寄稿・みんなの作品

【寄稿・新型コロナの知識について】(上) 抗体とはなにか=井上園子

 新型コロナウイルスとはなにか。一言でいえば、風邪(かぜ)の一種でしょう。

 ならば、初夏から真夏にかけて感染者が減少するのは当たりまえ。それを「自粛の成果」だとか、「国民の努力の結果」だとか、行政関係者のアナウンスように、単純に喜んでも良いものなのだろうか。そんな疑問もあります。


 風邪ならば、晩秋、初冬に寒さとともに、ふたたび大流行しないとも限らない。過去の事例からも、「新型コロナウイルス」の第二波も予測できます。

 メディアで、取り上げる専門用語はずいぶん聞き慣れてきました。ただ、理解したつもりでも、あまりよく解らない。その実、なんら役立っていない。

 今後の第二波の到来に備えるためにも、「抗体とはなにか」と、知識が豊富な井上園子さんに文章と絵で説明してもらいました。


【寄稿・井上園子さん】

 2019年暮に、新型コロナウイルスが中国武漢市で、患者が確認されました。

 ことし(2020年)3月11日には、世界保健機構(WHO)がパンデミックを宣言しました。この新型コロナウイルスの感染で、この5月の今も、世界中は大混乱し、39億の人々はステイホーム(在宅生活)を余儀なくされています。


 ヒトの細胞、細菌、ウイルスの大きさを比べてみます。

 ヒトの細胞(平均0・02ミリ)は目にみえないのですが、そのおおきさを西瓜に例えますと、細菌はみかん、ウイルスとなると、お赤飯に入っている小豆のようなものです。

 ヒトの細胞と細菌は光学顕微鏡で見えます。しかし、ウイルスは、電子顕微鏡でないと見えないのです。

 日本は、2020年2月に感染症指定をしました。

 安倍首相は4月8日に1ヶ月間の緊急事態宣言をだしました。が、この緊急事態宣言は5月になってさらに延びることになりました。
 これにより、国民は引き続き、不要不急の外出を禁じられました。さらには県境を渡っての移動もできません。

 イギリスでは、この新型コロナウイルスに抗体ができた人には、普通の生活をして良い、という証明書をだしました、と報じられています。

 抗体とは、私たちの体を細菌・ウイルス・ガンなどの敵から守る免疫システムの一つです

 抗体ができれば、二度とおなじ病気にかかっても、細胞が過去を覚えていて、症状が出る前に敵(ウイルス)をやっつける抗体を産出することが可能だからです。
 通常なら、これでおしまい、めでたしめでたしになります(図の通り)。

 しかし、世界保健機構(WHO)から、待った、がかかりました。今回の「新型コロナウイルス」に関しては、そうはいえない、というのです。まさに、今までの常識を覆(くつがえ)したのです。

 抗体はできた方がよいのです。

 そのためには、「新型コロナウイルス」にかかる必要があります。しかしながら、感染すれば、最悪の場合は、重篤(じゅうとく)な状況になってしまいます。

 この矛盾に立ち向かうためには、私たちはどうすれば良いのでしょうか。この新型コロナウイルスのワクチンができる、(推定)一年以上先まで、コロナにかからないことです。
 
 このコロナに対する効果ある薬が、まだ完全にできていないのも、私たちを怖がらせる要因となっています。

 たとえ、薬がなくとも、私たちの免疫システムが正常に働いていれば、乗り越えられるはずです。そのためには、健康な体を造ることです。

 寝不足をしないことです。なぜならば、寝不足は、からだの中に老廃物がたまります。それを食べて処理するのに、一番大きい食細胞のマクロファージ(白血球の一種)が、余分な仕事をしなければならないからです。

 ここはとても、重要な点です。
                  『つづく・(中)』

【寄稿・「未完の風景」より】 「まえがき」、「なかりしか」  神山暁美

まえがき
 
 もうすぐ平成の世が終わります。大正10年に生まれ、激動の昭和を生きぬき、私と暮らした平成の世は、父にとって穏やかな日々であったのでしょうか。

 「もはや戦後ではない」昭和31年(1956)版経済白書は、そう記して戦後復興完了を宣言しました。しかし父にとっての戦後は、未だ続いています。毎年8月15日が来るたび、昭和20年の夏に引き戻され、父の心の復興完了はまだまだ先のようです。

