寄稿・みんなの作品

【孔雀船88号より】 はるの変異 = 尾世川 正明

二つ折りの

しろい紙に墨をにじませていると

ロールシャッハテストのように


山や渓流や岩肌がみえ

小さな庵に住む小さな人もみえてくる

今朝はまどから

名も知らぬ小鳥の声が聞こえる

この頃この町に変な野鳥が多くなったと

散歩で逢った老人が話していたが

かれの認知機能は

以前のように正常なままなのだろうか

とはいっても

すでにわたし自身も鏡に映れば

影がゆがんでどこか妖しい


ちいさな鉢で

多肉植物をめでているわたしは

ホモサピエンスのオスとして

すでに生殖機能を失っているのだろうか

さりとて心にはまだまだ春が映りこみ

なまめいて艶なるものを求めている

しろい二の腕のようなもの

長く伸びた指のようなもの

その先の白く飾られた爪

爪に触れる膨らみはじめた桜のつぼみ

肉という言葉の響きになどは

少しうしろめたくて使えず

そのくせ

厚い唇のような葉の

ほんのりとした桑の実いろにみとれ

すこし触れてみたくなる


はるなのに

甘みをおさえた桜餅ではなく

焼いた厚い牛肉を食べている

茶室で抹茶を飲むのではなく

ペットボトルから硬水を飲んでいる

それなのに体の芯では

多くの骨たちが水気を失い

少しずつ鉱物に代わってきているので

やがて肩や胸から針のように骨が突き出してくる

そんな恐怖を夢想している

大きな墨滴が紙に落ちて暗黒星雲になった

星雲がさらにかたちを変えて黒い異形になった

私の変わってゆく姿

結局わたしの命とはこんなものかもしれない

そんなことを昨日からしつこく考えている

この脳も少し変異したらしい

【関連情報】

はるの異変  縦書き : PDF


孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

【孔雀船88号】 台所の結界はどうして破れたか = 望月苑巳

時間には眠りという属性がない

猥雑と孤独が

ただぶらんこのように

うつつうつつ 繰り返すだけの混沌。


トーストが一枚

鋭角な食欲を焼き上げる

妻は目玉焼きを食べながら夕暮れている

台所の結界を踏み越えられない定家卿は

怒ってトーストを投げつけた

シチューに紛れ込んだトマトが

シニカルな笑いを浮かべている

踏み越えられたら戦火は収まるのに

一将功なりて万骨枯る、というわけか。

すると妻が反撃を開始する

仰いで天に愧(は)じず、俯して地に炸(は)じず、でしょう。


たじろぐほどに定家卿は袋小路を曲がる

猥雑が背を向き

いつの間にか孤独が上りがまちに佇んでいる

慌てた定家卿は結界をこじあけ台所に辿り着く

台所は人生の縮図である。


人生はコップの中の水に似ている

「半分しかない」と悲しむ人もいれば

「半分もある」と喜ぶ人もいる

欲と正直のまぜあわせ

水がこぼれた時どう身を処するかで

その人の価値が決まるのだと

いつぞや法師は錫を突いて喝破したな。


定家卿はふてくされて

鍋からこぼれ出た妻を

抱えたまま走りだす

どこへ? さらなる孤独へ?

【関連情報】

台所の結界はどうして破れたか 
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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【孔雀船88号より】 タッカ・シャントリエリ = 森山 恵

