かつしかPPクラブ

『顏』 さまざまな表情を写し撮る = 須藤

 ま え が き 

 撮影者は、写真を通して自分の気持ちを表わす。

「きれいな花だな」とか、「いい景色だな」とか、「すごい建物だな」とか。でも、人は人が気になるという。
特に、人の「顔」。

 笑顔が返ってくると嬉しいし、ホッとする。嫌な顔だと、ドキッとしたり、妙に気にかかったりする。コミュニケーションツールの「顔」は大事だ。


 そして、いろいろな「顔」に出くわすのも街。「顔」を見つけてハッとし、別の「顔」の自分と話す。
これがなかなかいい。



 ドキッとする。

 あまり感じがよくないな。

 そんな目で見てほしくないけれど、

 雨の滴じゃ仕方がない。



 
 何か企てているの?

 堅い決意の目つきだけれど・・・・・・。



「長くて、黄色い鼻が魔女みたい。
 それとも長―い鼻じゃなくて、くちばし? 触覚にも思える。

 とにかく、その顔で、その目で見られたら、「NO!」なんて言えないな」。

「眼(・)蓄」あり。


 セミが這い出た後の地面の穴。
   空に向かって

「セミたち、頑張ってこいよー!」
   と、声援する顔。

 眉間の木くずが微妙な位置。
   気遣うようなエール。



 楽しいの?
 笑って、いっぱい話している。

 見ているだけで、こちらから話しかけたくなる。
 笑顔は安心の特権。




 じっと見つめる目。まるで監視ロボットの目だ。

 冷たく、見逃しはしない、現代は監視カメラの時代。

 街のいたるところに取り付けられている。監視カメラを、こんな風に感じますか?


 あちゃー! ぶつかっちゃった。

 これほどの怪我じゃ、治すのが大変だ。こうなる前は、すーいすい走っていた。

 あの頃の、快速・快走・軽快の「車魂」は、ぐしゃりと潰された。



「大変だ、大変だー!」
「何が? どうしたんだ?」
「とにかく、大変なことになっているんだー!」
「そうなんですか。

 何が大変なんですかね。
 気持ちを鎮めてから、話してください」。



 目は口とともに語り、問いかけてくる。
 何げない一言で。

「ちょっと、あなた!
 ちょっと、よく生きてる?
いつも見ているのよ」

「えっ?」

 顔に似合わぬ哲学的な問い。身近な風景に、潜む人生の鋭い問いかけ。
 自省とも自誓ともとれる。
 風景からの拾い物。



 何を聞いても、口を開こうとしない。
 きゅっと、固く閉じた口。
 ここから、噂は出ないし、広がらない。
「口は禍(わざわい)の門」ともいう。


                                        メタリックフェイス。
 メンタルな話はできそうにない。
 面倒なことには一切関わらない。
 めちゃくちゃ楽しいのに、それを隠している訳でもない。むろん、目力がある訳でもない。
 一体、何を考えているの?

「はい、その言葉、そっくりあなたにお返しします!」



 
「 あ、 い、 う、 え、 お 」
「 か、 き、 く、 け、 こ 」
  ・
  ・
  ・
 口を閉じて「ん」
 は、どうですか?


あとがき

  景色の中に「顔」を見つけると、「やぁ!」と挨拶する。何か言っている「顔」だから。
ししかし、そう思って見ている「顔」は、自分の遊び心が写るだけだ。

これは、単に、好奇心というのだろう。

「スポーツ魂」とか、アート作品に「魂」を入れて完成!とは違う。顔のお気軽「魂」感触といったところか・・・・・・。


 平成23年12月~平成27年10月まで

伝統工芸・第31回葛飾区産業フェア = 浦沢 誠 


  「葛飾区伝統産業職人会」 2階の会場入り口のデザイン展示です。

 立石にある同会館の改修に伴う、リニューアルオープンは12月10日です。


『まえがき』

  今回は「たましい」というテーマなので、テクノプラザかつしかで開催されていた第31回葛飾区産業フェアのうち、「農業・伝統産業展」を取材した。

  取材内容は主に、伝統産業の物づくりの技を引き継ぎ、過去から現在および未来にむけて取り組んで行く精神(たましい)について取材をした。


  2015年(平成27年)10月25日(日)快晴で迎えた同左の最終日、会場の人出は昨年の東京理科大学金町新校舎の12万人に次ぐ平年並みの7~8万人との区職員の話。


 葛飾区伝統産業職人会会長 福島政山さん


  会場の2階では、「同職人会」による32ブースでの実演・販売が行われていた。

  この会場での展示作品は、江戸時代から日常生活に必要なものを造ってきたものがほとんどで
す。
 この「江戸木彫刻」は、江戸時代には宮大工が行っていた、と語る西新小岩5丁目在住の福島 政(まさる)(78歳)さんです。
  この仕事を始めて今年で60年目。東京オリンピックの年までは頑張って現役でいたい。