 そんな父を想いながらも、戦争の話にいっさい耳を傾けなかった私。うしろめたさを感じながら、ここに父を書いた七編の詩と、エッセイを纏めました。

 娘がこのようなものを書いていること、父は知りません。読んでいただきたい方の宛てもなく、詩集への明確な心づもりもなく、そのすべてを、詩友の村山精二さま(オフ出版)にお願いしました。

 戦後を引きずったままの父と、それを言葉にした娘が生きた時代があったということ、平成の世の終わりに、ひと区切りつけたかっただけかもしれません。

 写真は、いよいよ覚悟を決めた父が、軍服姿で撮った最後の写真のようです。裏に「二〇・五・二六 於・佐世保」と記されていました。

 私と父の戦後に寄り添い、この詩集を手にしてお目通しくださった皆さま、ありがとうございました。



なかりしか


一、 至誠に悖る勿かりしか

一、 言行に恥づる勿かりしか

一、 氣力に缺くる勿かりしか

一、 努力に憾み勿かりしか

一、 不精に亘る勿かりしか


 黒々とした筆文字、故郷の家の表座敷、襖を開けると真っ先に眼に飛び込んできた額。父の仕業だ。初めてこの部屋に通された客は、誰もが額を見て驚き、父の思う壺に嵌まる。そして、いつものように話題は海軍から始まることになる。


 私はそんな父がずっと好きになれなかった。
 八月六日のヒロシマ、その三日後のナガサキの惨状を想像できる年頃になると、父への嫌悪感はさらに増していった。誰もが悲惨だったと口にする戦争体験を、自慢げに語る父を恥ずかしいとさえ思うようになっていた。海軍に拘り続ける父、それを聞きながし諌めない母、親に不信感を抱きながら生きていたのだ。

 岐阜から栃木に両親をよび寄せ同居する際、私たちが用意した和室に「なかりしか」の額が架けられるのではないかと気に病んでいたが、私の想いが通じたらしくそれはなかった。

 父は今年九四歳になる。戦争映画が好きで、おしゃべりがいつの間にか海軍のことになるのは相変わらずだ。
 毎日一キロの道を一時間かけて歩いてくる。艦(ふね)の周りを難なく泳ぐことができた脚が、どうしてしまったのかとしきりに嘆く。


「戦ったことはあるの?」
 実戦の話をしない父に一度だけ訊いたことがある。
「あるさ」
 と言っただけであとは黙ったまま、戦の話にも海軍の話にも発展はしなかった。

「自分は生かされとんのや。仲間はみんな海に放り込まれて、遺骨さえ在らへんのやからな。生きなあかんのや」
 毎年、敗戦の日が近づくと訛り言葉で寂しげにつぶやく。

 夏のこの時期、故郷でよく同窓会が開かれる。
 青春の思い出を語り合いたくて、必ず出かけて行く私。父にとって海軍兵としての数年間は、まさに青春、輝いていた時代だったのかもしれない。
 戦友と共に乗りきった訓練、空と海、緊張の青に包まれた艦内での日々、語り合う友のいない思い出なのである。心の奥底に、多くの話せないことを沈めたまま、今日も父は重い足どりで時速一キロの散歩に出かける。私はインターネットで「なかりしか」を検索している。


一、誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか

二、発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか

三、物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか

四、目的を達成するために、惜しみなく努力したか

五、怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか


パソコンの画面には「海軍五省(ごせい)」と記されている。


『詩人・神山暁美さんの略歴』

岐阜県・大垣生まれ

1988年 詩集『花思愁』 (私家版)

1989年 詩集『風詩集』 (私家版)

2001年 詩集『糸車』 (青肆青樹社)

2011年 詩集『ら』  (青肆青樹社)

