登山家

中央線沿線・御前山づくし=武部実

山行日 : 2020年2月8日(土)  晴れ

参加メンバー : L武部実、栃金正一、佐治ひろみ、関本誠一、市田淳子、開田守

コース : 四方津駅~四方津御前山~西御前~コモアしおつ~大野貯水池~御春山~綱之上御前山~斧窪御前山~梁川駅


 御前山といえば、思い浮かべるのは、大岳山や三頭山、とともに奥多摩三山に数える、山容が大きく春にはカタクリの花で有名な山だ、とほとんどの人が言うに違いない。

 しかし、今回の御前山は、大月市と上野原市に7山もある同名の山のことである。そのうちの四方津駅から、梁川駅の北側にある4山を登ろうと計画を立てた。
 なぜ、狭い範囲にこんなに御前山があるのかは、少し調べてみたが不明であった。


 9:25 四方津駅を出発。

 国道を右折して、トンネルを抜けた先には「四方津御前山」の登山口の標識がある。山道に入ってすぐ、雑木林から草をかき分ける音がしたと思ったら、7~8m先に、猪が悠然と登山道を横断しているではないか。
 私たちに向かってこないか。猪のほうが立ち去って、ほっとする。

 10:03 四方津御前山(461m)着。

 山頂からは南の方向しか眺望はない。だが、道志の山々の先には、富士山の山頂部分がはっきりと眺められた。
 すこし休憩し、西御前(421m)に向かう。
 いま来た道を下り、10分ほどで着いた。ここからは西の方向が開けていて、これから行く「コモアしおつ」の家並みが眺められた。


 山道を下って、しばらくは道路歩きである。
 小きれいな住宅街の「コモアしおつ」を通りぬけて、大野貯水池に着いた。大野貯水池の周辺登山道として整備されている。この道を登ったところには東屋があり、貯水池のきれいな水を観ながらの昼食タイムとなった。


12:15出発。

 周辺登山道に沿って行くと、20分強で御春山(おはんなやま 463m)着いた。扇山、笹尾根等が眺められる、眺望の良い山であった。
 ここで下山すると、大野貯水池の周辺登山道を歩いたことになる。が、われわれは次の御前山をめざして反対方向に進む。40分ほど歩くと、今回のコース一番の急登となった。這いつくばって登るような感じで、キツイ。


13:42綱之上御前山(568m)着。

 ここからは、最初に登った四方津御前山や上野原市の街並みが眺められた。いったん下山し、線路沿いに歩いてガードをくぐったところに、お馴染みの大月市の標識がある。ところが、斧窪御前山の文字が消えかかっていて、目を近づけないと判別不明だ。


15:19斧窪御前山(523m)着。

 山頂には標識がなく、テレビのアンテナが林立しているだけで、見通しはあまりよくない。これで今回の御前山巡りは終了だ。
 この次は鶴島御前山と栃穴御前山を登れば、本当の御前山尽くしだ。

(四方津御前山の山頂)

     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№246から転載

【寄稿・コラム】 ナイロンザイル事件はいつ解決したか=上村信太郎

 井上靖の『氷壁』を記憶されている人も少なくないと思う。

『氷壁』は発表前年に実際に起きた事件を題材にした作品である。小説が完結したあとも、事件の解決までに長い年月を要した。


 ナイロンザイル事件とは、昭和30年1月1日に、前穂高岳東壁を登攀中の岩稜会3人パーティのトップが約50㌢墜落して、簡単にザイルが切れ、三重大生の若山五朗氏が死亡、2人は翌日仲間に救助された。

 岩稜会パーティが使用していたのは、新しく購入した東京製綱製ナイロンザイル。従来の麻ザイルよりも何倍も強く、ショックにも耐えるとされていた。
 同じころ穂高で、1週間に3件の登攀中の墜落によるナイロンザイルの切断事故が起き死亡者もでていた。


