A045-かつしかPPクラブ

「えっ、驚いたね。穂高先生の本が広島で~」=PPクラブ浦沢誠さん談

 昨日つまり2018年4月4日の夜、葛飾区環境課で「花と緑」関連の会合があった。区民記者「かつしかPPくらぶ」の浦沢誠会長(元東京大学、国立科学博物館)と同席した。
 会合のあと、
「おどろきましたよ。広島護国神社で、巫女さんが先生の「神機隊物語」が売っていましたよ」
 と開口いちばんに教えてくれた。

「実は、きのう広島から戻ってきました。わたしの孫が外国にホームステイするので、せめて世界遺産の宮島を見させておこう、と考えましてね、広島に行ってきたんです」と語られていた。

 浦沢さんの話を紹介しておこう。

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 4月1日(日)、東京から新幹線で広島に入り、その足で宮島の厳島神社にいきました。世界遺産をたっぷり見学しました。夕方には広島大手町のホテルに入りました。食後、市街地(本通り?)の散策で、大きな書店に入ると、店内に売れ筋のビラがさがっていました。

「おどろきましたよ。穂高先生の「広島藩の志士」が『文芸第3位』でした。妻や子どもに、それを指して、これが私の先生だよ、と教えると、びっくりしていました。
 1位はカーブですから、これはしかたない、当然だと思いました。2位は忘れたけれど、3位とはすごいですね。カメラを持っていなかったから、撮影できなかった」
 と悔しがっていた。

 浦沢さんは、「広島藩の志士」が3月の半ば、「神機隊物語」が4月初旬に出版になると知っていたが、まさか広島でこんなに売れているとは想像していなかったようだ。
 
           *

 翌日はレンタカーを借りた。岩国。3日目は尾道・千光寺、さらに呉市の大和ミュージャムにいくと、火曜日で休館だったという。
「しかたないな、広島にもどろう」
 ハンドルを原爆資料館にむけた。ここも、改装中で一部しか見学できなかった。
「原爆投下のあと、荒廃した焼土に、神社の鳥居が立っているのが、印象的でした」と話す。

 原爆が真上(相生橋)に落ちたので、護国神社の鳥居は縦からの荷重にたいして十二分に耐えられた。もし横からの爆風ならば、吹き飛んでいた。資料館では鳥居の半分しか残っていない写真もあった、と説明していた。

 浦沢さんは理系で、とくに建築分野ではすぐれている。力学の視点で語っていた。


 帰りの新幹線まで時間があるので、レンタカーで「広島城に行ってみよう」とむかった。城址の駐車場に入る、お濠の手前に大きな鳥居があった。
「えっ、お城なのに、なぜ神社の鳥居から入るの?」
 と奇怪だった。

 よくよく見ると、「広島護国神社」と額に書かれていた。「ここが穂高先生から聴いていた護国神社かな。ならば、高間省三が筆頭祭神に祀られている」と思った。

 広島城を登城したが、内部は月並で、さしてみるものはなかった。城址を歩いていると、別の鳥居があった。ここが広島護国神社だった。本殿に、家族4人がお参りした。

 浦沢さんは、かつしかPPくらぶの活動で、都内近郊の神社取材レポートもいくつかおこなっている。くわしい。神社は大別して、氏子神社(地域の氏神さま)と崇敬神社(個人の特別な信仰)の2種類がある。明治神宮ならば、明治天皇、東郷神社ならば、東郷元帥のように。

「戊辰戦争関連は、全国的に護国神社に統一されているけれど、広島護国神社は言い換えれば、『高間省三神社』だよ。かれは筆頭祭神だし」
 浦沢さんは「二十歳の炎」を読んでいるので、家族にそうした解釈を聞かせたという。

 拝礼のあと、巫女さんが接遇する「御札所」をみると、お札、ご朱印帳、と同時に穂高健一著「芸州広島藩 神機隊物語」が平積みされていた(2000円+税)とも表記されている。

「これには驚きましたね。ここでも、穂高先生の本に出会う。妻もびっくりしていました」 
 とくりかえし、話がそこに戻っていた。
 
「神機隊物語」の本の側には、『言霊』(平成30年4月1日発行)がありました。1枚もらってきました。高間省三が戊辰戦争で命を落とし、筆頭祭神で祭られている、という経緯が書かれていました。
 新幹線のなかで、家族で、それを読みましたという。

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「広島護国神社・春季大祭が4月8日(日曜)、午前10時半。午後には安芸太田町・安野神楽団奉納が行われる、と書かれていました。穂高先生はいかれるのですか」

「いや、その次の週、4月15日(日曜)に、広島市・船越公民館で、「神機隊物語」と「唯故草」について、講演があるからね」
 と応えた。


 その実、わたし(穂高健一)はまだ「広島藩の志士」と「神機隊物語」が販売されてから、広島に行っていない。広島の方々や浦沢さんから情報をもらうだけで、実感にとぼしい。

 広島で芸州広島藩が炎上してくれて、全国の人たちが、歴史の真実は『薩芸倒幕』だと意識を変えてくれたら、幕末史があるべき姿に戻ったら、最上である、と願っている。

 

            写真・資料提供 =「かつしかPPクラブ」 浦沢誠会長

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