登山家

三浦家の究極の親子登山(3)「山の日」フォーラム=東京・有楽町


 「山の日」フォーラムの3月28日は、スペシャル・トークショーで、三浦雄一郎さん一家が壇上に登場した。3代にわたる登山・スキー一家で、日本を代表するアドベンチャー・ファミリーである。

 雄一郎さんは2013年に、80歳で3度目のエベレストを登頂し、世界最高年齢者の登頂記録を更新した。偉業をたてた背景には、家族の大きな支えがあった。

 それを裏づける三浦家の想い出の登山写真が披露され、家族・親子の絆がエピソードとして語られた。


 三浦雄一郎さんは964年7月に、イタリア・キロメーターランセで、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立した。
 エベレスト 8000メートル地点からのパラシュートを使用した直滑降なども行った。

 その後、世界初の七大陸最高峰のスキー滑降達成など、数々の世界的な記録を打ち立てている。


 雄一郎さんは子どもの頃、父親・敬三さんに連れられて八甲田山のスキーをはじめた。当時はリフトがなかった。ゲレンデスキーは畑スキーとして軽視し、スキー板を担いで山を登り、そして滑降していた。

 北海道大学時代は、冬はスキー部員として、日高、知床の雪山で滑っていた。夏は山岳部で過ごした。

 結婚後、雄一郎さんは立山・剣岳で、ボッカをやり、子育ての資金を稼いでいた。
「立山・剣にTVクルーが来ると、撮影器材が重いので、良い値段になりました。現代の感覚では、日当10万円くらいです。私は積極的に荷を背負いました」(他の人は嫌がっていたけれど)。

「最大で、120㎏を背負ったことがある」というと、会場から驚きのどよめきが起きた。

 ボッカ稼業の合間のヒマな時に、立山の難しそうな雪渓を滑っていた。カントリー・スキーから冒険スキーに自然に変更していった。

「エベレストのベースキャンプで、シェルパーの子どもたちが遊んでいた。雄太を連れて来よう」
 それが親子の絆登山の着想の一つになったと話す。

 

 長女の恵美里(えみり)さんは、もの心ついた時から、ザックに入り、山に登っていた。4歳の時に、富士山に登った。それは最年少富士登山の記録となった。

「小学生時代、学校を休まされて、山に登らされていました。三浦家は12歳になると、海外に出されるのです」

 恵美里さんは中学1年から米国留学を行った。夏に帰国すると、「ヒマラヤに行くぞ」と言われました。つねに、登山がついて回っていた。

 3人兄弟だが、「お願いだから、学校に行かせ」と次男の豪太(ごうた)さんなどは、父親に訴えていたと明かす。


「親に感謝できたのは、20-30年後になってからでした。いま、アウトドアで生命の危険を感じるときに、幼いころから山に登っていたし、敏捷に対処できます。親のお蔭だと思っています」



 長男・雄太さんは、幼いころの父親の想い出を語る。

「天気がいい日は、学校に行かず、山に登らされました。飛行機を買ってくれるからといい、ヒマラヤに行きました。象やライオンに会えるぞ、とアフリカのキリマンジャロにも連れて行かれました」


「教育委員会で聞くと、小学校は半分出席すれば、卒業できると聞いていた」
 雄一郎さんが、口を挟んだ。


 キリマンジャロ(標高5,895m)は少年には厳しかったようだ。
 高所登山だから夜出発する。およそ氷点下25度になる。子どもには過酷だ。太陽が上がると、身体が温まってきた。
 どんな苦労でも、がんばれば、その先に太陽がある、と子どもながらに知りえた。


 雄太さんは、父親の80歳エベレスト登頂ではベースキャンプで、気象と通信を担当した。3度のエベレスト登頂から、家族は役割分担、共同作業から、親子の絆を強く感じとれたという。

「私自身が子どもをもってみて、親子登山の良さが実感としてわかります」
 雄太さんはそう強調した。

 

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「山の日」から、地域の活力が生まれる(2)=東京・有楽町