 岩稜会では若山氏の実兄、石岡繁雄会長を中心に独自に実験を重ね、ナイロンザイルは引っ張る力には強いが岩角に対しては麻ザイルよりも弱いと判り、「ナイロンザイル欠陥の仮説」をマスメディアに発表した。
 これに対して、「ザイルの結び方を誤ったか、アイゼンでザイルを傷つけたのではないか」という反論も多かった。


 4月末、登山用具の権威とされる阪大、篠田軍治教授が「ザイル切断の公開実験」を愛知県蒲郡市の東京製綱で、ザイルメーカー、登山関係者、報道関係者を集めて実施。その結果ナイロンザイルは麻ザイルよりも何倍も強いとなった。

 実は篠田教授の公開実験では、ザイルが切れないように岩角(直角)の部分をあらかじめ丸く削っておき、実験に立ち会った人たちにそのことは一切説明せず、切れなかったと報道だけが独り歩きした。

 そこで、石岡氏ら岩稜会側は、それまでの経緯をまとめた『ナイロンザイル事件』(わら半紙に謄写版印刷310ページ)を発行して各方面へ配布。

 これを読んだ作家の井上靖が、事件に興味を持ち岩稜会から取材して、朝日新聞に『氷壁』を発表。連載後、単行本が出版されると、ベストセラーになり映画化もされた。


 この後も、石岡氏と篠田氏の主張は生涯平行線を貫いた。だが、昭和48年6月、ようやく「消費生活用製品安全法」が制定され、登山用ロープが同法の対象になる。

 昭和53年には、岩稜会がナイロンザイル事件解決等の功績により文部大臣表彰されたのだが、それにしてもなぜ、もっと早く事件が解決できなかったのか不思議でならない。石岡氏は草場の陰で何を思うだろうか…。
           『山の本』106号掲載文を縮小


      ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№240から転載

奥多摩・榧ノ木山(1485m)=武部実

平成29年10月11日(水)
 
参加メンバー:L武部実、針谷孝司、開田守

コース:峰谷橋~ノボリ尾根~榧ノ木山~榧ノ木尾根~倉戸山(1169m)~倉戸口バス停


 10:00、真っ赤に塗られた欄干の峰谷橋にあるバス停を出発。30分位歩けば、コンクリート階段の登山口があるはずだ、と探しながら舗装路を歩いた。
 階段は、道路と直角にあると思っていたが、実際は道路と並行に設置してあり見逃してしまう。峰谷まで行って気づき引き返す。30分位のロスタイムか。

 コンクリートの階段を登ったら、すぐに急登だ。
 足場は落ち葉等で軟らかいため踏ん張りがきかず、ずるずると後退しそうになることもしばしば。四つん這いになりながら必死に登ること約30分。まさに悪戦苦闘が続いた。
 このあとも急登はあったが、一番きつかったのは、やはり最初の登りだった。


 途中で昼食を摂り、登りを再開してすぐのところに、熊の引っ搔き跡のある木と糞を見かけたので熊鈴を取り出す。
 そういえば何年か前に、登山家のYさんが熊に襲われたのも、この近くだったはずだ。
 14:10に鷹ノ巣山と倉戸山の分岐に到着。ここが榧ノ木山のはずだ。ところがいくらさがしても山頂の標識が見つからない。三角点が無い山で、標識も粗末なブリキ缶に書いてあるだけなので、落ちてしまったのか不明だ。
 後で、このコースを通った人のブログを見たら同じように標識が見つからなかったとなっていた。とりあえず山頂に行ったということにして、時間もないので先を急ぐ。

 榧の木尾根は緩やかな下りのコースだが、ガスが出てきて見通しはあまり無く、道を間違いないように慎重に歩く。すると後ろからマウンテンバイクに乗った男性二人組が追い抜いていく。あっと思う間もなく、ガスの中に消えていくのだった。