やりがいは、お客様から喜ばれることが一番です、と熱く語った。
 


  銅版仏画の柳 富治さん


 葛飾区四ツ木在住、職人会副会長の柳さん(77歳)は、15歳の時からからセルロイド会社に住み込みで15年間修業し、30歳から独立し、一代で現在まで約30年間この道一筋にやって来た。

  2年前には「現代の名工」を頂いた。また、腐食彫刻の賞を世界でただ一人、フランスのルーブル美術館から頂いた。さらに厚生労働省からも賞を頂きました。

  是非、本物を見て下さいと語る柳さん

 以前に清龍山薬王院 浄光寺 木根川薬師(きねがわやくし)から開山1150年記念法要の目玉として1.5m角の銅版仏画を依頼された。

  5年がかりで制作・奉納しました。毎年4月のお釈迦様の日だけ御開帳しています。


 清龍山浄光寺は天台宗に属しています。 また、日本にある曼荼羅で最も古いのものは、天台宗の京都にある「三十三間堂」にあります。


  江戸型彫の矢田幸蔵さん

 右端の半纏(はんてん)を着ているのが矢田さん


  職人会副会長の矢田さん(60歳)は、 新小岩在住です。

 3代目で、40代の頃から始めて20年目、初代から数えるとこの家業は今年で100年目となります。


  先代は昭和4年生まれの86歳です。

  型紙の材料は、柿渋を染み込ませた和紙を3枚重ね合わせたものです。それを小刀で切り込みを入れて型紙を創ります。

 人間国宝の「江戸小紋の小宮康孝(やすたか)」さんの着物や日本橋に株式会社「竺仙(ちくせん)」の5代目の注文も受けています。 

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≪大久保利通とその時代≫展で、初めて見た物 (上)=郡山利行

 千葉県佐倉市にある、国立歴史民俗博物館で、企画展示されていた、『大久保利通とその時代』展を、今年2015年12月3日に見た。

 当博物館では、展示という形で、大久保利通関係資料を、全面的に公開する機会はなかった。

 今年2015年に、大久保家から新たに貴重な資料が寄贈され、歴史的価値の高さを伝えるべく、初めて全体像が展示された。
 

 私は、実物展示品の中で、大久保利通の日記帳と暗殺資料と、彼の写真・肖像画に、興味を抱いた。
 企画展示の館内では、ストロボを発光しなければ、撮影可能だったので、文書写真はすべて、私の撮影である。
 大久保利通の肖像写真と画像は、当企画ガイドブックの電子コピーであり、文書の内容解説は、同ガイドブックによる。

(1)日記

 桜田門外の変について記した、大久保利通日記   1860(万延元)年3月条


「有村次左衛門一挙の節、比類なき有功は如前条次第二而」 云々と記されている。

 次佐衛門の兄、有村雄助は、幕府の追及を恐れた薩摩藩の命令により、切腹したが、大久保はその死を嘆いた。

30歳、勘定方小頭

 生麦事件について記した、大久保利通日記   1862(文久2)年、8月21日条

「夷人生麦村二而御行列先キ江騎馬二而乗懸、壱人切捨他者逃去候由、神奈川辺別而及騒動候」と、淡々と記している。大久保も、行列のなかにいた。

32歳、御小納戸頭取


 天狗党の処刑について批判した、大久保利通日記   1865(元治2)年3月11日条


 水戸藩天狗党が、幕府に降伏後、越前敦賀で、無慈悲にも処刑されたことについて、腐敗した権力の残忍さを強く批判するとともに、幕府滅亡の兆候を見て取っている。

35歳、御側役


 四侯会議について記した、大久保利通日記   1867(慶応3)年5月17日条


 上洛中の島津久光、山内容堂、松平春嶽、伊達宗城は、土佐藩邸で会議した。

 幕府が長州征討 という失策を反省し、朝廷から長州藩に対する寛大な処置を下すというのが順序であるというのが、四侯の意見だったが、慶喜によってその目論見は打ち砕かれた。

