かつしかPPクラブ

刀鍛冶 吉原義一 = 浦沢誠

まえがき
   
 葛飾区教育委員会事務局と郷土と天文の博物館が主催する「文化講座」区指定無形文化財保持者の刀鍛冶の吉原義一(よしかず)さんの講演会を取材した。
 入場者数は100名。


   日本刀は義一さん作製の名品で、講演会当日の講演後には作製工具とともに会場内で展示したもの。


 生い立ち

  1967年(昭和42)3月29日葛飾区高砂8丁目で刀鍛冶吉原義人(よしんど)の子として生まれる。現在46才。吉原家としては、4代目にあたる。
 初代は国家(くにいえ)で、月島で包丁や鋏を作っていたが、そのうち刃物の世界で有名になり、日本刀の世界、刀鍛冶屋の世界に入って行った。
 大正時代に月島が津波で浸水した。その後は葛飾区に移り住んで現在に至っている。
 第二次大戦直後にはGHQから日本刀の製作が禁止された。その後、昭和30年ごろから刀鍛冶を再開した。当時は父義人(よしんど)で、3代目はまだ12才だった。
  

    講演会場で、製作した日本刀の説明をする吉原さん


  日本刀の歴史

 平安時代の中・後期に始まる。話として子狐丸(こぎつねまる)と呼ばれる三条宗近の刀が有名である。
 当時の伊勢神宮に奉納されている刀は60振りあり、全て直刀である。聖徳太子も直刀を使用していた。その時代は、直刀から湾刀に移った。

 戦国時代には、鉄砲が入ってきた。騎馬戦などの時は、短くて邪魔にならないように作った。江戸時代には、竹刀みたいな反りの少ない日本刀が出来た。

 日本刀から生まれた言葉として、鍔(つば)迫り合い、目抜き通り、反りが合わない、元の鞘(さや)に収まるなどがある。


    講演会場に展示された玉鋼(たまはがね):1辺が約10cm

 日本刀として登録されているものが200万本以上ある。実際の戦闘は、鉄砲が輸入される以前は弓矢が活躍し、日本刀は最後に自分を守る手段として使用された。また、天皇家では子どもが生まれると、身を守るものとして刀を与えた。

 日本刀の材料は、たたら製鉄として作製した玉鋼(たまはがね)を用いた。玉鋼は、砂鉄を粘土で作った炉と炭を用いて鞴(ふいご)でつくる。不純物(りんや硫黄)が少ない鉄である。

 日本美術刀剣保存協会が島根県奥出雲町で製作している。年3回作製する。1回の作業が3昼夜を砂鉄10トンと木炭12トンを炉に入れて溶かし、2.5トンの「けら」として鋼(はがね)のかたまりをつくる。その「けら」には等級があり、その中で1級A,Bと2級A、Bが日本刀の原料として使用される。

 近代に入り日本刀に2回危機が訪れた。
 まず初めに明治時代の「廃刀令」。次は太平洋戦争後の、GHQの政策で、日本刀の製作禁止および処分であった。

 その後、昭和28年には日本刀の製作が許可された。その頃はまだ玉鋼は再会されていない。当時は、古民家の解体ででた金物(釘やかすがい等)を利用して刀を製作した。

 NHKのプロジェクトXによると、昭和52年日立金属の協力により、新作刀を守る会を作った。また、「靖国たたら」で戦中の軍刀を作っていた経緯がある。


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心の窓 = 須藤裕子

「心」とは「気持ち」のことだ。気持ちは「顔」に出る。
「顔は心の窓」になる。外を歩くと、「顔」に見えるものがあり、
何か話しかけてくる。だが、「顔」に見えるものは、生き物ではない。
顔に見たてている人の心境や先入観が反映する。想像力が膨らみ、面白がっている自分も映る。さて、あなたには何に見え、何が映るだろうか。
「心の窓」が見えたら、ちょっと面白い。


おおーっと、お姫様も、お花見でしたか。
いいお花見日和ですね。
何よりです。

同じ顔が並んで、同じ方向を見ている。
何を考えているのかわからない。
おかしくもあり、
おかしくもなし。

パーマをかけて間もないようですが

その髪型、どう変わっていくのか、見ていますから。


何を考え、何をじっと見ているんだか。
でも、こんなに見られると、求愛されているというよりも、真面目に問われているように見えます。
「安全運転していますか」。


街で目に掛かった「サメ」。
いや、口元が違う。でも、恐い。

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葛飾立石の人気の魁(さきがけ)は作家と区民記者たちだった。