 全国「山の日」フォーラムは、3月28日(土)の午後からシンポジウムが展開された。この日のメインテーマは「山の日」と「地方創生」である。

 冒頭、超党派「山の日」制定議員連盟の 丸川珠代幹事長が、
「日本は7割が山林です。山は美しい景勝もあれば、自然災害も引き起こします。山の恩恵を正しく理解して、水源の環境保全、地域活性化など、将来につなげていきましょう」
 と挨拶された。


 シンポジウムA組は、「山の日」から地域の活力が生まれる。

 松田光輝さん(北海道・知床ネイチャーオフィス代表)は、知床ガイドを職業にしている。
「日本人は物心ついた時から、山があった。身近すぎて、山を考える機会が何かった」と前置きしてから、山がもたらす恩恵について述べた。

 
 ① 山は多様な気象条件を作り出す。
 ② 山は急峻な地形だから、美味しい清流をつくってくれる。
 ③ 山は湿潤な土壌で、森をつくってくれる。

 日本は70%がこうした森林です。

「知床は熊の生息密度が世界的にも最も高いところです。森の栄養素が川から海に流れて、植物性プランクトンが魚の餌となります。大きな魚が知床の川に上ってきます。だから、それは山と海があるから、熊の食料が豊富だからです」
 知床の山に入れば、400メートル四方のどこかに熊がいます。3日間滞在して、熊がみられないと、よほど不運なひとです、と述べた。

 知床ガイドが職業として成り立つまでに、約10年間かかった。
「若い人にはピークハンター(山頂登山)だけでなく、知床に来て、山の魅力、山の豊かさなど認識度を高めていただきたい」
 知床に来てもらえる。そこから地方創生が生まれてくる、と話した。


 中村達さん(日本ロングトレイル協議会代表委員)は、「ロングトレイルのすすめ」について、語った。ロングトライアルとは何か。

「長い距離でつながる山の道を歩きながら、その地域の自然や文化を楽しむ」
 中村さんはスライドを使い、八ヶ岳、白山・白川郷、琵琶湖水源から中央分水嶺、牧場内の80キロにわたるコース、国東半島など、各地に広がるロングトレイルを紹介した。

 アロングトレイルをつくることは宿泊施設、弁当販売など、地域活性化へとつながっていく。JR駅弁までになった事例を紹介した。八ヶ岳では200キロに及ぶロングトレイルもある。学校教育の場としても、取り入れられてきたという。

 本場のアメリカやヨーロッパにおいては数千キロに及びコースがあるという。そこを半年、1年余り、それ以上かけて歩くようだ。海外では、徒歩と自転車が共有している、と写真で紹介した。


 上條敏昭さん(上高地町会長)は、「滞在型利用と外国人の受け入れ」について、一昨年には超党派「山の日」制定議員連盟の方々が、上高地で勉強会を行った。それが成就したは喜ばしいことです、と語った。

 上高地は、道は拡げられないし、通り抜けもできない立地だ。昭和50(1975)年からマイカー規制を行ってきた。平成19(2007)年に安房トンネルが開通した。観光バス規制をしたことから、上高地にくる人の数は減少気味になった。昨年度は127万人で、前年度に比べて92.3%である。

 長野県・白馬村では90軒の宿泊所に対して、30%は外国人経営者である。上高地はその傾向はない。
 外国人の観光客と登山者の比率が増えてきた。5月の連休が終わると、河童橋は外国人ばかり。槍ケ岳に背広姿でくる。あるいは団体日帰りで大勢が来て、マナーが違うので、日本人が敬遠しないか、という危惧はあると話す。

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全国「山の日」フォーラム:みんなで山を考えよう(1)=東京・有楽町

 2016年8月11日から、国民の祝日が増える。それを記念した全国「山の日」フォーラムが、東京・有楽町の「東京国際フォーラム」で開催された。メインテーマは『みんなで山を考えよう』で、3月28日(土)、29日(日)の2日間にわたる。
 主催は全国「山の日」フォーラム実行委員会(磯野剛太事務局長 写真・奥)である。

