歴史の旅・真実とロマンをもとめて

飛騨林業の実態は学者もつかめず=徳川幕府の機密主義(上)

 徳川幕府直轄の飛騨は神秘的だ。文献を調べても、徳川家がいかに飛騨国を支配していたのか、具体的なものが見えてこない。
 飛騨の産業は林業(木曽ヒノキ)、鉱山(神岡鉱山)、農業だ。18世紀に、主力産業の林業のもめ事から、日本最大級の大原騒動(農民一揆)が起こり、悲惨な状況が18年間も続いた。この実態も、あまり知られていない。

 杣(そま)たちが、「元切休山」に反対して、そこから飛騨高山陣屋のトップ大原郡代の圧政がからんだことが原因だという。用語一つひとつが解らない。
 杣とはきこりか。「元切?」「休山?」とはなにか。

 飛騨林業に取り組んでいる私が苦労している。それをこのHPで知った大和田幸男さん(岩手・陸前高田)から、学生時代の林業学の恩師が紹介された。
 大和田さんは3.11東日本大震災で、陸前高田の海辺の製材所が流された被災者だ。「鉛筆一本持ちだせなかった」という。小説「海は憎まず」に取材協力してくださった。現在は知識を生かして材木販売業を営まれている。林業・製材・建築材などプロであり、木曽ヒノキなどは詳しい。

 大和田さんが紹介してくれた恩師は、東京都内の大学で林業学を教えていた塩澤南海治・元教授だ。リタイアした後、故郷の長野県・伊那に帰られている。塩澤さんと連絡を取り、4月17日に訪ねることが決まった。

 前泊なら、伊那の望岳荘(ぼうがくそう)が良いですよ、と勧められた。同宿泊所は天竜川の河岸段丘の上部にあった。
 小学校が廃校になり、モダンな民宿に生まれ変わっていた。校庭の桜は、児童たちが見ただろう、ソメイヨシノの花弁の大半が散る。そして、濃い紅色の八重桜に代わっていた。

 同宿には、『ハチ博物館』があった。世界一の「ハチの巣」が展示されている、と聞いていた。さして期待していなかったが、いつもの好奇心で、「とりあえず見学しておくか」と軽い気持ちで覗いてみた。

 
 世界最巨のハチの巣にはおどろかされた。同館の資料によると、直径2m25㎝、高さ2m70cm、胴回り6m60cmだった。
「 自然界では、女王蜂同士がいっしょに一つの巣を作らない。ハチ研究家・富永朝和さんの長年の研究成果から、2年間で女王蜂114匹と50万匹の通い蜂による、共同作業で完成したもの」
 と明記されていた。

 ハチをつかった芸術品が数々ある。ハチの巣で長野冬季オリンピック「聖火ランナー」を等身大で作らせている。人間の英知がここまで及ぶか、と見あきなかった。


 塩澤さんが伊那の望岳荘まで迎えに来てくれた。「実は、飛騨の林業はよく解らないですよ。いらっしゃる前に、信州大学の林業学の元教授にも訊いてみました。かれも江戸時代の飛騨林業はまったく解らない、というんです」
 林業学者が解らない。徳川幕府の施策はシークレット(機密主義)で、現代でも解明できないのか。

 前16日、愛知県・愛西市の近代史の石田学芸員さんを訪ねた折り、
「岐阜県史の編纂を手伝ったことがあるんですが、幕府領になってからの飛騨は資料がないですね。高山陣屋関係の古文書が出れば、文化財ものだと言われています」
 と難しい取材だと教えてくれた。

 塩澤さんの話とからめて、天竜川の向こうは飛騨国なのに、現代でも徳川支配が解明できないのか、途轍(とてつ)もないところに首を突っ込んでいるな、と思った。
                             【つづく】      

阿部正弘が飢餓列島を救った。孝明天皇は日米和親条約を勅許(下)

 天明・天保~幕末史を語らないと、日本の正しい歴史は解かりません。3月22日、広島県・府中市立図書館で、「第3回歴史講座・郷土の歴史をさぐる」で、講師の私はそれを強調した。

 天明・天保は大飢饉の連続で、東北など数十万人が餓死していました。大坂のど真ん中では毎日、140-200人が路上で死んでいます。これは記録された歴史的事実です。だから、大塩平八郎の乱まで起きたのです。

