だけさ」
ちょっと困った笑顔は昔のままだ。
「俺、生きている頃は独りが心地よかったけれど、死んだら妙に人恋しくてね」
「私は生きていても人恋しいよ」
 思わずつぶやいていた。
「あまり私たちの生活と変わらないみたいね」
「そうさ、住まいが青山墓地に変わっただけさ。でも、夜はうるさいんだ。ここは軍人さん、文化人、お金持ちが多いだろう、生きていた頃のたわいのない自慢話に花が咲くのさ、人間なんて死んでも変わらないとしみじみ思ったよ」
 辺りを見まわしている。そして、指をさす方に顔を向けた。
「ほら、あそこのベンチに座っている女の人、俺たちの仲間さ」
 彼女は優しい目をして桜を見上げている。
「心が通い合った時だけ俺たちが見えるんだよ」
 いろんな所で松村君たちの仲間に出会っているのだと知り、これから街を歩く楽しみを思う。
「死んでも心だけは動いているんだ。それが良いか悪いか解らないけれどね」
 彼は空を見つめ、ぽつりと言った。
「近くにちょっと洒落た喫茶店があるんだ」
 桜並木を背に少し足が速くなった。
 喫茶店の中は、ほどよい明るさで雰囲気がありクラシック音楽が、心地よく耳に入ってきた。
「いつもの、イチゴショートとキリマンジャロ」
ウエイトレスに親しげに注文する。
 しばらくすると、大きなイチゴがのったケーキと深い香りのするコーヒーが、私の前に置かれた。思わずウエイトレスの顔を見ると、彼女はにこやかに私を見返した。

 前の席に目をやると空席だった。
 私はゆっくりとケーキとコーヒーを味わい、夕暮れの青山を後にした。

お花見 中井 ひさ子
縦書きPDF

 【関連情報】

 詩集 「そらいろあぶりだし
 作者 : 中井ひさ子(なかい・ひさこ)
 定価 : 2000+税 
 発行 : 土曜美術社出版販売
   〒162-0813 東京都新宿区東五軒町3-10
    ☎  03-5229-0730
    fax 03-5229-0732 
   

【寄稿・詩集「そらいろあぶりだし」より】 啖呵  中井 ひさ子

 喧嘩をするにもエネルギーがいる。頭がいる。度胸がいる。冷静さが必要である。なによりした後、心がからりとしていないといけない。
 
 私はすべてだめである。エネルギーはともかく、頭が悪い。度胸がない。感情的である。その上した後、心がうじうじ湿りっぱなしである(特に友人に対しては)。だから喧嘩は苦手である。はずである。
 なのに、すぐ頭にくる。人間ができていない。そんな時は考えるより先に言葉がでる。啖呵を切っている。

  私は、仕事で阿佐谷まで自転車で通っている。急いでいる時は、細い道を通る。一列に、並んでいる学生たちを自転車のベルを鳴らして、追い抜いていった時である。
「なんだよ、ババア」
 歳をとっても健在な耳はしっかりとらえた。
「ババア」は私にとって禁句だ。
「今、なにを言うたん。もう一度言うてみ! 年寄りなめたらあかんで」
 腹が立ったら大阪弁がでる。
 自転車を降りている。時間がないのにである。
「俺ら何にも言ってない」
 学生たちは横をむき、喧嘩は買わない。彼らのほうが、人間ができている。
「またやってしまった」
 家に帰り首をすくめる私に、娘は冷たく注意する。
「そのうち刺されるからやめたほうがいい」
 その娘にだって啖呵を切っている。
「今まで面倒見てきた分、しっかり返してもらうわよ」と。
 こちらも横を向き知らぬ顔である。

 私だって、いつも啖呵を切っているわけではない。ある会でいわれなく「女のくせに生意気だ」と声を荒立てられ、一歩足が前に出かかった。でも、でも、場所を考え、ここでは我慢、我慢と飲み込んだ啖呵。
「それはこうだ」との強い意見に、ふと、ひるみ呑み込んでしまった、あの時の強い思い。言えなかった思いが、からだに残り時々痛い。
 切らなかった啖呵、切れなかった啖呵より、思わず出た啖呵が愛おしい。