 ミス日本「みどりの女神」の佐野加奈さん(静岡出身・東京農業大学)が各イベント会場を廻っていた。


 初日の28日(土)は10時から、特設ステージで、トークショーが開催された。トップバッターの司会者は8000メートル高所登山家で名高い近藤謙司さん、モデルのKIKIさん、花谷康広(山岳ガイド)とあって、開始時間にはすでに長椅子がいっぱいだった。近藤さんの歯切れのよい口調で、山のエピソードをくり広げていく。

「ぼくは4000メートルの山に行ったら、もうちょっと高い山と5000メートル、いつしかエベレストに何度も登っていた」
 近藤さんは高所登山家になったプロセスを紹介してから、KIKIさんに登山好きになった、山との出会いを訊ねた。
「登山歴は9年です。最初は八ヶ岳の赤岳に登りました。赤岳鉱泉小屋が、きれいで素敵でした。登攀(とうははん)中は霧で視界がなく、山頂に着いた途端に、パッと晴れて、見事な景色で、その感動から一気に山好きになりました」
 彼女はそう語ってから、子どもの頃に両親がキャンプなど、アウトドアに連れて行ってくれた。そこに山好きになる下地があったと思う。

 左から、花谷康広さん、KIKIさん、近藤謙司さん、


「赤岳の山頂に来て見て、自分の脚で登れて感動できた。もっと行かないともったいないと思いました」
 彼女はその後、アイガーに登ったり、TVの登山番組に出演したりするなど、現在の活躍ぶりがモニターで紹介された。

 花谷康広さんは、子どもの頃の体験で、
「小学生の頃、六甲山キャンプに一人で参加し、『ひとりできたの、先生が友だちになってあげよう』と言われました。その初対面の先生との出会いが、山好きになる、大きなきっかけになりました」
 家族、友だち、先生との絆を考えてみる。そうした祝「山の日」であって欲しい、と花谷さんは強調した。



 エキシビジョンゾーンでは自治体、企業、山岳団体などのアピールブースがあった。登山、ハイキング、スキーなどに関連する、最新情報が得られるので、山ガール、中高年登山者などで賑っていた。それぞれがブース担当者から、ウェア、ドリンク、地図などの説明を受けていた。
 「山の日」クイズラリーが行われていた。ザックや各地の名産品、招待券などが当たるので、若者たちの参加が目立った。

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身も心も洗われた『出羽三山』=野上とみ

・日 程 2014年7月29~31日

・コース(1日目)羽黒山(晴):鶴岡~羽黒センター~羽黒山山頂
    (2日目)月 山(晴):羽黒山山頂~月山八合目~仏生池小屋~月山頂上小屋
    (3日目)湯殿山(小雨):頂上小屋~装束場~湯殿山神社~湯殿山参籠所~鶴岡

・メンバー L武部実、渡辺典子、中野清子、松本洋子、野上とみ


『羽 黒 山』

 バスを降りると、すぐに随身門(13:42)、いよいよここから神聖な地に入って行く。石段を下り神橋を渡ると、目に入るのは延々と続く石段(2446段)、両側には樹齢300~600年の杉並木が続いている。
 左奥には1070年前に平将門が建立したといわれる五重塔がある。杉の大木の中に佇む姿は幻想的であり、心を和ませてくれる。
 五重塔を過ぎると、一の坂、二の坂の石段。二の坂の茶屋で氷を食して休憩、三の坂を登り切ると大きな赤い鳥居があり、羽黒山山頂である。
 山頂の手前左手奥に今日の宿(斎館)がある。荷物を置いて羽黒山山頂へ(15:30)。大きな広場状になっていて、厳島神社、蜂子神社、他に7~8社が並んでいた。
 その中でも三神合祭殿は羽黒山、月山、湯殿山の三神を合祭した日本隋一の大社殿で、厚さ2m程もある茅葺屋根は迫力があり、驚きでもあった。

 今年は140年ぶりの出羽三山開祖の蜂子神社の一般公開に当たり、私達もお祓いを受け、お札を頂き、身も心も洗われた気分になった。
 斎館は山伏達が住んでいた遺構として残る唯一の建物であり、月山山麓で採れる山菜を素材にした精進料理は格別な趣があった。