37歳

 琉球藩使節の上京嘆願について記した、大久保利通日記   1875(明治8)年10月25日条

 
 明治政府は、この年の7月、琉球藩に、清国との冊封・朝貢関係を廃止することなどを命じた。

 首里王府は、従来通りの日清両属を認めてもらうため、同年9月に使節を東京に派遣して、1年半も滞在して直接政府に訴えたが、拒否され続けた。
 大久保は、使節に、文明開化の進展を示して、彼らを啓蒙しようとした。

45歳、地租改正事務局総裁


小松帯刀 日記帳

 小松帯刀の「文久三己亥二月十九日ヨ御上京御供中日簿」  1863(文久3)年3月14日条

 同年2月から3月、約700人を率いての島津久光の上洛に供奉した際の日記。 京都に到着した3月14日には、久光が近衛邸で、中川宮朝彦親王・関白鷹司輔煕・一橋慶喜らと対面したこと、小松帯刀も召し出されて、料理を下されたことなどが、記されている。

 この時28歳で弁天波止場受持、この年の5月に御側役、10月に御改革御内用掛となり、藩政改革に取り組んだ。配下に、大久保利通がいた。 

                                     【つづく】

≪大久保利通とその時代≫展で、初めて見た物 (下)=郡山利行

 (2) 利通暗殺資料

 1878(明治11)年5月14日朝、大久保利通は、赤坂仮御所に向かう途中、清水谷(現在千代田区紀尾井町)で、石川県士族島田一郎らの襲撃を受け、暗殺された。


 暗殺時に所持していたため血痕が付いた書簡
 明治11年5月13日付 楠本正隆書簡


 起業公債発行についての内容。 楠本正隆は大村藩士出身で、この書簡の当時は、東京府知事。


 大久保利通が、馬車に乗る時には置いていたという、護身用の拳銃。

 アメリカ、レミントン社製のデリンジャー上下2連先折式。襲撃を受けた時、使われたという記録はない。


 松方正義・鮫島尚信宛中井弘書簡

 日付はないが、大久保暗殺の直後である。

 元薩摩藩士の工部省大書記官中井弘が、当時フランスに滞在・出張中だった同郷の、松方正義(大蔵大輔)・鮫島尚信(特命全権大使)に、凶変を知らせたものである。


 「大翁ノ死ハ実ニ皇国ノ安危ニ関シタル一大事件ナリシ翁ノ死体ハ翁ノ居間ニ臥サシメ伊東方成等刀創ノ破裂ヲ補針シ白木綿ヲ以テ捲キ居レリ翁ノ頭上三ケ所ノ刀痕ハ深サ六寸右ノ腕ノ根ト首トノ間ニ大ナル刀痕突キタル者アリ又右ノ足ノ膝下ヲ半分程又背ノアバラノ脇ニ一大刀痕アリ左右ノ手ハ尽ク刀痕アリ是ハ翁ガ支エタル時ノ刀創トイハサル然トモ顔色平時ニ変ラズ僕一見以テ悲惨ノ情胸ニ満チタリ西郷大山等モ内閣連モ追々来リ集リ又後事ヲ議スルノ外ナカリシ伊藤ハ殊外涙ヲ流シ翁ノ非命ヲ嘆息セリ」
 などと、実見した遺体の状況や、集まった人々のようすを伝える。


 (3) 写真・肖像画



 維新当時の大久保利通写真

 1868(明治元)年頃の撮影とされる。

 唯一残された、和服姿の写真。


 パリの大久保利通写真
 1873(明治6)年撮影  

  オリジナルのプリントを複写拡大したもの。



 
 キヨソネ画大久保利通肖像
 1879(明治12)年

  大蔵省印刷局

 1873(明治6)年にパリで撮影された大礼服姿の写真をもとに、勲一等旭日大綬章を描き加えて完成されたもの。原画のコンテ画も現存する。

 孫の利謙(としあき)によれば、大久保家ではこの肖像画は「お写真様」と呼ばれ、子ども達は毎朝お辞儀をさせられたという。


【編集後記】

≪大久保利通とその時代≫展で、初めて実物の日記を見た。書いてある内容ではなく、筆記する場面に合わせたような、大小さまざまな形の、恐らく手作りと思われる日記帳そのものに、感嘆した。

そして、激動の時代の流れの中で、己のこと身の回りのことを、克明に筆記している姿を思い浮かべると、大久保利通が描いて実現しようとした日本の姿について、改めて自分なりに学んでみようかと、考えさせられた。

