かつしかPPクラブ

守ってね、交通ルール  平和橋自動車教習所= 鈴木 ゆかり

 平成27年5月17日(日)葛飾区内の平和橋自動車教習所にて、春の全国交通安全 自転車安全運転協議会が行われた。



 参加したのは、小学生約20名とその保護者9名。葛飾本田警察署交通課 課長代理の阪下敏規さん(写真・上)

「葛飾区は、都内でも交通量が二番目に多いです。平和橋通りなど区内事故多発地点では、十分注意をして下さい。
 自転車事故は、頭部重症や死亡につながるので、ヘルメットや帽子をかならず身につけてください。最近、子どもの運転する自転車が引き起こした事故で、多額の賠償の判決が下りた例もあるので、ぜひ保険にも加入してください。」
 などのお話があった。

同教習所の佐藤所長(写真・左)からは、
 「二人乗りは、後ろの人の方が危険が大きい。また、家族でのルール違反が多いので、みなさんからお家の人に教えてあげてください。」
 と具体的な注意事項が述べられた。



 学科試験の様子。会の最後に学科と実技の総合で表彰されるとあって、みんな意欲的。記者もチャレンジしてみた。
「分かってはいても、つい・・」
 という問題ばかり。目も耳も痛い。心を入れ替え、今日からは安全運転を心がけなきゃ、と心した。



≪優勝≫


低学年の部:森下友子(ともこ)さん

高学年の部:宮内陽奈(はるな)さん

大人の部:小貫千鶴子さん

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わがまち・かつしか・窓編「のぞいてみる?」=宮田栄子

猫の指定席

 吾輩は猫である。
吾輩は、お育ちがいいから外になんぞには、出ない。
日がな一日、こうして窓辺に座る。

 四季の移ろい、雨やはれ、そして何より、道を歩く人間、犬、猫、飛んでいく小鳥。見ていて飽きさせない。

 こら、いつも、写真を撮っていく、そこのおばさま。手招きして吾輩を外の世界に誘惑しないで。
 この窓は、吾輩のお気に入りの指定席。(東水元)
 

雫も窓にし 雫の中に


 雨上がりの庭で、雫がいっぱいのグミの葉をみつけた。

 マクロレンズをつけたカメラで覗くと、雫の中にまるで閉じ込められたように、淡い黄色のグミの花が幻想的に写りこんでいた。

 雫にも、窓がある(立石)


木枠の景色

 木の幹が交差して、変形の窓枠ができていた。見慣れた公園の景色も、雰囲気が変わってくる。

 夏の盛りの、蝉のぬけがらは、風通し良く涼しそうだ。(水元公園)


小さな世界


 最近に建てられた住宅は、あまり開放的でなく、小さい窓だけの家が多くみられる。外見からも、息苦しく感じないかと思ってしまうほどだ。

 だが、写真の窓は見ていて何故か楽しい。一面に並んだ10の窓は、室内から眺める人には、10の小さな世界を、見せてくれるにちがいない。(東水元)

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いろんな窓 = 馬塚志保子


病院の窓から見る景色  撮影 2015.4.30


まえがき
 
私は喫茶店の窓から、人が行き交う通りを、眺めるのが好きです。

今回は日々、病院と自宅を往復、という限られた中で、何が取材できるのか。「いや、それだから、書けるものがある」と自問自答していました。

 
「来た!」

 5月24日14時50分、ヘリコプターがやって来た。みんな窓際に寄って来て、病室は大さわぎである。向かいは朝日新聞社の屋上だ。一回だけ着陸し、すぐに離陸した。人の乗り降りはない。ほんの数分間の出来事である。
 月に1~2度現れて、この離着陸の訓練を行うという。

 ヘリは何故か、数メートル上がってホバリング。ちょっと前進し、これも少し後退して、そのまま昇って行った。室内には音は全く聞こえない。

 実は5月16日の夕刻、筆者はこのビルの下で、バタバタという爆音を聞いた。すぐにカメラを構えて見上げたが、ヘリはビルのかげにかくれてしまったのである。「残念」。

「これですか」と同室のNさんが、その時の絵を見せてくれた。
「えっ 写真に撮りました?」
「いいえ、じぃーっと見ていて、あとで描きました。あの時は、あの黒い建物から2、3人が出てきて、ヘリに乗り込みましたよ。荷物を持っていたから、訓練ではありませんね。いつもは人を乗せません」