『月 山』

 羽黒山山頂からバスに乗り、月山八合目に着く(9:00)。レストハウスの西の方を巻いて登って行くと、弥陀ヶ原の広大な湿原で、小さい池塘が点在し、ニッコウキスゲ、ワタスゲ等が咲き乱れている。
 一周し本道に戻り、鳥居をくぐって月山へと登って行く。
 足元には高山植物が次々と現れ、立ち止まる回数も増えていく。やや勾配のきつい鍋割を過ぎると、現れ出した雪渓周辺の植物が美しい。ピークを登りきったところが仏生池小屋(12:55)。小屋の周りにはフウロウ、イワカガミ、シャジン等の大群落で雲上の楽園のようだ。

 ここから先は緩やかな登りが続いている。色とりどりのお花畑の中を進む。チングルマは既に花の時期を終え、穂が風車のように風に揺れていた。
 霧が出てきた。霧の切目から月山神社が見えた。目指す月山山頂は近い。大きな雪渓の横を登り進めると月山神社に到着(14:30)。月山頂上小屋で休憩後お花畑の散策に出かける。どこまでも続く緑の草原、花の群れ、雪渓、池塘と岩との絶妙な配置に感動した。


『湯 殿 山』

 目覚めると、小屋の周辺は霧におおわれ、風が強く吹きつけている。湯殿山に向かって出発(7:00)。外に出ると風は予想外に静かである。
 霧で周りは見えないが、目の前にある花々の群れがぼんやり見える。石ゴロの急坂を下って行くと牛首に着く(8:15)。牛首から金姥までは整備された歩きやすい道。金姥からは修験の道に入る(8:39)。
 雨が降り出してきた。かっては登拝者がワラジを履き替え、衣装を正して月山に向った場所である装束場跡(現在避難所)で休憩(10:02)。ここから、いきなり標高差200mの月光坂である。

 前半は鉄梯子と鎖にすがって下る急坂の連続、後半は沢の中の岩の道を慎重に下って行くと、本殿も拝殿もない湯殿山神社に着く(12:19)。シャトルバスで湯殿山参籠所へ。下界は真夏の太陽が照りつけて暑かった。


 記録・野上とみ


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№183から転載】

花と景色、そして達成感の滝子山(1590m)=佐治ひろみ

・日程:2014年5月13日(水)晴れ

・メンバー:(L)大久保多世子、渡辺典子、蠣崎純子、脇野瑞枝、松村幸信、中野清子、佐治ひろみ

・コース:笹子駅8:35~寂ショウ入口9:27~山頂12:45/13:30~桧平14:10~初狩駅17:00


 夜中に降っていた雨は朝になっても止まず、傘をさして家を出た。予報では天気回復というが、岩場は濡れていないだろうかと心配しつつ、電車に乗った。高尾を過ぎる辺りから、道路は全く濡れていなかったので、ひと安心。

 笹子駅で7人集合し、吉久保集落に向かう。庭先にはジャーマンアイリスや花々が綺麗だ。中央高速の上を通り桜森林公園を過ぎると、ひっそりと寂ショウ庵の看板が立っている。
 そこを入って行くと、廃屋があり大きなサラサドウダンの木が赤い花を付けていた。ここからやっと登山道。30分位で林道に出て小休止。息を整えて急坂を登って行くと、両側は美しい自然林になり、あちこちに山ツツジの赤い花が目立ってきた。

 そのうち大久保リーダーが何かを発見。足元に落ちていたクルクルした葉っぱを手に持ち、「おとしぶみ」といって、中の虫が葉を折り曲げて住処にしている、と教えてくれた。リーダーのレクチャーは続き、今度はブナの実を見つける。三角形でちょうど蕎麦の実のようだった。

 こんな風に山道も飽きずに登って行くと、1時間ほどで岩場が現れる。大きな岩場を右に行ったり、左によじ登ったりしながら、高度をかせいでいく。リーダーのペースは常に一定でとても登りやすい。
 一段落すると岩の間には、今回お目当てのコイワカガミが現れ、一同黄色い歓声を上げる。あっちにもこっちにも小さくてピンクの可愛らしい花が咲き乱れて、疲れも吹き飛ぶ。花を見ながら、岩山をよじ登る事1時間半で、ようやく尾根に出る。
 ここから小さなピークを3つ超えると頂上。踏ん張りどころだ。