 15:10倉戸山着。山頂は広々としているが、見通しは無い。マウンテンバイクの二人組に再会し尋ねたところ、鴨沢に車を置いて石尾根から倉戸口まで行くということだ。
 鴨沢の登りはキツイが、そこを過ぎればあとは降るだけだ。しかし岩場はないのだろうか。結構大変そう。当日会った登山客は結局この二人組のみ。

 15:20バイク組が出発し我々も出発。倉戸口バス停まで降るだけ。最初のロスタイムを取り戻すべく、バスの発着時間に遅れまいと必死だ。
 16:10バス停に到着。16:13発のバスにすれすれセーフだった。

 今回は多摩百山の2座を縦走した山行であったが、意外ときつくて大変な山であることがわかった。それと榧ノ木山の山頂が不明だったことが心残りであった。

  ハイキングサークル  「すにいかあ倶楽部」会報№223から転載

北アルプス・黒部五郎岳(2924m)=栃金正一

1.期日 : 2019年7月25日(木)~29日(月)4泊5日

2.参加メンバー : L関本誠一 開田守 金子直美 栃金正一

3.コース
 7/25日 移動日 松本駅(バス)~新穂高温泉~わさび平小屋
7/26日 わさび平小屋~鏡平山荘
 7/27日 鏡平山荘~双六岳~三俣蓮華岳~黒部五郎小舎
 7/28日 黒部五郎小舎~黒部五郎岳~北ノ俣岳~太郎山~太郎平小屋
 7/29 日 太郎平小屋~五光岩ベンチ~1,870.6ピーク~折立(タクシー)~亀谷温泉~富山駅

7/25 今日は移動日で、松本駅からバスに乗り、平湯温泉でバスを乗り換えて、新穂高温泉で下車した。ここから林道を歩き16:45に、わさび平小屋に到着。小屋には団体がいて混雑していたが、部屋もトイレもきれいで、お風呂もあり快適だった。


7/26 8:00に夜行バスで来た、金子さんと合流し、わさび平小屋を出発。天気は良く、秩父沢、イタドリヶ原を通過し、12:30には鏡平山荘に到着した。

 昼食後は、鏡池からの槍ヶ岳は雲にかかり見えなかったが、夕食後は、雲がとれて槍ヶ岳、大キレット、西穂までの穂高連山が展望できた。


7/27 5:45に鏡平山荘を出発する。天気は良く、快適に登る。途中、槍ヶ岳や北穂岳、滝谷、奥穂・ジャンダルム等の迫力ある岩稜が見られる。
 6:30に弓折岳分岐に到着。ここからは、平坦な道が続く、途中雪渓を横断し、しばらく行くと、7:55に双六小屋に到着した。

 休憩後、今回山行の最高峰である2.860mの双六岳を目指して出発する。北の方には、鷲羽岳・水晶岳、南の方には、笠ケ岳がクッキリと見える。広大で見晴らしの良い道を登り切ると9:25に双六岳に到着。



 山頂からは、今回の目標である黒部五郎岳が堂々と見える。カールには雪が少し残っている。丸山、三俣蓮華岳を登り、12:45赤い三角屋根のある黒部五郎小舎に到着した。


7/28 5:40黒部五郎小舎を出発。残念ながら雲で黒部五郎岳はみえない。カールの壁を登り肩にザックをデホ゜し、8:20黒部五郎岳に到着。ガスで残念ながら景色は楽しめなかった。

 三角点を確認し、記念写真を撮り下山する。北ノ俣岳を登り、右手に雲の平を見て、周囲に白いハクサンイチケ゛が見渡す限り群生している中を行く。すばらしい景色である。途中、太郎山を登り、14:35に太郎平小屋に到着。

7/29 6:10太郎平小屋を出発。途中、五光岩ベンチ、1870.6ピークを通過し、9:45に下山口である折立に全員無事に到着する。
 予約しておいた、タクシーで亀谷温泉に入り、12:30に富山駅に到着。駅前の回転寿司店で4泊5日の長い山行の反省会を行った。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№239から転載