 日本は過剰人口だった。一方で、金銀の算出は世界でも有数でした。つまり、外貨準備高は抜群だった。
「阿部は開国して、食料確保の道を計った。つまり飢餓列島の日本人の生命を救うためにとった処置だったのです」
 阿部の開国への英断は、日本史最大の決断の一つでした。阿部は尊王開国派だったから、天皇に条約書を叡覧に供したのです。

 それを受けて孝明天皇は『露西亜、英吉利、亜米利加の条約書を叡覧に供したるに、(中略)、老中の苦心、主職の尽力、深く宸察あらせらる』と勅旨を正式に幕府に出したのです。

  孝明天皇は開国に満足しているのです。ひどい外国嫌いだったと、なぜ嘘を教えるのでしょうか。


 阿部の開国がどんなに日本を救けたことか。
 その実例があります。たとえば、幕府直轄領の飛騨国(約10万石支配)に例をとれば、天保7年、いまは有名な白川郷・小白川村で村民120人中、飢え死は104人、生存者16人というとてつもない飢饉が生じました。

 水野忠邦の天保改革の失敗で、日本列島の窮民は増大し、さらに悪化していく。27歳のエリート・阿部正弘にバトンタッチされたのです。

 世界的な視野を持った阿部によって、やがて鎖国から開国への道が開けた。この前後に、水戸斉昭は攘夷論(外国を武力排除する思想)で、御三家を盾にして、なんども妨害工作を計りました。これは国民の生命の軽視ともいえるものでした。

 各国との通商条約後、飛騨国は養蚕業の振興で生糸の輸出が急伸し、約10年後(慶応)には、25万両の貿易額に達し、米(こめ)に換算すれば20万石に値するものです。
 欧米各国と結んだ通商条約が、飢餓列島に陥った日本を救ったのです。これをもってどれだけ多くの人の命が救われたことでしょう。


  攘夷派の言うとおり、鎖国のままだと、日本列島は死臭の山だったでしょう。決して日本の幸せだといえません。

 阿部正弘は人材登用の達人でした。勝海舟、川路聖謨、ジョン万次郎、岩瀬忠震、井上清直など、日本の開国を実務で推し進めた人物たちです。

 ハリスが、日露修好通商条約の15回に及ぶ交渉を通して、『日本側には岩瀬と井上という優れた人物がいた。私はたびたび閉口させられたり、常に妥協させられたりした。全権のふたりがいて、日本は幸せだった』と言わさしめたのです。
 関税比率にしても日本が有利であり、明治政府がいう「不平等条約」ではありません。


 第13条で、1872年(明治5年)には同条約が改正できる条項が設けられていた。しかし、薩長土肥の下級藩士がつくった明治政府には、それを外交処理できる有能な人材がおらず、27年間も棚上げで、ひたすら不平等な条約だ、と教科書で教えるだけだったのです。

 明治政府は各藩の下級藩士(現在・市役所の主任、係長クラス)だったことから、国政の視野で財政・金融・外交を判断できる優れた人材(現・高級官僚)がおらず、そこは後回しにし、警察権・軍事力の強化を計ったのです。
 そして、西南戦争以降、10年に一度は海外で戦争し、「日本には神風が吹くのだ」と言い、国民に対する政府への求心力を強めていったのです。戦争するほどに、海外領地は増えても、とてつもない軍事費の膨張から、軍事財閥は儲かるが、一般国民がふたたび疲弊する道となったのです。


 講演後のアンケートを見させていただくと、
「歴史の見方が変ったようだ、真実は何か? とてもおもしろかった」
「とにかくオモシロい講演で、全く予想しない目からウロコの歴史話で、日本史の見方を変える視点を得た感を持った」
「福山藩主・阿部正弘を見直した。明治政府の歴史教育の教えは間違っていると思う」
 こうした穂高健一史観への評価も多かった。
 
                                   【了】

阿部正弘が飢餓列島を救った。孝明天皇は日米和親条約を勅許(上)

 広島県・府中市は、芸州広島藩、福山藩、そして幕府領・上下代官所の3つが重なった、全国でもめずらしい立地である。
 3月22日、広島県・府中市立図書館で、「第3回歴史講座・郷土の歴史をさぐる」の講師に招かれた。聴講者は57人で、1時間半の講演だった。

 昨年、私が執筆した中国新聞・文化面「緑地帯」のコラム『広島藩から見た幕末史』が、同館の佐竹館長が、目にとまり、講演を依頼してくれたものだ。と同時に、拙著「二十歳の炎」も読まれたうえで、御手洗(呉市)にも出むかれていた。