 山頂に着くと綺麗な富士山がお出迎え。北に目を向けると、雁ヶ腹摺り山や小金沢連嶺、大菩薩の山々が見渡せる。みんな大満足して昼食をとる。
 ゆっくりお弁当を食べた後、初狩に向けて急坂を下る。分岐では男坂を通り桧平へ。ここで小休止し、また暫く尾根道を快適に歩く。今度は尾根を外れて暗い杉林をジグザグに下る。
 飽きてきた頃、沢の音が聞こえ始め、水場に到着。

 最後は沢沿いに何度か渡り歩くと、林道に出た。駅に向かい民家の花々を見ながら下ると、何やらけたたましい鳴き声が聞こえてきた。『ガビチョウ』という外来種で、この里に住み着いていると教えてもらった。その鳴き声は大音量で、遠く離れても響いていた。大きな桐の木には紫の花が満開だった。

 足も疲れてきた頃、5時のチャイムと同時に駅に着いた。
 電車の時刻にはまだ間があるので、駅構内のベンチで簡単な反省会。今日一日、本当に良く歩きました。お天気も、花も、景色も素晴らしい、達成感のある山行になりました。


     記録・佐治ひろみ


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№178から転載】

伝説の金時山(1,212m)はご存じ? 冬山は侮れません=横溝憲雄

 平成26年3月18日(火)は、曇り・みぞれ(春一番)でした。
 参加者:L横溝憲雄、渡辺典子、後藤美代子、野上とみ、中野清子、針谷幸司、他1名     
 行程:新宿(高速バス)~乙女峠バス停~乙女峠~長尾山~金時山~地蔵堂~新松田駅 

「まさかりかついだ金太郎伝説の金時山~」、3回目の登山です。天候が今一で気になったが、とんだ登山になるとは……。

 金時山は神奈川県足柄郡箱根町と静岡県駿東郡小山町の境に位置する山です。皆さんご存知ですか? 頂上の金時茶屋と金太郎茶屋の間が県境です。
 金時山は姿が、高く突き出たイノシシの鼻のように見えることから、猪鼻嶽とも呼ばれています。

 金時山の登山ルートは5ルートあります。今回は乙女峠バス停から登る乙女峠ルートです。頂上付近の急登が一番短いのと、以前丸岳へのルートで使った乙女峠への登りが楽であったことから選びました。
 無論、新宿から高速バスという利便性もあります。  

 山にはまだ残雪(20㎝)ありとの情報で、軽アイゼン持参です。乙女峠へ向けて登ると、程なく雪道になりました。
「アイゼンはきまーす」
 初参加の会社の女子にも、モンベルで、軽アイゼンの購入を勧めておきました。みんなザックからアイゼンを取りだしました。何やら箱を取り出しています。
「何!箱のまま持ってきた!」「アイゼンのつけ方がわからない?」
 となると、左足、右足と、苦労して装着の手伝いです。
 「若い娘には親切だねー!」「いや、いや.....」
 そんな軽口をたたきながら、20分? 30分? やっとの思いで、アイゼンの装着が完了しました。

 登山開始です。ゆっくり登り、やがて乙女峠へ。富士山も周りも全く眺望なし。集合写真もなし。

 次なるは長尾山へと向かう。これが意外と長い距離です。アイゼンを外して、またつけて、と結構大変です。天候も“春一番”の突風で歩きにくい。今にも雪が降りそう。

 長く下って登り返し、やっと頂上へ着きました。吹雪?のようなみぞれが降っていました。立っているのがつらい。視界が全く効かずです。
 みんな急いで金太郎茶屋の室内へ入った。
「駄目ですよ、アイゼンはいたままでは。床が木なので傷つけてしまう」
 吹雪? みぞれ、戸外で脱ぐ間もなく上り込んでしまったから、叱られた。寒い。みんな暖かいうどんを注文。持参した弁当は開く間もなし。でも、うどんはあったかい、旨い。