 1878(明治11)年5月14日の朝、想像を絶する刀痕で命を絶たれた大久保利通の状況資料は、完全に初めて接したので、衝撃ですらある。
 どうしてこんなむごい殺し方をしたのかと思う。

 大久保利通の代表的な3枚の、写真・肖像画を並べてみると、厳しい人生を駆け抜けた人であることが、一目瞭然である。

 キヨソネ画の肖像が、西郷隆盛のそれと同様に、広く知られることを望む。

新津きよみ・穂高健一の講演・対談『葛飾を歩いてみて~』

 新津きよみ&穂高健一による『葛飾を歩いてみて~ふたりの作家が語る講演会』が2015年10月4日に、鎌倉図書館にておこなわれた。
 


『新津きよみ』 柴又の散策では、久しぶりのうなぎをご馳走していただいて、とても美味しかったです。
(会場・笑い)

 柴又に訪れたのは2回目です。前回は十数年前に、信州の両親を連れて柴又を案内しました。その時はまだ渥美清さんがご存命で、しかも休日でしたから、満員電車のなかを歩くくらいの混雑ぶりでした。

 ただ、今日も予想外の人出でしたので、とても驚きました。

 

『新津きよみ』
 柴又をミステリーに使うのは難しいと思います。柴又を出しただけで「何かあるな」と、想像されてしまいますし、逃走犯が逃げるには、ちょっと有名すぎるかもしれません。

 となり近所が親しいので、知らない人がいたら、警察にすぐタレコミされてしまうでしょうね。
(会場・笑い)

 とは言っても、相変わらず食べ物屋さんは混雑していましたし、とても楽しい街なので、スリリングな場面に限らず、それらをいつか描写したいです。


『穂高健一』 新津さんの小説「指名手配」の作中で、僕が生活する立石が舞台となった場面があります。それを書かれたときの作者の心境について、聞かせていただけますか。

『新津きよみ』 私は本も好きですが、お酒も大好きです。
(会場・笑い)

 それを穂高さんに話したら、「立石に来ればいいよ」と言い、案内されました。あの時は昭和の顔を持つ街というテーマで、ご案内していただきましたよね。

 私が生まれたのは長野県大町市という田舎ですが、初めて来たのに、どこか懐かしさを覚えました。
 それで書いたのが「指名手配」です。この小説を読んでご紹介くださった読者の方が、今年5月15日の朝日新聞東京版に、逃亡犯の住まいはここだと掲載されていました。まさに、探偵の方みたいで、編集者ともどもおどろきました。

 その方は小・中学校の教師なんですよね、と新聞のコピーをみせる。

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葛飾区・花の町づくり(下) 花のまちづくり協議会 = 浦沢誠


  曳舟親水公園の花壇。
  花のまちづくり推進協議会と都立農産高等学校が協働で造った植え込み。
  2015年(平成27年)6月初旬撮影。
  
 花のまちづくり協議会


  15年位まえから活動を開始しています。写真2列目の中央にキャップをかぶっている3人のうち右端の方が会長の伊藤勝美さん(83歳)です。会長歴10年です。
  活動場所は亀有駅南口「コチ亀」前、曳舟親水公園とお花茶屋駅前の3か所です。この会は都立農産高等学校との協働で活動しています。

 写真は2015年(平成27年)6月2日(火曜日)お花茶屋駅前で撮影。

お花茶屋駅前の花壇に植え付けをしている伊藤会長と会員の女性


都立農産高等学校の学生たち

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葛飾区・花の町づくり(上)亀有花風船の会 オープニング=浦沢誠

 亀有花風船の会オープニング

2015年(平成27年)5月25日(月)快晴のもと、午前9時からこの会のオープニングセレモニーが亀有駅南口わき両津巡査長坐像裏の公園で、行われた。その後は3か所に
分かれて花の植え付けを行い、最後に地区センター第一会議室で茶話会と講演会があり、午前11時過ぎに散会した。
 会代表の本宮宏会長の挨拶、青木克徳区長の祝辞のあと記念植樹と記念撮影が行われた。
 花風船の会の名称の謂れは、今から35年前に子どもの幼稚園の卒園式に、中庭から七色の風船に花の種を乗せて飛ばしました。それが届いた埼玉県加須市の人との縁で地場産業の鯉のぼりを頂いた。その後も全国に花の美しさと花を大事にする心を伝えるために名付けました。と副会長の近藤文子さんは語った。
    