 講演は広島藩よりも、福山藩の安倍正弘を主に語ろう、と決めた。その話しの流れを紹介したい。


 阿部正弘は、27歳にして老中首座(現・内閣総理大臣)になって開国に導いた。かれの業績が明治政府によって故意に歪められている。
 幕末史はペリー来航からスタートすると矛盾だらけだ。明治政府が作った教科書は嘘が多い。それを現在も引きずっている。

 
「ペリー提督が初来航(1853年)した翌年3月には、日米和親条約が結ばれました。日本語、オランダ、英語です。だれが難しい英文の外交文書を理解して、条約締結したと思いますか?」
 この単純な質問すら、日本史の教師は答えられない。だから、高校で日本史は選択科目であり、必修にはならないのです。

「ジョン万次郎は漁師で身分が低いから、同席させていません。となると、誰ですか」

 ペリー提督が来航する、7年前には、米国・東インド艦隊の司令官のジェームズ・ビッドル提督が、浦賀にアメリカ大統領の国書をもって来航した。ペリー提督の船団とほぼ同規模。老中首座・阿部正弘は、国書は受け取らなかった。
 しかし、薪や、水、生鮮食品を目いっぱい与えて引き取ってもらった。
「これも教科書で教えてくれていませんよね」
 大半の人は、初めて聞く顔だった。


「阿部正弘は老中首座になった年から、長崎に入るオランダ商船には、上海・香港で発行される英字新聞を日本語に翻訳させて持参することを義務付けました。だから、阿部は産業革命も、クリミア戦争も、知っていました。そして、阿部は長崎の数多くの通詞に英語を学ばせたのです」

 鎖国とはなにか。海外情報にブラインドする(盲目)ことではなく、敏感になることです。それが国を守ることです。北朝鮮を見れば、アメリカの動きに敏感です。これとまったく同じです。


「ビットル提督も、ペリー提督も、ともに1年前にオランダ経由で日本に、提督名、入港する船名、予定する時期などを知らせてきました。アメリカ大統領とすれば、国書を持参させる礼節だったのです。それ故に、日本の最高責任者の阿部正弘は、長崎から浦賀に英語のできる通訳を呼び寄せて待機させていました。ペリー提督は通達予定よりも、2か月遅れでやってきました」

 なぜ、日本の教科書は唐突にペリー提督が来航したように教えるのでしょうか。アメリカ大統領を侮辱しているし、失礼だと思わないのでしょうか。

「ペリー提督が来た1853年には、将軍が亡くなった年ですから、開国の条約については1年後に来てほしいと引き取ってもらいました。その任を受けて浦賀に出むいたのが、関籐藤蔭など福山藩士2名です。国書を受け取らせると、ペリー提督はすぐに出航しました」
 

 この時、阿部は2週間後、長崎奉行に軍艦4隻をオランダに発注させたのです。その一隻が咸臨丸でする。阿部が欧米の産業革命とか、黒船の性能とか、それら海外情報に精通していないと、高価な蒸気軍艦をわずか2週間後に発注などできません。

『泰平の眠りをさます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず - 狂歌.』を教科書に載せて、日本史を教えた明治政府の意図はなんだろう。むろん、国民の眼を欺くためのものだった。

 黒船を発注した数日後、阿部はおもむろにアメリカ大統領の国書を諸大名に公表したのです。それは開国へのコンセンサスづくりだったのです。
 5か月後にまとめた阿部は、賛否の意見を玉虫色で曖昧にさせています。それはペリー提督が半年後にやってきた時に、老中首座に全権を委任する内容だったのです。

                               【つづく】

97歳の記憶は健全=元・庄屋宅でおどろきばかり。長刀で蓮華草刈り

 山岳歴史小説として、天保・天明の時代を背景に執筆している。取材と並行だ。単なる登山小説でなく、山と人間生活とのかかわりである。毎月1-2回は信州か、飛騨に出むいている。

 3月16日~17日はたっぷり雪が残っているかな、と思ってブーツを履いていくと、信州にはまるで積雪はゼロ。実に陽気な日和だった。青空の下で、白峰の常念岳が形のよい稜線を浮かべていた。
 田圃(たんぼ)はまだ枯れた状態だった。
 小説の1シーンで、旧暦3月29日から4月10日までの展開がある。春の花がなにかしら咲いていないか、と見渡すが、梅はまだだった。華やかな色はなかった。