夢の峠の草叢にある

分水嶺

腰のあたりに一輪 黒い花が咲いて

黙りこくってゆれる水辺 めくら柳の根方の


あなたはわたしを巡る わたしの地下を巡る

けれど

水湧きたつ場所をあなたは

知らない

(みを隠す水隠れの みずの想い


道を問う君

そこではないの

ほんのすこし横 そこを過ぎてあとは道なりに

まどろんで ふれる

(まぼろしの迷い家の
 

身隠れ

わたしたちは

もう一度ささやき交わし 愛を交わす

花は根を伸ばし

広がり咲く


タッカ・シャントリエリ

かくれ里に群れ咲く花
 
香りたち昇り

たましいはその濃き香りに引き寄せられる

二つの身を離れ

息づかいのみを残して

たましいは
 

【関連情報】

タッカ・シャントリエリ : 縦書き、PDF


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【孔雀船88号より】 みづいろ = 浅山泰美


早春の朝ははやく

露に濡れた草ぐさの

まだうすぐらい小径を抜けて

あなたは

旅支度もそこそこに

ゆうべの灯りが

まだ点ったままになっている

ちいさな木の駅から

旅立とうとしていた


氷のようだった手足が

今は空気のように軽くあたたかいので

口笛のひとつも吹きたくなるではないか

そういえば

幼かった頃

一番好きだった色は

水色で

クレヨンはすぐに短くなっていったな

ふいに そんなことを思い出すのは

まだ明けきらぬ空の一角が

あまりにもうつくしい水色に変わりはじめたからか


もう引き返すことのできない小径に

朝の光が射しはじめるまで

影は影のまま

あなたがいなくなれば

あっさりと消えてしまう

この世界にも

モクレンは咲き 小鳥は歌う春はまた巡り来て

やがて

草に紛れた鏡のような

水色の記憶だけが

ひっそりとそこに残されるのだろう

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みづいろ 縦書き ・ PDF

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「孔雀船88号より」 まだ封じられないものの夜 = 吉貝甚蔵


消せない星は

あらかじめ失われている流星だろうか


森を抜けるためには木立の残像がいる

と 遊牧の民が告げる

砂塵に巻かれながら お前は

この広漠に水滴の走りを見るのか

さしずめ浦のうらぶれた苫屋に

失われた桜を見るように


むしろ通り雨に

砂漠の匂いを嗅ぐ


他人の夢を見ることはできない

と 夢を違えながら夢を語る

夢を売り買いするように

見るを交換する

お前によって夢見られたものが

私である証は傷になる


埋められたのは

季節をしるした文字であり


凍てつくのは発語に震えているからだ

震えているのは

言葉になりたがらない音たちか

音はすりぬける

言葉にはとどまらない だが

追いかけるのも言葉であり


出会うためには

夜をふるわせる星の音階が必要だ


それでも夢の形象が

眠りの先に表れるのなら

影はいつも眠りの背後に宿り

その影にも

お前の夢見た私が私の夢を差しだすのだ

他人の夢を生きるために


目覚めないのは

あらかじめ失われた眠りだからだ

封じられたものが

永遠だ などと思うには

砂も星も流れやすく

よぎるには時の懸崖は深すぎる だが

お前の夢の欠片たちを紡ぐ私の夢の欠片たちが

ざわめく


渡るのだ

記述の砂漠を


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まだ封じられないものの夜 : 縦書き ・ PDF


孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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百名山へチャレンジ。98番目の幌尻岳は全方位の絶景=関本誠一

日時 : 2015年7月9日(木) ~ 12日(日)  3泊4日  晴れ

メンバー : 《すにいかあ倶楽部》 関本誠一、 《山の応援団》 中谷順一、高坂忠行 (計3名)

コース : 【1日目】はバス、タクシーの乗り継ぎで「とよぬか山荘」(泊)

 【2日目】 とよぬか山荘(バス) ⇒ 第2ゲート ~ 取水施設 ~ 幌尻山荘(泊)

【3日目】 幌尻山荘 ~ 幌尻岳 ~ 戸蔦別岳 ~ 幌尻山荘(泊)

【4日目】 幌尻山荘 ~ 第2ゲート(バス) ⇒ とよぬか山荘


            戸蔦別岳山頂にて、後方は幌尻岳


 幌尻岳は、北海道・日高山脈の主峰で、読み方は(ポロシリ)といい、アイヌ語で「大きな山」という意味らしい。
 日本百名山に選ばれており、7~9月には額平川上流にある幌尻山荘がオープンした。全国から3,000人の登山者が押し寄せてくる。

 同山荘は木造2階建てで、食事寝具などのサービスはなく、素泊まり50名の完全予約制となっている。
 山頂付近には、氷河期の痕跡・カール(七つ沼カールは有名)と、ヒグマ、ナキウサギ、クマゲラなど手つかずの自然が沢山残っている。

 百名山を目指す筆者にとって、幌尻岳は最後の難関のひとつとして立ちふさがっていた山(98座目)でもある。


 年初から、不安を抱えながら単独行を考えていたところ、昨年の北海道・羅臼岳でご一緒した吉祥寺のハイキングクラブ《山の応援団》会長の中谷氏から声をかけて頂き、計画には力が入る。