 74歳(男性)のNさんは、もうすぐ退院の予定だ。「窓からの景色を絵日記として描いています。これを、コピーしてはがきに貼り付けます。退院の時にポストに入れて、お見舞いをいただいた方々へのご挨拶にします」
 その自慢の作品を見せてもらった。やさしい絵である。

「スケッチを始めたのは2010年ごろからです。絵具は100円ショップで買います。これが一番いいのです。線は万年筆(これも100円)で描きます。スペアインクも一緒に買わないと、後で手に入らない時がありますからね」と話した。



  病棟の食堂には、こんなすてきな窓もある

「何だ? これは」


 まるで屋根の上を、車が走っているようだ。これは16階の窓ガラスに反射した映像が、下の屋根に映っている現象である。
 どこを走っている車かと探してみた。

 なんと、屋根から500mも離れた交差点であった。軒下の車は、どれが本物か、影なのか見分けがつかない。


ここは、廊下の片隅にある小部屋。時たまこの窓際に座って、外を眺めている人がいる。

 屋根の車の映像が見えるのは、左のガラス(写真)、見る位置と角度があるのだ。いわば、知る人ぞ知る、不思議なガラス(空間)である。


 汐留シティセンター 

 病室から眺める、超高層ビルは芸術的だ。汐留シティセンターは、その中で一番高い。曲線を描いた、緑がかったガラスに、映った建物たちがとても美しい。そこで、病院の帰りに、途中下車して汐留を撮りに行った。

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性同一性障害・りりーさん = 斉藤永江

 2014年8月、『性同一性障害・友子さん』の記事を書いた。金髪でミニスカート姿で現れた奇抜さには驚き、筆者はインタビューを願い入れた。当時は彼女の現状を伝えるだけの内容であった。

 あれから1年が過ぎた。
 友子さんとの交流は続いた。定期的に会い、お酒を飲みながら親交を深めた。


 趣味や思想に加え、悩みや葛藤も、未来の夢に至るまで赤裸々に語る彼女の口跡を書き記したい。

「以前は金八先生の桜田友子役に憧れて友子と名乗っていました。これからは、リリーと呼んでくださいね」
 映画『男はつらいよ』のマドンナ、浅丘ルリ子演じるリリーが最終的にめざす女性像なのだと言う。
 性同一性障害の、りりーさんのその後を追ってみた。

 リリーさんは、2004年4月から2008年9月まで葛飾区立石の渋江公園で路上生活を送っていた。NPO法人自立サポートセンターに保護され現在は青戸のアパートに住んでいる。

 8万円の生活保護費で全てを賄う。
「お金を頂いたその日に、1か月分の食料を買います。おもに100円ローソンの餃子と焼売。そのまま冷凍保存できますからね。あとは大好物の納豆を買い込みます。納豆を韓国のりで巻いて食べるのが好きなのですが韓国のりまで買うお金がないんです」と笑う。

 居酒屋の席でビニール袋からごそごそと何かを出している。
「拾ったタバコです。毎晩12時になるとタバコの吸い殻を探しに散歩に出るんです。まだ吸えそうな長さのものを拾います。こうしてハサミで吸い口だけ少し切り落として吸うんですよ」
 3㎝にも満たない短いタバコを器用に指にはさんで吸っている。

「危ない、短くなってるよ、リリーさん。やけどするよ」
 そう心配する声に、
「慣れてるから大丈夫なんです」と笑う。

 リリーさんについて話す近所の人の話を耳にしたことがある。『夜中にたばこの吸い殻を拾って清掃活動をしてくれている偉い人』という解釈だった。
 なるほど、まさか、数センチにまで短くなった吸い殻を集めて吸っているとは想像できないはずだ。

「雨が続くと吸い殻がだめになってしまうので辛いんです。でも、ごくたまに、コンビニの手つかずのお弁当が捨てられているご馳走にありつけることがあるのです。そんな時は本当に嬉しいですね」