 現代の農家は機械化されている。200年前だから、機械化以前の、戦前の農業を知る必要がある。そうでないと、リアルな小説は書けない。


 村の長老に聞くのが一番だ。長野県・安曇野市の元庄屋宅に訪ねた。高年齢者「おじいちゃん」から取材させてもらった。97歳。耳が遠いだけで、頭脳は明晰だ。こまかく教えていただいた。親せき筋の亥さんも加わってくれた。

 
 私は、広島県の島・造船の町に生まれ育った。高校1年で初めて田植えをみた。その程度だから、長野の農業、岐阜の林業は取材を積み重ねるほどに、奥行きの深さを感じてしまう。つまり、解らないことだらけだ。むしろ、知るほどに、おどろきの連続でもある。
 農業を知り尽くしている人から見れば、陳腐な驚きだろうな、と思う。

 玄関内に馬小屋があるのには驚いた。人馬という言葉があるが、まさに家族の一員なんだ。

「馬小屋の土間(床)は掘られて一段低く、柵があって、馬の顔と人間の顔の高さが同じくらいです」
 低いところに堆肥がたまって、それをかき出し、田畑の肥料にしてきたという。まずはメモをとる。
「馬小屋の二階では、作男2-3人が寝泊りしていた」
「作男って、なんですか」
 住み込みの働き手で、将来は土地を分けてもらい独立する。むかしの小作人の多くは貧しいから、長男以外、次男、三男などは豪農の家に働きにでていたらしい。

 一つひとつが解ってない。
 
 家屋の構造も興味深いものがあった。玄関には大戸があって、普段は締まっており、そのなかには潜り戸がある。それが通用口になる。
 真横には格子戸があり、誰がきたのか、そこからのぞき見て確かめる。合理的だ。

 庄屋だから帳場があった。金銭の出納とか、農作物の出来高など、こまかく計算していたのだろう。名字帯刀がある家だから、刀、槍、長刀があったという。
「刀をふだんからピカピカに磨いておいたら、泥棒が入って盗まれた。錆びたままにしておけばよかった」
 とじいちゃんは苦笑する。

 盗まれる前、日本刀で、稲刈りしたと話す。長刀ではレンゲ草を刈った。これには驚かされた。小説で組み込んだら、ひんしゅくものかな。
 ドサ回りの芝居役者が、村に巡業してくると、長刀を借りにきた。現地取材しないと、こんなことは解らない。それにしても、役者は本ものを使って怪我しないのだろうか。

 中庭には巨大な鉄鍋に窯(かま)があった。
「味噌を作る。近所の人が寄りあつまって」
 私にはみそづくりの工程は解らないが、土蔵のみそ部屋で、大きな木樽に詰め、熟成させていたようだ。
「信州みそって、有名だったな」
 
 建物の屋根は檜(ひのき)か「さわら」を細長く切って葺いたという。板造りは冬場の仕事だった。檜の屋根などぜいたくだな。
 庭の一角には水場が引き込まれて、水車小屋があった。
「米を搗(つ)いて、玄米とか、白米を作っていた」
 子供のころ社会科で習ったかな、と思い浮かべる。

「イロリバイ、はここに保管していた。火事にならないように」
 なんだろうな、と聞き返す。囲炉裏から出た灰は、まだ火の気があるから、外の小屋一か所に集めて、そばにはつねに水桶を置いていたと教えてくれた。
 天保・天明のころは火事が多かった。火の用心はこんな風にしてやるのか、とわかった。


 藁(わら)で縄をなう。木槌で打ちながら柔らかくしていく。口に水を含んで、ぷーと吹きかける。この加減がむずかしいらしい。いちど見てみたいが、おじいちゃんには頼めない。

 藁を2-3センチに切って、馬に餌として与える。これは知らなかったな。大根、ニンジン、菜っ葉、なんでも、馬の飼葉になったらしい。
 

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日米通商条約は不平等条約に非ず(下)=明治政府の歴史ねつ造

 日米修好通商条約の正しい歴史認識とは何か。

「この条約で、幕末からの日本はアメリカに守られ、列強の植民地支配に陥る危険性はなくなった』
 日中戦争(昭和)で、アメリカ側から一方的に破棄されるまで、この条約の精神は生きていた。

『人口過剰の日本が飢餓から救われた、重要な条約だった』


 明治政府は、日米修好通商条約は「不平等条約」だ、「関税自主権がないのは不平等だ」と一辺倒である。それはちがっている。当時の日本は、人口が極度に過剰で、食料危機の連続であった。それの解決に結びついていった。