 分別なんてもっともらしい言い訳なんか聴きたくないと、自分自身に啖呵を切っている。

  啖呵  中井 ひさ子  縦書きPDF

イラスト:Googleイラスト・フリーより


 【関連情報】

 詩集 「そらいろあぶりだし
 作者 : 中井ひさ子(なかい・ひさこ)
 定価 : 2000+税 
 発行 : 土曜美術社出版販売
   〒162-0813 東京都新宿区東五軒町3-10
    ☎  03-5229-0730
    fax 03-5229-0732 

【寄稿・詩集「そらいろあぶりだし」より】 扉  中井 ひさ子

 私は運動嫌いである。しかし、食べることは大好きである。それゆえ太る。これでは困ると、スポーツジムの会員にだってなった。でも会員証を使ったのは、二年間のうち数えるほどだった。
 もう女はやめましたと、太るにまかせていた。
「運動しなきゃだめでしょ。だめでしょ」
 娘が口やかましく言い出した。どうも、介護の不安を感じてきたらしい。
「倒れたらすぐ病院に放り込むよ」
 毎日のようにおどかされ、やっと重い腰をあげた。

 とりあえず毎日一時間ほど歩くことにした。歩くならば一番好きな時間帯の夕暮れ時である。
 灯りがにじんでいる。人々は足早に互いに無関心である。車の往来が激しくなる。街路樹の欅が時々ため息をつき揺れる。この空気のなかにすっぽり入り込んでしまう。時空の違う世界に来たと感じる瞬時である。

 いろいろな人と出会う。思いもしないことがおこるのだ。
 夕陽が沈み、青に少しずつ灰色を流し、空が深さを増していくと、青梅街道沿いにある三階建てのマンションが浮かび上がる。ゆるやかな光のなか、横に五軒の扉が整然と並んでいる。    
 いつも何故か懐かしく見上げながら通っていた。

 二階の右から三軒目の扉が開き、男が一人出てきた。ふと、立ち止まった私に右手を上げている。父だ。こんなところに住んでいた。私は目を凝らしもう一度見据えた。やはり、少し照れたような顔をして父がそこに立っていた。
「どこにいくの」
 思わずでた言葉。
「お前に会いに来たんだ」
「珈琲でものむかい?」
 昔のままのおだやかな口調だった。
 マンションの下の小さな喫茶店に入り、窓際の椅子に座った。父は、嬉しそうだ。
「ここの珈琲、意外に美味いんだ」
 珈琲はやはりブラックだった。ゆっくりと味わい口にする飲み方も懐かしい。私が珈琲を好きになったのは、父に連れられ外出した時、いつも喫茶店に寄ったからだった。なんだか、それが日常から外れているようで、とても楽しかった。ちょっぴり、おとなになった気分だった。
「変わらないね、元気だったと聞くのも変だけれどね」
 少し照れくさく、笑いながら珈琲を口にする。
「そうだな」
 父も左手に持つ珈琲カップを見ながら苦笑する。
「何か用事があった?話したいことでもあったの」
「別に、ふと思いついたんだ」
 遠い目をして答え、美味しそうに珈琲を飲みほす父。
「じゃあな」
 と、マンションの扉の向こうに消えた。
 七年前に逝った父は相変わらず無口だった。
 あそこに父が住んでいる。扉を見上げていると、再び扉が開き塾のカバンを持った男の子が飛び出し、私には目もくれず走り去った。
 あれからも、毎日マンションの前を歩いている。体重は少しもかわらない。

扉 中井 ひさ子
縦書きPDF

イラスト:Googleイラスト・フリーより

 【関連情報】

 詩集 「そらいろあぶりだし
 作者 : 中井ひさ子(なかい・ひさこ)
 定価 : 2000+税 
 発行 : 土曜美術社出版販売
   〒162-0813 東京都新宿区東五軒町3-10
    ☎  03-5229-0730
    fax 03-5229-0732 