 さて、下山です。地蔵堂へ下る予定ですが、傾斜が強いので危険だ? 乙女峠に戻る方が長い雪道の下りでもっと危険? 判断に迷う。

 店主に相談し、急傾斜もてすりがしっかりしている地蔵堂へと下る。ゆっくり安全に30分程かけ、平地の鳥居へ出ました。もう安心、後は歩きやすいハイキングコースです。
 想定より時間を費やしましたが、無事に地蔵堂の茶屋につきました。ここでビール!、甘酒も。       

 しばし休憩後は、始発のバスで新松田へ出ました。いつもの〝華の舞〝で無事下山を乾杯です。本日の山行は猛吹雪?のみぞれの中、全く視界が開けず、何の山に登ったかわからず仕舞でした。次回に期待します。

        記録・横溝憲雄


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№177から転載】

【新曲発表】 紫蘭会の『山の歌』(四十年の軌跡)

 紫蘭会の設立40年を記念して、平成26(2014)年8月に創作されました。そして、翌27年1月21日に、「紫蘭会40周年記念イベント」で、初披露されました。


                          作詞 小倉董子  (写真)


                          作曲 久新大四郎
                      
                        
『山の歌』、紫蘭会のコーラスがYou Tubeで聴けます。こちらをクリック                        


楽譜をダウンロード(印刷してお使いください)

歌詞をダウンロード(印刷してお使いください)

 

紫蘭会の『山の歌』  (四十年の軌跡)


    憶えていますか  出会った日のこと
    幸い棲むという  あの山に登りたい
    可憐に咲く高嶺の花たちに  出会いたい
    みんなの瞳が   キラキラとまぶしかった


    憶えていますか  山との出会いを
    雨と風に見舞われて  彷徨った不安を
    試練の先には   喜びがきっとある
    枯れ枝にきらめく 満天の星たちよ


    憶えていますか  歩けそう地球の果てまで
    ピレネーで     あなたがつぶやいた
    今度はどの山に  行こうかみんなで
    仲間と自然と    ちょっと冒険 (※リピート )
   ※喜びを分かち合い  支え合えば叶えられる
    絆は強く      笑顔がはじける

    

斜里岳はスリル満点で北海道随一の景観だ=関本誠一

 2014年、北海道山行、帯広でレンタカーを借りて『トムラウシ~雌阿寒岳~羅臼岳』をまわり、最終目的地・斜里岳の麓に到着した。

 阿寒と知床連山の中間にそびえる斜里岳は知名度低く目立たないが独立峰なので、近づくにつれ徐々に大きくなるその姿に一種の感動を覚える。


 登山ルートはいくつかあるが、最もポピュラーなのが清里町からの「清岳荘(せいがくそう)」ルート。当日は土曜日だったせいか、早朝5時で駐車場はすでに満車だった。


 登山道は林道のつきあたりから始まり、沢沿いに10ヶ所以上徒渉を繰り返すうちに、やがて新道と旧道の分岐である下二股に到着した。登りは沢(旧道)を、下りは尾根(新道)を通るよう推奨されており、ためらわず旧道を行く。

 沢沿いに進むと最初に水蓮の滝が現れる。さらに登って行くと溶岩流の上を流れるナメ滝状の羽衣の滝、そして万丈の滝と続くが、鎖などがあり助かる。
 雨が降ったあとなどは足元をさらわれないよう特に注意したい。

 この先、滝は流れの幅を小さくし、階段状の岩場となる。

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富山藩士の富士登山 = 上村信太郎

 江戸時代中期の享和3年(1803)、加賀・大聖寺藩主の命により、富士参詣をした家来である笠間亨が記した日記が残されている。『享和三年癸亥日録』という題名で一般には「笠間日記」の名で知られており、そのなかに富士登山の記録が含まれている。


  大聖寺藩は、現在の石川県加賀市にあった藩で、加賀百万石、前田利家の四男で加賀金沢藩主の利常が隠居に際して三男利治に分封。加賀藩の支藩(7万石)となったという経緯がある。また、大聖寺という地名は『日本百名山』の著者深田久弥の出身地でもある。