 天明から天保へと浅間山の大爆発に始まり、大凶作、地震、雪害、害虫被害など、災害が庶民を叩きのめしてきた。鎖国で輸入品すらなく、改善する手立てはなかった。途轍もない大凶作に襲われると、餓死者が多く、農民一揆、逃散、自殺、打ち壊しなどが起こっている。民はつねに飢餓の線上にあった。


 井伊直弼の英断で、同条約が結ばれた。貿易が一気に拡大し、悲惨つづきの食糧不足に対して、輸入という、解決の途が導かれた。

 日本は金銀は産出できる国だ。養蚕業の拡大による絹製品の輸出ができる。輸出貿易から外貨が増える。
 それを背景に、食料品や生活物資が飛躍的に輸入品が入ってきた。大多数の国民を飢餓から救うことができたのだ。

 開国と貿易がもっと早くに行われていたならば、天明・天保の大飢饉で、途轍もない餓死者を出さずにすんだはずだ。

 日米修好通商条約の定められた輸入品の関税率は、漁具、建材、食料などは5%の低率関税であった。それ以外は20%であり、酒類は35%の高関税であった。

 関税は自由に変えられず固定していたが、これは決して不平等な貿易ではない。現代のTPPに比べたら雲泥の差だ。
 德川幕府は要人の叡智をもって、むしろスタート時には日本に有利な関税による貿易を開始したのだ。

 天皇の勅許を取らずして、日米修好通商条約が結ばれたといい、水戸藩士らの手で、井伊直弼の桜田門外の暗殺が起きた。
 明治に入ると、そのテロを正当化し、国民を飢餓から救った同条約を悪者にしたのだ。

 一般に『安政の大獄』というが、思想犯の死刑は8人だった。
 ところが明治時代に起きた、幸徳秋水らの大逆事件では、無実の者が11人も処刑されているのだ。
 明治政府の思想弾圧、昭和時代の治安維持法が暗黒国家をつくった。処刑は『安政の大獄』の比ではない。近代史、現代史では、そうした歴史的な事実はしっかり教科書に折り込むべきだ。

 皮肉なことに、自国の歴史を学ぶべき高校の日本史は選択科目だ。どうして選択なのか。その根拠は何か。日本の歴史教科書には虚実が多い。だから教えたくないのだろうか。せめて自国の歴史くらいは必修にしてほしい。

                                     【了】

日米通商条約は不平等条約に非ず(上)=明治政府の歴史ねつ造

 海軍大臣・元首相の子孫(男性)と、私の地元・立石で長時間にわたり飲んで語った。かれは40歳前後で、大手商社マンの課長だった。
(目線が高いな、上級軍人の立場で語っている)
 それがかれに対する印象だった。
 私は庶民の立場、二等兵、上等兵の立場だった。
 当然ながら、ふたりの意見は食い違ってくる。

「明治軍事政府は侵略思想の、とんでもない政権だった。それが第二次世界大戦まで悲惨な戦争につながった」
 私は従来の考え方を示した。
「認識が違います。明治時代は富国強兵で、帝国主義を取らなければ、日本は生き残れなかった。そうでなければ、日本は植民地になっていたんです。その証拠に、アジア諸国はみな植民地になったのだから」
 かれの主張は、ある意味で多くの日本人の共通認識だろう。
 
「アジアのど真ん中のタイは植民地にならなかった。それに、日本が開国した19世紀後半から20世紀は、ヨーロッパ各国はもう植民地政策の反省期に入っていた。日本だけが大陸への侵略国家になった。それに、中国や韓国が日本に対して、なんの悪いことをしたの?」
 かれの言葉は詰まっていた。

(明治政府がねつ造した歴史に毒されているな)
 その想いは私の脳裡からは消えない。


 私たちは学校で、安政5(1858)年の『日米修好通商条約』が不平等条約の代名詞のように教わってきた。しかし、実際にそうだろうか。日本人にメリットがなかったのか。否、実に大きな寄与があったのだ。

 学校教育では、同条約の最も重要な第2条はまず教えていない。多くの人は知らないだろう。

『日本国と欧羅巴中のある国との間にもし障り起る時は、日本政府の囑に応し、合衆國の大統領和親の媒となりて扱ふへし』
 日本が欧州から植民地的な圧力やもめ事を受けたならば、アメリカは抑止力になる、と明瞭に宣言しているのだ。
 この条文をもってして、日本はアメリカ軍事力の傘の下に入り、イギリス・フランス・オランダ・ロシアの植民地になる要素はなくなったのだ。