八ヶ岳登山 = われらインフォ・ラウンジ山岳部

インフォ・ラウンジ山岳部が八ヶ岳に挑戦・赤岳に登る。

 登山計画は壮大で、八ヶ岳連峰の縦走だった。

 どうも、あやしいな。

 

 ところで、インフォ・ラウンジって、なあに。
 
 決まっているじゃないか。横文字の会社よ。

 ボクは、そこのバイト。慶応大学のなんとか学部、まだ未成年

 日頃の行いが良くて、八ケ岳は夕陽に輝く。

 われらを笑顔で待ってくれているぜ。

 えっ、君も八ケ岳にきたの。

 偶然、学友と会ったんだ。
 
 初のテントだよ。むかしは露営と言ったらしいな。
 

 八ヶ岳の稜線は、わきあがる雲と戯れる。

 情感に満ちているね。

 これだから、山は止められない。

 テント群の色彩豊かなこと、このうえもない。

 「見た目ほど、心地よくないんだよ。テントのなかは」

 われら山小屋組だ。

 岩よ、山よ、わられが登る
 
 自然と一体になれる。

 でも、足の下は、不気味だな。

 いつも会社近くで、380円の牛丼ですませているわが身としては、山小屋の食事は、豪華このうえもない。

 いいね。ご馳走だね。んだな。

 

 寝床は、男女別なんだな。

 いいえ。われら山岳部に、女性社員の入会がないだけです。



 八ヶ岳のコケはとても渋くて、味があり、景観は優れている。

 でもよ、人間にコケが生えるといけないぜ。

 注意しな。つねに青春であらねばならぬ。


 
 おい、おい。どうも、天候が下り坂だ。


 とうとう雨が降りだした。

 このカメラっていいな。雨粒が写らないように、出来ているからな。



 赤岳山頂に着いたんだ、こっちをむけよ。

 記念写真だから。

 (トップに使った、1枚の写真のみにて、省略)

 山は安全が第一。無理しない。

「縦走はやめておくか」

 全員が大賛成。結束力がある会社なんだ。

 山頂から、下るほどへに、晴れてくる。

 こんな皮肉な結果になるとはね。

 日頃の行いは……、言われかねないな。

 とうとう、快晴になってきた。

 

 山頂はどしゃ降りの雨。

 下れば、晴れか。

 やってられるか。

 下山したからには、いくぜ。
 
 どこに?

 諏訪神社さ。

 なんの神さまだ。手を合わせて、賽銭をあげたら、何の神さまでも、喜ぶさ。

 下山報告だ。

 この諏訪神社は、とても有名な神事があるんだ。

 マルタに乗って、この急斜面を滑り落ちる。いや、丸太は滑り下る。

 落ちるのは人間の命だって。

 未成年は、ソフトクリームで、笑顔だ。

 いいね。若さって。

 いずれ、大酒のみの予感がするな。

 早くに、山男になれば、まちがいなく。

 樹皮を削いだ一本の立木のまえで、記念写真。
 
 有名というだけで、それ以上の説明はできず。 
 

 来年の登山計画が練られている。

 ところで、インフォ・ラウンジって、なんの会社?
 
 興味と関心があれば、ネットで見て。堅実に、着実に登っている会社だ。なにしろ、役員はみな登山が大好きだから。雨風にも強いし。

 ところで、言っとくけれど、この会社の入社試験で、いくら将来性があるから選びました、と真摯な気持ちで答えても、
「登山は嫌いです」
 と一言でもいえば、能力に関係なく、まちがいなく不合格だよ。

 独身です。といえば、君もか、と一次選考は通過できるらしい。 
 
 

第3回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2019 世界的な琴奏者・酒井悦子さんを招く 

 超党派議員で祝日「山の日」が決まった。それから4年目である。漸次、国民の祝日と定着してきている。
 広島県・大崎上島においても、『第3回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2019』が開催されます。