 ここが葛飾・立石人気の発祥の地。
 
 日本ペンクラブの作家仲間たちがたまり場にした。そして、「かつしかPPクラブ」と交流をはじめた。

 著名作家たちはすでに30人以上、入れ替わり立石にきて飲んだだろう。かれらはTV、雑誌、ミステリー小説、新聞、書籍などに漸次「昭和が残る立石」と紹介してきた。

 それがネット文化に乗り、葛飾・立石はもはや全国区の飲み屋となった。


 2015年5月21日の夕刻から、「テーマのない立石飲み会」がはじまった。場所は京成立石駅から2分の大衆酒場「あおば」である。

 それそれが仕事と執筆の都合をみながら、三々五々と集まってくる。

 半年に一度は葛飾区民記者と交流を交わす。

 作家たちは、「かつしかPPクラブ」の区民記者から、昨今の町とか人物とか、飲み屋情報とかに耳を傾ける。


 轡田隆さんは朝日新聞・一面「素粒子」を10数年にわたり辛口で書きつづけてきた。あの渡邉 恒雄氏(読売新聞 )が、「朝日の素粒子だけは読みたくない」と言わしめた人物である。

 ストリッパー作家のアカネさん(中央)を週刊誌のコラムで紹介した。2年ぶりの再会だった。

 斉藤永江さん(右から2人目)は管理栄養士でチョコ作りの名人。「生粋の葛飾っこ」で、笑顔で下町を語る。その朗らかさは作家たちには人気だ。

 ととり礼治さん(歴史作家)と鈴木さん(かつしかPPクラブ)は図書館員どうしで話が合う。

 隣りあうは斉藤ゆりかごさん(童話作家を目指す)

 中川さんと、内尾さんは「かつしか区民大学」の受講生だ。来年はきっとPPメンバーだろう。

 葛飾情報はローカル局だけでなく、TVキー局も流しているので、九州から立石に飲みに来ているそうだ。
 それはメディアの誇張報道かもしれない。だが、少なくとも関東一円から、週末ともなると、20-30歳代の男女が大勢やってくる。5月の連休は、立石飲み屋はどこもオーバーフローしていた。  

 そんな話題があったか否か、定かではないが、
 TVキャスターの小宮悦子さんと、かつしかCTVのコメンテーター石戸さんとが盛り上がっていた。

 


 「小宮さんと、いちど会いたかった」と鈴木さん。

 女性区民記者も、興奮気味のミーハーになっていた。

 国際ペン・事務局長の堀武昭さん(左)が参加。先週までロンドンにいた。来週は南米だと語っていた。

 世界的な文学組織の頂点にいる堀さんは、海外に行くと、大統領や首相の晩餐会に招かれる大物人物だ。

「立石っていいね」
 初参加の堀さんは気に入っていた。立石の大衆酒場は裃など着なくても、自由な雰囲気で飲める。


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第30回教室展 陶夢陶芸展はバラエティな作品が楽しめる

 陶芸というと、山奥の窯を想像してしまう。都内の葛飾にも、長年続けてきた陶芸教室がある。「スタジオ陶芸」が第30回教室展を開催した。4月24日~26日の3日間で、場所は葛飾区金町地区センター・5階大ホールである。
 

 喜多輝与さんから案内をもらったので、4月26日に同会場に出かけた。彼女から、作品の説明を受けた。
「喜寿皿」「金婚夫婦」「まるまるジル」「ありえないサイズの動物たち」「眠りの森のつぼ」などが展示されていた。

 陶芸=皿、壺のイメージが強かっただけに、それを打ち砕く、ストーリーがあり、味わい深いものがあった。
(たのしいだろうな、こんなにもユニークな作品だから)
 彼女が制作に夢中になっている姿が容易に理解できた。

 出品者リストによれば、55人で、それぞれユニークだった。「哲学のライオン」(小林菊江)、「あの山の向こうに」(川井育世)、「線香かや目大鉢」(関口踏絵)、黒猫(高木幸子)、「古代へ」(山下弘子)、「竹筒花器」(星野睦子)、一つひとつていねいにみていると、気持ちが溶け込んでしまう。

 講師・坂本明子さんは、毎年とはいかないけれど、30回展を迎えたことに対して、「様々の出来事 事件 事故が起きた中で、陶芸展を続けてこられた幸せ、応援に対して」感謝の言葉を述べている。

 

わが町に『春が来た』楽しいな = 鈴木ゆかり

はじめに・・
日本人が愛してやまない桜の季節がやってきた。
寒い冬を耐えて、満開に咲き誇る桜に心踊らない人はいないだろう。



             (青戸公団にて)


満開の桜の下で、沢山の花を集めている子どもたち。
地面に落ちる前につかもうと必死に追いかけるが、風に遊ばれ大はしゃぎ。 
今年の冬は寒かったので、春が待ち遠しかった。 
やっと心踊る季節になった。