 富国強兵を取った明治政府は、『日本が大陸に侵略しなければ、逆に日本が植民地になる』と侵略戦争を正当化してきた。
 そのためには、日米修好通商条約第2条が目障りなのだ。

                        【つづく】

正しい歴史認識は『安政維新』なり(2)=偽りの歴史を正す

「明治維新」は本当だろうか。その疑問から、明治政府の樹立まで考える。

 安政の大獄で、さらに桜田門外の変が起きた。開国主義の井伊直弼が暗殺された。しかし、世情が不安定になっても、西洋文明を取り入れる「安政維新」はとどめもなく拡大していた。

「攘夷」という劣悪な外国との戦争論の思想に染まったテロリストたちは、白い肌が嫌いだった。無差別で殺す。治安を悪化させる。武器を持っていない民間の商船に対しても、下関海峡を航行すると、無差別で砲撃する。まさに、狂気の行動だ。


 現代でいえば、ペルシャ湾を航行する日本のタンカーが突如として砲撃にさらされる、それと同じだ。日本が何を悪いことをしたのか。下関を航行する米英オランダの船員は、われわれが何を悪いことしたのだ、と口惜しかっただろう。

 かれらテロリストは朝廷の勢力を取り戻したい「我欲」のために、京都の町を放火して3分の1を焼き払った。家屋を焼失した民衆の哀しみと心の痛みなど考えていない。歴史的に大切な神社仏閣の文化財も数多く失った、(禁門の変)。

 こうした1000年来の文化財を焼いた、かれらテロリストたちの行動は、当時の庶民、幕府、天皇の怒りを買った。
「あなたが今わが家を焼かれたとき、尊皇攘夷の思想犯ために、許してあげますよ」
 そう言えるだろうか。庶民の眼で、歴史を見るとはそういうことだ。天皇を敬う尊皇と、外国を攻撃する攘夷とはまったく別ものだ。

 薩摩藩も赤報隊を使って江戸の町、江戸城の一角にも火を放った。この騒擾(テロ活動)が鳥羽伏見のきっかけになった。


 テロリストは主義主張のためならば、民間人の資産や命までも奪ってしまう。
 現代感覚に戻れば、私たち3ー4代前の先祖は、このテロリストに支配されてしまった。京都市民は家を焼かれ、逃げ遅れた子供は死ぬ。神社仏閣は千年来の文化を失っていく。そこには道義がない。
 私たちが歴史を学ぶときには、「尊王攘夷」のテロリスト思想を正当化させてはいけない。尊皇で留めるべきなのだ。

 テロリスト集団が明治新政府を樹立し、かれらが新たにやった施策はなにか。

 文明開化とは後づけである。産業の近代化は、德川時代の『安政維新』の引き続きにしかない。テロリストが政権を取ったあとの、主だった施策は廃仏棄釈と徴兵制だった。10年に一度戦争を行う軍国主義の恐怖政治の土台作りだった。


 日本は古来、武士が戦場で戦うものだ。農商の庶民は助郷で荷役させられても、武器は持たなかった。
 ところが、明治の徴兵制で、床屋の親父も、教員も、蕎麦屋のお兄さんも、造船所の職工も、赤紙(はがき)で、武器を持たされた。さらに外地に送られて人を殺させられた。それが有史以来の初の徴兵制度だ。
 テロリストが政治の仮面をかぶると、庶民の命が大義の下に犠牲にしてしまう。

 廃仏棄釈で何が起こったか。仏教徒の徹底した弾圧だ。『伊勢神宮=天皇=神』の構造であり、「天皇のために死す」という思想の強要の下地づくりだ。
 廃仏棄釈と徴兵制の国家は、戦争への道をまっしぐらに走った。広島・長崎の原爆投下まで77年間におよぶ。


 戦後、昭和天皇は神でないと宣言し、国民の象徴に座った。あるべき姿に戻った。天皇と軍部を結びつけた政治家たちも排除された。
 そこから現在まで、70年間は海外と一度も戦争しない国家になった。今後30年、50年、100年と延長されていけば、德川幕府が260年間戦争をしなかった歴史と肩を並べるだろう。