 まずは4月1日からの幌尻山荘の予約を取ることからスタートだ。
 装備や渡渉用具などの準備、共同装備など、事前打ち合わせは何回か行う。途中から《山の応援団》会員の高坂氏が参加となって、三人で出発する。

【1日目】まずは苫小牧駅に集合する。バス、タクシーを乗り継ぎ、「とよぬか山荘」に入る。


【2日目】朝5時に起床する。朝食の後、7時のマイクロバスで出発した。

 一般車の乗り入れが禁止となっている第2ゲートに到着した(8:00)。北電取水施設まで、林道歩くこと2時間を要する。
 ここから額平川右岸の登山道を1時間で、渡渉の地点に到着した。沢靴に履き替え、いよいよ川のなかに踏み出す。

 少雨のせいか、水深は深いところで、膝上くらい。雪解け水にしては、さして冷たくない。しかし水流が結構強くもあり、この時に備えたWストックが、身体の安定に威力を発揮する。

 渡渉を繰り返すこと、約二十数回で、幌尻山荘に到着した(12:30)。まずは濡れた衣服を着替え、宿泊の手続き終えると、小屋外ブルーシートで、夕食の準備を開始した。

 夕食後は、小屋内に寝具を持ち込み、19時に就寝。


 【三日目】 夜明け前の3時に起床。朝食を取ってから4時には出発する。いきなり急登である。続くお花畑のなか、幌尻岳に登頂する。7時30分だった。快晴で、遠くには大雪山から石狩平野、さらに日高山脈まで360度の展望である。

 ……音信不通の携帯も、こごては繋がる。休憩した後、右手に七つ沼カールを見ながら下降していく。戸蔦別(トッタベツ)岳の急斜面を登り返す。
 ここから見る幌尻岳も、カール前景が素晴らしい。小屋へと急斜面の戸蔦別尾根を下る。下りきった所で沢靴に履き替え、渡渉を繰り返し、山荘に戻る(13:30)。

 猛暑のなか、9時間以上のハードな周回コースだ。


【四日目】 迎えのバスに乗るために、午前3時に起床し、4時に出発する。一昨日の逆コースを辿り、第2ゲートへと下山(8:00)。

 昨年に引き続いて、北海道山行を満喫。残された大自然に触れあえただけでも、素晴らしい経験である。山仲間に感謝、感激である。
 下山後は、地元温泉で軽く反省会をおこなう。
 99座目の十勝岳を目指し、移動を開始する。 

           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№200から転載

新東京百景の天上山(神津島)は砂漠だった = 武部実

平成25年11月24日(日) ~ 11月27日(水)

参加メンバー : L武部、松村、中野計3人
コース : 黒島登山口 ~ 十合目 ~ 表砂漠 ~ 最高点(572m) ~ 新東京百景展望地 ~ 裏砂漠 ~ 文政の石積跡 ~ 黒島登山口

 11月25日。客船・かめりあ丸は順調な航海で、神津島の前浜港に9:50に到着した。民宿「山見荘」の迎えで、宿で一服する。

 天候のくずれを気にしながらも、黒島口登山口へ送ってもらう。


 10:20に出発。登山道の周りはシダで蔽われていて、樹木はあまりない。5分ほど登ると、1合目の標識がある。この標識はどうやら標高30m弱ごとに、設置してあるようだ。

 ウメバチソウの白い花を愛でながら、登り10合目(476m)には11:15に着く。 ここから頂上を時計回りに歩く。
 黒島展望山を登り降りて、少し歩いたところが、表砂漠だ。白い砂地は、まるで海岸を歩いているような感じだ。

 5月中旬頃からは、この白い砂地に、赤いツツジの花が咲くという。テーブルが設置してあって、ここで昼食をとる。

 12:10に出発する。天上山の最高点(572m)をめざす。15分で到着した。さすがに、周りに何もないところは風が強く、景色を眺めるのもそこそこにして、記念写真を撮って下山をはじめた。

 不入ガ沢(はいらいがさわ)の左側は、断崖絶壁のがけ崩れがあるところ。砂防ダムがところどころに見える。
 もう一つの登山口である白島下山口を過ぎた。ババア池や不動池は水が涸れて、草むら状態だ。