【寄稿・詩集「そらいろあぶりだし」より】ハッピーエンド 中井ひさ子

 どうしても来れなかった渋谷に来ました。
 夕日を滲ませた雑踏は私をもっと独りにします。気付くと貴方といつも待ち合わせた喫茶店の片隅に座っていました。

 奈良から東京に出たての私は友達に誘われるまま、貴方の写真展「海兵隊について」を見ました。歴史や政治的なことは解らなかったけれど、兵士たちの瞳に惹かれました。

 少年兵士のキラキラ光る目、老兵士の濡れて光る目が、私の中にある目と重なり合ったのかもしれません。
 次の日どうしても、もう一度兵士の瞳に逢いたくてそっと見に行き、貴方に見つかり何故かうろたえた私が思い出されます。

 最初のデートで半年後に仕事の為二年間スペインに行くと聞かされ、私は顔を上げることができませんでした。時間のある限り逢いました。

 身振りよく貴方は「ニカラグアの荒野で小屋の中に入ったら、一面大トカゲが張り付いていて慌てて逃げ出した」ことなどをお酒を呑みながら話し、笑わせてくれました。
 スペインからの手紙で、地下鉄の中で君とそっくりな女の人に出逢い、どきりとし感動しましたとの言葉に、ただただ嬉しく何度も読み返しました。
 また、昨日は何十キロメートルも走ってから、忘れ物に気付きホテルに引き返しましたに、一緒にため息をつきながらも、顔がほころんでしまいました。 
 なのに、貴方はスペインからポルトガルに行く道で事故に遭った。愛用のライカと共に。
 写真集「スペインの鼓動」を残して。

 貴方の電話番号消えません。でも、押せません。鳴り続けるベルの音が恐いから。
 外の風がはいって来るたびに振り返っています。
「恋はハッピーエンドでなければだめだよ」
 深い目をして、いつもさらりと言ってくれました。
「やあ、ごめん、ごめん、待たせて」
 そのドアーを開けてください。
 黒皮の椅子も木のテーブルも変わっていません。
 

ハッピーエンド 中井 ひさ子 縦書き・PDF

イラスト:Googleイラスト・フリーより

 【関連情報】

 詩集 「そらいろあぶりだし
 作者 : 中井ひさ子(なかい・ひさこ)
 定価 : 2000+税 
 発行 : 土曜美術社出版販売
   〒162-0813 東京都新宿区東五軒町3-10
    ☎  03-5229-0730
    fax 03-5229-0732 


 

「張作霖を殺した男」の実像  桑田冨美子 

 『関東軍講究参謀・河本(こうもと)大作・大佐はなぜ爆破を敢行したのか?」。昭和3(1928)年6月4日未明、中国軍閥の雄・張作霖を乗せた列車が奉天郊外で爆破され、張作霖が爆死します。河本大作の孫娘が、豊富な資料をもとに、その事件を単行本にされました。
「張作霖を殺した男」の実像」(文芸春秋企画出版/文芸春秋・1500円+税)、ことし(2019年)8月30日の出版です。

 当初から、「これは日本軍の仕業ではないか」、と昭和天皇に詰問された、当時の田中義一内閣総理大臣は、うやむやに、曖昧な弁で言い逃れした。「君は信用ならない」と昭和天皇に叱責されて、田中内閣は総辞職しました。かれは病んで早くに病死した。

 戦後、東京裁判での田中隆吉元陸軍少将が、河本大作による爆破工作だと証言します。これがきっかけで世に知れ渡ります。
「満洲事変、ひいては日中戦争に至る導火線に火をつけた男だ」、とてつもない大事件を引き起こした。「河本大作は幕末志士きどりで独断で蛮行に及んだ」と悪評におよんだ。

 著者の桑田冨美子さんが、河本大作に貼られたこの「大悪人」のレッテルに疑問を呈します。爆薬をしかけた実行犯は関東軍、首謀者で、その高級参謀・河本大佐でした。桑田さんはそれを認めたうえで、祖父の「独断」でも「満洲制圧を目指したもの」でもない、関東軍や東京の参謀本部の指示があったと実証していきます。