 離島なのに、なぜ山の日なの? その疑問から3回目である。島には名峰・神峰山がある。悲哀の地蔵さんが数多くある神峰山だから、山の日に、皆で祈ってあげよう。これがテーマです

 出演してくれる「酒井悦子」さんは、世界のサミットが日本で開催されるとき、昼食会で琴を演奏される。とても著名な方だ。酒井悦子の琴を聴こうとおもえば、クイーンエリザベス号、豪華客船・飛鳥などに乗船するのが手っ取り早いだろう。
 このメンバーとして著名な作曲家の菊地慶太さん、東京芸大出身の尺八演奏の豊嶋貞雄さんが共同出演してくれる。

 なにを隠そう。小説「神峰山」 を読まれて、「そんな悲哀のある神峰山ですか。琴や尺八を奏でて、お祈りしてあげたいです」と3人は無報酬で東京から来てくれるのだ。
 
 離島・大崎上島に移住されたキューバ音楽の奏者である三須磨さん夫妻、ディビット松井(バタ・ベル)、照井博恵(コーラス)たちは毎年出演してくれる。
 
            *

 超党派で国会で成立した法律だからと言い、昨年は寺田稔代議士が挨拶にきてくれた。ことしは寺田さんからバトンタッチで、新谷正義代議士が来島予定である。

 司会は、「丸子ようこ」さん。「NHK広島放送局の番組キャスタ」など12年間の経験があるプロアナウンサーである。この方も、「神峰山」を読んで涙しました、と無報酬で司会をしてくれる。

  著名な方々が、自費で参加してくれる。むろん、参加費は無料である。

  広島には、自費で戊辰戦争に参戦した「神機隊」がいる。私はかれら320人を歴史小説で描いた。こうした縁が回っているのかな、と思う。

「将来とは若者たちのもの」である。こうしたイベントは将来につなげるものである。大崎海星高校、広島商船高専の生徒による、学校の行事や催しの一端を語ってもらう場としています。


 令和元年8月11日出演者・曲目

〇キューバ音楽(2部構成)
1部 太鼓と奏でる神々の唄
 1 エレグア(儀式の始めと終わりを受け持つ)
 2 オバタラ(愛と創造の神)
 3 オサイン(病を治す薬の神)

三須磨 大成 (Vo・コンガ・バタ)
三須磨 利香 (Vo・シェケレ・バタ)
ディビット松井(バタ・ベル)
照井 博恵  (コーラス)

2部 キューバのポピュラー・ダンス音楽
 1 カチータ  おいでカチータ一緒に踊ろう
 2 ラグリマス・ネグラス  黒い涙
 3 神峰山(かんのみね)
 4 ボラレ
  
  
三須磨 大成 (ギター・Vo)
三須磨 利香 (Vo・コンガ・シェケレ)
ディビット松井(ベース)
照井 博恵  (コーラス)

〇邦楽演奏

 昭和歌謡ヒットメロディ
・見上げてごらん夜の星を
 ・鉄人28号
 ・日本わらべ歌
 ・それいけカープ
 ・瀬戸の花嫁・
 ・憧れのハワイ航路
 ・海ゆかば
 ・昔話メロディ

   酒井悦子  琴
   豊嶋貞雄  尺八
   菊地慶太  作曲

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奥多摩の低山・戸倉城山(434m)  佐治ひろみ

日時:2019年1月29日(火)晴れ

メンバー : リーダー・佐治ひろみ、栃金正一、野上とみ、中野清子、宮本武

コース : 武蔵五日市バス9:31 → 上町 ~ 光厳寺10:30 ~ 城山山頂11:36 昼食12:10 ~ 盆堀山12:55 ~ 荷田子峠14:00 ~ 登山口14:20 ~ 瀬音の湯15:00/17:18バス → 武蔵五日市駅17:30