 新東京百景展望地に、13:20に着いた。

 くもり空で、富士山までは眺められなかったが、近くの式根島、新島、利島、そして、その先には大島がみえる。片や、東に目をやれば、三宅島や御蔵島がはっきりと見ることができた。

 今にも雨が降りだしそうな空を気にしながら、先を急ぐ。登山路には、赤い実をつけたサルトリイバラや紫色のリンドウなどが目を楽しませてくれる。13:40に裏砂漠に着く。ここも表砂漠と同じで、白い砂地の海岸を歩いている雰囲気がある。

 ただ、残念なのは、黄色いペンキがそこらじゅうに塗りたくっていることだ。道迷いの案内表示だが、これでは興ざめだ。ここらから、雨がぽつりぽつりと降りだし、風もでてきた。

 照葉樹林帯の林の中を10分ほど歩くと、10合目にあるオロシャの石積跡だった。ここで頂上を時計回りで一周したことになる。

 雨のなかを急いで下山し、登山口には14:50に到着した。すると、車が我々の所に停まって「武部さんですか」と問いかけられた。宿の娘さんが迎えに来てくれたのだ。グッドタイミングにびっくり。
 後で聞いたら、宿からは下山してくるのが見えるそうだ。

 夕食は、金目鯛の煮つけ、てんぷら、ロールキャベツなど、豪華なおかずで腹一杯になる。


 翌朝は、帰り支度をして、朝食を摂っていた。このときに島内放送で、欠航の知らせ。延泊を頼む。そして、予定外の秩父山(280m)のハイキングと、島内散歩を楽しむ。

 港に打ち寄せる波は高く、欠航もやむなしと、納得させられた。

 翌日は、反対側の港(多幸湾)から無事10:30には出港できた。客船は竹芝に予定通り午後7時に接岸した。


  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№171号から転載

なんて、ぜいたく、小仏城山・花見ハイク = 岩淵美枝子

日時  :  平成28年4月10日(日)  晴れ

メンバー  :  L上村、三浦、武部、岩渕、市田 (5名)

コース : 高尾山口駅 ~ (6号路) ~ 一丁平 ~ 小仏城山 ~ 小仏城山東尾根 ~ 小仏関跡 ~ 高尾駅
 
 今日は、穂高健一さんチーム欠席となる。「すにいかあ」のメンバーだけでお花見となった。

 高尾山口駅では、人がどんどん増えてくる。今、8時30分だが、あと1時間もすれば、駅はわんさかと、リュック背負った人の待ち合わせで混み合うだろうな。
 お風呂の看板が入口に見えるが、当分の間は入る気しない。芋の子洗いだろう。

 6号路に向かって出発する。今日はのんびり、ゆっくりと歩く。市田さんが一緒なので、むしろ、これがチャンスだ。
 足元のお花に、目がいき、高尾の春を満喫できそう。
「嬉しいな、さっそく、あっ可愛い白い花。二輪草、豆粒ほどの小さな水色の花。山瑠璃草」
 名前がおもしろい、よごれねこのめ、お花も緑色で、形もおもしろい。


(いくつ花の名前を教えてもらったかしら)
 一週間前にも、市田さんと高尾に来た。その時は、今日みたいに、開いていなかった草花さんたちもうこんなの、見るとたまらない。

 落ち葉の下から、けなげにちょこんと芽を出し、いっぱい光を受けたいよーと、小指ぐらいの薄緑の葉っぱちやん、なでなでしたい気分になる。
 こんどは、あでやかな紫ピンクの三つ葉つつじ。そして、城山まじかになると、いよいよ桜の木のオンパレードである。

「満開の桜ちゃんたち、なんて今日は贅沢な一日だろう」
 公園の手入れされた桜も、みごたえあるけれど、自然のままの山の桜のグラデェションは涙がでるほど美しい。また、来年もさいてね。桜ちゃんたち。


 十数年前に、上村さんより、言われた言葉をおもいだす。熊笹がいっぱいある登山道を歩いていたので、この笹で笹団子つくりたいと、4、5枚とっていたら、
「葉っぱ一枚でも、山のものは山に置いておきなさい」
 その言葉を聴いてから、私の山に対する考え方が変ってきた。