            *
 
私(穂高健一)がカルチャ―教室で指導する『小説講座』で、桑田冨美子さんは受講生だった。
「祖父の河本(こうもと)大作の史料が、一杯あるんです。実姉の清(きよ)が、研究していて、それが中断し、わたしの処にまわってきたのです」
 貴重な史料の一部をみせてもらい、これを作品化するとよいですよ、と勧めた。
 当初は、小説の技法が中心だったけれど、内容が斬新で、歴史の通説を覆す一級史料が多々あった。
 張作霖爆死事件のあと、陸軍中枢の幹部たちから、謹慎中の大作に送った激励・慰労の書簡などもあった。大作が家族や知人らに送った手紙、大作の活動の記録など、多くの秘蔵資料が、習作中の桑田さんが筆を執られて、教室で作品の一部として出されていた。

             *

 日本ペンクラブの会合で、当時・会長だった浅田次郎さんに、「受講生で、河本大作の実孫で、とてつもなく、資料があるのです」と、彼女の指導方針を兼ねて、相談してみた。「日中戦争に関する重大な事件です。その資料があるならば、作品化して、ぜひ、世のなかに出すべきです。長期保存場所も考えると良いですね」と話されていた。浅田次郎元会長は、戦前の中国関連作品には卓越した作家である。

 それら浅田さんのコメントを桑田さんに話して聞かせた。彼女はそこで勇気をもらったようだ。
 私は「河本さんから「愛する妻へ」と書きだす、当時の軍人がここまで記される、とても人間の魅力があるかたです。だから、軍事、政事だけでなく、家族愛も含めて、総括的に人間を描かれたほうがよいですよ」と指導してきた。
 
 桑田さんは、戦前は「満洲某重大事件」といわれた関係者、家伝の秘蔵資料、研究書・論文などを探し、しっかり読みこんでいた。感心させられていた。指導する私自身も、勉強になった。

 余談だが、私が幕末小説の執筆を知っているので、「わたしの夫の親戚は、薩摩藩の小松帯刀なんですよ」と桑田さんが話していた。それにはちょっとおどろいたものだ。「張作霖を殺した男」の実像」の書籍には、河本大作の妻(久)の親戚筋として、河野洋平、河野太郎がいる。日本の歴史・政治にかかわる家系だな、と思った。

 なお、私は講師として初期の「小説作法の基本」を指導したのみで、『「張作霖を殺した男」の実像』の著作は、桑田冨美子さんの力と出版社・文芸春秋社で完成させたものである、と明記しておきます。


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「張作霖を殺した男」の実像」(文芸春秋企画出版/文芸春秋・1500円+税)
 