 天気は晴れだが北の、風10メートルの予報だったので、どんなに極寒かと恐れをなしていた。だが、実際はそれほど寒くなく、幾つものピークを登り下りして、汗をかいた。

 集合は武蔵五日市である。右手に見える尖がった山が、きょう登る戸倉城山だ。標高は434mと低いが、ちゃんと多摩百山に入っている。

 まずは上町までバスで行き、そこから秋川まで下って、川沿いを上流に向かって行く。民家の庭先にはロウバイが良い香りを漂わせる。梅の蕾もかなり膨らんで、春も近い感じがする。

 沢戸橋を越え、山に向かって歩いて行くと「戸倉しろやまテラス」の手前に、小さくてステキな『小春日和』というお蕎麦屋さんがあるのだが、私のお薦めの蕎麦屋さんなので、本当は寄りたかった。

 急な舗装道路をグングン登って行くと、登山口のある光厳寺に着く。とても立派なお寺で中を見学し、すぐ近くにある樹齢400年の大きなヤマザクラも見に行く。ここで身支度を整えて、登山を開始する。


 最初は山の裾を巻きながら、林の中を進む。稜線に出ると、あとは一気に頂上まで稜線を直登である。

 上に行くにつれて岩が出てくるし、傾斜もきつくなる。落ち葉が積もっているので、滑らないように注意! 左側は断崖になっていて、眺めが良い。

 山頂直下は大きな岩場になっていて両手を使いながら登るのだが、落ちないように左側にてすりが付いている。
 登る時間は1時間程だが、面白いルートだった。


 山頂はとても良い眺め。東側が開け五日市の町並みや周りの低山、それらを眺めながらベンチで30分のお昼休憩。

  ここからは荷田子峠まで、1時間の行程だと高をくくっていたが、それは大間違いだった。林の中を登ったり下ったりの連続である。
 名前の付いているのは盆堀山だけだが、他にも小さいピークをたくさん越えるのだ。


 展望の開けたところで休憩を取りながら、山頂から2時間で分岐の荷田子峠に着いた。ここを下れば温泉が待っている。

 急坂を20分程下り道路に出る。あとは瀬音の湯の案内標識道通りに、里山の梅の花など見ながらダラダラと下る。

 15:00に音の湯に到着する。ゆっくり温まり、みんなツヤツヤになってビールで乾杯。お疲れ様でした。


       ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№233から転載 

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三浦半島の最高峰・大楠山(240m)  岩淵美枝子

2018年2月25日(日)  曇り

参加者 : リーダー・上村信太郎、渡辺典子、野上とみ、中野清子、宮本武、古賀雅子、岩渕美枝子  
コース : 京急安針塚駅9時30分集合 ~ 塚山公園(安針塚) ~ 大楠山 ~ 前田橋バス停(14時49分発バス乗車⇒逗子駅着)


 大楠山は、三浦半島の最高峰である。
 山というよりは丘陵ゆえに、頂上にとりつくまでに塚山公園がある。舗装道路の歩きが長すぎる。大楠山と三浦按針はセットだから、はずせない。

 三浦按針(ウイリアム・アダムス)は、日本を訪れた最初の英国人で、航海士。江戸時代には、幕府の外交顧問として、重用された。
 この地に領地をもらいうけ、日本人妻を迎えて帰化した。按針夫妻の慰霊のために作られた供養塔が、立っている。


 按針塚を後にして、林の中を歩くと思ったら、住宅地の中も歩いていく。途中、無人販売あり、早春の香りの ふきのとうあり、春を手に入れほっとする。

 遠くに、白い鉄塔が、見えてきた。頂上までは、まだ230段の階段が待っている。
 この階段、歩幅と合わず、てこずる。快適ではない。登りきったところで、リーダーから昼食休憩の合図。ゴルフ場横目に、楽しいランチタイムである。


 目の前の風景を見ながら、30数年前に来た大楠山のことを思い出す。そう、あのときは、前田橋から入り、阿部倉温泉の方へ、1月だったので正月料理、お風呂が売りだった阿部倉温泉、帰りには、塗り箸がお土産についてきて、ご主人から一言もらう。