 山にある植物の一つひとつが、愛おしくなった。むかしは、山は日本人にとって食料を得るための山であった。日本にウェストンが来て、嘉門次が上高地から案内したことから、山を征服するための登山の始まりでは、ということらしい。


 町には、今の時代は食べ物が溢れている。山は健康志向の時代になり、そのために登山客があふれる。登山道は土からコンクリートになり、植物は芽を出せないほどの硬さになってしまったところもある。
 植生回復のためにロープは張ってあるが、ロープ越えで、休んでいる登山者がいる。

「どうぞ、来年も、お花見が出来ますように」
 そう願うばかりだ。汗を流し、ゼイゼイ言いながらの山登りも、達成感と、してやったりの満足感がある。
 めったに見れない高尾スミレに出会ったりして、心いっぱい感動したりして、心に筋肉をつける山歩きもできて大満足でした。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№201から転載


長州戦争から150年、高田藩戦没者たちの法要=広島・海田町

 ことしは幕末の長州戦争から、ちょうど150年の節目の年です。芸州口の戦いで、越後高田藩は多くの犠牲者を出しました。


 『長州戦争 高田藩戦没者 第150回大遠忌法要』が、平成28(2016)年8月7日、広島県安芸郡海田町の明顕寺で行われました。

「西国街道・海田市ガイドの会」では、明顕寺の境内も史跡案内しています。芸州口の戦いも組み込んで説明しています。

 こうした有志が、同寺のご住職さんに、150年忌の法要をお願いしたところ、快く承諾してくださいました。


 長州戦争の芸州口の戦いは、慶応2(1866)年6月14日に戦火が開かれました。長州藩の西洋式の最新鋭銃、さらに地の利にたいして、幕府軍は重装備で、旧式の兵器で惨敗だった、と一般に言われています。

 
 兵器の差も確かですが、戦争には戦術や兵力とは別の要因もはたらきます。
 

 
 越後高田藩は前年(1865)5月に越後を出発し、しばらく大坂にとどまり、海田市に到着したのが、同年12月です。さらに、芸州口の戦いまで、半年以上も、海田市の陣営で待たされました。

 あげくの果てに、先陣予定だった芸州広島藩が不戦を表明し、後方支援部隊の越後高田藩と彦根藩がとともに、長州藩との境界で戦うはめになったのです。


 最前線の兵士たちは、1年余も遠征疲れしており、戦意が高まらないまま戦いに臨み、長州藩兵に圧倒され、後退ばかり。
 越後高田藩は慶応2(1866)年8月7日に、「宮内の戦い」で、大量30人の戦死者を出しました。


 その後、援軍にきた幕府歩兵部隊と紀州藩兵が最新銃で応戦し、長州軍を押しもどし、さらに芸州広島藩が廿日市まで押し寄せた長州に怒りを持ち、宣戦布告をしました。

 毛利敬親の命令で、長州軍はたちまち岩国まで退却しました。

 最終的には、長州藩は藩境の拡大にも、さして勝利にもならず、幕府軍は初期の犠牲者だけが目立った戦いになりました。
(同年9月2日には、宮島・大巌寺での停戦協定で終止符を打ちました)。


 それから歳月は150年も流れました。越後高田藩の祥月命日となる8月7日に、海田市ガイドの会では芸州口の戦いで命を落とした人をしのび、法要をさせていただきました。


                       写真・文 土本誠治さん(広島市在住)
                           
                       

【寄稿・写真エッセイ】 警備の仕事で読書 = 原田公平

 警備の仕事で本が読める?
 そう、そういう職種もある。

 今日の仕事はガス会社だ。朝の9時から午後の7時まで、支社の控室で出動を待つ。どこかでガス漏れがあると、現場に飛んでいく。だが、なければ読書だけは許される。

 以前、この仕事で遅くなり、帰り電車がなくなり、二度とやるまいと思っていた。しかし、こんかいは依頼がきたときに、ボクは勘でこの日のガス漏れないなとヨミ、仕事を引き受けた。
 その実、働きながら、読みたい本があったからだ。

 2016年6月21日、梅雨に入り朝から雨だ。しかし、この日は、自宅を出たときからウキウキしている。

  3日前、千葉の朝日カルチャーセンターで穂高健一「写真エッセイ」を受講した。帰りぎわに受付の女性が「穂高先生の本が発売になりました」、とその本が積み上げてあり、1600円(税抜き)を買った。
 