開会式直前の区長に、区が今年の4月から立ち上げた「かつしか花いっぱいのまちづくり」のホームページについて取材した。

 10年位前に区の企画部長だったころ、なんとか花で町を綺麗にしたいとの思いがありました。今日まで少しずつ区民の方と協働で花の苗木を育て、植樹しまちに花を植えて綺麗にする運動を進めてきました。

 今年の4月には「花いっぱいのまちづくり」のホームページを立ち上げました。
 一方では、「かつしか花いっぱいレポーター制度」もスタートさせ、区民のかたのボランティア活動による取材もしていただいているところです。
 また、「同推進協議会」も100以上の団体が参加しており、区民の団体、町会の団体その他多くの花づくりの輪が出来つつあります。みんなで楽しみながらこの運動を続けて行きたい。青木区長はそのように熱く語っていた。

写真: 亀有2丁目の緑化推進委員の近藤文子さんが縫製したエプロンを着用している青木区長


本宮会長は、代表の挨拶ので、この会は町会の枠を超えた連合町会の形で出来たものです。皆さんと一緒に仲良く、まちをきれいにしてゆきたい。

 駅前には両さんの像もあります。ここ2~3年のあいだ、アジアの国の人たちも増えてきて
います。亀有のまちが花いっぱいできれいだと言ってほしい。
この町がさらに発展していって欲しい。と語った。

写真:イベント直前の本宮宏会長                   
                        


 


 北口駅前の歩道脇の植樹帯で作業しているのは、西亀有4丁目町会所属の小関さんです。

「花が好きです。今年の1月に埼玉から引っ越してきました。」と話っていた

写真:小関清久(58歳)さん


 南口駅前三菱UFJ銀行脇花壇での植え付け作業をしているのは亀有1丁目から来られた平田真弓さんです。

  マリーゴールド、ペチュニア、千日向、ジニアを植えていました。

「今回初めて参加しました。公団亀有団地自治会長の小林さんから勧められました。」と語る。

写真:左側が平田真弓さん

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地域安全の窓口=鈴木ゆかり


 金町消防署の庁舎の窓が、目を引くデザインだったので興味を持ち取材を申し込んだ。



 
 平成27年7月21日(火)。この日は、葛飾納涼花火大会の日で、多くの署員が花火大会に向かう忙しい日だったが、特別にお話を伺う事ができた。
 取材に応じてくれたのは、金町消防署 予防課の肥(ひ)塚(づか)真理子消防士長と小島由美子さん。

金町消防署の歴史・活動、新庁舎のデザインコンセプトなどのお話が伺えた。

 新庁舎は、約3年の工事を経て平成25年3月15日に開署した7階建の素敵な建物だ。新庁舎をデザインしたのは、協立建築設計事務所の鈴木俊作氏。

 先の写真の青い窓は、江戸時代、火消しに使われたまといの形をモチーフに考えられた。内部は職員の待機宿舎などに使われている。

 大きな窓が飛び出ている部分は、食堂である。

 庁舎内は明るく、シンプルな感じがしたが、都民相談室や防災教室などのスペースがあり、地域の相談窓口など多くの機能を持った消防署である。


 金町消防署の歴史は、昭和9年4月に金町機関員派出所が設置され、当時はポンプ車1台、機関員2名だけだった。

 現在の庁舎の前身は、昭和44年4月から41年間にわたり使用されてきた。

 平成25年2月に現在の新庁舎が完成し、消防車5台、救急車1台が配備されている。222名の隊員の方がいて、昼夜を問わず区民や近隣地域のために働いてくれている。


「夏は、熱中症などの対応で救急車の出動が多い。地域連携の制度はあるが、台数には限界があるので、もし救急車を呼んだほうがよいのかと迷ったら、救急相談センター(#7119)へ問い合わせて欲しい。」

 話を聞いて救急処置が必要な場合は、相談センターから救急車を手配してくれる。


写真右の冊子「救急受診ガイド」は、年に数回ある消防イベントや学校、幼稚園などで配布されている。消防署でも手に入れる事ができる。

 ガイドは、チャート式で、症状ごとの対処法が書かれている。日頃から手元に置いて、読んでおくと、いざという時の心強い味方になってくれると思った。

 金町消防署のイベント情報などは、消防署のHPに掲載される。

 HPも沢山の窓で構成されていて興味深い。



 館内の様子(写真上)。階段の踊り場には、ポールがあるが、滑り降りる事は出来ない。

 以前は、消防署といえば、このポールが象徴的だったが、現在は危険なため使われていない。
 また、この階段は、江戸火消しのはしごをモチーフにデザインされている。江戸の面影を残す洗練されたデザインだ。