 リリーさんは外出時、必ずヘッドホンを耳にして音楽を聴きながら歩く。
「わたくしのいで立ちへの偏見は今だに強く、通り過ぎぎわで、気持ち悪いとか、あっちへ行けとか、死ねとか、ひどい言葉を浴びせられることがしょっちゅうです。それらの声が聞こえないように常に音楽を流しています。洋楽から演歌まで何でも聞きますよ」
 読書も趣味の一つだ。
「お酒のつまみは本を読むことなんです。図書館の貸出は、30冊までですよ。本を読みながらお酒を飲みます。語学の本や西洋美術の写真集が好きです。読み聞かせの活動もしてみたいです」

一人で過ごす時間が多いリリーさんには趣味が多い。

 その一つに日本古来の武器の収集がある。
「育った家の床の間に日本刀が飾ってあった影響で興味を持つようになりました。父と母が亡くなって家を売り払ったお金で買い求めました」
日本刀、ヌンチャク、手裏剣、一つ一つの詳しい使い方の解説が始まる。実際に振りかざしながら真剣に語る姿には、武術道に対するリリーさんの熱い思いを感じた。

「経済的な余裕があれば、武術学校に通いたいのですが、趣味に回せるだけの余裕が今の私にはありません」
 リリーさんは残念そうに語った。

 日本では、2003年7月10日に『性同一性障害者特例法』が成立し、翌年7月16日に施行されている。
 これにより、一定の条件を満たせば戸籍上の性別変更が可能になった。法務省の統計によれば、2012年までに約4000人が性別を変更している。

 しかしながら、世間の偏見と差別は根強いものがあり、職探しは困難を極める。
「今まで200社あまりに断られてきました。その1部をお見せしますよ」
 そう言って数枚の封書を差し出した。

「どの会社も対応は良くしてはくださるんです。でも採用の人がOKを出してくださっても、社内の上層部に理解をもとめなければいけないという理由で結局は断られてしまうのです。浅草寺境内の掃除の話はいいところまでいっていたのですけどね。観光客の目を考えると難しいという理由でだめでした。60才になる前には正職につきたいと焦っているのです」
 現在は担当のケースワーカーと連携をとりながら、ハローワークへも積極的に足を運んでいる。

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隙間植物シリーズ  その2 = 須藤裕子

写真には、撮影者の心が表われる。
心が写真という「窓」を通して外とつながる。
「窓」といえば気になるのは、「隙間植物」。
窮屈そうに、コンクリートの隙間に生える草たち。
だが、
うまく適応して生きている。
狭ければ、狭いなりに、日当たりがよくなければ、それなりに。
なんという柔軟さ!
草の人生に、
人間の生きざまが重なって見えた。


草の緻密な模様。
こんな柄の服はどうかな。
このままでいい?
いや、
違う草が入っても面白そう。


まるで、牢獄に捕らわれた草。
が、
ここで肝心なのは、
くれぐれも、
伸び過ぎないこと。


とかく目立つ方には目がいくけれど、
目立たず、
小さく、
それなりに生えて、生きている草がいる。
「やっほー!
クローバーと一緒に撮ってもらったよ!」
・・・・・・と言っているのかどうか。

個性がない生え方というけれど、
団地に住んでいる住民と、
さほど変わらないような気がする。



苦労続きだったのだろう。
なぎ倒される度に立ち上がり、
とうとう、
花を咲かせた「セイタカアワダチソウ」。
ひと花咲かせた。
これはもう
立派なものだ。
今度は
花粉をいっぱい飛ばそう!


まぁ、住めば都。
・・・・・・というか、住んだもの勝ち。


おーっと、
暗い排水管を出たら、
外は明るく、広い。
そばを通る人の足音が聞こえる。
どっちに伸びていくかは自分が決める。


あーあ、
引き抜かれちゃった。

一年経ったら、
「ヘクソカズラ」が2本出てきて、花をつけた。
さて、どこまで伸びるか、
もっと生えてくるか。

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『平和の願い・被爆70年』長崎平和祈念式典記事に想う=郡山利行