 ボクがエッセイで穂高先生に師事して4年目となる。その間、先生は、東日本大津波を題材にした「小説3.11海は憎まず」、次に先生の郷土の広島、幕末の若者「二十歳の炎」を書き、どちらも読んだ。
 今度は440ページと読み応えありそうだ。
 本の帯がすごい、
「あづみ野の若い娘が徳川将軍を動かし、上高地を拓いた」
 日本山岳会会員で山男の穂高健一さんが本作によって祝日「山の日」と上高地記念大会を祝賀してくれることに感謝する。全国「山の日」協議会会長 衆議院議員 谷垣禎一、と明記してある。


 こんなに読書に適した環境はそうはない。出社すると、今日はガス漏れはないと、すぐさま本に集中する。


 
 この小説の舞台はまず、安曇野平から始まる。
 ボクは50代の夏休みは、家族と安曇野へよくドライブしたものだ。青々とした一面の田圃風景が好きだった。家内は美術館巡り、ボクは道祖神の写真を撮った。そのうえ、上高地にも足を運んでいるので、小説の舞台が身近に感じる。
 最初は「堰(せき)」づくりである。

 ボクの郷土・徳島を思い出した。

 実家は農家で吉野川の北岸地帯にあり、毎年夏は日照りで水田や畑の水が不足し、困っていた。
 中学生のころ、阿波用水の建設が始まり工事はよく見ていた。吉野川の上流から取水し、吉野川の北岸を潤す用水である。しかし、現場は人力が中心で、測量や、段差のあるところの用水路は大変さが実によくわかる。
  
 身近な先生の小説だ。エッセイ教室や飲み会で時折、取材のこととかを話されていたが、断片的でよくわかっていなかった。読むことによって、先生が何故、徳島の秘境の祖谷(いや)や飛騨にいったのかなどがわかった。 

 登場人物の多さには驚いた。先生は実在の人をフィクションで書いたと、まえがきにある。
 主な24人の顔かたち、体つき、そして性格描写、読者がイメージできるように簡潔にきりっと表現している。
 小説とはいままで読む側ばかりであったが、登場人物や女性を描くのは大変だろうと、初めて気が付いた。これが小説家だと思った。


 ボクはいままで多くのエッセイを書いてきているが、自分のことが中心で他人の顔や体形、性格を書いたことがない。これから読み手がわかる、人の描写などの勉強になった。

 また、仕事で交渉事の経験は多々あるが、ビジネスでは対等だった。
 しかしながら、この物語は農民、庄屋、豪商、大地主、郡代、地役人、藩士、勘定奉行に職人、学者と幅広い。その上、身分社会にそれぞれの利害と、メンツがからんでいく。

 賄賂政治や、弱い農民を追い込むと暴発して一揆になる様子は、搾取する側と、される側の実態に、農家の出身だからよく理解できる。

 小説に色を添えているのが、3人の女性だ。先生の好みが色濃くでているかな。

 共感できる本で、読む方はスラスラだ。片や書く人、先生の苦労を身近に思い浮かべながら、読んだ「燃える山脈」だった。


               「エッセイ教室の後のおしゃべり会、先生右から2人目」
 
 ボクは穂高先生に、是非、書いてほしいテーマと人物がいる。
 「四国八十八か所巡礼」と、現在の原型をつくった江戸時代の僧、真念である。
 「四国八十八か所」も、真念もよくわかっていないけれど、先生得意の取材と想像力で書いてほしい。
 定年退職者の多くは、一生に一度は四国巡礼をしたいし、若者は自分試しにと遍路者は増えている。一方、「四国八十八か所」は海外でも話題になり、多くの外国人も歩いている。
 先生は八十八か所の1番札所・霊山寺にも、既に訪れている。
 先生の「四国遍路」が読める日を、楽しみにしています。


【作者紹介】

 徳島県出身、アパレル業界に携わる。リタイアした後、旅行資金稼ぎで、ガードマンをしながら、アメリカ一人旅、世界一周の旅になんども挑戦している。意欲的な性格で、英語落語、民謡、諸々にチャレンジしている。
 リタイア後の人生は、「ひとの3倍生きる」が信条である。


 現在は、朝日カルチャーセンター「写真エッセイ教室」受講生。