 笠間亨は明和5年(1768)に儒学者那古屋一学の次男として生まれ、16歳のときに笠間平馬の養子になる。元服後は小姓、近習、表御用人等を歴任した。享和元年から江戸詰。この間に富士代参を果たす。

 では、徳川家斉将軍(第11代)の頃の富士登山がどんなだったのか「笠間日記」を見てみよう。6月10日に藩主から富士山御代参を命じられる。同行者は藩士の大野文八。出発前に武州小仏の関所を通る通行手形を用意している。
 江戸出発は6月16日(旧暦)。内藤新宿、八王子を経て三日後、吉田村に着いて田辺次郎右衛門の宿に泊る。この人物は富士講の元祖食行身禄入定のときに最後まで付き添った御師田辺十郎右衛門の子孫という。


 20日、登山準備(300文で案内人を一人雇い、予備のワラジ・食料の餅など用意)をして出発。浅間神社裏口まで田辺次郎右衛門が見送る。中の茶屋を過ぎ、馬返しで馬を乗捨てる。道中、いくつも堂がありそこを通るようになっている。これは「銭ヲ貪ルタメナリ」と感想を記している。二合目で金剛杖を買う。夕立あり蓑を着用。五合目の茶屋で休む。右方に小御岳石尊大権現の鳥居がある。七合目に身禄の堂があった。

 八合目の石室に泊る。室は4軒、「八合目迄吉田領也、是ヨリ上ハ須走領也」と記す。
御師に借りた綿入れなど4枚着るがまだ寒い。宿賃3人分、飯、汁、粥、布団などで2朱。

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鍋焼きうどんは食べられず。紅葉も富士山も最高=市田淳子

 三連休の真ん中の11月23日(日・祝)は、晴天に恵まれました。
 気温も高め、次の日は天気が崩れるという予報のせいか、人、人、人。渋沢駅から時間稼ぎのため予約したタクシーに乗りましたが、登山客が多いため隣の駅(秦野)からの助っ人、アルバイトの運転手さんでした。

 道がわからず迷いに迷って予定より30分ほど遅れて二俣の手前に到着しました。あんなに人が多かったのに、登り始めるとそれほどではなかったのは、一般のコースとは逆回りをしたせいかもしれません。

 登山道で木々の隙間から、富士山が何度も綺麗に見えました。とても眺めのいいコースです。
 都内では紅葉の季節ですが、丹沢も山の下の方は絶好の紅葉の季節でした。赤、黄色、そして常緑樹の緑と青空がとても美しかったです。

 標高は大したことはないと思って登り始めましたが、山道はかなり急登で休ませてくれません。ですから、途中で見える富士山と紅葉はより感動が大きかったです。

 小丸に11時40分頃到着しましたが、小丸から鍋割山までが気分的に遠く感じ、鍋割山に到着したのは、12時半でした。山頂は人だらけ。座る場所もないくらいでした。

 それでも、楽しみにしていた鍋焼きうどんを食べようと、山小屋に入って聞いてみると、なんと! 2時間待ち!! そんなに待ってはいられないと、準備してきたパンやお菓子などの非常食で昼食を済ませ、下山することにしました。

 下山は少し早足で…前を歩くお二人の頭にはビールと鍋焼きうどんがチラついているのか、早い!途中でリンドウの花が咲いていたのですが…。そして、大倉のバス停から15時30分のバスに乗り、渋沢駅に20分ほどで到着し、反省会をしました。

 真っ先に鍋焼きうどんはないかと探しましたが、メニューにはなく、帰ってから(?)鍋焼きうどんを食べることにしました。鍋焼きうどん以外、お天気も紅葉も富士山も最高の山行でした。

                                    記録 : 市田淳子


『関連情報』

鍋割山(標高1,273m)

登山日 : 平成26年11月23日(日・祝)

参加メンバー : L石村、岩渕(美)、原田、市田

コース : 渋沢→二俣→小丸→鍋割山→後沢乗越→ミズヒ沢→二俣→大倉→渋沢


ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№183から転載