4月12日(日)青戸駅前商店街で『春まつり』が開催された。歩行者天国になった通りには、商店街からの露店が並び、沢山の人で賑わっていた。気温も18℃と暖かく、財布の紐も緩むかな。

こちらではお赤飯、山菜おこわ、草団子などを販売。お昼ごはんにするのかな。おこわのパックをご購入。


フリーマーケットでは、子ども服を販売。お母さんが品定め中。

こちらの男性は、おもちゃを吟味中。子どもの頃遊んだのか欲しかったのか。真剣そのもの。


ステーキ店からの出店。普段はちょっと手が出ないブランド肉も、春まつりのわくわく感から記者も購入。
飛騨牛の切り落とし500g1,600円。美味しそう!夕食の焼き肉を想像して心躍る。

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路上スナップ:青戸の「桜」=須藤裕子

「里桜」(青戸第2団地)


「桜」は、花といえば「桜」を指すほど古くから親しまれ、歌にも詠まれた。農作業の種まきなどの目安にもなった。生活の木だった。
 江戸時代には、大名が諸国を行き来して江戸に持帰ったり、珍しい植木が好まれて流通して、園芸が盛んに発達した。
 現在では、「桜」の品種が600種とも1000種ともいわれる。


 その「桜」、青戸でちょっと楽しんでみませんか。
 青戸平和公園には、「寒(かん)緋(ひ)桜(ざくら)」の花びらが混じっていた。


 慈恵医大葛飾医療センターで、「染井吉野」が咲く。座り心地がよいハート形のベンチが置かれ、「葛飾区保護司会:創立50周年記念」と彫られている。

 点滴をしながら入院患者が腰掛けていることもある、癒しの場だ。


 青戸第1団地の「染井吉野」が散り始めた。ここには、33本の「染井吉野」が植えられている。

 古い団地から建て替えられてマンモス団地になったが、この「桜」並木は残された。



 青戸中学校の野球部員39人が朝練で、ランニングをしていた。このチームは、昨年、第66回東京都中学校野球秋季大会で初優勝している。

 用務員の八木さんが「よく挨拶を交わす生徒たちだ」と、話していた通り、勝つためだけの野球ではなく、まずは「挨拶から!」という目標を掲げ、実行している中学校だ。


 青戸第1団地で咲く「御衣(ぎょい)黄(こう)」は、朝日新聞にも載った。

 貴人が着る服の色に見立てて名前を付けたといわれ、咲き始めは黄緑で、その後赤く変わっていく。

「シーボルトが持ち帰り、江戸時代の標本が現存している」
 という、古くから栽培されているSpecial桜だ。


 青戸平和公園には、「寒(かん)緋(ひ)桜(ざくら)」の花びらが混じっていた。


 毎年、春に人の心を躍らせ、光になるのが「桜」だ。

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「書道の美、理容師の美」=秋山与吏子

加藤仙郷さん


 書道は墨の濃淡、墨のかすれ、線の太さ細さ、ゆっくり角度を変えるには、スーと筆を立ち上がるようにして力を抜きながら、ふぁ~ふぁーと書く。
 最も大切なのは、紙の白さに黒で書く線の美しさ、バランスよく紙との調和がポイント。そこに書の品位さが表現されるのではないかと思う。

 昨年から今年にかけて、16万字書き指にタコが出来てしまった。今書くのは、汚く、いやらしく、オモシロイ字を書きたいが・・・型にこだわりだして篆書を始めた。
 1冊の篆書を一通り書くのを1回にして、今450回になろうとしているとかたる。


書の表現

臼井望岳さん

 書(しょ)を書(かく)ようになってかれこれ、50年になる書写から離れ、手本通りでなく自分流に書くと、楽しいし、あきない、興味がわき、書いた後でここはどうしよう、考えると放りだすことが出来ない。
 書道は芸術、美しく書くことである。



藤原久美子さん

 私は書道を始めて半世紀になります。

 書くときは常に形にこだわり、角度、速さと、深さに、軽く書くか早く書くか、線の強弱、墨の濃淡、滲み、かすれ、さまざまな技術や方法を使い、美しくなるようにかいています。
 晴れやかな藤原さんの表情には、それらを駆使した堂々たるものを、感じ取りました。


瞬間芸術

 絵と違って、書道は数秒から数十秒の完成作品、付け足すことも、削り取ることも出来ない、一発勝負の瞬間芸術だと思います。

 筆の穂先に集中し、思いを一気に書く。穂先に自分の思いが流れこむような、素晴らしい時、これが書道の美しさだと思う。たどり着く道ではないかと思う。

 気分の乗らない時、体調が思わしくない時、そんな時の作品は、穂先がただ紙の上を黒く塗っているだけ、心身共に健康でないと、心をひきつけるような、美しい字には出来上がらないと思う