 約500年の歴史のなかで、77年間の軍事国家はきっと嘲笑の対象になるだろう。「維新志士」と言うまやかしのテロリストたち。「明治維新」といって、さも文明開化の象徴に見せかけたりした、薩長土肥が作った嘘の歴史は糾弾されるべきだろう。


「勝者が歴史をつくる」。テロリストが政権を取った明治時代だ。虚偽の歴史が実に多い。それらを正す時期にきた。維新志士を英雄視する。これらつられた偶像崇拝の虚像などもう棄てたい。
 
 明治政府(薩長土肥)の虚実は、江戸幕府の有能な人材すらコケにし、小中学生の歴史教科書に落とし込んだ。
 それを鵜呑みにした教師が、疑いもなく、指導していく。誤った歴史観が蔓延(まんえん)していく。それが戦争に駆り立てる「軍国少年」たちを生み出した。私たちの両親や祖父母たちの時代である。教育の怖さがある。
 

 歴史を再評価できるのは、戦後70年にわたり平和が維持されてきたからだ。軍国主義ならば、一気に抹殺されてしまうだろう。
「明治維新」でなく、ただしくは「安政維新」だと、私は世に発信していこうと考える。
 
                                           【つづく】

 

正しい歴史認識は『安政維新』なり(1)=偽りの歴史を正す

 ことし(2015年)は広島、東京、千葉で「幕末史~明治維新」関連で、6本の講演がきまっている。拙著「二十歳の炎」がしだいに広まりつつあるからだろう。「歴女」ということばが生まれるほど、隠れた歴史ブームも背景にあると思う。
 まだ年初なので、このさき12カ月を見わたせば、今後とも講演依頼が増えてくるだろう。極力応じるつもりだ。


 講演のタイトルで、「明治維新」と名づくと、私はいつも首をかしげてしまう。これは正確な表現だろうか、と。
『明治維新』は、時の為政者が作り出したまやかしの表現だと考えている。

『維新』とはなにか。世のなかが急激に大きく変わることである。この認識に立てば、阿部正弘老中首座が鎖国政策を終焉し、開国に進んだ『安政維新』である。

 安政といえば、「安政の大獄」という暗いイメージがある。しかし、幕府は開国した後、事業の近代化に大きくのりだした。国民が肌の白い人から学び、西洋文明・産業を取り入れて、新しい生活を享受できる社会になったのだ。
 まさしく世の中を大きく変える、『安政維新』である。

 江戸幕府は蒸気機関車を発注した、開通したのが明治時代にすぎない。横須賀に製鉄所、長崎には大型造船所。パリ万博で日本文化を伝える。通信も、郵便制度も手がけた。鉱山、鉄鋼、造船、繊維など、広域に及んだ。


『安政維新』からの15年間、日本は有能な人材を留学生として海外に送った。咸臨丸でアメリカなどで渡った。産業、建築、文化など多岐にわたり、海外技術者を日本国内に招いた。
 15年間は近代化路線を突っ走った。

「現代人にとって歴史とは何か」
 歴史の年代とあらすじだけではない。現代と照らし合わせて、その時代の舞台や人々の生き方や思想や行動の考査である。それには正しい歴史認識が必要である。


 勝者によってつくられた偽りのベールをはがすことでもある。


「安政維新」は、現代感覚で読みとるならば、1945年の終戦からの15年間に置き換えてみれば、わかり易い。~1960年である。

 戦前・戦中は暗黒時代である。特高警察が暗躍し、英語すら禁止だった。海外の正確な情報はほどんど判らなかった。軍人支配の暗い国家だった。
 終戦直後から、一気に西欧文化が国内に入ってきた。国民は15年間で、アメリカナイズされた。それは記憶に新しいところだ。

 1960年代からも進歩したが、激動の変化は1945年からの方がより強いものがあった。昭和維新と名づけても良いだろう。


 『安政維新』の15年間において、薩長土の下級藩士たちの無差別テロが横行した。肌が白いだけで斬り殺す。現代版の中近東の無差別テロリストと似ている。
 そんな目で、TV報道を見れば、維新志士と呼ばれる彼らの行動が、いかに暴挙だったかとわかるだろう。

わずか古文書の4行を求めて松本、安曇へ(下)=歴史小説の取材

 翌16日は、松本市安曇支所に出むく。松本電鉄で新島々駅へ、そしてタクシーで上高地方面に向かった。山々は白雪だ。雪山に登っている気持ちになった。久しく冬山は登っていないので、新鮮だった。