             (福の箸・『阿部倉』)

 あの時代、人情も厚く、時間もゆっくり流れていた気がする。今はもう阿部倉温泉は時代とともに消えていったことが、残念だ。
 ただ、この塗り箸だけは、しっかりと残っている。阿部倉温泉様ありがとう。なんだか久しぶりの大楠山で思い出の山行記になってしまいました。皆さんお疲れさまでした。


  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№222から転載

8.11山の日 第3回大崎上島・神峰山大会 全国公募=『俳句募集』

 2019年は「山の日神峰山」恒例のイベントに加え、大崎上島の名峰神峰山(かんのみね)を句材に俳句募集を行っています。四季は問いません。
 優秀作品には大崎上島の特産品を贈ります。ふるって応募ください。

〇募集方法
 ハガキ若しくは封書で投稿ください。(電話番号を記入ください。)
 町内の方は投句箱(役場本庁・木江支所・情報プラザ・エル・観光案内所・NPOかみじまの風に設置)に作品と住所氏名を記載の上投句ください。

 ※ 複数の募集か。だだし、俳句は1句につき、1枚のはがきでお願いします。

〇選者
  石本秋翠先生(地元) 大久保昇先生(東京在住)

〇締切日(必着)
  2019年7月3日(水)

〇郵送受付場所
  〒725-0301 広島県豊田郡大崎上島町中野1834
     NPOかみじまの風「山の日神峰山実行委員会」宛て

〇お問い合せ
 月~金(祝日は除く)10:00~15:00にお願いします
  ℡ 0848-67-5530(NPOかみじまの風)

 8月11日「山の日」の大崎上島・神峰山大会は、2016年度から施行されています。ことし(2019)は3回目です。

 風光明媚で神峰山は、山頂から115もの多島美が堪能できす。
 里山・里海が一瞬で満喫できる大崎上島・神峰山で、国民の祝日8月11日「山の日」に、イベントを開催し、恒例行事として、規模を充実させていきながらは、数年先には全国大会を開催することを目指しています。

 近い将来は「海の日」も連携させて、「まち残し」を推進するものとしています。
『山と海に親しむ機会を得て、山と海の恩恵に感謝する』
 このコンセプトにおいて、島内の子ども、学生らと、山と海との自然循環教育を継承することにあります。そして、島内外の人たちにも、大崎上島の良き自然環境を知ってもらう活動として継続的に開催しています。

(情報提供)大崎上島のシンボル神峰山(かんのみね)


 古より語り継がれている「市杵島姫命」の伝説があります。姫が平和で美しい、安住のできる土地を求めて遍歴の旅に出られた。瀬戸内海に浮かぶ美しい島を眺めながら、船を進めていくうちに、やがて姫は大崎上島の神峰山を見つけられました。

 さっそく姫は、その方に向かって船を進めました。神峰山に登ってごらんになると、そこからの眺めは、また一段と素晴らしいものでありました。姫はこの地こそ安住の地であるお住まいになりました。


 やがては厳島弥山にご鎮座されますが、それ以前は神峰山で生活されたと言われております。

 史実として、幕末の史家で儒学者である頼山陽が、広島県・竹原出身であり、著作『舟游記』に神峰山を記述しています。

 一説には、長禄4年(1460年)「明」の僧侶「奇山禅師」が、国の混乱を避けて海を渡り日本に来られた。
 関前灘を過ぎると、海は荒れ狂って船は転覆しそうになりました。神仏に加護を願う。
 山々が重なりあって崖が切り立つ。一番高い山に畏敬の念を抱いて、一心に祈ると、やがて海は不思議と穏やかになった。

