喉元過ぎた熱さ 廣川 登志男
八ヶ岳の大石川林道から分岐し、雨池峠経由縞枯山に向かう。標高差300mほどの急登を標準時間で登り切り、標高2,403mの縞枯山山頂にたどり着いた。
それまであまり休んでいなかったし、途中で内腿に若干の違和感を覚えていたこともあって、眺めはあまりよくなかったがここでコーヒータイムをとることにした。草地は霧雨で濡れていたので、平らな石を見つけ座り込んだ。
コーヒーといっても、インスタントのカフェラテだ。疲れた身体には、この甘いラテが美味しい。カロリーも多少は補充できる。それに、この日は平日ということもあって、まったく人に会わない静かな山行で気持ちが良かった。
北八ヶ岳は、お気に入りの場所だ。入社してすぐに始めた登山は、この八ヶ岳が最初だった。何度も通い詰めたが、五十歳を過ぎた頃から、岩稜多き南八ヶ岳より、苔むす北八ヶ岳の方を好むようになった。山行形態も、当初はグループ山行だったが、自由度が高く、静かに山歩きできる単独山行に切り替えつつあった。
今回の計画も、北八ヶ岳をゆっくり楽しむ二泊三日の単独山行だった。麦草峠をベースに、初日は雨池から縞枯山を巡るルート。二日目は、県道の反対側の中山から白駒池に戻り、テント泊で星空観察。三日目は池の周りを散策して苔や森の写真を撮るなど、ゆったりと自然を味わう計画だった。
山頂で二十分ほど休んで、そろそろ次の茶臼山に目指して立ち上がろうとしたときだ。内腿の筋肉がピクピクと攣りはじめ、痛みで動けなくなってしまった。
このような事態は、四、五年前からたまにだが起きるようになっていた。今回は更に膝の後ろまで痛みと攣る状況で、とにかく足を伸ばせず中腰で前傾姿勢のままじっと我慢した。しばらくして何とか痛みが治まったので、恐る恐る歩を進めたが、十歩も行かぬ間にまた攣ってしまった。
「こりゃまずい」
その場に辛うじて座り込み、痛みを我慢して腿のストレッチやもみほぐしをやる。さらに、以前、攣ったときの経験から、用心に持参していた経皮鎮痛消炎剤なる塗り薬を擦り込みながら腿や膝裏を揉んだ。
甲斐あってスーッと痛みが消えてきた。樹林帯とはいえ、大きい岩がゴロゴロしている下山道だ。途中で攣って転倒したら大怪我になる。慎重を期すため、これも以前の経験から念のために持参していた二本のストックを取り出して使った。
それでもさらに二回攣った。その度に、先ほどと同様に鎮痛薬を擦り込んだり、もみほぐしたりして何とか下山することができホッとした。かかった時間は、標準時間の倍近くかかっていた。人に会わない山中で動けなくなったらと思うと、ぞっとしてしまった。
今回の出来事で、三千m級の高山は諦めて、ハイキング程度にしなければならないと思い、心が落ち込んでしまった。まだまだ若いと自負していたが、それは気持ちだけであって、身体の方は間違いなく老化していたようだ。
認めたくはないが認めざるを得ない。それが人間の人間たる所以なのだろう。
下山後は、少し休んでから八ヶ岳西側の茅野市方面に下り、道の駅「蔦木宿」の温泉「つたの湯」で傷んだ腿をもみほぐした。夕方、キャンピングカーもどきの「ひろかわ号」に戻り、持参してきた食材の牛肉などで一杯やりながら、明日以降の計画を、足を酷使しないヘラブナ釣りに変更して就寝した。
今回の山行で、自らの体力の限界を知ることになった。これからは、アウトドアならヘラブナ釣りやゴルフ、インドアなら剣道、エッセイや麻雀、蕎麦打ちなどに精を出そう。これらの道具はほとんど揃っているが、ゴルフはしばらくやっていなかったので、買い換える必要があった。ドライバーもアイアンも、すでに七、八年買い換えていない。一ヶ月ほど経って、近くのニキゴルフでそれらの試打をした。店員の技術主任が立ち会ってくれ、ヘッドスピードや飛距離、それに方向などを測定してくれた。
すると、「お客さん、70歳でヘッドスピード42m/秒出す人は見たことがありませんよ。これなら、ゼクシオなら少し硬めで重いクラブが合いますね」
この言葉にすっかり気をよくし、ドライバーやアイアンなどを全てゼクシオに買い換え、練習に励む毎日となった。
今では、ゴルフ練習に加え、ストレッチにスクワットなど筋肉を鍛える運動を三日おきに励んでいる。こうなると何のことはない。先日の八ヶ岳の教訓「身体は間違いなく老化している」などすっかり忘れ、そのうち3,000m級登山にも出かけようと、いつもの自信満々の自分に戻っていた。
あるとき、ふと気がついた。
人間は経験をもとに少しずつ賢くなるというが、あれほど大変な目に遭った八ヶ岳の経験をすっかり忘れて、若いときのつもりでいる。あぶない、あぶない。『喉元過ぎた熱さ』に、またなるところだった。