【孔雀船 94号 詩】 尊厳 福間明子     

夜のとばりは平行線に

この香は花橘か

風に乗って闇をすくいからめて

心に届くまでにしばしの時を       

心を開くまでにしばしの時を

さりげなくという時期ではありません

すでに時は迫り来ています

すぐそこにあるのは底知れぬ畏怖



黄金律の素敵な季節

坂道の途中で見つけた満開の白い花

胸いっぱいにその香を吸い込んで

振り返ってみたのです

懐かしいものがよみがえってきて

抑えきれないほどあふれてきて

すべては遠い過去のことなのですが

過去とは限りません


いま一度風に心をのせます

何処まで運ばれていくのでしょう

自由という予想もできないものに寄り添われて

運ばれていくのがわかります

わかる気分が欲しいと思うのです

それから尊厳の意味がこころよく響くあたりに

待たれているように思うのです

ほのぼの明けの彼方に

尊厳 福間明子・縦PDF


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船 94号・詩】 泉のあるところ 小林 あき

そこは

白い光で

まるく明るいところ

まわりは

深い闇のところ



私の産まなかった子どもたちの

いるところ


広げて干す

なにかの毛皮は

あたたかそう


ひとつ

もいでかじれば

ひと日が

満たされる果実の木もあり


すまいは洞窟

どの子も

岩山のてっぺんを

見あげることはないのです


兄弟姉妹のむれ

長男は父がわりですが

他のむれとの

戦いはなく


長女は母がわりですが

新たな血を求める略奪婚

そのために

さらわれることもなく


原始をくらす子どもたち

産まなかった私としては

洞窟わきの

泉の水に

安堵します


朝と

夕の

ちょっとした雨

そのおしめりも

ありがたいでしょう


私は

庭の

水まきが

おっくうになりつつ

あります


泉のあるところ 小林 あき 縦書き・PDF


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船 94号・詩】  水性の夜 船越素子

一番星がのぼって

教え子が物語をとどけに来た


>
静かな彼女だ

うつくしい夕暮れの風とともに

静かにてわたす

物語も静かに

静謐な室内で綴じられる


暴発も 諍いも 騒乱も

ここでは

何もかもが

呼吸の音も消えいるように

霧散していく

送り出された

ふたりの少年は

はるか時空をこえ

彼らのスペースシップがすれ違い

たがいを呼びあう


彼女の物語は

痛ましいほどに美しい

やさしい人々が

やさしさの傷を負い

レモン水のかけられた

かきごおりのように溶ける

水性の夜の 

再生や降臨が

その先にあるのか

誰もとわない


だから ゆっくり

ページを繰る

あたたかな飲み物と

膝掛けを用意し

ひとり

星降る夜の

星をさがして

教え子に届けようと

思いついたのだ


          『ALLO:ALLO』(フナキトキコ著 北方新社)によせて


水性の夜 船越素子・縦書き・PDF
   

【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
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【孔雀船 94号・詩】 心の時計   望月苑巳

誰が作ったのかブリキの風見鶏が

曇天にふらちな時計台

つらくなって首に縄をかけたぼく

窓から見えるのは

カラカラと死にそうな音を出して

目を回している無様な姿でした。


母さん、知っていましたか

この世で一番小さな時計は

まだ生まれていない赤ちゃんの心臓だと、

寺山修司という高名な詩人が言ったということを。


時計台がどろりとかしいで

どきどき分針がよれると

カチリと合うはずの世界もよれてしまうのです

そのせいで平和の時を刻むのも

戦への道を刻むのも

この二つの針の仕業にされてしまったのです

ただ文字盤に刻まれた記憶だけが

赤ちゃんの心臓と共鳴して。


キナ臭い国になってしまったのに

母さん、ぼくにくれた鼓動をありがとう。

この心の時計は

幸せになるために使います

だから首の縄は外すことにします

母さんの時計を大事にするために。


心の時計 望月苑巳・縦書き PDF


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
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【孔雀船 94号】 助走 吉貝甚蔵  

切れ切れの風景を積みあげるキミへ

断片を紡ぐ長い長い物語へと溺れていくキミへ

ボクは貝の化石を孕んだ変成石灰岩を贈る

朝 地平を撫でる雨が降り始める前に

浮き石を踏み岸へ渡ろう


葦の原を縫う遊歩道で

ことばをそっととりかわそう

流れる小石に名前は紛れ

駆け抜けるを消していく

ボクらがいつもいた場所だから

広場のスケッチも描いておこう

集まるために移動した

そこにいたのはボクらだった

はずだった

のは

今キミが物語に帆船を浮かべたからだ

そこからキミは

あの日の星の炸裂を消滅を

見つめる

戸惑うのは

肥大する恒星が惑星を飲み込むからだ

苛立つのは

時間が距離を裏切るからだ

躊躇うのは

ここにいないキミがここにいないボクと

そこにいるからだ 

そこ 広場は 立体ではなく

奥行きのある 高さのある 平面であり続け

草原であり砂漠でもあってただ茫洋と狭く

雨音それとも虫の音

細胞が入れ替わる音は聞こえるわけもなく

電子の流れが音をたてることはないのだが

不在のボクらが平面を移動していく

うつろうと呼べば漂うと応え

たちまちと言えばつかのまと返す

物語が流れていく

ボクらは繰り返す

駆け抜けないための助走を

助走 吉貝甚蔵 縦書きPDF

【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

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