 その有り難い山々の中央にそびえ立つ一番高い山を「神峰山(かんのみね)」と名づけたと伝えられています。

 地元の人々は、この禅師を「神僧」と崇め「堂主」として滞在を懇願したので、庵を神峰山頂に結ばれたと伝えられています。


  俳句は全国公募ですから、どうぞ奮って応募ください。


【参考資料】

 穂高健一著「神峰山」(未知谷(みちたに)、2000円+税)が全国の書店およびネットで発売される。
 5編の中編小説です。

 右の「神峰山」の写真のうえで、左クリックすれば、アマゾンに飛べます。

富士山は雲の中だった大蔵高丸(1770m)=大久保多世子

1 登山日 :2018年6月9日(土)晴れ                             

2 参加メンバー : L佐治ひろみ、栃金正一、武部実、中野清子、開田守、金子直美、大久保多世子

3 コース :甲斐大和駅 ~ 湯ノ沢峠登山口 ~ 湯ノ沢峠~大蔵高丸 ~ ハマイバ丸 ~ 米背負峠 ~- 大谷ケ丸 ~ コンドウ丸 ~ 大鹿山分岐 ~ 景徳院 ~ 甲斐大和駅


 8:40 甲斐大和駅に集合する。予約してあったタクシーで約20分、湯ノ沢峠登山口に到着した。中止もあり得る雨予報だった。だが、終日最高のハイキング日和になり、緑を満喫した爽やかな1日になった。


 降車するなり、春ゼミの大合唱と、ウグイスの鳴き声が迎えてくれた。落ち葉が柔らかくなった山道は、足に優しく歩きやすい。

 沢沿いに歩いたりクリンソウを愛でたりして、1時間で到着した避難小屋は、室内も綺麗に整えられていた。
 その小屋からしばらく歩くと、尾根に出た。草原が広がっている。

 可憐なスズランやキンポウゲの花が、目を楽しませてくれた。大蔵高丸は秀麗富士12景で展望は良いが、肝心な富士山は雲のなかに隠れたままである。

 朗らかな健脚2人組に会い、集合写真のシャッターを押してもらった。


 なだらかに起伏した尾根が続き、ゆるい登り下りを繰り返し、11:25にハマイバ丸に到着した。ここで昼食となった。

 山頂の脇に「破魔射場丸」との表示があり、珍しい山名に納得できた。

 山頂から少し下ったところは、露岩が散在した荒地で、破魔射場と呼ばれるそうだ。急な下りや笹やぶ・灌木帯を過ぎて少し登ると、【大きな岩=天下石】がある。

 ここから先は広葉樹林帯が続き、木々の緑が一層美しい。下りきって、米背負峠に着き、正面の坂を登ると、大谷ケ丸に到着。先着の3人組が、「1時間ほど前に、すぐそこにクマが出た。」と教えてくれた。

 若い男性とにらめっこを2回して、離れて行ったと話す。皆、緊張して顔を見合わせる。この山の西側から南アルプスも見えるそうだが、それよりクマ鈴を身に着けたり、話し声を大きくしたり……。幸い、熊に出会うことはなかった。

 滝子山への分岐や滑りやすい急な下りを過ぎると、カラマツ林に変わる。地図には「防火帯に入らない」と注意書きがある通り、やや戸惑った。
 右側に目印のリボンが5~6個ついていて、難なく進むことができた。大鹿山への分岐で、男性3人は山頂まで往復し、女性はそのまま下ることになった。

 急な下りに時間がかかり、30分ほどで合流できた。大鹿山への往復は10分弱だったという。男性陣は皆、健脚揃いだった。

「間もなく景徳院だろう」
 と思われる所。左にコンクリートで固められた山道、右に手すりのある急な細道があり、無標識なので全員で相談して、右に進んだ。だが、2か所も大きな柵で、塞がれていて大変であった。

 二つ目の柵を過ぎてから、左の道が正解だったことが分かった。西日が強く、どっと疲れが出たが、傍らのヒメレンゲの群生が美しかった。

 景徳院で休憩後、県道に出て、4:22のバスで甲斐大和へ向かった。

 全体を通して、何か所か急な下りはあったが、最後まで歩きやすい柔らかな道の連続で疲れが少なかった。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№226から転載