 同支所では、「上高地物語」を書かれた故横山篤美さんの原本があると聞いた。
 その閲覧をさせていただいた。これまた、20巻ほどある膨大な資料だが、担当の課長が絞り込んでくれていた。ありがたかった。


 井伊大老が暗殺された年に、加賀藩が島々に調査に入っている。松本藩の対応が事細かく記載されている。この中から、一つの事象を探す。
 11時前からスタートして、昼過ぎても、なかなか見つからない。

『加賀120万石と、德川幕領地の飛彈高山には隠れた火花があった』
 この仮説は、私の山岳歴史小説の結末である。こんかいはストーリーの展開には欠かせない裏づけ取材である。3時過ぎても、なおも見つからない。

「作家は自由な立場に立って、史実には拘泥せず、また動かされず、自分はこう考えるということを作品で示す」
 先輩の歴史小説作家のことばがある。

 私はあまり史実から反した、嘘の積み重ねから、ドラマチックな作品など創作したくない。極力、史実に基づく。それは私の作品ポリシーだ。可能なかぎり、時代考証を行っていく。
 通説をひっくり返すためにも、史実に乗っかりたい。それは物書きのある種の執念と執着だ。それでないと、作家の存在感が薄まってくる。


 同資料を2度、3度と読むが、仮説とは逆方向の資料ばかりだ。失望が強くなってくる。ここは役所だから、遅くなると迷惑だし、4時までにめどをつけたい。

「このままだと、ストーリーの根底が崩れるな。結末が狂うと、構成の全面組み換えだ」
 私の脳裡には、厄介な作業がちらつく。


 横山氏の資料が4度目の見直しとなると、目が慣れてくるので、不必要な項目はパスしてくる。そして、肝心なところは微細なところまでも、私の目が文字をたどっていく。
「これだ。見つけた」
 膨大な資料のなかの、わずか4行の表記だ。故横山さんが、「上市」の表記に、「上高地」と添え書きしてくれていなければ、確実に見落としただろう。
 私には、上河内、神垣内、上高地という3つの表記しか認識なかったのだから。

「運が良かったな。これで作品の結末は書ける。新しい史観が生まれる」
 自前で交通費をかけて、遠方に足を運んできた甲斐があった。


 こんかいのように目的の事象を運よく見つけ出せることは稀だ。まして、学者や郷土史家たちの定説を覆(くつがえ)すとなると、なおさらだ。
 諦めることは簡単だが、どこまでも食らいついてみる。これが足で書く歴史小説のコツだと、私ははやくも次回の取材場所を考えていた。
 一方で、同所の関係者には謝意をもった。

わずか古文書の4行を求めて松本、安曇へ(上)=歴史小説の取材

 歴史小説は可能なかぎり資料を掘り起こす。そして登場人物を鮮明に描きだす。それには古文書に出てくる人名の役職が欲しい。松本藩士が活きいきと動くためにも。

 多方面の資料から探りだす。しかし、かれらの役職が川除役とか、応接掛とか、郡奉行とか、明確に明記した資料が見つからない。まして、藩主とか、家老とか、大きな役と違い、藩史などあたっても、下級藩士になるほど役職は判らない。至難の業だ。

 ことし(2015)1月15日から2日間は、雪降る長野に取材に出向いた。松本城は雪が積もり、幻想的な風景だった。城内の学芸員から、取材させていただいた。
 人物を事前に質問形式で、ご連絡差上げていた。
 
 德川政権下で、松本藩の藩主はころころ変わっている。幕末は戸田藩主だ。この藩主も、あたらこちら渡り歩いている。
 学芸員が 「戸田家・藩士録」から、5人の該当人物の資料が探し出してくれていた。筆文字の古文書だ。禄高の列記で、かれらがなんの仕事をしていたのか。役職はまったくもって不明瞭だ。

 農村地帯の庄屋や百姓が、相手する藩士らは「お武家さま」と言っても、地役人とか、徒士とかである。5石2人扶持、10石3人扶持とか、わずかな禄高だ。

 現代でいえば、河川補修工事の検査に市役所の主任、係長がやってくる。決して市長や局長ではない。セクションも土木課、環境課、公害課の一課、2課、など各係長などで多岐にわたる。保管期間は限られているだろう。

 失望していたが、ひとり200石の人物がいた。郡奉行だと特定できた。これだけでも、収穫だと思うことにした。

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