 今年2015(平成27)年8月10日の朝日新聞朝刊の第1面に、前日に開かれた被爆70年の『長崎平和祈念式典』の模様が掲載された。

 紙面の中央に、被爆者代表として、『核廃絶の思い 覆そうとするもの許せない』と、「平和への誓い」を読み上げた、谷口稜曄(すみてる)さん(86)の記事がある。

 掲載された谷口さんのお顔を見て、約5年前の出来事を思い出した。

 2010(平成22)年9月25日、筆者は葛飾区南水元の自宅近くにある、東京都立葛飾総合高校(葛総高)の文化祭に行き、そこで目を見張る展示に出会った。

 一つの教室全体に飾られた大小の真っ白い折り鶴。何の説明もなく、廊下側の窓から眺めるだけの展示で、タイトルとして「平和の教室」とだけ、掲示されていた。

 展示は、翌年2011(平成23)年の春に、長崎へ修学旅行に行く2年生の、修学旅行委員会のものだった。生徒達は、二日間の文化祭終了と同時に、折り鶴を大きさごとに箱に分けて保存し、旅行出発前に千羽鶴にしたという。
 そして、2011年2月初旬に、修学旅行先の長崎で、原爆資料館に千羽鶴を納め、谷口さんから平和講話をしてもらった。
 講話終了後、修学旅行委員長のMさんが、谷口さんに「平和の教室」写真をプレゼントした。


 
 この写真は筆者が撮影して、文化祭当日に葛総高にプレゼントしたものである。
 後日2010年12月、その年の読売新聞社主催の、『よみうり写真大賞』の≪ニュース・ドキュメンタリー部門≫で、佳作に入選した思い出の作品でもある。

 4年半前の高校生たちの、修学旅行での「平和学習」を通して、今なおご活躍中の谷口さんに、間接的ながらお会いしたような気がしてならない。
 これからも核廃絶の語り部として、活躍されることを願う。


 

梅雨晴れ間の週末、箱根路は閑散としていた=郡山利行

 今年2015(平成27)年7月11,12日(土日)に、車で箱根を訪れた。

 今年6月30日に気象庁は、箱根町大涌谷園地付近(噴煙地)に、火口周辺警報(噴火警戒レベル3、入山規制)を発表した。
 箱根町は、地域防災計画に基づいて大涌谷園地への立ち入り規制を行った。


 火口周辺警報が出ている地域は、大涌谷噴煙地を中心とした半径約1kmの範囲内である(地図に加筆した朱円)。
 大涌谷を通る箱根ロープウェイは運転を休止し、近隣県道の早雲山~姥子間は通行止めとした。 また自然探勝歩道・散策路・ハイキングコースも立ち入り禁止となり、さらに警報区域内にある別荘地の一部には、避難指示も出された。


7月11日(土) 晴れ

 昼過ぎには、国道1号線の箱根峠付近にある、『道の駅箱根峠』に着いた。駐車場の車の少なさと、施設内の利用客の少なさに、わが目を疑った。
 箱根では宿泊予定していなかったので、箱根湯本の『箱根路 開雲』に電話を入れてみると、即座に予約することができた。 



 芦ノ湖へ下って、正月の箱根駅伝の地や旧関所跡の付近は、歩道も車道も、遠くまで見通すことができた。大型観光バスを見かけることはなかったが、西欧系の外国人散策者をたびたび見かけた。
 元箱根の交差点付近も、湖尻桃源台付近も、仙石原の交差点付近も同様で、車の運転は、ゆったりとできた。午後3時ごろ入ったポーラ美術館は、大涌谷に最も近いためか、一部の展示品を避難させたので、ご理解を との掲示があった。
 館内にはほとんど人がおらず、セザンヌの特別展を鑑賞することができた。


7月12日(日) 晴れ

 午前中、強羅の曲がりくねった急坂の道路も、対向車をほとんど気にせずに、走ることができた。マイセンアンティーク美術館も、来館者はほとんどなく、館長の村田さんと、伊万里・マイセンの磁器談をすることができた。
 正午頃、仙石原の玄関のような所にある、星の王子さまミュージアム(箱根サン=テグジュぺり)へ。若いカップルを大勢見かけて、ようやく少し箱根らしかった。


 最後に訪れたのが、芦ノ湖西岸の箱根スカイラインにつながる長尾峠の展望台である。 パノラマ写真と望遠写真。 約4km離れて大涌谷を、見ることができた。 晴天ながら、もやがかかって鮮明に見ることはできなかった。 この噴煙が、大事に至らないように祈る。


