和服を着た西暦 = 金田 絢子
先日、『志ん生のいる風景』(文春文庫、矢野誠一著)を読んだ。
殊にメディアで、事件・事柄を示すのに、西暦を使う風潮を好まない私は、冒頭の一節に違和感を覚えた。
「古今亭志ん生が逝った一九七三年(昭和48)九月十一日、僕は、早めの昼食をとって家を出た」
“一九七三年”と漢数字で記し、括弧して“昭和48”とは何ぞや。志ん生を語るのに、なぜ西暦か。
全編を通して「西暦(年号)」の方式がとられている。苛立ちながらも、筆者が熱っぽく語るのに引き込まれて読み切った。中でも、火焔太鼓についての考察は、志ん生の語り口の見事さを伝え、繰り返し読みたくなる。
何と志ん生は、明治四十三年から昭和十四年にかけて、十六回も芸名を変えている。十六行にわたる改名年表は「一九一〇 明43」「一九二七 昭2」と、例のスタイルを簡略化したものになっている。
あの世で志ん生さん
「このごろはてえと、西洋のこよみをつかうおかた(……)が多いようでござんすなあ。あたしなんざあ、ちんぷんかんぷんで。何しろ、西も東もわからない若輩でして」
なんて、満座を沸かしていることだろう。
「志ん生」を読んだ同じころ新聞に、加地伸行氏(立命館大学フェロー)の、西暦をテーマにした文章が載った。
「世界は西暦だけで動いてはいない。キリスト教の暦は、西欧キリスト教諸国がアジアを侵略して広めて来たもの。自分はキリスト教徒ではないから、年号をつかう。このごろでは、まず西暦で示すのが普通になってきているが、これでいいのか」
といった内容である。
同感だが、時流はいかんともし難く、今や日本は、西暦に侵略されつつある。それにしてもキリスト教の暦をいとも簡単に受け入れ、死ぬと誰もが“天国とやら”へ行くらしい日本て、おかしな国だと思う。
少なくとも「志ん生のいる風景」の筆者は、文中一切“芸”を用いず“藝”に徹するダンディズムの人である。たとい括弧つきでも、年号が記されてあるのは、粋なはからいと見るのが妥当だろう。
絶妙な間と、独特の語り口で人々を魅了する噺家志ん生は、明治・大正・昭和を生き、生涯洋服というもの(……)を着なかった。
くどいようだが、西暦でものを考えたりもしなかったと私は思う。
身のまわりのことは元より、マネージャーとして志ん生を支えた、娘の美津子さんが、いつも和服だったという。何がなし、いい話である。
このあたりで、厄介な「西暦」にはお引き取り願って、今夜も『火焔太鼓』に酔い痴れようか。