詩誌「こだま」に寄稿

栃木県文芸家協会、日本ペンクラブ  会員

【寄稿・詩集「未完の風景」より】 天使のはしご=神山暁美 

雨雲のきれ間から

天と地をむすんで光がおりてきている

そこだけ ひときわ鮮やかな彼岸花が

あぜ道を滴ってこぼれていく

フロントガラスの隅に

貼りついたままのぬれ落ち葉 ひとつ

カーラジオから流れる

昭和の歌を聴いていた助手席の父が

とつぜん思い出したように口をひらく

「五島・福江島沖を航行中

東方の上空に

妖しい火柱がたつのを見たんだ」 と

ヒロシマの朝が裂けた日から三日後

船渠(ドック)入りしていた駆逐艦が

ナガサキの港を離れて間もない頃という


父の記憶のおわりを占めている

あの年の夏の風景が

ワイパーの残した

扇形にひろがるこの視界と

どのように重なったのか


天使のはしご かわいい名をもつ光線は

さらに幾すじもおりてきて

つぎつぎと棚田を照らしだしている

稔りの波を黄金色に輝かせながら


『未完の風景』より「天使のはしご」  PDF 縦書き


『詩人・神山暁美さんの略歴』

岐阜県・大垣生まれ

1988年 詩集『花思愁』 (私家版)

1989年 詩集『風詩集』 (私家版)

2001年 詩集『糸車』 (青肆青樹社)

2011年 詩集『ら』  (青肆青樹社)

詩誌「こだま」に寄稿

栃木県文芸家協会、日本ペンクラブ  会員

【寄稿・詩集「未完の風景」より】 天上の青=神山暁美 

きりりとねじった蕾を

いつのまにかほどいて

青をひろげる朝顔

心のかたちした葉先が

おとこの眸にゆれる

「しずかな夏だ」

つぶやきながらおとこは

記憶の襞をたたむように

まぶたをとじた



空と海

わずかな色の差で

水平線をたしかめる

ただひとつの敵影も

見逃すわけにはいかない


双眼鏡を手に

おとこは艦橋に起(た)っていた

視界を満たすのは

緊張の青 蒼(あお) 藍(あお)