サインポール


 理容師のしんぼるの、サインポールは、白は白衣を、青と赤は動脈と静脈を表している。髪をカットしたり、シェビングすることにとどまらず、歯の治療や傷の手当まで行う、中世期の頃の、理容師は外科医を兼ていて、理容外科医でもあった。
 昔の日本は髪結い文化でしたが「断髪令」が発布され、ここから近代理容業の始まりでした。


理容師 杉山正さん

 お客様の好みに応じて、その方の魅力を十分に引出し、いかにその方にぴったり、美しく仕上がった時に、「ありがとう」と言う言葉が返ってきたとき、理容身寄りにつます

講習会


 理容師の組合員が講習会を開き、今年はどんな風なスタイルがいいかと、皆さんで意見を交換して、こんな風にして、はやらしたい。
 昔は7・3にきっちりとわけるスタイルだが、今は7・3に分けても、いかにもくずしたようにそれでいてそろえて自然になるようにセットする。

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人情を 未来へ (下) = 郡山利行

 葛飾の地場産業について、初めて深く学んでみた。 葛飾だけにしかないと言えるほどに成育した業種の、誇りと輝きを、もっともっと区民に認識してもらうべきである。
 そうすることで、区の産業の特性を活かした、次世代への区民生活環境の在り方について、多くの提案が発せられると信じる。


福本ゴム工業社長 福本さん ゴム工場を語る 


 福本ゴム工業株式会社は、お花茶屋の駅の近く、葛飾区白鳥2丁目にある。福本俊一さん、69歳。 工場は、終戦後、外地から帰ってきた親爺さんが、いろいろな仕事を経験した後に始めたと、語った。


「 豆炭を七輪に入れたのが火力で、たい焼きを作るような鋳物の型で、一般工業用ゴム製品(まことに簡単な品物)を手仕事でやっていましたね。 その頃は、同じような工場仲間で、よく助け合っていましたよ 」
「 昭和30年頃、私が小学校5,6年生になった時に、明らかに時代が変わりました。豆炭火力から、工場に電力が入って、機械化が始まりました。 そのため、家の生活全体も変わりましたよ 」

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葛飾・立石の消えた盛大な『縁日』を想う = 郡山利行

 「喜多向観音」は、葛飾区東立石4-15番地にある。立石バス通り(奥戸街道)に面している。

喜び多く向かい給えとお参りすれば、必ず一つは叶うとの言い伝えがあると、由来看板に書いてある。


縁日は、昭和25年頃から始まった。開催日は、毎月7日、17日、27日の、月3回。昭和50年代めまで、約30年間盛大に行われ、その後急速に衰退して、今は開催されていない。 


 『立石大通り商店会』 左端○印が「喜多向観音」

 同商店会の端から端まで、延長約440mにわたり、バス通りの片側に約200軒の出店がびっしりと並んだ。 店の並びは、通りの反対側に、1回づつ交互に変えられた。


「 当時、本田小前交差点にある交番の隣の空き地で、テキヤの親分が出店の番割りをしてましたよ 」
と、岡島さんは語った。

「 この縁日は、10日おきに、多くの店が出て、人出の多さも東京都内で有名でしたよ 」 とも話した。

地域の人、周辺の人達に約30年間、楽しみと憩いの場面を与え続けていた光景と、その熱意・情熱は、今ではもう容易に想像できない。




「喜多向観音」のほぼ上空から、渋江方向を見た立石バス通りである。

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「雄渾(ゆうこん)」の像のもとで(下)=宮田栄子

       2014年わがまち・かつしか【総合スポーツセンター・体育館】

 それぞれにパワー全開

はつらつ講師と頑張る女性(写真・左)

9時~午後9時までやっています。平日の午後3時~5時が比較的にすいてます。
個々のスポーツメニューも作れますので、ぜひご利用ください。 (2時間300円) (写真・右)



―いつでも、どこでも、だれもが、いつまでもできるー「これは、バウンドテニスのスローガンで、広いスペースが無くても充分な運動ができます」と、リーダーの青木さん(74歳)はいかにも楽しそうに語る。

幅3m、長さ10mでネットの高さはなんと50㎝、小さくてスピード感がある、とのことだ。(ラケットボールが原型でテニスと同様のルールである)葛飾には20チームがあり、競い、楽しんでいる。

「68歳からテニスを始めましたが、今はこのバウンドテニスに夢中の89歳です。
モットーは『自分のことは自分でやれる年寄りに』です」


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