母の米寿の記念に、二人の展示会を思いついたのは、一年も前のことだった。展示会の会場に決めた熊本伝統工芸館は、翌年一年分の施設利用の申し込みを4月に行う。
開催日は母と相談し、季節のいい5月に決めた。
これが、後になってとても大事な決断になるとは、その時は夢にも思わなかった。
母は、65歳で水墨画を始めた。昔から絵が好きだったわけではない。私は幼い頃から、母が絵を描いたり、美術館に行ったりする姿など見たことがない。
子育てが一段落し、親の介護もなくなり、時間に余裕が出てきたので、母は気まぐれにカルチャーセンターに習いに行ったそうだ。
始めてみると楽しくなり、どんどん大きい作品を描くようになった。
母は自由な性格で、決まり事に縛られるのは好きではない。そんな母をカルチャーの先生は優しく大らかに指導してくれたらしく、のびのびとした絵を描くようになった。そして、10年もすると、地元のアマチュア展で入選する力量にまで達した。
20年以上も描き続けた作品はずいぶんたまったし、米寿の記念に個展をしようと持ち掛けた。
しかし、一人ではとても無理だと母は腰を上げなかった。そこで、私と一緒の二人展ならどうかと提案したら、「それならいいよ」と承知してくれた。
私も長年パッチワークをやっているので、たくさんの作品がある。
水墨画とパッチワークという異色の組み合わせだが、母と娘で開催することに意義があると思った。
会場(熊本伝統工芸館・写真:右)を下見して、広さを確認し、母のどの絵を出品するかを決めていった。額がない物は額装を依頼しなくてはいけない。
私はふだん千葉に住んでいるので、たまに帰省した時に打合せするしかなく、一年の準備期間があるといっても、展示会の日はあっと言う間に近づいてきた。
展示会を半年後に控えた昨年12月、母が転んで右肩を骨折した。高齢で骨がもろくなっているので、完治には3か月ほどかかると言われた。
それでも、「5月の展示会には間に合うから」と母はリハビリに励み、3月初めには退院した。まだ右手は完全に治ってはいないが、以前のような生活ができる。展示会の時は、母は何もしなくても、ただ会場にいてくれればいい。
ところが、3月末に母が脳梗塞を起こし、再び入院したのだ。幸い、意識ははっきりしているし、特に後遺症もない。順調に回復すれば、車椅子でも会場に来られると、私はまだ望みを捨ててはいなかった。
そんな4月14日、あの熊本地震が起こった。入院中の母は、医者や看護師さんたちがそばにいてくれたので、さして恐怖は感じなかったようだ。
しかし、4月末に、母は二度目の脳梗塞を起こした。兄から連絡を受けて、私はあわてて熊本に帰った。
母は今回、右目があまり見えなくなり、右手も少し不自由になった。私のかすかな望みを打ち砕くかのように、最近の記憶がなくなり、入院した頃のことをすっかり忘れてしまっていた。
朝食を食べたかどうかも思い出せない。時々つじつまの合わない、おかしな事まで言い出した。
このまま何もわからなくなってしまうのでは、と不安になった。片や、以前の記憶はしっかりしていて、展示会のこともちゃんと覚えていた。
ただ、もう一人で起き上がることはできず、長く座っているのも苦痛な様子だった。
熊本では、まだ余震も続いていて危険な状態だ。母も会場に来ることは出来ない。こんな状態で展示会をしてもいいものかと迷った。
会場の伝統工芸館はあまり被害を受けなかったが、他の催し物はほとんどキャンセルされていた。
母との展示会は、今やらなければあと1年後にできる見通しなどない。母が展示会のことを理解できるうちにやった方がいいと思った。
最終的にやろうと決めたのは、展示会開催予定日の2週間程前だった。
それから、母の知り合いや私の友人たちにも連絡した。皆、地震や母の入院で、展示会は中止だと思い込んでいたようだ。
母の水墨画の教室の人からは「今回の展示会は、開催できずに残念でした。どうかお体お大事にしてください」という葉書きまで届き、あわてて電話番号を調べて、予定通り開催しますと伝えた。
母の作品の展示は、額装を頼んだ業者に依頼してあった。電話をしてみると、幸い店の被害は少なかったので、大丈夫だった。私の作品は、搬入日に直接会場に送る予定である。しかし、いつも頼んでいる業者は、現在熊本に関しては、期日指定配達はできないと言われた。
作品を会場に前もって送り、保管してもらうのは無理だ。別の業者に問い合わせたら、幸いにも熊本でも日にち指定ができるというので、そこに依頼した。
こうして地震の影響をかなり受けたが、何とか予定通り5月17日に無事に展示会を始めることができた。熊本地震の発生から約一か月後のことである。
展示会には、思いがけずたくさんの人たちが来てくれた。連絡をした知り合いだけでなく、新聞広告を見てとか、伝統工芸館に来て、ポスターを見て立ち寄ってくれた人もいた。
会場の人たちは、高齢の母が描いた力強い作品に、驚いていた。
「かに」(130㎝×110㎝)
「地震で気が沈んでいたけれど、元気をもらいました」
「年をとってからでも、何かをはじめることができるんですね。私もこれからでも何かやってみようかしら・・・」
そんな声をたくさん聞くことができた。多くが地震で被害を受け、生活が変わってしまった人たちだ。こんな大変な時に展示会に足を運んでくれたことが、実に嬉しかった。被災者の気持ちが少しでも明るくなれば、と願うばかりだった。
私の学生時代の同級生もたくさん駆けつけてくれた。さながら小さな同窓会のように、近況を語り合った。
毎日、展示会を終えると、夕方には母の病院へ行き、今日は誰が見に来てくれて、こんなことがあったと報告した。母は、「それはよかった」と微笑んでいた。
少しずつ母の記憶が薄くなる中で、この展示会だけはしっかり覚えていてほしいと思った。
友人宅のリビングに飾られた母の絵「明けゆく我が街」
5日間の展示会が無事終了し、母の絵は従姉や知人の元へ何枚か引き取られた。今入院している病院にも一枚飾ってもらえた。
母の病状はなかなか回復しないが、母の絵が、こうして皆の心に残っていくことが何よりの喜びである。
「了」
【関連情報】
作者の黒木成子さんは、朝日カルチャー・千葉の『写真エッセイ教室』の受講生です。