明日はない

今だけを生きて

空に海に

散っていった者たち


ヘブンリィー・ブルー

『天上の青』と和名をもつ花は

咲ききった昨日いちにちを

しっかりと握りしめたまま

今日の庭を紅に彩っている

『未完の風景』より「天上の青 」PDF・縦書き

【寄稿・詩集「未完の風景」より】 時 代 =神山暁美 

昭和という時代があった 

戦争をして   負けた


敗戦を知らず戦い続けた兵士がいた 

元上官による任務解除 帰国命令

それに応える乱れのない挙手の礼

報道の画面に迷わず動いた父の右手



昭和を生きぬいて黙する男たちと 

まやかしの危うい美しさに気づかぬ

生きぬいた時代をもたない者たち


海は横に巻き込みながら

空は縦にうず巻きながら

人びとに不意打ちをかける


南の島で生き残った兵士を見つけた

戦争を知らない若者は

雪男を探しに出かけたまま帰らない


父もかつての兵士も 
 
平成の世を見据え生きている

命あるもの

いつかは迎えるその時までを


昭和という時代があった

戦争をして 負けたのだ


『未完の風景』より 「時代」 PDF・縦書き

【寄稿・詩集「未完の風景」より】 送り火=神山暁美 

六日 九日 十五日 と

忘れてはいけない日が三日もある八月

なのに 海も 山も 町も 

昼も夜も 遺された者たちの泰平のざわめき


風化させてはならない…と

語り継がねばならない…と

生きぬいた老体にその時の声を強いる人びと

戦争を知らない耳にどれほどがつたわるのか



戦場にいてすべてをその眼に映した父が

戦闘の記憶を自らの口から語ることはない

戦友との想い出話には笑みさえうかべて

戦地で食した南洋の高価な果物を恋しがる


私はそんな父を好きにはなれなかった

夜空に咲き乱れる火の花 ひびきわたる歓声

川面に裾を曳き逝く 流し灯籠のあかり

にぎわう月おくれの盂蘭盆会


人間魚雷「回天」を搭載したまま

日本海で敗戦の報を受けた父の駆逐艦は

いまも 福島県小名浜の港の先で

防波堤となって国を護っている


過去を洩らす戦傷の痕をこらえながら

しずかに送り火を見据えるうしろ姿

昭和二十年のこの日も

山は文字を描いて燃えていたのだろうか


『未完の風景』より 「送り火」 PDF・縦書き

【孔雀船 95号 詩】  源氏車  紫 圭子

黒い地あきの大島紬

白い糸が黒地とかさなって

かすかに銀ねずみの光沢を浮き上がらせる

柄のぼかし模様 日輪のような

牛車の輪を三つ置いた柄が飛び石みたいに浮かんで

その濃淡の距離がこころをひろげにくる


(源氏車の芯から八本骨の輻が放射状に円をささえているかたちです

でも八本骨の一つがぼかして消えているのでそこに接する円もみんな

欠けています


そのひとの眼の奥には夕陽が映っていた

糸を織りながら

夕陽に車をかさねていたのだろう


この世の車争い

諸々の六条御息所と葵の上の車たちを

欠けた模様の入り口から夕陽に吸いこませて

そのひととわたくしは

遥かな

轍の

水脈を手繰りよせては

眺めている


黒い地あきの大島の

裏地は赤

袖を通すと

島唄がひびいてくる


源氏車 PDF


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船 95号 詩】  魔物のノート 冨上芳秀

兄さん

写真を撮らせてくださいな

この子の七つのお祝いに

人を呪わば穴二つ

あなたの二つ穴をふさぎたい



少女にふさわしくない

塞ぎの虫を呪って

ウサギは駆けていった

生活に疲れた老女は

穴に入ったウサギの後を追って

ウナギのように

ぬめりとすり抜けて行った


穴の向うは別世界の月世界

齧歯類が可愛い前歯を見せて

人参を齧っています

虹を渡ってわななく思いを


渡月橋

トゲトゲしく

棘の増したサボテン女の

ラテンのサルサ


さる差しさわりの

あるいは何を

さらしの猿股事件

真相をさぐると

恥晒しの笹の葉

サラサラと

桜咲くササラ踊り


サザエのつぼ焼き

焼きシイタケ

虐げられたメシアのメシヤ


おい、そこの飯屋で

一杯やろうかと

兄さんはやけに気安く

私を誘ってくれましたが

これも気休め

骨休めと

酒を飲みながら

私を慰めてくれたのも

魔物の女の兄さんの

深い企みが

あったからですね


魔物のノート  PDF


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【孔雀船 95号 詩】  続・夕霧の墓 望月苑巳

夕霧のまぼろしふりしきって

擬宝珠がてらり

橋は渡す

息は渡す


お兄さまはいつ帰られましたの?

ほれ

朝もすっかり暮れて

手向けの花

すでに萎れましたわ

それだけではるは

つめたくあさい

目覚めを

求めていましたのよ


手水はぬらし

墓にぬらし

愛でて

さくら散らす


兄さまは涙に枯らすのですか

六条の辻から

読経が跳ねて

かりがねのつばさに雪の名残が

ほれ

兄さまこの道は

戻れない


夕霧の怨み

二度とできない影踏み

愛し

源氏物語のページ

夕霧をまたかすみ

つつみ隠すのですね

続・夕霧の墓  PDF


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

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【孔雀船 95号 詩】  続々・夕霧の墓 望月苑巳

つつみ隠すのですね

それから

滅びの音色へ

肩は寄せて

いみじくもあわれ

寄せては返すあわれ


兄さま、新しい館は慣れましたの?

庭の梅を春が匂うまで

月の光へ誘うとは

いけません。

だれが問いましたの?

はだれ雪も消えて

墓まわりには淋しく輝いています

兄さま、ここから

足音を枯らして祈りましたの?


それから

滅びの音色へ

梅の香は添えて

帰りましたの?

誰もがうるおう

春へなだれこんで

ぽつんと

叫びながらぽつんと

泣きながらぽつんと

沈まねば

梅の庭へ

兄さま、さびしゅうございます


夕霧さまの館が燃えています。

続々・夕霧の墓  PDF


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