≪(株)小田急リゾーツ 『箱根を観光の皆さまへ』資料より≫
地図 : 国土地理院ウオッチズ地図(部分)に加筆


「東京アンチモニー工芸品」わが国の伝統的工芸品に(下)=郡山利行

 6月19日に、山中治男さん(葛飾区奥戸在住)電話で取材した。山中さんは山中金属加工所の社長で、葛飾アンチモニー会所属である。
 山中さんはアンチモニー器の切削仕上げおよびはんだ付けで、平成16年度には葛飾区優良技能士となった。

 アンチモニー製品は、メッキ・塗装で完成する。その直前で、地金での製品を完成させる≪まとめ作業≫に、60数年間携わっている。
「アンチモニーが、国の伝統工芸品に認定されましたね、すごいことですね、長年の頑張りが遂に認められましたね」
 筆者の祝辞に、電話の向うの山中さんは、多くを語らず、
「ずいぶん速く、電話をくれましたね。そうですね、夢みたいな感じです」
 とても朗らかに応えてくれた。


 アンチモニーとは、『アンチモン』という金属の英語読みであり、日本では一般的にアンチモン(10~30%)と鉛(85~88%)、錫(すず)(2%)の合金のことをいう。
 この合金を溶かして鋳型加工したものを、アンチモニー製品と呼んでいる。

 現在でも、半数近くの会社が葛飾区にあり、一大集積地となっている。山中さんはその中心的な人物である。


 2015年、経済産業省が伝統的工芸品と指定した「東京アンチモニー」は、鉛、アンチモニー、錫の合金であるアンチモニーを原料として、鋳物製品である。繊細な模様や彫刻を活かした装飾品である。

「東京アンチモニー工芸品」わが国の伝統的工芸品に(上)=郡山利行

 経済産業省は、2015(平成27)年6月18日に、「仙台箪笥」「江戸鼈甲」および「東京アンチモニー工芸品」を伝統的工芸品として指定した。

 アンチモニー産業は、世界で唯一、明治初年度から東京だけで生まれて発展してきた、世界に誇る東京の地場産業である。
 アンチモニー製品は、昭和40年代前半までは輸出品の花形だった。


 アンチモニー製品輸出アンチモニー工業協同組合(現・東京アンチモニー工芸協同組合):50周年記念誌より (平成11年7月刊)


 明治初期の頃には、問屋は日本橋に、工場は台東区にあった。やがて、大正・昭和時代に入ると、墨田区から葛飾区へと工場が広がってきた。


 アンチモニー製品葛飾アンチモニー会:葛飾町工場物語 第4回(平成23年1月刊)

 アンチモニー製品は、重量感と鋳肌の滑らかさ、微細な模様なども正確に表現できることなどが特徴である。
 かつては小さな胸像や灰皿、ライター、宝石箱やオルゴールなどの製品は、至るところで見ることができた。


 ガラスやプラスチックなど、代替え品となる素材が多くなった現在でも、優勝カップやトロフィー、記念メダルや宝石箱、置物などアンチモニーが製造されている。

『せっぺとべ』400年続くお田植え祭り2015 (下)=郡山利行


お祭り全体で、踊りに参加するすべての自治会の中で、

笹踊りを踊るのは、唯一、諏訪自治会だけである。


勇壮な動きはなく、竹の笹音がカサカサと聞こえるだけの、

不思議な威厳を発する。

観客(筆者の親類)は、踊りの自治会の人から、『しべ』をもらう。

しべとは、幅3cm、長さ85cmのクロマツの角材をカンナで薄くすいた物で、先端15cmほど食紅で染められている。


人々はこれを、家の玄関や床の間に飾る。魔よけのおまじないである。



せっぺとべを眺める少年達。

大人になれば、彼らも白装束を着るようになるのだろうか。

踊りの少年少女たちは、お田植え祭りの前夜祭から、本番の日の夕方まで、神社から神田での奉納踊りと、町内各地と自分達の自治会地区の要望施設や家庭でのお祝い踊りとで、おそらく二日間で20回は超えて踊ったと聞いた。 自宅では、踊りのお礼(花代)のほかには、子供たちへのペットボトル飲料の差し入れしかできなかった。

 400年も続いているこのお祭り、改めてその歴史に興味が湧いた。