 外観にも工夫があった。

 消防署の出っ張り部分と前にあるトヨタ自動車の流線部分が中川の形を表現していると教えて頂いた。
 双方の間を通る水戸街道が中川の流れになる。何とも葛飾らしい発想だと思った。

 写真左は、金町消防署の守り神?“だるまもるん”。地域の方から寄贈され、公募で名前がつけられた。消防署の外に堂々と鎮座している。


 記者は、日頃の疑問をお二人に聞いてみた。火事でもなさそうなのに、なぜか消防車が来ている。
 そんな場面に遭遇する。もしかしたら、消防車に急患を搬送できる設備があるのかと、ずっと疑問に思っていた。

「消防車に急患を運べる設備はありませんが、隊員は全員救急救命の資格を持っているので、応急処置が必要な場合の対応が出来ます。救急車が到着するまでの応急処置で先行しているのです。」
 と教えてくれた。

 さらに「今まで亀有消防署には救急車が配備されていませんでした。今年10月1日からは、亀有消防署にも最新鋭の救急車が配備され、隊員も高度な資格を持った隊員が配属になります。」
 と最新情報も教えてくれた。なんとも頼もしいかぎりである。

                    平成27年8月 鈴木ゆかり

守ってね、交通ルール  平和橋自動車教習所= 鈴木 ゆかり

 平成27年5月17日(日)葛飾区内の平和橋自動車教習所にて、春の全国交通安全 自転車安全運転協議会が行われた。



 参加したのは、小学生約20名とその保護者9名。葛飾本田警察署交通課 課長代理の阪下敏規さん(写真・上)

「葛飾区は、都内でも交通量が二番目に多いです。平和橋通りなど区内事故多発地点では、十分注意をして下さい。
 自転車事故は、頭部重症や死亡につながるので、ヘルメットや帽子をかならず身につけてください。最近、子どもの運転する自転車が引き起こした事故で、多額の賠償の判決が下りた例もあるので、ぜひ保険にも加入してください。」
 などのお話があった。

同教習所の佐藤所長(写真・左)からは、
 「二人乗りは、後ろの人の方が危険が大きい。また、家族でのルール違反が多いので、みなさんからお家の人に教えてあげてください。」
 と具体的な注意事項が述べられた。



 学科試験の様子。会の最後に学科と実技の総合で表彰されるとあって、みんな意欲的。記者もチャレンジしてみた。
「分かってはいても、つい・・」
 という問題ばかり。目も耳も痛い。心を入れ替え、今日からは安全運転を心がけなきゃ、と心した。



≪優勝≫


低学年の部:森下友子(ともこ)さん

高学年の部:宮内陽奈(はるな)さん

大人の部:小貫千鶴子さん

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わがまち・かつしか・窓編「のぞいてみる?」=宮田栄子

猫の指定席

 吾輩は猫である。
吾輩は、お育ちがいいから外になんぞには、出ない。
日がな一日、こうして窓辺に座る。

 四季の移ろい、雨やはれ、そして何より、道を歩く人間、犬、猫、飛んでいく小鳥。見ていて飽きさせない。

 こら、いつも、写真を撮っていく、そこのおばさま。手招きして吾輩を外の世界に誘惑しないで。
 この窓は、吾輩のお気に入りの指定席。(東水元)
 

雫も窓にし 雫の中に


 雨上がりの庭で、雫がいっぱいのグミの葉をみつけた。

 マクロレンズをつけたカメラで覗くと、雫の中にまるで閉じ込められたように、淡い黄色のグミの花が幻想的に写りこんでいた。

 雫にも、窓がある(立石)


木枠の景色

 木の幹が交差して、変形の窓枠ができていた。見慣れた公園の景色も、雰囲気が変わってくる。

 夏の盛りの、蝉のぬけがらは、風通し良く涼しそうだ。(水元公園)


小さな世界


 最近に建てられた住宅は、あまり開放的でなく、小さい窓だけの家が多くみられる。外見からも、息苦しく感じないかと思ってしまうほどだ。

 だが、写真の窓は見ていて何故か楽しい。一面に並んだ10の窓は、室内から眺める人には、10の小さな世界を、見せてくれるにちがいない。(東水元)

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